椰子の実日記【JOYWOW】
2003年09月30日(火)
階段なくせ
いまJRグループ社内では全社あげて新幹線品川駅開業 プロジェクトが進んでいるようだ。高松に向かうマリン ライナー車内でもはしゃいでいたが、一体あれはどういう 心理なのだろう。
今朝の朝日新聞にも全面広告を出していて、見出しに曰く、 「長期的戦略が実を結ぶ、『品川駅』開業&新ダイヤ。 大きく進化する東海道新幹線。」 と嬉しそうである。ちなみにこの見出しは社内資料の見出し の域を超えていず、顧客の立場に立っていない。「戦略が 実を結ぶ」とは何ごとか。実を結んだ結果、顧客のQOLの 何が高まるのか。わからない。ぎっしり文字と図表が掲載 されているが、これを読め、というのだ。ここにもJRの 威張った姿勢が感じられる。そう、品川駅開業をありがたく 思え、といっているのである。
そんなん、知らん。
そんなことより、あの階段を何とかしてほしい。
重い荷物を持った、足腰にハンディを負った旅客のQOLを どう考えているのか。一度著作『スローなビジネスに帰れ』 で書いた。改善の空気はない。何度でも書く。
階段、なくしてほしい。たかが駅の一つが増えるくらいで、 騒ぐでない。
2003年09月29日(月)
欲しくなっちゃったんですけど
ホテルに備え付けの新約聖書をぱらぱら読んでみたら びっくりするほど面白く、欲しくなってしまった。 フロントに電話する。
「すみません。部屋にある聖書、欲しくなっちゃったん ですけど、売って戴けますか」
こういう打診は初めてのケースだったようで、「折り返し」 となった。
やがて電話で、「どうぞお持ちください」
国際ギデオン協会が全世界170以上の国に、その国の言語 へと翻訳した聖書を配布している由だ。その数8億冊という。
聖書冒頭にアラビア語、デンマーク語、シンハリ語、 ポルトガル語など、普段接触のない言語でヨハネによる 福音書3:16の一節が書かれているのも興味深い。
聖書本文は英文と和文だが、それぞれギリシャ語の原典 から別個に翻訳したものであり、英和は対訳になっていない、 と但し書がある。ここで疑問。「原典がギリシャ語?」 なぜか。そもそも聖書を書いた人って、だれ? ギリシャ人なの? 知的興味は深まるばかりである。
2003年09月28日(日)
高松→羽田→銀座→渋谷→代官山→銀座
高松でうどん店のはしごをする。大阪からバスで乗り 付ける店もあると聞き、まさかと思ったが本当だった。 ある人気店は一日1,000人の来客があるという。 1981年の旭化成新人営業マン時代も高松に通っていたが 讃岐うどんにここまでの人気はなかった。
空港でDreamMerchantたちと別れを惜しみ、羽田へ。 羽田から銀座へ向かう。銀座から今度は渋谷、さらに 代官山。そこで用事を済ませた後、また銀座へ。 自分がどこで何をしているのか、わからなくなる。 ついさっきまで丸亀ののどかな田園風景の中を走って いたのに、目の前が銀座松屋という、非常にシュールな 体験だった。松屋の前でサックスがストリートプレイ をやっていた。ゆっくり聴きたかったが時間が許さず。 やれやれ。
2003年09月27日(土)
名古屋→岡山→高松
昨夜深夜、名古屋から岡山へ。そして今朝は高松へ。 DreamMerchantからお招き戴いたのだ。DreamMerchant は高松で「地域人」活動の一つのあり方を手探りにて地道 にやっている若手五人組。彼らの面白い活動は別途著作 などでご報告をしたいと思っています。
岡山から瀬戸大橋を渡るのはこれが初めてだと、マリン ライナーに乗りながら、気づいた。 車窓を懐かしい「茶屋町」「児島」岡山の地名が流れ ていく。旭化成時代に一緒に仕事をした販売店の担当者 の顔が浮かぶ。ライバルグループの営業マンの顔も浮かんだ。 然り。センチメンタルになったのである。 瀬戸大橋ができたときには船で見学会をした。
瀬戸内海が眼前に広がったら『瀬戸の花嫁』を頭の中 で歌ってしまった。
高松駅が、サンフランシスコのカルトレインの駅に 似ているなあ、と思いながら改札を出ると、DreamMerchant Y氏の笑顔があった。高松物語は、また別の機会に ゆっくり話します。
2003年09月26日(金)
翻訳に伴う苦労
Harry Beckwith新作を翻訳している。前作『インビジブル マーケティング』に引き続いての日本へのご紹介だ。 スーパー字幕の大家、清水俊二さんが翻訳の秘訣について どこかに書いておられた三つのうち一つが「雑学」だった。 Exactly. 米国人にしかわからぬニュアンスが多々出てくるし、 悪いことに、ハリー、時々思い違いをしているのだ(笑)。 例えば映画『卒業』を引用するのはいいけれど、重要な セリフを言った人物を間違えていたりする。ぼくも この映画は観ているので、「ん?」とひっかかる。 ぼくのほうの勘違いかもしれないので、いろいろ ウェブで調べたりするのだが、やはり原典に当たるの が一番、と、本を探すと、なんと、これがもう絶版 だったりするのだ。 そこでビデオを調べようとしたら、これもまた、 古い映画なので、なかなか手に入らない。 苦労してビデオを入手、ほんの数秒のセリフを 確認する、ということになる。事実は、ぼくが正しかった。 ということで、翻訳のボトルネックは、英語より むしろ、文化的背景にある。
2003年09月25日(木)
ダライ・ラマ
それは経済や統計的数字とはなんの関係もない、本当に 想像力があり物事に関心のあるごく少数の人たちだけが 出会えるものなのだ。それは、べったりくっついて離れ ないガイドの目を盗み、見てはならないものを見出し、 聞いてはならぬことを聞く耳をもった人びとにだけ許さ れた特権だ。 ---------------------------------------------- 14世ダライ・ラマが自伝で語っている言葉。 『ダライ・ラマ自伝』は山際素男氏の名人芸の翻訳も あり、何度読んでも読み応えのある宝である。 この本を読むまでは失礼ながら、「コメディNO.1」の 前田五郎に似たおっちゃんやなあ、と思っていた くらいで、あまり関心はなかったのだが。
ダライ・ラマはニューヨークでも大人気で、9/21、 セントラル・パークでスピーチをした折、ある人が 1時間30分たらたら進む行列に並んでようやくパーク内に 入れたと思ったら既にスピーチは終わった、という話が あるほどの大盛況だったようだ。
2003年09月24日(水)
で
気になる日本語、というテーマで指摘されている中、 まだぼく以外だれも言っていない言葉遣いがある。 「で」で止める用法だ。
サービス業で顕著だ。何か選択肢がある。AとB。 「Aにします」とこちらの意思を表示する。それを受けて 「Aで」
ファミレスだけではない。コンビニ、携帯電話ショップ、 どこでも採集できる用法だ。
これは若いフリーターだけの言葉なのかなあ、と思って いたら、「ファイナルアンサー」の番組で、主婦43歳が 「では、Bで」 みのもんた「ファイナルアンサー」 主婦「ファイナルアンサー」 とやっていた。
気持ち悪い日本語だ。でも、これも、「一生懸命」と 同じく、認知されていくのだろうなあ。
2003年09月23日(火)
そういうことはまず、ない
にらみあう黄門様ご一行と悪代官たち。ト、その時、 携帯電話のメール着信音が。
テレビを見ていて、ふとこうなったらどうなるんだ ろうなあ、と思ってしまった。役者が衣裳に着替えて まで携帯を持つことはないのだが。 しかし、「そういうことはまず、ない」と言い切る ことができる。なぜなら、そんなことを一回でも したら、もう二度と役が来なくなるからである。 役者稼業は作品ごとに雇用され、作品が終わると 失業、の繰り返しだ。だから、真剣勝負である。
この点、「守られている」人は、会議中でも平気で 携帯をぶるぶるふるわせたりする。意識が違う のだ。
2003年09月22日(月)
朝のリレー
電車で立ちながら、一所懸命、詩を覚えた。中吊り広告の詩だ。 朝のリレー 谷川俊太郎さんは以前から好きだったが、この詩でもっと好き になった。 そして、ネスレへのぼくのaffinity(親しみ)は、より 高まった。マス広告は、ブランドを暖める効果がある。 素晴らしい。
2003年09月21日(日)
総身に知恵が回りかね
「総身に知恵が回りかね」ている人が増えた。「増えた」 と書く限りは、20年前は2万人いたが2003年同期 は15万人いた、という風に統計数字で示すべきなのだ ろうが、「総身に知恵が回っている人」なんていう 数字はどこにも出ていないし、そもそも統計数字なんて 役に立たないので同じことだ。
昨日の地震時、コンビニにいた。入ったばかりで 雑誌売り場の背中にある男性用化粧品の棚をリサーチ していたのだが、そこへゆっさゆさきた。
雑誌を立ち読みしている若い男性二人、何ごともない ように変わらず、親の敵のように立ち読みしている。
ぼくなど、地震が来たら、ここはこの程度で済んだ かもしれないが、近隣地区ではもっとすごいこと になっているのではないか、えらいことになっている のではないか、家の火の元は大丈夫か、ご近所は大丈夫 か、と咄嗟に考えてしまう。なのに、この、「何ごとも なかったかのように立ち読み」は何だ。要するに、 知恵が回っていないのである。
その後入ったスーパー。入口で人の邪魔になると 気づかずカートをいじっている子供連れがたむろ していた。
総身に知恵が回りかねているのは、大男ではない。 そこいら中に満ちている。
2003年09月20日(土)
波平氏は附属池田高校の先輩です
「金で買えるものは残る。金で買えないものは残らない。 金で買えないものは集めておかなければいけない」
義父(阪本註:歴史家である)の書庫には厖大な量の、 学生運動のチラシからピンクサロンのチラシまで、ありと あらゆるものが集められていた。義父は事実としての資料 を大切にした。事実の実証がなくては歴史は成り立たない のだ。 ------------------------------------------------
どうです。いい文章でしょう。だれのものか。 『サザエさん』の父、磯野波平の声を34年やっている 永井一郎さんのものです。 『バカモン! 波平、ニッポンを叱る』。新潮社から 出ています。今年一番の、お勧め。
2003年09月19日(金)
菌菌菌菌菌
今週の大阪では、少なくとも530人は仕事にならなかった のではないか。下痢、発熱、結膜炎、肝炎などの症状が出て。 菌によっては潜伏期間もあるだろうから、あと数ヶ月は 後遺症が残るはずだ。 5,300人。大腸菌が遊泳禁止基準値の5倍うようよしており、 環境基準値の2倍ダイオキシンが含まれているヘドロの 水を身体に入れたのである。普段除菌クリーナーを使い、 便器も除菌、車のハンドルも何もかも除菌している 抵抗力のない「電化少年少女」が菌の真ん中に身を晒し たわけで、ただで済むはずがない。 5,300人の1割としても530人というわけだ。 ガンジス川で泳いで、肛門粘膜から菌が侵入、肝炎に なり1ヶ月の入院を余儀なくされた日本人を知っている。 川にダイビングすると、口からだけではなく、身体 のあらゆる粘膜(肛門、目、耳、鼻、性器、虫刺され の痕、歯茎)から菌が入る。 「大人なんだから自己管理を」という作家の声があったが、 そこでとどまってはいけないと思う。 「自分さえ良ければいい」「自分でリスクをかぶるからいい」 という論理は間違っている。 職場の同僚、取引先、家族、病院、警察、要するに、自分の 周囲で協力してくれるみんなが迷惑するのだ。 こっちのほうが肝心だが、しかし、菌に冒されては それどころではないでしょうなあ。
2003年09月18日(木)
脱衣場で読めるリーダーの資質
露天風呂の脱衣場で、その人のリーダー資質がわかる。
第一に、スリッパのつま先の位置。入り舟のままが圧倒的 だ。へたをすると、脱ぎ散らかしたまま。
第二に、脱衣かごの使い方。浴衣と下着だけのはずなのに 大きくふくれあがって、隣にまで進出している場合が ある。さらに、めがねをかごの棚の空いたところに 置いているので、後から来た人は気をつけなければ ならない。
第三に、浴衣の着付だ。具体的には、帯の位置。 ベルトの位置で締めている人が圧倒的で、しかも 結べないものだから、帯の中に折り込んだりして いる。
湯船に行ってからもわかるのだが、それは別の機会に 話すとして、脱衣場だけでも、「その人がリーダー として研鑚しているか」「意識が高いか」「神経 の守備範囲が広いか」「感度のアンテナが立っている か」が、読み取れる。よって、間違っても自信の ない人は、顧客の接待で温泉に行ってはいけない。 株を下げるだけである。
2003年09月17日(水)
昭和に会いに行く
寂れた商店街と老舗温泉町とは同じ問題を抱えている。
この仮説を検証するため、箱根に行ってきた。 仮説は当たっていた。詳細は、今後のSurfin'、 セミナー、書き下ろしでご紹介するが、 いやはや、「時代とのズレ」は目を覆いたくなる ほどであった。 「現代性」がまるでない、のである。 「昭和に会いに行く」という出発前のコンセプトが ぴたり、とハマった。だからぼくは車で聞くCDも、 美空ひばり全集と大西ユカリにしていて、ばっちり なじんだ。しかし、こんな有様では顧客は老舗温泉町 に満足しないのである。顧客はハワイにも行けば、 ミラノにも、バリにも行っている。行っていないのは 宿の亭主のみ、という笑えない現実が、そこにある。
2003年09月16日(火)
何もしないむだな時間
起業家が陥りやすい病に「忙しがっていたい病」がある。 忙しく、時間が埋まってないと不安なのである。 会社勤めの人にとって多忙はぼやきのネタだが、起業家 にとっては自己満足のネタだ。かく言うぼくも、ややも するとこの病にとりつかれる。仕事のほか、バンド、 趣味のバンド、などなど、両手一杯に抱えてはまんざら でもない気分でいる。これがあぶないのだ。
中年クライシス、という言葉がある。河合隼雄氏の 著作にある。「何の役にもたたないむだな時間」を できるだけもつようにしないと、ガソリンが切れて しまう。河合氏のいう「クライシス」の意味はどう であったか、いまは手元に本がないので確認できないが、 いずれにせよ、時には「ひま」になる必要があるよう である。
ということで、今日はこれから、むだな時間を過ごし ます。世間は連休明けで忙しい火曜日ですが、 これにて御免。
2003年09月15日(月)
五曲入
7月のある夜、塾を終え、台風情報を得るためテレビ つけたら女性が歌い始めた。たけしの番組。歌に圧倒 された。初めて見る顔、耳にする声。でも、音は 昔懐かしい昭和歌謡のテイスト。大西ユカリだった。 興味あるが、CDを買うまでには至らなかった。
11月、学問所開設記念パーティを卒業生と共に行う。 ついては塾軽音楽部バンドBスクエアもお祝いに何かやろう じゃないか、と、別にだれからも求められてはいないが、 自主的にリハーサルを始めた。
クレイジーケンバンドの『タイガー&ドラゴン』を カバーすることになり、ぼくはハマると徹底的にやる 性質(たち)なので、歌詞の世界を体感するため 横須賀にも行った。 大西ユカリがこの曲をカバーしていることを知り、CD買った。 聴いた。大阪・新世界がスピーカーからどろどろと 出てきた。阪神の快進撃の波に乗って、「大阪もの」企画 CDが何枚か出ているようだが、何よりも大西ユカリ 『五曲入』(まんま、五曲入っている)が、ぼくには大阪 を届けてくれるのである。
2003年09月14日(日)
椿姫
チェコ国立プルゼーニュ歌劇場 ボヘミア・オペラ 「椿姫」鑑賞。Bunkamuraオーチャードホール。
舞台ほぼ二つのみで構成され、両方にチェスをする 男とテーブルを配する、という、斬新な演出だった。 ぼくはもともと「椿姫」は詳しくなくて、原作は 読んだことがない。草なぎ剛君の朗読CDを聴いた ことのあるくらいだ。
やはり一番の驚きは、女優の声量だ。ベッドに寝ていて ものびのび声が出る。すごい、の一語に尽きる。
感想は、難しかった、というのが正直なところだ。 しかし、たぶん半年くらいしてから、じわじわと 自分の中で発酵し、味が出てくるような、そんな 予感がしている。
観劇は、癖になる。早、来年4月公演バーンスタイン 『キャンディード』の先行予約をした。
2003年09月13日(土)
土日こそ大事
手帳はスケジュールを概観するための小さいものと、仕事 打ち合わせなどに使うノート型と、二種類持っている。 問題はノート型で、ロンドンのレッツ社のものを独立以来 愛用していたのだが、ニューヨークにしか売ってなくて、 今年は入手できなかった。日本で売っているタイプは 表と裏表紙が固く、触感が好きじゃないのだ。 やむなくベルギーBrepols社のものを代用しているが、 紙が薄く、使い心地が悪い。書き込んでいる紙が薄いと、 運が逃げていくような気がする。
それにしても、古今東西の手帳・ノートで不満なことは、 土日の欄が狭いことだ。土日には何もするな、ということ ではなかろうが、ぼくのように、土日も平日と同じく予定 がぎっしり入る人も少なくないはずなのである。いまは まだましだが、学問所オープンのあかつきには、土日も 相当忙しくなるに決まっているのだ。
また、企業人の場合、QOLは土日の使い方で決まる。 どこかに、いい手帳がないものか。
来年の手帳が必要になってきたので、探している最中なの である。
2003年09月12日(金)
腰痛の治し方
これをお読みの中にも、腰痛でお悩みのかたが多いこと と思うので、今日は、治し方を、特別にご伝授します。 ただし、以下の体操を、最低でも一年、毎朝続けなければ なりません。千里の道も一歩から。
●呼吸法を覚えましょう
まず、呼吸法を覚えます。基本は息を吐く。唇をすぼめ、 ちょうど風船をふくらませるときの気持ちで、すーーーと 吐いていきます。ゆっくり、ゆっくり。吐ききることが大事。 吐ききったあとは、鼻から吸ってください。
●腰痛治し体操
1.仰向けに、両足を揃えて寝転んでください。手は好きな 形で可。てのひらを床につける感じかな?
2.右足をゆっくり、ひざを曲げずに、上がるところまで上げます。 けっして無理をしてはいけません。上げたら、しばらくそのまま。 この時、呼吸法をゆっくり行いながら。この動作の中で吐ききる イメージ。
3.右足をゆっくり、元の位置に戻します。ここでも一回吐く。
4.息を吐ききったら、右足を床につけたままをすべらせるよう にゆっくり右方向に向けて動かす。無理なく、行けるところまで。 ここでも息を吐きながら。吐ききる。
5.床につけたまま、ゆっくり、右足を元の位置に戻します。一回吐く。
6.以下、左足も同様にする。左右の足をやって1サイクル。
この動作を二、三回サイクル、繰り返す。
以上です。腰の痛みは殆どの場合筋肉が原因です。その筋肉を動かし、 伸ばしてやるのです。
また、足を組む姿勢は腰に悪いので、やめましょう。
ただし、これによって、万が一何かトラブルが起こってもぼくに 言って来ないでね。あくまで自己責任でよろしく。
2003年09月11日(木)
ちょっとあなた、さっきから撮っていたでしょ
雑誌取材を受け写真撮影を日比谷公園で行っていた。 ライター氏と話している姿をカメラマンがとらえる。 一通り撮り終わったと思ったその時。
「ちょっとあなた、さっきから撮っていたでしょ。 やめてください。困ります」
えらい剣幕で自転車に乗った女性がやってきた。
「フィルム渡しなさい」 「撮ってないっすよ」 編集者が間に立つ。 「ここでは何ですから、こちらで・・・」
女は聞く耳をもたない。きいきい言う。
結局、場をおさめるにはそれしかない、ということ で、カメラからフィルムカートリッジを出して女に渡した。 女はフィルムを抜き出そうとしたがかなわず、そのまま 持って行った。
しばらくして、また舞い戻り、「あなたの名刺をください。 場合によっては告訴します」編集者の名刺を持って行った。
一同、唖然。
日比谷公園、午後17時45分。
2003年09月10日(水)
似てねーじゃん
横須賀を車で走っていて、どこかに似ているよなあ、と 思ったら、なんと、Adobe本社のあるサンノゼに似ている。 たまたまサンノゼへ行った時、車の進行方向右手に大きな 建物があり、それがたしかIT関連だか何かの博物館な のだが、その建物の現れ具合が同じだったのだ。
ぼくは昔から、「異種のもの」の相似に気づく。 カメラに似たユニットバスとか(のち、同じ工業用CADを 使っているせいだと理由がわかった)研ナオコと柄本明と ピーター(池端慎之介)とか蛙に似た急須とかポール・ マッカートニーとスタローンとかエラ・フィッツジェラルド と母とか。
曲もある。ピンキーとキラーズ(古)『恋の季節』 とビートルズ『Ticket to ride』、クレイジー ケンバンド『タイガー&ドラゴン』と沢田研二『憎み きれないろくでなし』パフィー『カニ食べいこう〜』の 曲(タイトル忘れた)と山下達郎のある曲(これもタイトル 忘れた)。
発想に役立っているかもしれない。
2003年09月09日(火)
'Round About Midnight
自著を解題する仕事を始めようとして書棚の奥を探検して いたら、晶文社植草甚一スクラップブック12『モダン・ジャズ のたのしみ』なんていう懐かしい本が出てきた。70年代、 まだ大学生で尼崎の実家に住んでいた頃、筒井康隆の 文章に出てきたことがきっかけで植草じいさんを知り、 以降彼はぼくにとって「アメリカ」への数ある入口の 一つとなった(翻訳調の文体になったな(笑))。 ぱらぱらとめくってみると、マイルスの『'Round About Midnight』について触れていて、ぼくは長く この曲が嫌いだった。どれだけ嫌いかというと、ここ 二十年ほど、ずっと嫌いだった。ところが植草さんが 「きんきんに冷えた冬の夜のイメージ」という内容の この曲についての描写をしているのを読んで急にマンハッタン の冬を思い出し、そういえばそうだよなあ、よく描けて いるよなあ。
いま、CDをかけながら書いているが、なんだか急に 好きになってしまった。不思議なことだね。 植草じいさんの話を、もっと聞きたくなった。 さて、珈琲でも淹れるとするか。
2003年09月08日(月)
空の高さ
字幕スーパーで「清水俊二」という名前を見たひとは多い はずだ。何しろ日本の字幕スーパーの先達なのだから。 手がけた映画の数2000というから驚く。清水氏の自伝 『映画字幕五十年』自体面白い読み物なのだが、そこに 登場する映画関係者のエピソードも魅力的だ。
『市街』でゲーリー・クーパーが口癖のように言う 「No hard feelings!」を「悪く思うなよ」と訳して 当時の日本の流行語を作ったのは内田岐三雄氏。内田氏は 当時ニューヨークに赴任していたが、フランスに女性を 待たせていた。やがて彼女を追ってマルセイユに船出した。 ところが、「金のため」に夢破れて日本に帰国する。 帰国後、太平洋戦争末期の空襲で亡くなる。この短いエピソー ドだけでも、内田氏の人生をもっと知りたくなる。 昭和ヒトケタの時代である。戦前をいたずらに暗く描く ひとがいるが、空の高さは、2003年の現代よりも、はるか に高かったような、そんな気がする。
2003年09月07日(日)
あめりか物語
荷風は大好きである。とはいえ、氏の代表作とされる 『墨東綺談』(この文字のうち二つ間違っている。 わかっているのだが、パソコンでは変換できないのだ。 パソコンのおかげで文学が変わっているのではないか?) 『腕くらべ』『おかめ笹』など読んでいない。というか、 読んだのはたったの一冊、『あめりか物語』だけだ。 これはニューヨークに住んでいた頃どこで買ったものか、 舞台がNYというので、買ってみた。明治時代の荷風が見た NYと現代とを比較する、という興味だったと思うが、 実際に読んだのは昨年、LAに滞在中である。『五感商品の 創りかた』執筆合間、ホテルの風呂に入りながら大半を 読んだ。明治時代の日本人の心意気が描かれており、 気持ちがいい。そして、美しい日本語に身体が洗われる。 いい表現に出会った時に引く赤線だらけである。
「何ですッて。もう一度仰有い。承知しませんよ」 「何処へ行くんだ。寒さ払いに一杯かね」 「早速いつもの咽喉を聞かしねえ」
セリフも、おいしい。ちなみにこれらの文章を書いた荷風は 二十代である。
と、思っていたら、安岡章太郎『私の墨東綺談』を発見した。 こちらもまた、おいしい。いい文章は、有機野菜より身体に 良いのではないか。
2003年09月06日(土)
漱石を歩く
中央公論新社S氏から寄贈いただいた『漱石2時間ウォーキング』 を読む。上等の酒をなめるように味わうかのごとき読感である。 東京地図の上に夏目金之助の足跡が記されている。 井上明久氏の文章がいい。漱石と東京への愛情に満ちている。 そしてもちろん、藪野健氏の手書きイラストは相変わらず 「目が喜ぶ」やさしさにあふれている。年譜をあらためて 読むと漱石、ぼくの現在の年齢では既に『彼岸過迄』を 上梓済み、『行人』『こころ』『硝子戸の中』『道草』 『明暗』を残すのみとなっている。漱石山房に若手が参集 していた。ぼくの愛読する『永日小品』はなんと、42歳の 時の作品である。 今度の休みには、この本を手に、漱石を歩こう。
この次は荷風を歩きたい、と思ったら、既に『荷風2時間 ウォーキング』続刊予定とか。さすが目利き編集者Sさん。
2003年09月05日(金)
くまのおつかい
マイルスのドキュメンタリーを観ていて、自然に メロディが浮かんできた。ビ・バップだ。早速ハープで 吹いてみる。なかなかいい。楽譜におとし、テープに録音 してみた。アドリブも楽しい、いい曲が完成。さて、これ をどう料理しようか。人生劇場よりBスクエア向きの曲だ。 タイトルは『くまのおつかい』。テディベアが両手を振って おつかいに出かけるイメージの曲だ。
やはりマイルスは創造の神様なのかもしれない。
2003年09月04日(木)
寄らば斬るぞ
オレは人間性など求めてはいない。ただの「いい奴」とは 組みたくない。打てば響くような奴とやりたい。 ---- Miles Davis
「いい人」「癒し」「やさしさ」などが無条件にプラスの 符号を与えられている眠たい現代に、マイルスのこの姿勢は すがすがしい。「サラリーマン」という職種がこどもに人気 がないのは、この、「寄らば斬るぞ」的迫力がないからでは ないのか。サラリーマンへの毒矢は準備が整っている。 今日これからSurfin'に仕立て上げるので、関係諸氏は おそれながら、待っていてください(笑)。
冒頭のセリフはDVD『The Miles Davis Story』より。 秀逸なドキュメントだ。
2003年09月03日(水)
THE SONG REMAINS THE SAME
LED ZEPPELINのライブ映画『THE SONG REMAINS THE SAME』 をDVDで入手、26年ぶりに観た。冒頭からしょーもない物語 仕立てで、退屈する。いきなりチャプター飛ばしをしたら、 メンバーが空港からマンハッタンに入るシーンが映し出され、 道中の景色が73年(撮影時)と現在がほとんど変わっていないのに 驚く。それにしても、空港から舞台衣装で来るわけないじゃん、 と、あらためて演出のウソに笑ってしまう。
ギター、ベース、ドラム、の三つしか楽器がないのに、この 音の厚みは何なんだ、と感心した。やはりぼくはツェッペリンが 大好きである。『ブラック・ドッグ』の変則リズム、よく あれで演奏ががたがたにならないなあ、と職人技を見る 思いである。
舞台はマジソン・スクエア・ガーデン。昔は憧れだったが いまやおなじみペンステーションのしょんべん臭いハコに なってしまっている。この映画当時は輝いていた。
『天国への階段』が生まれた地、アイルランドにいきたい 思い、再燃。
2003年09月02日(火)
Xの悲劇
ぼくが本を好きになったきっかけの一つに推理小説がある。 中学一年の頃創元推理文庫が全盛で、エラリー・クイーン、 V・ダイン、クロフツなど、読み漁った。特に好きだったの がクイーンのドルリー・レーンものだ。「X」「Y」「Z」と 「最後の悲劇」。X、Yは新潮文庫で、Zと最後は創元文庫で 読んだ。理由はよくわからない。「最後」は、創元にしか 収録されていなかった。「Z」には、サム警部の娘が 出てくるが、これは「最後」への伏線となっている。見事に 計算されつくしたシリーズものだ。
ニューヨークに住んでいた頃、これら愛読した小説の舞台が マンハッタンだったことを思い出し、いまとなっては原書で も読めるはず、せっかくハドソン川ほとりに住んでいるのだ からムードを味わおうと、バーンズ&ノーブル書店で探した が、ない。あのような古典はなかなかないのかもしれない、 と、amazonでもいろいろやってみたが、なかった。非常に残念 である。ではせめて日本語でも、と、昔読んでいた文庫は紛失 しているので書店で探したが、マンハッタンの日本語書店にはなく、 日本出張の際探した。あるにはあるのだが、困ったことに、 現在のぼくには字が小さいのである(笑)。
結局、マンハッタンの現地で楽しむ、というプランは実行できず じまいだった。重ねがさね残念だ。
ドルリー・レーンものこそ、立派な装丁、大きな文字で復刊を 希望したい。文庫では哀しい。 手に取るだけでも幸せになれるような、そんな本こそがふさわ しい。ネタバレになるのでこれ以上はいえないが美本こそ、 「最後の悲劇」にもつながる。
2003年09月01日(月)
古本屋は大きな意義を持っている
本がまるで生鮮食料品のような扱いを受けていることが 現代日本の知に非常な危機を与えている。版元は社員の 給料をまかなうためがんがん本を数出し、書店は本の 包みを右から左へ流す。書棚に並ぶのはせいぜい二週間、 ひどいときには3日で消える。書店はスーパー、本は 生鮮三品、卵か牛乳か野菜である。
図書館は著者の大切な印税にマイナスの影響を与える からけしからん、と訴訟を起こした作家がいたが、ぼく の意見は違う。そもそもいまの日本で、印税だけで生活 できる著者なんて、実質ほとんどいない。これは出版に ともなうさまざまな問題が理由である。それは簡単には 変わらない。で、あれば、前向きに捉えたらどうか。
昨日、 塾生が週末起業で始める古本屋 に行ってきた。そこで古本屋の深い意義を再確認した。 「知」のスローな流通は古本屋と図書館が担っているの である。昨日店頭で出会ったフロム『自由からの逃走』 『世界の名著』などは、新刊書店の書棚で発見すること は難しいが、だからといって不要な本ではない。
知の強迫観念的な大量生産、大量消費の間違った現状に ブレーキをかける、古本屋と図書館に、大いにエールを 送る。
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