ビー玉日記
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2004年11月30日(火)  11月まとめ書き

まる1ヵ月日記をさぼってしまった。
この間何があったかというと。

12日、踊りのおさらい会。
12日まではひたすらその準備と休むための業務調整。
その後、やや風邪でだらだらする。(緊張感が抜ければただの抜け殻)
だらだらしながらもスケジュールは過密。(15-16日、出張。19日、午前中外で客応対、午後海外の来客応対。)
その翌週、それまでのツケを払うよう上司に鞭打たれ泣く泣く働く。
29日御前会議で報告。
本日業務報告提出。

怒涛の11月。
仕事漬けにしてもヒドイ。もう腹一杯です。

追い討ちをかけるように管理担当システムの原因不明のエラーとそのクレームに悩まされるし。
なんですか。「予期しないエラーが発生しました」って……。(;_;)
頼むから予期してください。

そして。仕事頼まれた人は、自分の判断で適当に処理していいです。何か変なことやっちゃったらカバーするから。
周りの人も。Excelの使い方なんか本を読むなりWebで調べるなりしましょう。ヘルプデスクじゃないんだから。


まあ、そんな日々の中でも一応お休みにはのんびりできた。
例えば。

21日は、母と上野の美術館でやっている「日展」の展示を見に行った。
母の知人に書の先生がいてチケットをくれるので毎年恒例。
絵は、日本画と洋画と別のスペースになっている。
日本画だったら日本画らしい特徴をもっと押し出したらおもしろいのに、どっちも似たような感じなのがイマイチ物足りない。だからってどうしたらいいのかなんてわかんないけど。(素人の戯言)
色調が暗いものが多かったような印象を受けたのは、やっぱり不景気だからか。
賞をもらってるのは「ああー、なるほどなぁー」っていう感じで納得する。
なんかやっぱり他と違うキラリっていうのがある。
書道の方も見たんだけど、絵を見た後で疲れてしまって、最初の方の部屋の作品とチケットをくれた先生のものだけ見て出てきてしまった。
その後は、美術館裏の和菓子屋でお茶して、ずーっと不忍池の方に向かって歩いて、途中にあった森鴎外の住居跡のあるホテルでゴハンを食べて、更に歩いて旧岩崎庭園に行ってみた。
なかなかのんびりできてよかった。
たまにはこんな散策も楽しい。


とりあえずまとめ書き。

2004年11月02日(火)  これが私の生きる道

カレンダーをめくれば、残りあと1枚。

「忘年会早めにやろう。連絡待つ」
と元・隣の部長が訪れて大声で騒いでいた。

今年ももうあとわずか。
2004年、ってどんな年だったんだろう。
とりたてて心に刻むべき出来事もないまま、また1年が過ぎようとしている。

外の世界では、戦争とか、地震とか、殺人とか、大きなこともあったけれど、個人的には何もないな。
それはそれで幸福なことか。

上司と面談をして、上期のレビューと目標の確認をした。
やっぱり聞かれた。
「やりたいこと、なりたいものがあるなら言って」
ありがたいこと。ありがたくも、考えたくないこと。
そしておそらく本当は考えておかなくてはいけないこと。

進路指導は、昔から苦手だ。
もうすぐ30になろうという人間にも、進路はあるのだ。
ああ、何も考えずぼんやりと生きていたいなあ、なんていうのはただの怠惰なんだろうな。

中学の時は、教師の道を提案した担任に「教師だけはイヤです」と断言。
(母が教師だから、裏側を知りすぎていた)
受験勉強も好きな科目だけやって、結果的に運よくひっかかったところに決まった。
高校の時は、受験する大学と学科さえ決めていればよかった。
それも受験日の都合と自分のレベルとあいまいな好みで選んだだけ。
キャンパスを下見することすらなく、実際に行くことになってからあまりにも遠い田舎だとわかって驚いたくらいだ。
就職活動は、気合を入れたのは最初の数ヶ月だけで、惨敗続きで疲れたところで拾われた小企業に決めてしまった。
(早く決めて、卒論に早く手をつけて、残りの学生生活を遊んで暮らしたかった)
入ってみたら所属していたサークルより規模の小さな組織で、ボーナスももらえればラッキー程度で、給料につりあわない労働時間にくたびれて退職金のためにきっかり3年半働いて辞めた。

こうやって書いてみたら改めて気付くけど、なんつー適当な生き方。
何もないな。
感謝すべきは、こんな私に投資してくれた両親だ。
今となっては高校にも大学にも(選択にあたっては口を挟むこともなく)行かせてもらったのに申し訳ないくらいひどい娘である。
親としては「ああなってほしい」「こうなってほしい」「これをするからにはきっとこうなるだろう」とそれなりに期待をしていたと思うのだが。

自分で自分を誉めてやってもいいかなと思うのは、これだけ流されるように生きていても、目の前にあった仕事だけは一生懸命できるだけのことをやってきたことだ。
でも、それだけ。
それは何かの糧にはなるだろうけど、生きる道を決めるような決定的なものではない。

ある本では、人間の転機は35歳頃訪れる、とあった。
あと約5年の間に、決定的な何かをつかむことができるんだろうか。
……うーん。まあ少しは、努力します。

2004年11月01日(月)  新札さん、いらっしゃい

昼前に来客があって、一人遅くお昼休みをとった。
サンドイッチを買いに行くついでに銀行にお金をおろしに行ったら、両替機が異常な行列を作っていた。
月初だからか、と勝手に納得しつつ、引出のみ優先の列に並んでお金を引き出した。

手続きが完了して口を開けた機械の中に用意された現金の色がおかしい。
一瞬手に取るのをためらった。
(朝、会社の自動販売機でおつりの小銭の中にアメリカの1セント硬貨が混ざっていた、ということがあったので、何か違うものが紛れ込んでいるのかとも)
頭をひねりつつ手を伸ばした時、目の前にある張り紙にはっと気がついた。
「本日1時から新札入れ替えのため、しばらく機械を停止いたします」

あ、今日は新しいお札のデビューの日だったんだ!
しかも入れ替えたばっかり。

いやー、得したなあ。(?)
私はすっかり嬉しくなって、ほとんどスキップで会社に戻り、みんなに「新しいお札、仕入れちゃいましたよー」と見せびらかした。(まったくコドモ)

今日ゲットしたのは、新・福沢諭吉と野口英世。
色味がなんか今までと違う。
赤系が目立つのか、微妙に安っぽさを感じてしまうのは見慣れないからなのでしょう。
野口英世の肌のすべすべ感と妙に若づくりに違和感を感じたりもするけれど、こんな風にお金をまじまじと見てみるのもこんな時ばかりだ。
驚いたのは裏側で、今までのお札では左右にちゃんと絵があったのに、新札では右側には絵がない。

ちょっとした新札品評会の様子。
「あ。鳥が一羽いない」
「ホントだ」
「偽札じゃないの?」
「これは偽札だからぼくがもらっとく」
「じゃおれ、野口英世でいいや」
「ダメですよォー」

そういえば2千円札が出たばかりでまだ珍しかった頃、お豆腐屋さんで2千円札を出したら、お店のおばさんが裏表確認したり透かして見たりするもんだからビックリしたことがあったなぁ……。


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