わたしは豆が好きである。 春は豆のシーズンだ。 そら豆、えんどう豆などの旬なので、ついつい買ってしまう。 子供のころから我が家には豆が年中絶え間なく食卓にあった。 祖父が晩酌の肴に豆が好きだったので、春はそら豆の塩茹で、夏は枝豆が毎日のように夕餉の卓に上り、えんどう豆の天麩羅や豆ご飯が春の定番だった。ガキのわたしもお相伴に預かった。(豆だけ) その影響か、豆の茹で加減は「おしん」の如く幼少のころから鍛えられていたので、未だに頃合の茹で上がりは心得たものなのである。 そら豆に関しては、祖父は茹で上がると少し穀物に近くなるような熟れたそら豆を好んだけれど、わたしの好みは青っぽい若いそら豆が好みだった。 今は一人なので自分の好みで選ぶので、買うときは出来るだけ小粒で若々しいそら豆を買う。 鞘から出した豆は初々しく、塩茹でしてホコホコのところをほおばると、懐かしい想いがこみ上げてくる。
ということで、豆を茹でると少し仏壇にお供えするのである。 まず祖父がなくなったあと、祖母がよく仏壇にお供えしていたのを思い出す。 今では「だだちゃ豆」だの、「丹波の黒豆の枝豆」だの、いろいろ旨い豆が増えている。 昔もあったはずだけど、流通の盛んになった現代だからこそ味わえる豆でもあるのだ。
無くす味もあるけど、増える味もあるなり。
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