ピヤポンがトラウマ - タイ - 2003年11月27日(木) 2003年11月19日分のリレーコラムの続き。 今度は井原正巳氏。 ----- ■井原正巳→北沢豪 サイドチェンジトーク 〜かつて日本より強かったタイは再び強豪に 成長する可能性が。アウェーのプレッシャーなど 十分な対策が必要になってくる〜 東南アジアと聞いて僕が一番に思い出すのは、 タイ代表です。弱小国というイメージを持っている 人も多いかもしれませんが、ほんの少し前までは 日本よりも格上でした。 30代以上の読者なら、84年のロサンゼルス五輪 最終予選で、2−5で大敗した試合を覚えている人 も多いでしょう。 日本がその後、急速に成長して力関係は逆転して いますが、そうした素地はあるわけですから、 再びアジアの強豪になる可能性が十分にあると思い ます。 AFCチャンピオンズリーグでも、タイのテロ・サーサナが 準々決勝リーグで鹿島に勝ち、決勝に進出しました。 タイ以外ではベトナム代表も、先日のアジアカップ 予選で敗退したものの、あの韓国に勝ったわけですから。 タイはフットサルも強いことからもわかる通り、狭い エリアでのテクニックに長けていますし、ほかの 東南アジアの国も瞬間的なスピードがある。 それに怖いのは、ホームの熱狂的な雰囲気です。来年 から始まるドイツ・ワールドカップ予選はホーム・アンド ・アウェイですが、敵地のプレッシャーは相当な物に なるのではないでしょうか。 近年は各年代の代表のアジア予選が中東で行われること も多く、その方面の対策は万全かもしれませんが、アジア は広い。キーちゃんの言うように今後、東南アジアの 国々も手強い相手になるでしょうし、もし対戦すること になれば、十分な対策が必要になってくるはずです。 (…以下略…) :サッカーマガジンNO.951/2003.12.09号より :抜粋 ----- うーむ。 もう少し、実際に当たってみた感想とかを書いて欲しかったっすよ。 選手から見た東南アジアサッカーちゅーのは、あんまり目にする 機会がないし。 >84年のロサンゼルス五輪 これは、ピヤポンさんにボコボコにされた試合ですな。 当時の日本代表メンバーは、松木、加藤久、都並、木村和司、 金田喜稔、原博実、柱谷幸一、岡田武史、水沼貴史つー、TVや Jの監督さんでお馴染みの人々ですから、この辺の世代の方々に お話を伺いたいトコです。 ちなみに、釜山のアジア大会で日本−タイ戦の解説をした岡田氏 は、「キャティサックはピヤポンほどのスピードはないなぁ」と ボヤいておりましたが、結構岡田氏、ピヤポンさんがトラウマなの かな、と感じた次第です。 山本昌邦現U23日本代表監督も、ミャンマーには敬意を示す、風な 挨拶してたことを見ると、少し前のサッカーファンならびに関係者 には、「東南アジアサッカー」の視点が今とは違うんだろうなー。 東南アジアサッカーファン史(ないと思うけど)的に見ると、 「ムルデカ世代」「ピヤポン世代」「パランパン世代」って感じか? すげー適当だけど。 ちなみに当方は2001年以降なので、多分「テロサーサナ世代」 ではないか。 あと、 >タイのテロ・サーサナが準々決勝リーグで鹿島に勝ち 引き分けっすよ! リーグの順位じゃ確かに勝ったかもしれんけど、鹿サポさん が怒りますよ(笑) ま、2004年以降は「アルビレックス・シンガポール世代」か、 2月に対戦予定の「マレーシア世代」というファンが出てくるのを 願っております。はい。 ... 10 minutes: 力尽きたときはその時で笑い飛ばしてよ - 2003年11月23日(日) Jリーグ・ディビジョン2・2003シーズン終了。。。 俺は来期、 横国でカモメをバーベキューにしてやる!とか、 磐田コノヤロウとか、 鹿キタネェぞ、とか、 チェ・ヨンスは敵ながらあっぱれじゃい、とか、 ナビスコカップってさぁ、とか、 ああ、天皇杯は1回戦ないんだよね、とか、 2ステージ制ってどうよ、とか ・・・。 等々力でつぶやきたかった。。。 ぐやじい。。。 まあ、でもこの9ヶ月、等々力が俺にくれた 寒くても暑くてもラーメンがヌルイという不思議と、 今日はビール売りのお姉ちゃんいねえな、という軽い悲しみと、 くそ寒いのにコーヒーがナイだと?という怒りと、 ガナハにやたら厳しいオヤジの野次への苛立ちと、 ゴールが決まった時の喜びと、 勝利を告げるホイッスルの音に サンクス。 ... ドイツW杯2006予備予選 ラオス - スリランカ展望 - 2003年11月21日(金) つーわけで、すでに2006年ドイツW杯に向けて、アジアでも 動きが出始めました。 そんな中、アセアンで唯一、予備予選に参加(あとは不参加か、 一次予選から参加)する、ラオスの展望が載っておりましたので、 翻訳。 ------ ・2006W杯予備予選 - ラオス vs スリランカ (第1戦:11/27, 第2戦:12/03) このカードは、これまで顔をあわせた事のない組み合わせ であり、お互いにとって興味深い対戦になるはずである。 スリランカはブラジル人のMarcus Ferreira監督の元、 ゆっくりとではあるが進歩のあとを示した。 スリランカは今年のSAFF選手権において、得失点差で グループリーグ突破を逃したが、前大会優勝チームの インドに1−1で引き分け、多くの人を驚かせた。 E.B. ChannaとKasun Jayasuriyaの2トップが、 Ferreira監督のチームの攻撃の要である。 東南アジアで頭角を現してきたラオスは、Visay Phaphouvannに 代表されるような、テクニックある選手達のすばやいカウンターが 特徴である。 彼はアジアカップ2004一次予選において、SAFF選手権優勝 のバングラディッシュ相手に、試合開始後38分に2点目を決め、 多くの予想を覆してラオスに2−1の勝利をもたらした選手である。 http://www.asian-football.com/mrel/news_55919_E.html ------ うーむ、この試合の展望は難しいな。 SEA GAMESがあるから、ラオスちょっと不利かもしれぬ。 SEA GAMESのスケジュールはこんな感じ。 2003/11/30 Lao - Indonesia 2003/12/03 Lao - Thailand 2003/12/07 Lao - Vietnam ラオス側の報道だと、11/29と12/04だったけど、 U23以上でラオス代表を作るってのは難しいと思うのだが、 どうするのであろうか。 もしかして、SEA GAMESは捨てか? 当たるの強豪ばっかりだしな。 と、遠い異国からラオスのことを心配する管理人であります。 つーか、俺は日曜日の川崎-広島戦に向けて、心配脳みそをフルに 使っているので、あんまり真剣に考えられぬ。すまん、ラオ。 ... キーちゃん、カンボジアへ飛ぶ - カンボジア - 2003年11月19日(水) サカマガで珍しく東南アジアの情報があったので、抜粋。 ----- ■北沢豪→井原正巳 サイドチェンジトーク 〜カンボジアで覚えた驚き。 東南アジアのサッカーが台頭する息吹を感じる〜 (…略…) さて、僕は先日、日本協会からの派遣でカンボジアに行って きました。(…中略…)今回は特別コーチとして、カンボジアの 育成指導の現場を見てきました。 僕が交流してきたのは、立派なナショナルトレーニングセンター で強化合宿を行うU-16カンボジア代表の選手でした。そこで、 僕は驚かされました。想像以上にレベルが高かったのです。 全体的に瞬間のスピードがものすごく速く、どちらかと言えば タイの選手に似たタイプが多かった。そして、ボールに執着する 能力が総じて高く、ボールを持つと自分で突破してやろうという チャレンジする選手が多いことが印象的でした。 そして純粋で素直に聞く姿勢を持ち、いろいろなことにチャレンジ することを厭わない、潜在能力の高さを感じさせる選手が、本当に 多くいるのです。 カンボジアという国自体がものすごいスピードで成長している 中で、またサッカーという文化も急速に育ちつつあることを 思わされました。もちろん、こうして上を目指しているアジア の国は、もちろんカンボジアだけではないでしょう。日本も 頑張らないと抜かれる、そうした雰囲気を感じました。 もっとも、戦いこそすれ、世界の中のアジアという仲間です。 アジア全体のレベルアップは喜ばしい。その一方で、将来を 考えると、脅威を感じているのは事実です。 (…以下略…) :サッカーマガジンNO.950/2003.12.02号より :抜粋 ----- おお、”カンボジア””サッカー”で検索すると、結構 「キーちゃんサッカーボールをカンボジアに届ける」的な ニュースが昔はよく引っかかったのだが、今年は選手相手の 交流だったわけですな。 文中でカンボジアU16代表が出てくるのは、実は2003年の 12月12日から24日まで、東南アジアユースU16選手権が あるんで、それの準備というタイミングでありましょう。 にしても北沢氏は、カンボジアの選手をきちんとサッカーの 選手として見ている点が素晴らしい。 大抵はカンボジアとかの国のサッカーを語るときは、「貧困に あえぐ」とか「クメール・ルージュの傷跡が」とかいう枕詞を つけがちなのだが、ピュアな視点なのがとても新鮮である。 このコラムはリレーコラムで、次の井原正巳氏へバトンタッチ されるわけですが、 「アジアの、特に東南アジアの潜在能力台頭について、 井原さんはどう思いますか。」 で締めくくっているので、次週の井原氏のコラムに期待っす。 ... 10 minutes: かすかに残る けもの道 - 2003年11月18日(火) かすかとは言え、道は道じゃー! 川崎もタイ代表(アジアカップ予選)も頑張ってくれー! ... お土産はラテンの情熱 - 東ティモール - 2003年11月14日(金) 今日はちょっとマジ系の、東ティモールサッカー。 ------ ■監督が語る、東ティモール・サッカーの発展状況 Coach: East Timor on road to greatness Posted: Tuesday September 30, 2003 10:20AM; - DILI, East Timor (AP) Ivan Cengic氏は、世界で最も新しい代表チームの監督として3年前に 就任したが、その直後に気力をくじかされるような困難に直面している という現実を知ることとなった。 東ティモールは、インドネシア国軍の撤退に伴い、荒れ果てた地となり、 何千もの民間人が、国連平和維持軍の保護の下で、首都ジリのメイン・ スタジアムで生活している状態だった。 スタジアムの設備はどれも機能しておらず、ピッチは荒れ果て、 ティモール島の半分であるこの地域の優秀な選手達は国連難民 高等弁務団によって提供されたキャンプで生活していたのである。 75万人の東ティモールの人々は経済活動がほとんどできず、 国際的な援助に依存した形となっていた。 そんな状況下で、サッカーに回すような費用は捻出できなかった。 だがIvan Cengic氏は、60年代GKの選手としてプレイし、リスボンの Benficaでのプレイを夢見ていた、東ティモールのシャナナ・グスマン 大統領と面会した際、アジアで最も貧しい国家の代表監督に就任する ことに合意した。 「私が引き受けたのは、ティモールの人々がサッカーに夢中だからだ。 それは、単に彼らがサッカー好きと言う情熱では片付けられないほど のものだったんだ。」 90年代、テイモールの独立の気運が高まっていた時期に、Ivan Cengic氏は 豪州のキャンベラに居を構えていた。そんな彼が、この独立の支援に足を 踏み入れることとなった。 「だが、私は東ティモールは急激に進歩し、そして東南アジア地区の強豪 になると信じている。」 インドネシアが東ティモールに侵攻した1975年以降、サッカーの試合 は占領に対する抵抗のシンボルとなった。スタジアムは、インドネシアの 軍事行動の情報を交換する、東ティモール側の地下組織の会合の場としても 使用された。 クロアチア人のであるCengic氏は、80年代、FKオシエク(FK Osijek)に とってかけがいの無いDFとして名声を得た選手であった。 そんな彼は、チームはこれから長いチャレンジを行わなければならないこと を理解している。 チームには、シューズやボール、それにすね当てなど、最も基本的な用具 が不足している。 「私がそういった用具を準備しなければ、選手達は手に入れることが できない。 そんな大変な状況下で、完全に新しい代表チームを作ることは 信じられないほどに困難なことなんだ。 だが、これは非常に価値のある経験だよ。」 彼はユースの監督も兼任しているが、今後東ティモールは急速に発展し、 4、5年以内には東南アジア地域の国際大会である、タイガーカップ のような大会で良い成績を収めることができるであろうと信じている。 「ポルトガルの植民地時代は、ティモールにラテン人の試合に対する 情熱を植え付けていったんだね。」 彼はこの地域の背景が、東ティモールの独特な特色であると指摘する。 彼は今、将来の代表選手の核になるであろう、U21代表選手と 五輪代表の強化に力を注いでいる。 東ティモールのU19代表は、2001年豪州で行われた東南アジア・ 太平洋地域を対象としたArafura Gamesという大会で優勝した。 この大会では、豪州のNorthern Territory、ブルネイ、マカオに 勝利したのである。 組織の面でも、この3年間で達成できたことが数多くある。 東ティモールは、東ティモール・サッカー協会(FFTE, Federacao Football de Timor L'Este)を設立し、今アジアサッカー連盟 (AFC)の加盟国の資格を得た。 また、来年はFIFAへの加盟を希望している。 FFTEはAFCから財政などの援助を受けているが、今後 FIFAのGOAL PROJECTからの支援も期待している。 その他、組織同様に重要な点は、FFTEは現在、世界で最新の リーグを来年に発足する計画を立てているとFFTE事務局長、 Amandio Sarment氏は語る。 彼は、厳しい資金不足によって、実現には相当な困難が予想されて はいるものの、12−14チームで計画されている国内リーグは、 東ティモールのサッカーのレベル向上を支援することを期待して いるとのことを述べた。 また、首都ディリでの15,000人収容のスタジアムをAFCや FIFAの定める基準にあった、国際大会が可能となるスタジアムに 改装する計画もある。 「私たちにとっての深刻な問題とは、新興国としてホームでプレー する設備がなく、だからといって海外でプレーするのに必要な費用 もないということなのです。」 --- http://sportsillustrated.cnn.com/2003/soccer/09/30/bc.as.spt.soc.easttimor.ap/ 2006年W杯の予備予選に、東ティモールが入っていないのは、 まだFIFAに加盟していないから、だったりするのでありましょう。 あと、他の記事ではポルトガル・サッカー協会も支援に動く云々も あったりしましたが、やっぱりサッカーの記事を検索すると出てくる のは、国連の支援で親善試合とか、そういったものが多いです。 はやく、サッカーオンリーの記事が出てくれると嬉しいのですが。 ま、俺的にやっぱり期待するのは、ポルトガルMEETSアセアンなサッカー。 どういうサッカーかよくわからんが、期待できるぞ。 タイガーカップ2006では、アジアン・お姉さま&お兄様と、 「東ティモールは不気味な存在っすよ」と、ヤイのヤイの騒げる 状況になってくれていることを祈っております。 はい。 ... 判決は以上です - シンガポール - 2003年11月06日(木) 実はシンガポールのサポと、ちょこちょこメールでやり取り していたのですが、そのへんのやり取りをご紹介します。 >は、僕側です。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - >・・・ところで、シンガポールのサポーターは、今回の >アルビレックスの参入はどう思っているのかな? > >新聞の記事じゃ、Sリーグの関係者の喜びの声が多いけど、 >僕はサポーターの声が聞きたいんだ。 …僕らの国のサッカーに興味があるって聞いて、とても嬉しいよ。 で、君の質問については答えるけど、今から言う事に関しては、 これは僕個人の考えであって、シンガポールのサッカーファン 全体の答えではないってことをまず理解して欲しい。 Q:アルビレックスのSリーグ参戦について、 シンガポールのサッカーファンはどう考えているか? A:個人的には、賛成できない。 昨年Sリーグは、中国のクラブである新麒FCを受け入れた。 そして今回は中国とは違う国のチーム、アルビレックス新潟 の参入を決めた。 でも、シンガポール・リーグは僕ら自身のリーグなのに、 何故、海外のチームのためにわざわざ椅子をあける必要が あるんだろう?と思っている。 知ってのとおり、来期Sリーグは10チームにチームを削減するんだ。 (※詳しくは■ココ■) サポーターの多い、センカン・マリンや、センバワン・レンジャーズ でさえ、「強制的に」2004シーズンから弾かれるんだ。 「スポンサー不足」って名目でね。 僕には今回の件に納得がいかないよ。この問題は、Sリーグの マネージメントに問題があるのであって、クラブや選手達に 責任があるわけじゃない。 シンガポールサッカーのサポーター達の大部分は、この件に関して 不満を述べていると思う。とても悲しむべき状況だよ。 僕らはこの件に何も言うことができない。ただSリーグの決定を 一方的に宣告されたんだ。 ”判決は以上です”って具合に・・・。 …(以下略)… - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - まあ、彼も断っているように、これは個人的な意見ですし、また 彼が怒っているのは、アルビレックスに対してではなく、Sリーグの 運営そのものに怒りを感じているようです。 リーグの関係者は、確かにサッカーの質の向上や、ビジネスの面で 期待しているのは、新聞記事で理解はできるのですが、ごく普通の、 サッカー観戦が趣味、という人はどう思っているんだろうか・・・。 でも、やっぱりみんな、こう思っているのかなぁ・・・。 メールには抜けてましたが、ジュロンというチームもSリーグから 撤退します。、過去の日記に書いたT.モヴィンドラン君の記事を読み返すと、 ちょっと泣けてくるっす。はぁ・・・。 つーわけで、来月にはシンガポールに飛んで聞いてきます。 リーグやってないけど(かつ、サポに会えなかったらスイマセン)。 ... SEA GAMESについて - 東南アジア - 2003年11月04日(火) SEA GAMES(シー・ゲーム)とはなんじゃ?という方々も 多いと思いますが、日本語直訳は東南アジア競技大会。 いわゆる東南アジア版オリンピックでして、サッカーは競技種目の 1つにすぎない大会です。 日本が属する東アジアにも、同じような地域大会に東アジア大会、 という地味な大会がありまして、2001年は大阪で開催されました。 うーむ、アジアカップとかアジア大会とどう違うんじゃー!ぼけー! と思う方も多いと思うので、日本が対象になる大会で簡単に説明すると…
となるわけであります。 これと同じように、東南アジアの国々は・・・
とまあ、こんな感じになります。 五輪のサッカーは年齢制限(U23)があったように、アジア大会も ありました。そんで、SEA GAMESも同じようにあります。 (東アジア大会は・・・忘れました) 最近ベトナムU23代表が、アジアカップ予選で韓国A代表を破る! つーニュースがあったと思いますが、実はこのSEA GAMESが 絡んでおります。 ベトナムはSEA GAMESの今大会のホスト国。 アジアカップは本来ならA代表が出場するのですが、ベトナムは SEA GAMESの強化として、U23を出場させたのです。 そんなSEA GAMESの歴史はと言うと・・・ 1958年5月22日、第3回アジア大会(東京)にて東南アジア数カ国が 参加した際、タイによって東南アジアにおけるスポーツ連盟の設立の提案 がなされました。 この時の組織名は、Southeast Asian Peninsular Games Federation、 頭文字をとってSEAP大会連盟です(Eは、SOUTH-EastのEです)。 (※ニュアンス的には、インドシナ半島連盟ですね、多分) この提案は、全ての東南アジア諸国によって受け入れられ、 以下の目的のもと、大会を運営するということが決定されました。 ・東南アジア地域すべての国家間の友好・理解・結束の強化 ・アジア大会および五輪での好成績記録のために、東南アジアの スポーツ戦術、技術、競技内容の質の向上への絶えまぬ援助 その後1959年、第1回SEAP GAMESが開催されます。 このときのメンバーは6カ国でした。 (ラオス、マレーシア、ビルマ、シンガポール、南ベトナム、タイ) SEAP GAMESと言う名前は、1975年まで使用されましたが、 1977年の第9回マレーシア大会からフィリピンとブルネイが参加し、 名前もSEA GAMESと改められました。 現在は東ティモールも加盟し、11ヶ国参加の大会となっています。 開催は2年に1度。五輪とアジア大会の間に行われます。 五輪はIOC、アジア大会はOCAが主催しているように、SEA GAMES の主催はSEASF(Southeast Asian Sports Federation, SEASF)。 本部はタイのバンコクです。 ちなみに東アジア大会は、東アジア競技大会連合(EAGA)が主催です。 本部は日本にあります。 サッカーに目を向けると、過去21大会中タイは10回の優勝をしており、 93年からは5連覇しています。次はビルマ(ミャンマー)の5回です。 2001年からは、目的である五輪やアジア大会に年齢制限が付いたのと 同様、U23の大会となりました。 今大会は、フィリピンとブルネイと東ティモールはサッカー競技に 参加せず、8チームの参加となります。 なんだ、地味そうだなー、と思うかもしれませんが、ところがどっこい これはこれで相当盛り上がるらしく、しかもサッカー・クレイジーさでは 東南アジアでもトップクラスのベトナムで行われますんで、恐らくベトナムが 勝ち進んだ日にゃ、日本の外務省からまたナントカ勧告とかでる・・ハズっす。 てなわけで、これで・・・ あんまし自信ないんで、なんか間違ってたら掲示板にチクって下さい。 ...
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