うさぎ日記 DiaryINDEX|past|will
![]() 「自分で自分を褒めてあげたい。」と、言ったかたがおられたけれど、 何事にも頑張っているというところからは程遠い私は、とうてい自分を褒めることも、自分に御褒美をあげることもできない。 そういう私のような人間は、それでも自分で自分を甘やかしたいので、 「辛い思いをしているからいいよね。」と、辛い思いを免罪符にして自分を甘やかすのです。 頑張れば、努力すれば、しないで済む辛い思いなのかもしれないのにね。 移動の新幹線でグリーン車に乗る。 普通車との差額は2000円程度。 車内に乗客は殆どおらず、乗務員はおしぼりを持ってきてくれるし、ゴミは恭しくかたずけてくれる。 気のせいかもしれないけれど、乗務員の態度も普通車よりは慇懃な物腰に感じる。 車内で販売されている雑誌も、表紙にははじめから 「御自由にお持ち帰りください。」と印刷されている。 人の気配を感じない静かな車中でゆっくりとコーヒーを飲む。 40分間の贅沢。 さあ。充分自分を甘やかしたので、また、荷物を運びましょう。 御意見ご感想はこちらへどうぞ
![]() 気分転換にソファーを買い変えてみた。 スツールとセンターテーブルも購入。 新しい家具の匂いは、心をワクワクさせる。 母は川上さん(仮名)の電話にも一分も意識を集中させておけなくなったようだ。 渡されて耳に当てた受話器をすぐに放りだすようになった。 放りだされた受話器からは、川上さんの大きな声の話が続いている。 あわてて、受話器を拾って、母の耳に当てると、「ありがとうね。」「ありがとうね。」「ハイわかりました。ありがとうね!」 と、母の声にだんだん怒りが含まれて行く。 母は、もう電話を終わりにしたいのだ。 おそらく川上さんが話している話の内容はもう理解できないのだろう。 しかし、そんな母の声の変化に気がついているのかいないのか、川上さんの話は延々と続く。 しまいに、受話器を私が持っているので、放りだせない母は、椅子から立ちあがって歩きだそうとする。 で、 「川上さん、今日もありがとうございます。ごめんなさいね。 母はもう意識を電話に集中できなくなったようなんですよ。」 と、告げると 「じゃ、またかけるわ。」 と電話が切れた。 このかたも、「あなたが迷惑なら電話をやめる。」と、私に言われるけれど、 母の状態がどうなのかを私に尋ねてくださることは一切無い。 たぶん、御自分がこうであろうと思う母と御話をされて、満足されているのでしょう。 電話に出るなり「川さんかねー。」と明るく応えていた母も、このところ、「川上さんから電話よ。」と手渡しても表情に変化が無くなった。 もう川上さんのことも忘れてしまったのかもしれない。 御意見ご感想はこちらへどうぞ
![]() 夏も終わり。来年の夏はどうなっているのだろう・・・。 民生委員のかたが来られて、 「災害時、一人では避難の困難なかたの登録をしています。」 と、言われた。 「あ!ウチ居ます。母が要介護4ですから、一人では避難できません。」 「ええとぉ〜。では登録されますか?」 「登録、お願いしたいです。」 「そう、、、、ですか。。」 と、何やら歯切れが悪い。 どこに避難が困難な者がいるかを行政が把握するための調査じゃないの? と、訝しく思っていると。 「登録するとなると、御近所で避難時に支援して頂く方を探してそのかたと御契約ということになりまして・・・。」 ああ、そういうことなのか。 と、眼の前の民生委員のかたの歯切れの悪さが納得できた。 「そういうことなんですね。じゃ、私がなんとかしますので登録はやめます。」 と、ニッコリすると、民生委員のかたもぱっと明るい笑顔になり 「じゃ、御家族で避難はさせるから、登録はしないということですね。」 と、帰って行かれた。 政府、行政や識者は「介護に御近所力の活用を」と盛んに言うが、イザ災害時となれば、健康で一人で歩ける自分の家族さえ助けることが困難なのに、まして他所の家の一人で歩く事さえままならない者まで責任を持って助ける余力など無いでしょうに。 とはいえ、母を私ひとりで避難させることを想像すると、暗澹たる気持ちになる。 ま、いっか。 周囲に高い建物が無い我が家の駐車場は当地の災害マップでは知らない間に災害時の一時避難場所に指定されている。 御意見ご感想はこちらへどうぞ
![]() 足かけ三年、毎週決まった日に母に電話をくださるかたがいる。 いつも電話に出るなり、私の挨拶をさえぎって 「お母さんに変わって!」と、言われるかたが、先日珍しく、 「お母さんではなく、あなたに話がある。」 と、言われる。 そのかた「考えたんだけど、お母さんもこれからはだんだん足も弱って、電話のところまで歩いてこれなくなると思うのよね。 あなたのところの家の中の様子は知っていけど、お母さんの居られるところからから電話の置いてあるところまでは遠いでしょう。 あそこから電話まで歩くのは大変でしょう? これからお母さんの足も弱って、電話に出て転んだりされるといけないので、私も考えたのですけど・・・」 (だから電話はもう止めるという話なのかと聞いていたら) 「私も考えたのですけれど、世の中には、子器付き電話というものがあるから、あれを買われたら良いと思って・・・。 私もね、電話の向こうから聞こえて来るコツコツという杖の音を聞くと、ああ、お元気でいられる。と思っていたんで・・・。 それが聞こえなくなるということはあるけれど・・・。 いえ、ね。あなたが私からの電話は迷惑だというのなら、もうやめるけど、これからも、ということなら、どう?」 と、いうことで近くの大型家電店で新しく電話器を買った。 早速、愛の電話がかかって来た。 が、母は差し出された受話器をもう電話するものだと認識できずテーブルに置いて弄び出した。 あわてて取り上げて 私「もしもし、電話器が変わったら、もう電話だって解らないみたいなんですよ。」 相手「え!(息を呑む気配)そんなことー?!」 私「もう一度やってみますね。」 私は、あらためて「川上さん(仮名)から電話だよー。」と今度は受話器を母に渡さずに、母の耳に当てた。 受話器から聞こえる声に反応して、時折頷くものの、母の口から声はでない。 一方的に、川上さんが話す声が受話器から漏れて来る。 そのうち、母が「ありがとうね。」と、言った。 それをきっかけに川上さんは電話を切ったらしく、受話器からはツーツーという信号音が漏れ出した。 母が認知症になって以来、いろいろなことを気付かされる。 誰かのために何かしたい。 という気持ちの中には、幾分かは自己愛というものも交じっているものなのだ。と。 振り返れば私もまたそうなのだ。と。 御意見ご感想はこちらへどうぞ
![]() ダイニングテーブルへの出入りが難しくなった母。 椅子に座った母を椅子ごと動してもテーブルの脚が邪魔になるので テーブルを足が一本の円形テーブルに、椅子を回転椅子に買い替えた。 立ち上がらせるのはスムーズになったが、腰をかけさせるのはちょっとドタバタする。 が、以前に比べたら遥かに補助は楽になった。 たぶん、 来年は家の中でも車椅子を利用することになるのだろうな、 という予感がする。 来年は車椅子で母の部屋から此処まで連れて来て、 車椅子のままで食事をすることになるのだろうな。 来年、介護5年目、か。 御意見ご感想はこちらへどうぞ
![]() ネットで可愛い小鳥のオーナメントの作り方を見つけた。 母の元気なころに御付き合いがあったかたの中に、 「お母さんにお眼にかかりたい。いつ御邪魔したらいい?」 と言ってくるかたがおられる。 私「母には、昼間はほぼ毎日デイへ行ってもらっているし、 ショートへ行っている時もあるし・・・。」 (やんわりと見舞を断ったつもりでも、相手は続ける。) 相手「会いたいわあ〜!ほのちょっとでも会えない?」 私「それに、母はもう誰が誰だか解らなくなっているし、 会ってもがっかりされると思いますよ。」 (本音、変わり果てた母の姿を見られたくない。 相手「いいの、いいの、私が満足したいだけだから。」 私が、満足したいだけ、って。あーた! 母があなたに会いたいと思っているかどうかはどうでもよくて、 あなたの個人的な満足のために、私が協力しなくてはいけないのですか?! 中には、 「じゃ、デイへ出かける前の朝なら時間があるわね! 夜は私、出られないし、お母さんもお疲れでしょうから、朝ならいいわね?!」と言われるかたもおられる。 朝、てね。あーた! デイの御迎えにあわせて、母の身支度させて、食事させて、、、。 御自分も子供を幼稚園に送り出す朝のあわただしさを経験されたことがあるでしょうに、忘れてしまったの? こう言って来られる方々は、母の年代のかたばかりなので、私など年はとっていても、母の附属物のような存在なのでしょうね。 こういう方々から、母との面会の場を整える私の都合を聞かれることは全く無い。 御意見ご感想はこちらへどうぞ
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