東南アジアサッカー調査メモ...ogaoga2k

 

 

水曜日が待ち遠しい! - 2007年03月28日(水)


インチキ臭いGoal.comが、なかなか素晴らしい論説をのっけていたので
ご紹介。

----

論説:東南アジア勢の成功がACLの鍵だ。


 ACL2007はまだ2試合終えたばかりだが、この2試合の結果を見ると、
 これまでの中でベストなシーズンになりそうだ。


豪州の2チーム、アデレード・ユナイテッドとシドニーFCのACLへ参加は
歓迎すべきことではあるが、東南アジアのクラブの成功こそが、大会を盛り
上げることになる。

西アジアでのサッカー・カレンダーでは絶対不可欠な部分として見られている
ACLではあるが、東アジアのサッカー大国、特に日本と韓国に対しては
大きな難題となっている。ファン、メディア、そしてクラブですらACLを
軽視してきたのだ。


この現状は、対戦相手という問題がある。タイのBECテロサーサナは、
2003年にはACL準優勝を成し遂げてはいるが、2004年は6試合中
5試合で破れ、以降東南アジアのチームはそれに倣うような結果となっている。


C・J・Kリーグの強豪チームはインドネシア、ベトナム、タイのチームと
対戦するが、それらのチームは設備も悪く、資金が良くないチームであることが
分かってしまっている。ピッチの状態は悪く、点数は一方的な結果だということ
さえもだ。


2004年、韓国の城南一和はプルシック・クディリに15−0で勝利したが
得点を重ねた選手以外、喜ぶような人々は居なかった。昨年はガンバ大阪が
同じスコアでベトナムのダナンを破った。

ダナンの選手達が関西地区で試合前の午後、ショッピングと観光を楽しんだ
という報道は、東南アジアのクラブはこの大会に貢献も何もしていないとう
感情が沸くだけだ。こんな負け試合を続けては、より実力の劣る国の発展を
親切にも助けているようなものだ。それは全くの間違いだろう、と。


もはや…まだ始まったばかりとはいえ、彼らはそんな状態に満足しているの
かもしれない…私のようなだらしのないサッカー記者にとっての悔しさは、
蒸した東南アジアからやってくる「グループの草刈場」達にはそう簡単に
伝わらないのかもしれない。


韓国と日本のメディアや両国のGoal.comの様なサッカーサイトは、グループF
に関して、タイ・インドネシアのチームということから、川崎と全南の一騎撃ちと
いう予想を立てた。しかしバンコクUはホームで全南相手にスコアレスドロー、
そして日本に渡った彼らは、川崎相手にオウンゴールで勝利を逃した。


まだ勝利を得ていないアレマ・マランだが、これまでの2試合を見る限り、
アレマにもチャンスがある。だが、アレマの存在を超えたのが同じインドネシアの
プルシック・クディリだ。3年前に0−15で敗れたチームだが、Jリーグ王者・
浦和にアウェイで0−3で敗れはしたものの、ホームで中国超級準優勝の上海申花
に1−0で勝利した。


まだリーグ途中で時期尚早かもしれないが、もし東南アジア勢がこのような
戦いを続け、そして豪州のチームがACLに対して積極的な姿勢を続けるの
ならば、ACLは”いい”前半戦を終え、そして水曜日がもっと楽しくなるに
違いない。


Editorial: SE Asian Success Is Key For ACL(goal.com)
----



そーだよなー。この(グループFの)混戦は、当事者(っぽい俺)から
すると胃がキリキリするが、大会的に見たら面白いことになってるん
だよな。

最近、モーレツにACL情報が増えたんですが、楽しみ方がちょっと
狭い気もするな。


  日本勢、初のGL突破を目指せ!


ばっかりだもんな。これじゃ、日本代表のふつーの楽しみ方の
Jリーグ版だからな。


ちょっとマイミクさんと書き込みあったのは、もうちょっとACL
に参加していないクラブ(やサポ)のACLの楽しみ方ってのも
絶対あるはずで、それも込みで大会を楽しまないとイカンよな。



まあ、出ている時はクルクルパーになるのもイイが、今シーズンは
モーレツにおもしれえってことで、もっと楽しもう。うむ。

西・中央アジアもおもしれえことになってるし(ネフチが2連勝だ?)
今シーズン出場した浦和・川崎はラッキーだったってことで。


てなわけで、これからの合言葉は

 水曜日が待ち遠しい!
 When wednesday comes!





...

東南暑けりゃ東は寒い - 2007年03月27日(火)


さて、じみーに復活の準備を続けている管理人ですが(多分4月に復活)、
相変わらずアレマ・マランのサポ、アレマニアとの対全南戦・バンコクU戦に
関して情報交換をしております。


全南に関してはどうよ?と聞いたところ、こんな感じで返答がありました。



  全南戦に関して言えば、アレマは2つの敵と戦ったといえるね。
  1つはもちろん全南ドラゴンズ、そしてもう一つは寒ささ。
  
  アレマは全南に前半ゴールを許さなかった。彼らのフォーメーション
  を封じてね。でも後半、全南が2人の選手を変えてきてからは
  それが効かなかった。

  川崎は2人のブラジル人、特にサンドロに気をつけたほうがいいよ!



おい、どっちのサンドロなんだ(笑)というのは置いといて(全南の
FW2人ともサンドロでブラジル人)、よく東南アジアのニュースで
書かれる敵は、寒さです。

日本の場合は東南アジアに行くと”蒸し暑さ”が敵と言われるのですが、
彼らにとっては寒いのが敵なんですよね。当たり前だけど。
(バンコクU戦はナイトゲームにしなかったのは痛いな)



ちなみに、上海申花はインドネシアでやられましたが、昔を見ると
東アジアのチームはごくまれにインドネシアではやられます。
確か上海は前も負けたよな。浦項も負けたことあると思うけど、
中国の方が多い気がする。


でも、だいたいアウェイ(東アジアホーム)でそれ以上にボコボコに
されるので、まあ、恐寒症というもんがあるのでしょう。

それでもよくわからんのは、インドネシアのチームはモルジブで
負けたりするんだよな。暑いのも苦手なのか(笑)



というわけで、現在はアレマ−川崎共同戦線で、次戦こそ共に
勝ち点3取るぞ!と言い(書き)合っております



あ、そうそう等々力は桜が綺麗だから、写真送るよって書いたら
アレマニアはコーフンして「早く送れ!」と催促すげえっす。

サクラ・シーズンは南から来るからまだだってば。



Jリーグ及びスタジアムのグッズ売り場の方々、外国人向けに
是非

 ”スタジアム with サクラ”

のポストカードを売りましょう。ACLではバカ売れ間違い
なしです(笑)




備考:「さくらとインドネシア」 YOGYA滞在記-SENYUMさんより


...

ACL第2戦:J1川崎 VS J2川崎 - 2007年03月22日(木)

・AFCチャンピオンズリーググループF第2戦 @ 等々力競技場

 2007/03/21 川崎フロンターレ 1 - 1 バンコクユニバーシティ


ACLでの戦いに必要なものは、

 実力+適応力+ハングリーさ

である、と認識させられた。


これまでACLを見てきたが、東南アジアのチームと
Jチームとの対戦の場合、


  アウェイで2点差
  ホームで4点差


で勝利というのが大体の目安だ。

これを最低限にした上で、中・韓と戦っていく必要が
あった。



対バンコク・ユニバーシティ戦には正直、自分の中にも慢心
があり、危機感はそれほどなかった。

また、緊張感もなかった。

アウェイで1−3という定石どおりのスコアでアレマを破り、
そして引いて来るであろうチームには、横浜FCというJ1
で最も条件が近いチームに大勝していたからだ。



以前三ツ沢で横浜FMがACLに出場した時の、ACLや
アジア大会、そしてIMGやエミレーツ航空の看板をみた
ときの緊張感は、等々力にはなかった。


自分にもなかったし、スタジアムにもほとんど感じられ
なかった。一番近かったのは、J2時代の、リーグ序盤と
同じ空気だった。いや、深澤という選手が所属している
チームとの親善試合と言った方が良かったかもしれない。



だがバンコク・ユニバーシティは、素晴らしいチームだった。

BECテロサーサナのような、タイ代表を揃えた銀河系では
なかったが、とにかく8番のTanapat Na Tarueから起点となる
カウンターの精度・スピードともに相当脅威で、またパスの
出所を潰していくプレスに、川崎は適応しきれない。

(試合後8番はユニバーシアードに出場していた選手だと聞いた)




川崎はこれまで、ガンバや浦和のような、Jリーグらしい
実力を出して他者を圧倒するのでなく、伏兵的な攻撃力や
戦術でJを勝ち抜いてきたと個人的には思っている。


バンコクユニバーシティはおそらくタイ・リーグでも
伏兵扱いだっただろう。オーソットスパやBECテロ
サーサナといった、海外でも名前が知られたチームに対し、
リーグ王者となった理由があるはずだ。



言って見れば、伏兵同士の戦いだったのだ。

それを、俺は「これまでのタイチームぐらいだろう」と
タカを括っていたのが、凄まじく悔しいのである。

そして、川崎は実際、ほとんどハングリーさだけで持って
いるようなチームなのに、それを捨ててしまった様にも
感じてしまった。



まるで、現川崎VSJ2の頃の川崎、をバーチャルで
見せられたようだ。スタジアムの雰囲気も含めて。


あの当時の川崎と昨日の川崎の戦いは、スコアどおり
だったかもしれない。いや、負けていたかもしれない。
関塚川崎vsノブリン川崎ってのをACLで観るとはな。



考えてみれば、このグループFは、当初浦和のグループに
劣ると考えていた。

実力はそうかもしれんが、戦いそのものはそうでもない
のかもしれない。



これまでインドネシアのチームに組織的なことは苦手だと
思っていたら、アレマ・マランはそれをやってのけ、
(なんとあの寒いアウェイの韓国で0−2というスコアだ)

アウェイで粘りの弱い傾向にある思っていたタイのチームは、
バンコク・ユニバーシティというチームで目を覚まさせ
られた。


川崎のグループは戦力差が思ったより無く、そして
川崎含め”読めない”グループなのだ。アウェーも
バンコク以外変なトコばっかりだしな。全南とか(笑)


要は、グループF全チーム、それほど国際経験に富んだ
チームもあんまりないし、適応能力などという高尚なもん
はあんまり見込めないグループである。


全チーム、普段の戦い馴れたやり方にいかにもって行くか、
という、なりふり構わない、みっともない戦いになって
いくような気がする。他の東・東南アジアのグループ以上に。



正直、予選リーグでホームで引き分けたチームは、西アジア
ではほとんど決勝トーナメントに出場し得ない(たしか昨年は
UAEのチームだけだった)。


というわけで、ネガってしまいそうになるが、韓国のチームは
何故かホームで負けても進んでしまうことがあるので、
Jリーグらしくない川崎は、まだまだ凄まじくチャンスがある
わけである(笑)



まあ、単純に自分の中でアジアのチームを若干分かった気に
なってただけで、それが今回の試合でガラガラと崩れたこと
にも相当ショックだが、こんな胃が痛くなる試合がまだまだ
続くと思うと、嬉しくもあり、そしてツラくもある。


まあ、これがアジアのチャンピオンズリーグなのだ。



...

川崎サポ・マラン遠征記(チャーター編3) - 2007年03月16日(金)

▽マランへ行く(4)


 とりあえずスタジアムに行ってみようということになり、グチャに乗った。
 前日のどんよりとした空の下アレマニアが集結していた風景とはまったく違い、
 よく晴れていて、こざっぱりした平和な町並みである。スタジアムの周辺も、
 驚くほど静まり返っている。


 ところで、5,000ルピアのはずのグチャは、着いてみればいつの間にか
 25,000ルピアという話になっており、ブチ切れていろいろ言ったが通じない。

 しまいに怒って10ドル米札を叩きつけて追い払った。後でよく考えたら、
 あの子供銀行券みたいな10ドル札は、90,000ルピアくらいの価値があるのだった。

 アホか。もったいない。

 知ってか知らずか、グチャのオヤジはドル札を見て苦虫を噛み潰したような
 含み笑いをしていたが。



 さて、アレマニアたちが描いたであろう見事な落書きを眺めてスタジアム
 周辺をうろうろしたが、もうアレマニアはいないし、露天もないのでする
 ことがない。駅前でオヤジに投げかけるべき罵詈雑言を考えつつ、ぷんぷん
 怒って歩いて駅まで戻ったら、ものの10分くらいだった。



 駅前にオヤジはいなかった。帰りの列車は午後までないので、バスに乗って
 帰るのが賢明そうだ。k氏が「タクシーで空港まで行ってしまいましょう」と
 言うが、それももったいないので、バス乗り場はないかと駅前をうろうろして
 いると、サッカーショップを発見した。


 「おお!」


 店にはアレマグッズが売られていた。意気揚々といろいろ買い込むk氏。
 しかし、グチャの一件ですっかり財布の紐が固くなっている僕は、渋りに
 渋ってシャツ1枚だけを35,000ルピアで買った。

 落ち着いて考えれば500円足らずである。何をケチっているのか。もっと
 買えばよかった。これだけは激しく後悔している。ちなみに、前日の
 マフラーに引き続き、またしても瓦斯っぽい青赤をチョイスしてしまった。


 アレマニアグッズも手に入り、目的を果たしきった我々は、ホクホク顔で
 タクシーと交渉。空港まで300,000ルピアという。ほぼ相場どおりだ。
 つたない英語で、空港の駐車場代とか高速道路代とか帰りの車代とか、
 いろいろ付くんじゃないかと、それこそ失礼なくらい念を押して、言い値の
 300,000ルピアでFIX。メーターも回すという。

 k氏は僕が交渉中にタクシー仲間と仲良くなり、マランのスポーツ新聞を
 ゲットしていた。



 タクシーは、すべて一般道で空港に向かった。途中で屋台にでも寄って
 小腹を満たそうと考えていたが、スコールで断念。タクシーは毒の沼でも
 大して渋滞に巻き込まれず、順調に空港に近づいた。


 ここで、アクシデント発生。

 白バイに止められる。


 大柄な運ちゃんは我々を残し、最初に免許証っぽい何か、続いて営業許可証の
 ようなものを持って降りていった。

 ところが何分経ってもポリ公と押し問答を続けるばかりで戻って来ないので、
 僕は財布を持ってタクシーを降りた。


 近くにあった露天のオッサンによると、25,000ルピアくらい包めばOKらしい。


 運ちゃんは泣きそうな顔をしながら財布の中を見せる。5,000ルピアしかない。
 仕方ないんで20,000ルピアと煙草を数本渡した。運ちゃんがそれと自分の
 5,000ルピアを営業許可証にたたみ込んでポリ公に渡すと、すぐに解放された。


 露天のオッサンによると、遠くマランから来た儲かっているタクシーという
 ことで、槍玉にあげられたらしい。



 空港に着いた時点でメーターは260,000ルピアくらいだった。駐車場が20,000ルピア
 なんで、300,000ルピアは払ってもいいと思い、100,000ルピア札を3枚渡したところ、
 律儀にも運ちゃんはタクシー仲間に両替を頼みに行ってしまった。次々と両替を
 断られている運ちゃんに「もういい」と礼を言い、我々は空港に入った。

 (終わり)

筆者:稲川さん 文責:おが

-----

以上で稲川さんの日記は終わっております。

電車の中の雰囲気や、お祭りのあとのちょっと寂しい感じがすごく
個人的に気に入ったのと、ラストの運ちゃんと警官とのやりとりも、
オフィシャルツアーでは決して見られない、インドネシア人の
生活が垣間見えます。


ACLを観に行くってのは、サッカーだけじゃなくってその国も
見ることになるですね。



というわけで、どうも稲川さん、ありがとうございました。


...

川崎サポ・マラン遠征記(チャーター編2) - 2007年03月15日(木)

▽マランへ行く(3)


 8時前に、k氏がマランに行くというので、必死に支度をしてついていく。

 駅に着いたら8時4分、窓口でマランマランと大騒ぎをすると、エコノミ?とか
 聞かれるので、エコノミエコノミと大騒ぎすると、きっぷ(硬券)を買えた。

 2枚で9,000ルピアで、1枚だと60円くらいか。

 この値段なら途中で降りても悔いはないし、何度も言うが、ほかに地名を知らない
 からきっぷを買えない。


 列車はすでに入線していて、駅にいた職員やら通勤客やら暇そうな市民15人
 くらいにせかされて指差された列車に飛び乗ると、すぐに発車した。

 乗り込んだ最後尾車両は混んでいたが、先頭車両まで行くとガラガラであった。
 オール3等(という言い方が正しいのか?)の真ん中くらいにはビュッフェ車が
 連結されていて、数人がかりで飲み物を作っている。


 僕は、海外でも割と平気で買い食いをするが、この飲み物を飲むと腹を壊すと
 いうことは容易に想像できた。


 ホコリまみれ、シートは破れかぶれの車両で、ようやく窓の割れていない座席に
 腰を下ろす。片側に2列と3列のボックス席である。

 早速、車内販売が来て、商品をボックスごとにポンポンと置いていき、買う気が
 ないと3分後くらいに回収していく。新聞、雑貨、惣菜、果物など、入れ替わり
 立ち代わり売りに来る。車内販売でハサミを買う奴がいるとは思えないが。
 ときどき、商品を持たない物乞いも来る。


 さて、少しずつ、乗客が増えてきて、僕の隣にヒゲのオヤジが座った。

 ヒゲオヤジは新聞売りが来ると投げ込まれた新聞をパラパラめくり、買うのかと
 思ったら座席に戻して回収させていた。新聞売りは何人もいるらしく、オヤジが
 そのうちの一つを購入したので、僕も真似して買ってみた。

 1,000ルピア。

 オヤジが指を1本立てて値段を教えてくれた。値段の下三桁は省略することが多い。


 


 列車は各駅停車と思われたが、時々飛ばす駅もある。前日に通ったマランへの
 風景を何度も見たので、とりあえず方向は間違っていない。このあたりは複線で、
 列車は60キロくらいのスピードで快調に走る。

 順調にマランまで行けそうだ。
 いざとなったら、帰りはタクシーにでも乗ってしまえ。


 だんだん空いてくると思っていた列車は、逆に駅に着くたびに混んできた。
 僕の3人がけは隣のヒゲオヤジが肘や足で踏ん張っているので2人だけだが、
 k氏は律儀に3人で座るようになったので窮屈そうである。

 途中、毒の沼を通った。

  「泥ですね」

  「ええ」

  「一面泥ですね」

  「ええ」


 線路ギリギリに泥が迫っていて、沼の中にぽつぽつと建物が取り残されていた。
 沼のはるか彼方には、真っ白な煙が立ち上っていた。いまだ噴出し続けるガスと
 泥に乗客も興味津津で、徐行中、みんな沼を凝視していた。

 一部で岩石を積み上げて泥を食い止める工事をしていたが、いつまで持つのか
 わからない。毒の沼地なんてドラクエっぽいが、郊外に突然出現とは迷惑な
 泥である。



 線路はいつの間にか単線になっていて、行き違いで停車中は暑い。そのうち、
 ヒゲオヤジが陥落して僕の座席も3人がけに。ふんぞり返っていたオヤジだけに、
 さすがに狭い。物売りがやかましい。例のビュッフェの飲み物まで売りに来た。


 おまけに楽隊までやってきてブンチャブンチャカ歌いだす。


 あの大きな楽器をどうやって持ち込んだのか。近くに座っていたサングラスを
 かけた兄ちゃんが、連れの女にいい顔でもしたいのか気前よくチップを渡すので、
 楽隊はさらに景気づいて声を上げる。暑いし寝不足だし、ボーっとしてきた。

 よく「電車内で平気で寝るのは日本人だけ」といった日本人評を耳にするが、
 インドネシア人も寝る。検札を済ませて安心したこともあり、僕も時々舟を
 こいでいたようだ。



 ふと、のんびりとした短急汽笛が聞こえて列車が停止した。

 森の中で人家や道路は見当たらない。

 5分ほど経過しても動かないので、車内も雰囲気も慌しくなってきた。


 暑いし楽隊もうるさいし、僕は座席を放棄してデッキに進んだ。k氏の調べに
 よると、マランまであと1時間くらいらしいので、それくらいなら座席に
 しがみつかなくてもいい。

 自転車が積まれて狭いデッキから前方を見ると、線路に倒木があって男たちが
 除去作業中である。デッキが狭いので、機関車に乗り移る。

 機関車の足場には、上半身裸のガキンチョがちょこんと座っていた。そう
 いえば今しがた、列車を眺めながら先頭に向かって歩いていた子ではないか。
 暇つぶしにタダ乗りのようだ。


 煙草を吸っていると、作業を済ませた男たちが戻ってきて発車した。
 走り出すと機関車めちゃくちゃ揺れる。デッキは自転車山積みで、乗り移るのは
 危険。

 まぁ、機関車にへばりついて旅するというのもなかなかできることではないので、
 このままマランまで行くことにした。


 「まぁ」などと書いたが、一瞬でも油断すると死ぬ。


 車体にしがみついている手のひらは、ディーゼルのすすで真っ黒になった。
 途中の駅から身軽な青年が機関車に乗り込んできたので、駅に止まるたびに
 「マラン?」ときっぷを見せるやり取りを繰り返した。

 きっぷにマランとは記載されていない。ひょっとしたら、上野とか梅田の
 ように、都市の名前と駅の名前が違うかもしれないので、くどくど聞いた。

 煙草を吸うらしい彼に、シンガポールで買った煙草をおすそ分けして、
 しまいに一箱あげてしまった。彼は、後から乗って来た友達と分けあって
 吸っていた。


 風景に人家が増えた。沿線の洗濯物にアレマ色を見かけるようになる。


 やがて、彼の様子が変なので困った顔をしていると、副本線を持つ大きな駅
 に到着するところであった。MALANGと書かれた看板が「進行方向に」建って
 いた。k氏も独自に乗客とコミュニケーションしていて、二人で安心して下車した。

 何のことはない、マランの中心駅はMALANGなのであった。随分アホな外国人と
 思われたに違いない。旅の恥はかき捨てである。きっぷは、同じ運賃区間の
 最も手前と遠方の駅を併記しているようだ。

 このきっぷは回収されなかった。用意周到なk氏によると、20分だか30分
 だか遅れたとのことだが、毒の沼での徐行と倒木による緊急停車を考えると、
 ほぼ定時といっていいと思う。3時間もかからなかった。


次回へ続く

筆者・写真:稲川さん 文責:おが


...

川崎サポ・マラン遠征記(チャーター編1) - 2007年03月14日(水)

帰国後、色々な方のマラン遠征記を読みましたが、その中で僕が一番
面白かった日記をご紹介します。


それは稲川さんという方の日記で、ほとんどの遠征組は旅行会社主催のツアー
参加なのですが、稲川さんはmixiで集まった同志でツアーを組んで遠征した
方です(確か5人で組まれたはず)


玄関を出て、玄関に戻るまでがACLと言いますが(言わないけど)、稲川さん
の文章は、ACLってのは、文字通りの”アジア”チャンピオンズリーグだなぁ、
と感じられます。

金子光晴が書いた『マレー蘭印紀行』の現代サッカー版といえば近いでしょうか。



というわけで、稲川さんに許可を取り、ここに転載いたします。

改行や文字の修正ならびに小タイトルをレイアウト上加えました。
また、インドネシア事情で分かりづらい点は、僕の方で注釈を加えましたこと
をご了承下さい。


全3回予定となります。

あ、ちなみに稲川さんの次は、僕(オフィシャルツアー編)か、アレマニア
に騙されてバックスタンドで観ることになった川崎サポ(個人旅行編)の
ご報告です。



----


▽マランへ行く(1)


 スラバヤ(※1)でも遠いのに、マランはさらに100kmくらい内陸で、
 おまけに行きがけの地表から、泥やらガスやら噴出(※2)しており、
 次々と集落や高速道路を飲み込んでいるそうだ。

 えらいところに行くことになったわ。

 そんな状況で一般道が大渋滞し、普段なら2時間で行けるところ、下手を
 すれば5時間くらいかかるらしい。


 とは言っても、K氏の手配したガイド&ドライバーは優秀で、チャーターした
 ワゴンは農村の狭い未舗装あぜ道を通って毒の沼を迂回。(迂回路では近隣
 住民が関所を設けて通行料を取っていた。)


 そして突然、工事中の高速道路に法面から侵入。完成している反対車線を爆走し、
 途中で優雅に食事を取ったにもかかわらず、我々はオフィシャルツアーや
 華族バスよりも早く、マランに着いてしまったのであった。


  「えれぇ所に来てまったわ・・・」


 市街に入ると、青ときどき赤のアレマニアのバイクが目につくようになり、
 スタジアムの前では完全に取り囲まれた。超アウェイ。死ぬかも知れん。
 盾を持った機動隊や、銃を持った兵隊さんがいっぱいいるし。

 インドネシア人なのに辛いもの苦手なガイド氏の判断で、アウェイ入口に
 近いところにこそこそと駐車。

 ところが、意を決して車を降りると雰囲気が違う。


 なんか、歓迎されてるっぽい。握手とか求められる。


 果たして、高い鉄柵と有刺鉄線に囲まれた狭いアウェイゾーンに立ち入ると、
 すでに満席に近い観衆が、一番乗りした我々を発見。たちまち、3万人を超えて
 いたという場内は総立ちとなり、万雷の拍手の渦で迎えられたのであった。


 人生、最初で(おそらく)最後のスタンディングオベーションである。
 どうしていいかわからず、とりあえず、いろんな方向に深々と頭を下げておいた。


 衆人環視の下、T氏の横断幕の手伝いなんかをしていると、檻越しに大勢の
 アレマニアが寄ってくる。「何かグッズを交換して!」ということらしいんで、
 持参のタオルマフラーと、青年の青赤のマフラーとを交換した。もらってから
 気づいたが、じっくり見ると色使いが瓦斯(※3)っぽい。

 ところで、この隔離ゾーンには便所がない。駒場の出島以下の待遇である。
 用を足すときには表に出ねばならず、身の安全のため、自動小銃を構えた
 兵士が両脇に護衛についてくれる。



 そんなこんなで、華族バスやオフィシャルバスが相次いで到着。
 どっちも白バイとパトカーが先導してた。我らがドライバーは、来る途中で
 白バイを後ろから煽って冷や冷やしたが。


 その後は、いろんなサイトに載っている通り。


 随分ひどい審判のような書かれようをしているが、それほどヘンなジャッジが
 多発したわけではないと思う。3-1で勝利。後半に神風が吹いて、相手の
 ゴールキックを見事に押し戻したりしていた。外国でアバンテ、ものすごく
 気分ええわ。

 アレマニアの印象も最高やね。応援は休み休みだが、いざ始まると声から
 腕の振りまで、派手で均整が取れている。お立ち台の教祖(※4)もカコイイ。


 帰りは渋滞しながらも普通の道で帰った。



 しかし、これだけで終わる我々ではない。翌日、汽車で再びマランに
 向かったのである。


   ※1:地図 マランはスラバヤのまっすぐ南(下)
   ※2:ガス田泥噴出事故 シドアルジョの泥噴出事故
   ※3:アレマ・マランのカラーは青・赤。青はマラン市のカラーらしい。
      でも何故かアレマニアはユニオンジャックをモチーフにしたTシャツとか多い。
   ※4:サポリーダーは、スタジアム内に櫓を立て、そこで応援する。(写真)



▽マランへ行く(2)

 

 暗い雨の中、スラバヤのsahidホテルに着く。高級中華料理店で祝杯を挙げた後、
 ホテルの周りをうろつくと、実はホテルは駅裏なのであった。

 ちょうど、踏切が馬鹿でかいブザー音を立てたので小走りで近づいてみると、
 4両ほどのディーゼルカーがガラガラと駅に進入するところであった。気動車も
 あるんやな。


 そういえば、今日の帰路、毒の沼の近くで見かけた列車も気動車に見えたが、
 見間違いではなかったらしい。


 薄暗い駅に入るも、英語表記は見事なまでにゼロ。グチャ(座席が前について
 いる三輪自転車)(※1)の客待ち爺さんの助けを借りて、掲示された時刻表から翌日の
 マラン行きが朝の8時4分にあることを理解するのに10分以上かかった。

 別にマランでなくてもいいのだが、それ以外に地名を知らない。ガイドをチャーター
 してくれたほうではないもう一人のK氏は、


  「一日たって落ち着いたマランの街の様子も見たい」


 と言う。

 同感であるが、彼の帰国はあさって、僕の帰国は明日なので、空港とはぜんぜん
 違う方角のマランへ行くのは時間的に無理であると思われた。



 構内はタダで入れるようなので、勝手に出たり入ったりしていると、小ぶりだが
 アメリカンな風貌の機関車に牽かれた客車列車が入線してきた。終点が近いらしく、
 お客の大半が降りてきた。

 線路からほぼ無人の客車に勝手に乗ったり降りたりしていると、これは乗らねばと
 いう気になってきた。せめて、一駅でも二駅でも乗ってやろう。


 ホテルに戻って9階の部屋から窓を開けて見下ろすと、眼下に駅が一望できた。
 窓を開けて寝る。



 で、翌朝4時頃、踏み切りの爆音ブザーで目覚める。銀色のタンク車がゴロゴロ
 走っていた。その後は、断続的に列車が出入りする音を夢うつつに聞きながら
 朝を迎えた。

 朝も6時を過ぎると、ディーゼルカーや客車列車が15分おきくらいに走ってきた。



  ※1:ベチャ(写真)

次回へ続く。


筆者および写真:稲川さん 文責:おが


...

真・「家族連れをターゲット」で地域に根 川崎の地道な努力 - 2007年03月13日(火)

http://www.asahi.com/sports/column/TKY200703130150.html


川崎の本拠地、等々力陸上競技場内の通路を歩くと、たくさんの
子供たちを目にする。

ピッチでの緊張感が漂う熱い戦いとは裏腹な、どこかのどかな雰囲気。

チームカラーである水色の綿あめを持った子が、足早に駆け抜けていく
姿がまるで縁日のようだ。

違うのは、屋台のおじさんの呼び込みの代わりに、いつまでそのハッピ
着てるんだ!
というオッサンの「シューチュー」という掛け声だ。




一方、競技場の外に目を向けると、そこには夏場、生臭い匂いがうっすら
漂う釣堀と、名前はフリーマーケットだが、実態はどう考えても泥棒市
しか見えない光景が広がっている。




昨年リーグ2位の好成績に加えて、中村憲や我那覇がオシム・ジャパン入り。

一気に「全国区」の選手が増えて、サポーターからもチームの活況ぶりが
伝わってくる。


しかし、中村憲剛は憲吾と書き間違え、我那覇はガナハと誤魔化すサポーター
が殆どだ。


05年にJ1に返り咲き、すぐ翌年には何故か優勝争いと、チームの戸惑い
サポーターに伝播しても不思議ではない。しかしクラブ側は、成績にかかわらず
家族連れをターゲットにした観客動員に力を注いできた、ということにしている。





Jリーグの観戦者調査(06年)によると、来場者で、同伴者が「家族」と
答えた人は、新潟の66.1%に次いで65.1%。

観戦の動機に、「レジャーとして」「友人・家族に誘われたから」との理由を
挙げた人の比率はJリーグ31チームの中でそれぞれ1位、2位の多さだった。


子供を連れる親の世代とみられる30代、40代を合わせた観戦者の比率も
トップと、家族連れの来場が多いことを伺わせる。

だが、明らかにJリーグチームの場合、”家族”が「ファミリー」なのに対し、
川崎側は

 「スタジアムでニンテンドーDSにハマるガキ」

 「スーパーの帰りにタダ券が当たったのでそのまま来てしまったヤンママ」

 「中村俊輔が見たいので観に行ったが、間違えてしまったサッカー音痴父さん」

という”家族”が垣間見える。




開幕戦のキックオフの前に競技場内に設置されたうどん屋をのぞいてみた。
そこでの熱気は、試合そのものをはるかに超えたものだ。

当日は長蛇の列だったが、私が少しでも列に加わろうとすると、並んでいる
誰もが自分の順番をほぼ「マンツーマンでマーク」し「守りも堅い」


これで2回目の利用だという34歳の男性は

 「これぐらいしかマトモに喰えるもんないんだから、しょうがないだろ」。

その会話をしている最中に、ダッシュで走るガキが私にぶつかる。謝りも
せずに逃げる早業は見事だった。




川崎は他にも、明らかにもらった側が困惑する「あんたが大賞」、アウェイと
してやってきたサポーターに嘲笑される「ケンタッキーおじさん」、歩いて
武蔵小杉駅に帰ろうとすると、何故かたどり着いてしまう「新丸子駅」など、
様々な罠を用意し、サポーターを混乱させてきた。




家族連れをターゲットにした戦略は、「00年シーズン後、J2に落ちて集客に
悩んだときに考えた」とスタッフは言う。


「首都圏は娯楽が多い。しかし恋人同士で行く場所は多いが、家族単位で行ける
 場所は限られている。

 明らかに等々力は恋人には不向きだから、もうヤケクソで家族、しかも横浜
 には絶対居ない感じな貧乏臭い家庭をターゲットにした。だって川崎だし。」




 かつてこの地域を本拠としたプロ野球やサッカーチームが根付かなかったが、
地道な努力で川崎にしっかりと根を張ったように見える。


 「うちはビッグクラブになりえない。

  てか、スタジアムにガンプラを置いたレアルとかマンU
  あるわけねえだろ!」


05年には、オレンジ色のユニホームを着たチームに勝てないと「果糖(かとう)! 
オレンジ」、昨年は強豪との連戦を「修羅場3(スリー)」と銘打つなど集客方法
は、失笑と言う名のユニークさで、親しまれている。





今年は一体何をしてくれるのか。
リーグや棚ボタACLでの成績とは別に、楽しみにしている。

ラブ☆川崎!

(おが)






...

それは親日じゃなくてアレマ・マランだからだ - 2007年03月12日(月)


ACL遠征から帰国後色々報道を見たのでありますが、どうも川崎に
対してアレマ側が歓迎してくれたのは、インドネシアが親日派だからで
ある!という云々が書いてあったりします。


…が、じゃあ、横浜Fマリノスはクディリとかマカッサルで
酷い目にあった(らしい)のはどーするんだ!と思ったりするので、
一応簡単に書きます。




反日とか親日とかでひとくくりにする前に「サッカーで話せボケ」と
常々思うのですが、とりあえず、アレマ・マランに関して言うと、
彼らは日本だから(川崎だから)云々じゃなくて、


 ・初めての国際大会
 ・基本的に暴力が少ないサポーター
 

というのがあるわけであります。


特に後記に書いた点に関しては、ASSI(インドネシアサポーター
連盟)に参加しているサポーター集団は基本的にそうです。



2005年のカップ戦決勝は、アレマ−プルシジャというビッグ
カードだったわけですが、確か衝突はなかったはずです。

このまえ裏VCD(笑)で遠征の様子を見ましたが、アレマニアと
ジャックマニア(プルシジャのサポーター)がバスですれ違っている
とき、お互い拍手で迎えており、アレマニアにとっては、敵対する
チームでなければ、川崎の時と同じ感じだったと思います。

(まあ、それでも今回の方が歓迎色は強かったと思いますが)




あと、パトがサポを先導するのは、結構インドネシアでは普通です。
アレマニアが遠征する場合もポリが先導してくれます。

(多分、サポが渋滞を起こすからであって、歓迎や親交の意味では
 ない)



まあ、これは向こうでサッカーの地位が日本よりも相当高いことを
示しているとは思いますが、これだから親日だ!というのは違うと
思います。




横浜Fマリノスの当たったチームと言うのは、それはそれは
ピンポイントで、サポが評判悪いとこと当たってんなという感想が
あります。これでプルセバヤ(サポーターはボネック)が当たったら、
サポは悲惨でした(笑)

まあ、彼らは反日なのかと言ったらそうではなく、気が荒いだけ
であります。




そういう意味では、横浜FMは運が悪く、川崎は運が良かったと
言わざるを得ません。


まあ、アレマニアにも悪い奴はいるし、ボネックにもいい奴がいると
思うのですが、浦和の人は「親日って言ってたのにこれかよ!」と
怒らんようにしてくださいね。




あ、最後に5年前、プルシジャサポに言われた一言を。


 「僕ら(サポーター)はどのチームでもどの国の人でも歓迎する。

  でも、僕らを馬鹿にしたり傷つけようとする奴らとは、
  何があろうと戦って、スタジアムから追い出す。

  それがたとえ、日本人だろうと君だろうと」  


...



 

 

 

 

もくじ
前の日記  次の日記




メール ホームへ