東南アジアサッカー調査メモ...ogaoga2k

 

 

様と言えば、ドゥックでしょ - ベトナム - 2004年11月30日(火)

実は、マレーシアの新聞"The Star"が、ここんところ毎日
タイガーカップ参加各国プロフィールを載せております。

これまで、ミャンマー、ラオ、インドネシア、東ティモール
というかなりグッとくるメンツを紹介しております。

大体、チーム記事と中心選手、もしくは監督を
フィーチャーした記事のセットで書かれているのですが、
今回はその中でベトナムの選手の記事を載せていたので、
翻訳いたします。


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■試合を握る熟練選手-フィン・ドゥック

 The STAR(MALAYSIA), Tuesday November 30, 2004


ベテラン選手、レ・フィン・ドゥックは、東南アジアにおける
現役プレイヤーとして、数少ないビッグネームのうちの一人である。

31歳になる彼は、ベトナムでは名だたる存在だ。ベトナム代表
エドソン・タヴァレス監督(ブラジル)は、来るタイガーカップに
向け、攻撃の主力として彼に信用を置いている。

たとえ、ベトナムでセンセーションを巻き起こした新星、ファム・
ヴァン・クエンがいたとしてもだ。



タヴァレス監督曰く、フィン・ドゥックの選手としての能力は、
若手選手を引っ張っていくことができる点も大きいという。

フィン・ドゥックは、ベトナムサッカーの歴史において、
ベストプレイヤーとして数えられる選手のうちの1人だ。


フィン・ドゥックは96年以降、タイガーカップに毎回
出場している。2002年大会では7ゴールを挙げた。

今回のタイガーカップでも、ヴェトナムリーグでの
パフォーマンスと同様、代表でも価値ある存在の選手で
あることを見せるだろう。


彼はホーチミン警察のリーグ2位という成績に貢献したが、
彼はプロ選手としてのキャリアがスタートしたのは17歳の時で、
そのチームもホーチミン警察だった。



レ・フィン・ドゥックは93年に代表デビューした。昨年地元で
行われたSEA GAMES-2003でベトナム代表は準優勝を
得たが、そのチームでは3人のオーバーエイジ選手のうちの一人
だった。

(※SEA GAMESは、U23代表+オーバーエイジ3名まで
  のレギュレーション)

タイガーカップの成績を観ると、98年は準優勝、2001年は
3位だった。(※おそらく2002年の誤り)


2002年、レ・フィン・ドゥックはベスト・ベトナム人選手に
選ばれ、そしてゴールデン・ボール・アワードを獲得。この賞は、
地元のスポーツ・メディアや専門家によって投票で選ばれるが、
91票中81票を獲得しての受賞となった。

彼はまた、97年にもベストサッカー選手賞を受賞している。


しかし2003年は、レ・フィン・ドゥックにとって暗黒の年となった。
彼は2003年6月に東アジア銀行を解雇された。またこの年は、
3人のチームメイトと共に八百長の疑惑がかかった年でもある。

彼は今年ホーチミン警察に復帰した。残り少ない選手生命では
あるが、彼は未だに代表チームでのプレイの手本としての影響力を
持っている。

http://www.thestar.com.my/news/story.asp?file=/2004/11/30/sports/9528684&sec=sports

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彼が、元祖"様"のレ・フィン・ドゥック様である!



きゃぁああ~素敵!素敵だ!
フィン様!ドゥック様!(狂乱中)

(ベトナムでは、そんなギャルサポ風な人気ではないらしいので
 注意してください)


唇が妙に濡れている、韓国のぺとかいう俳優よりも
100倍カッコイイぞ!(俺的に)



この記事自体はちょっと怪しい匂いがしております。

とりあえずホーチミン公安は、今は東アジア銀行(East Asia Bank,
Ngan hang Dong A)でございます。


んで、フィン・ドゥック様は、確かダナンでプレイしてたと思うの
ですが、来期からプレイするのかナァ?
確か東アジア銀行は降格したと思いますが…

八百長疑惑は聞いた事がなかったけど…あったのかな。

(ホアンさん @ HCMヘルプ!)

どっちにしても、この記事は”マレーシアから見たベトナム代表選手”
という位置づけの方がいいかもしれません。



あと、僕個人が感じているのは、確かにここんとこはドゥック様よりも、
ファム・ヴァン・クエンとかレ・コン・ビンとかの方が、ベトナムの
記事の扱いは大きいかなーと思います。


ま、同じベテランにしても、中国のハオ・ハイドンみたいに

 「ゴールは決めるわ、ベテランだわ、影響力あるわ、それが人生だわ」

みたいな印象とはちょっと違う感じがありますんで、べつに
ドゥック様はドゥック様だしなー、という気もしますが。



でもセパボラ世界の旅~ベトナム編に書こうと思っていたのは…

僕がベトナム代表の試合を見たとき、ドゥック様はベンチスタート。
でも、彼がアップを始めると、メイン席が「ぬぉぉ~」という
野郎声でうなりを挙げておりました(笑)


やっぱり、何だかんだいって、ピッチの内外では影響力は多大にある
と思います。



ちゅーわけで、僕の中ではほぼタイガーカップ準決勝進出は間違いないと
おもっているベトナム代表のベテラン選手、レ・フィン・ドゥック様の
お話でした。


...

ポルトガルの巨人、虎退治に助太刀 - 東ティモール - 2004年11月25日(木)

さて東南アジアのサッカー界は、W杯最終予選なんか知ったことではなく、
どこを見ても「タイガーカップじゃい!」と騒ぎはじめております。


そんな中、サッカー以外のことでも注目を浴びそうな東ティモールの記事が
出ておりました。

紹介したのは、タイガーカップで同組となったマレーシアの新聞です。


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■タイガーカップに向けてひたむきに‐大会デビューとなる東ティモール

by "The Star" (Malaysia), Thursday November 25, 2004



東南アジアサッカー連盟(AFF)が行うタイガーカップに初出場と
なる東ティモール。

東ティモールはマレーシアのKLで行われるタイガーカップの
グループBに入ったが、一般的には、チームは草刈場となるのでは
ないかという認識が強い。グループでは、ホストのマレーシア、
フィリピン、ミャンマー、そして前大会優勝のタイと同組だ。



以前ポルトガルの植民地だった東ティモールは、AFFの
招待に応え、参加することになった。

東ティモールの国際大会の参加は2度目で、昨年5月にスリランカで
行われたアジアカップ・予備予選に次ぐものだ。

予備予選ではスリランカに2-3、台湾には0-3で敗れたが、
もしこの結果を基準として考えたならば、彼らはそうそう簡単な
相手ではない。



東ティモールは、元ベンフィカのFW、ホセ・ルイスを監督に
迎え、タイガーカップへの準備をしている。


彼は70年代のポルトガルサッカーを支配したベンフィカのメンバーで、
彼自身はその後母国で多くの監督としてのキャリアを積んだ。

ベンフィカのユースチームで成功を残し、そしてポルトガルの2部
チームを率いたこともある。

ホセ・ルイスは、このアジアで最も新しい独立国の、未来への挑戦
としてよい成績を残したいと考えている。



「常にハードだね。選手達は大会へ挑戦するには限られた時間しか
 残っていない。

 でも、東ティモールチームの、そして東ティモール国民の存在を
 印象付けることができるような、そんなチームには出来ると
 思うよ。」



東ティモールは75年から99年までの独立紛争による影響もあって、
サッカーに関しては明らかに発展途上だ。

紛争が怒る75年以前、東ティモールはポルトガルのビッグクラブ、
ポルト、ベンフィカ、そしてスポルティング・リスボンなどの養成所
があった場所だ。



しかし今日東ティモールには、そういった建物、学校、サッカーの
残骸が残っているだけである。

そういった建物には、弾丸の痕が残っており、過去の紛争を思い出さ
せることになっている。各養成所は過去のものであるが、全てが失われ
たと言うわけではない。


東ティモール・ナショナルリーグが先月始まった。これは
代表入り争いに加わることが出来るということで、選手達へ
希望をもたらした。

東ティモールサッカー連盟(TLFF)事務局長のアマンディオ・
サルメント氏は、22チームがこの大会に参加したという。


「22チームが参加したことについては、この地域のサッカーには
 大きな未来が待っていると感じる。リーグでは、多くのタレントを
 見つけることができたのだから」

「代表チームに大きな問題がある。それは、国際経験の不足だ。
 だが、他のの地域に追いつきたいと考えている」


結局、総勢40名の選手がタイガーカップへの強化トレーニングに
参加した。

東ティモールのシャナナ・グスマン大統領は、チームを援助しているが、
もし準決勝に進出した場合、それは素晴らしいことだと語る。

「東ティモール代表はまだできたばかり。準決勝進出までには
 時間がかかると思う」


東ティモールは12月8日、ケラスのKLサッカースタジアムで、
グループBの初戦、マレーシアと戦う。

http://www.thestar.com.my/news/story.asp?file=/2004/11/25/sports/9485970&sec=sports

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ベンフィカとかポルトとか、名前だけは知っているぞ!

東ティモールには、そんなポルトガルチームの保養所だか
養成施設があったのか。。。

マカオにもあったのだろうか。謎だ。


んで、結構フィリピンと一騎打ち~みたいなイメージが
無きにしもあらずですが、じつはこう見えて、海外組が
5人ほどおります(ま、以前はフィリピンにも居たんだけど)



<インドネシア組>

- Mirobaldo Bento:

 元インドネシア代表。98年、2000年のタイガーカップで活躍。
 香港のハッピーバレーでのプレイ経験もあり、現在はインドネシアの
 PS Jeparaに在籍


- Joao Bosco Cabral

 インドネシアリーグでベストDFに選ばれた経歴アリ


<ポルトガル組>

- Alfredo Mozinho Esteves

 ポルトガルリーグ2部のFC OliveiraでプレイしているDF


<豪州組>

- Francisco Lan

 MFでDarwin SC所属

- Giovani Manuel Babo

 FWでEndevohell所属

http://www.thestar.com.my/news/story.asp?file=/2004/11/25/sports/9488761&sec=sports


まさに、東ティモール情勢を取り巻く国々にいるわけですな。

あんまり歴史や社会とかと絡めたくないけど、東ティモール
らしい海外組だとは思います。



まあ、インドネシアとポルトガルと言う、東西サカヲタの血が
入り混じるチームがどういう戦いをするか、見ものですね。





...

キャプテン、BBSに書き込む - フィリピン - 2004年11月19日(金)

さてさて、シンガポール戦も終わり、そのことについて書こうと
思ったのですが、ちょっと今回はその期待(あるのか?)に
背いて、フィリピン・サッカーのお話を。


フィリピン唯一のプロ選手だった、アルフレッド(フレディー)
ゴンザレス君の消息がわからなかったのですが、なんと、フィリピン
・サッカーの掲示板に出現しました。


彼はタイガーカップ2002でフィリピン代表のキャプテンをつとめ、
その後ベトナムリーグへ移籍

契約が切れたあとは、インドネシアで若干プレイしていました。


その後は僕もわからなかったのですが・・・


それでは、philfootball.comの掲示板より。
長いので今回は2回に分けます。


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■フレディー・ゴンザレスは今?
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POSTED BY waxxxi Aug 24, 2004 at 6:13 am


 おい、誰かゴンザレスがどこでプレイしているか知ってるか?

 ベトナムでプレイしているって事は聞いたんだけど、ベトナム
 リーグのウェブが見つからないんだよね。

 ゴンザレスがゴールしたのかな?
 それともほとんどベンチ要員なのかな?
 
 
 ゴンザレスは、今唯一のフィリピンサッカーの星なんだ。
 
 情報求む。



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POSTED BY CFA-Manager Aug 25, 2004 at 10:32 am


 なあ、このウェブで、ゴンザレスとのチャットタイムを
 作るってのはどうかな?
 
 彼に質問出来たり、話せたりするようなさ。

 僕が居る欧州じゃ、そういうスター選手たちとのチャットは
 あるんだ。

 ここでも出来るんじゃないかな?



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POSTED BY Newbie Aug 28, 2004 at 1:32 am
 
 
 なんでフィリピン最高の選手がベトナムなんだろう?

 少なくとも彼はシンガポールかJリーグでやって
 くれないかなぁ。



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POSTED BY GOAL Aug 28, 2004 at 5:51 am


 そうそう!彼がJリーグでプレイする姿を見たいよ!



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POSTED BY ryanith Sep 7, 2004 at 12:29 pm


 彼はまだベトナムに居て、マレーシアのチームからオファーが
 あったと思う。確実じゃないけど。


 とにかく、彼はベトナムに居て、当時ベトナム代表キャプテンの
 いるチームに所属してた。そしてゴールも決めているはずだよ。
 重要な試合で、2得点を取ったはず。

 過去ログに、彼に関するスレッドがあって、ベトナム在住の
 フィリピン人が色々書き込んでくれてたよ。



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POSTED BY Sherwood Sep 14, 2004 at 8:49 pm


 ベトナムかよっ!
 なんでまたベトナムなんだ?

 エージェント・オレンジに(※訳注:枯葉剤のこと)地雷に、
 P-Jays(※すんません、わかりません)。

 それに、ベトナムって、コミーな国(COMMY country!)だろ!



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POSTED BY CFA-Manager Sep 15, 2004 at 9:16 am


 おい、Sherwood、ベトナムがコミーってどういうことだよ!
 コミック・カントリーって言いたいのか?

 ベトナム 1 - 2 韓国

 この事実を見てみろよ。

 言っとくが、韓国はW杯ベスト4のチームだぞ!
 もしフィリピンがそんなことできたら、凄い進歩だろ?

 すくなくとも、ベトナムの方がフィリピンよりもしっかり
 した組織をもっているし、そういう点で俺はベトナムを
 尊敬しているぞ!



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POSTED BY ChelseaFC! Sep 16, 2004 at 3:19 pm


 あの・・・・・・

 コミーってのは、"コミュニスト(共産主義国)"と
 言う意味で使っているのでは・・・・・・



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POSTED BY ryanith Posted on Sep 18, 2004 at 11:09 am


 ベトナムの政策はサッカーと関係ない。

 そういう政策なんかを乗り越えることができるのが、
 サッカー素晴らしいところじゃないか。
 
 この場に政治的なことを書き込むのはやめようよ。



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POSTED BY Freddy Gonzalez Oct 6, 2004 at 2:45 am


 みなさんどうも!フレディー・ゴンザレスです。

 ここに居るみなさんに、僕の近況をお知らせしようと思います。

 僕はベトナムのクラブとの契約が切れた時、ベトナムを
 離れました。というのは、他のリーグでの経験を積みたかった
 からです。

 僕はインドネシアに昨年12月に向かい、そこで1ヶ月を
 すごしました。

 そこでは素晴らしい時を過ごし、サッカーってやっぱり
 いいもんだなぁ、と思いましたが、少しばかり休むことに
 決めました。 
 
 海外のメディアからジロジロ見られるのにも疲れたし、
 そして、プロ選手になる際にぶつかるマイナスの面にもね。

 だから、僕は家族とビジネスを始めるため、マニラに帰国
 しました。

 サッカー選手は素晴らしい職種ですが、ほんとうに大変な
 仕事ですし、それに僕の人生の多くを失っているのを自分
 自身感じましたし。



 マニラに戻ってからは、とにかく僕が出来ることでPFF
 (フィリピンサッカー協会)にお手伝いできることを
 やろうとしています。

 僕自身は、僕のエージェントの強い要望もあって、
 いろいろ地元の大会に参加しています。

 マカオで行われたAFCのフットサル選手権予選にも参加
 したし、それにアディダスと3年契約を結びました。
 
 
 みんなが聞きたい質問に答えるとすれば、僕はまた海外で
 サッカーをするつもりです。10月末にベトナムに行って、
 2,3のクラブが僕に興味を持ってくれました。

 そして、今年12月に行われるタイガーカップに、4度目の
 出場をしたい、と考えています。


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以下、次回へ続く
 
http://www.philfootball.info/forum/index.php?a=topic&t=180&min=0&num=15

実は、前もこの掲示板を訳したことがあるのですが、
微妙に質が悪くなっている気が・・・その分、興味を持つ人が
増えたことになるのかな?



ちょっと見ると、フィリピン人サッカーファンにとって、リーグが
素晴らしいのはシンガポールか日本なのか・・・。

ベトナムはあまりいい評判がない感じですが、結構強いんだぞ。

それに、アフリカの選手も自国リーグよりイイ!って言って、
ベトナムリーグを希望する選手も居たんだぞ、ベトナム・リーグって。


あ、あと韓国にベトナムが善戦したのは、多少アセアンの人に
勇気を与えたのかもしれんな。。

ということはシンガポールの日本での0-1の敗退も・・・なのか?

このへんは、シンガポールの掲示板を探らねば・・・
とは言え、シンガポーリアンはいつも悲観的だからなー。

絶対「日本代表は真剣じゃなかった」とか言ってると思うけど。




でも、ゴンザレス君!

まだサッカーを続けていて良かったぜ!
アディダスと契約したとはたいしたもんだ。

ちなみに、AFCフットサル選手権マカオ2004では、
ちゃんと2ゴール決めてました。日本ともやってたんだな。
チェックしてなかった・・・不覚。



それにしても、


>ベトナムがコミーってどういうことだよ!
>コミック・カントリーって言いたいのか?

勘違いして怒りまくる人には、相当笑わせてもらった(笑)

けど、

> この場に政治的なことを書き込むのはやめようよ。

という人がいる点で、少なくともサッカーのことにも関わらず、
サッカー以外のことばっかり書き込む奴が多い日本の状況より
10000倍マシだ。


投稿する人が自分の住所を書いていたり、選手が普通に書き
込んだりするところは、フィリピンのサッカー・ネット界は
まだまだシアワセなところだナァ・・・と感動しておりました。



と言うわけで、次回はいかにゴンザレス君が夢を与えているかが
感じられる後編につながります(時期未定)


...

10 minutes:デジャブの群馬FCホリコシ - 2004年11月15日(月)


 今日は、牛殺しの日!フィールズ・ライク・マス大山

 チケットよし!会員証よし!

 うーん、そろそろ寒くなってきたよね…。

 今日は久々のマフラー登場!

 持っていくブランケットはコレで、ちょっと英国風に…

 水筒の中身は、ブランケットにあわせて、
 濃い目のアール・グレーで(はあと)


などと、気分は間違った原田知世という感じで、家を出る
1時間前まで妄想していたら、突然急用が出来、わが
川崎フロンターレの天皇杯でのジャイアントキリングが
観られなかった。。。うーむ。。。





実は、もうタイガーカップを観られる可能性がほとんど
なくなってしまったので、川崎に勝ってもらわないと
困ったのだが…

…なんと、次の対戦は鹿島アントラーズである!


Kashima Antlersはもはや説明するまでもなく、アジアで
最も素晴らしい運営を行うJリーグのチームである。

そして、そのJリーグチームの中で、最も成功したチーム
の一つ、それが鹿島なのだ。

マレーシアサッカー協会にもレポートされるクラブ
鹿島。アジアのアニキが言うのだから間違いない。



そんなチームと、わが川崎フロンターレがッ……!!



「鹿狩りの季節だぜ」



ああ、何たる幸せであろうか!

ビッグクラブに対する"煽り"って奴を出来るシアワセって奴は!

そう、レイトン・オリエントサポが、アーセナルを
おちょくる様にだ(どっちもよく知らんが


というわけで、鹿島戦は、米国映画の鹿狩りのシーンで、出演者が
よく被っているニットの帽子をカブって行くぞ!




結局、家で天皇杯を見るはめになってしまったのであるが、
俺的に、ものすごく気になったのがその前日に行われた試合の
群馬FCホリコシである。


まさか日本のインターナショナル・ストライカー、玉田を擁する
柏レイソルに勝つとは思わなかったが、群馬ホリコシのプレイを
見ていると、どーもどっかで観た事があるなぁ・・・という妙な
デジャブ感と、なぜか群馬ホリコシに肩入れする俺がいた
のである。



うーむ。。。。何故だ・・・


DFにデカいアフリカ人1人と激しい当り…



あ!


これは、昔のBECテロサーサナ+インドネシアかSリーグの
下位チームを混ぜた感じじゃないのか!



客の少なさも、モロにアジアクラブ選手権(ACC)な感じである!



誤解しないで欲しいのは、群馬ホリコシが東南アジアレベル、
言っているわけではない。



柏のやりにくさっぷりが、すごくACCでの試合前半の鹿島や清水
っぽいのである(しかし、この両チームはたいてい、すぐに対応して
後半でボコボコにしてたのですが、柏はそれが出来なかったのが
敗因かと)



ザスパ草津は、おー、こりゃ”Jの”チームだなー、ちゅー感じで
観ていて安心感があったのですが、群馬ホリコシは何をするか
分からない怖さがあった。

そう、そのへんも、プルシック・クディリのアフリカ人2トップが
出てきた感じとかにも似ている。



思うに、磐田&浦和OR横浜Fマリノスは、絶対にACL前に
マジの群馬FCホリコシと練習試合をした方がいいと思うぞ!
絶対あの相手のリズムの崩しっぷりは、いい練習相手だと思う。


そして、わが川崎フロンターレがアジアを制する為の
ステップとして、天皇杯・決勝まできてくれ、群馬FCホリコシ!


こっちはいけるかどうかワカランけど。



...

ドイツW杯一次予選・対日本戦シンガポール代表データ2004 - 2004年11月13日(土)

JFAが、11月13日に日本と戦うシンガポール代表メンバーに
ついて発表があったので、色々まとめてみました


■シンガポール代表(選抜含む)2003年3月以降の成績
 
---------------------------------------------------------------------------------
日時 :種:勝敗:スコア:対戦相手 :試合カテゴリー : 開催地
---------------------------------------------------------------------------------
2003/03/04 A ○ 4 - 1 モルジブ代表 : 親善試合 : シンガポール
2003/03/22 A ○ 2 - 0 マカオ代表 : アジアC予備予選 : シンガポール
2003/03/25 A ○ 3 - 0 パキスタン代表 : アジアC予備予選 : シンガポール
2003/07/15 C ● 0 - 1 Sリーグ選抜 : 親善試合 : シンガポール
2003/07/28 C ○ 4 - 0 シンガポールU23 : 親善試合 : シンガポール
2003/08/04 A ○ 4 - 1 香港代表 : 親善試合 : シンガポール
2003/08/19 B ● 0 - 1 日本五輪代表 : 親善試合 : シンガポール
2003/08/28 C ● 2 - 3 Perth Glory(豪州): 親善試合 : 豪州
2003/08/30 C ● 0 - 1 Perth Glory(豪州): 親善試合 : 豪州
2003/09/04 A ● 1 - 3 クウェート代表   : アジアC一次予選 : シンガポール
2003/09/16 A ● 1 - 3 オマーン代表 : 親善試合 : シンガポール
2003/09/27 A ● 0 - 4 クウェート代表   : アジアC一次予選 : クウェート
2003/10/19 A ○ 2 - 0 パレスチナ代表 : アジアC一次予選 : シンガポール
2003/10/22 A △ 0 - 0 パレスチナ代表 : アジアC一次予選 : シンガポール
2003/11/13 C ○ 2 - 0 Bani Yas(UAE) : 親善試合 : UAE
2003/11/29 A ● 0 - 2 カタール代表 : アジアC一次予選 : カタール
2003/11/29 A ● 0 - 2 カタール代表 : アジアC一次予選 : シンガポール

2004/01/28 A ● 2 - 5 ノルウェー代表 : 親善試合 : シンガポール
2004/01/31 B ● 2 - 3 イラン五輪代表 : 親善試合 : シンガポール
2004/02/18 A ● 0 - 1 インド代表 : W杯一次予選 : インド
2004/03/31 A ● 1 - 2 日本代表 : W杯一次予選 : シンガポール
2004/06/06 C ● 0 - 1 マスカット・クラブ : 親善試合 : オマーン
2004/06/09 A ● 0 - 7 オマーン代表 : W杯一次予選 : オマーン
2004/07/12 A ● 0 - 2 マレーシア代表 : 親善試合 : マレーシア
2004/09/04 A ○ 2 - 0 インドネシア代表 : 親善試合 : シンガポール
2004/09/08 A ● 0 - 2 オマーン代表 : W杯一次予選 : シンガポール
2004/10/08 A ● 1 - 2 UAE代表 : 親善試合 : シンガポール
2004/10/13 A ○ 2 - 0 インド代表 : W杯一次予選 : シンガポール
2004/10/23 B' ○ 5 - 2 タイ選抜 : 親善試合 : シンガポール
2004/11/01 B' ● 1 - 2 マレーシア選抜 : 親善試合 : シンガポール
2004/11/08 C ● 1 - 3 釜山アイコンス : 親善試合 : 韓国
2004/11/11 C ● 1 - 3 蔚山現代ホランイ : 親善試合 : 韓国

A :Aマッチ
B :対戦相手がU23以下または選抜チーム
B':シンガポール側が選抜チーム
C :クラブチーム




■シンガポール代表来日予定メンバー
 
■スタッフ

監督 ラドイコ・アブラモビッチ RADOJKO AVRAMOVIC
コーチ ファンディ・アーマド FANDI AHMAD
GKコーチ リー・ビーセン LEE BEE SENG

■選手

Pos 氏 名 生年月日 cm/kg C G DB 所属チーム
---------------------------------------------------
GK シャリル・ジャンタン SHAHRIL JANTAN 80.04.20 181/76 7 0 '02 Gaylang United
GK ライオネル・ルイス LIONEL LEWIS 82.12.16 188/78 6 0 '02 Young Lions
* GK ハッサン・サニー HASSAN SUNNY 84.04.02 183/87 8 0 '04 Young Lions

* DF S・スブラマニ S.SUBRAMANI 72.08.05 178/63 84 0 '96 Home United
* DF ダニエル・ベネット (帰) DANIEL BENNETT 78.01.07 184/85 19 1 '02 Singapore Armed Forces
DF ノー・ラーマン NOH RAHMAN 80.08.02 171/68 24 0 '01 Gaylang United
DF ジャスリー・ハッタ JASLEE HATTA 81.07.11 173/75 1 0 '04 Woodlands Wellington
DF ファイザル・A・ハミド FAIZAL A.HAMID 81.09.09 174/74 2 0 '04 Gaylang United
* DF バイアキ・カイザン BAIHAKKI KHAIZAN 84.01.31 190/72 15 0 '03 Young Lions
DF イスマイル・ユノス ISMAIL YUNOS 86.10.24 178/70 0 0 -- U-18

MF ゴー・タトチャン GOH TAT CHUAN 74.02.06 176/66 13 0 '01 Woodlands Wellington
MF イシャク・ザイノル ISHAK ZAINOL 80.05.12 166/58 5 0 '04 Tanjong Pagar United
MF イムラン・サヒブ IMRAN SAHIB 82.10.12 170/64 3 0 '04 Home United
MF ジャミル・アリ JAMIL ALI 83.09.15 165/65 0 0 '-- Young Lions
* MF シャリル・イシャク SHAHRIL ISHAK 84.01.23 172/63 14 1 '03 Young Lions
* MF モハマド・リドゥアン MUHAMMAD RIDHUAN 84.05.06 176/64 8 0 '03 Young Lions
MF テングク・ムシャダド TENGKU MUSHADAD 84.08.07 175/66 0 0 '-- Home United

* FW インドラ・サーダン・ダウド INDRA SAHDAN DAUD 79.03.05 172/64 53 18 '97 Home United
FW ノー・アラム・シャー NOH ALAM SHAH 80.09.03 178/79 29 5 '99 Tampines Rovers
FW マスレズワン・マストゥリ MASREZWAN MASTURI 81.02.17 170/65 10 1 '02 Woodlands Wellington
FW イティミ・ディクソン(帰) ITIMI DICKSON 83.11.14 168/66 4 0 '04 Young Lions
FW カイルル・アムリ KHAIRUL AMRI 85.03.15 171/62 4 1 '04 Young Lions
---------------------------------------------------

* … 3月の日本戦に出場
 C … 代表キャップ数
G … 代表ゴール数
DB … 代表デビュー  
(帰)… 帰化選手(ベネットはイングランド出身、ディクソンはナイジェリア出身)

※平均年齢は約21歳です

※DFにAide Iskandar(アイディ・イスカンダル)が居るはずですが、
 JFAのデータには載っていません。来ないのかな?
(→累積警告で出られませんでした)


※2004年3月以前のシンガポール代表メンバーについてはココ
 
 
 
 
■代表選手と所属クラブ(数字は人数、()内は、Sリーグ2004・10チーム中の順位)

8:Young Lions ヤング・ライオンズ (3位)
4:Home United FC ホーム・ユナイテッド (2位)
3:Gaylang United FC ゲイラン・ユナイテッド (7位)
3:Woodlands Wellington ウッドランズ・ウェリントン (6位)
1:Tampines Rovers タンピネス・ローヴァーズ (優勝)
1:Tanjong Pagar United タンジョン・パガー・ユナイテッド (10位)
1:Singapore Armed Forces(SAFFC) シンガポール・アーメド・フォーセズ(4位)
1:U18 ※おそらく、NFA U-18チーム
 
 ※アルビレックス新潟Sは5位
 
 
 
 
■Sリーグ2004得点ランキングベスト10

30 Egmar Goncalves Home United FC
24 Agu Casmir Young Lions
23 Mirko Grabovac Tampines Rovers FC
※19 Indra Sahdan Daud Home United FC
18 Park Kung Guy Woodlands Wellington FC
※16 Noh Alam Shah Tampines Rovers FC
15 Peres De Oliveira Home United FC
13 Aleksandar Duric Geylang United FC
13 Jonathon Angelucci Singapore Armed Forces FC
12 Issey Nakajima Albirex Niigata FC (S)
12 Ryuji Sueoka Albirex Niigata FC (S)
 
 ※…今回の日本戦登録メンバー
 


参考:日本サッカー協会、Totalfootball.com
 
 
 
 
■ちょっとだけシンガポール一口メモ

・Sリーグは10チームで、海外のチームが2チーム参加してます。
 1つは中国の新麒(シンチ)、もう一つはアルビレックス新潟です。
 
 来季はカメルーンのチームが加わるとかいう話があったのですが、
 お流れになりました。

 そして、シンガポールU23代表もリーグに参加してます。
 そのチーム名が”ヤングライオンズ”です。

 実はそのヤング・ライオンズに特別参加した日本人選手もおります。
 


・監督のラドイコ・アブラモビッチさんは、マチャラの・マチャラの
 ばっかりな情報しかでてないので、もーちょっと。

 彼は元ユーゴ代表選手で、イングランドのノッツ・カウンティと
 コベントリーでGKでした。
 
 83年にはコベントリー最優秀選手に選ばれております。
  
 選手を引退すると、地元ユーゴスラビアのクラブのコーチに。

 アジアに来たのは91年で、オマーンの2部クラブチームの
 監督に就任すると、チームを昇格に導きました。それ以来オマーンや
 クウェート、パレスチナを周ったそうです。

 ちなみに、英国の人は"Radojko(ラドイコ)"をどう読めばいいのか
 ワカランそうで、それ以来ラディーと呼ばれております。


・ファンディ・アーマドは、シンガポールの国民的な英雄さんです。
 オランダのフローニンヘンで80年代にプレイしておりました。小野選手の
 先輩です。自伝もシンガポールで出ております(この前ヤフオクで
 ゲット失敗した)。ソウル五輪あたりに日本代表とやっていると思います。



・ダニエル・ベネットはイングランドのレクサムでプレイしておりました。
 ちなみに今年4月に、ブリストル・シティーから非公式でオファーが
 来てました。


・日本戦で金髪だったアフマド・ラティフは現在イングランドの
 クルー・アレクサンドラに留学中なので、今回いません。彼は2000年
 にオランダ留学しておりまして、2003年にベルギーのゲントに
 トライアルに行ったと思います。


・日本戦で得点を挙げたインドラ・サーダン・ダウドは、イングランドの
 チェルシーでトレーニングして、ディビジョン1でプレイするには申し分
 ないとの評価を受けました。

 ただ、今現在は足を怪我しております。90分はプレイできないだろう
 とのことです。


・ゴー・タトチャンは、マンUとの親善試合で素晴らしい動きを見せ、
 マンUファンに絶賛されました(このとき得点したのがインドラです)
 その時ついた称号が、シンガポールのロイ・キーン(多分言いすぎ)。
 ちなみに新婚ホヤホヤです。


・前回の日本戦でもイカすディフェンスを見せたバイアキ・カイザンと、
 モハマド・リドゥアンは、アブラモビッチ監督繋がり(多分)で、
 レッドスター・ベオグラードに今年2週間ほど留学してました。



...

ドイツW杯2006アジア地区予選プロフィール - フィリピン - 2004年11月09日(火)

タイガーカップの出場国を訳すべし!と思ってましたが、
まだW杯予選プロフィールのフィリピンとミャンマーが
残っていたので、急いで訳します。

-----
■フィリピン代表プロフィール


-W杯予選を棄権したフィリピン
 Philippines miss out



フィリピンはアジアサッカー連盟の創立メンバーではあるが、
サッカーの発展の歩みは鈍い。アジアでは長い間下位ランクで
あり、96年から始まったタイガーカップでは、16試合中15敗
という結果である。


2002年日韓W杯予選において、フィリピンは6試合中勝ち点1を
得ることができた。それは、ラオスに対する2-2の引き分けだ。
しかしその勝ち点1にフィリピンは大いに盛り上がった。


これまでの成績の悪さと、それを克服しようとする努力から、
フィリピンサッカー協会は、2006ドイツW杯予選を棄権し、
その代わりユースと地域大会に力を注ぐことに決めた。


■フィリピンサッカー協会

創立     : 1907
FIFA加盟 : 1928
W杯本大会出場: なし
W杯最高成績 : なし
地域の大会成績: なし


一口メモ

アジアで最も歴史ある代表チームの一つであるにも関わらず、
フィリピンは98年大会までW杯の予選に参加していなかった。
よって、予選通過などということは夢物語にすぎなかった。


2002年大会予選では、フィリピンは予選グループ最下位と
なった。グループ通過チームはオマーンだったが、フィリピンは
ホームでラオスに引き分けたのが唯一の勝ち点であった。


フィリピンは、1954年5月8日にAFCが創立された地である。
フィリピンにとって最も良い成績は、1917年、日本を15-2で
完膚無きにまで叩いた試合である。

フィリピンは2006年のW杯予選に参加しない。

http://fifaworldcup.yahoo.com/06/en/t/team/profile.html?team=phi

-----

チョット前、タイガーカップのチーム紹介で
フィリピンのことは書いてしまったのですが…


日本代表の最多失点記録は、この記事にも書いてある
1917年5月10日の極東選手権大会、日本対
フィリピンの試合であります。


奇しくもそのちょうど50年後の1967年9月27日
のメキシコ五輪予選、日本が現在まで続く歴代最多得点
記録を打ち立てたのですが、その相手もフィリピン。
15-0で日本の勝利であります。



んで、最近70年代前半の資料を色々あさっているの
ですが、当時フィリピンは、スペイン下部リーグのチーム
(3部とか)のメンバーを5,6人連れてきて、代表戦に
出していたようです(この辺はまた今度詳しく書きます)

また、1970年代豪州でプレイしたフィリピン人選手、
Antonio Gutierrezという選手もいたそうで、コレを続けて
れば…と思うのですが、74年にフィリピンでプロバスケット
ボールの開幕しサッカーは息の根を止められたそうです。



また、記事中はユースに力を入れるぞーと書いてありますが、
フィリピンU18代表が国内の地域リーグでどーたら、
以外はあんまり見たことないです(しているかも知れないけど)



つーわけで、フィリピンは弱小~♪とか言っていると、天国で
1910年当時に生きていたフィリピン人に会ったときに
大笑いされる可能性があるので、やめておきましょうね。

それでは。



...

AFCお茶の間ショッピング - アジア - 2004年11月07日(日)

さてさて、実は僕はAFCからソコソコ物を買っており、
到着するたびに「タマランばい!」と一人で悶える日々を
送っておるのです。

でも、手続きが結構面倒臭そうだったりして、欲しいけど
ナァ…という人もいるかもしれないので、僕の手続き方法と
戦利品をご紹介します。


■AFCアジアカップ・グッズ

ココから買いました。

ここは、なんとクレジットカードが使えませぬ。

ちゅーことで、ウェブ上で情報を入力してから、
AFCからの請求書をメールで待ちます。

そんで、請求書が来たら、郵便局で振り込むことに
しました。あて先は香港です。

そのとき持っていったのは、

・身分証明になるもの
・印鑑(もってこいと言われたけど、使わなかった)
・プリントアウトした請求書(相手先の住所や電話番号が必要)

です。

郵便局で「国際送金」したいんス、USドルで、というと、
これ書け、あれ書け、と言ってくれます。

両替手続きは郵便局でしてもらえます。


ただ、受け取った振込先の住所は英文だったのですが、
郵便局では「香港のあて先では中国語が必要」みたいな
ことがマニュアルに書いてあるそうで、お互いちょっと
悩みましたが

「ここは海外の会社で、手持ちには英語の住所しかない」

というと、通してくれました。


手数料を取られましたが、2,3千円以下だったような気がします。



その後、AFCから「送ったよー」というメールが来まして、
で、忘れた頃に注文したものが家に届きました。


アジアカップ2004・バックパック。


これを手に入れた横浜FMサポで、某中国サッカーサイトの
管理人さんは「赤・黒…レッズかぁ…」とボヤいておりました(笑)

彼とグッズ交換会を行い、このバックパックを交換したの
ですが、僕の机の上は……



うわっ(笑)


アジアカップTシャツ


注文時サイズの設定が出来ないので、どーするんだろう
と思ってたら、やっぱり適当にMとLで送られてきました。
サイズがLの人だったら、激怒してたと思うぞ(笑)


アジアカップ・ピンズ


AFCがサービスだよーんと言って送ってきてくれたやつ。



■AFC創立50周年公式記念「パワー・オブ・ドリームス」

ココから買いました。

購入ページはココ


一応、AFCのスポンサーには



がありますが、やっぱりクレジットカードが使えません(笑)


んで、フォームに記入して、AFCからの請求を待つと、
メールで請求書が来ます。


支払い方法は、電信送金(telegraphic transfer)にしました。

もう1つの方法でchequeというのがあるのですが、これは海外だと
ポピュラーな支払い方法らしいです。


請求は、本体66ドル+輸送費が約35ドル。

うーむ。ちょい高い。


今回の振込み先はマレーシア。

郵便局はマレーシアへの銀行口座宛への振り込みを取り扱って
ないないらしかったので、日本の銀行を使うことにしました。


といっても、銀行でも為替を取り扱うような支店でないと駄目
とのこと。

色々銀行に電話をかけ、「マレーシアの銀行口座に振り込み
たいんですが」と問い合わせをして、振り込める銀行を
探しました。


で、銀行に持っていったものは、郵便局のときと同じです。

ちなみに、AFCの口座は、英国系の銀行だそうです。

この銀行は支店ですか?とか聞かれても分からない、
の一点張りでなんとかやってくれました。


色々手続きして、手数料が7000円!
高いな、おい。


そんで、支払ったわい、とまたすっかり忘れたころに
輸送業者のDHLから電話がありまして、

「マレーシアからの荷物が届いていますが、インボイス(送状)
 がない上に、色々物が入っているから、関税の対象になるかも
 しれないッス」

と言われました。

AFC、色々サービスでぶち込みやがって(笑)

結局関税+手数料で1000円とられ、元が7000円くらいの
ものに2万円近く取られました。


くそ、韓国かシンガポール行けたんじゃないのか?


で、中身はこんな感じ。


・BOX付きの本
・50周年記念パーティー番組VCD(あんまり面白くなかった)
・ステッカー(ガラス越しにはる奴)
・FootballAsia(アジアカップ特集)
・ピンズ&キーホルダー



ちゅーわけで、この辺をしっかり取り扱ったオンライン
ショッピングの店があったら、オレは多少高くても買う…

かなぁ??

誰か、サッカーグッズの店の方、取り扱ってみてください。

では。


私信:

ホアン姐、このへんに関してメール送ったんですが、
アドレスがないって返事が来てしまうです。。

よろしければメールください。


...

10 minutes:底抜けブラッター&ハマム~中央アジア漫遊記 - 2004年11月04日(木)

さて、BBSでも書いたんですが、FIFAゴールプロジェクト
の一環かなんかで、FIFA会長のブラッター氏と、われらが
AFC会長のビン・ハマム氏が、中央アジア周遊に出たとのこと。


レポートを読んでると


 トルクメニスタンに行ったら、トルクメニスタンサッカー協会
 会長が、刑務所に入れられていた


という箇所があってビビリますが(笑)、ビデオがかなり興味深いです。
(上のリンク先ページ下方の、Visited Countries各欄にある
 "Watch Video"をクリック)


 あー、キルギスってモンゴロイド多いなー
  
とか

 トルクメンって、北朝鮮みたいな指導者の像があるんだな、

とか

 ブラッター氏よりもハマム氏の方が、植林のスキルは高いなー

とか。

 
まー色々見ごたえあるのですが、ビデオだけを観るとこの2人は

 入国
  ↓
 FA訪問
  ↓
 現地のガキと会う
  ↓
 飯を食う
  ↓
 民俗舞踊を見る
  ↓
 時々民俗衣装を着る(コスプレ)
  ↓
 出国


ということを繰り返しやっているだけで、一体何をしにいったのか
全然わからない、2人とって逆効果なPRビデオとなっています(笑)


しかし、これを見てふと思ったのが、


 「女性が踊るのを見て喜ぶ感覚」


というのが、つくづくウラヤマシイ感覚だよなー、つーことで
あります。



僕は昔から、アラビアン・ナイトの挿絵とか、北朝鮮の喜び組とか
の映像を見るたびに「一体これは、どう面白いんだろうか」と
思っておりました。


僕らの世代(70年代以降生まれ)が”踊りを観る”と言う感覚は、
どうしてもその文化的見地や、美学や芸術学、あるいはアスリート
という観点で見てしまうのが多いと思います。

もーちょっと砕いていうと、ダンスを「ディスカバリー
チャンネル」的に観てしまう、という感じでしょう。

たとえば

 「うーむ、やはりウズベクの踊りはアラビア圏の影響が…」
 「流れるように、そして重力を感じさせない動き…」

みたいに。

僕の知り合いで、ベリーダンスのダンサーが居るのでありますが、
一度ステージを観にいったときは、まさにそーいう目でしか
僕は観られなかったわけです。



しかし!


共通の知り合いの結婚式の余興で彼女が踊ったんですが、
もう新郎・新婦の会社の上司のオッサンたちが異常に
コーフンしまくりでして、


「これはイイよ!」


と、本気に楽しそうにしておったのです。


 うーむ、、、楽しみ方が俺と全然違うが、オッサンたち
 のほうが、エンターテイメントとして楽しんでいるでは
 ないかッッ!


 だのに…何故…俺はこういう楽しみ方を知らないんだッ!

 くそッ!!

 
…そのとき、つくづく彼らオッサンの楽しみっぷりを相当
ウラヤマしく思ったわけですが、今回のビデオを観て、
それを思い出させてもらったわけです。



サッカー観戦も同じで、まずはチャンスのときのタマンねぇ
気持ちとかゴールに吸い込まれるボールの気持ちよさとか、、
そーいうことがまずあっての、サポーター論とか戦術論とか
選手への注目とかだよなー。

とか考えさせられるわけで…



…ハッ!!


彼らのビデオの狙いは、

「本来の楽しさを思いだせよ、君ら」

だったような気がしてきたぞ。



おう、俺はメッセージ受け取ったぜ、ハマム&ブラッター!

次も活躍を期待しているぜ

サッカー界のスタスキー&ハッチ!


...

Sリーグを1年戦ったアルビレックス新潟Sに対する報道 - シンガポール - 2004年11月01日(月)

さて、ゴンやカズの代表召集は…で日本のサカヲタが
大騒ぎしているわけであります。

そんな騒動中グッド・タイミングで、当のシンガポール
のリーグに参入している、アルビレックス新潟S
(シンガポール)の特集記事がありました。


シンガポールに関しての記述がある点のみ引用したいと
思います。本文には、各選手のコメントがもっと載っている
ので、興味のある人はどっかから手に入れるベシ。


ついでに、シンガポール側の評価の一例として、シンガポール
サッカーのウェブサイト、TotalFootball.comに載った、アルビS
の今季の総評も載せておきます。


この記事を書いた人と載せたサカダイ編集部!

俺は激ラブ!



※(...)は省略したことを表します。


-------
■Special Reporet part1
 
 -アルビレックス新潟・シンガポール  

”シンガポールで刻んだ未来への第一歩”


          取材・文・写真●佐藤香織


・シンガポールだからこそ得られるチャンスもあった

  ...初めて新潟・Sを取材したのは5月。リーグ戦もすでに
 3分の1にさしかかった頃である。その頃の選手たちは、
 想像を超えるSリーグ(※シンガポールリーグ)の現実に、
 戸惑いを隠せないようだった。

 「ラフプレーが多い」         (中谷洋介)
 
 「あたりが激しい」          (高橋一智)
 
 「ドロ臭い」             (高杉康雄)
 
 「とにかく暑い。練習中も試合中も」  (栗原明洋)
 
 「外国人のレベルが高い」       (荒井健)
 
 「ミスジャッジや悪質なファウルに対する
  マインドコントロールが難しい」   (村上範和)

  観戦したバレスティア・カルサ戦、ゲーム中は執拗な
 ラフプレー、暑さによる体力の消耗、そして審判のミス
 ジャッジにイライラし、足が止まったり罵声をあげる場面
 が目に付いた。自分達の実力を発揮するのが難しい環境なのだ
 ということが、手に取るように分かる試合だった。
 
  しかし暗中模索のなか、Sリーグで戦うことの効果
 を既に実感している者が多かったのも事実だ。

...

  異国で生活を続ける彼らは...不安もあっただろう。
 しかし、カウンターサッカーが主流のSリーグにあって、
 細かいパスと技術を見せる”日本のサッカー”はおもしろい
 と評され、現地での注目度は高くなると、まず、サポーター
 に対しての責任感が生まれていったという。
 
...
 
  それから、4ヶ月経過した9月下旬。リーグ最終節を
 見届けるため、再びシンガポールへ渡った。
 
 会場を訪れるとオレンジ色のレプリカシャツを着たサポーター
 達が、アウェーにも関わらず、メインスタジアムの半分を
 占めていた。以前よりも子供の数が明らかに増えている。
 すでに新潟・Sのサッカーは、シンガポールのファンたちの
 心を完全につかんでいるようだった。
 
  ラフプレーやファウルはあきわらず激しく襲ってくるが、
 選手達はうまくかわす技を身につけ、ゲームの流れを乱す
 ことなく90分間走り回っている姿に驚く。ゲーム中に
 聞こえてくる声も、”文句”から選手同士の的確な”指示”
 へと変わっていた。
 
...
 
  郊外のスポーツコンプレックス内に宿舎、食堂代わりの
 フードコート、練習場、フィジカルトレーニング施設、
 ホームスタジアムがすべてある。ジュロン・イースト・
 ストリートの半径1㌔に凝縮された、サッカーだけの生活。
 

 
:サッカーダイジェスト・2004/11/09号 P42-43より
 一部抜粋

--------
■Special Reporet part2
 
 -アルビレックス新潟・シンガポール  

”大橋浩司監督インタビュー”


          取材・文●原山祐平

...
 
 --実際にSリーグのレベルはどんなものだったのですか?
 
 「上位3チームはなかなかレベルが高い。それぞれのチームに
  外国人選手が4人、プラス帰化選手が数人、あとは代表選手
  ということで、シンガポール代表よりもレベルが高いという
  のが上位3チームですね。そういうチームが存在するリーグで、
  1年戦うことができたのは、非常に有意義だったと思います」
 
...

 --戦術的にはどのようなスタイルで臨んだのですか。
 
 「...日本に戻ってサッカーをする選手もいるわけで、日本の
  スピーディーでコンパクトなサッカーに対応できるような
  戦術も当然やらなくてはならない。だから、攻守の切り替えを
  素早くしたサッカーをベースに戦いました。...」
 
...
 
 --シーズン中は、新潟との連携はどうのようにとっていた
   のでしょう。
 
 「FIFAのルールのなかで、国をまたいでの同一チームの
  存在は認められていないんです。ですから、新潟・Sは完全に
  独立したチームなんです。したがって、新潟とシンガポール
  チームとは、選手の交流や、チームとしての情報交換という
  のはできなかったし、しなかったですね。...」
 
...
  
 
:サッカーダイジェスト・2004/11/09号 P44-45より
 一部抜粋
 
--------
 
■Review of the S-League 2004 By Happy
 
 ・アルビレックス新潟シンガポール(リーグ5位)
 
 
 大橋監督が設定したトップ3入りの目標に入ることはできなかった
 アルビレックス新潟シンガポール。
 
 その件についての失敗を語るのは容易いが、フェアーではない。
 
 今シーズン開幕当時に書かれたように、この日本のクラブチームは、
 Sリーグのトップクラブに挑むことが出来ることができるような
 チームを作るための基盤、そして指導体勢が足りない状態だった。
 
 故に、当初予想されていたように、リーグ中位でシーズンを終えた
 今年デビューのクラブ、としては悪くないスタートだったと考えねば
 ならないだろう。
 
http://www.totalfootball.com.sg/Review%202004%20S.League%20Season.htm

--------

ちょっとだけ補足を。

>9月下旬。リーグ最終節を

TV画像ですが、こんな感じでした。


>上位3チームはなかなかレベルが高い

Sリーグ2004の順位は、

 1.タンピネス・ローヴァーズ
 2.ホーム・ユナイテッド
 3.ヤングライオンズ(シンガポールU23)
 4.シンガポール・アーメド・フォーセズ
 5.アルビレックス新潟S
 6.ウッドランズ・ウェリントン
 7.ゲイラン・ユナイテッド
 8.バレスティア・カルサ
 9.シンチ(新麒)
10.タンジョン・パガー

であります。

>トップ3入りの目標に入る

当時のコメントはこんな感じです。


まー、双方ともに「やってみたら最悪じゃねーか」と言って
いないんで、お互いに狙っている利益は、ソコソコ得たのかなー・・・
と思います。


これからだぜ!という雰囲気も大きいと思いますが、来年は
是非アルビレックス新潟Sのベスト3入りして欲しいもんで
あります。



でも、まだリーグ戦・カップ戦優勝したら、AFCカップに
出場できるのかワカランけど、もし出られたら…と考えると
タマランなぁ。

シリアやレバノンで戦うアルビS…かなーりハアハア。



...



 

 

 

 

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