椰子の実日記【JOYWOW】
2003年05月31日(土)
梅よ、ふんばれ
台風である。住んでいるところにはまだ来ていない。 和歌山の梅農家 がやっているECサイト発行メールマガジン が朝飛び込んできて、叫んでいる。
(引用開始) ---------------------------------------- 1年間 大切に 大切に 育ててきた梅の実が 後1週間ほどで 立派な梅の実に・・・・。 っと 心待ちにしていた この時期に 台風のニュースが飛び込んできました。 もうすでに、 小さな実のまま 風にあおられて 梅の木から振り落とされてしまってます。 ---------------------------------------- (引用終了)
実はこの店の店主は拙著『語ろう!』p.120登場 のT氏である。顔見知りなだけに、台風の 心配に具体的な顔がついた。
梅はどうなってしまうのだろう。心配で、「その後」の メールマガジンを待っている。こんな気持ちでメルマガを 待つのは初めてである。
2003年05月30日(金)
後味悪かった
定期入れを拾ってしまった。「しまった」というのは 拾いたくなかったからである。場所はJRお茶の水駅前 UFJ銀行ATMBOX内。並んでいるとき、前の男性の足元 に落ちているのに気づいた。彼のものかなあ、と思い 教えてあげようか、と考えているうちに自分の番 になったので機械の前へ進んだ。用事を済ませ、 さて、と振り返ったらやはりまだそこにある。行列 のレーン内にあるからみんな気づくのに、みんな拾わ ないので、そのままだ。悪いやつに拾われたらことが 面倒になる、と思ったので、拾った。定期券は西武 鉄道、男性名と年齢52歳が記載されている。やはり 前に並んでいた人のものだ、とあわててボックスから 出て探したが既にいない。「しまった。面倒なこと になった」というのが正直な第一印象である。 バンドメンバーと待ち合わせしていて時間がない。 中身を再確認すると、定期券、SUICA、日立なんとか いう会社の全国の営業所所在地と電話番号が一覧に なったカード、クラブのママの名刺、新幹線時刻表。 それだけで、本人の名刺はない。やがてやってきた バンドメンバーと相談し、やはりこれは警察が一番 だろうと交差点にある派出所に持っていった。 持っていったが、不安なのは、派出所がスタンドアローン であろうという点である。ネットワークされ、 警察のサーバーに、「落し物一覧」みたいなものがあれ ば、落とし主が気づいたとき、最寄の警察に届ければ 簡単にサーチできるのだが、あの派出所に行く偶然 というか幸運がなければ、二度とあの定期入れは彼の もとに戻りそうにない。UFJボックス内の電話でだれか に伝えたとしてもあそこは無人ボックスだから係の 人が来るまで待たなければならず、そんな時間はない。
あとで気づいたが、カードにあった営業所のどこか に自分で電話して、くだんの人が社員かどうか確かめ、 社員なら、派出所に預けてある旨伝えてあげれば 良かったなあ、と後悔した。後味の悪い体験であった。
2003年05月29日(木)
気持ちって、何だい?
企業のリスクマネジメントの講座を持つことになった のでいろいろ研究している。ここで驚くのは企業の 顧客対話力の驚くほどの「なさ」だ。「低下」とか 「衰退」とかいうレベルではない。ない、のである。 社長はじめ経営陣に「顧客対話は大切ですよね」と 聞くと「当然」と言う。「リスクマネジメントはこの ご時世、重要な経営課題ですね」というと「何を いまさら」という顔をする。では、社員への教育に 年間いくらのお金と時間と気持ちを使っていますか、 と聞くと答えられない。「えっと、その件なら人事 部門にまず確認しないと・・・。最後、何と言った かね、え? 気持ち? 気持ちって、何だい?」 テクニカルな問題、「これだけやっていればOK」と いう「公式」の問題ではないのである。 人の教育問題なのだ。
2003年05月28日(水)
わしゃ泣きたいよ
なんだかんだで忙しく、パソコンの前に座っていること ができない。よってこの日記も「ネタはあるのに書けない」 状態が続いている。KEN研もごぶさたで、かなしい。
「効率」「能率」「損得」OSがあまりにもビジネスの世界 にはびこりすぎてしまったのは80年代の負の遺産だ。 ある経営コンサルタントが、北方領土返還のために使う 税金を国民一人当たりの金額に換算し、記憶ではたしか 当時のお金で6万円になった。北方領土が返還されても そこで採れるのはせいぜいこんぶくらいであり、国民が 生涯で一人6万ものこんぶを食べるだろうか、否、という 論法で、「だから北方領土は返還されなくても良し」 という結論だった。この本が当時ベストセラーになった。 やれやれ。この発想が「さすがはコンサルタント」と みんなを感心させたのだが、末裔がいまだに書店 のビジネス書の棚を作っている。 「借りた金は返すな」「金持ち**さん」「毎日が 給料日」・・・これらのタイトルが書店新刊書を 埋めている。見るだけで吐きそうだ。昔からマネー うんぬんはあった。しかし、それらはビジネス書 の中でも「日蔭モノ」だったはずだ。 見識も美学も何もない、ただのマネーゲームが ビジネス書だと勘違いする人たちが増殖しているの だろうなあ。本当に危機感を感じる。
2003年05月27日(火)
あなたが店頭にいる意味を述べよ
何がいやといって、店頭にいるスタッフに質問し、 カタログを出してきてそれを指差しながら説明 されることだ。だったらお前、何のためにここに いるんだよ、といいたくなる。 ブルースハープ専用マイクについてやりとりして いて、アンプにつなぐための線(シールド)が ついてないね、というと「それは1Fで買ってください」。 商品が1Fにあろうが2Fにあろうが、それは店の 都合じゃねえか、とタンカをきりたくなる。 昔のぼくならそこで変身し、がーーーーと暴れて いたところだが、大人しくなったものだ。 いやはや、それにしても商人(あきんど)、 日本でほぼ絶滅寸前だが一体どこで棲息している のやら。
2003年05月26日(月)
最初のひと転がし
パン屋で気づいたのだが、客単価が290円、消費税込み 304円の世界である。それで人を雇い、店を構え、しかも 繁盛している。旨いパンを出す。 客単価がその100倍の29000円でも、1000倍の29万円でも 倒産する会社はある。この違いは何か。 「最初のひと転がし」の違いだと思う。旨いと評判の パン屋も最初から皆に知られているわけではなく 「?」という存在だ。資本もなかろう。素材を選ぶ際に 特級品Aか並のBか選ぶ。資本がないからとりあえずBに したい誘惑にかられる。しかし、そこでふんばる。 「最初のひと転がし」とはこのことである。資本が厳しく てもほんものを選ぶ。Aを選ぶ。すると、ほんものの商品 になる。評判が評判を呼ぶ。成功のサイクルが回りはじめる。 最初B級で、いずれはA級に「なりあがろう」という ことはありえない。栴檀は双葉より芳し。290円単価でも ひとかどの商いはできるようになるのである。
2003年05月25日(日)
人事システムの卵
くだらん新製品や企画が次々出てくる理由は人事システム にある。人事評価で、基本ターム(6ヶ月なり1年なり)に 貴君はどんな新しい企画を出したのか述べよ、というやつだ。 これが評価や報酬に連動している。よって、くっだらねー 企画があとをたたない。スーパーやドラッグストアの棚を 見よ。書店の棚を見よ。新しい価値を問うわけでもない二番煎じの、 何の意志もない商品が並んでいる。こざかしい人事システムの 生み出した卵たちである。
2003年05月24日(土)
女性専用
地下鉄車両から降りて初めて気づいたが女性専用だった。 初体験である。かといって思い当たる節があるかというとない。 別に普通の車両だった。それにしても馬鹿げた発想である。 「女性専用」と銘うってまともな企画があったためしがない。 女性専用サイト、女性専用ビール、女性専用マンション、 女性専用たばこ・・・・。
なぜこうもつまらぬ企画が出てくるのか。考察は明日をまて。
2003年05月23日(金)
Villa Villa
デビュー書き下ろし『パーミション・マーケティング・ セミナー』や最新作『語ろう』でも触れているオフ・ ブロードウェイ・ミュージカル『De La Guarda』 (Villa Villa)が日本にくる。 マンハッタン・ユニオンスクエア東の銀行跡劇場 のチケット販売が正午からだったので時間つぶしに 立ち寄ったバーンズ&ノーブル書店で『パーミション・ マーケティング』原書に出会ったという、ぼくにとって は因縁のミュージカルである。1999年5月のこと。 Villa Villaを観て「顧客参加型市場」コンセプト を発想した。そして、会社を辞めようかなあ、と思い 始めたのも、このミュージカルが発端である。 「わたしはこれで会社を辞めました」というやつだ。 ともあれ、『パーミション・マーケティングの未来』 の根底を流れる顧客参加型市場の思想は、この時 生まれた。
ただ、日本では観に行こうという気にはならない。 なんだか、これに限らず、ミュージカルが日本に くると、急に「ありがたい」ものになってしまう。 チケット料金だって当日8300円なんて、べらぼう である。7月8月公演のものを今から予約しなきゃ いけないなんてちょっと違う。当日いい天気だから ふらりと行こうか、というノリにしたい。 げんにNYでは50ドルもしなかった。40ドル台だ。 アートがおおげさになってしまっているのが 日本にアートが根付かない原因だと思う。 そうそう、くれぐれも「キメ服」で行かない ように。びしょぬれになります。
2003年05月22日(木)
共感覚
医学書を読んでいる。「共感覚」について。共感覚 とは、五感が混ざり合って感じること。例えば、 ミントを食べると舌の上に円柱が立つ。ポケベル が鳴ると赤い色が見えて頭が痛くなる、など。 「葉っぱのついたようなつるが、何本も垂れ下が る」これは、ある味を舌の上にスポイトで垂らした 時に、マイケルという被験者の指先に感じた感覚だ。 著者は米国人の医者で、米国では「珍しい症例」 として報告されているが、日本人には大変馴染み の深いものである。普段からぼくは「とんがった モチーフ」とか、「気持ちがざらつく」とか「赤い 声」「平たい会議」という表現をしている。 とはいえ、五感商品の研究には大変役立ちそうで、 ページを繰るのがもどかしい。 右利きの人は右脳で音楽を感じ取り、左脳で言語 を操っているそうだ。とすると、ぼくがバンドを やっているととても気持ちいいのは、普段使わない 脳を刺激するからなのかもしれない。
2003年05月21日(水)
音で聴く著作
トークスから 出ているCDに拙著『語ろう』が収録され、サンプルが送られ てきた。自著が第三者によって要約され、プロのアナウンサー に読み上げられるという体験は初めてであり、感慨深かった。 米国ではビジネス書を著者自身が読み上げるカセットブック が多い。日本でもかつて新潮カセットブックが何点か出ていた が最近聞かない。 何年か前、Surfin'を自分でテープに収め、知人にあげた ことがある。 トークスのCDを聴きながら、そうだ、自分で読み上げて 「音」著作を作るのはどうだ、と思いついた。 早速、手を打ってみよう。
2003年05月20日(火)
言葉を創る
言葉を創った人というのは偉いと思う。 日本語は漢字を使う。そして漢字には増殖能力 があるので、新語ができる。 ・微苦笑(久米正雄) ・善処する(若槻元首相) ・心境の変化(犬養元首相) など、現在では日常語に溶け込んでいる。 翻訳も、すぐれたものがある。
・bank銀行 speech演説 (福沢諭吉) ・baseball野球(正岡子規)
かと思うと、アメリカの言論界巨人W・リップマン (1889-1974)にもすばらしい業績がある。
・世論(public opinion) ・ステレオタイプ(stereotype) ・冷戦(cold war)
言葉を創るというものは、思想を創ることであり、 時代を生きた証である。自分も、何か後世に残る言葉 を創りたいものだと思う。
2003年05月19日(月)
念のためブルースハープとは
マルクス兄弟のハーポは、ハープを弾くからハーポ。 よく両手でじゃらん、じゃららん、と弾く、あれで ある。ある人がメールしてきて、私がブルースハープ、 ブルースハープと言っているのがあのハープだと思っ ていたらしい。 -------------------------------------------- 私の中では阪本さんが両手でハープを奏でてる姿を、 受け入れがたかったけれど、押し込んで我慢していた。 阪本さんが好きならどんな姿でも仕方がない。 受け入れざるを得ないわさ、と。 ブルース専門のハープって少し小型なのかな? でも、持ち運びは大変だろうなー、 なんて。 -------------------------------------------- 自分でも、自分が「あの」ハープを座って両手で じゃららんとやっている姿は消化しにくい。 違うのです。 えーっと、たとえば これ をみてください。ブルースハープとは、 このタイプのハーモニカのことです。 それにしても、ハープ違いのメールには朝から笑った。
2003年05月18日(日)
子供は立て
電車に母子が乗ってくる。席が空く。まず母は子に 座らせようとする。なぜだ。 子は当たり前のように座る。靴を脱がせない。 家でやっていることと同じことを子はするから 座席でぐにゃりと寝る。母は注意しない。 隣の人に当たっても平気である。
同様のことは飛行機内でもある。離陸するから シートベルトをしろといわれているのにまだ 子供を放し飼いにする。近隣乗客に子守りさせ ようという魂胆である。人のいいひとはこれが また笑顔など向けるものだからますます母は 自分のやっていることに疑いを持たぬ。
子供は立たせろ。足腰鍛えるのだ。電車の中で ものを食うな。 飛行機、運賃払ってないのだから、荷物扱いで 預けるべきである。堂々とおもちゃやジュースを もらうべきではない。
・・・などという意見は少数で、わしは変人 なのだろうか。
2003年05月17日(土)
人生劇場夏公演決定
バンド打ち合わせ。メンバーZenのオフィスに集合し、 その場ですぐギター&ハープでアドリブが始まった。 ブルースである。 曲の方向を決め、ライブの日程を決め、逆算してリハ の日程を押さえる。7/19が夏ライブと相成った。 いまのぼくはハープに凝っているからむしろこれまで やっていたボーカルがやりたくなくなった。そこで 今度はガラリとバンドの音が変わることになった。 毎回ライブのテーマを四文字にまとめるのだが、今回 は「異時痛音」(いじつうおん)。 はてさて、どんなライブになるか。湘南の海の家でやる 計画もある。乞うご期待。
2003年05月16日(金)
坊ちゃん吠える
議論のいい人が善人とはきまらない。やり込められる 方が悪人とは限らない。表向きは赤シャツの方が重々 もっともだが、理屈で人間の心が買えるものなら、 高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなく てはならない。中学の教頭ぐらいな論法でおれの心が どう動くものか。人間は好き嫌いで働らくものだ。論 法で働らくものじゃない。
*漢字送り仮名は原文のまま
1906年、四国松山で坊ちゃん24歳の言葉。 いいねえ。スカッ、とするねえ。この本を読んだのは 小学6年生のときだけれど、そしてその後何度読み返 したか知れないけれど、ページを繰るたび、この本 は今の自分のために書いてくれたのでは、と思う。 進歩がないのか、それとも漱石の先見性のゆえか。
2003年05月15日(木)
曲がりますからご注意ください
「ヤマダ君、ちょっと」 「はい、なんすか、課長」 「転勤だ」 「どこですか」 「インド洋に派遣中の海上自衛隊の補給艦『ときわ』」 「はあ?」 「そこでプログラミングのサポートをしてほしい」 「えっと、いま、『いんどよう』って、聞こえたんすけど、 あと、『じえいたい』とかも。ぼくの聞き間違えっすよね」 「いや。まちがってない。有事法制で、うちの会社も自衛隊 の手助けをしなきゃならなくなったんだ」 「課長、ぼく、本州以外の転勤、困るんすけど」 「北海道や九州じゃないじゃん。インド洋だからいいだろ」 「んな、むちゃくちゃな」
有事法制下では、こういうこともありうる。マスコミは、 このような、具体的な日常、日々の生活に落とし込んだ 法制の姿をしっかり伝えなければならない。 白い集団やタマちゃん、六本木ヒルズのような「わかりや すい」話ばかり流すのではなく。一般には理解しがたい法律 の文面と、与党野党の電子顕微鏡で見なければわからない 本法制への立場の違いについてばかりではなく。
冗談じゃない。急速に右旋回している。なぜみんな、平気で タマちゃんの心配ばかりしているのだろう。
2003年05月14日(水)
最初の言葉
大学時代バンドを組んでいた仲間からメールが来た。 米国留学経験があり、神戸の私立名門高校卒業、ギター も腕が立ち、きれいなガールフレンドがいたN君。 雑誌『Think!』を見たとのこと。彼は現在ソニー にいる。20年以上前の旭化成時代、鳥取出張から 帰りのJR大阪駅ホームでばったり出会って以来だ。
今日これから会う。 土産は何にしようかと考えたが、やはり手ぶらで 会うことにする。照れるもんな。
うーん。最初の言葉は何にしよう。楽しい悩みだ。
2003年05月13日(火)
病んだ幼稚社会
博打打ちの鉄則に「背中に立つな」というのがある。 背中に立たれると、手が読まれる。映画「Sting」でも たしか重要なモチーフになっていた。 麻雀をしていて背後に立つとぶっとばされる。
一般社会でも背中を見せられなくなってしまった。 電車でも、必ずドアを背にして立つ。満員電車の 場合は後ろに立つ人をチェックした上で常に背中 に神経を集中させる。 昨夜、電車で熟睡している女性がいたが、信じられ ない光景だった。
日本社会、本当に、病んでしまった。病んで、かつ 幼稚になった。金貸しのCMの犬をもてはやしたり、 バブルでこりたはずなのに巨大ビルができたら 一日50万人も集まったり。
2003年05月12日(月)
EC成功の鍵
久しぶりにECのコンサルティングをやっているので 特にこのところ、インターネットのお店の仕事ぶり が気になる。今朝、お気に入りのうどん屋さんから 商品が届き、緩衝材代わりに使っている新聞に目が いった。四万十川の水を使ったうどん屋さんだ。 よって、新聞は高知新聞である。どれどれ、と 拡げてみると、3月13日付の紙面だ。じっくり読んで みるとたとえばテレビ欄とか、発見が多い。 黒岩重吾氏の哀悼記事を田辺聖子氏が書いていて、 しっとりと、いい文章だ。
拙著『パーミション・マーケティング・セミナー』 以来主張しているのだが、つくづく、ネットは 下駄だと思う。ECのKFS(成功の鍵)は、やはり 「とことんローカル」なのである。
2003年05月11日(日)
経営は身体でやる
大阪産業創造館起業家セミナーで柔軟体操を伝授した。 なぜなら、経営はスポーツ、身体でやるものだからである。 昨今書店のビジネス書コーナーにならぶ、「毎日が 給料日」「全部無料で」「簡単に」「60分」などという 暑苦しい、それでいてひよわな、芯から勝負しない 子供騙しの思想潮流に断固としてNOを言いたい。 現場で汗をかき、泥にまみれるのが経営だ。きれい ごとや「ちょっとした工夫」でやれるものではない。 身体性の欠如は教育の現場にも顕著で、児童のことで はなく、教師側がひどい。知人の息子(小学2年生)S君 が先生に首をしめられて鼻血を出した。 正確にはS君が鼻血を出して困ったと思っているところ へ普段から言うことをきかないのでいちゃもんをつけ ようと狙っていた担任教師(25歳、男性)がこれ幸いと首を しめたということらしいが、ただごとではない。 学校側は教師をかばい、こんにゃく問答が続き、 結局は担任は「病気による欠席」となった由。 ひどいものだ。S君が休んだため、くだんの担任から 二番目に目をつけられていた児童が恐慌に陥り、登校拒否 した。 学校は「なかったこと」に済ませたい。しかし、児童の 心の傷は癒えぬ。
教師は「前後の見境がつかなくなって」「ついかっとなり」 首をしめたという。
首なんてもの、そう簡単にしめたくなるものか。 教師はこどもの頃から、すもうや殴り合いのケンカ ひとつせず、「いい子」「勉強のできる子」で育って きたのだろう。身体性が彼の中には、ないのである。
経営も、こうなってはいけない。
2003年05月10日(土)
輸入したい不況
大阪日帰り出張。SARSだとかいろいろあっても飛行機は 満杯、空港は何用あるのか人であふれている。 イギリスのさる政治家がいまの日本を見て、これが不況 なら、国に持ち帰りたい、輸入したいと言ったそうだが 同感である。先日のTDLもGW明けというのに人があふれ かえっていた。どうなっとるのだ。緊張感のない、寝顔 の並ぶ機内を見て、やになった。
2003年05月09日(金)
Back to 1978
偶然かもしれないが、ここのところ、1978年に生まれた ソフトに凝っている。
ストーンズ『Some Girls』エアロスミス『Draw the line』 そして『未来少年コナン』これらいずれも78年生まれである。 ストーンズは一曲目『Miss you』を偶然ラジオで聴いた私と 母がハマってしまい、アルバムまで購入した。ジャケットは ミック・ジャガーの前妻ビアンカなど実在の女性をパーミション なしで使ってしまい、訴訟問題になった曰くつきのもの である。どの曲を聴いても四半世紀前のものとは思えない 新鮮さがある。また、シュガー・ブルーのハープを堪能できる のも、ブルースハープに凝っているいまの私にはぴったりだ。
エアロスミスは、そのジャケットが、初めてニューヨーク に行ったとき泊まったホテルのロビーにかかっていた ことからずっと気になっていた。アルバム最後の曲は大学時代 自主制作した映画のカウボーイシーンで使ったりしたほど お気に入りである。いまはこれもまた、ブルースハープの お手本として愛聴している。
『コナン』はこの前NHKアーカイブでちょっとやっていたの を観てすごさに気付き、あわててDVDを揃え始めている段階 だ。
78年、成田空港が開港し、アリス『チャンピオン』が大ヒット していた。私は大学2年だった。 そういえば古典の一つ、『知的生活の方法』もこの年読んだ のではなかったか。気になる年だが、これ以上の思考の発展 がいまはできない。よって、このへんで。
2003年05月08日(木)
いまどきの若いもん
KAWADE夢ムックの取材を受ける。テーマが「スロー」 なので、無理を言って自宅近くの海べりのホテルに お越し願った。ホテルのご厚意で部屋を提供して もらい、そこでインタビュー。あいにくの雨が 残念だった。本のタイトルは『リラックス・シンキング』 6/25発売予定とのこと。面白そうだよ。ライターの山本 亜希氏がソウル歌手もやっているとのこと。面白い。 取材のお三方に旨い蕎麦屋をご紹介する。
一段落と思ったら日経新聞から電話取材。 今日は取材づいている。 「いまどきの若いひとたち」についての話になったが、 新入社員の段階から自分の市場価値についてしっかり 語るひとが多い由。だから投球フォームが小さくなる んだ、と話す。面白みのないビジネスが増えているの はそのせいか。
そういえば、昨日の「一所懸命」につき山本藤光氏から 「一生懸命でもいいのではないか」とのご指摘あり。 然り。いいのです。語源が、もともと鎌倉武士が 幕府から下された自分の領地(所)を命を懸けて 守るところからきたので「一所懸命」。転じて 「一生懸命」。間違いではないし、使う人が多い ので市民権を得た言葉のはずだが、がんこなわしは 「一所懸命」しか認めない。言葉に対してはだれか わしのようにがんこ親爺がいないと、ゆるゆるに なってしまう。「こんにちわ」を間違いだとどこか に書いたら「日本語は生きている。あんたみたいな がんこ親爺はけしからん」と携帯メールから文句 言ってくるやつがいた。それでもわしは、がんこを 通す。うーわんわん。
2003年05月07日(水)
鼻毛伸びてるぜ
鼻毛を指摘するのは言いにくい。 家の出入りのカーディーラーY君の鼻毛が 三角帽子のように伸びていて、指摘して あげるのが親切とわかりつつ、逃した。 言いにくいものである。
これと同じで、言いにくいが、言ってあげた ほうがいいのだが、しかし、言えない、と いう類のことは他にもある。
パンストのでんせん。爪の伸び。目やに。 うーん。あとは、たとえば漢字変換の癖 とか。「一生懸命」は間違いで、「一所懸命」 が正しいとか。
面倒なので、このへんで。
2003年05月06日(火)
恥ずかしい
恥ずかしい体験、というのがある。 今日、した。
ランチを済ませ、ぼーっとしていたら、ケーキが出てきた。 和食の店である。しかもここはTDL(東京ディズニーランド) である。「みなさま、失礼致します。今日はここにいらっしゃ るけいいちさんのハタチのお誕生日です。どうぞ手拍子と ハッピーバースデイの歌にご唱和をお願いいたします」 おねえさんが言う。後ろの席の姥桜たちが満面の祝福の笑み を送ってくれる。「ハタチ」って、あんた、TDLにひっかけたな。 「ハッピーバースデイ・トゥー・ユー」おなじみのあの曲を、 フロアに集合したおねえさんたちが歌ってくれる。
TDLで、しかもランチで上を下へと混雑している和食の店で 主人公になったら、いかな鉄面皮でも朱(あか)くなる。
いやはや、今日で四捨五入すると50。45歳になってしまった。 しかし、楽しい45歳を迎えることができた。 TDLを今日スキップしてはねているおっさんを見た人が いたとしたら、それはわしである。
2003年05月05日(月)
自分の古典
ここのところ、自分の古典に回帰している。「自分の 古典」とは、「昔から何度も繰り返して読む本」の ことだ。哀しいかな、度重なる引越しで紛失した本 が多いので、買いなおすことになる。 昨日も、もう、これまで何度読んだかしれないが、 しかし、手元になくなってしまった類の本を書店 で求めた。
・渡辺昇一、知的生活の方法 ・清水幾太郎、論文の書き方 ・漱石、坊ちゃん ・中島敦、山月記ほか
『論文の書き方』はこれで三冊目である。アマゾンの 読者書評を読むと「わからない漢字が多くて挫折した」 というのがあって、愕然とする。一体、日本の国語教育 はどうなっているのか。
・・・は、置いておくとして。 何度もなんども読み返すことで、本の中身が自分の身体化 する。結局のところ、読んでいて心地いいのも、こういった 自分の古典なのである。
2003年05月04日(日)
じいさんとスローな旅に
なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ 行って来ようと思う。 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等 には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。 私は五十になった時分から、これからは一等でなけ れば乗らないときめた。そうきめても、お金がなく て用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るか も知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には 乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌い である。
内田百閒じいさんの『第一阿房列車』の書き出しだ。 ブルースハープのCDから流れる黒い音を流しながら 読むと、至福のひとときである。
百閒じいさんのような遊び慣れた、世のわかった大人 の男の文章を、母国語で読める幸せ。
この連休中は、じいさんとスローな旅をしよう。
2003年05月03日(土)
自動的なセリフ
ニューヨーク時代からNHKの朝ドラが好きで、観ている。 マンハッタンの朝、エンパイア・ステートビルを窓の外に 借景しながら沖縄の海を見るのはなかなか オツなものであった(『ちゅらさん』)。 現在の「こころ」、浅草の心意気がよく、楽しみに しているのだが、主人公こころとそのダンナとの 二人の描写に厚みがなく、彼らだけの芝居になると 急激に品質が下がる。たとえば、芝居で大事な 「見染め」がない。どこでお互いに心を奪われたか、と いう場面がなかったのだ。すると「結婚することが目的」 になってしまい、ついつい「アホちゃうか」と思う。
ゆうさく(ダンナ)がこころの親に「嫁に下さい」と 挨拶に行った際、「こころさんの夢を実現する手助けを したい」と言うが、ではこころの夢って何なのかわから ない。先のドラマのヒロイン満天のように「宇宙飛行士 になる」という夢がないのである。
今朝も、客室乗務員の仕事を辞めて家の仕事に専念しようか というこころへ「そんな簡単にあきらめられる夢だったのか」 とゆうさくは言うけれど、そもそも夢が見えないんですけど、と、 つい画面につっこんでしまう。
どうもああいう場面(女性が仕事を辞めて家事に専念しようか どうか迷う場面)で男が言う「自動的なセリフ」を言っている だけのようだ。そしてこの「自動的なセリフ」というのは実は 日常会話でわれわれもよく使っている。
ベーゴマ、メンコ、などという遊び道具を指して「昔懐かしい」 という形容詞が必ずつく。しかし、私はベーゴマやメンコで遊んだ 世代ではない。懐かしくないのである。この自動的セリフは 注意しなければならない。仕事でも、よく使われているのでは ないだろうか。「不況の昨今」「消費者マインドの冷え込み」 「多様化する価値観」「デフレスパイラル」
ロシア・フォルマリズムという文学理論の唱える「異化」の効用 が、ここにきてようやく理解できた。自動的なものいいに 対して、「ん? ちょっとザラつきがあるな」と、異化させる のだ。必要だよね。
2003年05月02日(金)
経営はスポーツである
経営はスポーツである、と思います。アタマで考えすぎ ては、いいアイデアも浮かびません。かといって、身体 だけでとにかく動け、というのもパフォーマンスが悪い ことまさにスポーツと同じです。バランスの問題なので すが、しかし、高学歴日本ではややもするとアタマに 傾きがちです。
大阪産業創造館で開講している起業家向けの講座、 次回は「体操のできる服装で」クラスに来るよう、 言いました。私が毎朝やっている柔軟体操を伝授 しようと考えているのです。腹式呼吸も一緒に 伝えます。経営における身体性の復権は、こういう 具体的な動きから生まれると考えています。 言った手前、私自身も、体操のできる服装で飛行機 に乗らねばならなくなり、さて、どうしようかと 考えているところです(笑)。
2003年05月01日(木)
清水幾太郎
学生時代、アイドルは清水幾太郎でした。1907年に生まれ、88年に 他界した社会学者です。ジャーナリストとしても名を馳せた人で、 私は彼の文章術を学びました。岩波新書から出ている『論文の 書き方』など、赤線があちこちにびっしり引かれ、あまりに ぼろぼろになったため、もう一冊買ったほどです。60年安保闘争、 日本全体が熱い頃の思想的リーダーを果たした人で、にもかかわらず 晩年は「日本よ、国家たれ」と雑誌「諸君!」に刺激的な論文を 掲載し、国家たるためには核も保有し、自前の軍隊をもつべきである などと、極端な右旋回をして物議をかもした人でした。 論文「戦後を疑う」を発表した時、私は大学生で、周囲の 友人たちから「清水さんはおかしいのと違うか」と、まるで私が 清水さん本人であるかのように責められたことがあります。
ゼミの論文購読では彼の「流言蜚語」を取り上げ、みんなで議論 したことがあります。流言蜚語とは、デマのこと。デマは社会学 でとても興味深い研究対象であり、指導いただいた杉山助教授 (現・東大教授)にも「オルレアンのうわさ」という翻訳書がある くらいでした。SARSや戦争など、人間にとって災禍がふってわいた 時、流言蜚語は飛び交います。阪神大震災の折にも、「あらぬ噂」 が発生しました。この「噂」を使って「手軽に」「無料で」広告 宣伝をしようと呼びかけるマーケティング手法が本になったりして いますが、社会学的基礎のないままこれをやると、大変なことに なると思います。
清水さんの思想から学んだことははっきりと言語化できないです。 ただ、彼のindependentな生き方は、大好きです。 そして、彼から学んだもう一つのことは、接続語で「が」を使うとき、 警戒しなさい、ということ。「が」は、つなぐ文章の前後が「順」 であろうと、「逆」であろうと、つながってしまうことが非常に危な いのです。論旨を明確にするためには、接続詞に「が」を使わない こと。これ、文章の秘訣です。・・・と言いつつ、私も使っていますが。
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