フィリピン国内のサッカー大会2004 - フィリピン - 2004年06月28日(月) アジアカップである!と言っても、東南アジアでは唯一アジアカップに 参加しなかったフィリピン。 ここんとこ僕もあまりチェックしていなかったので、philfootball.infoやら イロイロまさぐって、国内の情報をあつめてきました。 んで、分かったことを以下に・・・ P−LEAGUEという名称は結構前に消滅したらしく、 現在は下のような各地域(サッカー協会)単位で通常は大会を やっている模様です。 ・Negros Occidental ・Negros Oriental ・Dumaguete ・Cebu ・Iloilo ・Davao(ちなみに、リーグ名はLiga Davao。うーんスペインだ。) ・Iligan ・Laguna などなど地域サッカー協会一覧 全国大会に関しては、フィリピンサッカー協会(PFF)カップ という大会があります。 2004年2月に、PFFカップ2004が開催されました。 他の書き方だと、 ・2004 PFF Cup ・2004 PFF Cup Super Ferry National Championships ・PFF Men's National Championship 2004 などなど、様々であります。 Superferryってのは、この大会のスポンサー、Superferry of Aboitiz Transport Systemsという会社名であります。 28のチームが予選に参加し、8チームが本大会に出場という レギュレーションのようですが、RSSSFによると、26チームの 参加になっています。 予選は以下の様に地域ごとに分かれていました。
フィリピンは大きくは3地域(ルソン島、ヴィサヤ群島、ミンダナオ島) にわかれておりまして、これをみるとそれぞれの地域から絞っている みたいです。 日本で言う、九州地域、四国地域、っぽい分け方の 様なもんですかね。 PFFカップに関しては、2003年は行われなかったようです。 よって、2002年優勝の Negros Occidentalがタイトルホルダーと いうことになっておりました。 (PFFカップ2002の結果はコチラ) しかしながら、Negros Occidentalは資金難で相当苦労し、 やっとこさ2004年の大会に出場できたそうです。 本大会は、この8チームが2グループに分かれ、上位2チームが 決勝トーナメントという形式でした。 ▽Group A: 1. Masbate 2. Negros Occidental (Bacolod) 3. Zambaonga del Norte (Dipolog) 4. Hapee-CebuFA ▽Group B: 1. National Capital Region (Manila) 2. Laguna 3. Cagayan de Oro 4. Davao NCRってのは、National Capital Region=マニラ首都圏 のことです。イロイロ記事を探してみると、今大会に出てきたのは、 NCR-Philippine Air Force、で、空軍さんチームですね。 (NCR-Navyってチームも昔見ました) Hapee-Cebu FAってのは、単独チームではなく、セブ地域 各チームの選抜チームの模様です。なんで選抜したのか、 理由はよくわかりません。 グループリーグ及び決勝トーナメントの結果はココです。 結局2004年PFFカップは、NCRが優勝。 大会前に強豪とされていたのは、Negros Occidental・NCR・Cebu・Davao でした。 なんとなく、フィリピンの各地域のサッカー熱や実力ってのは、 マレーシアに地理上近い所の方があるのかなぁ、、という イメージを持っていましたが、そーでもないっぽいです。 (Negros Occidental地区は、人気があるらしいのですが) (もーちょっと詳しい地図を見たい方は、コチラ) てなわけで、もしフィリピンが東南アジアクラブ選手権にまた出てくれるなら、 今度は空軍じゃい! てなわけで。 PS ちょっとイロイロ調べていて面白かったのは、フィリピンのとある地方サッカー協会のリンク集。 東南アジアよりも、東アジアよりも、オセアニアサッカーの方 が充実しておりました。 もしかしたらフィリピンは、アジアよりも太平洋の方にシンパシーを 感じているのかもしれませんね。 ま、たまたまかも知れませんが。 ... 10 minutes: 武士道とは、死ぬことと見つけたり - 2004年06月27日(日) 土曜日、昨年に続いてJ1の1stステージの優勝が決まる とか言う試合があったので、行ってみた。 横浜vs鹿島というのは、フットボールアジアばっかり見ていると、 ジャパンでも相当のビッグゲームである。 マレーシアならペラvsパハン、 インドネシアならプルシジャvsプルセバヤ、 フィリピンならマニラ首都圏vs西ネグロス みたいなモンである。 んで、行く前に俺はかなり悩んだ。 うーむ、俺のマネーを、イマイマしいカモメに渡すのは、 とても不愉快である。 なにかしら、ガツンとダメージを与えるべきである! と考え、はじめは鹿島のチームカラーである、赤い服を身に まとうつもりであったが、 「この東南アジア野郎! 普段見に来ない癖に、我らの赤を着るとは不届き千万! 腹を切れ!」 と、鹿サポにドヤされる様な気がしてきた上に、言い訳として 「あ、僕はインドネシアとか好きで」と言っても、ただの ガイキチにしか思われないので、断念。 そこで考えたのは、昔、日韓大学サッカーを観に行った時に 着た、マレーシア航空のTシャツである。 ↓これのTシャツ。 このTシャツが素晴らしいのは、日本の青と、韓国の赤が ロゴ色なので、どちらにも怒られないという点である。 横浜の青、そして鹿島の赤。 うーむ、ナイスだ、俺。 というわけで、着てみたが、ハタと気づいた。 これ、トリコロールじゃねーか! イロイロ考えた末、結局ニンテンドーのロゴ入りの黒の Tシャツにした。 本当は、富士通とかの方が良かったと思うのだが、そんなTシャツを 持っていなかったのが残念である。 しかし、「プライド・オブ・J2」じゃい!俺! というアピールもあったのである(かなりバカだな、俺) というわけで、今回は当日にローソンで前売りを買い、 新横浜に着いたのであるが・・・・ うぅ・・っ!なんだ、この人々の幸せオーラはっっ! 「若奥様とキッズ」「女子中高生の仲良しグループ」 「休日のOL」「ランチを持って出かけるファミリー」 などなど、まるでTV番組の「王様のブランチ」の世界である。 (川崎はこの例えだと、再放送の「開運! なんでも鑑定団」である) しかも、久々にスタジアムに入ってみると、 デカイ。新しい。 昔はそんなに思わなかったが、等々力と三ツ沢とせいぜい 平塚ばかり通っていると、かなりデカイ。 これが、ジャパンのトップリーグ・チームってやつか。。。 とか思いながら鹿島側に向かうと、知り合いの筋金入りの鹿サポさん が居たのである。 「いやー、川崎は今、激強いっすよ。多分、銀河一ですよ、マジで。 ユーロ2008にも出られますよ。」 と、うわっついたことを言っていると、 「いや、勝って嬉しいっつーのも、もちろんあるんスけど、 チームが負け続けているときに悩む、ってのが、また サポとして楽しいんスよ」 ・・・俺はまたも目からウロコが落ちた。 悩むのが楽しい・・・。 そうか、そういう楽しみもあるのか。 俺はちょっとあるフレーズが浮かんだ。 武士道とは、死ぬことと見つけたり これは、サポ的に言えば、 サポ道とは、負けることと見つけたり である。 また、彼は昨年のACLで、初戦でテロサーサナに 引き分けたことを、すごく悔しそうにしていた。 「いや、僕は甘かったんス。第3戦をしっかり応援しようと 思って、第1戦行かなかったんスよ。 そしたらウチ、第1戦でテロサーサナにロスタイムで・・・。 僕が、僕が、第1戦にバンコク行って、一生懸命応援 してたら・・・。」 これをピュアとみるかなんとみるか、評価がイロイロあると 思うが、俺はあえて、彼を「バカ野郎」と言いたい。 とてもバカ野郎だ。 多分、ベラパン氏が彼を見たら、抱きしめるハズである。 俺は自分を恥じた。 川崎がアウェイだから、横浜に来てしまった。 いいのか、俺は。 こんなバカの前で、「いやー僕も川崎応援してるっす。テヘ☆」 と言っていた俺は、とても恥ずかしくなってきた。 「応援」という言葉の重みが違いすぎる。うう・・・。 とかなんとか考えながら試合を観戦した。 試合内容は、まぁ皆さん知っての通りだと思うが、 アウェイ席は西日が強烈であった。 そして俺は黒Tシャツがアダとなり、滅茶苦茶暑くて 死にそうだった あくまでも横国は、俺に嫌がらせを続けている様な気がする。 PS 彼とは、漫画「あぶさん」のような、サッカー漫画が 必要ではないか、という議論を交わした。 俺が「がんばれタブチくん」的な漫画も必要ではないか、 と提案したが、「Jリーグを100倍楽しく見る方法」が あったから、それはもういらない、と言われ、少し悲しかった。 ... ユーロ2004はあなたの健康を損なうおそれがあります - ベトナム - 2004年06月25日(金) ユーロ2004そのものは、僕はWOWOWに加入していない ので全然チェックできないのであります。 が、ユーロ2004関係のアジアの記事はおもしれーな。 ちゅーわけで、今回はベトナムから。 ----- ■専門家が警告:ユーロ2004は健康に問題を引き起こす可能性あり Euro 2004 likely to cause health problems, warn experts 06/24/2004 -- 22:43(GMT+7) ハノイ発(VNA): ユーロ2004のために毎晩夜遅くまで起き続けるサッカーファンは、 心理的に、そして消化器官への悪影響に注意するべきと専門家は 警告を発した。 ・遅くまで起き続け、次の日に働くことは、体力を消耗させ、 食欲減退につながる。 ・叫んだり悲鳴を上げるのは、のどを傷付け、気管支炎に つながる恐れがある。 ・贔屓のチームのいいプレイ・悪いプレイは、ストレスを 引き起こす可能性がある。 これらの危険性があるが、ユーロ2004は他の点で健康に害を与えた 例が報告されている。 ホーチミン在住のファン達は、試合後に不衛生な店で飲み食いた結果、 食中毒を起こして寝込んでいる。 朝寝坊して飛び起き、仕事へ急ぐあまりスピードを出して運転することは、 致命傷を引き起こす事故につながる可能性が十分ある。 http://www.vnagency.com.vn/NewsA.asp?LANGUAGE_ID=2&CATEGORY_ID=31&NEWS_ID=105608 ---- 食中毒もスピードの出しすぎも、ユーロと関係ねーだろ(笑) いやー、でもさすが東南アジアを代表するサッカークレイジー国である。 すばらしい。 日本も厚生労働省が、「Jリーグ観戦への注意」と題して、 ハーフタイムで警告するくらいになって欲しいものよ。 んでも、ユーロのせいで寝不足になったり、食欲減退したり、 ストレス溜まったり、リモコンで殴られたり、食中毒になったり・・・ アジアのサカヲタってのは、結構大変なんだなぁ、と つくづく思う。 ... 2007年東南アジアの旅 - アジア - 2004年06月24日(木) アジアカップの次回開催地は東南アジアちゅーことは 決まっておりますが、んじゃ、具体的にはドコ?? てな記事です。 ----- ■アジアカップ2007に、4カ国が名乗り Four bid for Asian Cup 2007(Jun 23, 2004) クアラルンプール発: AFCは、2007年のアジアカップ主催に関し、東南アジア地域の 4カ国が候補地として名乗りを上げたと発表した。 AFC事務局長のダト・ピーター・ベラパン氏は火曜日、タイ、 マレーシア、インドネシア、ベトナムが2007年大会候補を名乗り 出たと語り、AFCはアジアカップ2004が終了する8月7日に 次の候補地を決定する予定だ。 開催地に関しては、オプションとして共催の可能性があるとした ベラパン氏だが、この背景にはタイは開催地に選ばれたのなら、 東南アジア周辺国と協力することにやぶさかでない、と表明した ことも影響している。 「我々は共催の可能性も踏まえた観点でいるが、この件に関して 述べるのは、まだ時期早々だ。開催への門戸は開けておいて、 状況を見守りたい。」 とベラパン氏は語る。 タイサッカー協会(FAT)のスポークスマンは、もし仮にタイが 開催することになった場合、全ての試合はバンコクで行われるだろう と語った。 「FATは、もしAFCが臨むのであれば、共催という方法も 検討している。」 今週末、マレーシアサッカー協会の幹部は2007年のアジアカップ 開催に関してAFCと今週末にも会合を行う見通しだ。 AFCは先月、アジアの4地域(東・東南・西・中央/南)の ローテーションに従い、東南アジア地域が次回アジアカップの開催 地域になると決定した。 また、2008年はユーロと北京五輪とのぶつかり合いを避けるため、 その1年早く、2007年にアジアカップを開催することも同じく 決定した。 2007年以降は4年ごとに開催される見通しだ。 タイは過去にタイガーカップを開催しており、今年11月にはFIFA 女子サッカーU19選手権を開催する。しかしながら、昨年タイで行われた AFCチャンピオンズリーグ決勝第2戦、地元のBECテロサーサナと UAEのアル・アインとの対戦で、セキュリティーに関して問題があった 点を指摘されている。 マレーシアは98年にコモンウェルス大会を開催した実績があり、大規模な 大会を主催する能力を証明して見せた。 インドネシアは過去に大陸規模の大きな大会を行った実績はないが、 2002年のタイガーカップ本大会の開催を行った。 バスケ熱が高く、サッカーはマイナーな扱いであるフィリピンであるが、 首都マニラは、1954年のアジア大会期間中話し合われ誕生した、 AFCの出生地でもある。 http://www.footballasia.com/en/comps/asiancup/index.asp?id=35769&sec=0&ssec=0&cid=389&mth=6&yr=2004 ----- ちなみに、他のメディア(珍しく日本のメディア)によると、名乗りを上げたのは 5カ国。タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、カンボジアであります。 実力ならタイ、インドネシアで、運営ならタイ・マレーシア な予感だけど。 ってか、シンガポールもやりてーって言えばいいのに。 昔やったし。 ま、どちらにせよ、タイは確定・・・か? フィリピンとカンボジアは無理ではないのか。 どちらもまずは、タイガーカップからでは・・・。 でもAFC、俺の叫びを聞いてくれ! 観に行く側としては、1カ国でやってくれた方が、すげー楽なんだ! タイガーカップ2002のとき、すげー俺は悩んだんだ! (タイガーカップは、シンガポールとインドネシアの共催でありました) あと、開催都市は、ボッタクリと客引きが少なくて、沢木耕太郎 カブレな若者&沈没したオッサンが居なくて、豆乳がちゃんと甘い トコでヨロ。 ... 恐怖!リモコン妻が夫を襲う! - マレーシア - 2004年06月17日(木) 爆笑したので、とりあえず。 ------ ■奥さん、旦那にレッドカード Wife sees red over hubby's passion for the game BY R.S.N. MURALI マレーシア・スレンバン発: ユーロ2004の生中継を見るために、ベッドを抜け出した熱狂的な サッカーファンが「レッドカード」を受けた。 41歳になる妻が、夫があまりにも夜遅くまで起きているのに 腹を立て、夫をTVのリモコンで殴ったのだ。 さらにその妻は、次の日から生中継を観られないようにするために、 ペイパービューを見るのに必要なSMART CARDを取り上げた という(注:スカパーのICカードみたいなもの)。 この男性は、スレンバン出身のセールスマン、ヤップさんということ 以外不明だが、マレーシア華人協会(注:政党名)の苦情処理局の 局長、Khoo Seng Hock氏に助けを求めた。 ヤップさんは、妻が2人の子供を朝学校に送るため、早く寝るようにと 強要してしてくる、と苦情をそこで述べた。 「妻が試合を見るのを許してくれないんです。 僕は絶対に寝過ごさないって約束しているのに。」 昨晩の午前2時20分、ヤップさんは生中継を見るために寝室を抜け 出した。 「ちょっとつまみながら生中継が見たかったので、ソフトドリンクと 食べ物を取りに、まずは台所に行ったんですよ」 ヤップさんは観戦中、悲しみの悲鳴を上げてしまった。 彼の贔屓のチーム、イングランドはロスタイムに フランスに勝ち越し点を入れられてしまったからだ。 妻はその声で目を覚まし、TVのリモコンを掴むと彼の頭をリモコン で数回殴った。その上サテライトTVのデコーダーからカードを抜きとり、 それを隠してしまった。 妻は、他の場所にサッカーを見に行くことも禁じた。 ヤップさんは途方にくれ、結局苦情処理局長の元に助けを求めにきたの だった。 「妻は、僕のサッカーへの情熱をこれっぽっちも理解しちゃいない。」 結局苦情処理局長は、彼の妻をずいぶんと説得し、ヤップさんが試合を 見られるようにする、と妻は言ったとのことだ。 http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2004/6/15/nation/8214579&sec=nation ----- ヤップさん、弱すぎ(笑) でも、わかるぞ。台所に行くトコなんか(笑) すげーワクワクしてるんだろーなー。 俺も菓子買うとこからドキドキするもんな(笑) ちなみに、同じ記事をシンガポールの新聞が掲載していますが、 見出しは 「助けてください!妻がリモコンで殴りかかってくるんです!」 Help, my wife hit me with the remote control! わはははは ... ジーコ、首相に噛み付く - タイ - 2004年06月11日(金) さて、W杯のアジア地区一次予選も中盤。 東南アジア勢は、相変わらず他地域のトコに負けておったのですが、 一番の驚きは、あのタイが、ホームで北朝鮮に1−4という差で負けて しまったことであります。 試合は3万5千人入ったそうですが、最近イングランドのチームを買う、 買わないで話題のタクシン首相も観戦に来たのであります。 (タクシン首相は、サッカーファンとかいいながら、タイリーグの サッカー観にこない、という批判があったからか?と勘ぐりましたが) 試合終了後、タクシン首相がTVのインタビューを受けた際のコメントは、 以下の通りだったそうです。 「(昨日の試合で)チームのゲームの進め方と、決定力のなさには ガッカリしたね。タイ・サッカー協会は、なぜ昨日みたいな負け方 をしたのか説明して欲しいもんだ。たった今から、協会内で改革が 行われると思うが。」 それを受けてか受けないかは別として、監督やFATは早速、規律が 足りないという理由で、2人のベテラン選手を外し、新顔を入れて アジアカップに備える方向のようです。 しかーし! タクシン首相のこのコメントに、怒りをあらわにしたのが、タイの ”ジーコ”こと、タイのスター・ストライカー、キャティサック。 キャティサック: 「タクシン首相は、そんなことをいうべきじゃない。彼はサッカーを どうやってプレイするかも知らないような人だ。 サッカーをプレイするってことは、外国のクラブチームを買ったり、 ビジネスをするみたいなコトほど簡単なことじゃない。」 「多くの観衆の前で勝てなかったことは、僕ら自身反省しているし、 ものすごく痛手をこうむったんだ。 でも、タクシン首相は僕らを非難したうえに、僕らはサッカーを やっていないとまで言い放った。傷に塩を塗るようなことをしたんだ。 こんな状況に僕らは耐えられないよ。」 「チームはトレーニングに一生懸命打ち込んできた。僕らは敗戦なんて 望んじゃいない。それに、僕は政府からしっかりしたサポートを 受けたなんて、全く感じていないんだ。」 「もしタクシン首相がタイのサッカーを改革したいと言うのなら、僕らは その考えには賛成だよ。でも首相はまず最初に、そのことに関して真剣に 取り組むべきだし、チームの発展の援助を決めなきゃいけない。」 http://www.bangkokpost.com/Sports/11Jun2004_sport48.php?PHPSESSID=a925e4a0033d288a5d61a3a079328c61 http://www.nationmultimedia.com/page.news.php3?clid=9&id=115280&usrsess=1 今の日本でいうと、日本がオマーンにホームで敗れて、 それについて小泉首相がコメントして、ナカータが反論、 という感じでしょうか? でもナカータじゃなくて、カズが現代表入りしていた場合、 という方が雰囲気としては合っているかもしんないけど。。。 でもちょっと感心したのは、キャティサック。 皮肉上手いな・・・。 アジアカップでは日本と当たります。タイ。 アジアカップで日本とタイは、イランともあたりますが、 イランはタイと同じく、6月9日のホーム戦、ヨルダンに 0−1で負けてしまいました。 状態はイラン・タイとも良くないっぽいですが、逆にこの敗戦を バネに、どっちもマジで来るのではないか・・・ ・・・と思うとタマラン! というわけで、もうすぐ4年に一度のお祭り、アジアカップ。 観にいきてぇな、クソ。 ... ドイツW杯2006アジア地区予選プロフィール - ベトナム - 2004年06月08日(火) 本当なら、インドネシア代表の記事翻訳の予定でしたが、 急遽ベトナムにします。はい。 ---- ■ベトナム プロフィール 東南アジアで実力を発揮し始めたベトナム - Vietnam SR set to emerge from Southeast Asia. ベトナムは、日韓2002W杯アジア地区予選で早々と姿を 消してしまったが、ベトナム代表は東南アジア地域での強豪 チームの印象を維持しており、今回の予選では、驚きを見せて くれる予感を持つチームでもある。 前大会の予選グループにおいてベトナムは、モンゴル・バングラ ディッシュ、そしてアジアの強豪サウジアラビアと同グループに 入り、結局グループ2位(勝ち点10、3勝1分け2敗)という 成績に終わった。 その2敗とは、共にサウジアラビアとの対戦であり、0−5、 0−4というものだった。この数字は、ベトナムがアジアの トップグループに入るには、どの程度差があるのかを示している。 しかしながら、ベトナムでのサッカー熱が急激に上昇している 点においては疑問の余地がない。 2000年に当初10チームでスタートしたプロリーグは、 2001年において12チームに増加した。 (※注:正確には、2003年度から12チーム) このサッカーの発展は、質の高いベトナム人選手だけでなく、 東南アジア地域の選手もひきつけることとなった。 また、ベトナム代表チームも以前に比べ、より多くのサポート を受けることが出来るようになったのだ。 98年のタイガーカップと99年のSEA GAMES (東南アジア競技大会)で、ベトナム代表を準優勝に導いた のは、ベトナム元代表監督でオーストリア人のAlfred Riedl氏 である。 彼は2003年に再び代表監督に就任すると、韓国を1−0で 破る快挙を成し遂げたが、同年のSEA GAMES決勝戦で タイに負け、結局彼は解任されることとなった。 その後ベトナムサッカー協会(VFF)は、95年にベトナム初 の外国人代表監督となり、5ヶ月間代表指揮したブラジル人、 Edson Tavares氏を再度代表監督に就任させた。 ■ベトナムサッカー協会:
■一口メモ ベトナムがW杯に初めてエントリーを行ったのは、1954年であるが、 その後棄権。94年まで、ベトナムが1つの国のチームとして参加した ことはない(ただし、南ベトナムは74年・78年大会に参加)。 94年大会では8試合中、1試合勝利した(インドネシアに1−0) が、その4年後の98年大会では、成績は悪化。6試合を全敗で終えた。 しかし2002年大会において、ベトナムはそれまでとは違う成績を 収めた。予選グループでサウジアラビアについで2位と言う成績を収め、 6試合で3勝した。 ベトナム代表の最多得点試合は、2000年にグアム相手に11−0で 勝利した試合である。 http://fifaworldcup.yahoo.com/06/en/t/team/profile.html?team=vie ------ >初めてエントリーを行ったのは1954年であるが、 >その後棄権 ちゅーのは確認できませんでした。もしかしたら、当方の 訳し間違いかも。 韓国に1−0で勝ったときのチームは、正確に言うと代表じゃ なくて、ベトナムU23代表チームであります。 ってのは、この年に行われ、文中にもあったSEA GAMES、 実はホストがベトナムでありました。 SEA GAMESのレギュレーションは、五輪みたいにU23 でありますが、ベトナムは開催国の意地もあり、強化じゃい!と 無茶なことをやったわけです。 どー考えても、ベトナムU23代表を、韓国A代表の相手に送るって のが無茶なのですが、勝ってしまうっちゅーのがサッカーの恐ろしい ところです。 その時得点したPham Van Quyen君、今回の韓国代表との試合には メンバー入りしておりません。 ちなみに、文中でびみょーに違うのは、Alfred Riedlさんが、 SEA GAMESの成績不振でクビ、じゃなくて、彼は パレスチナ代表監督に行くことが決まっておったので、去った・・・ ハズです。 いまはこんな感じ そんで、Alfred Riedlさんのあと、VFFはタイ代表監督だった、 Peter Witheさんが欲しいよぉ!と大騒ぎしておったのですが、 結局インドネシアサッカー協会に取られてしまい、Edson Tavares氏に なったという経緯があります。 >東南アジア地域の選手もひきつけることとなった。 ってのは、現在ベトナムのリーグは、”インドシナ半島プレミア リーグ”な様相なのであります。 タイ代表選手はゴロゴロおります。カンボジア、ラオスの 選手もまだいる・・・ハズ。フィリピン人選手も以前居ました。 ついでに中国人も韓国人も日本人は・・・もういないかも。 以前は居ました。 てなわけで、実はベトナム、東南アジア諸国の中で、一番何を やってくるのかわからないエキサイティングな国であります。 6月9日(明日)が楽しみだハァハァ!! ... シンガポールのメディアが見た、インドのサッカー都市・ゴア - 南アジア - 2004年06月07日(月) さて、どーもインドがらみで当サイトを訪問してきている方が 多いようなので、東南アジアがらみのインドの記事をば。 シンガポールの新聞、The Straitstimesがインドのゴアという 都市を訪問した時の記事の翻訳です。 2月の時のやつなので、多少古いですが。。 -------------------- ■ゴアでのキングは、サチンではなく、バイチュンだ。 In Goa, Baichung, not Sachin, is king 2004/02/18 by The Straitstimes(Singapore) バイチュン・ブティアがどんな看板よりも大きく映し出されており、 クリケット競技場よりもサッカー競技場に多くの人が集まる街、ゴア。 人口数では世界でも有数なインドにおいて、多くの都市では クリケットのスター選手、Sachin Tendulkarが人気であるが、 ゴアではサッカーがスポーツのキングである。 眠気を誘う街、ゴアではあるが、この海岸に面した都市では、 W杯予選のインド対シンガポールの話題で持ちきりだ。 「サッカーはゴアで始まり、ゴアで終わる」 タクシー運転手のLornie Fernandes(40)さんは、このように語った。 彼はNehru Fatorda Stadiumが、勝利を何よりも望んでいる4万人の 観衆で満員になることを望んでいる。 「インドのサッカーはここ数年で本当に良くなったんだ。 この発展が、インドでのサッカーの地位を上げると思うよ。 まあ、ゴアじゃそんな心配いらないけどね。」 インドの南東に位置するこの都市では、サッカーは常にNO1 スポーツだ。これはもちろん、ポルトガルの植民地だったころの 名残であることは間違いない。 インドのNational Football Leagueのトップリーグに所属する 12チーム中、5チームがゴアに関係したチームであり、現在 リーグトップの Dempo Sports Clubもそうしたクラブチームの 一つだ。 ゴアはシンガポールの4倍の面積である。だが、人口は1/4だ。 140万人が都市に住んでいる様子は、50年前のシンガポール に似ている。 だが、ゴアの人々はサッカーを観に長い時間かけて行く事に、 全く問題視していない。 ゴアの人々の平均月収は、約3,500ルピーで、これは S$133程度である。だが、最低限50ルピーを支払って 月2回のサッカー観戦にかかる費用に関しては、惜しげない。 80年代から90年代にかけて、インド代表のMFであり、現在は インド代表のアシスタントコーチを務めるゴア出身のMauricio Alfonso氏は、 以下のようにコメントしている。 「どんな相手とでも勝負できる、と思えるようになったのは 久しぶりだね。」 最近のインド代表の結果を見ると、なかなか手ごわい相手のようだ。 英国人監督、Stephen Constantine氏が指揮するインド代表は、昨年の ベトナムで行われたLGカップで、ホスト国・ベトナムを破り優勝した。 また、同じ昨年行われたアフロ・アジア競技大会では、優勝がウズベキスタン、 そして準優勝はインドとなった。 インド代表はこの試合で、マレーシアとジンバブエを破っている。 アジアカップ予選の北朝鮮戦、そして五輪予選のトルクメニスタン戦 では、勝利を確信している多くの観衆がスタジアムに詰めかけた。 「インド代表は、シンガポールに勝つよ」 14歳の学生Samved Umarye君は、ただインド代表を見に来るだけの ために学校を抜け出し、ダウンタウンのPanjimにやってきた。 彼の予想は? 「ブティアが活躍するに決まってるよ!」 http://straitstimes.asia1.com.sg/sports/story/0,4386,235768,00.html? (多分、リンクはもうなくなってます) -------- ちなみに、インドのクラブチームのサポは、こんな感じ。 (イーストベンガルのサポーター) このパワーには、東・東南アジアは勝てないかも・・・ ... ドイツW杯2006アジア地区予選プロフィール - カンボジア - 2004年06月04日(金) 前回からの続きで、今回はカンボジア。 ■カンボジア プロフィール ゆっくりとたどり着くカンボジア - Slowly getting there 長い間国を悩ました政治的混乱の状況から考えれば、カンボジア代表 チームは近年、実際に多くの点で改善されてきたといえる。 日韓2002W杯予選ラウンドでは、中国・インドネシア・モルジブと 同グループとなり、そこでは最下位となったものの、第1戦で0−6で 負けたモルジブ相手に、第2戦では1−1で引き分ける健闘を見せた。 しかしながら、カンボジアにはプロ・リーグは存在せず、ゆえに発展の スピードは急激ではない。 Hok Sochetraは代表チームのトップスコアラーであり、64試合出場中、 42ゴールをあげた選手ではあるが、W杯予選が終了すると同時に、 携帯電話会社に戻るために代表から離脱せねばならなかった。 Hok Sochetraは東南アジア地域の中でもベストストライカーの一人と して挙げられる選手である。2000年のタイガーカップでは、ラオス 相手に2得点を挙げ、3−0の勝利に貢献した。 カンボジアは、2006年のドイツW杯への参加を取りやめた。 ユース及びクラブのレベルでサッカーの環境を開発することに 専念するためだ。 だが、カンボジアが2004年のタイガーカップの開催国になる という話は、関係者と政府のサポートをよりよいものにするに 違いない。 ■カンボジアサッカー協会:
■一口メモ 1974年から95年まで、カンボジアが国際試合に出場 しなかったことは、そのカンボジアの政治状況を反映している。 彼らがW杯という国際舞台に帰ってきたのは、フランス98年 大会のときである。 インドネシアに引き分けるという快挙を成し遂げた以外には、 敗戦のみとなったが、少なくともそれが彼らの再スタートの 始まりとなった。 4年後の2002年大会予選には、中国と同グループに入り、 各国のアウェイでは2桁のスコアで負けると予想されていた。 現実は、モルジブ相手に引き分けを見せたものの、グループ 最下位という結果に終わっている。 http://fifaworldcup.yahoo.com/06/en/t/team/overview.html?team=cam ------- あ、実は結構カンボジアサッカー協会って、古いんだな。 一応補足すると、タイガーカップは結局カンボジアが開催国を 辞退してしまいました(出場するはずだけど) 74年から95年まで国際試合に出場しなかったとありますが、 戦後からカンボジアの国名は 1948-70 カンボジア王国 1970-75 クメール共和国 1975-79 カンプチア民主共和国 1979-89 カンプチア人民共和国 1989-91 カンボジア国 1991-93 カンボジア最高国民評議会(国連統治) 1993- カンボジア王国 こんな感じで変わっております。はい。 (詳しくは自分で調べてくださいね) そりゃ、こんな状況じゃなかなか出られますまい。 復帰した95年は、SEA GAMES(東南アジア競技大会) の出場ですね。このときはインドネシアに0−10、タイと マレーシアに0−9で敗れています。 それから考えると、確かに進歩はしているなー。 てなわけで、もうちょっと時間が必要になりそうな、カンボジアン サッカーであります。 ...
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