椰子の実日記【JOYWOW】
2004年11月30日(火)
楽天ブックスからインタビュー受ける
楽天ブックス著者インタビュー(→クリック!)
を学問所にて受ける。
『CSR(企業の社会的責任)企業価値をどう高めるか』 『リーダーこれだけ心得帖』 『スロー・ビジネス宣言!』
これら新刊予定に合わせた本の販促企画である。
上記三冊とも、芯を貫く柱は一本だ。
現場力、人力(ヒトヂカラ)の衰退、そして拝金ジャパン への警鐘であり、とにかく人に焦点を当て、 「しつけ、挨拶、日本語能力」の三つを磨かねば とんでもないことになる、という提案である。
米国流グローバリズムはいかなる指標をあてはめても 人類を幸福にしなかった。むしろ貧困と犯罪と戦争の 拡大しかもたらしていない。60年代のアフリカは 21世紀のこんにちよりも豊かだった。現在アフリカが 貧しいのは先進国のパワー・エコノミーによるものだ。 *このあたりについて詳しくは 『あいのり』サイト内の「今週のあいのり#247アフリカを旅して・・・ 2004.11.29 O.A. 」(→クリック!) をご覧ください。ダーッ、と下に向けて読んでいくと わかりやすく解説されています。
この仮説の「対」(counterparts, 『対』の概念に ついては山本藤光氏より拝借した)を読むため、 NYにいた頃、英語版は読んでいたのだが日本語版で 大前研一『新・国富論』を読んでいるところ。
ちなみに楽天ブックスインタビューの
●掲載場所は 楽天ブックスTOPページより導入 メールマガジン(52万通)などで告知
●掲載期間は 12月16日(木)〜12月22日(水) 期間終了後はバックナンバーページに収納
です。
『心得帖』は明日発売! よろしく!
2004年11月29日(月)
広告効果
先日、亡母の姉妹二人と久しぶりに会った。 ぼくにとっては叔母にあたる二人である。
「啓ちゃん、楽天、ええなあ。啓ちゃんも楽天 みたいな仕事、せえへんのかいな」
「えーっと、種類は違うので・・・」
「種類って、何や」
「えーっと、商売の種類ですわ」
「わからんけどな・・・球団、買えへんのかいな」
「買えへん、買えへん」
「そうか、ええやん、楽天、かっこええやん。 社長、まだ30代始めやろ」
混ざってますから〜。残念!!
2004年11月28日(日)
この季節になると思い出す
庭の木が実を実らせている。季節である。 実はこの木、裏の家の木なのだが、柑橘系の実が 我が家の庭にぼた、ぼた、と落ちる。 こういう場合、所有権はうちにあるのだろうか。 それとも隣家にあるのだろうか。 拾ったぼくが食べちゃったら、どうなるのだろう。 『ザ・ジャッジ』に聞いてみようか。
ギター侍のフレーズを使ったギャグを 一つ思いつく。Surfin'向きなのだがSurfin'を 書く時間がない。このまま忘れてしまうの だろうなあ。
今日も一日、翻訳仕事。終盤になり、エンジン かかりまくり。
夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』巻ノ一、ひきつづき 読む。面白いエンタティメントの条件は悪役がsmartであることだ。 本書のそれは無茶苦茶アタマのいい悪役で、本を置けない。
『ハウル』も気になるが、いま行っても混んでる だけだろう。来月冬休み前、みんなが油断している平日 昼間に行こう。
2005年の手帳が黒くなり始めた。ぼくにとって手帳は 昔の商家でいうところの大福帳だ。米朝師匠の落語で 知ったのだが、商売繁盛を「大福帳が黒くなる」と言った由。 ありがたいことである。
*なお、タイトルと本文に関連はありません
2004年11月27日(土)
Aになりますが、よろしいですか?
みどりの窓口で、 「グリーン禁煙、できれば窓側の、進行方向一番後ろ」 という指定の仕方で切符を買うことが多い。 荷物が大きいので、座席後ろに置きたいからだ。 神奈川の最寄駅でそれをやった。
「えーっと、Aになりますがいいですか」 「Aってどこでしたっけ」 「南側です」 「ミナミ?」 「山、富士山側じゃないですが」 「ああ。いいですよ。お気遣いありがとう」
やるなあ。気遣いが嬉しいじゃないか。 乗った。くだんの席は空いていた。 ぼくが下りるまでずっと空いていた。
帰り、名古屋駅で同様の買い方をした。
「Aになってもよろしいですか」 (からくりは知っているがわざと)「Aってどこでしたっけ?」 「富士山側ではないほうです」 「ああ。いいですよ。ありがとう」
乗った。予想通り、空いていた。東京駅終点まで空いていた。
さて。これからあなたは何を読み取りますか。
2004年11月26日(金)
『リーダーこれだけ心得帖』ゲット!
さる会食で、
モーターマガジン(クリック!)
の田村杉夫氏と一緒に なる。畑違いの人と話すと面白い。論理回路が 見えてくると、「発見!」という気分だ。 田村氏は関東出身だが、ほぼ同い年 (田村氏は一つ下)なので、話の基盤が同じ。 面白いもので、同世代は「におい」でわかる。
新刊『リーダーこれだけ心得帖』見本を入手。 これで通算17冊目(ハングル版、電子出版のぞく)。 1999年11月に本デビューをして以来、早いもので、 丸5年、6年目に入った。 5年で17冊というのは多いのか、少ないのか。 やはりビジネス書年3.4冊は多いのだろうね。 あらためて数えて気づいたが、今年は既に上梓 したもの4冊、『リーダーこれだけ心得帖』で5冊め、 仕込みの済んだ本一冊(『スロー・ビジネス宣言!』)、 仕込中一冊(『ビジネスの育て方』)合計7冊である。 一年に7冊というのは、多いっす。
うち、手間ひまの最もかかる翻訳が通算6冊。 翻訳はしんどい。キャリアを積むほど、 しんどくなる。これは英語力でしんどくなる のではなく(むしろ英語力は年齢を積むほど 増してきている)、日本語の選択に厳しくなる からだと思う。
もっと本を出したい。ドイツ語でもフランス語でも ぼくの知らない言葉でも。
コンテンツも、ビジネスに限らず、エッセイ、 小説、詩集なども出したい。宇宙にも輸出したい。
夢はでっかいのだ。
2004年11月25日(木)
元気げんき!
ホテルのエレベーターでおねえさま方3人と乗り合わせた。
「仕事がね・・・ちょっとね」 「いいところが見つからないの?」 「もう、ね、へんなところはいやだしね」 「いっそ、結婚しちゃえば?」 「そうよそうよ」 「お嫁に行っちゃおうか」 「だれかいい人見つけて」 「カッちゃんなんか、どう?」 「あれはだめ。根性ないもん(笑)」 「そうよねえ・・・(笑)」 「フフフ」
おそるおそる おねえさまたちを見るといずれも 60歳後半の風である。
まだこれから「お嫁に行く」気なんだ!!
それにしても、カッちゃん、 一体いくつなんだろう。 どこで何をしているんだ、カッちゃん!
2004年11月24日(水)
あんこう初体験
今月は初体験リストが山盛りだ。 今日はそのうち、かなり大きい初体験。 「あんこう」を食べた。 クライアントに案内していただいた(ご馳走様でした!) アンキモ、旨かった〜。 オレンジみたいな味で、本当にとろけた。 あんこう鍋も、幸せだった。 そして最後の雑炊も、とびきり旨い。
おやじさんの薀蓄もおいしかった。 「わし、あんこう、好きで好きでしゃあないねん!」 と、
野村昭子さん(→クリック! 『渡る世間は鬼ばかり』タキさん役)
に似たおやじさんが全身で発電していた。
ちなみにあんこうは発光するわけではなく、ぷるぷる ひげをふるわせるので、それが疑似餌になって 小魚が寄ってくる、という仕組とのこと。
店は「鮟鱇(あんこう)」というそのまんまの店名、 名古屋市昭和区にあります。
夜はマリオットに宿泊。相変わらず、完璧。
2004年11月23日(火)
クリスマスに期待するという風船頭
『ハリポタ』5巻が売れずに困っているらしい。 発売前の書店からの販売予測数を積み上げると 290万部になったので、そのまま印刷し市場に流したら、 実売230万部にとどまり、60万部ダブついてしまった。 買取制なので、書店の経営を圧迫しているらしい。
営業マンの言う数字を積み上げて生産する工場はない。 これが製造業の鉄則である。 常に市場と顧客動向に目を光らせている、その道のプロ、 メーカーですら、適性生産数予測というものは難しい。
まして、普段市場と顧客についてマーケティング戦略的 に考えることに慣れていない出版社と書店が手をつけたら やけどするに決まっている。 関係者たちはどうしているかというと、責任の なすりつけあいと、クリスマスに期待、という。
クリスマスに期待
言葉が出ない。ソフトウェアは、「要らないものは たとえタダでも要らない」という商品特性を持つ。 「ハリポタ」を4巻まで読んでない人にとって、 5巻は不要な紙の束である。
ここでも「クリスマス」という「天気」(外部要因) に期待する業界マインドがうかがえる。非常に わかりやすくいえば、アタマ悪いのである。
まあしかし、書店は元気でぼくの本も売ってもらわ なければならない。ハリポタのおかげで病気になって もらっては困るのである。マーケティング戦略家として、 秘策はすぐに思いついているので、知り合いの書店には 話そう。
ぼくが常々言っているように、「ヒット商品の ある企業は不幸である」というパラドックスが ここでも証明された。
2004年11月22日(月)
ユーミン『VIVA!6×7』は傑作です
紅虎餃子房(→クリック!) が近所にあることを知り、早速行く。 赤玉担担麺とチャーハン。 両方旨くて気絶しそうになりながらはぐはぐ食べる。 特に赤玉担担麺、頭皮の毛穴が全開し、汗がストロー のように流れてくるのがたまらなく快感。
大満足で勘定を払おうとしたら中国人スタッフが 「**円になります」 というので誤日本語が輸出されているなあ。
初期ビートルズのCDが復刻盤でまとめてボックスで 発売された。金額は張るが、「大人買い」できる年齢に なったので買おうと思う。でも、CCCDだったらいやだなあ、と いつものCDショップのおやじに相談に行く。 おやじと二人で確認。やはりCCCDだった。 おやじとひとしきり、この、天下の愚策について嘆く。 ビートルズは先の『Let it be』もCCCDの犠牲になっている。 QUEENベストもそうだ。日本だけの愚行である。 アーティストの著作権を守るためというが、音質に こだわる例えば矢沢永吉もユーミンも自分のアルバムを CCCDにしていないことからわかるように、 音質は確実に劣化するのである。彼らは著作権に無頓着かと いうと決してそんなことはない。特に矢沢永吉は日本の アーティストの中で最も法律の造詣が深い人だろう。
くだんのCDはどこか海外で買うことにする。
手ぶらで出るのもおやじに悪いので、矢沢永吉の、 キャロル時代のセルフカバーCD『テン・イヤーズ・アゴー』 を買った。ギターのZONOが以前、褒めていたから。
次いで、書店に寄り、夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』 三浦展『ファスト風土化する日本〜郊外化とその病理』 をみだれ買う。今日もまた、ソフトを湯水のように買っている なあ。
帰ると日本経済新聞社から『CSR』発売いきなり増刷決定との 報せ。パチパチパチ。
2004年11月21日(日)
元祖パーミション・マーケティング
「市場からのパーミション」より重要なコンセプトほど、 創業する起業家にとって必要なものはない。
(中略)
ビジネスを成長させるためには、市場からあなた (の会社)がビジネスをしていいですよ、という 「パーミション」をもらう必要があるのだ。 そう、起業家は顧客から、商品を販売してもいいですよ、 というパーミションを与えてもらわなければならない。
(中略)
米国企業は年間実に950億ドルもの費用を広告に浪費し、 ぼくたち生活者の神経を麻痺させている。それらの広告ときたら、 右を向いている生活者を無理やり棍棒で左にねじむけるような 力技で何とかしようという魂胆であり、売りつけようとしている のはおなじみのソフトドリンクや洗剤だ。 その内容の空疎なことといったら、ない。 あたかも顧客には選択肢が他にないような迫り方だ。 -------------------------------------------------------- (阪本訳、引用にあたり、文末を一部改変)
以上、どこかで聞いたことのある文章だと思う。イエス、 まるでセス・ゴーディンの『パーミション・マーケティング』だ。 では、『パーミション』の盗作かというと、とんでもない、 この文章が書かれたのは1987年であり、『パーミション』出版 の12年も前のことだ。本のタイトルは『Growing A Business』、 ポール・ホーケンのベストセラー。ポール自身が今回の 日本語版上梓に寄せた「日本語版のためのまえがき」に よると
「上梓以来200万部売れ、31の言語に翻訳され、50を超える国 で読まれています。その中にはエストニア語やカザフ語と いった皆様にはあまりなじみのない言語もあります」
というくらい売れている。セスがこの本を読んでいる確率は 非常に高い。念のため『パーミション』原書にあたって みたのだが、本書に関する記載はない。 とはいえ、 セスがパーミション・マーケティングを構想するにあたって、 本書を参考にしたことは充分考えうる。
共にぼくが翻訳することになったことも、そして、担当編集者 が同じEさん(Eさんは転職して会社は変わっているが)である ことも、不思議なご縁を感じる。こんなこと、人生、あるの だねえ。
2004年11月20日(土)
淋しいたましい
朝刊にライブドアの堀江さんのインタビューが出ていた。 厭なもの見たさ、という困った性分があって、つい 読んじゃった。読むんじゃなかった、とやはり後悔した。
淋しい人なんだろうなあ、と思う。 彼の拠って立つ論理は、驚くほどアナクロであり、昭和 の少年を思い起こさせる。上海の青年と話した後味の ようなイメージだ。
淋しいたましい、を感じた。
ジョン・レノンが自らの父への悲痛な叫びを歌った 『I'll Be Back』(The Beatles"A Hard Day's Night"所収) のような寂寥感が残る。
2004年11月19日(金)
濡れ雑誌とカズ
福井県産業支援センターの招きで講演。 会場は体育館だった。古式ゆかしいストーブが セットしてあり、懐かしいので写真を撮ろうと したが忘れちゃった。 体育館は満員の入りで、最前列に九州ベンチャー大学 の栢野克己さんの顔が見えた。彼は午後からの講演だ。 栢野さん、いい顔してるなあ、と思いながら、気持 よく講演できた。途中、体育館らしく、時鈴のチャイム が鳴ったりしてなかなか面白かった。 終了後、挨拶に来てくださるかたが多かったのだけど、 後のスケジュールが詰まっていて、すぐに「しらさぎ」 に乗らねばならず、ゆっくり話せなかった。残念。 大阪からも聴きにきてくださっていた。
しらさぎも、のぞみも、グリーン車はぎゅうぎゅう。 しかも、指定を取っている自分の席に行くと知らないおじさん が座っていた。知らぬ顔で雑誌を読んでいる。 ニャロメ電波を発したら、悪びれず、さっさと立った。 日本のマナー低下は、若い人を指導するべきこういう おやじから起こっている。 先に隣に座っていた、ページ数の少ない、雨に濡れた 雑誌のようなおやじも、マナーがなってなかった。 靴を脱いだ靴下足を組んで、ぼくのほうに向ける。 膝から下は30センチものさしより短いくせに、 その存在感は異臭と共に大きい。間違いなく 領海侵犯である。おっさん、出すぎ。 司馬遼太郎を読んでいたが、本を読んでもバカは 治らない、という事実を実証してくれる濡れ雑誌だった。
ほか、車輌がなんだか暑苦しいなあ、と思ったのだが、 Jリーガーたちも乗っているのだった。あの茶髪に スーツの似合わなさは、まぎれもなくJリーガーだ。 三浦カズもいた。iポッドを耳にさして、寝ていた。 ピッチ上のあなたを応援していたこともあるのだよ。 数年後、あなたもぼくも、なんだかかなり変わった ねえ。
品川駅で塾生の池上さんとばったり。嬉しい偶然である。
2004年11月18日(木)
やるね! しらさぎ
景気回復は、指定席の埋まり具合からもわかる。 今日は名古屋経由特急しらさぎに乗って福井に 来ているのだが、しらさぎのグリーンは全席満席。 禁煙席は指定も満席とのこと。 みどりの窓口で困っているわずかの間にキャンセルが出た との画面メッセージを担当のおねえさんが素早く見つけ、 何とか席を確保したくらい。 しかし、いざ「しらさぎ」の車輌を歩いてみると、自由席 が結構空いている。で、あれば、広く座りましょう、 ということで、指定は無駄になるけれど、自由席の最前席 に座ると、なんと、昔モバイルをしまくっていた頃 「作ってほしい〜!」と叫んでいた、PCの電源ジャック があるではないか(写真)。やるねえ、しらさぎ!
ぼくはこの特急しらさぎが大好きで、 名古屋から乗ると、米原で座席をぐるりと逆向きに 回転するのも楽しい。 グリーン車のゆったり感は新幹線最新車輌はかなわない。 古き良き新幹線のグリーン空間がここにはある。
とはいえ、自由席のこの電源! やるねえ。
さっそくパソコンを開いて仕事してしまいました。 睡眠不足を補うつもりが、仕事したので、 結局、いいのか、悪いのか(笑)。 ともあれ、今夜は解禁のカニだいっ!
・・・と勘違いしていたが、普通の鍋だった・・・。 まだまだ高くて、地元の人はまだ「様子見」とのこと。 残念!
2004年11月17日(水)
PalmtreeTシャツだい!
プリントマート(→クリック!)
石塚社長からいただいた。やったーー!
実はPalmtreeオリジナルグッズを作ろうと考えていた のだ。手始めにTシャツと構想していたところに いただいたので、嬉しい(石塚社長からいただいた のはかなり前なのだが、ここに紹介するのが今に なってしまいました)。
話は変わるが、
楽天ブックス(→クリック!)
から、著者インタビューのオファ。 喜んでお受けする。
『CSR』 『リーダーこれだけ心得帖』 『スロー・ビジネス宣言!』
と、立て続けに上梓するから、それにひっかけて話して ほしいとのこと。願ってもない。尊敬する夢枕獏さん と並んで掲載されるなど、夢のようだ。 UPは12/16(木)。まだ先になりますが、皆さん、 よろしく!
来年も翻訳書が出るし、密(ひそか)に練っている構想もある。 読者プレゼントとして、大吉名刺を提供することに した。どうぞお楽しみに!
2004年11月16日(火)
秋、湘南、夕暮れ
散歩の途中、海に寄ってみた。 秋の湘南、夕暮れ。 夏真盛りの時でも、太い光線として 感じないのがこの海岸の特徴かもしれない。 秋はなおのこと、やさしい。 仕事の途中に、海に寄れるのは、この上ない 環境だ。さて、がんばろう。
2004年11月15日(月)
沖縄病
本州に戻ってきたら、寒いこと寒いこと。 さあて、仕事は山積みである。これで年内はもう、休め ない。早朝から机に向う。 雨がしとしと。 寒い。
沖縄病、というのがあるそうだ。 沖縄の魅力にすっかり魅せられてしまって、離れられなく なる病のことをいう。
今回の出張で知り合ったS社長は日吉出身、実家が葉山。 沖縄にとりつかれ、住みついた。 同じく琉球大A教授は大阪出身、30歳前まで世界を放浪し、 思うところがあり司法試験受験、合格して判事として ならしたのだが、あるときから重度の沖縄病に罹ってしま った。結局、判事の職を擲ち、収入は落ちるにもかかわらず、 大学の先生になった。
そしてこのぼくも、沖縄病に感染してしまったようで ある。老後は沖縄に住む、という構想を持ち始めている。
2004年11月14日(日)
体力のない高校生たち
那覇は修学旅行生であふれていた。 行きの飛行機は一般客で満席だったし、要するに 沖縄はいま、ブームなのである。 修学旅行の高校生は、しかし、自由時間の過ごしかた がわからないらしく、加えて体力もないので、 国際通りの入口にあるファミマの前で座り込んで 携帯を見ていた。群がっていた。 コンビニの前が安心なのだろう。 先生も先生だ。ちゃんと自由時間の過ごし方くらい、 教えずに放し飼いしても、彼らには時間のつぶしかたが わからないのだろう。 国際通りに軒を連ねる土産物店も営業努力がない 店ばかりで、たしかに21世紀の高校生には魅力に 乏しい印象は否めない。
帰りの機内、離陸したとき高校生たちが一斉に拍手する など、先が思いやられると思ったが、心配無用だった。 彼らはやはり体力がないのだ。すぐに寝てしまったので 静かになった。情けないなあ。
2004年11月13日(土)
オフ!
起きて、カーテンを開けたら、太くてパワー全開の 太陽光。夏だ。 沖縄の空気が身体のリズムをゆるめてくれる。 今日は一日オフを自分に許し、さて、どこへ行こう。
つづきは帰ってから書きます。
2004年11月12日(金)
那覇はまだまだ宵の口だぜぃ!
那覇の夜である。
おもろ殿内
という沖縄創作料理店に案内いただき、たっぷりと楽しんだ。 中庭にゴザを敷き、そこでみんな平気で飲み、食べている。 ぼくたちは奥座敷に案内されていたので、帰りに気づいた。 那覇の気温は28度はあるのではないか。半袖で充分OKだ。 いいなあ!
空気のにおいがね、いいんですわ。
二次会は70年代・80年代の音楽がんがんの妖しの店。 沖縄の夜は男ばかりで深深と更けていくのであった。 那覇はまだ、宵の口である。
2004年11月11日(木)
ちゅら海、待っててね
明日は
琉球大学
の招きで同大学にて講演する。受講者は学生ではなく、 同大学の教授たちというのでおっかない。
沖縄は14年ぶりくらいだ。大学生の時に行って以来 仕事で2回、行っている。その時はサラリーマンで、 販売成績優秀な代理店さんを招くというキャンペーン 旅行だった。幹事役なので、あれやこれや気を遣い、 ろくに寝なかった記憶がある。
海に向って打つゴルフ場や、宮古島でジェットスキーを 楽しんだ。
さて、明日はどんな出会いがあるのだろう。 とり急ぎ、海パンだけは忘れずに・・・って、さすがに 寒いか。
2004年11月10日(水)
おっと、早くも水曜日
何だかよくわからないうちに水曜になってしまった。 今日はこれから新宿、明後日は那覇にいる。昨日は 豊洲だった。わけがわからん。 これほどまでに年中無休なのは健康ランドかPalmtree くらいなものである。
書斎でどっしり構えて作務衣を身にまとい、筆を 走らせる生活にあこがれているが現実は車内で 校正に目を走らせ、電車の揺れに負けないように 朱を加える。翻訳原書をぐちゃぐちゃになるまで 線を引いて最適な単語を探しぬく、という毎日で ある。そしてコンサルティングのための資料 調べ。
永ちゃんの『トラベリン・バス』の歌詞そのものの 生活だ。さて、今日もおとーさんはがんばろう!
・・・とはいうものの、だんだんカタギの生活に 飽きてきた。そろそろ不良中年やりたい。 休止中のバンドを再開しよう。 ZONO、ZEN〜!!!!!! やろうぜ〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2004年11月09日(火)
ロック・オデッセイ
7月に開催された野外ライブ
ロック・オデッセイ
意味がよくわからなかったので行かなかった。 スカパー!とフジのCATVで放映したのでDVDにおさめ、 観てみた。良かったなあ!
ザ・フーが生きて動いているのをもう一度見る ことができようとはわし、思わなかったし、 エアロはもう、これでもか、という感じで 「キメ曲」ばかりで迫ってくる。
そしてお目当ての矢沢永吉の前に出てきた、 レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ のこと。ぼくの翻訳書『火をつけろ!』p.170 に出てくる)のヘンさ加減はただ者ではない。 やみつきになるヘンさだ。
矢沢エーさま。もう、何も申し上げることは ございません。素敵どすえ〜。
ぼくが何を考えながら観ていたかというと、 来年もし開催されたら絶対出る、というもの。
「観にいく」ではなく、「出演する」という ことだ。がんばろう!
2004年11月08日(月)
ガクエンサイ!
昨日の日曜日は横浜チャイナタウンで 阪本塾卒業生と仲間たちで「学・宴・載」 (ガクエンサイ)を開催した。 毎年初夏に葉山の海でやっているBBQの 都市版である。プロデュースを
セルフブランディング科学研究所
にお願いしたので、一味違う雰囲気になった。
名古屋、大阪、兵庫からも参加いただき、ありがたい ことである。
KEN研の
山本藤光校長
も参加いただき、恐縮する。青雲の志を抱いた タイ青年も同行。早速来年のタイ旅行のための 情報をいただいた。
冒頭、学問所で撮影したビデオが数分流れたが、 自分の映像を見るのはいつまでたっても 恥ずかしい。とほほ。
今年は97名の皆さんが、学問所の門をくぐった。昨年の 今頃は、学問所の準備に追われていた頃だ。
来年、またどんな新しい「知の出会い」が あるのか、いまから楽しみだ。
2004年11月07日(日)
アメリカの本当の姿
ぼくも含めて、日本人が知っている「アメリカ」は ニューヨーク、LA、サンフランシスコ、ハワイ、 そしてせいぜいシリコンバレーくらいだろう。 メディアが取り上げるからだ。
ところが、「アメリカ」は、それらの都市やエリア とは違う顔を持っているのである。ではどんな顔か。
ブッシュが大好きな人たちが住む、中西部・南部の、 保守的な人々を代表とする顔である。メディアには 出てこない。
彼らは女性の社会進出には反対だし(女は家にいるべきで ある)、有色人種は差別しているし、同性愛なんて とんでもないし、日本は刀を振り回し、ShogunとZenで 内戦を繰り返す野蛮な国だし、アメリカは戦争して どんどん「悪いやつら」をこらしめるべきだし、 CO2の排出はアメリカの発展のためならやむをえないし、 要するに、ブッシュ施策はOKなのだ。
だからある日本の新聞が、ニューヨーク市民の 「ヒラリーが出ていたらよかったのに」 という声を掲載していたが、これは間違いである。
ニューヨーカーは当然そういう考え方をする。ところが、 仮にヒラリーが出ていたとしても、「女のくせに」 と反発されるのがオチなのだ。
あの広い国を一つの価値観でまとめることがそもそもの 間違いなのであって、その内在する自己矛盾を 顕在化させ、polarize(二極分化)させたのが 他ならぬブッシュなのだ。
2004年11月06日(土)
プロフェッショナル書斎館
書斎館(→クリック!)
は接客の技を見せてくれる。秒に追われる毎日の ほんの一瞬の空きを見つけて、南青山まで行った 甲斐があった。
現代日本は米国の後追いで、「人」の部分が全く弱く なってしまっている。
「一万円からお預かりします」 「野菜カレーになります」 「コーヒーはホットでよろしかったでしょうか」
こういう接客を良しとする経営者ばかりなのだ。
昨日JR横須賀線であやうくグリーン料金を水増し 請求されそうになった。要するに車掌がプロフェッショナル ではないのだ。
そういう哀しい中、書斎館では今回も舌を巻く 体験をすることができた。
要点だけ言えば、
・フロアにいる客が何をしてほしいか、目の前の接客しながら きちんと読み取る(ちょうどキャッチャーが塁に出ている ランナーの動きを読むような、そんな感じ)
・前日に電話して問い合わせた顧客だということを見抜く
といったものだが、これだけではわかりにくいかもしれない。 そうだ、これから書く『スロビ』文庫版(日経ビジネス人文庫) の原稿で披露するので、是非読んでみてください。
2004年11月05日(金)
大騒ぎグリーン車
最近、新幹線グリーンを占めるのは次の2グループのどれか、 あるいは、全員である。
1.シニア(時々、娘と孫が加わる。いわゆる、実家需要) 2.外人
するとどうなるかというと、うるさいのである。
シニアも外人も、ケータイにマナーモードがあることを 知らないし。娘(孫にあらず)のしつけができていないので 孫がうるさいし。
グリーンも、かつてのような静けさが消えてしまった。
ぼくのように書斎、仕事空間として使いたい人用の車輌が 出てきてもいいのになあ。
*写真と本文とは関係ありません。写真は永平寺のかわいい もみじ。後姿のシルエットは、ぼくです。撮影してくださった Oさん、ありがとうございます。
2004年11月04日(木)
コンコン、コンコン・・・
奈良で泊まったホテルで不思議な体験をした。 ベッドに入ったあと、なかなか寝付けなかったのだが、 右耳のそばで、女性がしきりに咳き込むのである。 隣の部屋の音かな、と思い、それはそれで気にならない、 ぼくはビジネスの世界に飛び込んだ1981年以来出張が つきもので、一時期ホテルにも住んだことがあるから、 むしろ、お隣さん、気の毒に、明日は治ったらいいのに ね、というくらいの思いだった。 翌日、朝食のために部屋を出て気づいた。
右隣は、外壁なのだった。
2004年11月03日(水)
simple life
永平寺の修行僧たちの生活を知るにつけ、 生活をシンプルに、シンプルに、できるだけ 何も持たない生き方をするべきなんだろうなあ、 と思う。
ある修行僧は、花粉症だったので、ティッシュ を大量に持ち込んだのだが、取り上げられた。 起きて半畳寝て一畳。 考えてみれば800年前の道元さまと、現代の ぼくたちとは生物としては同じである。 ところが、現代のぼくたちは何だかんだと 持っている。
そう、ちょっと前だけど、雨が気持いいので 濡れて歩こうと思ったら、いや、携帯が 濡れると壊れる、と、やめたことがあった。
・・・ということを考えていたら、リビング の書棚に『海からの贈り物』(アン・リンドバーグ) が目に入った。
どれだけ捨てられるか。
これが実はQOLを決めるのかもしれないね。
2004年11月02日(火)
「ぶりっこ」が流行していたなあ
22年ぶりに東尋坊へ行く。
サイトはここ(→クリック)
軒を連ねる土産物屋さんが、22年前に行った時と同じ 「昭和のノリ」で、嬉しい。たとえば、「困った娘 です」と大書したTシャツとか、フジカラーの 看板とかが、いかにも「80年代のヤング」を意識した ノリなのである。聖子ちゃんカットのテニスラケット 抱えた女の子や竹の子族を顧客ターゲットにしている のである。 それでもOKだ。お土産物屋さんは代々「顧客から見下ろ される」立ち位置であるべきなのである。これが 「顧客を見下ろす」ようになると、その土産物屋さん ゾーンは、やばくなる。
22年前はまだ旭化成の新人だった。若手である。 ボタンダウンシャツの、トラッド小僧だった。 22年後、革ジャンの不良オヤジとなって再訪 することになるとは、当時のぼくは夢にも 思わなかった。だから、いまから22年後、どこで どうなっているかも、わからないのだ。 楽しみである。
2004年11月01日(月)
ワーカホリック北斎
もみじを違うアングルから撮ったもの。 福井県立美術館でほんものの北斎も観たが、このもみじ、 北斎がいかにも好みそうなポーズを取っている。
話は変わるが、北斎の「とんがり」は構図だと思う。 彼の構図のとらえ方、空間を切り取る抽象の方法は、 天才的だ。
もう一つ、北斎で感銘を受けたのは、その多作ぶり。 売れっ子だからだろうけれど、それにしても、 「ちょっと働きすぎだよ」とアドバイスしてあげたくなる。
福井県立美術館
に行くと、ほんものの北斎に会えます。
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