空色の明日
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家に居る時間に、久しぶりに雨が降りました。 蒸し暑い夏で心も身体もなんだかぐったりしていたところに、潤いをあたえてくれるような雨。
雨が降ると、いつも「包まれている」気持ちになって安心する。 少なくとも自分の居るこの空間が他から切り離されて包み込まれている安全な場所のような気持ちになる。
今夜は安心して眠れそう。
少しの言葉のやりとりの勘違いで、簡単に人の関係がだめになる。
それは、とくに思い込みや決め付けの多い人ほどそうなるのだなと思う。
職場でちょっとしたいざこざがあった。
それはほんの些細な出来事だったのに、二人の距離が離れているからどんどんお互いにそれを想像で広げてしまったかんじの、無意味な溝。
あっちとこっちにちょっとだけ塩と胡椒をパラパラ。
若い二人の誤解の溝は少し修復。
私もそういう年代になったということだ。 きっと私が若い時に、先輩たちがやってくれたように。
秘書をしていた時の後輩と街でばったり10数年ぶりに出会ったので、メアドを交換してから食事に行きました。 彼女は、今も別の部署で働いていて、途中でいろいろと変化した私と正反対にその会社に居続けることの厳しさを身を持って体験していました。
維持することは変化することよりも大変かもしれない、とその時初めて思いました。 いい会社だと思ってたのは、単に私のいたポジションがとても守られた場所で周りの人にも恵まれていたからだったんだなぁと。 それに、秘書に居た時は同じメンバーと働いていたわけだけど、その感じ取り方とか接し方(正しくは接されかた)もこんなに違うんだなと。
同じ時間、同じ空間にいても、感じ取り方で物事はまったく別のものになってしまうのだと改めて感じました。
それと、大切に大切に育った人に久しぶりに会って、やっぱりこういう人と一緒に居ると疑うこととか勘ぐる事を一切せずに話せて楽だなぁと思いました。 そういう人の比較的多い会社だったので、彼女もそのことに関しては、会社以外の人ととてもギャップを感じてしんどいというようなことを話していて、別に差別するわけじゃないけど、やっぱり価値観の違う人と居るのはとても面倒くさいことだなぁと思いました。たぶんこっちがそう思ってるときは相手もそう思ってるだろうし。
木綿のハンカチのような印象が今も変わらない人でした。
イッセー尾形氏が昭和天皇を演じた「太陽」という映画のことをテレビでやっていて、すごく見たくなりました。 イッセー尾形さんの一人芝居は何度か見に行ったことがあります。 静かにいろいろやる姿がすごく好き。 いろんな方面からこの映画に対して風が吹いてくるのではないかと、心配ではありますが、イッセーさんは演技者としてこの仕事をしたのですから、どうかどうかそっとしておいてあげて欲しいです。
終戦前後の昭和天皇の決断によって、今私はこうして生まれてきて、こうして元気に生きているわけですから、そのことを「歴史」として知っておくべきであって、自分の国の歴史やあり方に対してあまりに他国の人と比べて関心がなさすぎる日本人にはいい機会だと思います。 もちろん、ノンフィクションというわけではありませんから、それがすべてではないのですが、日本という国を存続させた偉大な人物の一人として、その人を映画にすることは、必要なことだと私は思います。 その偉業を人々が語り継ぐために。
さっき「ためしてガッテン!」を見てたら玉子焼き特集でした。 私は生まれも育ちも関西なので、甘い玉子焼きが食べられません。 邪道だ・・・完全に私の中で。 だから伊達巻も苦手だ。 苦手な食べ物が少ない私だが、甘い玉子焼きだけは、味わわずに飲み込んで食べる。だからにぎり寿司の玉子も好きじゃないです。 自分が関西人だなぁと実感する瞬間であります。
以前、お花を習っていた時に、先生がお花のような優しい声で、ふんわりとかわいらしく笑う人だったので、毎週その姿に心がふわりとすることを一番の楽しみに習いに行っていました。
それからも時々そういう、ふわりとした優しさを身体全体から発している人に会うと、ハッとしてこちらまでそのふわりに乗せてもらって、気持ちを静めてもらう機会が何度かあってそういうのって素敵だなと思っていました。
今の私の周りは、とてもテキパキと頭のいい人が多いのですが、逆にふわりとした人があまりいません。 緒川たまきちゃんや、矢野顕子さんみたいな、そういうふんわりした人に出会わないかな。 私が今の自分にドキリとするぐらいの。 そして「あんなふうになりたいな・・」と思うぐらいの。
ふんわりとメレンゲのような人
毎年夏になると天保山に私の大好きなパフォーマー、「カナール ペキノワ」さんがやってきます。 うふふ、そして今年も見に行ったわ。 なんで、あんなに馬鹿なこととかいっぱいやってるのに、なんかスマートな後味なのかしら・・。 そしてそういうとこが好きなの。なんかちょっと品があるのよ。 あぁ、千葉に住んでれば、もっといっぱい見れるのに。 私が年に1度だけ、グルーピー魂に火がつく日なのよ。 もしグッズとかあったら間違いなく集めてるね。 「鉄コン筋クリート」のフィギュアを集めたように。 むしろ抱かれたい男No.1にエントリーしてもいいぐらいだわ(笑) ちなみに私は「大」さんが好き。カリスマ的で←こういうのに弱い まさに私の萌えコードを揺さぶりまくるカナペキさんなのでした。
最近お野菜が高くって困っちゃいます。 暑くなるとドロドロ系の野菜をご飯にかけるのが好き。 長いもとろろとか、オクラとか、モロヘイヤとか。 モロヘイヤって、なんで和名をつけないんだろう。
ゆでてきざんだやつとか、かつお節とお醤油がぴったりで、てんぷらにしてもおいしいし、おひたしにしてもいいし、まさに和食にぴったりなのに、あの名前からは、どうかんがえても苦い味しか想像できないよね。
カルシウムとか栄養がたっぷりで、夏はものすごく食べるのです、モロヘイヤ。もうちょっと素敵な名前だったらいいのに。
映画を2日連続見ました。 「パイレーツ オブ カリビアン」と「ゲド戦記」。 パイレーツは2になって面白くなかったら嫌だなぁ(ありがちなことなので)と思っていたけれど、今回も最後まで全然退屈しない面白さでした。 ディズニー的な間合いのコメディがベタで心地よい。 ああいう「お約束」的なもの(映像でも音楽でも)が好きなのかも。 しかもかなり古いタイプのやつ。 終わり方も好き。
ゲドは、たぶんかわいらしい系ジブリの好きな人にはつまらないのかもしれないけど、ナウシカとか静かなものが好きな私にはすごく心地よい流れでした。影とか恐れとかそういうものたちがすごく肌で感じられるぐらいリアルに表現されてたなぁって思います。 あと、「カリオストロの城」とかあのぐらいの絵のかんじに、はじめっから泣きそうになるぐらい気持ちが震えました。 まんまとしてやられたぁ。 見てるだけで「未来少年コナン」とか「アルプスの少女ハイジ」とか子供ながらに心を奮わせた作品が私をゆすぶってる感じがしました。 やられたぁ。ジブリの歴史にやられたぁ。
お盆休みというものを生まれて初めて会社から与えられましたです。 っといっても、実家に帰っておりました。
実家に帰るととにかく眠くてしかたがないの。 夜も10時間ぐらい眠り、それでも昼寝します。 実家は決して広いわけではなく、みんなで雑魚寝状態なのですが、周りに人がいると安心して眠れるのだろうと感じました。 普段は、まるで野宿する旅人のように「いつでも起きれる状態」のような、緊張感とともに眠っているかんじ。3年たってもそんなかんじです。
さて、久しぶりにゆっくり帰ったので、地元の友達Yちゃんに会いました。 Yちゃんはアネゴ肌の私でも「姉さん!」と思える超しっかり者。 私もたいてい「いつみても波乱万丈」ですが、彼女に比べれば、こんなのは単なる甘ったれであります。 それでも今回はYちゃん夫婦と一緒に食事をしたのですが、カラリとした太陽のように元気に笑うYちゃんを見て幸せな気持ちになりました。
普段こんなふうに一人で暮らしていると仲のよい夫婦をみて「羨ましいなぁ」と思いますが、彼女と魔女ちゃんだけは特別です。 しんどい時の彼女たちの姿を見ているだけに、本当に心から「よかったなぁ」ってこっちまで嬉しくなります。そして彼女たちの幸せな顔を見ていると本当に「頑張っていればいつか幸せになれる」と勇気を貰います(笑)
彼女たちの幸せには、繊維密度のギッシリした織物や帯のような重みと深さがあります。木綿や絹や化繊とは違う、ひとつひとつの物事をきちんきちんと織り込みながら歩んでいく様が感じられます。
そして私を大きな優しさですっぽりと包んでくれる彼女たち。 いつまでもその優しさに甘えていてはいけないと思うけれど、いつかまたきっと私が元気に大きくなったら、お互いにカラリと笑いながらお酒を飲めるといいな。 それまでもう少し待っててね。
久しぶりにテレビを見たら江原さんの番組をやってた。 江原さんの言葉は優しくて、見ていると涙が出る。 家族が亡くなってしまった人の話だった。
寿命について、話していたけれど、私は今まで何度か死ぬかもと思ったタイミングがあって、それでも、たまたま生きていて、それは寿命だったんだと思った。 でも自分の寿命は自分ではわからないから、もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。 でも、今死んだら、きっととても残念な気持ちで死ぬだろうな。 一人でいるときに死んだら、残す人の数が少ないからいいのかもしれないけれど、せめてもう一度ぐらい、ほっと安心できる日々を過ごしてからこの世を終わりたい。 毎日が「生きるため」だけに生きている日々は、カサカサと乾いた音がしてむなしい。 「がんばって生きていてよかったなぁ。。」と思えるようになりたいな。
1999年大晦日、ミレニアムカウントダウンで世界中が盛り上がっていた瞬間、私はたった一人で海岸で花火を見ていた。 周りには家族や恋人や友達と一緒に、その1000年に1度の瞬間をまたごうと大勢の人がいて、その時私は思った。 花火を一人で見るほど心細く悲しいことはないと。 その時きっと私はいつかその時の家族と長くはやっていけないだろうと、ぼんやり思っていた。
それから何度も夏が来て、花火が上がった。 一人で花火をみるたびに1999年の寒い寒い真夜中を思い出す。 だから一人でいるときに花火の音がしたらなるべく目をそらす。
今年もまたそんな季節。
遠い花火を見るのは、なんだか手の届かぬ夢を見上げている時の気分に似ている
駅で塾帰りらしい女の子が泣いていた。 ふと気付いたのに、なぜかそこを通り過ぎてしまった。
駅員室では、どうもそれに対する策を練っているようだった。
ふとそばに寄って、「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてあげればよかった。
子供がいないからか、どうもそういうことに隔たりを作ってしまう。 私がその時、その子だったら、だれか女の人がそばにいてくれるだけで、きっと少し安心できただろうに。
帰り道をずっと一人「どんなふうに話しかければいいか」について考えていたけれど、その時きちんと声をかけてあげていれば、こんな無駄な空想はしないですんだのに。 思ったことをなぜか無駄に躊躇する自分がいやだな。
安藤みかげ
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