椰子の実日記【JOYWOW】
2005年07月31日(日)
道を見つけたいのに、見つからない君のために
道を見つけたいのに、見つからない、どうしていいか わからない。社会に出たいのだが、何をしていいか わからない、何をどう勉強していいかわからない。
現代日本で最も不幸なのは、若いひとたちだと思う。 リストラは話題になっても、若年層の就職の困難さ は報じない。アウトソーシングの発展は裏返せば 職業訓練が充分なされていない、専門知識もない 若年層が職を奪われている、ということなのだ。
黙っていられなくなった。
といって、社会を変えることは身の丈を超える。 ぼくにできることは書くことだ。 生まれて初めて、出版社との打ち合わせなしに、 即ち、出版の見込みがわからないまま原稿を書き 始めることにする。この熱は、冷ましてはいけない。
2005年07月30日(土)
なまくらなマスメディア
村上龍だけではなくぼくも同様に大手マスメディアの衰退を 嘆くものだが、例えばどの点が「衰退」かというと取材力 のなさとか先の台風報道のように大山鳴動横並び大騒ぎとか いうことだけではなく、視点が複眼ではないことだ。
例えば今朝の朝日新聞で
「地上デジタル、光回線で放送容認 審議会が答申」
と報じ、
「これを機に『放送』と『通信』の垣根が低くなり、融合が 進む可能性がある」
としているが、では「垣根が低く」なるとは具体的にどういう ことなのか。「融合」とはいかなる意味か。
そこを報道するのが、メディアの見識ではないのか。
たとえばバルセロナでは既にPLC、即ち電線ネットが実用化 されて久しい。歴史的建造物と景観を保護するため、醜い ケーブルを外に出せないからというが、その結果生活は どうなっているのか。取材して、報道してこそがマスメディア ではないか。
女子アナをタレント並みに扱い、増長させ、有効な人事政策 も打てていない旧態然テレビ局の会長の言葉を
「『光回線網を活用する場合、県域内に限るべきだ』 と注文をつけており」
などと報じるひまがあったら、もっと考えてほしいと思う。
放送と通信の融合はエンタメ系コンテンツだけが問題に なるのではない。生活者の生活品質(QOL)がどういう 風に上がるのか、そのビッグピクチャーを描いて、 関係する省庁、通信会社、放送局、コンテンツメーカー などのファシリテーターとなることこそが、 マスメディアの役割ではないか。
昨日、マーケティングのpoint of viewから ぼくなりのビジョンを描ききった論文 (NTTコミュニケーションズ発行のインハウス 雑誌『BREATHING』向け)とクライアント・プロジェクト を完成したので、特にそう思うのだ。
マスメディアの使い古した丸くなった消しゴムのような なまくらさが、耐えられないのは、ぼくだけではないと思う。 そしてこれは、1980年、大学卒論でマスメディアを「神」 として日本人の共同幻想形成の中心だと論じたぼくからの エールを篭めた愛情の言葉なのである。
2005年07月29日(金)
海へ帰ろう
地震後の再開がそもそも遅い、他社の情報がない、 など、電鉄関係の人は文句言われているが、これは 電鉄会社だけの問題ではなく、現代日本の大企業組織 みんなが根っこに同じ病巣を抱えていると思うよ。
第一に、組織の空気が窮屈なこと。 意思決定をするのに、AさんBさんCさんDさん・・・と複数 の「合議」でなければ前に進まなくなっている。
第二に、第一の理由とリンクするが、なぜ窮屈に なっているかというと、組織内にリーダーシップが薄くなって しまっていること。リスクを負わない、負いたくない。 「実績主義」というくだらない人事システムのおかげで みな、安全率を異常なまでに高く設定してしまうのだ。
第三に、生活者・顧客がネットでマイクを持っているので 「サイレント・クレーマー」ならぬ「ビッグ・オーディエンス」 になってしまい、ちょっとしたミスでも簡単に流布するので 投球フォームが小さくなってしまっている。
銀座や丸の内を歩くビジネスパースンたちの暗い顔を 見ていると、「窒息」とか「頭押さえられ」とかいう 単語が浮かぶ。そしてわしは海の家に帰るのである。 みんなも、夏くらい、海に行く回数を増やそう。 きっと息が楽になるよ。
2005年07月28日(木)
真夏の特訓
とにかく今週は夏休み特訓ウィークである。
26日火曜日 クライアントのミーティング用資料作成 27日水曜日 書き下ろし本校正と加筆 28日木曜日 LAの雑誌編集長来日のため面談 29日金曜日 クライアントのインハウス雑誌用原稿 月刊誌『ぷらっと』用原稿 総務的事務仕事
そんな中で楽しみはトマトジュースを飲むことと、 『ドラゴンボール』を読むことと 夜生ビールを一杯やりに近所の海の家に行くことだ。
昨日は帰宅が11時過ぎになり、それでもどうしても生ビールを 海の風に吹かれながら飲みたくてなじみの海の家に行ったら、 11時以降はお酒を出してはいかんらしく、ダメだった。
無理を言っても店の迷惑になるし、どこかで見ている 「うるさい近隣のおやじ」のチクリでこの店が営業が できなくなると大変困る。あきらめて、テラスカフェ で飲むことにした。 世知辛い世の中だねえ。 葉山花火大会、出かけていたため、今年も見れず。 うーむ。
2005年07月27日(水)
ポカリ雲
名古屋の松本さんから送っていただいたポカリスエット雲。
「ポカリであったかい気持になりました。 大塚製薬、やるなぁ。。。」
の言葉と共に。ほんと、やるよね。
ポカリは今年で発売25年。 ずっと青空のブランド・パーソナリティで通している。 こういう一本気なところが、愛されるブランドの秘密 なのだろうね。
2005年07月26日(火)
書いた書いた書いた4万字
朝6時から始め、終了したのが夜8時。途中ランチ、息抜き のためにゼリーを食べたりしたけれど、おそらくロスタイム は30分もないだろう。
ぶっつづけ13時間30分、パソコンの前に座って書いた書いた 書いた書いた書いた書いた4万字。 既に昨日2万字近くは書いていたのだけど、全体の 整合性も見なければならないから、「手がけた分量」 という意味では今日一日で4万字と言って問題ない だろう。
400字詰め原稿用紙にして100枚。
単行本一冊って、何文字なのか知らないけれど、 一日で書いた分量としては過去最高だと思う。 『マーケティング・サーフィン』(PHP)も早かった けれど、4日かかっている。
納品先が一般誌ではないので皆さんにご紹介でき ないのが残念だ。我ながら、いい出来の原稿が 完成した。
さて、今週は「一日一課題」という「夏休みの 特訓」ウィークだ。がんばるぞ!! 明日はデジタルと放送の融合をテーマにした研究。
2005年07月25日(月)
どん、と大人買いだぜ亀仙人
ついにやった『ドラゴンボール全42巻』大人買い! ジャンプコミックスを揃えると、背表紙が一枚の 絵巻物になるのである。 実は10年ほど前、全部揃えたことがある。95年の 冬はジャンプのドラゴンボール連載が最終回に向けて ラストスパートしていた頃、ちょうどその時 阪神淡路大震災を被災した。ぐっちゃぐちゃの 家のリビングをぼんやり見ながら、 「ここで神龍がいたら、『もとに戻して』と お願いするのだけどなあ」と思ったものだ。
なぜまた、いま、ドラゴンボールなのかというと、 ここだけの話、最近、ときどきスーパーサイヤ人に なるからである。カメハメ波はまだ出せないし、 瞬間移動はまだできないのだが、 「気」を読んだり、「気」を飛ばしたり、いわゆる 「気」のコントロールがかなりできるようになった のだ。それでこれって、どこかにあったよなあ、と 思っていたら、そう、ドラゴンボールだったんですね。
読みたくてたまらないのだが、40,000文字原稿〆切 を週末に控え、書き下ろし校正、プロジェクト資料作成 などなど、文字通り「盆も休みもない」状態なので、 しばらくお預けである。ちょびっとは読んでいるけど。
2005年07月24日(日)
ぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらっ
学問所1-DAYセミナー『五感ブランドを創る』 講義タイムを終え、茶話会に移ったときだった。 ぼくは立っていたのですぐには気づかなかったのだが、
ぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらっ
学問所はコンクリート造で新しい建築物だから当然 耐震構造にもかかわらず「保つのかな。大丈夫かな」と 不安になるほどのきつい揺れだった。1Fであれだから 高層ビルの上層階の人は大変な体感震度だったろう。
すぐに考えたことは受講生の安全である。 帰りの足である。
すぐにネットにアクセスしてニュースを調べるが、 もどかしいほど、遅い。
後知恵だが、学問所には、災害対策用として、 ラジオを常備している。ところが全く思い出せなかった。 テレビも全館ケーブルになってしまったためにうつらないし、 結構困った。
その後も何度か余震を感じたが、受講生は平静で、 滞りなくセミナーを終了した。 それからが大変だった。 受講生たちもきっと「後が大変」だったはずだ。
ぼくはみなとみらいで友人たちと待ち合わせしていた。 友人たちも都心からたどり着くアクセス方法が なかなか見つからないらしく、 「丸の内線が動いているので、東京駅に出て、そこから 新幹線に乗って新横浜まで行く」などという「決意」が 携帯メールでやってきたりした。
こういう場合すぐに動いても電車は動いていないわけで、 駅で体を拘束されるくらいなら、と、学問所にいて セミナーの後片付けなどをやった。
数時間後、みなとみらいのレストランで友人たちみんなの顔を 見たときはホッとした。大観覧車が能天気に回っていた。
・・・と、後になって気づき、反省した点がある。 昨日のような災害時には、ぼくは学問所で情報センターと なり、帰途にいる受講生からの問い合わせに対応する べきだったのだ。 自分が体験して昨日しみじみわかったことは、災害時には 意外と交通機関の現場(駅など)に情報はない、という ことだ。どこが不通とか、どこが復旧した、とか。
まだまだ修行が足りないなあ、と、反省。
2005年07月23日(土)
後は鳴くだけ
蝉ががんがん鳴いている。 よくいわれるのが、蝉は何年も土中にいて、やっと さなぎから脱皮したと思ったら地上で暮らせるのは ほんの数日。なんだか気の毒だね、という話。 「空蝉(うつせみ)」という言葉もある。
ほんとにそうか。
この発想には、時間が長いほうが「本当の姿」という 前提がある。
しかし、土中にいるときのほうが蝉にとっては面白く、 楽しい時間なのではないのか。
栄養を吸収したり、考え事をしたり。
たとえば土中の蝉が「90日でらくらく成虫に!」と いったセミナーを受けて本来かかる時間を1/3にし 土中から地上に出てきたとしても、
あとは鳴くだけ
なのではないのかなあ。きっと退屈するのではないかなあ。
2005年07月22日(金)
海の家の魔法使い
海の家もおしゃれであって、もちろん、トラディショナルな 「浜屋」といった昔ながらの店もあるにはあるが、やはり人気 なのはカフェスタイルだ。そのうちの一軒で素足で砂の感触を 楽しみながら生ビールを飲んでいるとやってきたのが、彼。 マジシャンである。マジックをしてもいいですか? もちろん。
やってくれたのはカードマジック。目の前で見るのは初めて だったので、感動した。本当に魔法だった。 種も仕掛けもない、彼Daiちゃんは魔法使いなのだ。
2005年07月21日(木)
消したるわ
7年ぶりくらいの大阪地下鉄四ツ橋線『四ツ橋』駅。 ホームで待っていると、Taizoに似た男性と、連れの 女性がほろ酔い気分でやってきた。
男「あー。まだ小林旭がアタマん中、回ってるわ」 女「ほな、消したろか。ひゅーるりー、ひゅーるりー ららー」 「円ひろしやな。あの人に天は二物、与えたなあ」 「ぴーひゃらぴーひゃら、ぱっぱぱらぱ」 「ぴーひゃらぴーひゃら(と、踊りだす)」 「消えたやろ」 「あかん。まだや。なんでやろ」 「なんでだろー。なんでだろー。ななななんでだろー」 「アキラ、きえへん」 「あんた、好かれてるねんなあ」 「そや。アキラ、わしのこと、好きやねん」 「言うとったん?」 「昨日電話でな・・・って何でやねん! あ。消えた」 「せやろ」 「何がせやろ、やねん」
このような意味のない会話を楽しむ文化、大阪ならではで あって、とても好ましく、懐かしく、嬉しかった!!
2005年07月20日(水)
なんで私をこんなところに閉じ込めるんだ!!
海外に出ると、環境の違いのため、本人の中に 内在している「狂気」が出現してしまうことが多い らしい。
オーストラリアでの実話。ツアー客の中に多重人格 の人が混じっていた。精神的な病気はツアー申し込み の段階では本人から申告されない限り、まず、わからない。
その客は、凶暴、タバコ好き、涙腺ゆるい人、などが 混在している人で、最初は泣いていたのが、 他の客のスーツケースを蹴っ飛ばしたり、 ホテル・スタッフに殴りかかったりして、ホテル側 が警察を呼んだ。今日の日記のタイトルは、その客が 気分が悪そうだったのでトイレに案内した後、叫んだ セリフ。
こうなるとオーストラリアでは普通まず一ヶ月は 病院から出られない。かつ、家族が迎えに行かないと 一人ではツアーに参加できないし、もちろん、飛行機にも 乗れない。
また、新郎に内緒にしていた新婦が、ハネムーンで 出てしまったケースもある。この場合も緊急入院、新郎も 心労のあまりダウンしてしまったらしい。
ツアーの仕事をしている友人に聞いたのだが、事実は小説 より、だね。
2005年07月19日(火)
おっと、こんなこと言ってるよ
かかりつけの歯科のあるJR駅前のお菓子屋さんに今朝 貼ってあるのを発見した。
「臨時休業」としているけれど、7月8月二ヶ月丸々の お休みなんて、「臨時」になるのだろうか。 「しっかり休業」ではないのかなあ。
それにしても、理想だねえ、すずやさん。 独立する前は、夏は二ヶ月休むぞ〜! と張り切っていた のだが、
現実は無理
なのであった。とほほ。今日も暑いが、働こう!
2005年07月18日(月)
アスベスト問題
アスベスト問題が顕在化しているが、92年に旧社会党が 規制法案を当時の宮沢内閣国会へ提出し、結局廃案になった 経緯がある。そしてぼくはその頃、法案のゆくえを見守って いたのでよく記憶している。
建設業界ではそれよりかなり前から話題になっていた。 押出成型セメントパネルが一つの市場を確立しており、 旭化成も後発ながら参入しようと製品の開発を進め、 完成した。ところが、当時の他の押出パネルと同じく アスベストを含有するものだった。 現在は知らないが、当時たしか、5%以内のアスベスト 含有率であれば「ノン・アスベスト」と表記できた。 無農薬に対する「低農薬」といった感じである。
そこへアスベスト問題がもちあがった。 「健康に危害を加えるものは市場に出すわけにはいかない」 という理由で、製造ノウハウや製造工程、販売体制など ほぼ完成していたすべてを廃棄し、旭化成はアスベストを 全く含まないゼロ・アスベストの製品の開発に一から取り掛かった のである。このニュースを聞いたとき、ぼくは自分の会社が とても誇らしかった(ゼロアスベスト製品はその後完成し、 ハイプリートという商品名で活躍した)。
横浜プリンスホテルの真ん中の吹き抜け部分の壁も、当初 設計では押出パネルが使われていた。しかし、アスベスト を少しでも使っている壁を採用するわけには参らぬ、と いう施主プリンスホテル側の意向で、急遽へーベルに 変わった。1990年の施工中、現場見学に行ったものだ。 旧社会党が法案を提出する以前から、建設業界では問題視 されていたことが、このエピソードからもわかる。
2005年07月17日(日)
妙高市におんぶにだっこ
妙高市は
ミスト農法(→クリック!)
をはじめとする、自然と農を市のブランドの旗にしようと している。広報に熱心である。
JR新井駅に到着すると、驚くなかれ、市の職員さんが 小型バスをしつらえて待っていてくれた。 KEN研の山田事務局長、わしらを一体どういう風に市に 紹介したのであろうか。
勉強会では市の企画政策課課長をはじめ、助役まで顔を 見せてくださった。また、市長まで挨拶に顔を出してくださった ので恐縮しきり。
妙高については今月のKEN研の談義でオープンに話し合われる ので、興味あるかたはサイトをご覧ください。
それにしても大葉のミスト農法はすごい。完全無農薬を 実現するための農法なのだが、こうして育った大葉は おいしく、長保ちする。まだ大量注文に応じることのできる 生産量が確保されていないので、名古屋のユニーでしか 買うことができないのが返すがえす残念だ。
大葉って、残留農薬の多いベスト3らしい。 ちなみにベスト1、2はパセリ、セロリの「リ」軍団。 いろいろ話を聞くと、野菜もうっかり口にできないなあ、と 思った。
地域のマーケティングについてはSurfin'やセミナーで お話しますね。
妙高市の皆さんは土曜日というのに、つきっきりで アテンドしてくださり、本当に頭が下がった。 最後は長野の新幹線駅までお見送り。いやはや、本当に お世話になりました!
2005年07月16日(土)
新潟と長野デビュー!
KEN研合宿。
新潟県妙高市(→クリック!)
に行く。東京から新幹線に乗って長野経由、ローカル線に乗り換え。 実は長野も新潟もこれがデビューである。長野方面に行く新幹線 も初体験でわくわくした。途中駅に「軽井沢」なんてあって、 いいですねえ。車窓から見える軽井沢は絵の描いたような軽井沢 していた。アウトレットモールなんかも駅前にあって、しっかり してるね。
さて、宿にもなるKEN研ベースキャンプは
ARAI MOUNTAIN & SPA(→クリック!)
とんでもなくバブリーな施設で、びっくりした。ソニー創業者 盛田氏のご子息が建設した由だが、建設資材もハンパなものは 使っていなくて、すべて本物のきちんとした石を使っている。 ヨーロッパから輸入した資材もある由で、いやはや、バブル当時は 人件費も高騰していたはずだから、総工費800億というのも 頷ける。(つづく)
2005年07月15日(金)
EXCELSIOR CAFFEはEXCELである
ここのところ、不思議なパワーが身についてきた。
「見える」
のである。
実は昨日、名刺入れを紛失した。
大いに困ったのだが、今朝、名刺入れの場所が「見えた」 のである。
昨日朝立ち寄ったEXCELSIOR CAFFEだ。 しかも、昨日は五反田桜田通り店と東口店に行ったが 桜田通り店に間違いない。ここまで、まったく論理的 に考えず、直感である。
レシートを保管していたので、電話したら、予想通り、 あった。さすがに自分が怖くなった。
大変申し訳ないが、自宅宛着払いで良いので、送っては もらえまいか、と依頼したら、店長は前例がないので 自分の判断ではできかねる、上長と相談の上「本日中に」 連絡します、とエクセレントな返答だった。
そして電話を切ってから、「あ。名刺入れ、送ってくれるな」 とわかってしまった。
約束通り連絡が入りOKだった。
ありがとう! EXCELSIOR CAFFE! 届いたら、礼状を出そう。
2005年07月14日(木)
辞めた会社に電話する
のはなかなか興趣の深いものだ。 目指す同期の遠藤君は不在なので、携帯にかけた。 ならはじめから携帯に電話すればよいのだが、 なんだかぼくにとっての旭化成は据え置き電話なのである。 呼び出してもらうのがイメージなのである。
へーベルや、建材事業の現状、同期や知人、後輩、元部下の あれこれを聞く。
グランデが事業撤退していたなんて、知らなかった! ぼくの大好きだった富士工場も設備がなくなり、サラ地 だという。愕然。
電話で話しながら、あわてて旭化成建材のウェブサイトに 行くと、ほんとだ、グランデの名前が消えている。
感慨深い。ぼくの人生の転機となるきっかけをくれたのは グランデ時代の上司とのソリの合わなさだったのだ。 あれがなければ、ぼくは副業を始めなかったかもしれない。 Surfin'を始めたのも、「満たされない思い」がどこかに 数ミリくらい、あった(髪の毛ほども、オモテには出さ なかったのだけれど)。
「講演とか依頼したら、してくれる?」 と遠藤君は言ってくれたが、おばかをやった同期連中の 前でよそゆきの顔してスピーチなどできないので、 丁重にお断りした。それより、みんなでビールのもう。 同期会が、楽しみだ。
これも、会社を辞めて5年経ったから消化できた気持ち なのかもしれないね。
2005年07月13日(水)
不思議なお箸
新橋駅近くの中華料理店「こうらく」で昼飯を とることにした。合席で、先に座っていた 渡辺パコさん(かつて知恵市場を共同経営 していた)そっくりの男性はラーメンのつゆを 一切飲まずに麺とかシナチクとか浮遊物を 一つも残すまいと一所懸命箸を動かしていた。 その賢明さが好もしかったのでじっと観察 してしまった。ただお箸の持ち方がまずかった。
・・・と隣の席のふくろうみたいなおやじを 見ると彼もまたお箸の持ち方がいけなかった。
お箸の持ち方、ぼくの個人的な統計資料に よると、90%の人がうまくないようである。
「なります」が市民権を得たように、 こうしてお箸の不思議な持ち方も 日本人のスタンダードになるのかなあ、と 思うと以前のぼくなら抱いたであろう
「残念である」とも 「もったいないことである」とも
思わず、
「このようにして社会規範は変わっていくのか」
とただ思うのみなのだ。
なんだか、心境が変わったのかもしれない。
ただ、「お箸はきちんと持たないと日本文化は損なわれる」 という危機感もひきつづき同時に持ってはいるのだが。
原稿ほか、さまざまな仕事の納期が盆明けや、8月入って すぐ、などと告知され始めた。
8月は困るのです。海に行かないといけないので(笑)。
今夜も夕食は海そばのテラスレストランにて生ビール。
2005年07月12日(火)
海の家デビュー
今年初めての海の家でビールを飲む。 自宅から歩いて3分。 暮れゆく海を見ながらエビスビールを戎顔で 飲んでいると、ハッピーだ。
目の焦点をずらし、仕事をアタマからリリースし、 素足になって砂の感触を味わう。
裕次郎灯台があって、兄貴は嫌いだが裕次郎は かっこよかったよなあ、と思ったりする。
さて、明日は5時起きである。
2005年07月11日(月)
暑いっす・・・
1. みずほ総合研究所会員向け『経営参考BOOK』原稿 2. 明日のクライアント打ち合わせ用『5感』資料作成 3. 明後日のクライアント社内セミナー構想熟成 4. Palmtree Inc.学問所1-DAYセミナー『五感ブランド』 構想熟成
以上4つを朝から同時に行っている。
途中、燃えるゴミ出し、ガレージ掃除、庭の植木に巣食った クモの巣煤払い、リビングルーム散歩中のダンゴムシ追い出し、 皿洗い、シンク水拭い、風呂掃除、居眠り も同時に行う。
KEN研メルマガが届いたが、
------------------------------------------------------------ クールビズの人も日増しに増えています。近くの林で、でんでん虫が 大量発生して、子供たちは大喜びです。 -------------------------------------------------------------
というシュールな内容で、大笑いする。発行手続きミスらしい。 でも、これ、かなり面白いと思うのだけど。
2005年07月10日(日)
ハテ?
昨夜、湘南地方は豪雨に見舞われた。夕食を海のそばの レストランでとり、帰宅する頃は既にひどい雨。 風も強かったので、まるで台風。
と、既に夜半になっていたのだが、突然、外の 拡声器が放送している。
「@?^¥;%$#”””””・・・」雨の音で、識別できん。
耳をこらすが、わかんので、そうだ、こういうときのための、 と、町役場のサイトに行くと
--------------------------------------- 気象警報の発令状況 現在、気象警報は発令されておりません。 ---------------------------------------
という。でも、放送の声は男性だった。男声の場合は警報 のはずなのだが・・・。
地元の湘南ビーチFMをかけるが、普通に音楽を流している。
わからんもんは、しゃあないよなあ、と 風呂に入って寝てしまった。
今朝は夏空である。
ハテ? 昨日のあの放送は一体何だったのだろう。 そして、何人の人が放送からの指示通りアクションを 取ったのだろう。
2005年07月09日(土)
川平の台湾オババ
知らなかったのだが、愛知万博開催中に限り、台湾からの 入国はビザなしでOKらしい。
石垣で台湾の人をたくさん見たのは、そのせいもあるの かもしれない。
川平の公衆トイレに入ろうとしたら入口におばさんが立っていた。 確認したら男子トイレだ。 おばさんは「入っていいよ」とばかり、頷いてくれた。 ぼくは会釈をして、入らせていただいた。
要するに、女子トイレが一杯だから、男子トイレの「大」を おばちゃんたちが使っているのだ。
この感覚、さすがは台湾人である。
今度台湾に行くときは、いったん石垣に行き、船で渡って みよう。変わった行きかたで、面白いでしょ?
2005年07月08日(金)
やはり彼女は実在した
昨日の話の続き。
とても気になるので、バンドのメーリングリストで 聞いてみると彼女は実在することがわかった。
なるほど。
ここから先はちょっとスピリチュアルな話になります。
「人の思い」とか「念」のパワーというものはすごい。 特に生きている人のパワーはとても強い。 ドラゴンボールで最後、ミスターブーとの戦いで 地球のみんなが気持ちを一つにして戦ったとき、 悟空に大いなるパワーを与えたのは「念」だった。
というわけで
「かったるいなあ。このおっさんたち、早く帰って くれないかなあ」
などなどのマイナスの気を彼女が発していたのである。
ぼくはそれを全身で受け止めてしまったのだ。
おかげで、昨夜から今朝にかけてボロボロである。 歯は浮くし、全身弱火だった。
そんな時に歯科に行くと、何をされてもいたたたた だった。いやはや。
2005年07月07日(木)
隅にいた女の子
夜、バンドBスクエアのリハーサル。Surfin'10周年記念 パーティに向けて。 候補曲の音出し段階なので、まだまだ演奏の質はルーズな ものだが、それでもみんなとやること自体が楽しい。
終わった後、近所のインド料理店で打ち合わせを兼ねた 打ち上げ。
帰宅して不思議な気持ちになった。 インド料理店には小さな女の子がいた。一人で、座っていた。 最初、奥のコーナーの円卓に座っていたのだが、 その後、ぼくたちのいる部屋の隅に座った。
何かを食べる風でもなし、本を読むでもなし、 遊ぶでもなし、とにかく
「つまらない。退屈」
を全身を使い、消極的に訴えていた。
店のマダムの娘さんなのだろう、と思っていたのだが。
不思議な気分というのは
「はて。彼女は実在していたのだろうか」
という気持ちになったからである。
Bスクエアと本当に楽しいひと時を過ごしたのに、 帰宅すると、とてつもなく疲れたのである。 この疲れは、
「悪い念」
を受け取った時のそれだ。
さて。女の子は実在したのか。それとも。
2005年07月06日(水)
西梅田と新大阪とエーちゃん
大阪出張。
西梅田がファッショナブルになっているので驚く。 かつて福島区に住んでいたので、西梅田はとても 身近なエリアだったのだが、お世辞にも賑わい からは遠いところだった。
それはリッツカールトンができてからも変わらなかった。
えーっと、なんていう名前なのか知らないけれど、 劇団四季やブルーノートが入っている阪神ビル経営の 新しいビルのおかげだと思う。
街がファッショナブルになると、歩いている人たちも 美しく見える。とても気持ちよかった。
帰りの新大阪駅界隈はいまも昔も変わらぬ寂しさだった。 あのあたり、大阪の玄関なんだけど、どこか寂しい んだよね。どうしてかなあ。
大阪から赤坂見附へ。 打ち合わせのあと、エーちゃんのショップDIAMOND MOONへ。 至福の時を過ごす。 さてこれから、仕事も終わった。買ったばかりのビデオ 『矢沢永吉ヒストリー2』を楽しもう! バンザイ!
2005年07月05日(火)
泣かせる暑中見舞い
封筒を開けた途端、涙がぶわーーーとあふれてきた。
LAの日本語情報誌『ライトハウス』(→クリック!)
に『マーケティングサーフィンUSA』というコラムを 一年以上続けさせていただいているのだけれど、その連載 を支えてくださっている編集部のみなさんからの 暑中見舞いだったのだ。はるかLAはトーランスから。
みんな、いい文字だし、何より、「形だけ」の文章では なく、しっかりぼくの連載を読み込んでくれている ことがわかる内容だ。
これでまたもや涙じわーーーーっ。
暑中見舞いをもらって泣いたのは、これが初体験だ。 あわてて、これをネタに連載コラムを書いてしまった(笑)。
2005年07月04日(月)
環境を変える
石垣には書き下ろしを仕上げるために行った。 企画をまとめるには「環境を変える」と効く場合がある。
え? 仕事で行ったにしては日焼けしてるじゃねえかって?
何で原稿仕上げるのにシュノーケリングしなきゃいけない のかって?
なになに? お日様の高いうちからオリオンビールを 飲む必要はあるのかって?
すべて、必要なんですっ!
2005年07月03日(日)
うーん
この人形の写真は石垣のリゾート内に あるコンビニで売られているものだ。
ややこしい世の中だから別にめくじら立てるようなことじゃあ ないかもしれないが、これと全く同じものを今年1月、フィジー の土産物屋で見ている。
さて、「原産地」はどこ?
2005年07月02日(土)
プカプカ、ドン!
海に浮かぶベッドがある。何でできているのかわからないが、 とにかく浮く。その上にラッコよろしく浮かんでいた。 夢中になって手放せない浅田次郎天切り松シリーズ第三巻 『初湯千両』をプカプカ浮きながら読んでいたと思いねえ。
ああ極楽よこの世の天国とプカプカしていたらそこは自然の 恐ろしさ。いきなり突風が一陣ドン、たまらず文庫本のカバー が飛んでいってしまった。こうなると左手で本の本体を 支え、右手で海面に「いまのところは」浮かんでいる カバーを取りにいかにゃあならねえ。ところがフローティング ベッドを手で漕いで、カバーが浮かぶ場所まで行かなきゃ 話は始まらねえんだが、どうにもこうにも進退極まった。
折りよく同じくプカプカ浮かんできた家族に取ってもらったは いいが、ご覧の通り(右)、カバーは悲惨な状態になってしまった。 とほほ。
2005年07月01日(金)
になります撲滅運動、しぼみかける
ただいま〜!
ぼくは「になります」撲滅運動の旗手を自負しているのだが 石垣島は川平(kabira)のグラスボート「青い珊瑚礁」号の 塩辛船長までが「これがサンゴになります」と言っている のを聞いて、これは、もう、認めざるを得ないのかな、と 観念した。
若いホテルスタッフが「になります」というのは仕方ない。 彼らは大半が東京、大阪から来ているのだから。 しかし、地元のおやっさんまでが言い始めたのだから・・・。
そういえば、フィジーで案内してくれたフィジー人の 日本語も「になります語」だった。 「こちらが、搭乗ゲートになります」
推測するに、正しい語尾は「・・・です」なのだが、 それではなんだか丁寧さが足りねえ、だったら「ございます」 だがそれもまたかしこまりすぎだ、何かねえかってんで、 「になります」になりましたのだろうか。
要するに、みんな、「これは間違った日本語だけど使っている」 のではなく、「正しい丁寧語・接客用語である」と 信じきっているのだ。
・・・いやいや、数の多寡でものごとの善悪が決まるわけ じゃあねえ。そんなことが世の道理なら、戦争もテロも政治も 何もかも正当化されちまう。
間違いは、やはり間違いなのだ。
ひきつづき、「になります撲滅運動」の活動は続けることに した。
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