ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2005年06月30日(木)  雨の日に

久しぶりの、雨。
恵みの雨って気がする。
朝方、雨の降る音で目が覚めた。
しばらく雨の音に耳を傾けた。

朝、出社したら机の上に今日で退職される方からご挨拶の品が置いてあった。
手書きのカードを読みながら、こういう気遣いができるようにならないといけないなあ、と思う。
手間を惜しんではいけない。

2005年06月28日(火)  暑い話

口にするとますます意識してしまいそうなのでなるべく言わなかったけど、それでもやっぱり。
暑かった。

そんな日に限って外出なのが最近の私のスケジュール。

太陽にさらされた車の中はオーブンのよう。
日光にあたらなくても肌がこんがりと焼けそうにちりちりした。

紫陽花の花びらがかさかさに干からびている。

外で作業する人たちってすごいなあ、と尊敬。
空調に慣れきった体にはこの暑さはつらい。

日陰にあった温度計は33度でした。
うへぇ。

2005年06月27日(月)  日本という国はどんな国?

『先生、日本のこと教えて―教科書が教えない社会科授業』(服部 剛著・扶桑社)。
本屋に行ったらこんな本を見つけたので買ってみた。
まだ途中までしか読んでいないけれど、長く疑問に思っていたことに答えが出つつあると感じている。
本当に過去の日本は悪い国だったのか、どうか。

最近、韓国との関係が再び妙な方向に向かっている。
政治的にも韓国の人たちの心情的にも反日感情が再び高まっているように見えるのに、なぜ日本ではCMに韓国のタレントが起用されたり韓流ブームが続いているんだろう。
日本って不思議な国だな。と思ってCMを眺めている。
ニュースで韓国とうまくいってないのを見ると、多少は時代背景を知っていても、そこまで目の敵にされなきゃならないのかな、と私はさすがにあまりいい気分はしないんだけど、みんながみんなそう感じるわけではないということだ。
日本人の片想いは続く。切ないねぇ。

そもそも日本人って(自分も含めて)自分の国に対しての愛着(正しくは愛国心というんだろうけど、根本的な感情として)が希薄な気がする。
自分の国なのに他人事というか、よその国みたいに見てるところがある。
それに、日本人であることにコンプレックスのようなネガティブな感情をもっている。
日本より外国に憧れや魅力を感じる人の方が多い。日本のここがスゴイ、ということを胸を張って言う人って少ない。
オリンピックをはじめ、サッカーやバレーボールの国際試合が妙に盛り上がるのは、公然と日本人として一体感を感じられるのが楽しいからなのかも。

日本人は恥ずかしがり屋で謙虚だから、と言えばまあそうなんだけど、他の国の人たちみたいに「私は○○人です」と堂々としたところが足りなくてひどく遠慮がちなのは政治家だけじゃなくてきっと私たち自身がそうなんだろう、とサミットとかのニュース映像を見ると感じる。

意外と日本人は敗戦の影響を引きずっていると思う。
終戦後に教科書を黒塗りにした時に過去の歴史を全て否定して、敗戦国として外国に遠慮し続けたから、日本人であることに誇りを持てないでいる。
日の丸や「君が代」が問題になるたびに、中国や韓国で反日感情が高まるたびに、自分の国が悪い国のように感じてしまっている。
韓国や中国から日本の歴史の教科書に問題があるとがんがん言われてるけど、ある意味遠慮しすぎてるんじゃないかという気もしている。
歴史に関しては日本特有のオブラートに包んだ曖昧な表現なんかしないで事実を客観的に書けばいい。
その事実がいいのか悪いのかを判断するのはそれを読む生徒自身だ。
たぶん韓国や中国では「日本はこの国を占領した侵略者」ということを一貫して教育しているのだろうけど、日本ではもっといろんな面から、なぜ日本は韓国を併合したりアメリカを相手に戦争をしなくてはならなくなったのか、ということを(誰かの感情とか思想とか余計な主観は一切入れず、偏らず公平に)実際の資料を提示して事実だけを教えるべきだろう。
ただ単に申し訳ながっているだけじゃなくて、時代背景、当時の事情、理由も知って、場合によってはそのことを説明して自分を正当化することも必要ではないか。
そうじゃなきゃ日本人として国の為に頑張って死んでいった人たちに申し訳がないんじゃないかな。

2005年06月26日(日)  のんびり日曜日

踊りの会に際し、母がうちにやってきていろいろ手伝ってくれた。
どうもありがとうございます。
なんだか部屋が快適になりました♪(←いまだに最低な娘であった。)

母親は何につけありがたい存在。
便利に使っているといわれればそれまでだけど、今のところ私が何も考えずに遠慮なく甘えられるのはこの世で唯一母だけだ。
母が生きていて、親孝行しようと思えばできるということに感謝します。

それにしても、自分の扇風機を実家にあげちゃっていたことをまるで覚えてなかったのはヤバイ。かなり危険。
確かに使っていた扇風機が壊れない限り新しいものは買えない、とほしい扇風機をあきらめたことは覚えているんだけど。
やっぱりお医者さんに行かなきゃ……?

2005年06月25日(土)  夏の着物

踊りの浴衣会。
出来は、まあ、できるだけのことはやったっていうことで。
いつまでたってもあまり上達しません……。
はい。お稽古不足です。スミマセン。

夏の着物は結構好き。
着る時は汗をかいてしまうんだけど、着てしまうと意外と風通しが良くて涼しい。
本日は白地に蝶の柄の薄手の紬でした。
最近バタバタしててお稽古も洋服で行って浴衣に着替えて済ませてたんだけど、そろそろ落ち着いてきたから、着物でお出かけでもしようかな。
……ってどこへ?(笑)

2005年06月24日(金)  休息の金曜日

昨日の夜、帰りに行きつけの整体に電話をした。
「8時半頃からお願いできないでしょうか?」
「ダメじゃないよ」←中国人の先生なので少し日本語がおもしろい。
……そういうわけで、みっちり2時間半マッサージしてもらった。
この先生のすごいところは、何も言わなくても疲れているところや痛むところを念入りに治療してくれることだ。かなり効く。

これで大分この怒濤の一週間の疲れはとれたものの、いくら整体でもそんなに完璧に効くわけもなく、今日の午後は半休をとって帰ってきた。
明日は踊りの浴衣会で、必要な準備もあるし。と思ったんだけど、帰ってきたら昼食、その後昼寝、で終わってしまった。
相変わらずだらけきってます。

2005年06月23日(木)  ハードな裏方稼業

今回、自分が裏方をやってみて初めてわかった。
祖父の通夜と告別式にお手伝いで来てくれていた叔父の会社の人たち、祖母の葬式のために東京から佐賀まで駆けつけてきてくれた父の会社の人たちって、ホントに大変だったことだろう。
ちゃんと感謝したことなかった。今更、しかもこんなところで言ってもしょうがないけど、本当にありがとうございました。

うちの部署は10人に満たない小さな部署な上に、女性は私を含めて二人。
しかも今回、一人は休暇中という危機的状況だった。
そんな弱小部署に助っ人として役職付の最強メンバーを揃えてくれた人事と総務の人たちには感謝。やっぱプロだ。すごいです。随分楽をさせていただきました。

しかし、ちょっとだけここでこっそりキレさせてもらいましょう。
困った人は緊急時にも困った人だということがよくわかりました。
お通夜の時に何を着るべきかとか、香典の相場なんて、小娘の私より何十年もこの会社にいるあなたの方がよーく知ってるはずでしょ。
なんでどう見てもバタバタしている私にいちいち聞くんですか。
お昼ごはんを食べる時間も取れないでいるっつーのに。
人に知らせた方がいいって思うなら自分で知らせてあげればいいじゃないですか。
自分の頭で考えてやることやってください。
大体、雨の日に靴底のはがれた靴を履いてくるなんて、どういうことですか。ちゃんとそれくらい点検して会社に来てください。
そんな言い訳しないで一度家に帰りたいんなら普通に帰ってください。
人に腹を立てる自分もイヤなんですが、最近この種の怒りを感じているのは明らかに私だけじゃないのでそろそろ気付いてください。

……あー。ホントに言ってやりたい。
お留守番の男の子に、「これから〝引率〟して行ってきます」と出掛けに冗談で言ったら、「ホントにね」と気の毒そうにため息をついてました。
本当に気分は引率でした。

2005年06月22日(水)  No words to say

大切な人を失った人に言うべき言葉が何一つとして見つからない。
「ご愁傷様です」とか「お悔やみ申し上げます」とか、当たり前の言葉で済ませることは簡単だけれど、私にはその言葉を告げることに少し抵抗があって(自分がその言葉の意味を理解していると言い難く、正しく使えるという自信もない)、電話で「お疲れ様です」と言ってしまった。
気が利かないというか、語彙力が足りないというか。
自分でも呆れてしまう。
どんな言葉もチープで意味がない。
悲しみを抱える人を前に言葉は無力だ。

だけど唯一、海外からメールで届いたお悔やみの言葉でいいなと思ったものがあったので書きとめておく。
"Our hearts go out to his family."

亡くなった人を悼む空間が苦手ではない人はいないだろう。
大往生の高齢者の死であっても別れは悲しいものだけど、まだ学校を卒業していない子どものいる人の死は、痛ましい。
生きていれば続いていたはずの物語が途切れてしまったようで、亡くなった方がこの世に残した強い想いを感じてしまう。
笑顔の家族写真を見ると直接その人を知らなくてもぐっとくるので思わず目をそらした。
私にできることは一緒に泣くことではなくて、問題なくお手伝いを済ませることなんだろうと思ったから。

詳しいことは何も知らなくても、どれだけ頑張って生きながらえたのかだけはわかる。
やっぱりこんな風に、与えられた時間を燃え尽きるまで生き抜かなきゃいけないなと思う。
疲れたり悩んだりするとすぐに生きるってつらいって思ってしまうけれど、そんなのたいしたことない。ホントに。

2005年06月21日(火)  つひにゆく道とはかねて聞きしかど

人生って長いものではないな、とつくづく思う。

かぎりとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり
(「源氏物語」桐壺)

とどめおきて誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり
(「後拾遺集」哀傷/和泉式部)

つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとはおもはざりしを
(「古今和歌集」哀傷/在原業平)

あすしらぬわが身と思へど暮れぬまのけふは人こそかなしかりけれ
(「古今和歌集」哀傷/紀貫之)

2005年06月20日(月)  父と私(後編)

さて、昨日の電話には続きがあった。

「ところで今日は父の日だな」
自分で言うのか。
呆れはするが、自分で言わせるほどこちらから何も言わなかったという罪悪感がないでもなかったので、
「何もしてなくてすみません」
としおらしく謝っておく。
「いや、それはいいんだけど」と言う父だが、何も期待なくしてそんなことを話題にするはずがない。

今日、母に電話をした。
(データのバックアップが本当に必要ないか確認のため。父の信用度が相変わらず低い。笑)
母によると、昨日の夜、父は弟から電話があったことに満足してから就寝したらしい。
弟は私と違って意外と律儀でこういうイベントを忘れないマメな男である。
偉い。
(販売職なので通常の会社員と休日カレンダーや働く時間帯が違って、普段連絡がほとんどつかない。特に両親とは生活時間帯がまるで合わない。そういう意味でも珍しく、偉いと思う)

別に父の日でなくても、旅行のおみやげとか買い物に行った時に見つけたものとか誕生日に贈り物贈呈をすることはあるので、あえて父の日だからって特別なことをすることもないか、そもそも日本古来の制度でもないし、と独断でイベントを無視していた。
でも、結構楽しみにしてたのかな、と思うとちょっとかわいいし、気の毒でもあるので、次に会う時までに日頃の感謝もこめて何か考えておきます。

2005年06月19日(日)  父と私(前編)

珍しく父から電話があった。
うちは父娘の会話というものがほとんど成り立たない。
お互いに自分にとって何か利益がない限り話題がないという非情な関係である。
私が家に電話する時の90%は母に話があってかけるので、大抵の場合、父は取り次ぎ役に徹する。
逆に父が電話をしてくるのは何か私に頼みごとがある時に限定される。

実家のノートパソコンがついにおかしくなり業者に見てもらったら、リカバリーをかけるしかない、と言われたそうだ。
このパソコンは、父が会社の偉い方の奥さんが飽きていらなくなったものをもらってきたもので、WinXP主流の時期に入ってから(たしか2年くらい前)入手したのにOSはWin2000で、なんだか最初から動作が遅かった。
(だから最初から投資を渋るとろくなことにならないと言ってるのに。ぶつぶつ。)
母が頻繁に「フリーズドライ」と言ってSOSの電話をかけてくるので、次に行った時にちょっと見ておくか、と思ってはいたが、間に合わなかったようだ。

父の用件は、リカバリーをかけると中のデータが全て無くなってしまうらしいが、年賀状の宛名に使う住所録のデータが無くなるのは困るのでどうしようか、という相談だった。
私のPCを探してみると、年賀状のデータが見つかった。
元々私が作ってここで印刷したので、家のPCに入っていたのはバックアップにすぎなかった。
そう説明すると、父はほっとした様子だった。
ただし、母の仕事のデータはそのノートPCにしかないはずなので、それはバックアップ必要じゃないの、と言うと、ああ、そうだな、とほとんどどうでもいい感じで父はうなずいた。
結局自分のデータさえ無事ならいいのか。と呆れる。

まったく関係のないことながら、緊急時は父を頼ってはならぬと改めて自覚した。(笑)
夜中に地震が発生すると子ども部屋に駆けつける母と一人でドアに向かう父。
子どもの頃の記憶と変わらぬ父の本性を見た。

家ではそのように信頼性のあまりない父だが、
自分が社会に出て働くようになって、父と同世代の方々を見るにつけ、社会人の先輩としては尊敬している。
一つの会社でずっと働き続けることは私にはできなかったことだし、自分の仕事に誇りをもって働いているなと感じる。
ずっと営業畑にいるので、たまには嫌な客だっているだろうけど、仕事の愚痴を家で言ったことはないし、毎日毎日同じ時間に早くから会社に行って時には寛大に人に奢って飲んだりして帰ってくる(カードの支払い金額のことで母はキレるけど)。
そうやってずっと働いてきたのは、仕事が好きということの他に、やっぱり私たち家族を背負っているから、ということもあったんだな、と今更わかった。
学生の時までは家での父しか知らなかったので、父の偉さやありがたみはわからなかった。
やっぱり自分で働いてみないとわからない。
口の悪い娘ですが、今まで育ててもらって、学校も行かせてもらって、感謝してます。

2005年06月17日(金)  ショート寸前

こういう分け方を嫌う人もいると思うけど、あえて分けると、世の中には文系の人と理系の人がいる。
そういう分類だと、私は完全に文系だ。
最も理数系から遠い人間。
本当に数字には疎いし、計算が苦手でよく間違える。

ですが、仕事ではそうも言ってられません。
ここ二週間ほど、いろいろな計算をやり続けていて、かなり脳みそ使っています。
PCにも無茶をさせすぎたらしく(他の人に言わせると、私のPCの使い方はかなりやりすぎらしい。重いファイルをいくつか開いて一つ命令を実行してそのアプリケーションが考え込んでいる隙に、同時進行で他の資料を編集する。そういうとこは妙に気が短い)、このところ「致命的なエラー」から立ち直らせることが多い上に、たまにキュルキュル怪しげな悲鳴をあげる。
こんな風にいくら頑張っても薄っぺらな資料しか作れないのがなんだか悲しい。
ひねりが足りない。
今日は同じ部署の男性に、%をPPMの単位に変える計算方法を懇切丁寧に教えていただきました。
算数能力が小中学生レベルでご迷惑をおかけします……。

特に理数系の問題に関しては、私は知識とか知能より、勘に頼ってきた。
学生の時の数学のテストで、考えて書いた解答より、勘で書いた解答の方が正解している数が多かったので、「考えるより適当に書いた方がいいらしい」と思ったのがそのまま続いてしまった。
考えてみれば、我ながらすごいと思う。
これだけ拠り所のない勘を使って生き残ってきたのは通常あまりないことだろう。
今抱えているこの案件にはこれが限界、とさすがに今日は見切りをつけた。
もうちょっと数学のわかる人間だったらなあ。
勉強しなかったツケが10年以上も経って返ってきた。

2005年06月16日(木)  最後のランチタイム

オフィスの近くのお店が、建物の老朽化のために閉店することになった。
自分ひとり、あるいは女の子と二人ではなかなか入らないような、おじさんが一人でやっているカウンターだけの小さなお店だ。
同じ部署のおじさんに連れていってもらったのがきっかけで、ランチタイムにたまに行くようになった。

お昼の定食は、魚とゴハンと味噌汁、というシンプルな組合せ。
焼き魚は脂がのっていて、ゴハンはどかんと山盛りで(昆布や小魚などのおかず付)、味噌汁も大きなお椀になみなみ。それにプラスして、ポテトサラダやマグロの切り身とか漬物とか鯨の竜田揚げとか、その時の気分によっていろいろとおまけしてくれる。
元々どこかの料亭か何かの料理長をしていた人だったらしく、味はとてもよい。魚も変わったものがあったり、いつも新鮮でおいしい。
量が多いので毎日は行けなくて、お腹がペコペコの時だけだったけど、行くとお店のおじさんが嬉しそうに妙な冗談を言ったり大げさな軽口を叩いたりして迎えてくれた。

今日は、最後のランチタイム。
いつもの通りおまけにおかずをもらいました。
いっぱい食べました。
今まで栄養たっぷりありがとうございました。
ごちそうさまでした。

2005年06月14日(火)  ピンキーと六本木ヒルズ

「ピンキー」が密かなマイブーム。
>>PINKY

中身が全部ハート型だった箱を買ったお隣の男の子が「奇跡のピンキー」と呼んで、みんなに「すごいでしょ」と見せるのだが、他の部署の人たちの反応はイマイチ冷ややかで、それが非常に不満そうだ。
(通常はただの丸型。ハート型の混入は1箱に1つか2つ程度の割合)

以前ははまってた私もしばらく買っていなかったのに、買いだめしているお隣さんから1箱もらったのをきっかけに、ことあるごとにカリカリ食べている。

そもそもなぜこういうものにはまるのか考えてみたところ、煙草を吸わないからだと気付いた。
デスクでPCに向かっていて、いろいろとイライラしたり考えに行き詰ったりする時、煙草を吸う人たちは気分転換に煙草部屋に立っていくのだけど、吸わない人間にはトイレに行く以外に気分転換の方法がない。
煙草の代わりに、こういう小さなものを口に放って齧ったり、飴を舐めることで気分を落ち着けようとしているんだろう。

煙草が吸えたらこんな時吸うんだけどなあ、と思う時には、ピンキーをつまんだり、六本木ヒルズでも眺めに休憩室に行くことにします。

2005年06月13日(月)  眠い理由

実は昨日の夜、オンデマンドのゲームで「天下統一」にはまってしまい、無駄に夜更かししてしまった。眠い。

最近ゲームなんかやってなかった。
プレステなどは私にとって生活破壊マシーンになること間違いなしなので手を出さずにいたわけだが(一時人から中古品をもらって壊れるまでの短い間はまったことはある)、ついにやってしまった。
それなりに節度をもって付き合おう、と心に誓う。

さて、「天下統一」はその名の通り戦国時代の天下取りのゲーム。
自分の操るキャラクターとして好きな武将を選べるので、ものすごく普通に織田信長を選んでみた。
鉄砲の購入やら城のお手入れやらで何かとポイントとお金が必要なのだが、実生活と同じく毎回使いすぎて貧乏である。
貧しくて戦ができないので領民から特別税を徴収すると、そのうち一揆が起こって、いつの間にか城が占拠されている。
尾張の国の統一にかまけて国境の守りが疎かになると今川義元が攻めてきて城をどんどん取られる。
非常によくできたゲームだ。

戦ではたくさんの人を死なせてしまった。(←セーブして何度かやり直している)
戦でお役立ちキャラの柴田勝家を予期せぬところでころっと死なせてしまった時も「ここで死んでは歴史が変わってしまう」と思ったものだが、ついに大将の信長が死んだ時には驚いた。
ゲームオーバーか。と思いきや、弟の信行が跡を継いでゲームは何事なかったように続いていく。
(歴史上では、信行は信長に対して謀反を企てた結果、暗殺されているハズ)
重要人物であっても、誰であっても、人が死んでも時間は確実に流れていくんだなあ、などと深いことを考えてしまった。
たかがゲーム、なんだけどさ。

2005年06月12日(日)  王道を目指す?

もう随分時間経ってしまったけど、先日のサッカー。
大喜びした後、素人は素人なりに好き勝手批評を言ってみたりするわけです。
サッカー選手の方々、ごめんなさい。
オフサイドもよくわからない素人のタワゴトなんでお許しください。

「いつも思うけど、やっぱり日本は後半なんとなくスタミナが足りない感じするね」
「そうそう。後半スピードが落ちるのがもどかしい」
「北朝鮮とか韓国は後半強いよね。スタミナがある」
「やっぱキムチ食ってるからな」
「うんうん」
そこへやってきたAさん。
「そうそう。だから結婚相手はキムチに限るぞ」

……いきなり下ネタですか。
がっかりです。妙なオチになっちゃったじゃないですか。
さ、仕事、仕事。


ところで。
下ネタにしても、ギャグにしても、以前は結構反応のよかった私。
今にして思えばかなり新鮮な反応を示していたと思う。
下ネタなら裏の意味に気付くのが遅かったりして、「ん?」と考え込んだり、ギャグなんかは「そこで笑うから調子に乗るんだよ」と周囲に抑制されるくらい、かなりくだらないものや定番のものでウケていた。
(ギャグそのものより、その人がそういうことを言う自体がおもしろかった)

それがいまやホントにつまらないものは黙殺するようになった。
本当は気付いているのに何事もなかったことにしてしまう。
自分でも冷たいというより冷酷だなと思う時もあります。
そこが20代と30代の違うところか。

もうちょっと進むと「笑ってあげる」という最高等テクニックにレベルアップするんだろうけど、さすがに今はまだ無理。
それをするにはある程度の年齢と風格と人生経験が必要です。
私レベルの者があえてそれをやると、ただの嫌味にしかなりません。

いつかそうなる自分を想像すると我ながらかなりコワイ。

2005年06月11日(土)  今週の懺悔

やっぱり人間、休息と余裕が必要です。
このところ根詰めて仕事したので、もやもやしたストレスみたいなものが思い切り顔と態度に出てたと思う。

今週はあるデータベースを使って資料を作ろうとしていた。
数字が間違っていたり意味のない情報になってはいけないので、どっぷり漬かって考え込めるまとまった時間が必要なのに、日中は電話や会議があったり、話かけられたりでなかなかそうもいかない。
しかも重いファイルを動かしているとPCの計算時間もやたらと長くかかって、作業自体も遅々として進まない。
早朝出勤できるほど頑張れない。
そんなわけでどうしても残業時間の方が集中して取り組めて都合がよかった。
いろいろ組合せを考え続けていたので頭もくたびれていて、それでいながらもある意味個人的におもしろくはあったので、「これとこれを結びつけたらこうかな」とか別のことをしていてもひらめいて更に考え込んだりしていた。

……というのは言い訳でしかないですね。はい。反省します。

告白します。
今週は思ってることを隠すことに成功していたとは言えません。
以前何度か教えた同じことをまた聞かれた時には「いい加減覚えてください」とキレ気味だったのはとりあえずバレバレだったと思います。
いつもなら一応(?)快く応じていたグラフの作り方の相談にも、「わざわざ違うフロアに来なくても他に誰か知ってるだろう」と面倒に思ったまんま、ぞんざいな口調で応じていたと思います。

とりあえず問題も解決したことなので、来週からはもっと余裕をもって優雅にいこうと思います。

でもちょっぴり、愚痴も。
技能給とかもらえるわけでも、履歴書にも書けるわけでもないPCの小技って、なんかカナシイ……。
たしかに自分の作業は楽にできるかもしれないけど、かえって質問で仕事を中断されるだけで近頃あまりメリットを感じません。
なんかこれで残業時間が延びてるように思うのは気のせいですか。
……まあ、そんなこと言っても仕方ないか。愚痴もこれでやめ。

2005年06月10日(金)  ボーナス三度。

今日はボーナスの日でした。
(お金ないくせに忘れてました)

その日が来るとちゃんと決まった金額がもらえる会社にいても尚、いまだに「もらえてラッキー」と思ってしまう私。
そそくさと明細を見て、「お。こんなにもらえるもんか」と表情を変えずに腹の中でほくそえむ。(←めっちゃイヤらしい)
同じ部署の女の子によると、段々下がっている、らしい。
彼女は「もしかしたら今の部署で評価してもらえていないのかもしれない」と落ち込み気味に考えている様子だったけど、会社の業績が下がる一方なのに個人のボーナスが上がるはずもない。よっぽど貢献したら弾んでくれるかもしれないけど。
やっぱり最初にいい目を見ちゃうといつでもそれより上のレベルを期待しちゃうから、それはそれでつらいのかも。
彼女には「今回はボーナスを出します」と言うので喜んでみれば、世の中のお子様のお年玉より少ない寸志をボーナスと称して押し頂いてくるような会社もあるということ、きっと想像もつかないだろうなあ。

今月の預金通帳には既に(まだ月初だというのに)マイナスの▲がついていたので、その▲が消えるというだけで私は満足です。
ボーナスを当てにしてカード使っていたっていうのが、段々ボーナスに慣れてきたということなのか。
(誉められたもんじゃないな……。)
でもさすがに「ボーナス払い」をする勇気はまだない。

今年は海外旅行に行くので、なるべく浪費は控えないと。

2005年06月09日(木)  好物は残業

最近、よその部署から異動してきた方の話。

現場でしか仕事したことがなく、PC操作はほとんどダメと聞いていた。
うちの部署の人たちはみんなかなりPCを使いこなしているのだが、現場出身ならある程度は仕方ないかと思っていたが。

それにしても、度が過ぎていた。
たった10行の業務報告を作るのに(しかもテキストファイル!)3時間かかったので、「次からは手書きでいいです」と告げた。

上司は「なんでうちの部署に来たんだろう?」と不思議がっていたそうだ。
真相は他の部署の人から聞いた。
その方はうちの会社の残業時間記録をもっている人で(用もないのに残業するのが好き)、人件費がかかってしょうがないと困っていたところへ、うちの上司が「人が足りないので誰かください」と言ったもんだから、「はいはい、どうぞ」となったらしい。

全員が残業続きのうちの部署は彼にとってはどうも天国らしい。
一つのルーティンワークしか仕事を与えていないのに、なぜ残業できるのか不思議でしょうがない。
「何かやることありますか」と聞かれることも一切ない。
一日一体何をして時間をつぶしているんだろう?
先日は旧知の誰かに電話をして、「現場みたいに歩かないから運動不足だよ」と大声で言っていたものだから、うちの部署のみんなは思わず吹き出してしまった。
つーか、何やってるんですか?
なんで他の人より遅くまで残ってるんですか。

今週は出張に行っている。
一体どんな成果を報告するんだろう……。
こわいような楽しみなような。

「この表の修正、森崎さん忙しそうだから、あの人に頼もうか」と相談をもちかけられたので、「無理、だと思います」と即答した。
そんなものやらせたらきっと徹夜に土日出勤です。

2005年06月08日(水)  人間重要文化財

世の中いろんな人がいるもんだなあー、とつくづく思う。

会社全体で取り組んでいくのに協力してほしい、という内容の打合せだった。
けれど相手は、人の話をはなから聞かず、仕事を押し付けようったってそうはいかない、という態度。
その道のプロに向かって、「○○とはこういうものだ」とご丁寧な指導。
あんな上司の下で働く人は大変。
いちいちフォローしてくれる部長さんが気の毒に見えて仕方がなかった。
会議が終わるまで私は一言も口をきかなかった。
私なんかが口きいたらどんだけ沸騰するかわかりません。

上司も隣の部長さんも大人なのでその場では押さえてたけど、打合せの後はぶちまけちゃってた。
いくらなんでもあれでは誰でもキレる。

この会社に今時あんな人がいるなんて思わなかった。
しかも役員だし。

直接的な被害を受けていない私なんかはちょっとおもしろがってたりしたけど。
こんなおいしいサンプルは近頃滅多にない。
本日、人間重要文化財、と命名。

2005年06月05日(日)  カラスはなぜ鳴くのか

ただ今、午前1時です。
なんだってこんな時間にカラスが騒いでるのかな?
最近地震が続いてるし、なんとなくやな感じ。
カラスって頭いいんだよね。
誰か何しゃべってるか翻訳してください。
何事も起こりませんように。

2005年06月04日(土)  COOL BIZと環境

先日見た国会中継、COOL BIZ初日で、ノーネクタイの軽装の方がたくさんいらっしゃいました。
でも……。なんかだらけて見える。
やっぱり国会の審議くらいはスーツにネクタイでやってほしいなあ、と思うのは頭が固いっていうか、地球に厳しいのか。
私もCOOL BIZでなくても相当軽装で仕事してるから、そんなこと言う資格はまったくないんだけどさ。
冷房をむやみにきかせるのをやめるという方向は私も賛成。
ある程度の暑さは甘んじて受け入れて、夏を感じるのも悪くない。
暑い中涼しい顔してきっちりスーツ着ていられる人をあの中に発見したら、それだけで選挙の時に票を入れてしまうかも?

今日の夕方は雷に土砂降り。
なんか日本もだんだん熱帯っぽい気候になってきた気がする。
子どもの頃と微妙に違うと思うんだ。
気温も湿度も天気も。
冬はもっと寒かったし、夏の暑さは耐えられないほどひどくはなかった。
そのうち紫外線が強くなりすぎて、子どもたちが夏休みに真っ黒に焼けるまで外で遊ぶこともなくなるんだろうか。
子どもの頃には信じられなかった「飲料水をお金を出して買うこと」が当たり前になってしまったように。

2005年06月03日(金)  The truth I haven't known yet

この世で一番大切な人を失っていく感覚を、この先何度か味わう時が来るだろう。
今はまだ本当にその問題に直面したことの無い私が想像するその感覚は、砂のように体の一部が崩れていくような感じだ。
だけど現実はきっともっとリアルで、どんなに勇気のある人でも逃げ出したくなるほどのただの苦しみでしかないだろう。
そして逆に全てを置いて暗闇に吸い込まれていく立場だったら、どれだけ心細く、悔しいだろう。
人間はどんな苦しみにも耐えられるようにできているんだろうか。


清水寺に籠もって願をかけている時に、わざわざ御使いの者をよこしていただいたお手紙。
唐の国の赤っぽい紙に、草書で、
「山近き入相の鐘の声ごとに恋ふる心の数は知るらむ
(山の方の日没の鐘の音を聞くたびに何度あなたを恋しく想っていることか知っているくせに)
随分長居しているのね」
と書かせていらっしゃる。
失礼にあたらないようなよい紙も持ち合わせていない旅行だったので、紫の蓮の花びらに返事を書いてお送りした。
(「枕草子」"清水に籠りたりしに")

夜もすがら契りしことを忘れずば恋ひん涙の色ぞゆかしき
しる人もなき別路に今はとてこころぼそくも急ぎたつかな
烟とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれとながめよ
(三條西家本「栄華物語」上巻・岩波文庫)

2005年06月02日(木)  長言するまらうと

夕方になってやってきた客はとんでもなく話が長くて、しかも私たち下っ端がどれだけ真剣に話し合ったところで答えが出るはずも無い話を議論したがった。
言いたいことはわかる。ジレンマはわかる。
でも私たちじゃどうしようもない。何の権限もない。
だからこっちだって困ってるのに。

今夜は飲み会がある予定で、同席した私以外の二人も参加することになっていた。
「……それで、何が言いたいの?」
大先輩である方がついにイライラして言った。
ブラボー。心で拍手。
残り10分。
「飲み会があるなら言ってくださいよ。じゃ、確認だけさせてください」
話の内容の確認をして、よし、終わり、と思ったら。
「すみません、電話貸してください。内容を報告しないといけないので」
大先輩退場。
……その後が長かった……。
電話なんか外でしろー!

結局一時間遅刻だった。
おかげ様で明日は朝早く出社しなきゃ仕事が終わらないっつうの。



 イヤなもの
急ぎの用事のある時に来て、長話する客。
気を遣うこともない相手なら「また今度」とでも言って帰してしまうこともできるけれど、相手がお偉い方なんかだと、ひどく腹立たしく、厄介だ。
  「枕草子」"にくきもの" より

2005年06月01日(水)  スイッチ

上司の奥さんの病状は相当悪いらしい。
上司が突然休んだり早く帰宅しても、同じ部署の中では暗黙の了解で理由や様子を訊いたりしない。
昨日は手術の付添いのためお休みをして、今日は午後から出社だった。
顔を見てすぐに一睡もしてないとわかっても、ただ仕事の話だけをする。
上司もやるべきことをしっかりこなし、モチベーションが下がっている様子はない。
それどころか、病院で見たものからヒントを得て新しいアイディアを提案したりしている。

プライベートとビジネスをきっちり分けてそれぞれの時間の中で専念するってすごいことだなと思う。
私は、普段はオフィスの扉で気持ちの切り替えをするけれど、プライベートでもビジネスでも、何かショックなことがあるとそれだけで四六時中頭の中がいっぱいになる。
考えたいことがあると仕事中もそのことが割り込んでくることがある。
境界が曖昧になる。

私もそんな風に、かっちり分けて考えられるようになれるんだろうか。
ならなきゃいけないんだろうか。


My追加

mail    home    bbs

Design by shie*DeliEro