空色の明日
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2000年10月28日(土) ムカツク人

ムカツク人ってよくいますよね。
商売してればほんとにいろんな人が来ます。
私は経営者の立場なのでよっぽどの事がない限りぐっと歯を食いしばって
自分を押し殺す事もできなくはないですが、バイトの子ははっきりいって
あからさまに態度にでる子もいます。
そのくらいほんとに困ったお客さんも確かにいます。

帰る時に嫌味をかならず一言吐き捨てて行く人。
バイトだからって何を言ってもいいと思ってるのかものすごく失礼な言葉を
浴びせかける人。
その度にその人が帰ってから泣きそうになってるバイトちゃんを慰めるのが
私の役目。
いろんな言葉を考えてたんですが、この前とってもいい考え方に出会いました。

それは私の大好きな美輪明宏さんの本に書いてあった事です。
輪廻について書いてあったんですが、
人は生まれ変わる度にいろんなモノに姿をかえ、男になったり女になったり
モノになったり動物になったり、いろんな経験をするようになっていて、
それに伴っていろんな試練を課せられるようにできている。
そして前世でクリアした試練はちゃんと身について生まれ変わる。

だから生まれ変わりの回数が多い人ほど豊かな人格に育っていきます。
(釈迦はその試練をすべてクリアし終えたのだそうです。)
つまりものすごくひどい事を平気で言ったりしたりする愚かな人は
生まれ変わり回数がものすごく少ない未熟者なんだそうです。

私は輪廻とか霊魂とか死後の世界のように目に見えていない事はあんまり
信じてはいないほうですが、美輪さんのそれは考え方として、とてもわかりやすく
本当かどうかよりもそう考えたら楽しくなれるような理論なので好きです。

さっき書いたような事は美輪さんの本『人生ノート』(PARCO出版)にいっぱい
詰まってます。
この本はほんとうに私の頭を切り替えてくれた大好きな一冊です。

さて、話はそれましたがこの話を読んで以来 私は人から嫌なことを言われたり
されたりしたときはこう思うようにしています。
「あの人は前世が灰皿かなんかだったんだろうなあ・・」と。


2000年10月25日(水) 天下無敵の女子高生

この前すごいものをみた。

高速道路を走ってた時の事。
「こんなとこで渋滞するはずないのに」っていうようなところで急にノロノロに。
工事かなーなんて思いながら先を見ると道路公団の車が左車線に1台。
通りすぎざまに車の前を覗きこんだら、なんとそこには2台の自転車と制服姿の
女子高生2人!!
道路公団の人に説教されて署名かなんかさせられてる。

え?ここって乗り口からも降り口からもかなりはなれてるよ。
しかももちろん高架。
ってことは彼女達はチャリンコこいで料金所のないほうから走ってきちゃったの!?

いくら知らないからって高速道路走っちゃいけないくらいは普通わかるでしょ。
それに怖いよ。
横をビュンビュン高速で車が走ってる中チャリンコなんてさ。

私の予想ではそのあたりは下に大きな工場と川があるのでそれのどちらかを
短距離で横切ろうという狙いではないかと思われる。
恐るべしナニワの女子高生。
やつらがナニワのおばちゃん予備軍。納得。

確かに自分を振り返っても高校生の頃は向かうとこ敵無しって感じはあったかも。
今思うと恥ずかしくて抹消してしまいたい出来事が山ほどある。
でも箸が転んでもおかしい年頃。
毎日毎日笑い転げて多分私の学生生活で一番楽しかったのは高校時代だ。
それにしたって大胆不敵だ。チャリンコで高速。
久しぶりに大笑いさせてもらったよ。さんきゅ。


2000年10月23日(月) 黄金の秋

今日大阪もやっと街中がキンモクセイの香りに包まれました。
今年はちょっと例年より遅い感じ。
ある朝目覚めて外に出るとあたり一面が黄金色に感じるような
あの甘いような香ばしいような乾いたような香り。
毎年10月になるとこの日がとても楽しみ。
甘いのにクリアなその香りに気持ちがスキッと冴え渡る。
夏の疲れの名残が吹き飛んで背筋が伸びる。

街の中に暮らすと空の色とか太陽の光の加減とか空気の匂いとか
そんなものくらいでしか季節を感じられない。
だからかえってそういう今まで見過ごしていた事に妙に敏感になる。
よそのお家の軒先に咲く花の香りで季節を実感する。
私の住む街は工場街なので街の色はほんとうに灰色だ。
だけど今日は心の中が黄金色。

今日、南の国に滞在している友達からメールが来た。
旅立つ時に教えてあげた本があまりに繊細でその国には合わないらしい。
たしかに真っ青な空のもとなにもかもが大雑把でそんな南国には
日本人の神経質は不似合いすぎる。

元一風堂の土屋昌巳が今ロンドンに住んでいて、何かのインタビューで
「どうしてロンドンなんですか?日本じゃだめですか?」という問いに
「僕はロンドンが一番暮らしやすい。それはパリでも東京でもだめだ。」
と言っていた。
生まれた国が肌に合わないなんて本当に不幸だ。
静岡の田舎で生まれ育った彼が中学生の時に家を飛び出したのも
そういうことだろう。
人は順応できる事とできない事があるということをこのインタビューを
読んで初めて感じた。

灰色の街で心を黄金にするこの国の人は不自然にナーヴァスすぎるのかもしれない。
でも私はこの国のそんなところが好きだ。


2000年10月17日(火) 何をしてる人?

半分同窓会のような雰囲気だった昨日の友人のウェディングパーティー。
懐かしい友達に大勢会えた。
古い友達に会うと必ず聞かれる質問。
「もう音楽やってないの?」

私は幼稚園の頃から4年前までずっと音楽と共に生活していた。
初めはピアノを習い、中学では吹奏楽部でフルート。
高校から音楽とお別れするまではずっとバンドをやっていた。
もちろん夢はミュージシャンだった(笑)

そんな私も実力の限界に気付く。
声と言うものはどんなに努力してもどうすることもできない。
最後にやったバンドが自分のもっとも理想的な音楽をやらせてくれたので
それを最後に引退(?)を決意した。

これまでは「何をやってる人なんですか?」と聞かれると
「音楽です」と言えたが今はこれといって答えられるものがない。
それってカッコ悪いと思っていたけれど実際その立場になってみると
ほんとうはいろいろやってるしいろいろやりたいことがあって
それらがバランスをとって今の自分を築いていて
「私を毎日運営してる」って言い方が一番しっくりくる。

決してなんにもやってないわけではない。
というか音楽をやってた時だってこれといって人に何かを与えたり
できたわけではなく自分が満足する為にやっていただけであって、
今こうして文を書いていることとなんにもかわらない。
何かを与えたり出来るようになったらそれはプロってやつだろう。
私が音楽をやってた時に出会った人で何かを与えてくれてると
感じた人はやっぱりデビューしている。
(濱田マリちゃんとか久宝瑠璃子ちゃんとか岡野晶くんとか)

夢は終わったけど私は今もずっと自分を築き上げ続けている。
やっていること全てが自分を作るパーツとなっていることを
実感しながら生きている。
そう思いながら物事を進めると世の中に無駄なことや無駄な時間なんて
ないように思える。だから毎日充実している。
こうして文を書くことも作詞をしていたころと変わらずひとつひとつが
私の作品。
だから「なんにもやってないのよ」なんてきっと死ぬまで私は言わないと思う。


2000年10月16日(月) 花のような人

友達の結婚披露パーティーに行ってきた。
私は新婦の高校時代の友人席だったんだけどちょっと離れたテーブルに
見覚えのある女性が座っていた。

あの花のような笑顔・・・そうだ!ちづるちゃん!
小学校3年の時同じクラスだったちづるちゃん。
クラス1、学年1かわいくてスポーツ万能で勉強ができたちづるちゃん。

私は当時彼女に憧れていた。
体が弱くてやせっぽっちで2月生まれだからチビでのろまだった私と違い
彼女はそんなに素敵なのに気取らず優しくて素直でとてもいい子だった。
彼女と仲良くなりたくて話しかけたら「うちに遊びに来ない?」と誘ってくれて、
はじめて二人きりで遊んだ思い出が未だに私の胸の中に残っていた。
同級生の名前なんて半分以上すぐ忘れてしまうような私だけれど
彼女のことはフルネームで覚えているほど憧れていた。
自分の子供にはちづると名づけようと思っていたぐらいだ。

でも私は5年生で転校してしまったし、今の私は当時の面影なんて
これっぽっちも残っていないくらい変わってしまった。
(背が伸びお化粧を覚え体は丈夫になり少ししたたかになった)
きっと彼女は覚えていないだろうと思ったが新婦に話して声をかけてもらった。

ちづるちゃんはちっとも変わってなかった。
あいかわらずの美しさで私にいろいろ話しかけてくれた。
彼女は結婚し子供もいるという。
でもあの優しい声と美しい言葉とパーッとあたり一面に花が咲くような
華やかな笑顔は全く変わっていなかった。

「ああ、こんな素敵なちづるちゃんと結婚した旦那さんはなんて幸せ者なんだろう」
と心の中で思った。
私は花のような女性が好きだ。
微笑むだけであたりが輝くようなそれでいて清楚な人。
私はにわか雨のような女。
ザーっと現れてダダダーっと降ってサッと消えていく。
あの頃からこんなに憧れているのに花のような人には全然なれない。
でも今日ちづるちゃんに会ってわかった。
花のような人は子供の時からやっぱり花のような人だ。
私がどんなにがんばってもなれないものはなれない。
ああ、できることならずっと眺めていたかった、ちづるちゃん。

花嫁さんには悪いが今日はちづるちゃんに会えたことが一番心に焼き付いている。


2000年10月15日(日) 青レンジャー的人生

注】本日のネタは若い方にはわからないかも。ごめんなさい。

子供の頃ゴレンジャーごっこをよくやった。
私はいつも迷わず青レンジャー役をとった。
赤レンジャーは一番ヒーローだから競争率は高い。
そして唯一の女性である桃レンジャーも女の子の中では奪い合いになる。
私はゴレンジャーの中で青レンジャーが一番好きだった。
いつもは1人、皆の輪から外れて窓の外見てるようなタイプ。
人の話もあんまり聞いてないようなフリをしていざという時になると
現れる。
クールじゃないか!!

協調性がなく、かといって1人も嫌いなのでひっそりと隅っこで仲間に
繋がっていようとする今のライフスタイルは、この頃からすでに私の中で
息づき始めていたらしい。
しかも青レンジャーによって…(笑)

先日、店の女の子と話していて「私、すぐフラレるんです。なんででしょう?」
というのでよくよく話を聞くと彼女はとても理想が高い。
とにかく好きになる子は、クラスの人気者とかそういう高嶺の花のような人
ばかり。
「あんた、そりゃ無理だよ。ゴレンジャーで赤レンジャーが好きだった
タイプでしょ。あれは競争率高いんだよ。
私みたいに青レンジャー狙えば楽なのにねー。」といったらエライうけた。

確かに私は青レンジャー狙いだ。
というか、どっちかといえば私も青レンジャーに好かれるタイプだ。
私は性格がはっきりしているので好かれる人にはものすごく好かれるが
嫌われる人には恐ろしいほど嫌われる。
いわゆるマニアウケするタイプらしい。
(たぶん私の友達はここでかなり爆笑してるはず・・・)

赤レンジャーのように真正面から歩いてくるような人には
私の生き方は青レンジャーのように姑息で嫌味ったらしいらしい(笑)
だから赤レンジャーにはものすごく嫌われる。
おかげさまで私も赤レンジャー様のことが眩しすぎて目をそらしてしまうので
青レンジャー様を選ぶというふうに需要と供給はうまく成立している。

赤レンジャー様は憧れではあるけれど付き合う対象にはしんどすぎる。
たぶんそれだけ自分にコンプレックスがあるんだろうな。

私の人生はすべて青レンジャー。
風当たりのキツイことは全部赤レンジャーにまかせおいしいとこだけもっていく。
1番にならず2番あたりで余裕かましてる。
ずるいといわれようが青レンジャーはやめられない。




2000年10月09日(月) 安上がりな子供

小学校1年生の姪が公文教室に通い始めた。
私は塾と言うものに行ったことがないので「1年生からそんなことしなくても」
と思ってしまったが兄弟関係が悪くなっても困るので黙っていた。

高校受験の時も大学受験の時も「私立に通わせるお金はないからね。
せいぜいがんばって勉強してね」と軽く親に言われてしまった私。
そう言われたら勉強するしかない。
小学校高学年あたりから周りが塾に行き出した時も
「あんた学校終わってもまだ勉強したい?いやでしょ?宿題も倍になるのよ。
それでも塾行きたい?」とうまくごまかされたが今考えれば
当時ピアノを習いにいっていたので、それ以上子供に教育費をかけられなかっただけだろう。

でも確かに私は集中力が短時間しか持続しない。
だから学校の後、塾に行ったって勉強できるわけがない。
同じことを何度もするのが一番嫌いなんだから。

おまけに、わからないことがあると「先生に聞きに行きなさい。先生をフル活用しなさい。」
と親に言われた。
おかげで私は小中高と職員室をウロウロする勤勉な生徒として先生に一目置かれ少々の悪さも見逃して貰えたり『熱心に質問に来るかわいい生徒』として先生にかわいがられた。
そして小学校から短大まで全て公立で安上がりに就学期間を終了した。

私の親は私達子供に『子供は扶養されている』ということを強く提示していた。
高校や短大の卒業の日には母に
「今日まで通わせてくれてありがとうございましたってお父さんに言って来なさい」と言われた。
もちろん通っている時に親に感謝し人一倍勉強したかというと残念ながらそうではないが・・・(笑)
常に我が家で一番下っ端は子供達だった。

最近「子供様々」のような家族をよく見かけるが私にはとても信じられない光景。
こんな私でも子供ができたらそんな母になってしまうんだろうか。


2000年10月08日(日) ロゴ嫌い

私はロゴ入りのものが嫌いだ。
Tシャツでもカバンでもなんでもとにかくロゴの入っていないものから優先的に選ぶ。
もちろん有名ブランドでドーンとそこのブランドのロゴなんて入ってるモノなど絶対買わない。(っていうか、まあそんなお金もないけど)

例えばヴィトンのバッグなんかは皮とか縫製とかがいいことはすごくよくわかるんだけどあのロゴが全面にちりばめられてるのなんかたまらなく嫌い。
私の曲がった理論では「あれは単にこっちがお金払って歩く広告になってるだけじゃん!」なのだ。
私にしてみればあのLVの文字は高島屋のバラとかイトーヨーカ堂の鳥と同じ感覚なわけ・・・。

ああ、私はおかしいよ。
「なにいってんだ、単に貧乏でかえないだけじゃん。」と思って頂いて結構(笑)
でも大好きなブランドの洋服だって私はそこのロゴが入ってたら買わないんだから徹底してるでしょ。
だから許してね。

だってロゴはロゴ。模様じゃないもん。
でも財布とかカバンって小さいながらも絶対ついてるでしょ?
金具とかね。
それは泣く泣く100歩譲って小さいものなら妥協してます。
シャネルなんかはきっと一生縁がないだろう。
なんて安くつく女なんだ(笑)


2000年10月07日(土) ハピネス

髪を切りました、ちょっとだけ。
私の髪を切ってくれてる大根田さんという人はどうも有名な人
らしく芸能人も切るしショウをやったり講演したり
結構休みの日は日本中を飛びまわっているらしい。
もしかしてこれってカリスマってやつかしら。

私が初めて切ってもらったのは10年前。
だからその頃はまだ有名でもなんでもなかった。
私が彼にずっと切り続けてもらってるのはいつも私を
驚かせてくれるから。
斬新でかつ上品に仕上げてくれる。
だから私はあえていつもお任せにする。
(っていうか注文つけてもあんまり言う事を聞かない)

この人の美容院では、まず行ったらガウンに着替える。
だからどんなにいい服着ていってもスカートがしわになることも
髪がつくこともない。
「なーんかすごいとこいってるんじゃないの?」って思うでしょうが
近頃高騰してるカット料金から考えればさして変わりない。

店内は2フロア分の高い天井で洗練されてる。
そんなところでお気に入りの髪型を仕上げてもらって店を出た時には
憑き物でもとれたように心のアカまでカットされた気分。
だから自分で「最近ちょっとたるんでるわ、私」って思うと
髪を切りに行く。
エステもマッサージも行かない私には唯一の贅沢。

震災の時、神戸にあった彼の店も水道が止まって、しばらく大阪に
間借りして営業していた。
その時、大勢の神戸の人がそこまで髪を切りに行った。
遠いのにみんな気分をかえたかったのだろう。
出る時にはみんな晴れ晴れした顔だった。幸せの顔。
その時に「お土産に」とみんなに配っていたオリジナルのTシャツ。
胸には「Happiness on Happenings」と書いてあった。


2000年10月06日(金) 運命の糸

今日のバラ珍スペシャル見ました?
「松野屋」ってやつ。
ご存知ない方にご説明すると旧満州で「松野屋」という食堂をやっていた
おばさんが満州時代お世話になった人にお礼が言いたいので探して!って
いうような内容。

私も詳しくは知らないけど、この旧満州は中国に日本が開拓した国で
そこではもちろん日本人の方が中国人より大きな顔してたんだけど
日本の戦局がまずくなってきてロシアが攻めこんできた時に
中国人が日本人に対して今までの反撃をし始め、そこで暮らしていた
日本人は焼き討ちに合ったり虐殺されたりしたらしい。

それで、そこにいた日本人は隠れたりしながら命からがら国外脱出。
中国残留日本人孤児っていうのはこの時に親を亡くしたり、
まだ幼くて一緒に連れて逃げられなかったり、隠れていて泣き出したら
困るので預けられたりした子供達のことです。
もちろんここで預けられた子はまだラッキーで親が自分の手で子供を
殺害した例も少なくないそうです。

何を隠そう私の母は昭和19年満州生まれ。
二人の姉と母親と共に1歳前に満州から脱出してきたのです。
おばあちゃんは子供の頃から孤独な人生を歩んできた人だったので
いつも人には分け隔てなくつきあっていて、この時も周りの日本人が
中国の人を蔑んでいた中で彼女だけは自分たちと同じように大切に
彼らとつきあっていたから暴動が起こった時も近所の中国人が逃げ道を
確保してくれてなんとか親子4人逃げ延びたそうです。
その時の事を彼女は「『もうどこに逃げても同じだからここで4人で死ぬ!』
と家の中で四人で身を寄せて覚悟をしていたらドアが開いて、
『もうだめだ』と思っていたら彼らが助けに来てくれたのよ」といいます。
そんな経験をして一度は死ぬ覚悟までした彼女だから震災の時だって
声一つあげませんでした。

私の母は残留孤児のテレビが始まるとすぐチャンネルを変える。
「自分があそこにいても全然おかしくないと思うと恐ろしい」のだそうだ。
運命と言うのは本当にいつ切れてもおかしくない細い糸のよう。
もしそのテレビの画面に母がいたら私は生まれていない。
戦争、震災いろんなピンチを運良くくぐり抜けて今わたしはここに生きてる。
何度も切れそうになったその糸がいまだに繋がっている。
人生なんて重いようで、明日風が吹けば飛んでしまうようなちっぽけなもの。
地球レベルで見れば。
だからこそ今日一日を思いっきり楽しみながら私は生きる。
そして明日死んでも悔いの残らないように周りのみんなを大切にしていたい。


2000年10月02日(月) 個性派には耳の痛い話

今朝はめずらしく早起きしてTBS系の『道浪漫』をみました。
阿川泰子がスウェーデンを旅するというもの。
そして朝っぱらから目の醒めるような素晴らしい
スウェーデンのアイデンティティにハッとさせられました。

スウェーデンの人達は町並みを大切にする。
外観は触らず内装だけを修復しながら100年前の町並みに
今も暮らしている。

古い城壁の近くに今年ガーデニングで賞をとった家があって
その持ち主に「どういったことに心がけて庭を造りますか?」
と聞くと
「あの城壁に似合うように庭を造るのさ」と答えました。

また、別荘地で新しい別荘を自分達で作っていた若い夫婦に
「どんな別荘にしたいですか?」と聞くと
「周りの別荘や自然に合うように造りたい」と言うのですよ。

彼らの視野は常にトータルしたバランスに向けられている。
いかに周りに融合しそのイメージを壊さないかに細心の注意を払っているのです。
個性、個性の日本人には耳の痛い話。

そして小さな島に舞台は移る。
そこには有名人が大勢住んでいて特にその中で有名な
映画監督が引退して余生を送っている。
地元の人々は彼に敬意を表し、旅行者が来ても決して彼の家が
どこにあるか教えないと言う。

ああ・・なんて意識レベルの高い国民なんだろう。
環境問題への関心が高いというのも頷ける。
おそらく彼らは自分たちのことを『人間様』とは思っていないでしょう。
厳しい自然と共存してきたからこそ、そんな恐れ多い考えは持てないはず。

昨日も書いたけど日本人は求めすぎる。
彼らのように受け入れ感謝する気持ちがあればもっと心の豊かな国になるのに。
個性ばかりを唱えつづける学校教育は一番大切なものを忘れてはいないかしら。
個性は押さえつけなければ自ずと生まれ出るもの。
むしろ教えなくてはならないのは、周りに気配りできる思いやりじゃないのかしら?


2000年10月01日(日) ささやかな幸せ

私の母は老人介護のヘルパーをして3年になる。
52歳の時、今までやっていた医療事務の仕事をリストラされ
半年間、専門学校に通ってこの仕事についたのだ。
彼女のガッツにはいつも感心させられる。

その彼女が来月その仕事を辞めるという。
理由を聞いたら
「今度主任になれっていわれたのよ。
私そんなにがんばりたくないしもう一つ資格取って
週3回くらいのもっと楽な仕事するわ」ときた。

いつだってそうだ。
彼女は無理をするのが嫌い。
がむしゃらに仕事をして家の事に手が回らなくなるのが
嫌なのだと言う。
でも家には祖母(母の実母)もいて食事の下準備やなんかは
ちょうどいい運動がてらにやってくれている。
単に『余裕のなくなった自分』になるのが嫌なだけなのだ。

そして私も同じ類の人間に育ってしまった。
親子だからそうインプットされちゃったんだろう。
こんな人間ばかりいたら会社とか組織はとても迷惑だろう。
まあ、アメリカなんかはある意味こんな感じかもしれないけど、
少なくとも日本の組織では、ものすごくうっとうしい存在だろう。
はっきりいえば『自分勝手な人間』だ。

ただ少しのお小遣いと少しの存在理由が欲しいだけなのだ。
達成感とかそんなものは彼女には無縁だ。
欲だっていい欲も悪い欲も足りない。
それを彼女は「ささやかな幸せが好きなのよ」と言う。

ささやかな幸せ・・・。
地位も名誉もないけれどただ毎日を楽しく生きていける幸せ。
ご飯を食べて家族と話してお日様の匂いのお布団で眠る。
そんな幸せが彼女の言う幸せだ。
ささやかな幸せは小さいけれど長続きする。
大きな幸せは自慢になるけど長くは続かない事が多い。

私は、20歳前後の頃(自分にもっといろんな力があると信じていた
年頃)「もっと幸せになりたい」とよく言っていた。
でも求めつづけるほどに幸せは遠い。
求めず、足もとの幸せに気付いて感謝すれば、いつでも幸せになれる。
自分を不幸せだと思っている人の大半は、求めすぎてるだけだと思う。
それを向上心と呼ぶ場合もあるけれど貪欲とも呼べる。
己を知ればそれが向上心か貪欲なのかはわかるはずだ。

私や母のように、人に何かをしてあげられるような位の特技がない
凡人はこのくらいのささやかな幸せで十分だ。


安藤みかげ |MAIL

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