空色の明日
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みんななんとなく元気がない。 そして私も元気がない。 春は巣立ちの季節。 「さよなら」って言葉があちこちで聞こえる。 だけど、みんな凛として、新しい道を歩き出す。 背中から「幸多かれと祈ります」としかいえないけれど。 みんなみんな幸せになって。 私も幸せになるようがんばるからね。 春には笑顔で背筋を伸ばして自分の道を歩こうね。 今日ARAちゃんが我々の職場から旅立ちました。
久しぶりに三ノ宮を一人で歩き回った。 ちょっと離れた隙に、いつのまにマルイ前に歩道橋作ってんの!!! 歩き回らないとわからないわねぇ。 でも神戸のいいところは歩き回ってほぼ全部歩き回れちゃうところ。 そこが神戸の好きなところ。 いつまでも自分の懐の中で把握しきれるところが。
中山手通を歩いてたら前からTくんが歩いてきた。 Tくんは、私が昔ものすごくお酒を飲んでた時によく行ってた店でご飯担当だった人だ。 シンプルだけどTくんのご飯はどこかいつも「確実な美味さ」があってバーにしてはみんなそこでご飯を食べてた。 彼は震災後独立して自分の店を持った。 そのころから私も神戸を離れたのでお店には2回ぐらいしか行ってなくて、彼ももう私のことなど覚えてはいないけど、でも彼がこうして今もちゃんとこの街で店を構え続けてるってことがなんとなく嬉しかった。 彼の料理の美味しさをわかってる人がたくさんいるってこと。 私が住んでた頃の神戸がいまもそこにあるみたいな気持ち。 そして私がいまもこうして元気に神戸を歩いているという幸せ。
最近梅田より三ノ宮に行く率のほうが高いのってこういうことなのかもしれない。
ひさしぶりに泣いた。 いろんなことを吐き出すみたいに。 少し気持ちが晴れた。
ということで、やる気なし子の私、早引けしてミュージカル「十戒」見てきました。 私の母は、その昔、映画「十戒」で海が割れるのを見てワクワクしたとよく言ってましたが、その世代のお客さんがとても多かったのに驚きました。 歌を聞きに来たって思うぐらいものすごい歌唱力の出演者に圧倒されます。 演出も、音響もダイナミックで久しぶりに音を体で「振動」として感じて気持ちよかった。音が雨みたいに振って来るってかんじ。 途中までとても大人しい観客でしたが、最期に向けてステージと客席が一体化していって、感動的だったけど、どうせならもっとはやくからその状態になりたかった・・・と思った。 でも大スペクタクルなのに、終わった時、気持ちがあったかくなるのは、やっぱりあの音楽や出演者の暖かさだろうなぁ。。。 フランス語じゃなかったら、もう少し舞台に集中できたかも・・ ステージ上のあちこちに見所がある上に、字幕を読むのはかなり困難だった。 それにしても見ごたえあるなぁ・・でもチケット売れてないんだろうな・・って気の毒でした。 3月には東京で上演されるのでどんな反響になるのか楽しみです。 こういうのは、ほんとに関西はダメだなぁ・・。売れない。
もう、そろそろ春の服に替えていかないと・・・。 菜の花のおひたしを作って食べました。 おひなさまも飾っています。 桃の花も少しだけ飾って、春の支度。
そのわりに、なんか仕事面で責任だけがUPしてることが、妙に憂鬱でやる気が出ない。 「なんかうんざりだなぁ〜」と思っていたら、元上司から電話があって「明日、『十戒』のアリーナ手に入ったから相棒さがしてるけど来ないか?」と遊びのお誘いだったので、もう仕事は早引け宣言して明日は遊んできてやる。 不思議。 あっちでおこったことのフォローをこっちの人がしてくれて、こっちでへこむとあっちで笑わせてくれる。 たくさんの人がいつも誰か私を元気にしてくれる。 しかも全然こっちがへこんでるとか知らないで、唐突に。 自分の周りをたくさんの人が囲んでくれてる。そんなかんじ。
久しぶりに母と昼ごはんを食べる。 私の遅い誕生日祝いらしい。 店の指定は私だが(笑) 王子公園の小さな小さな割烹。 何もかもすごく工夫がされてて、美味しいものをよくわかってるご主人だと思った。みんな美味しかった。
そのあと、岡本の梅林に行った。 大人になってからああいう小さな花が好きになった。 梅も赤より白がいいな。 白滝枝垂って枝垂れ梅がよかった。
明日はさるちゃんの誕生日なので、夜、さるちゃんを家に呼びつけて晩ご飯を食べた。 ヒレカツを揚げてあげた。彼女はカツが好きなので。 さるちゃんは最近モロゾフで働き始めた。 お勧めの「エダムチーズケーキ」という小さいベイクドチーズケーキをお土産に持ってきてくれた。 濃厚で美味しい。 私の誕生日には2月限定のチョコレートチーズケーキとかいう、生チョコとチョコチーズケーキの2層になってるやつをくれたが、それもチョコ好きにはたまらない美味しさ。2月いっぱいでなくなるけど。 モロゾフの生ケーキって見た目はすごい地味だけどしっかり美味しいから好き。プリンはもちろん美味しいけど、チーズケーキも昔から好き。
抱えていることがだんだん容量オーバー気味になってきて重たくてアップアップしはじめた。 こういう余裕のない感じが一番嫌い。 とにかくなんだかんだといろいろ抱え込みすぎた。 少しずつ取捨選択していかなくてはきっとなにもかもダメにしてしまいそう。 自分の容量をちゃんと知ることって大切だと思うので、それを超えたら心を鬼にしていろいろ整理整頓しないといけないと思う。 それが最終的にまわりに迷惑をかけない一番最善の手段じゃないかと。 明日は休みなので少し頭を休めてあげよう。
私が勤務している劇場に関する特集TV番組の録画をみました。 稽古しているところなど、仕事柄、時々目にはしているのですが、こうしてブラウン管を通してみると、番組ってすごいな・・と思う。 迫力とか、感動とかそういうものが「煮詰められてる」かんじ。 実際見るほうがもっと「あっさり」してる気がする。現場って。
私の場合、この劇団を運営している親会社の別のポジションで働いていた期間の方が長いせいか、この職場に来てからもあくまで「劇場」というより「会社」という意識のほうが強い。 たぶん首までどっぷり劇団に浸るかんじがイヤで、どこかクールに遠いところから客観視していたいのだろう。ま、でないと仕事にならないのだけど。
でも、実際私がやってる仕事は、劇団のプロモーション業務のようなことであって、番組で「作品を作っている」という感覚を目の当たりにすると、自分がその端っこでその作品をたくさんの人に見てもらうために働いているんだと初めて実感した。 この会社に勤めて、ブランクを差し引いて10年近くなるが、こんな気持ちになるのは初めて。「作ってる」というかんじが。
何かが自分の中で少し変わった気がする。
通勤エリアはちょっとしたおハイソ住宅街。 電車でお子様を連れているお母様もおハイソなにおいがする。 最近よく子供の靴を脱がせずに座席に座らせているお母様を拝見するが、あれはどういうことだろう。 おハイソ電車でもやっぱり同じなのだ、これが。 横にいる靴のまま座席に立てひざしてる高校生を指差し「10年後、あれになるよ」と言ったらどんな顔をするのだろうか・・と思う。
子供の時、「靴脱いでから座りなさい」としつこくいわれた。 当然、子供は小さくて座ると靴がシートに乗っかるぐらい足が短いからだ。 そうやって言われているうち「靴を座席に乗せたらだめだ。みんなの場所を汚しちゃだめだ。」という小さな罪悪感が植えつけられる。 この「小さな罪悪感」で守られてるモラルっていっぱいあると思う。 最近この罪悪感がどんどん減ってる気がする。 「自由」という名前の「わがまま」でどんどん人への配慮が欠けてきてる。 自分さえよければいい人は、自分だけの世界で生きて欲しい。世の中に出ないで。 私はいつまでも小さな罪悪感を大事に抱えながら生きたい。
2005年02月19日(土) |
しょーもないことの数々 |
前から思ってたんだけど、○リコジャパンのCMで、奥様が保険の内容を問い合わせる電話をしてるやつ、あれってすごくよくできてるなと思います。 なんで、初めてかけるところに電話する時、立って電話しちゃうんだろう。 そして繋がったら座って話すんだろう(笑) あの緊張感があのCM見てるとすごい伝わってくる。腕とか思いっきり力入ってふんばって伸ばしてるかんじとか。 そして親近感がわく。
英会話のいまのクラス、少し難しくて大抵2クールやると脅されていたのでがんばったら、1クールで上のクラスに進級が決まった。嬉しい。 通い始めた時に授業料として貯めておいたお金もそろそろ少なくなってきたので、のんびりはしていられないのだ(笑)こういう追い詰められ方をしたほうが学業って身につくと思う。 学問で進級したと思ったら仕事でも昇進して店長になることになってしまった。 でもお手当てはちょっとしか上がらないのであまり旨味はないが(爆)当初の予想ではじき稼ぎから授業料を捻出できるようになるだろうと思っていたが、今になってやっとプラスマイナス0にまで到達というかんじ。 学生の頃にこのぐらいのハングリー精神があれば、もっと貪欲に勉強しただろうに。。。
バレンタインにチョコトリュフを作ったら美味しかったのだけど、コアントローを入れたのにあまり香りがしなくて納得がいかなかったのでホワイトチョコで作ったら、想像していた通りブラックチョコで作った時のようには固まらなかった。 作ろうとしたときに、なんとなくこんな失敗を過去にした気がすると思っていながら、また数十年して同じ失敗を繰り返してしまった。 我ながらアホだと思った。根本的に「思いつき」の思考回路は大人になっても変わらないのだと思った。 でも出来上がりはドロドロというわけではないので、一応不恰好ながらも丸めて冷凍保存して時々食べてる。 味はホワイトの方があっさり。これはこれで美味しいけど。
「気付かない」って怖いことだと思う。 自分が正しいと思っていることが多いほど気付いてないことも多いんだろうな。 なんでも不安な人ってある意味いろんなものが見えてるのかもしれない。
「自分はいい加減だから」という人は、相手から指摘してもらうチャンスを受け入れる体制をアピールしてて、賢いなと思う。 自分に自信がある人、自分の生き方を信じてる人、私はちょっと怖い。
まっすぐ前を見据えてる人より、時々きょろきょろとあたりの様子をみながら足を踏み出すぐらいの人のほうが、いろんなことを察していく器用さを持ってて一緒にいて楽。 堀江社長のやり方って、私は苦手。
誕生日にとたくさんの人からプレゼントを頂きました。 私らしいものを選んでくれる気持ち。 みんなちゃんと「みかげちゃんが好きなもの」って考えてくれて、それがまた見事に私のツボなもので、直接なかなかお会いできない人でも、こうして私が発するものから、私を掴み取ってくださってることに、とても驚きます。 話すのが下手な私はむしろ直接会うよりも、こうして文などにして自分の思いをまとめてから発する方が、素直に伝わるのかもしれません。 そしてこうして人が自分のことを祝ってくれるということの幸福感は、胸が熱くなります。 私の周りをたくさんの人が包み込んで温めてくれてるような気持ちになります。 2月って一番寒くてつらい季節のはずだけど、この時期に生まれて幸せだったのかもしれません。 こうしてみんなが温めてくれるんだから。
バレンタインなど、私も人にものを贈る時期でもありました。 ものを贈るって幸せな気持ちですね。 自分の中の「ありがとう」とか「喜ばせたい」とかそういう温かい気持ちを形にしようとする時のわくわく感。 そしてそれを贈りたい人がいるということ。 義理チョコなんてものは存在しないです。 私はたくさんの人に見守られてすごしてるんだなって思うほど、このチャンスに「ありがとう」って言いたい人がたくさんいます。 それだけ誰かに見守られてるってことは幸せ。 贈られる方より贈る方が幸せなのかもしれません。
朝、女の人たちは、なにやら紙袋を下げている。 夜、男の人たちが、なにやら紙袋を下げている。
帰りの電車で、前に座っていたカップルの男の子が、彼女の手作りチョコの試食を始めた。 本当に嬉しそうに食べていて、すごくかわいかった。 「美味しい!」という彼に「ほんま?よかった〜☆」という彼女もかわいかった。 こんな気持ちでみんながいたら、世の中、平和なのにな。
電車を降りるとき、彼女が照れてるのか、「チョコの袋持とうか?」といったら彼が「持ちたいねん、自慢したいねん」といった。 なんかそれもかわいかった。
素直な気持ちってかわいいなぁ・・・。
昨日2軒隣のマンションでボヤがあった。 消防車がやたら来ると思って表に出たらマンションの前に消防車が10台ぐらい集まってきててびっくり。 実は、そのボヤが出たマンションもワンルームマンションで、なんだか他人事とは思えず、ちょっとドキドキ。 すぐに鎮火して、消防車は引き上げていきましたが、しばらくドキドキしていました。 そういえば、前のマンションの時もすぐ数軒先で火事があって、同じように消防車が怒涛のようにやってきていたのを見ていたっけ。 怖い怖い。 マンションを電化にするのがなんとなくわかる。。
HPビルダーを持ってるにもかかわらず全然活用してませぬ。 最近の「ブログ」ってやつはすごいですね。 なんかデザインとかもいっぱいで。 私がSWITCHで利用させてもらっている某堀○社長の会社のブログもまた新しいデザインがいっぱい出来てて、使いたくてウズウズ。 これからしょっちゅうデザインが変わると思いますが、間違えて他のとこ開いたと思わないでくださいね(笑)
お誕生日のプレゼントを今年もたくさんの方から頂きましたが、今年一番びっくりしたのは、チャイ子からもらった「生肉」です(爆)(マンハッタンラブストーリーを思い出します、はい。) その日、チャイ子はお休みだったにもかかわらず、肉屋の袋をガサガサいわせて職場まで来てくれて、「はい、肉食べて」とパックを差し出しました。 チャイ子の家は三田の方なので美味しいお肉屋さんがあるのだそう。 そこの美味しいお肉を持ってきてくれました。(ほんとに美味しかった) まぁね、冬だから外に置いておけば、冷蔵庫じゃなくても大丈夫だけどね。 冬生まれでよかった。。。 (2月9日は肉の日だから肉だったのだそうだ・・・) そんなお茶目なチャイ子、「おまわりさんセット」をプレゼントしてくれた他の同僚に「負けたくなかった」のだそうです(笑) なんて和やかで素敵な職場なんだ・・。幸せ。
ぽかぽかと春のようなお誕生日でした。 今年もいっぱいの人から祝っていただいて、幸せでした。 一人暮らしだけど、こうしていつもたくさんの人が、気にかけてくれてて、寂しくなくて、こういうのが本当の幸せってやつだなぁと思います。 両手に溢れるぐらいの幸せに「うぅ、贅沢〜!」って思うぐらい。 こうして祝ってくださった皆様のためにも、いつまでもそんなふうに感じられる素直でまっすぐな自分でいたいなぁと思います。 歳を重ねて、年輪を刻む幹というよりは、風にも雨にもふわりふわりと添いながら揺れている柳の枝のようなそんなかんじでありたい。 いつもニコニコと柔らかくしなやかなたたずまいで、みんなのそばにそっといられたらと思います。 みなさま、ありがとうございました。
最近よくサンドウィッチを作って食べます。 コンビニをしていた頃には全然作らなかったのは、毎日100個近いのサンドウィッチを見ていたからでしょう。 仕事から帰って、大量に鍋に作ったスープを温めなおしている間に、ささっと作ります。 以前は結構面倒なメニューだと思っていましたが、今は平気で自分一人のために作ります。 食べたいと思ったら自分のために労力を惜しまず作る、この「食いしん坊魂」が私のエネルギーの源だと思います(笑) たぶん、私の一番の趣味は「食に接する」事だと思います。 作ることも食べることも、見ること(料理番組や買い物)もみんな好き。
「エリザベート」を見ました。 とにかく黒い黒い作品です。 たぶん若い時に見てたら相当はまっていただろうなと思います。 ダークサイドに憧れる年齢ってあります。 今では、どうしてこうもそういうものからすっかり卒業できたのか不思議なぐらい、憑き物が取れたように清々しい生き方のほうが好きになりました。 今日の「誰でもピカソ」で美輪さんが言ってたけど、美味しいもの、魅力的なものは体に悪いのです。 体に悪いものはだから魅力的に作られてるのです。 でないと、地球上は人で溢れてしまうと思う。 死の魅惑の物語を見て、黒い暗いものに足をひっぱられないくらいには大人になれたのかも・・って思いました。 でも見終わったらどんよりした。 黒い物にアタッたかんじ。
節分ですね。 知らなかったのですが、関東のほうでは節分に巻き寿司1本まるかぶりってしないらしいですね。 少なくとも関西では毎年恵方を向いて1本まるごと食べるって習慣があります。 しかも食べてる間に喋っちゃいけないのです。 まるごと1本ですから、お腹一杯になるので、近年はまるかぶり用の小ぶりなのが出てたりします。
巻き寿司って子供の時からあんまり好きじゃない。 たぶん具のほとんどが「甘からい」物だからだと思う。 かんぴょうとかあなごとか甘い玉子焼きとかしいたけとか。 甘辛い味があまり好きじゃないので、私はいつもサラダ巻きとか鉄火巻きとかを食べます。
他にはヒイラギの枝を玄関に飾って魔除けにしたり、鰯の丸焼きを食べるなどの習慣があります。 鰯は焼く時におそろしく煙が出るのでその煙で鬼を遠ざけるって意味らしいです。
そして豆まき。 昔は庭があってそこに豆を投げられたのに、昨今はマンションから。 さっき家に帰る途中で横のマンションの窓からあやうく「鬼は〜外〜!」と豆を投げつけられそうになりました。 豆を歳の数だけ食べるというのは、10歳ぐらいの時でも美味くないと思ってたので、「大人は大変だなぁ」と考えていました(笑)
小泉さん(キョンちゃんです、当然)が事故したらしいです。 ダメな時ってほんとにあるんだなと思います。 でもダメだって思わずに時には頑張ってみちゃって欲しいです。 後ろ振り向かずに。 一人だからできること、いっぱいあるし、またそれをやれることを楽しんで欲しいです。
寒波、すごい。 でもマンションってすごいな。 家に帰ったら朝出たときの暖かさがほぼそのまま残ってた。 全然寒くないんだもの。狭いから余計にそうなんだろうけど。 マンションって楽だな。 雪見ると、温泉宿に泊まりたい気持ちになる。 寒い寒い日に温泉に入って、お酒飲んだりして暖かい部屋でぼんやり。 何年か前に友達と有馬に泊まったことを思い出す。 でも私はいつも有馬に泊まると飲みすぎて半分潰れる(笑) 寒いとなぜか日本酒を冷やで飲みたくなるなぁ。
安藤みかげ
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