読書の日記 --- READING DIARY
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 琥珀捕り/キアラン・カーソン

『琥珀捕り』/キアラン・カーソン (著), Ciaran Carson (原著), 栩木 伸明 (翻訳)
単行本: 346 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 東京創元社 ; ISBN: 4488016383 ; (2004/02)
出版社/著者からの内容紹介
ローマの詩人オウィディウスが描いたギリシア・ローマ神話世界の奇譚『変身物語』、ケルト装飾写本の永久機関めいた文様の迷宮、中世キリスト教聖人伝、アイルランドの民話、フェルメールの絵の読解とその贋作者の運命、顕微鏡や望遠鏡などの光学器械と17世紀オランダの黄金時代をめぐるさまざまの蘊蓄、あるいは普遍言語や遠隔伝達、潜水艦や不眠症をめぐる歴代の奇人たちの夢想と現実──。数々のエピソードを語り直し、少しずらしてはぎあわせていく、ストーリーのサンプリング。伝統的なほら話の手法が生きる、あまりにもモダンな物語! 解説:柴田元幸


図書館に返却しなければならなかったので、キアラン・カーソンの 『琥珀捕り』 を一気に読んだ。とはいえ、アメリカ南部のハリケーンのことに気をとられていて、テレビでニュースをやらないかと気にしながらだったので、あまりはまれなかった。延長してもよかったのだが、あまり長引かせても・・・と、深く味わう暇もなく、慌しく読んでしまった。

柴田元幸氏も絶賛の本なのだが、たしかに通が好みそうだなという感じ。ふと気づくと、物語にはまって一心に読んでいたりするのだが、カーソンはもともと詩人だから、短い言葉を並べるのが得意なのだろうと思うような名詞の羅列とかがちょっとうざい。

そういうところは飛ばし読みしたりしてしまったのだが、本当は名詞の羅列も意味のあることなのだろう。韻を踏んでいると思われる部分もたくさんあり、原文では、非常に高度な技を駆使した小説なのではないかと思った。日本語でもそれが感じられるのだから、訳すほうもひと苦労だったに違いない(翻訳そのものはよかった)。しかし時間があまりなくて、夢中になるほど入り込めなかったのが残念。

主に、世界中を飛び回る冒険王ジャックのほら話なのだが、それぞれが単なるおとぎ話ではなく、そこから派生する話が、百科事典でも調べたような深みのある、また「ほら話」なのに真実味のありそうな話なのだ。実際に、巻末にある参考文献の数を見て驚く。これだけの書物を読み、物語をつくりあげた手腕はすごい・・・のだろう、たぶん。

2005年08月31日(水)
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 The Devil Wears Prada/Lauren Weisberger

『The Devil Wears Prada』/Lauren Weisberger (著)
ペーパーバック: 320 p ; 出版社: Broadway Books ; ISBN: 0767914767 ; (2004/04/01)
Book Description
歴史に並みいる上司にしたくない上司のなかでも最低最悪の上司を描いた、愉快でおしゃれな小説。

大学出たてのいなか娘アンドレア・サックスは、「百万人の女の子が羨望のまなざしを贈る」職をものにした。ランウェイ誌の編集者として大成功を収めた、かの有名なミランダ・プリーストリーのアシスタントに採用されたのだ。

アンドレアが勤務することになった編集部は、どこを向いても「プラダ!」「アルマーニ!」「ヴェルサーチ!」という叫び声が飛び交い、信じられないほどスレンダーで、胸がきゅんとなるほどおしゃれな女性たちと、長年の熱心なジム通いの成果を見せつける、細かいリブ編みのタートルネックセーターとタイトな革パンツ姿のさっそうとした男性たちであふれかえっていた。ところが、その流行の最先端を行く洗練された編集部員たちのだれもが、ミランダの一声でいともたやすく、おびえてべそをかく子どものようになってしまう。

いわゆる「鬼上司」に対するぐちを、思いきり笑える魅力的な物語にしたてあげたのが『The Devil Wears Prada』だ。そこでは、新聞のゴシップ記事や、コスモポリタン誌の愛読者が集まるトレンディーなカクテルパーティーでの噂話でわずかにかいま見られるにすぎない、上流階級の人々の暗く悪魔的な裏の顔が、すがすがしいほど無邪気で機転のきいたアンドレアの語り口で暴露されていく。

まだ店頭に並んでいない「ハリー・ポッター」の最新作をパリに住むミランダの子どもに自家用機で届けたり、いつかミランダがちらりと見かけて惚れこんだという年代ものの洋服だんすを売る、名もない骨董品屋を捜したり、舌が焼けるほど熱い、好みの温度ぴったりで、ミランダにカフェラテを出さなければならなかったり、アンドレアには毎日が試練の連続だった。それも日中にとどまらず、電話であれをしろ、これをしろとどなりまくられて、仕事が深夜におよぶこともしばしば。そんな仕打ちに耐えているのも、目当ての雑誌社でいい仕事にありつくため、ミランダに推薦状を書いてもらうというご褒美を期待しているからだ。

しかし、最初はちょっと受け入れがたいという程度だった要求が、どう考えても常軌を逸したものにエスカレートするにつれ、アンドレアは気づきはじめる。百万人の女の子が羨望のまなざしを贈るその仕事は、いつかほんとうに私を殺すかもしれない。いえ、たとえ命は助かっても、魂を売りわたすに足る仕事なのかどうか、もう一度考え直さなければ、と。


Lauren Weisberger の 『The Devil Wears Prada』 をやっと読了したのだが、不覚にも泣いてしまった。こんな本で、まさか泣くとは思ってもいなかったのだが、自分の経験に近いエピソードがあったため、感極まってしまったのかも。そのエピソードは、自分が経験したこととは全然内容が違うのだが、似たようなシチュエーションに泣けてしまったのだ。

それにしてもこれを読んでいると、「いい人」は会社では出世できないんだなと思う。上司の理不尽な命令も、厳しい社会では致し方ないことなのかもしれないし、そんな理不尽さがまかり通ってしまう世の中でもあるわけだから、人に同情したり、正義感に燃えていたりしたら、絶対に出世できないだろう。生半可な常識なども通用しない。自分が一生懸命にがんばれば何とかなるというレベルの話でもない。

会社勤めの経験がある人で、これを読んだ多くの人が、「そうそう!」と頷いているんではないだろうか。そういう私にも、この本に書いてあるような経験がひとつやふたつではない。世間には、信じられない「バカ」上司というのがいるものなのだ。何でこんな人が偉い顔をしてるんだろう?と思うが、そういう人だから出世しているのだ。いちいちあげたらきりがないので、ここに書くのはやめておくけれど、そりゃもう、聞くも涙、語るも涙の話ばかりだ。

この話では、最後は主人公アンドレアが、鬼上司ミランダに悪態をついてクビになるのだが、それでもアンドレアの人生は良い方向に向かっていく。実際、そういうラッキーな人は稀だろうと思う。話として、ハッピーエンドにならなければむごい!とは思うが、そんなに甘くはないのが実際の人生だ。

毎日、「バカ」上司にムカついている人は、この本を読めば少しは発散できるかも?いや、発散まではできないが、同病相哀れむというか、「そうそう、そうなのよ!」と思うだけで、多少は慰めになるかもしれない。


2005年08月30日(火)
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 世界の終わりの物語/パトリシア・ハイスミス

『世界の終わりの物語』/パトリシア・ハイスミス (著), Patricia Highsmith (原著), 渋谷 比佐子 (翻訳)
単行本: 284 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 扶桑社 ; ISBN: 4594030602 ; (2001/01)
内容(「BOOK」データベースより)
生体実験の遺体を埋めた墓地に、異常繁殖する巨大キノコ。大海原に展開する、クジラ対人間の死闘。放射性廃棄物の処理に窮した政府が打った秘策と、その恐怖の顛末。国連の援助委員会の入国にむけて、騒動がエスカレートするアフリカの独裁国家。高級高層マンションの巨大ゴキブリに挑む、人間たちの無力な戦い。福祉政策と介護施設によって生きつづける、200歳の老婆。保身に走るアメリカ大統領とその一派が引き起こす、地球終末の序曲…狂った自然と人間のさまざまな崩壊を、晩年のハイスミスが自由闊達にに綴った最後の短編集。おそろしく、おかしく、おぞましく、そしてとびきりおもしろい、世界の終わりの物語。


パトリシア・ハイスミスは、「リプリー(映画「太陽がいっぱい」の原作)」で有名だが、作品を読んだのは初めて。以前に「INFORMATION BOARD」で取り上げたことがあるのだが、表紙もあまり気にいってなかったので特に読もうとは思っていなかったのに、図書館で見つけたので借りてみたところ、結構面白かった。

ハイスミスは、もともとSFというかミステリというか、そういう作風なので、短編でもそのあたりが自分の好みに合っていたのだと思うけれど、テーマの目のつけどころが面白い。

短編の場合、「目のつけどころ」は重要なポイントだと思う。イタロ・カルヴィーノや、T.C.ボイルなどの短編が好きなのは、みな「目のつけどころ」がいいからだ。それに、一昔前のスタイルと言ってしまえばそれまでだが、ハイスミスの短編は、起承転結がはっきりしていてわかりやすいというのもある。

ところで、訳者あとがきを読んでいたら、「(ハイスミスは)書いてはいけない危険なものを書いてしまった」とあった。ちょっと待てよ、いつ出された本なの?と思って見たら、2001年であった。言論の自由がなかったというような大昔の話ではない。

そのあと、「こうした作品群は書いてはいけない小説であり、読んで笑ってはいけない小説である。それでは読んで笑ってはいけないのなら、どういう反応をするのが正しいか。実は、正しい反応の仕方はない。なんとも居心地が悪くなって、読まなければよかったと思い、読んだことを忘れるしかおそらく手だてはないだろう」とある。

この訳者は、ハイスミスが嫌いなのか?こんなことを言うくらいなら、訳さなければいいのにと思う。第一、「読んで笑ってはいけない」とか「どういう反応が正しいか」なんて、ものすごくナンセンスじゃないかと思う。読者が100人いたら、100人それぞれの反応があっていいはずだし、その中には、もちろん笑う人もいるだろう。

これはきっと一種の冗談で、このあとに正反対のことでも書いてあるんだろうと思ったら、そういうこともなく、結局のところ、大真面目にこうしたことを言っているのだ。嘘でしょ!?という感じ。よほどお堅い翻訳者なのか?

この翻訳者は、ハイスミスは「意地悪婆さん」であり、「冷ややかな世相ウォッチャーとなったハイスミスは、いったいどのように晩年を暮らしたのだろうか。誰から嫌われてもいいと腹をくくって生きていたのだろうか。そんな想像をしてみると、こちらまで暗澹とした気分になってくる」とまで言っている。

最後には、この本には関係のないところから作品を引っ張り出してきて「・・・ハイスミスの心の中には、きっとそんな日溜りのような世界があったのだ。少なくとも、わたしはそう信じたい。そう信じないと、作者も読者も救われない」とある。

なんだろうな、このあとがきって・・・。私は、ハイスミスが意地悪婆さんとも思わなかったし、キレのいい風刺が冴えてる!と思っていたくらいだから、このあとがきにはびっくりした。小説家は、社会的にも政治的にも無難なことだけ書いていればいいというのか?例え、思想的に偏った小説だったにしても(ハイスミスの思想が偏っているわけではないが)、読者がそれを読んでどう感じるかは、「・・・してはいけない」などと言われることではないだろうと思う。

しかし、「読まなければよかったと思い、読んだことを忘れるしかおそらく手だてはないだろう」などと言わなければならない本ならば、翻訳の仕事など請け負わずに、読者の目から隠すほうに尽力すべきじゃないのか?と思いもする。最後まで読んだ読者に対して、こんな言い方はないだろうと思う。非常に気分が悪い。翻訳者も一読者として考え、個人の感想として読めば、それはそれで構わないのだが。

ちなみに、裏表紙にある若島正氏の解説には、「おそろしく、おかしく、おぞましく、そしてとびきりおもしろい」とある。私も、未来を的確に予言しているような(実際に現在のことではないかと思えるような作品もある)鋭い風刺は、秀逸だと思っている。そう思う私は「意地悪婆さん」なのか?

2005年08月26日(金)
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 冬の犬/アリステア・マクラウド

『冬の犬』/アリステア・マクラウド (著), 中野 恵津子 (翻訳)
単行本(ソフトカバー): 262 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4105900374 ; (2004/01/30)
出版社/著者からの内容紹介
カナダ東端の厳冬の島で、祖先の声に耳を澄ませながら、人生の時を刻む人々。彼らの傍らには、犬、牛、馬、鷲などの動物たちが、いつもあった。人生の美しさと哀しみ、短篇小説の気品に満ちた8編。
目次
すべてのものに季節がある
二度目の春
冬の犬
完璧なる調和
鳥が太陽を運んでくるように
幻影

クリアランス


2005年08月23日(火)
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 いつか、どこかで/アニータ・シュリーヴ

『いつか、どこかで』/アニータ・シュリーヴ (著), 高見 浩 (翻訳)
単行本: 315 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4105900420 ; (2004/10/28)
カバーより
男がふと目にした詩人の写真は、あの夏の少女の面影を残していた。14歳の二人がサマーキャンプですごしたときめきの一週間から31年。ともに家庭に切実な問題を抱える大人となった彼らが果たした再会は、甘美にして狂おしい運命への序章となった─。『パイロットの妻』の著者が描き切る、感情の機微と官能の焔。


アニータ・シュリーヴの本は、またしても不倫話だった。考えてみれば、読んだ本は全て不倫話。「アニータ・シュリーヴ=不倫」という図式で固まってしまいそうだ。今回は、45歳の大人同士の恋の話だが、設定にだいぶ無理がある。最後には、どうしても一緒になれないことがわかる悲しい幕切れになるのだが、そういった切なさの描写は、『マディソン郡の橋』のほうが秀逸だった気がする。『マディソン郡の橋』も、けして好きな話というわけではないのだが、この本よりは数倍ましだなと。

この本の中の、いい大人の男女の手紙のやり取りを読んで、鳥肌ものだと思っていたのは私だけかな?これって、日本語訳にも難があるのかもしれないが、女性のほうは詩人という設定であるにもかかわらず、全然素敵な文章じゃなかった。詩人だから素敵な手紙が書けるというわけでもないんだろうけど。極端に言えば、ちょっとキモい。私は照れ屋だから、こういうのは読んでいて恥ずかしくなってしまってダメ。


2005年08月22日(月)
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 ハサミを持って突っ走る/オーガステン・バロウズ

『ハサミを持って突っ走る』/オーガステン・バロウズ (著), 青野 聡
単行本: 305 p ; サイズ(cm): 20
出版社: バジリコ ; ISBN: 4901784560 ; (2004/12)
内容説明
ぼくたちは見えないものを追いかけて走っている−。アル中の父と精神病の母に放り出され、患者のような精神科医の奇妙な家で過ごした痛ましくも可笑しい少年時代。


タイトルに興味を惹かれて、図書館で借りたのだが、とにかく変な話だった。正常とは思えない所での、正常とは思えない人たちの話である。そうなると、「まとも」って何?みたいな感じになってきて、その正常とは思えない人たちの正常とは思えない行動が、普通に正常じゃないかと思えてくるから怖い。

これは、バロウズの13歳から18歳までの、なんだっけ?ええと、まあとにかく自伝的な話ってことで、カバー裏の写真を見てしまうと、「こいつが13歳であんなことをしちゃって、こうなっちゃったの?」みたいな感じで、なんだか気持ちが悪くなってもくるのだが、 ものすごくおまけをして 良い方にとれば、デビッド・セダリスの 『すっぱだか』 のようでもある。

セダリスは大好きなので、他人に「バロウズはセダリス(の作風)に似ている」などと言われたら、たぶん怒ってしまうだろうけど、自分で言う分にはいい。それに、本心からそう思っているわけでもないし。あえて言えばセダリスっぽいけれど、根本的には違うと思っている。なんたって、セダリスは正常とは思えない人の部類ではない。

でも、主人公が飄々としているところや、バロウズのユーモア感覚などは、たしかにセダリスに共通しているかもしれない。しかしこの小説は、猥雑だ。幸か不幸か、主人公が(バロウズがと言ってしまってもいいかもしれないが)あれやこれや経験した年齢を考えると、エログロな部分がかなりどぎつい。セダリスは読み終えるのがもったいない感じがしたが、この本は、何度か途中でやめたくなったりもした。セダリスのほうがはるかに上品であることは間違いない。

かといって、この本が面白くないというわけではなく、バロウズのユーモア感覚はなかなか好きだし、全体としては面白かったのだが、笑って読みすごすことのできなかった猥雑さが、どこか悲しい気分にもさせる。

ともあれ、ストレスがたまってくると、私もハサミでも持って突っ走りたくなってくる。要注意!

2005年08月20日(土)
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 セカンド・ネイチャー/アリス・ホフマン

『セカンド・ネイチャー』/アリス・ホフマン (著), Alice Hoffman (原著), 田辺 亜木 (翻訳)
単行本: 250 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 集英社 ; ISBN: 4087732428 ; (1996/02)
内容(「BOOK」データベースより)
男には名前がなかった。ひどく痩せていて、人前では声を出そうとしなかった。患者第3119号。人々は密かに"狼男"と呼んでいた。烈風を伴った雨が窓を激しく叩き、男はうずくまり震えだした。その時、女は手を伸ばし、男のコートの袖に触った。指の温もりが男の肌まで届いた。それは同情だったかもしれないし、何かほかのものかもしれなかった。女は長年暮らした夫との生活に傷つき、疲れていた。女は男を外に連れ出した。それが犯罪になることはわかっていたが…。狼に育てられた青年と年上の女性、奇跡のラブ・ストーリー。



アリス・ホフマンの『セカンド・ネイチャー』を読了。これはまたびっくり仰天な話で、これも初期の作品のため、ホフマンお得意のマジカルさはないけれど、こんなことあり?って感じの内容。

3歳のときに飛行機事故に遭い、乗客、乗員全員が死亡した中、ただ一人生き残った男の子は、狼に育てられ、過酷な自然を生き延びたのだが、猟師のわなにかかり、人間社会に連れ戻される。たまたま出会った(というか、出会うべくして出会ったというべきか)女性と恋愛関係に陥るが、そこで起こった連続殺人事件から、結局は社会に普通の人間としては認めてもらえず、再び自然の中へと戻っていく。

ホフマンは文章が上手いと思うが、それにしても狼男(いわゆる狼男ではないが)の気持ちなど、よく書けるなあと感心。内容的にうんぬんという以前に、たくましい想像力に感服してしまった。ああだこうだと感想など言いたくない作品だ。単純にストーリーにはまるだけでいいという感じ。最後はとても悲しい。どうにもならない恋の切なさみたいなものをひしと感じる。


2005年08月17日(水)
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 灰色の輝ける贈り物/アリステア・マクラウド

『灰色の輝ける贈り物』/アリステア・マクラウド (著), Alistair MacLeod (原著), 中野 恵津子 (翻訳)
単行本: 238 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4105900323 ; (2002/11)

内容(「MARC」データベースより)
カナダ、ケープ・ブレトン島。苛酷な自然の中、漁師、坑夫を生業とし、脈々と流れる「血」への思いを胸に人々は生きる。世代間の相克と絆、孤独、別れを、語りつぐ物語として静かに鮮明に描く。隠れたる短編の名手による8篇。


目次

広大な闇
灰色の輝ける贈り物
帰郷
秋に
失われた血の塩の贈り物
ランキンズ岬への道
夏の終わり


図書館で、アリステア・マクラウドの短編集を2冊借りてきた。先日書いたマクラウド本に関する疑問について、早速ことの真相を調べたところ、訳者あとがきに次のように書いてあった。

マクラウドのはじめての作品「船」が小さな雑誌にのったのは、1968年のことである。それ以来、1999年に初の長編小説が発表されるまでの31年間で、まずか2冊の短編集(1976年 『As Birds Bring Forth the Sun and Other Stories』 と1986年 『The Lost Salt Gift of Blood』 に各7篇ずつ)しか出されていない。にもかかわらず、マクラウドの作品は「モダンライブラリー 1950年以降に英語で書かれたベスト小説200」(選者はブッカー賞の審査員長を務めたこともあるカルメン・カリールとアイルランドの作家コルム・トイビン)に選ばれるほど高い評価を受け、熱烈なファンも生まれたが、なにしろめったに作品を発表しない作家の地味な短編である、一般の読者のあいだに広まらなかったのも無理はないかもしれない。

そんな知る人ぞ知るの作家だったマクラウドを一躍有名にしたのは、1999年秋に発表された長編小説 『No Great Mischief』 (邦題 『彼方なる歌に耳を澄ませよ』 )である。10年以上かかって書き上げられたこの小説は、たちまち「傑作」の折り紙がつけられてカナダのさまざまなベストセラーリストに入り、いくつもの賞を獲得した(国際IMPACダブリン文学賞、カナダ出版協会賞、ダートマス図書賞、ラドール賞、トリリアム賞など)。この長編小説の成功により、マクラウドの全短編集を望む声が高まり、その結果、2冊の短編集に収められた14篇にその後書かれた2篇を加え、2000年1月 『Island』 というタイトルで出版された。

というわけで日本では、この「既刊の短編集2冊+2篇」で構成された『Island』を、再度2冊に分けて出版したということになる。その際、「+2篇」があるから、オリジナルの短編集のタイトルを使うわけにはいかないということだったのだろうか。そのあたりは良く分からない。

とはいえ、こんなことは既にマクラウドの翻訳本を読んでいる人には周知の事実であり、私が今まで知らなかっただけ。原書で見つけようと思ったら、見つからないので疑問に思ったため、ここに書いておいたという次第。


この本の舞台はマクラウドが育った、カナダの ケープ・ブレトン島 で、「赤毛のアン」で有名なプリンス・エドワード島の東隣である。そこは、スコットランドよりもスコットランドらしいといわれている島だとか。しかし読んでいると、自然がとても厳しい土地のようだ。北方であるのはわかっているが、やはり南の島のように、のんびりと気楽には生きられない。

この本は短編集だが、その冒頭の作品「船」(The Boat 1968)を読んでいて、自分のお気楽さに唖然とした。

「ケープ・ブレトンの沖合いは、今でも豊かなロブスターの漁場で、五月から七月にかけてのこの季節、捕れたロブスターは氷の箱に詰められ、夜となく昼となく、道路を突っ走る大型トラックで、ニューグラスゴー、アマースト、セントジョン、そしてパンゴア、ポートランドを通って、ボストンへ運ばれ、ここで生きたまま、最後のわが家である煮立った鍋のなかに放り込まれる」

この文章自体は何のことはない描写だと思うが、私はボストンで、このロブスターを食べている。何の考えもなく、大喜びで。


ボストンで食べたクラムチャウダーとロブスターサンド

この文章の前後には、ケープ・ブレトンで必死に生きる漁師の姿が描かれており、最後には主人公の父親が漁の最中に海に落ちて死ぬという結末となっている。まさに、情け容赦ない自然の過酷さが描かれているのだ。

ケープ・ブレトンだけではなく、自然に関わる仕事をする人たちは、世界中どこでも死と隣り合わせで生きているのだと思うが、この話のこのロブスターは、ボストンのあのロブスターだったのか!と思うと、もっと有難く頂戴しなければいけなかったんではないかと。

普段、そこまで考えて物を食べてはいないのだが、マクラウドは残酷にも、自然の過酷さをあますところなく描いており、その仕事に携わる人々の苦労がひたひたと伝わってくるために、読んでいる側は、身につまされる思いがするのである。

これはたまたま、つい最近食べたロブスターの産地の話であったため、特にそう感じたのかもしれないが、この作品だけでなく、読み始める前に抱いていたマクラウドのイメージとは作風がずいぶん違っていた。人間的なものは超越しているような作家なのかと勝手に思っていたのだが、非常に人間的だ。

まだ3篇しか読んでいないので言い切ることは出来ないが、「短編の名手」と言われてはいるものの、個人的には、この人は長編のほうがずっといいのではないだろうか?という気がしている。図書館に長編も予約してあるので、それを読んでから、再び比較してみたいと思う。

アリステア・マクラウド(MacLeod,Alistair)
1936年、カナダ・サスカチェアン州生まれ。作品の主舞台であるノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島で育つ。きこり、坑夫、漁師などをして学資を稼ぎ、博士号を取得。2000年春まで、オンタリオ州ウインザー大学で英文学の教壇に立つ。傍らこつこつと短編小説を発表。1999年刊行の唯一の長編『No Great Mischief』がカナダで大ベストセラーになったため、翌2000年1月、1976年と1986年刊の2冊の短編集の計14篇にその後書かれた2篇を加え、全短編集『Island』が編まれた。31年間にわずか16篇という寡作であるが、短編の名手として知られている。



私の苦手なアン・ビーティも「短編の名手」だったし、マクラウドも「短編の名手」と言われている。こうなってくると、主に短編を多く書いている作家は、皆「短編の名手」といわれてしまうのではないかとさえ思えてくる。ビーティとマクラウドを比較してしまうのは、あまりにも乱暴だが、何をもってして「短編の名手」なのか、それが私にはわからない。

「短編の名手」と言えば、大御所はやはりサマセット・モームで、個人的には彼を越えるものはいないとさえ思っているくらいなのだが、モームが書く短編と、現代の作家の書く短編は明らかに違っている。しかし、私はモームが書くような短編のほうが好きだから、現代の作家の「短編の名手」というのは、あんまりあてにならない言葉だと思う。とはいえ、これも個人的な好き嫌いの部類だろうから、ビーティもマクラウドも「名手」なんだろうと思う。

マクラウドの作品について書き出すと、とっても長くなりそうなので、ここでは適当なところでやめておくことにする。私自身の考えも、あまりまとまっていないことだし。ただ、1冊読んだ感じとして、マクラウドの力量は認めるものの、好みの作風ではなかったかなという感じだ。やっぱりこの人は長編のほうがいいんじゃないかと重ね重ね思った次第。だから、どうして「いい作家」ではなく、わざわざ「短編の名手」というのだろうなと思う。

こんなに辛い思いをしているんだ・・・と切実に訴えている作品は引いてしまいがちだ。マクラウドの作品に登場する人たちは、辛い状況でもそういう仕事が好きで(マクラウド自身も)、一生懸命に生きており、それはそれで素晴らしい人生だとも思えるのだが(ちょっと 『アンジェラの灰』 を思い出すような感じのところもあるから、単純に素晴らしい人生とも言えないとは思うが)、私の場合、これに限らず割に淡々と語られている話のほうがより感動するという嗜好のため、あんまり一生懸命生きられても、自分がぐうたらなだけに、重たくて受け止めきれないのだ。

ともあれ、今度は長編を読むのを楽しみに待つこととしよう。

2005年08月13日(土)
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 A Sound Like Someone Trying Not to Make a Sound/John Irving

『A Sound Like Someone Trying Not to Make a Sound』/John Irving (著), Tatjana Hauptmann (イラスト)
ハードカバー: 40 p ; 出版社: Delacorte Pr ; ISBN: 0385746806 ; (2004/09/01)


これは、アーヴィングが絵本を書こうと思ってわざわざ書いたものではない。アーヴィングがよく使う「作中作」という形で書かれたもののひとつだ。

この絵本のもとになっている話は、『A Widow For One Year』 (邦題 『未亡人の一年』 )の作中作。以前から、単独で出版してほしいと思っていたので、こうして絵本になったことは非常に喜ばしい。下記の「ジョン・アーヴィングの児童文学」は私のサイトの1ページだが、この作中作の単独出版を願ってかなり前に作ったもので、「A Sound Like Someone Trying Not to Make a Sound」のほか、同「作中作」2作をまとめたものだ。ちなみに、他の作品の作中作である 「Pension Grillparzer」 は、アーヴィング自身の朗読テープがある。現在、オーダー中。

「ジョン・アーヴィングの児童文学」

さて、ここで上記の「ジョン・アーヴィングの児童文学」を見ていただけると幸いなのだが、絵本になった話のタイトルは、実は別の話のタイトルなのである。絵本になった話のほうは、もともとは「壁のあいだをはうネズミ」という話で、「誰かが音をたてないようにしているような音」というのは、モグラ男が出てくる、もう少し長い話になる。どちらも上記のページ内に収めてあるので、興味のある方は確認していただきたい。

2005年08月11日(木)
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 海辺の家族/アリス・ホフマン

『海辺の家族』/アリス・ホフマン (著), 深町 真理子 (翻訳)
単行本: 270 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 早川書房 ; ISBN: 4152076887 ; (1990/05)
内容(「BOOK」データベースより)
ボストンの北方、美しい海辺の町。天文学者の父親、カメラマンの母親、子供2人で暮すファレル家を、ある日突然悪夢が襲った。5年前の輸血で原因で、娘のアマンダがエイズを発症したのだ。驚き、怒り、悲しむ家族。感染を恐れる隣人たち。パニックに陥る学校。その中で、アマンダは女子体操の選手として全力をつくそうとする。ジョーゼフ・ヘラー、カート・ヴォネガットらがその才能の感嘆した作家が清冽な美しい文体で描きあげる、感動の長篇。 ※画像は原書 『At Risk』


これは初期の長編で、現在の作品のようなマジカルな部分はあまりない。しかも中身はエイズの話で、非常に暗い内容。それも、輸血のせいでエイズになってしまった、自分には何の責任もない少女の話だから、何とも辛い。

しかしその少女が主人公というわけではなく、周囲の家族や友だち、学校や社会というものが、どのように対応していくのかといったことに焦点があてられている。

時代は、まだエイズに対して正しい知識が普及していなかった頃だから、妙な偏見を持つ親たちがたくさんいて、少女の弟の友だちなどは、無理矢理転校させられたりもする。だが確かな情報のない時に、我が子を思えば、当然のことなのかもしれない。

けれども、理不尽な死を受け入れなければならない少女の、やりたいことがたくさんあるのに何もできない悲しみとか辛さとかを思うと、どうにもやりきれない気持ちになる。

ちなみにこの話はボストン近郊の町の話で、始終ボストンとかニューヨークが出てくる。ニューヨークはともかく、あの美しくかわいらしい町ボストンのイメージを思い浮かべると、なおさら哀しさが増す話である。

2005年08月10日(水)
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 プラネタリウムのふたご/いしいしんじ

『プラネタリウムのふたご』/いしい しんじ (著)
単行本: 452 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 講談社 ; ISBN: 4062118262 ; (2003/04)
内容(「MARC」データベースより)
注目の作家が描いた運命の不思議、心の救済。ふたごはプラネタリウムで生まれ、一人は手品師、一人は星の語り部となった。彼らが生まれながらに定められていた役割とは何か。坪田譲治賞受賞作家による書下ろし長編小説。


先日に引き続き、もう1冊いしいしんじの本『プラネタリウムのふたご』を読み終えた。これは、一応児童書の部類になっているのだが、結構深いなあと思った。宮沢賢治に似ているというイメージはどうしてもぬぐえないが、いしいしんじはいしいしんじの世界を確立していると思う。

話は、プラネタリウムに置き去りにされた銀色の髪の双子の少年テンペルとタットルの物語だが(プラネタリウムの解説員である泣き男が、テンペルタットル彗星についての解説をしているときに発見されたので、その名がついた)。

小さな町(日本のようでもあり、外国のどこかのようでもある)で、毎日プラネタリウムを見ながら育った双子のうち、テンペルはたまたま町に来た手品師の一座とともに町を去り、高名な手品師となる。かたわれのタットルは、町から一度も出ることなく、郵便配達の仕事をしながら養父の後を継ぎ、プラネタリウムの解説員となる。

それぞれの生き様を描きながら、不慮の事故でテンペルが死んだあと、タットルは自分に課せられた使命を知るという話だ。これが淡々と語られているにもかかわらず、涙せずにいられないような悲しみをもたらす。

テンペルの生涯も立派なものだったが、私は小さな町から出たこともないタットルの生涯に惹かれた。タットルには、その小さな町が彼の世界のすべてであり、そこで起こることが、タットルの意識の及ぶ範囲なのだ。たまに届くテンペルからの手紙や、目の見えないおばあさんに頼まれて読んであげる異国からの手紙など、どちらも胸がわくわくするような事柄だが、タットルは、それをけして自分には結び付けない。

しかし、おばあさんの死やテンペルの死によって、タットルは自分が何をしなければならないのか、何をしてはいけないのかを悟る。その悟りは、けして楽しいことではなく、むしろ苦悩すらするのだが、それが、これまで自分のしてきたことの報いであると思い、ひたすらそれを受け入れる。

折々の季節に見える星々の神話に重ね合わせるように、テンペルとタットルの話が語られていくさまは美しく、また神秘的である。最後は涙なくしては読めない。


2005年08月08日(月)
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 白の鳥と黒の鳥/いしいしんじ

『白の鳥と黒の鳥』/いしい しんじ (著)
単行本: 205 p ; サイズ(cm): 20
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4048735748 ; (2005/02)
出版社 / 著者からの内容紹介
なつかしくて斬新で暖かい。極上の短篇小説集を読む喜び。物語の曲芸師いしいしんじが一篇一篇、魅惑的に語り進める、短篇小説の楽しさがぎゅっと詰まった珠玉の一冊です。


いしいしんじの本を1冊読み終えた。日本文学の中で、無理矢理どこかに位置づけるとしたら、やっぱり宮沢賢治系だろうなとは思うが、かといって、今日読み終えた本の感じでは、一概に同じイメージでは括れないとも思う。そりゃ個人的には、どうしたって賢治のほうが上と思うし。

でも、この人はこの人で面白い。想像力が豊かであるという点では、賢治にもひけをとらないと思うし、他の作家(日本の作家はあまり読んでいないのでわからないが)とはひと味もふた味も違うだろうと思う。

しかし、賢治との比較はあまりしないほうがいいとも思う(私が勝手に比較しているだけだが)。たしかに賢治に似ているところもあるとは思うが、決定的に違う部分がある。賢治は男女の性については一言も触れていないのだが、いしいしんじのほうは、さりげなく、あるいは場合によってはあからさまに描いている。そこが、賢治の作品よりも人間くささを感じる所以だろう。

また作品によっては(今日読了したのは短編集だ)、現代的なユーモアも混じっているし、さらに、物事の捉え方が正直でもある。カラスが「クラゲ、クラゲ」と鳴いたなんていうのは、たとえ本当にそう聞こえたとしても、私のような凡人は、まさかカラスが「クラゲ、クラゲ」とは鳴かないはずだと、空耳と思い込もうとするだけだが、いしいしんじは、それをそのまま書いてしまうというところがすごい。

果たして、本当にカラスが「クラゲ、クラゲ」と鳴いているように聞こえたのかどうかはわからない。カラスが「クラゲ」と鳴いたら面白いだろうと思って書いただけかもしれない。それでも、そうした発想がユニークである。

賢治はあくまでも賢治でしかないのだが、いしいしんじは、賢治のようでもあり、アンデルセンやグリムといったおとぎ話やほら話の要素もあり、またアーヴィングやオースターといった現代外国文学の要素も持ち合わせている。しかし、イタロ・カルヴィーノほどにはぶっ飛んでいないのが、ちょっと残念。

2005年08月05日(金)
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 逆襲―2099恐怖の年〈6〉/ジョン・ピール

『逆襲―2099恐怖の年〈6〉 2099恐怖の年 (Book6)』/ジョン・ピール (著), John Peel (原著), 唐沢 則幸 (翻訳)
単行本: 201 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 偕成社 ; ISBN: 4037445603 ; 6 巻 (2003/03)
内容(「MARC」データベースより)
トリスタンは刑務所で出会った少女ジェニアとともに、デヴォンとの最後の戦いに挑む。クローン対クローンの戦いの行方は? ついに全ての謎が明らかになる、近未来SFシリーズ最終巻。

カバーより
コンピュータウィルス<終末の日>は破壊されたが、デヴォンのプログラムにより、核廃棄物運搬船が地球へと迫っていた。トリスタンは、宇宙空間で、デヴォンと最後の決戦を迎える。クローン対クローン、正義対悪。トリスタンは、はたして世界を救えるか?生き残るのは誰だ?


2005年08月02日(火)
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 メルトダウン―2099恐怖の年〈5〉/ジョン・ピール

『メルトダウン―2099恐怖の年〈5〉 2099恐怖の年 (Book5)』/ジョン・ピール (著), John Peel (原著), 唐沢 則幸 (翻訳)
単行本: 190 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 偕成社 ; ISBN: 4037445506 ; 5 巻 (2003/03)
内容(「MARC」データベースより)
トリスタンは世界を救うために、クワイエタスが育てた邪悪なクローン、デヴォンの暴走を止めに行く。地球、月、火星で巧妙な駆け引きが繰り広げられる。近未来SFシリーズ第5巻。

カバーより
人類を救う決意をしたトリスタンは、デヴォンの行方を捜す。そのころ、デヴォンは、月の全住民を死に追いやろうとしていた。シモダ捜査官は、地球の中枢であるコンピュータコントロール内部に、クワイエタスのスパイがいるとにらむ。シモダの策略によって、謎につつまれたクワイエタスのメンバーがついに暴かれるが・・・。


2005年08月01日(月)
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