空色の明日
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2001年01月26日(金) 未熟者

たぶん私は好奇心旺盛な方だろうと思うのです。
小さい頃から何か新しい事があると、それがどのようにして
行われるのか、どういう原理でそうなるのかをちゃんと
この目で見ておきたいほうでした。

何事もどういう筋道でこうなるかということがわかっていないと
不安なのだと思います。
もし、何かトラブルがあったとき、その物事の成り立ちが
わかっていれば対処のしようもあると・・・
その為にいつもなるべく工程から参加するタイプです。
「わからなければ誰か助けてくれるだろう」と考えられない
のは、長女だからでしょうか?(いや、たぶん性格だな)

よく「なんでそんなこと知ってるの?」と聞かれるくらい
おばあちゃんの知恵袋みたいなとこがあって、それは別に
あまり勉強には役立たないことだったりするのですが、
私が思うにこれはある種の本能なんじゃないかと。
もともとそんなに体が丈夫な方ではないので、例えば
生命に負担がかかるような出来事があった時、自分の生命力が
弱いが故にそれを知恵で補わなければいけないという
本能が働いているのではないかと思うのです。

だから子供の頃から天災にあった時、まず何をするかとか
そういうシュミレーションを頭の中でずっとやってたのです。
(かなり怖い子供だよね、今考えると)

で、実際に大地震の時すぐに布団に包まって壁際に逃げたり
水を貯めたり、電気だけ使えたので電気炊飯器と電気グリルを
買いに走ったり、ものすごくテキパキと行動したわけです。
それはもう、ずっと昔に私の頭の中でシュミレーション済み
だったからです。


そんな私ですから自分が経験していない事に関しては、
全くお手上げ。というか知らない事に関して弱気。
日々ものすごく強気にガンガン書いてる安藤も、
書けといわれたって絶対書けない事がある。
それは「母親の立場」。
先日も友達の出産祝いで旧友2人と集まった。
もう、みんな母になってる。
彼女達には私は何も言えない。立場が全く違うから。
母親やってる人からすれば私なんてお気楽だしまだまだ蒼い
奴なんだろう。
だからこれを読んでるお母さん方、私がたわけた事を書いても
「ふん、安藤もまだまだ蒼いわね。」と笑い流してくださいませ。


2001年01月25日(木) それはどうだろう・・JR

雨・・・お利巧にお家でいようと思ってましたが
年末からこっち、全く汗をかいていない自分に気付いたので
ものすごくひさしぶりにスポーツジムへ。

私とスポーツジム、最も遠い存在。
なんせ生まれて今まで1度として運動不足じゃなかった時期など
ないのですから。
体育の授業以外で自主的にスポーツなんてしたことがない。
だから私がジムに行くなんてかなり画期的です。

でもさすがにね、運動不足にも程があるよ。
毎日会社に通って会社の中をグルグル早足で歩き回ってただけでも
結構な運動量だったということを思い知ったのです。
退職してからちょっと太ったので。

普段、ジムまでは自転車で20分。
でも今日は雨だし、カサをさしながら自転車を漕ぐような
巧みな技はもっておりませんのでひさしぶりに電車に乗りました。
そしたらビックリ!
ホームに入ってきた電車がおどろおどろしいペインティングに
その身を包まれているのです!!
そう、それはこの春オープンの「ユニバーサルスタジオジャパン」に
向けてJRが調子に乗って作ってしまったUSJキャラの電車。
まあ、日本全国いろんなペインティング電車がありますが、
あーんな気持ち悪いものもめずらしいでしょうね。
なんせ、テーマがテーマだけにバックが黒っぽくて、そこに
ETやらジュラシックさんやらがデカデカと書かれてるわけです。
ETなどは顔がドアにかかってるのでドアが開くと顔が半分になっちゃうし。
思わず一人なのに「気持ちわるーい」と声に出して言ってしまった(笑)

さてもうじきOPENのUSJ。
まだまだ工事はやってますがほぼ出来あがってきたようです。
我々地元区民はプレオープンかなんかで無料ご招待だそうで・・・。
でもプレオープンってさ、日が決まってたりするじゃない?
そしたらその日は区民全員がUSJにいるってことでしょ?
それって泥棒さん入り放題!?
いやー、どうなるかわかりませんけど、皆さんよりは一足先に
行けそうな感じですので、また感想をご報告いたします。


2001年01月23日(火) 「美しく生きるために」2

皆さんご存知の美輪さんの声。
かなり個性的な声ですが、高い声から低い声までものすごい幅ですね。
ま、個人的に私はそんなに好きではない声なんですがあの方は
この頃ちょっと低めのゆったりした声で話そうと努めているそうです。

日本では高い声がいいように思われてるのかアナウンサーも
歌手もみんな声が高いですね。
あれってアメリカでは正反対。
「雨に歌えば」って映画でとても美人の女優が声が
バカみたいに高くてアホっぽいので声だけを吹きかえるという
ストーリーがあるのですが、アメリカではしっとりとした
中低音の声のほうがよしとされますね。
テレビで見ても向こうのいい女って大抵声が低い。

はっきり言って日本だけなんですって。高いの。
私はもともと声が低いのでこれってすごく救われた気持ちになった話でした。
ま、でも話し方をもっと優雅に美しくしないといけないんですけどね(笑)


もう1つ。
日本は蛍光灯の国。照明文化が最も遅れた国。
一応これでも建築をちょっと習ってた私もここはとてもやかましく
叩きこまれまして、家を建てた時も照明には特に力を入れました。
明るいだけではだめなのよねー。
これにちょっと関係して面白い話。
ヨーロッパで昔パーティーなんかがある時、開催前に女性だけが
入り口で早くから並んでる。
で、開場した瞬間みんな一斉にダー!!っと走って場所取り。
なんの場所かというと会場の構図が全て頭に入っていて、
照明の位置、ソファーの位置、自分を美しく見せるために
1番いいポジションを頭の中で計算してその場所を取る為に
こぞって並んでいるんだそうで・・・。
私は右の顔がいいから右にスタンドライトのあるカウチを
陣取るとかそういうふうに計算するわけ。
そこまで昔の人は美に関して計算してたのね。
だから「今の人は便利さにかまけてサボりすぎ!」って言われちゃいました。

魅力的な女性になるためにはやっぱり努力しかないのよ!
うー、ゴロゴロしてる場合じゃないわ・・・。
といいつつこたつから出られない安藤であった。


2001年01月22日(月) 「美しく生きるために」

美輪明宏さんのトークライブに行って参りました。
2時間30分たっぷりのお話で今日1日では
書ききれないので何度かにわけて書きますね。

まず客層の広さ。
でも圧倒的に女性です。
男性は女性のお供できた人か、あきらかに女性の心をもった男性。
女性は若い人も美輪さんくらいの歳の人もいました。
「美輪様」と呼ぶような雰囲気の人もいたのですが、私は
そんなつもりもないのであっさり行ったつもりでした。
が、なんと席が1列目の真ん中。
ちょっと緊張。

さて、形式としては会場から質問をうけ、それに答えつつ
トークを繰り広げるというパターンでした。
美輪さんの話を聞きに来るくらいだから素敵な質問がでるかと
思っていましたが意外にも「理想の女性像は?」とか
「美しさの源は?」とか・・・・。
しかも話し方がなんとなくあほっぽい感じで(あら、失礼)
これっていうのは美輪さんどう受けとめていいやら・・って感じでした。
みんなもっと美輪さんの本読んでから来ようよ。
最後に質問された方だけが美しい話し方でそれなりの質問を
されたのでちょっとだけほっとしたかんじ。

さて、気になった言葉をいくつかメモして帰ってきたのですが
その中の1つを。

「生活とは生きる事を活かすと書く」という表現。
生活していくなら生きる事を活かせるように楽しく美しく
毎日を有意義になるよう努めようよ。ということ。
1番気に入ったのはこの表現でした。
私はこの日記の説明のところに「やりたい事だけやって生活してる」
と書いていますが、ま、別にやりたくない事をやらないわけではなく
やりたくないことも出来るだけやりたくなるように努力して
楽しくやれるようにしてるわけです。
だからこの「生きる事を活かす」という表現はまさに私のモットー。
美輪さんが言いたいことが私に素直に入ってくるのは
きっとこれが根源にあるからだと思います。

皆さんも「生活」大事にしてください。
毎日楽しくなりますよ。


2001年01月18日(木) 全国のみなさんありがとう

震災関連イベント。
神戸ってやっぱりちょっと違うかも。
普通ああいうのってレクイエムでしょ?
でもレクイエムとかいってルミナリエやって観光客
集めてみたりとにかくなんか前向き。
とりあえず観光地だし、暗いイメージだけは払拭したいらしい。
実際、住民が戻ったり観光客が戻らないと、町の景気は
回復しないのでそういう方向でイベントをするというのは
いかにも商売上手な神戸らしい。

今年の1月17日イベントも一味違う。
テーマは「ありがとう」。
あの頃神戸を助けてくれた日本中、世界中の人に感謝する
イベントとして開催された。
募金ってものに私はあまり興味を示してなかったが、あの頃
初めてそれによってたくさんの援助をしてもらい実感した。
何が嬉しいって、日本中が自分たちのことを思ってくれてる
ということの心強さ。
もしこれが戦争だったら誰も助けてなんてくれなかったろう。
でも震災に遭ったのはここだけ。
だから日本中が手を差し伸べてくれた。

18日の昼には北九州ナンバーの水道局の給水ポンプ車が
近所の小学校にやってきた。
たぶん一晩中走って来てくれたんだろう。あの大渋滞の中を・・・。
そして近所を見知らぬ男の人が「小学校に給水車きてまーす!」
と叫びながら走っていた。
水はないがそれでもじっと家にいた私たちのためにこの人は
一晩中は寝ずに来てくれたんだと思うと涙が出た。
日本中が私達を心配してくれてる・・・。


たぶん当時、神戸の人の誰もが周りの誰かから手を差し伸べられた
という経験があったはずだ。
でもその時、見知らぬその人は自分の名も告げずに走り去ってしまった
というケースが多かったと思う。
それだけ私達を助けてくれた人たちは謙虚でそして忙しかった。
だからみんな心の中で「ほんとうにありがとう」という言葉を
ずっとあたためたまま伝えられずにいたと思う。
私もそうだ。
水を持ってきてくれた人、線路が途切れたところを歩いていた時
お絞りを配ってくれた女の子たち、国道を歩いていて車から
「どこまで行くの?乗っていきませんか?」と声をかけてくれた
おばさん。
他にも大勢私達を思ってくれていた全国のみなさん、ずっと言いたかった。
本当に心から感謝しています。ありがとうございました。


2001年01月11日(木) まだ見ぬ人達

明日ちょっとしたイベントがありまして東京に行きます。
大好きな俳優さんと監督さん他、大勢の役者さんを見に。
なにも東京まで行く事ないじゃないかってかんじですが、
なんか見事抽選で当たってしまいまして、それと同時に
今までネット上で知り合った関東周辺のお友達も
集まってくる様なのでこのチャンスにみんなに会ってみたい
ということで思いきって東京へ・・・。

以前にも仲良くして頂いてるメル友さんに会いましたが
メールのように文章の上での友達に実際会うと全然
違うということも多いでしょう。
私もたぶん全然違うと思うのですよ。
私なんかはいつも結構長い文をダラダラ〜っと書くので
お喋りっぽく思ってる人もいるでしょうが、実はものすごい
人見知りさんなので初めて会うと全然喋りません。
頭の中ではいっぱい喋ってるんだろうけど・・・。
だから文になると饒舌になるのです(笑)
言葉を選んで喋ると言う事はとても難しい。
文は書いてから「あ、これよくない」と思ったら直せるけど
喋ってしまったものは修正できないですね。
(これでも日記書いてから3回くらいは読み返してるんです)
頭の回転がスローな私は頭の中で言葉を選んでるうちに
その沈黙を何とかしなくては・・・とあせり出して
結局くだらないことをポツポツ話して後悔するのです。

明日会うまだ見ぬ人達・・・。
明日会ったらもうしばらくは会えないだろうから
後悔のない様、上手く話ができるといいな・・。


2001年01月08日(月) 伝説のコンビニ 3(最終回)

今日は雨かとおもいきやちょっと白いものもチラチラ。
みぞれというやつでしょうか?
いくら西日本とはいえ、冬は冬。
伝説のコンビニのゴミ置き場(といってもこの店からゴミなど
出るはずもないのだが)の横にはこんな季節冷たくなった
元人間が転がる事もしばしば。
コンビニの敷地内に、年にそう何回も死体が転がるなんて
やっぱりそこは伝説のコンビニ。


いくら伝説の店長とはいえ、オープン初日は誰でも新米。
昼間はなんとかスムーズにクリアしたが日が暮れて
あたりが真っ暗になってからふと表の方を見ると
何やらキラキラ光る小さなものがたくさん宙に浮いている。
それは時間を追うごとにどんどん数を増す。
よくみると闇の中で大勢の人間がこっちをじっと見ているのだ。
その数はどんどん増えている。
いわば荒野で焚き火をしている旅人を遠巻きに囲む
狼の集団。
さすがに店長もSVもみんな
「明日はこの店、なくなってるかもしれない」と思っただろう。
しかしなんとか無事に店は存続された。
但し営業はよる11時までである。

伝説のコンビニ担当になったSVも命がけ。
店で打ち合わせが終わって表に停めた会社の軽自動車の中で
ちょっと書き物をしているとなーんか視線を感じる。
ふと周りを見るとなんと車の窓にびっしり人が貼り付いているのだ!!
それも1人や2人ではない。窓全面びっしりだ。
「やられる!!」と思い、藁にもすがる思いで店のほうを振り返ると
伝説の店長が何やら手に持って飄々とやってきた。
車に近づくと貼りついた人間たちに100円玉を1枚づつ
与えている。
それと共にザーっと音を立てるように彼等は消えていったそうだ。
「ありがとうございました。助かりました」と胸を撫で下ろすSVに
店長一言「これも必要経費やからな」(ニヤリ)
かっこいいーー!!!とSVが思ったかどうかはわからないが
今一度いう。ココは日本、大阪市内だ。(しつこいよ)

私の知っている伝説はここまでです。
この店がなぜ閉店してしまったかは私も知りません。
店長が「こんな店やってられるかー」と言ったか、
それともこんな街にも不況の波が押し寄せたのか
それはわかりません。
でもおそらくこの街に今後コンビニなど作ろうと言うような
無謀な人間はおそらく現れないでしょう。
そして店は閉店しても闇の中で明かりを灯していたそのコンビニの
伝説はいつまでも私の心の中で明かりを灯し続けるでしょう。


おまけ
釜ヶ崎ではコンビニの賞味期限の切れた弁当類が1つ100円前後で
販売されている。
もちろん路上でである。
一時期うちの店にも来ていた。
自転車の荷台に発砲スチロールの保冷箱をくくりつけたおっちゃん。
ゴミを捨てようと店の裏に行くと闇に何やらうごめく人影。
驚いて凍り付いていると
「毎度お世話になってます」とお辞儀された・・・。
「ちゃんと片付けていってよ」としか言えなかった(笑)
そのおっちゃんも今は現れない。生きてるんだか・・・。


2001年01月07日(日) 伝説のコンビニ 2

伝説のコンビニの店長もやっぱり伝説の店長。
この店で万引きなどしようもんなら警察に突き出されるより
ひどい目にあう(笑)
ひっ捕まえられて床に転がるくらいまで軽くしばかれて
ポケットを探られて「お前ちゃんともっとるやないけ!」
とお金を抜き取られる。(おそらく捕った物の額+税+サービス料)
カウンターにはもちろん金属バットが置いてある。
(ま、これコンビニには必需品。ウチも鉄パイプ置いてます。
見える様に。しかも握りやすい様に持つところにビニールテープ巻いて)

この店の品揃えの最大の特徴はプロモーションエンドにある。
プロモーションエンドというのは店の1番目立つ場所にある売り場で
新商品や、季節の商品(バレンタインチョコとか花火とかそのシーズン
に売れるもの)を綺麗に陳列し、いかにたくさん売るかという、
いわば勝負コーナーである。
だからこのコーナーが綺麗に設定されている店は「やる気のある店」
とみなされるわけである。
基本的にこのコーナーに置くべき物はよっぽどイベントのないシーズン
以外は各店担当のスーパーバイザー(以降SV)によって決められる。
だいたいこのSVが週に1〜2回来てそれぞれの店がちゃんと
経営しているかをチェックしていくわけである。
もちろんあんまり勝手ばかりする店は叱らなくてはならない。
でも伝説の店長にSVなど関係ないのである。
そしてこの伝説のコンビニのプロモーションエンドは
年がら年中「じか足袋」「軍手」がぎっしり陳列されている。
まあ「軍手」はどこのコンビニでも一応売っているからいい。
でも「じか足袋」などという商品はおそらく発注アイテムに入っていない。
本来コンビニで「自店仕入れ」ということはやってはいけない。
どこの店でも同じものをあつかっているからフランチャイズなのだ。
それがよりによってプロモーションエンドである。
SV「あ・・あの、これ・・・」
店長「1番売れるのコレやからな!」(自慢げ)
ま、確かにこの町にバレンタインチョコなど無縁である。
イベントなんてものはこの町には存在しないのだ。
今日生きているかどうかの方がよっぽど大きなイベントである。
結局閉店するまでこのプロモーションエンドは変更される事はなかった。
もちろん売れ筋ナンバーワン商品は「自店仕入れのじか足袋」である。

伝説のコンビニは他にも独特の販売方法を持っている。
よく店で揚げて売っている唐揚げ。
あれを普通は3個いくらとかで売るところを1個売り。
1個の為に容器に入れるのも勿体無いからかこの店では唐揚げを注文すると
「はい、手だして」と言われて手のひらに唐揚げ1個のっけられる。
ある意味地球にやさしい店である。
もちろんこれが釜ヶ崎では通用するからやっているのである。
店も店なら客も客。
ピンポ〜ンとドアが開いて入ってきた時の音が違う。
ペタペタ・・・・裸足である。
中には「み・・・水・・・水くれ・・」とカラのペットボトル持って
倒れこむ様に入ってくる人もいる。
何度も言う、ココは日本、大阪市内だ。

まだまだ明日につづく。


2001年01月06日(土) 伝説のコンビニ 1

コンビニを初めてもうそろそろ5年になりますがやっぱり
会社を問わずいろんな同業の人とお知り合いになりました。
同じコンビニとはいえ、立地や客層で全然雰囲気も違います。
今まで聞いた話の中で私が「伝説のコンビニ」と称する店が
あります。
この話は人から「なんかコンビニの面白い話きかせて」と言われると
引っ張り出してくる話ですが、あまりにうけがいいので
お年玉企画として数回に分けて書く事にします。
なぜ伝説かというとそのものすごさに右に出る店はたぶん
今後も現れないだろうからです。
今は残念ながら(?)閉店してしまいましたが、これは実際に数年前
まで実在したコンビニの話です。


まずこの店の話をはじめる前にその店のあった町の話を
しなければいけません。
その町の名は釜ヶ崎。
大阪の方なら間違いなくご存知だろう。あの釜ヶ崎だ。
そこに生存する人間の大半は住所不定無職。
「蒸発した人がいたら釜ヶ崎を探せ」というくらいその町は
闇の様に深い。
追われてる人やすでに日本に生存していないはずの人も
いるらしい。(目以外、顔を全て隠した人が歩いている)
タクシーに乗ってこの町を指定すると乗車拒否されることもある。
女性はもちろんカタギの男の人もこの町を歩く事は嫌がる。
道路の真ん中をリヤカーがノロノロ進み、荷物預かり所と
称するところがあってそこに預けられるのはほとんど紙袋や
スーパーのビニール袋。
公園では焚き火がたかれている。道に人が寝ている。
このぐらい書けば、まあまともな町じゃないことぐらいは
ご理解頂けたと思う。

もちろん私もこの町を歩いた事はない。
大阪に来た頃、同居人が車で通ってくれたが
「窓開けるなよ、町中が臭いから」と言っていた。
彼は酒の問屋に勤めていた頃、営業でこのあたりを担当していた。
普通は1つの地域に担当者は1人なのだが、この町だけは2人。
納品しにちょっとトラックを離れて戻ってきたら、荷台が
空っぽになってしまうから荷物監視役を1人車に残さないと
いけないらしい。
これでも日本、大阪市内である。

そんな町の中にその店はあった。
もちろんまともな人間ならそんなところにコンビニなど
開店するというような無謀な事はしないだろう。命がけである。
普通の店でさえシャッターを半分閉めて営業してるような所だ。
そんなところに店を構える人はやっぱり只者ではない。
ここの店長はもと暴走族のヘッドで、未だに高速にのる時、
降り口をバックで登ってのるそうだ・・・。
ま、そんな人でないとあきらかに勤まらない。
なんせ暴動で火炎瓶が飛び交うような町だ。
もちろんその店も暴動に備えてボタン1つで表に鉄格子が
降りるようになっている。
しかも地下シェルター完備だ。
もし火をつけられてもシェルターに逃げ込める様になってる。
これだけでも十分に伝説である。
が、それでは終わらない。
おたのしみのこの店の運営については明日につづく・・・


安藤みかげ