空色の明日
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2000年09月30日(土) 女の見栄

男の人と会う時と、女の人と会う時。
どちらの方が洋服に気を使いますか?
「んなもん、男にきまってるじゃん!」と今思ったあなた!
よーく考えてみて。
久しぶりに会う女友達とのお食事会と彼氏とのデート、
どっちの準備に時間かかる?

彼氏とのデートではテーマは簡単。
彼の好みや女らしさや場合によっては誘惑モードや・・・(笑)
いずれにせよ、大体の察しがつくのだ。
でも女の子と会う時、敵はどう攻めてくるかわからない。
もしフェミニン系でくるならこっちはクールなパンツで勝負だ!
とかカジュアルな友達にはあまり差がつかない様に軽めで・・
とかとにかく考えることがたくさんあるような気がしませんか?
メークだって相手がパーフェクトならこっちも少し濃くなったり
相手がノーメークなら口紅をベージュにしたり・・・。

男の人とならよっぽどイメージの違うものを持ってこない限り
バランスが悪くなることなんてあまりない。
もともと相手は男でこっちは女なんだから比較にならない。
でも女同士だと互いの差は歴然。
それがちいさなバトルとなったり気を使い合うことになったり・・。
女ってほんとに見栄っ張りな生き物。
一緒にいる女の子の中で目立ちすぎず、しかしだれより
少しだけ綺麗でいたい。

おしゃれな友達と付き合っていると勉強になる。
いろんなテクニックを盗むこともできるし、刺激も受ける。
「あー、最近の私ってたるんでるなー」と思ったら
友達を呼び出そう!


2000年09月23日(土) 苦い質問

自然災害が相次いでますね。
私も阪神淡路大震災っちゅうやつを体験しましたがそれを人に話すと
「家とか大丈夫だった?被害あったの?」って聞く人がよくいます。
まあ、ありがちな質問だけど実際そういう経験のある人はたぶん
そんな質問は絶対しません。
なぜならその質問はものすごい墓穴を掘ることになるからです。

震災の後、市内の友人やなんかと出会ったら最初はそんなような
会話が飛び交いました。
でも私は家もなんとか建ってたし家族もみんな無事だった。
失ったものと言えば思い出の街の面影くらい。
そんな私がだれかにこの質問をして相手が私よりも何か一つ多く
失っていたら返す言葉がないのです。
みんなきっとそれを一度体験してからその質問をしないようになったみたい。
ばったり出会っても「ああ、生きてた?元気だった?よかった」それだけ。
みんな何か失ってる。
仕事、家、家族、友人、思い出の場所。大丈夫なわけはない。
それぞれに失ったものが違うから相手の気持ちも本当にはわからない。
だからかけてあげる言葉もみつからない。
たぶんみんなそれぞれに抱える状況が違うということを痛いほど思い知ったはず。
おそらく隣りの家と自分の家を比較するような人はもういないと思う。
みんな自分は自分、自分の生き方をするだけだ・・・って。

三宅島の避難している人や愛知で水害にあった人も同じかもしれない。
たぶん「お宅はどうでした?」なんて質問は怖くてできないはず。

苦労は買ってでもしろっていうけど、まあ買いたくはないけど
この経験があって目覚めたことはたくさんある。
この質問についてもそうだ。
もし災害にあった人に出会ったら、
「ああ、あなたにまたこうして会えてよかった」って
いってあげてください。


2000年09月22日(金) 習い事

今 フラワーアレンジメントを習っている。
もう3年になる。
お茶、お花は関係ないと思っていたけれど数年前仕事でその先生と出会った。
カルチャースクールのような仕事でその先生はその時来ていた講師。
講習をみていてその先生の教え方と作品にひとめぼれして私も習い始めた。

私も子供の頃、お習字やピアノやこどもコーラス、バレエ等いろいろ習いに行った。
はっきりいって一番続いたのは好きな音楽ピアノだったけどそれも練習しなかった。
大人になってからもいくつか習い事をしたけどみんな半年でギブアップ。
そんなに飽きっぽい性格か?私。

いいえ、すぐにやめてしまったのは先生がものすごくイヤだったから。
習い事はテクニックを習得することが多いけど少なくともその先生を尊敬できないと習ったものに自信が持てない。
すぐにやめてしまったものはいつも先生の芸風が気に入らなかった。
「こんなんだったら習っても意味ないや」って思ってしまう。

その点いまのお花の先生は本当に私好みの配色やデザインの花を教えてくれる。
毎回行くのが楽しくて仕方ない。
先生も言う「持って帰って飾りたくもないようなお花は習いたくないでしょ」って。
だから先生のファンは多い。
どんなに遠くても忙しくても習いにくる。
そして欠員が全然でない。
そういう先生に出会えるチャンスって本当にないですね。
これも出会いだなあ・・とつくづく感じます。

人との出会いって運命でしかないと思う。
その時その場所にたまたま出くわしてないと出会えない。
いままではいい加減にそういうチャンスを流してきたけど
あの先生に出会ってからチャンスは大切にしてしっかり掴もうと思った。
出会った一人一人と大切に接していきたい。


2000年09月21日(木) お墓の定義

お彼岸ですね。
無宗教の私にはあまり関係ないのですが私にもお参りするお墓はあります。
そこでお墓のエピソードを・・・。

父は20歳そこそこでもう両親がいなかったので何事も『しきたり』や
『ルール』と関係なく自分の考えをもとに行動してきた人間です。
アクションを起こす時その物事の定義を自分なりに作りそれに基づいて
行動を決めていきます。
だから世の中に暗黙のうちにはびこる『一般常識』では考えられない
ビックリアクションを時々思いつきます。

3年前、父はお墓を建てました。
スタンダードな縦長のやつじゃなく洋風の低い横長のツルツルの石。
そしてその右下のすみっこにちいさーく○○家と書いてあるだけ。
これが彼の墓の定義。

それが出来あがった時、彼はその墓を前に定義を語り始めた。
「この墓は盆も彼岸もないからな、いつでも来れる時に来たらええ。
まず来たら掃除する。
きれいに磨いて水をかけるやろ?
そしたらこの表面に自分の顔が映るんや。
それ見て『親父に似てきたなー』でも『私も年とったなー』でも
なんでもいいから何か感じたらええ。
それからどうしても入る墓ない奴がおったら入ってええぞ。
だから名前もすみっこに小さく書いてある。
うちの墓でも入りたい言うんやったら入れたれ。」

確かに親戚にはバツイチとかいろんな理由で入る墓のない人が何人かいる。
私が出戻っても入れるだろう(笑)

このデザインを墓石屋さんに説明した時
「なんで名前中央にないねん、なんでこんなに字が小さいねん」って
質問攻めにあったに違いない(笑)
これがお寺の墓地だったら住職さんは発狂しただろう。
(市営の共同墓地でよかった)
彼のお墓の定義は本来のそれとおそらくかけ離れている。
(私もそんな親の子なのでほんとのところはわからない)
だけど私は彼のそんなビックリアクションが好きだ。
やることひとつひとつどんな質問をされても答えられる彼のやり方が好きだ。
おまけにそれにビックリしてる人をニヤリと見る彼の得意げな顔も好きだ。

そして彼のそのポリシーはいい意味でも悪い意味でも私に受け継がれた。
たぶんルールが好きな人にはものすごく不愉快な人間だと思う。
でも私はそんな生き方だから、私を批判する人でもその理由をちゃんと
説明できるのなら全然許せる。
逆に、私も自分の考えが万人向けでない事はわかってるので
「これは私の意見だけど」という言い方をするようにしてる。
そしてここに書いていることも日記なので私の意見でしかない。
そうやって逃げ道を作りながらスルリとかわすのもあの親父から受け継いだ技だ。


2000年09月14日(木) ワイルドな男 スティールパンプレイヤー編

スティールパンという楽器を知っていますか?
ドラム缶を横半分に切って天板をハンマーで叩いて内側にへこませ
そこにさらにいくつもの小さい凹面を作りその大きさで音階を出す
楽器です。
ちいさなバチでその凹面を叩き演奏します。
この楽器を演奏している姿は一見、「鍋で焼きそば焼いてるのか?」
って感じでとても楽器を演奏しているようには見えませんが
その音は「天国の音」です。
わたしがはじめてその音を聞いた時
「天国で人が話しをしたらこんな風に聞こえるだろうな」と思いました。

友人のスティールパン奏者 村治 進氏と会ったのは彼がその楽器の
祖国 トリニダード&トバコ共和国から帰国してすぐのことです。

スティールパンはトリニダードがスペインの植民地時代に生み出された
手作りの楽器です。
今から7年ほど前、まだこの楽器は日本であまり手に入りませんでした。
彼はその音をなにかで聞いて「絶対この楽器を手に入れてやる」と
悩んだ挙句その国に直接作り方を習いに行くことを思いつきます。
でもはっきりいって旅行会社の人も「どこ?それ」というような国。
ビザも直接大使館に「僕はスティールパンの勉強をしたいんだよ」
っていうような手紙を書いて送らなきゃならないし飛行機だって
もちろん直行便なんかないから自分で乗り継ぎの調整をして
旅立ったそうです。

向こうに着いても勿論なんのあてがあったわけでもなく
とりあえず飛び乗ったタクシーのドライバーにはるばる日本から
この国に来た訳を話したら「よし、じゃあオレの知り合いの家に
ホームステイしろ」と言ってもらえてそこにお世話になることに。
まんま電波少年じゃん!なのです。
そしてスティールパンの工房を教えてもらいそのまま勝手に
弟子入りしてみごと一つのパンを作って帰国することに・・・。
まんまウルルン滞在記じゃん!しかも根回しなしの(笑)なのです。
彼を知る友人が「あいつが旅立ったとき生きて帰らないだろうと思った」
と言うほど情報もつてもないゼロからスタートの旅だったそうです。

それから何度か彼はその国を訪れてはカーニバルに参加したり
(スティールパンのコンテストがメインのカーニバル)、
その話が某テレビ局のプロデューサーの耳に入り小泉今日子
中山美穂のお二人がその取材であの島国トリニダードにやって来たり。
いずれ彼はトリニダードの名誉市民にでも任命されるんじゃないかと
私はうっすら思ってます。

今彼はそんなこんなで日本で数少ないスティールパン奏者として
がんばってますが一度あの音はぜひ生で聞くことをお勧めします。
なぜならあの楽器の音はマイクで拾うことがものすごく難しい。
夕暮れにあの演奏を生で聞いたらちょっと忘れられませんよ。

今日はナニワのモーツアルト キダタローとセッションしたこともある
友人 村治 進を紹介してみました。

むらっちゃん 勝手に書いた。ごめん。

村治 進HP http://www.lares.dti.ne.jp/~susu/


2000年09月13日(水) 太るの理由は・・・

私はコンビニで仕事をしてる。
レジに立つとその人の食生活の一部が垣間見られることが
密かな楽しみ。
毎日何十人という人の1食をチェックしてると食と体型の関連が
自然と見えてくる。
たしかに体型には生れつきの体質もある。
でもそれはほんの一握りの人だと思う。

太っている人

かならず揚げ物を買う。
しかもヤバイくらいに太ってる人はやっぱりヤバイくらいに
たくさん買う。
『牛カルビ弁当』と『ハムカツサンド』『から揚げ』
そしてかならず『ジュース』。
それも500mlのチルドパック。
そしてヤバイ人はそれを2パック。

痩せてる人

いつもくるモデルのような女の子
かならず『水』。ジュースは絶対買わない。
痩せてるサラリーマン
運動しないことを自覚してかかならず『サラダ』。
弁当とサラダ。
間違っても『弁当とラーメン』とか『弁当とサンドイッチ』
とかしない。

食習慣は1歳までに出来あがるらしい。
赤ちゃんの時に『泣き止むから』とすぐにミルクをやると
不安を食で満たす習慣がついてしまって肥満につながるそうだ。

とりあえず揚げ物は1品にしよう。
そしてジュースは「ご馳走」として特別な時に飲むものにしよう。
まずはそこからだ!


2000年09月07日(木) その印籠は目に入らない

この前山本譲司代議士が使いこみだかなんだかでつかまった。
テレビの街頭インタビューで「秘書だからって調子にのってたんじゃないの?」っていう意見を聞いた時にふとある人のことを思い出した。

私は、関西では知らない人がいないほどのかなり大きな会社で秘書をしていた。
その時に知り合った関連会社の秘書部長が新米秘書の私に「秘書は偉くないからな。勘違いしちゃだめだぞ」と教えてくれた。

秘書と言う仕事は役員と外とのパイプ役。
だからあれだけ有名な会社だと社名と秘書だということを伝えれば、無理難題も簡単に引き受けてもらえる事が極当たり前になってくる。
そりゃ相手はこっちに気に入られて仕事の一つも回してもらえるならと決してNOとは言わない。
時にはアポをスムーズに取りたいが為に秘書にまでいろいろ世話を焼いてくる人までいる。
そんなことが続くと必ず自分が何か偉くなったような気にだんだんなってくる。
『秘書病』とその秘書部長はネーミングしていた。
私も少なからずその慢性秘書病の一人だった。

でもその会社をやめて家族と店をやるようになってからそういった営利目的の会社付き合いがなくなった時、それがいかに薄っぺらなモノかと言うことがはっきりした。
いい会社に勤めているのも偉い役職もお互いに利害関係になければ名刺で出来た冠に過ぎない。
そう、偉いのはその人じゃなくてその会社。そしてその会社の創設者や会社を大きくしてきた人々。
でもそれだって取引のない私には何の関係もないこと。

時々店に近所の会社の社長さんなんかも来る。
なかにはものすごく偉そうに喋る人もいるけど、「確かにお客さんだからそっちは偉いだろうが私はあんたの社員じゃないよ」と心の中で思う。
紙切れ一枚の冠を被ってふんぞり返る姿は裸の王様さながら・・・。

私が出会った会社役員でほんとうにすばらしい人というのは、どんな人にも丁寧に接し、決して役員風を吹かせない。
会社の外でもふんぞり返る方々、勘違いしちゃいけない。
その印籠は私の目には入らない。


2000年09月01日(金) 運のいい女

私は運がいい。
くじ運とかそういう小さなことじゃなく。

高校受験・・・中三の時、なぜか担任が私をとても気に入ったらしく(卒業後「オレはお前のことが好きだった」といわれてそのおっさんを眺めながら空いた口がふさがらなかった)極上の内申書を作成していただき「これで落ちたらおかしい」とまでお墨付きをいただき余裕の合格。

大学受験・・・英・国(しかも漢文あり)・代数幾何というおかしな試験科目の県立短大。
英語と漢文が大の苦手で模試はさいごまでD判定。
英語は自己採点40点、国語も50点程度。
それがなぜだか受かってしまった。
しかも今度は実力だけで。
そう、得意な代数幾何が満点だったのです!
大学受験はトータル点を重視する学校と一つでも抜け出たものを重視する学校があって私の受けた学校はラッキーなことに後者だったらしい。
おまけにすべり止めで受けた入学金の高い私立大学(本命の合格発表までに入金しなければならなかった)は32倍という驚異的な競争率のために見事に落ちた。
おかげで1銭の無駄金も払うことなくやすやすと本命の学校に通うことになるのです。

就職活動・・・バブルがパンパンに膨れ上がった時期。
建築関係の勉強をしていた私は中の下という中途半端な成績で競争率の高いゼネコンの就職を考えていた。
その日学生科の前を歩いていて話た事もない就職担当の先生に呼び止められる。
「あんた確か家が神戸だったね。大阪の会社の推薦一人たりないんだけど受けてくれない?」
まだ1社も受けていなかった私は練習がてらにその関西大手運輸系会社の面接を受けることになる。
もう7月のギラギラ暑い夏日「スーツの一着も買わなきゃね」と母親と連れ立ってデパートへ。
就職活動は紺か黒の地味なスーツと相場は決まっているのに何を考えたか私達親子は「なんか暑苦しくない?」とオフホワイトのスーツに手を伸ばす。
試着するとまあ確かに夏らしく爽やかではある。
『面接する人もこんな暑い中うっとうしい気持ちのはず』とかなんとかわけのわからない理由をつけて結局それを買ってしまった。
もちろん当日そんな格好をしているのは私だけだった。
「まあ練習のつもりだからね」と気楽に受けたつもりがこのバカ親子の判断が正しかったのか受かってしまった。
しかも6人中の2人。
他の4人の人達ごめんなさい。
こうして何一つ努力することなく一部上場企業に就職してしまったのです。

さてこれがほんとに運がいいのか・・。
確かに建築の道からはずれてしまったことはある意味では妥協したともいえる。
でもたかが短大卒の私がゼネコンで何をさせてもらえたろう。
そう考えるとこの運はやっぱりよかったのかもしれない。
(それはそれは普通のOLではできないようないろんな事を体験したがそれはまた今度)

いい運も自分でつかまなければだめだというけどつかんでそれに身を任せられないとそれは結果的にいい運にはならない。
だからあそこで建築をあきらめたことをいつまでも後悔してはいい運ではなかったことになる。
後悔しない人が運のいい人なのかもよ。


安藤みかげ