うさぎ日記
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2013年02月23日(土) |
気をつけてください、と言われても。 |
昨日の会話のつづき。
Mさんの御近所に認知症老人(男性、息子夫婦、孫と同居。)がおられる家庭があって、この御老人、マッチで何かに火をつけるのが趣味なのだとか。
お嫁さんは、「気がつくと、納屋の藁束に火をつけていたり、家の中で新聞紙を燃やしていたり、でも、うちではずっとお祖父さんを見ているんで、いつもすぐに気がついて火を消すのですよ。 近所の御宅にも、うちのお祖父さんは、マッチで火をつけるのが好きだから、お祖父さんの姿をみかけたら、気をつけてくださいね。 と、挨拶して了承してもらっている。」 と、Mさんに話されたという。
この話、Mさんは、認知症の徘徊を嘆いたKさんと私の会話を聞いていて、ニコニコと笑顔で言いだされた。
でも。私が近所のひとの立場なら、口では「解りました。大変ですね。」と言うかもしれないけれど、留守することもあるし、お祖父さんをずっと見張っているわけでもないので、もし、私がお祖父さんの姿に気付かない間に、家に火をつけられたら、と、すごく心配だと思う。
Mさんも、その御近所の家のお嫁さんも、認知症の御家族の幸せを願うあまりに、周囲のかたも自分達と同じような気持ちで、我が家の老人を見ていてくれる、とか、 見るべきだとか、そんな風に、無意識のうちに思っておられるのではないだろうか。
御老人のマッチの火遊びが近所の家を丸焼けにしないことを祈るだけである。
女性2名の来客あり。
コーヒーとケーキでもてなす。
おひとり(Kさん)は、実父のかた、義父のかたそれぞれの認知症を看とり、送られた。 もうおひとり(Mさん)は現在95歳の義母を家族の大人5人で看ておられる。
Kさんの義父さんの認知症症状は、母のそれとよく似ていて、 ひとことふたことで、「でしょ?!」と、その行動に対する思いを共有できる。 あれこれ、説明しなくても、「食事も、ね。」だけで、食事時のネガティブな思いが通じ合う。
Mさんの義母さんは要支援1というところか。 ひとりで留守番もでき、言いきかせれば、行ってはいけないところをわきまえることもできる。 何より、家業が農業なので、大人5人が家にいて全員で介護体制をとることができるのは、大きな力であろう。 また同じ徘徊するにしても、Mさんの家のように周囲は広く田園という場所で彷徨うと、市街地で彷徨うのとでは、家族の心配のありどころが違うのではないかとも思う。 95歳の義母さんは、「内臓が弱っているので、明日に亡くなっても不思議はない。」と、主治医から言われているそうだ。 Mさんの義母さんより若く内臓には何の異常もなく、「この調子だと100歳まで大丈夫。」と、太鼓判を押されている母とは、同じ元気でも行動のエネルギーみたいなものが違うのではないだろうか。
Kさんの義父さんは、御存命ならば母とほぼ同じ年であるが、胃癌があり主治医との阿吽の呼吸で、胃癌に対する積極的な治療は行わず、胃ろう2年、肝硬変で亡くなられた。 若くてエネルギーがまだまだ盛んなかたが認知症になった場合、その行動に振り回される大変さは、 「実際に接した者でなくては、わからないわよねー。」 と、Kさんとふたりで頷き合ったが、どうもMさんには「この二人、ほんの小さな困難を大げさに言っている。」と、受け止められたようだ。
Mさんは、「親を施設へ入れるなんて、子供のすることではない。」と、顔をしかめて言われる。 実父のかたを看るものがいない、ということで施設へ入れ、義父さんを水頭症の手術をきっかけに、病院から施設へ入れたKさんは複雑な顔をされていた。 私は、 「『デイやショートへの行きと帰りとでは、お母様の足取りが違う。帰りの足取りの軽く、早いことといったら・・・。』と言われるので、此処が家だと解るうちは、施設へ入れずに頑張ろうと思っているのですよ。 でも、私ではどうにもならなくなったら、その時は施設へ行っていただくしかないと、思っているのですよ。」 と、言った。
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母は今日から、2泊3日のショートステイです。
母を送り出した後、じわじわっとあったかい気持ちになるのは、 そう、ちょうど冷え切った体を湯船に沈めると、手先足先からじわーっと暖かくなって来るのに似ています。
ほっこりー、ほっこりー。
認知症を介護したことのないかたには、このほっこりさが、解らないかもしれません。
母が認知症になってから、様々な認知症介護ブログを拝見するようになりました。 義父母や実父母を嫌々介護されているかたはもちろん、 日頃どんなにお母さん思いのかたでも、お父さん思いのかたでも、 やっぱりショートの日を待ちかねておられます。
そして、嫌々仕方なくする介護の相手に呪詛の言葉を書き連ねているかたでも、イザ、死の床に臥されたり、亡くなってしまわれると、あんなに嫌っていたかたに対して、本当に優しい心を持てるようになられるのです。
「介護とは自分の中の鬼と向き合うことだ。」 と、言われた介護体験者のかたがいます。
本当にそうなんですよね。
誰しも自分の中の鬼と向き合いたくはないのですが・・・。
母が居ないと、母と共に現われた鬼も姿を見せません。 鬼の居ぬ間の洗濯。(^v^) 今日は良い天気です。
2013年02月20日(水) |
お気持ちは嬉しく有り難い。 |
もうおひとりのかたは、折々に絵葉書を母に送ってくださいます。
近況をこまごまと綴って・・・。
読んで聞かせても、母はキョトンとしています。
葉書を手渡すと、ぷい!と放り投げます。
時に、破ろうとします。デイで色がみちぎりをしてるからかもしれません。
このかたにも、「母はせっかくお手紙いただいても、もう読めないみたいなんですよ。」 と、申しあげたのですが、でも、変わることなく絵葉書が届く。 どうしたもんだべ?
去年の正月、母に年賀状をくださったかた全員に、思い切って、 「長い間ありがとうございました。せっかくお年賀状をいただいたのですが、母はもう夢の世界に生きております。」 と、お返事を書いた。 一昨年は「母は認知症になりまして、もういろいろ解らなくなりましたが、御名前は覚えているようです。」と社交儀礼で書いた。 その次の年に、「夢の世界にいる。」と書いたので、解るだろうと思ったのですが・・・。
大半のかたは、それと察して今年は母宛ての年賀状がぐんと減った。 それでも何人かのかたから、変わらずに年賀状が届いた。 中には、子供さんや孫さんの近況を書いてくださっているかたもおられる。 私は、まったくそのかたを存じ上げないので、母宛ではあるが私に読ませたいということでもないでしょう。 「母のことを忘れずにいてくださってありがとうございます。」 と返事を出したのだが・・・。
2013年02月19日(火) |
気持ちは嬉しい、とても。。でも |
母のもとへ、毎週決まった時間に電話をかけてくださるかたがおられます。
もう、かれこれ2年になります。
そのはじめに、 「昔のことはよく覚えていられるようなので、おかあさんの脳の刺激のために、これから時を決めて電話させていただきたいと思うのですが、御迷惑なら言ってね。」
と、申しだされて「毎週その時間は待機していないといけなくなるし迷惑です。」と言えるひとはいるでしょうか? 母も電話で楽しげに受け答えしているし、私が母を電話に誘導する手間さえ厭わなければ、その方と母に楽しい一時を持っていただけますものね。
そのかたは、その日が祭日、盆暮、正月に当たっても2年間欠かさず、電話してくださいました。 毎週○曜日、午後7時30分。 ところが此処半年ほど、母は食事のほうに気を取られて、「○○さんから電話ですよ。」と、言ってもなかなか立ち上がらなくなりました。
仕方ないので、茶碗とハシを取り上げて、おカズをテーブルの端に移動させて(ハシを取り上げられて手掴みで食べようとするからです。)、 手をとって立ち上がらせ、電話へ誘導します。
最初は明るく「○○さんかねー」と、昔と変わらない声が出ますが、すぐに「うん!」「そう!」「覚えてるよ。」「げんきだよ。」「ありがたいね。」という相槌だけになり、その声のトーンも次第に落ちて、「うん」だけになり、5分ほどで、終了。
このかたの母を想ってくださる気持ちはすごくうれしいし、有り難いのですが、最初電話に出た私に、時々、「あんた、ちゃんと看ているだろうね。」と、いうようなことを言われるのです。 母のことを思う余りだろうし、そのかたから見れば、私はそのかたの子供さんに近い世代ですから、頼りなく見えてしかたないのでしょう。 なので、長年大切に付き合って来た友人が、最晩年を幸福に暮らしているのだろうか、と心配でたまらないそのかたの気持も良く解ります。
しかし、正直、時々、その気持ちが私には負担になることもあります。
何故、負担に思うのか・・・。 そのかた認知症についてあまり御存知ないみたいなんです。 母の状態を説明しようとしても、そのかたの頭の中には 「認知症とはこういうものだ。」という思い込みみたいなものがあって、私をさえぎって話はじめられるのです。
母は、もうそのかたの子供さんのことを覚えていないこと。 いつも「○○さんは、来てくれるの?」と、母に尋ねて、母は 「うん、来るよ!」と答えますが、○○さんは、2年くらい来ていないこと。 そんなことを説明して、母がもう、そのかたの思っておられるよりははるかに記憶レベルが低下していることを知っていただきたいのですが、すぐに「お母さんに代って。」と、言われるのです。
いつか、母の状態に気付いていただけることがあるのでしょうか?
わけのわからない話に、必死に一生懸命相槌を打とうとしている母を見ているのは、哀しい。
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