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1号入院ー義理の人々② - 2002年12月29日(日) 銀座に行く前から夫実家で娘1号は喘息の小発作を起こしていた。法隆寺に来て以来、ほとんど発作はおきていないし1回おきた小発作もインタールの吸入で簡単におさまっていた。 だから甘く見ていた。 夕方銀座から夫実家へ移動した私たちは小発作を起こしている1号にインタールとベネトリンの吸入を行った。 薬が効かない。 家庭で出来る最終手段のベネトリンが効かないのはすでに事態が最悪に向かっていることを意味する。ベネトリンが効いていないこと午後6時に確認できたのですぐにインターネットで近くの救急病院をさがし、片っ端から電話をかけて小児喘息の専門医がいるか確認する。 稲田堤時代から頼りにしていた慈恵第3病院がすぐにつれて来いと言ってくれる。 義父がタクシーを呼び、夫が1号を連れて病院へ行く。娘1号は点滴後さらに発作を悪化させ、1泊入院することになった。 その晩、私はおKと夫実家に2人で泊まった。 1号が発作ー入院ということになっても夫実家は温度が変わらなかった。不在の2人を静かに心配しながら、おいしい夕ご飯を食べた。うちの実家だったら間違いなくみんな一緒にパニックにGO!だ。 私が「夫婦で銀座になんか行ってなければよかった」 というと姑が 「きっと出かけていても、付いていても、同じだったよ。自分を責めないで」 とすごく自然に言ってくれた。 この夜のことを長く覚えておこうと思う。 夫実家のこの危機への強さが夫の強靭さを作ったのだなと静かに納得した。 ... 抜き差しならない私たち - 2002年12月28日(土) 28日は前の職場の友人と目白でランチをした後、中学時代の友2名(9月に出産したばかりの3ヶ月児連れと来年3月に出産予定の妊婦さん)と寄り合いを持ち、私の実家でお茶をする。 友との再会事業もダブルヘッダーである。 東京の友は総じて晩婚か、結婚が早くても母になるのがゆっくりだ。 激しい人が多かったNGO業界ではそもそも子どもをもたない選択をする人も多かったし、子どもも40歳になってから産む人が多く、35歳現在2人産んで、もう打ち止めを宣言している私は「若い母」である。奈良の保育園ではいきなり長老グループ入りではあるが。 29日は修士課程のときの友人男@36歳が23歳のうら若き乙女と結婚したのでそのお祝いパーティを銀座方面で行った。 夫あめでおと妻マルコはこの修士時代の同級生なのでここは夫婦そろって参加。 朝、あめでおが夫実家から私実家まで迎えに来ておKと若干の荷物を持って銀座へ。娘1号は少し体調を崩しているので夫実家でお留守番。 ところで、約10名参加予定であったが5名ドタキャンした。 2カップル4名が子どもの病気および妊婦の不調であった。そのドタキャン者の中にこの宴会の幹事も含まれていたので、わたしが急遽幹事の代理を勤めることになった。 私は思ったね。子どもが小さかったり妊婦だったりする間は銀座なんかで飲んじゃいかん。誰かの家でホームパーティ、ドタキャンOKじゃなきゃやってられない。 50歳くらいになって仕事も子育ても親の介護も落ち着いて抜き差しならない状態が終了したら銀座でどんちゃん飲むのがよろしい。 ... 主夫の友 - 2002年12月27日(金) さてこの日は兄の家でクリスマスパーティ。娘2人を連れて兄夫婦の暮らす千歳烏山へ。夫@あめでおも今日で仕事が終わるので5時ころに合流。 夫は強烈女子大(仮名)というところで非常勤講師のバイトをやっていたのだが 前期が終わったところで大阪に転勤になってしまったので後期分の講義を3日間でやり尽くすと言うハードなことをやっていた。 さて兄夫婦、子どもは男の子が2人。 上の子は娘1号より3ヶ月年上。下の子はうちの2号@おKよりも1年年上と言う構成。 この義姉は常に私の育児アドバイサーであった。また長野の大自然に抱かれて育った義姉は東京を心から憎んでおり同じく東京を心から憎む夫@あめでおの心のともし火である。 この義姉は私の親族(偏ってたり、過剰に激しい人が多い)の中でもっとも穏やかな良い人である。(ねえちゃん、こんな夫親族の中で苦労してないか?) 公務員カップルの兄夫婦は複数年育休に挑戦中である。1年目を義姉が育休し、2年目の今年を兄が育休している。兄はかなり完璧に主夫業をこなしているらしく 平日は義姉に一切家事はさせない、俺が全部やるのだ!と言っていた。 同じく育休中だった私は働いているとき同様ごんごん夫に家事を振っていたので ちょっとヤバイ宴会であった。 兄が焼いたローストビーフはそれなりにおいしく育休中に家事スキルをアップさせた兄をちょっとえらいと思った。 この日夫あめでおと娘1号は夫実家へ。わたしとおKのみが私実家へ帰る。だって子ども2人とも面倒見るの疲れちゃったんだもん。 ... 1号故郷に帰る - 2002年12月25日(水) 天皇誕生日あたりから帰省の支度をして、着替えなどを宅急便ですちゃらか夫実家と私実家におくり、 24日に家族で東京に移動。 八王子方面で年末25日-27日まで朝から晩まで仕事をする予定の夫は八王子に出るのに便利な夫実家に泊まり、宴会の予定目白押しの私は都心に近い私の実家に娘二人とともに泊まる。 25日は娘2人を連れ、娘1号の9月まで通っていた稲田堤の保育園の園庭解放にいそいそと出かけた。前日に園の方に連絡しておいたので、1号の旧クラスの園児たちは散歩にも行かず、窓のところで鈴なりになって娘の到着をいまや遅しと待っていてくれた。 娘1号の歴代の担任の先生方が入れ替わり立ち代り持ち場を離れて1号の顔を見に来てくれる。 1号を抱きしめ、励まし、愛しているよ。と告げてくれるたくさんの手。 保育園の園庭を昔のクラスメイトたちと駆け回る弾けるような娘の笑顔を見ながら、ちょっと泣けた。 1号は生後5か月と20日からこの園で暮らした。起きている時間の多くを母である私よりこの園の友達と共有してきた。歩けるようになり、言葉を覚え、おしめをはずし、そして友情を育み、時にはケンカし、「物心」というものを獲得した。 良い友と、素晴らしい先生に囲まれた娘にとって保育園に早くから通わせるのも、長い時間あずけたのも「かわいそう」なことでは決してなかった。しかし家族のように親しみ、これからもともに成長していくと信じていた友と保育園をAからBに変更するように転園させられたのは心からかわいそうだと思う。 おそらく娘は母が考えるよりずっとたくましく新しい環境で自分の居場所と友人を獲得していくだろう。 でもお母さんは忘れないよ。君が故郷を放たれ、そこから新しい居場所を得るまでに苦闘した毎日を。 そして故郷の友達もまたこんなに君を愛し心配してくれている。今は辛いかもしれないけど君はいつだって決して独りではない、たくさんの人が君の後ろで応援してくれているよ。 その後、娘の保育園の友達でママが現在育休中でおうちにいるWちゃんのおうちに遊びに行く。Wちゃん家は最近おうちを新築した。賃貸住宅友の会だった友人たちも次々と家持になっていた。 うーん。持ち家あこがれます。という気分にさせられるW家新居でした。そこで少しゆっくりして(布団までひいてもらった)夕方からWママと一緒に保育園に再び行き、仕事から帰ってくるN1まま、N2まま、Sままと待ち合わせて魚民で子連れ宴会。夫@あめでおも仕事を終えて合流。 このメンバーで一緒に旅行しちゃったこともあった。私自身、働く母親となり、あまりのハードさになんだかぐるぐるしていた時代にこの友とめぐりあい暗中模索しながらなんとか母親業を軌道に乗せた。 彼女たちは私にとってもまさしく苦楽をともにした戦友だった。 故郷はかわらずここにあり、いつでも私たちを受け止めてくれる。安心して新しい環境に乗り出そう。 そう思える稲田堤での1日でした。 ... 3人のぶつぶつ野郎ども - 2002年12月18日(水) さて、娘1号の蕁麻疹から2週間後12月初め、夫@あめでおの体にも赤い湿疹がでた。こりゃあ流行り病だよ。と思う私。さらに7ヶ月児おKの背中にも5粒ほどの水疱ができる。 私の診断としては娘1号とあめでおが同一の病でおKは水疱瘡だ!と思ったのだが 実際は3人とも別の病で、娘1号は原因不明のアレルギー あめでおは虫刺されが原因のアレルギーおKはなんと汗疹でした。 病院の診断はかなーりいいかげんだった。 あめでおなんて保険証を持たずに病院に行って 「皮膚科じゃないからわかりません。でも風疹じゃないみたい」 という診断だかなんだかわからない診断をいただき 4,000円を支払いました。 さて、このぶつぶつ騒ぎで最も頼りになったのは法隆寺の薬師如来でした。15日の日曜に家族で法隆寺に参り、薬師如来様にぶつぶつを治してとお願いすると、おKの水疱瘡っぽいぶつぶつはとたんに勢いを無くしたのでした。 今月の教訓>医者よりも仏。 ... さらに漂流-バブルがこなかった町 - 2002年12月16日(月) 本日もおKをN婦人にみてもらって、朝からハローワークに失業認定にいく。ハローワークのある大和郡山までJRで2駅。そしてすちゃらか失業を認定してもらい今度は近鉄に乗り大阪、難波へ。 しかし郡山、まじで大学時代に遊びに来た「関西」そのまんまの雰囲気の駅でした。東京には良くも悪くもバブルが来た。駅前は開発されて雰囲気はがらっと変わった。大阪も90年代まででかなりバブリーに変身した(と、思われる)。 しかしバブルは奈良までは及ばなかった。ここは20年前とあんまりかわらん。 しかし、大和郡山市が奈良市についで奈良県第二の都市とはねえええ。通りが3本しかなかったメルー市がケニア第八の都市といわれたときの衝撃と同等のびっくり感である。 さて、近鉄で大阪へそして地下鉄で心斎橋へ移動し、専門学校の最終面接。校長まで出てきた。ここで負けられるかよ。結果は年明けに持ち越す模様。乞うご期待 補記:大和郡山は奈良県第4位の人口の町でした。奈良県民の皆さん(わたしもだが)失礼しました。(2004年1月5日) ... やっと漂流をはじめる - 2002年12月13日(金) この日はお久しぶりにシルバー人材センターのN婦人の御出馬を願い、私は昼前から神戸に向けて出発。 大阪駅で神戸行きの電車のホームを探し、うろっとする。 大阪・神戸、みんな暇を持て余していた学生のころの青春18キップで旅行して以来の地名だ。コレが私の生活圏になるとはねえ。しみじみ。 山の上の目的地まで2時間。遠い! そこでちょいとわたくしの専門分野の講演会があり、どうしても聞きたかったのだ。しかしアカデミズムの人々の言い回しと言うのは独特ですな。しばらく学問から遠ざかっていたのでちょっとめまい。 その後4時半に神戸を出発。神戸の丘の上から見えた夕焼けの瀬戸内海はオレンジにきらきら光り、行き交う船もシルエットになって本当にきれいだった。右手に四国。左手に紀伊半島が広がっている。 「来ちまったなあ、関西」と我知らずつぶやく。ほんと来ちゃったわ。 その後大阪の梅田で某サイトのオフ会。働くお母さんの集まりなのだが、すごい勢いで飲み、食べ、死ぬほど笑った。私自身宴会話芸はそんなに不得手なつもりはないのだが浪速女たちの速射砲のような話術(すべての話にオチがピシピシ決まるかなり高度な話術)のまえにうまく口をはさめない。 やるな>浪速オンナども。しかし私は負けへんで。 私はこの夜はじめて関西に着地したのだ。 ... いてもいいよと言われた日 - 2002年12月10日(火) さて11月に就職試験を受けた心斎橋の某専門学校から最終面接のお呼び出しを受ける。 やった! はじめて関西が私にウインクしてくれた。ここからさきは純粋に私と職場の相性の問題だ。私は関西でもどうやら居場所はあるらしい。 ... 法隆寺に行かない週末ーばばとの遭遇 - 2002年12月08日(日) 今週末は初めて法隆寺にいかなかった。 奈良に転居して以来はじめてのことである。 (今までは毎週末法隆寺にもうでていたのだ!!) 寒かったのと雨が降っていたので図書館で本を借りた以外は家で遊んで過ごす。 娘に乞われてトランプゲームの「ばば抜き」と「神経衰弱」と「7並べ」を教える。 娘ははじめて出会うゲームの世界に文字通り瞳をギラギラさせて「1号ちゃん、ばば抜きが大好きになっちゃったよ!」と感嘆する。 そうかそうか、未知なるヨロコビと出会えた感激に胸を震わすか。お前さんの知らないヨロコビはまだまだこの世にたくさんある。1つ1つつまびらかにしていってくれ。セックスもドラッグもアルコールも君はまだ知らない。 母は君がそうしたヨロコビとシアワセに出会い、過剰に嵌ることなく楽しむことを望む。 あ、ドラッグとは出会わなくとも良い。母にも未知です。 ... おKの旅立ち - 2002年12月03日(火) 娘2号、その名はおK(仮名)に保育所から便りが届く。 来年4月の入所を前に説明会&体験入所に来たまえとのこと。 「おK保育園に来るの?」と娘1号が誰よりも興奮気味。来年度4月から0歳児クラスに入所するのはおKを含めてなんと4人。 全国4位の待機児童数を誇る(誇るな)川崎から移転した我が家にとっては笑っちゃうような数字だ。 この日体験入所に参加した0歳児クラスの子どもはおKひとりでした。残念。 今年はじめに奈良市内から引っ越してきたという1歳児のお母さんと少しお話をした。 「ホント、この辺は田舎でいやになっちゃう」と言われて、 思わず本音がぽろり、「え、何か違いがあるんですか?」。 「いやー私以上にわかってませんね。」と笑ってくれた。失言を笑って流してくれて心から感謝。 まあかなり風景などのどかだが奈良まで3駅だし、快速に乗れば大阪の中心街まで20分だし、繁華街への距離感覚としては稲田堤とそうかわらない。車窓の風景が世界遺産なぶんだけこっちのほうが勝ちか。 後は繁華街に私のニーズに合う就職先さえあれば文句はない。 さて、おKだが、ちっとでも抱っこ状態を解除すると泣く。生後2ヶ月から保育園で生き抜いてきた姉に比べるとてんであまちゃんだ。 まあコレが普通か。 しかし赤ちゃんせんべえをもらって、大興奮の大喜び。母は予言する。君の運命は食欲によって導かれ成功するであろう。 ココまで書いて母は娘2人がネットの世界に親しむようになる前にこのHPを閉鎖しようと心に決めた。こんなこと読まれちゃたまらん。 ... 12月総括 - 2002年12月01日(日) 今年も残すところあとわずか。
昨年の今ごろ一体誰が私が奈良の夕焼けを見ながら 生活するなんて想像できたでございましょうか。 人生は生々流転。 そこのあなた、あなたも来年の今ごろギザのピラミッドに沈む夕日を見つめつつ、 この私がエジプト永住なんてことになるとはと 感慨にふけるかもしれませんわよ。おほほのほ。 今月はいろいろと動きのある月になりました。やっぱ神戸はいいのう(謎)。 ...
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