椰子の実日記【JOYWOW】
2003年12月31日(水)
武闘派復活
ついうっかり忘れている人もいるかもしれないがぼくは 「マーケティング界のストリートファイター」であり、 武闘派である。ついでにいうと、ぼくのPCにインストー ルされている漢字変換のプログラムをした担当者は 「ぶとうは」を知らなかったようだ。変換できない のである。どうせ運動音痴の、もやしみたいな プログラマーなんだろう。
書き下ろしを見事脱稿し、今日から呼吸法とスト レッチを始めとする運動メニューを再開する。 執筆中になまってしまった身体をメンテナンスして 来るべき新年に備えるのである。そして、運動が 終了したら、近所のうまい蕎麦屋で年越し蕎麦を 味わい、帰宅して紅白歌合戦を応援する。時々 チャンネルをボブサップに合わせる。
明日からは次の書き下ろし開始だ。
皆様、よいお年を!
2003年12月30日(火)
スイッチ入ってます
書き下ろしが最終局面に入り、創造のスイッチが入って しまった。こうなると魂がどこかにイッてしまう。 日常生活が営めなくなる。メールに返信するとか、 銀行口座を管理するとか、手紙を読むとか、ゴミを出す とか、すべて、できなくなる。やらない、のではなく 「できなく」なるのである。自分の中にある創造の ロボットが脳と身体を支配し、「書くこと」を 最優先で生き始める。だからあちこちに不義理を している。 ちょうど年末でよかった、と思うのである。 世間が止まっているから。
2003年12月29日(月)
高齢化社会のホンキートンク
暮れもいよいよ土俵際だが、全く関係なくスパムメールは パソコンを開けると今朝も69通やってきた。 全部、アメリカのサーバーから来ている。ニューヨーク に住んでいた頃の情報をだれかメールアドレス屋が売った に違いない。たまにハングル・メールが来るが、韓国語で出版 して以来だから、そういう道があるのだろう。ファンから かもしれないが読めないので仕方ない。
昨日ストーンズのライブDVDについて触れた。ぼくは80年代 から四半世紀、彼らのライブを見ているが、正直、演奏は 感心したことがなかった。ミックのボーカルもへしゃげている し、キースはギターをまともにひいてなかった。唯一まとも なのがチャーリーのドラム、と思っていた。 ところが、2002年のこの演奏は、すごい。 ぼくにとって、『ホンキー・トンク・・・』や『ブラウン・ シュガー』といった曲は学校校歌みたいなもので、あきあき するほど知っている。ところが、それらの曲が新しい顔を 見せているのである。ミックの歌に感動したのはこれが 初めてで、キースって、ギター、うまかったんだ、と 思った。じいさんたち、すごいライブをやっている。 これも高齢化社会の一つの顔か。
2003年12月28日(日)
スティングの新しさ
学問所で執筆するときにはスティングの新作を、 自宅書斎ではストーンズのライブDVDを 流しっぱなしにしている。 スティングは「スティングが新作を出すのだから どんな仕掛けをしているのだろう」という好奇心 からである。自分も新作を書いているので、「過去 のなぞり」にならぬよう自戒をこめて、聴く。 さすがスティング、「とらわれない素直なこころ」で 音を創っている。たとえば、ドラム。ドラムなんていう ものは、大昔からシンバルがあって、ハイハット、 スネア、バス、トップシンバル、と、決まっている。 ドラマーは曲芸のようにそれらを演奏する。それが技 だ。しかし、「本当にトントントントン、シャカシャカ シャカシャカ」が、すべての曲に必要か、というと 必ずしもそうではない。スティングはその呪縛から 完全に解放されている。また、リズムも、スカとか、 アイルランドのリズムなど、「strange, but cool」 な音に仕上げている。 こういう音に囲まれていると、ちりちりと前頭葉が 刺激されるのである。
2003年12月27日(土)
気になる
ホリデーシーズンということで、戴き物が多い。 困るのは、お名前を拝見しても、どこのどなたか わからない場合だ。今年も二件、あった。一つは 店名だけ、一つはお名前があるけれど、ハテどこで お目にかかったのやら思い出せない。 今年一年にリアルでは700人、ネットでは3,500人、 合わせて4,200人と知り合っている。これに3,000人の 公開セミナーやこのサイトの訪問者、Surfin'読者、著作 読者も含めると予想がつかない。 名刺は整理せず、もらった順番にファイルするのみ だ。はてさて。「小骨がのど」のままである。 うーん。気になる。
2003年12月26日(金)
9回ウラ、2ストライク2アウト
不思議なもので、昨日一昨日入手した本はいずれも 中学生の教育をテーマにしたものである。 村上龍『13歳のハローワーク』(幻冬舎) 『教師大村はま96歳の仕事』(小学館) 『教えることの復権』(ちくま新書)
これら、実はリーダーシップを考えるのに 最適な文献なのであった。 読書をしただけでは勉強したことにはならない。 赤線、書き込みなどをぐちゃぐちゃにして、丸呑み するほど考え、ようやく血肉になる。 昨日一日で、どの本も付箋赤線だらけになってしまい、 逆に目立たなくなったので、アタマからもう一度読み 返し、思索しよう。しかし、あまり時間はない。 世間はぎりぎり26日金曜日。 9回ウラ、2ストライク2アウトまで追い込まれた気分 である。緊迫感が楽しい。
2003年12月25日(木)
好きのオーラ
今朝の朝日新聞で村上龍氏が自作『13歳のハロー ワーク』(いつも思うが、氏は本当にタイトルの つけかたが上手い)について語っている。
「これからは”好き”という情熱を仕事の原動力 にする時代です」
これはぼくの言葉「好きのオーラ」と同じ内容 だ。尊敬する作家と時代の切り口が一緒という ことはとても誇らしく、嬉しい。 だれかに言われて、生活のため、あるいはお金を もっと稼いで預金通帳に数字が増えるため、 なんてモチベーションではなく、「好きだから」。 なんとも幸せな職業生活ではないか。 ミック・ジャガーは既に70年代から言っている。
たかがロックンロールさ、だけど好きなんだ。
いいねえ。
2003年12月24日(水)
これほど面白い時代はない
クリスマスイブだが、相も変わらず早朝から起きて 仕事をしている。現在没頭しているのは新作書き下 ろしである。資料として幕末維新の文献を読み込んで いる。先週の鹿児島出張も取材だ。 現代と幕末維新とは「時代の気分」が とてもよく似ている。この時代認識があればこそ、 昨今の新撰組ブームなのだろう。正月番組にも 坂本龍馬が登場するらしい。 幕末維新。そう考えると、いま、これほど面白い 時代はないのではないか。 まだ見ぬ二十世紀を思い描いた幕末維新の人物たち と、既に二十世紀を見て二十一世紀を生きるぼくたち。 毎日が、わくわくしてこないか。
2003年12月23日(火)
机、到着
ついに学問所へ机が到着した。待ちに待った。 70キロを超える重さなので、搬入担当が三人来た。 やはり机がおさまるところに座ると、学問所全体が ひきしまった。机、輝いてみえた。職人も、とても 嬉しそうだった。「今度写真撮らせてもらっていい ですか?」というので、どうぞどうぞ。 いい仕事してくれた彼に感謝し、堅い握手を交わす。 書棚に本を整えると、こちらもまた、雰囲気が出た。 嬉しい限りである。そうそう、蔵書印を作らねば、 と商店街の中にあるはんこ屋さんを訪ねると、そこ にいた人が「好きのオーラ」を湯気のように立てて いた。彼のパソコンを前に、フォントや漢字選びを 一緒になってやる。漢字変換にない漢字「學」は 手書きパレットで作った。30分以上、ああでもない、 こうでもない、とやりとりして、完成した蔵書印、 これもまた、雰囲気があるんだなあ。
學問所之蔵書 Palmtree Inc.
一つひとつ、ゆっくりだが、形になっていく。 幸せである。
2003年12月22日(月)
TBS、困るなあ
仕事ばかりの毎日で密かに楽しみにしていたのが 毎日夕方再放送される『渡る世間は鬼ばかり』シリーズ である。現在パート3をやっていて、先週木曜日、カッ ちゃんこと植草克秀演じる本間英作が酔っ払って泉ピン子 の五月宅玄関に転がりこんできたところで終わった。 ぼくはいつもビデオに録画して、深夜楽しんでいたのだが 金曜日、ビデオから流れてきたのは『ブラックジャックに よろしく』だ。あれれ? 金曜だけの特番かな、と思って いたら、今日月曜になっても同じく『ブラックジャック』 である。困るのである。英作はこのままでは酔ったままで 玄関で寝て風邪をひく。医者の無用心では済まないので ある。TBSに電話した。出てきた女性に、「『渡世間』が どーのこーの・・・」と言うと、「担当の者と替わります」 長くながく待たされた。待たせることで、途中面倒くさく なって電話を切る行為を期待しているのではないかと勘ぐる ほど待たされた挙句、出てきた女性は「年内の放送は ありません。年明けの番組編成は決まっていないので わかりません」とのことだ。ロボットが答えているのか と思ったが人間のようだった。 TBSよ、これでは困るのである。何の論理が働いたのか は知らん。しかし、コンテンツ提供者としての矜持を 持って欲しい。夕方の再放送を毎日励みにして働く わしのこの「がっかり」、どうしてくれる。とほほ。
2003年12月21日(日)
非連続だから、身軽に
日記に宣言してしまうと納期を守れることに気づいた(笑)。 昨日は無事書き終え、メールにて納品。ついでに校正ゲラも 宅配便で一日余裕を持って版元に返却することができた。
近所によさそうな家が借主を募集していたので見に行く。 残念なことにとんでもなく古く、リフォーム計画を聞い ても、不便さを解消することが目的ではなく、上っ面を なでる程度の仕様で施工されていたので、断念する。 その家は昭和56(1981)年の竣工である。 この年はぼくが旭化成に入社した年だ。同じだけ年を 重ねると、ここまでボロになるのかなあ、と妙に感心する が、ご教訓は思いつかず。 ぼくはあくまで家レンタル派だ。不動産屋さんも、 「そこまでの家賃を支払うのなら、買えますよ」と言うが、 買わない。非連続の時代、地面に縛られたくないからだ。 気が向けばオーストラリアにでも、南アフリカにでも、タヒチ にも簡単に住める、そんな身軽さと健康を生涯持ち続けたい。
2003年12月20日(土)
翻訳者あとがきは今日書いたものです
今日は何があっても、だれが何を言っても、翻訳書の 訳者あとがきを書かねばならない。完成させる、という のではない。まだ一行も書いていないので、書くのは これからである。書けるのか、ともう一人の自分が問う が、「書ける・書けないではなく、書くのだ」と自分で 答える。
昨日書き下ろしの打ち合わせを別の版元編集者O氏 とやり、こちらのほうもエンジン全開で年内に カタをつけねばならない。実は年末ぎりぎり、29日には さらに別の版元編集者と来年の書き下ろしの打ち合わせ が待っている。来週頭にはさらに・さらに別の打ち合わ せがクライアントで予定されている。
よく考えるまでもなく忙しいのである。 ところが、こういうときに限って雑用がある。 人が来る。電話が入る。ファクスがうなる。 起業家にとって、忙しい年末、というのはとても良い ことなのだが、海に行けないのと近所にオープンした ばかりの美術館に行けないのが哀しい。 さて、書くぞー。
2003年12月19日(金)
久しぶりのKEN研
久しぶりにKEN研(ナレッジマネジメント研究会)へ 出席。普段バーチャルKEN研という電子会議室で顔写真 つきで議論しているので久闊を叙す、というかんじでは なかったが、やはりリアルに話すコミュニケーションの 良さを感じる。おっと、だからといって「やっぱりeは 駄目。リアルに勝るものはない」という色彩の話ではない ので念のため。コミュニケーションにはいまやeかリアルか という二律背反は無意味だ。両方をうまく使いこなすこと で、より人と人の絆が強まる。 KEN研のみんなからは学問所にホワイトボードの寄贈を 戴く。ありがたい。そうそう、学問所といえば机がようやく 搬入される。来週になるが、まさにクリスマスプレゼント。
年末の週末ということで、夜帰りのJR駅前、タクシーが 売り切れていた。ちょうどよくバスが待機してくれていた ので、海回りの路線で、夜の海を観ながら、帰宅。
2003年12月18日(木)
気宇壮大なスケール斉彬
あわただしい鹿児島への旅が終わったが、斉彬の 魅力は失せない。調べればしらべるほど、輝きが 増すリーダーである。幕府も、多くの大名も、 「昨日の延長を今日も、そして明日も」とぼんやり 「慣性の法則」で暮らしていた中で、アヘン戦争を 分析し、「世界の中の日本」という視点を持ち、 「鉄が欲しい」と日本で最初の工業団地「集成館」 ビジョンを描いた。 自らの世継ぎに伴う薩摩藩のお家問題や幕府の将軍 跡継ぎ問題という「国内問題」は後回しに、「世界 で日本が生きのび、さらに繁栄するには」を懸命に 考えた。辛口の海舟も人物を認めていたのは頷ける。 桜島の雄大な姿を眺めながら存分に発揮された 斉彬の「思い描く力」。その気宇壮大なスケールは 同じくでっかい桜島が育てたのだろうか。
2003年12月17日(水)
斉彬の起業家精神
現在、鹿児島にいます。 驚いたのは、島津斉彬の起業家精神。 リーダーシップの必要条件「思い描く力」 の先駆的な事例だと思う。 あの時代に、カメラ、オルゴール、レコード、 などなど当時のハイテク機器に関心を示し、 藩に取り入れた先見性。 日本で最初の紡績工場も作った。 薩英戦争でも当時英国軍はその精緻な軍事 戦略に驚いた由(ロンドンタイムスに記事 が残っている)。 次の勉強テーマを、斉彬と設定、研究開始だ。
2003年12月16日(火)
今年最後の旅、始まる
いまから鹿児島へ。航空券取りにくかった。 帰りが特に取れず。まだ帰省ラッシュ、というわけでも ないだろうに、やはり国内旅行が好調なのだろうね。 今回の旅の友は『草枕』。中学時代に買っていたの だが歯が立たなかった作品だ。実はいまでもかなり の難物。舌でころがしながら、楽しもう。
2003年12月15日(月)
本当か?
まるでハリウッド映画の大団円でヒーローがスピーチ しているようだった。the capture of Mr. Husseinに 伴う話。本当にジョージの言う通り、 In the history of Iraq, a dark and painful era is over. になるのか? ならない。そして、ならないことは 地球上のみんながわかっている。 今年の3月以来、ぼくはハリウッド映画を観ていない。 観る気がしない。今後も観ないだろう。
2003年12月14日(日)
たしかにwait-er
ハリー・ベックウィス翻訳のゲラ校正が山場を迎えている。 忙殺されている中でふと笑ってしまったギャグ。
「ウェイター(waiter;転じて待つ人)とはわしのことか と客が言い」
パーフェクトな舞台設定(高級ホテルの高級カフェ)にて ぽんこつなサービスが提供される、否、提供すらされずに 客がずっと待たされる事例に出てくる言葉。
2003年12月13日(土)
愛がない
DVDと一緒に買った According to the "Rolling Stones" もぱらぱらと読んだが、なんだか編集者に「愛」が足りない ような、そんな気がした。「According to」というのは、 日本語で言うと「ストーンズの世界」とでもいうような 感じなのだけど、どうも違うんじゃないかなあ、と思う。 内容がね。薄い、というか。 まあ、じっくりまだ読んでないのだけど。 要するに、愛ですよ。愛。対象への愛。2000年に出た 同様のビートルズ本には、愛があったんだけど。
2003年12月12日(金)
ものごころついてから同じ
ストーンズの『フォー・フリックス (4枚組 DVD)』が 届き、ツアードキュメントだけをとりあえず観た (全部観たいのだが忙しいのだ)。 驚くのは、「ストーンズものごころ」がついたのは 77年だが、その時から彼らがいることである(笑)。 全員、同じ雰囲気で、いる。これはすごいこと ですよ。その間、ぼくはクラブ活動含めてバンド 三つ目である。ストーンズはえんえん同じメンバー でやっている(途中、ビル・ワイマンが抜けたが)。 まず、このことに驚く。 そして、あらためて考えると、「素」の彼らが動いて いるのを観るのはこれが初めて、ということに驚いた。 リハーサル中のスタジアムで、最初ミック一人が キィボードをひきながら歌い始め、もう一人キィボー ド、チャーリーがドラムを叩き始め、ロニーとキース がギターであわせ始める。 この空気が、バンドのよろこびなんだろうなあ、と、 自分もバンドをやるので、よくわかる。 一日、何もせず、見続けたいDVDだ。
2003年12月11日(木)
ちょっとまって。Playback
ル テアトル銀座『FLAMENCO 曽根崎心中』。 宇崎竜童と阿木燿子がいた。腰が低く、「わしら、芸能 人!」という雰囲気がなく、いい感じだった。 二階ボックス席から下を見下ろしていると、開演前 客席にまで出てきて挨拶を重ねている。
才恵まれたクリエーターにしてあの礼儀。 見習わねばなあ、と思った。 「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ」を 創った二人なんだ・・・と、後でしみじみ考えた。
2003年12月10日(水)
いよいよ机ができた
机ができたからと請求書を送ってきた。 早速オンラインで振込み、窓口担当とCCで職人に メールを送る。ルールでは、お金の振込みを確認 してから納期を言うようになっている由。 気持ち、わかるので、ルールに従った。 はてさて、一体いつになるのか、楽しみである。 中部マーケティング協会M氏が素敵なことを 言ってくれたのを思い出した。机の納期が12月中旬 頃になる、とこぼしたら
「クリスマスプレゼントですね」
愛があって、嬉しかった。
2003年12月09日(火)
わからない
国内旅行が絶好調である。統計を見たわけではないが、 新幹線、飛行機、空港、駅の混雑具合を身体で感じて そう仮説を経てた。次に旅行社に聞くと、やはり 調子いいようだ。近場のアジアを避けた顧客層が 国内旅行にシフトしている。海外旅行客は依然 例年の6割という。旅行会社は、ここでギアチェンジ しなければならない。「例年」を、今年のこの数字 として再設定するのである。非連続の世の中なのだ から、対前年比で業績を測定してみたところでまるで 意味がない。そういえば、Palmtreeも業績の読みは 毎年一回勝負である。そもそも創業した時に「市場 予測」とか「ターゲット顧客の設定」など、でき なかった。創業プランを提出せよ、とか言われたら 間違いなくアウトだったろう。 でもねえ。未来なんて、わかるはずがないんだよ。
2003年12月08日(月)
あの頃は連続していた
ANAスカイ・オーディオ・プログラム12月では昭和43年の ヒット曲を聴くことができる。1968年である。 「大きいことはいいことだ」のチョコレートコマーシャル。 高度成長まっただ中。 レコード大賞『天使の誘惑』(黛ジュン) 歌唱賞『伊勢崎町ブルース』(青江三奈) 新人賞『恋の季節』(ピンキーとキラーズ) 世の中全員が上を向いて、ニコニコ笑いながら歩いて いた時代である。たしか『希望』という曲も、前後して ヒットしていた。 見えない先が見えていた。見えている気がしていた。 いや。見えていたのだろう。 シスコココナツサブレアロハのコマーシャル・ソングの 歌詞がたしか、「今日が昨日と重なりあう明日」だった。 連続性があったのである。「あの頃」を思い出して懐かしく 思うのは、その連続性の安心感に対してもある。 非連続の今の世の中だから、余計に。
2003年12月07日(日)
晴れ
富士山が左に美しく座っている。 『坊つちゃん』に目を戻し、しばらくして再度見る と今度は海を隔ててその先にあるのでおや自分は 一体どこを飛んでいるのだろう。機内誌の航路図 を見ると、羽田に着陸する前にはいったん房総半島 へ首を突っ込み、それから北西にフックするのだと わかった。三浦半島が地図の形どおりに見えるので 感心した。浦賀水道を西へ戻り羽田を鼻先に見る。 ヘッドホンからはちあきなおみの名曲『夜間飛行』 (ANAスカイ・オーディオ・プログラム)。 とたりとしたドラムの音が昭和の風を運んできた。
2003年12月06日(土)
坊つちゃん
あいも変わらず漱石にはまっている。40半ばになれば こそ味が出てくるところが、漱石にはある。 年表を見ると、ぼくと同じ歳に漱石は『行人』を執筆、 晩年に入るのである。 漱石は11歳の時以来折につけ読んでいるのでかれこれ 34年間読み続けていることになる。 現在は『坊つちゃん』『二百十日』を同時平行。 子供の頃は単純に坊つちゃんがんばれ山嵐いいぞ、 だったけれど、いま読むと、彼らの正義感というもの は迷惑だ。うらなり先生はアタマ悪そうだし貧乏に なってしまったし、ぶさいくだし、いいところがない。 しかもお姑つきとくれば、マドンナも二の足を踏んで 仕方ないと思う。彼女を責めるのも酷。 なによりうらなり君、話がつまらなそうだ。 その点、赤シャツはおしゃれで都会の風を吹かせて いる。最新の知識も仕入れることに熱心だ。収入も ある。いまなら文学のメールマガジンくらい発行し ていそうだ。 迷惑な正義感というものも、この歳になると、理解 できるんだなあ。でも、坊つちゃん、がんばれ。 応援してるよ。
2003年12月05日(金)
ターニング・ポイント
Yohanから依頼され、マーケティングのスタンダード を三冊選んで欲しい。 あれもこれも入れたくなったが、結局ふるいにかけて、 厳選した三冊を残した。 うち一冊は当然ながら『Permission Marketing』。 あの本と出会って早五年。 人生にターニングポイントがあるとすれば、 間違いなく、あの本との出会いがそれだろうなあ。 そういえば、セスはいま、どこで何をしているんだろう。
2003年12月04日(木)
風に吹く
海に行く。7月8月はあれほど混み合っていた浜も、犬 散歩の人が一人。風がディンギーに向いているのか、 10艘は浮かんでいた。海に向ってブルースハープを 吹く。腹式呼吸をしないと絵にならないバンプを 中心にやる。そして、腹式呼吸をすると気持ちが 朗らかになる。 カメラを提げた年輩の男性が横を通り過ぎる。 海と山、そして紅葉。 この生活のQOLを守るために、働いているのだと 再認識した。しばらく都内をうろうろすることが 多かったので、忘れていた感触だった。
2003年12月03日(水)
企業までが病み始めた
家庭が病み、学校が病み(昨日一つ、小学校教師の 病んだ具体例を聞いた)、企業だけは辛うじてふん ばっている、と思っていたら、どうもじわじわと病巣 が広がりつつある。視聴率買収、やらせ、そして一部 上場企業会長の逮捕。 リストラで業績が持ち直したとしても、人を切って、 下請泣かせての結果では、「何のための・だれのため の」経営だかわかったものではない。 くだんの逮捕会長の言葉「経営なんて簡単だ」を例に 引き、自説の応援として著書に麗々しく書いたコンサル タント氏、どうするのだろう。昨年の今頃のことだ。 その頁を読んだ時、持っていた本を放り投げたくなった ものだ。 まあ、他人のことはおく。 現在取り組んでいるテーマ「リーダーシップ」の必要性 は、この環境だからますます高まってきていると思う。 みっちり、書き込もう。
2003年12月02日(火)
今日のような気持ちのいい天気の日は
海へ散歩に行って、砂浜でブルースハープを吹こう。 それを楽しみに、仕事をちゃっちゃと片付け ようと思ったら、学問所に持っていく本を整理 しなければならないdutyを思い出してしまった。 「duty」と書いたが、これは楽しいdutyである。 学問所だからといってビジネス書を置くわけで はなく、むしろ普通はこんな本、買わないよなあ、 という本を置くことにしている。発見、気づき のためである。 ・・・と、『恋する老人たち』という素敵な写真集 が久しぶりに出てきた。見入ってしまう。 早く海にも行きたいが、写真集もいい。急ごう。
2003年12月01日(月)
継続
私は私の病気が継続であるという事に気が付いた時、 欧州の戦争も恐らく何時の世からかの継続だろうと 考えた。・・・漱石『硝子戸の中』30
既に世は継続の戦争の空下にある。 悲劇に見舞われた参事官は、ぼくと同い年だ。 知己の間ではなくとも、同年を亡くすことは痛い。 しかも氏は宝塚出身という。高校に阪急宝塚線で 通っていたので、どこかですれ違っていたかもしれぬ。 同じ教育カリキュラムを受け、同じヒット曲に胸とき めかせ、同じ時代の空気を吸っていたはず。 本当に痛い。 そしてこの継続と痛みは、いつ自分にも降りかかる かもしれぬのである。
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