痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2004年01月29日(木) 放物線

ごはんを食べている時に、しゃべりまくる人もいる。
しゃべりまくらなくても、お口の中のものを飲み込むまえに発言したくなる。
わたしもそうです。

当然、食べこぼす。
のならまだよいが、よくお口の中のものを飛ばす。
とくに米粒。

あれは、意外なほどによく飛ぶ。
そして人間の視界は意外に広いのだな、とその度に思うのだけれど、目の下を小さな白いものがピッと飛んだと思うとゆるい放物線を描いてけっこう先のほうに落ちる。
それと同時に視界の別の端で、目の前のおしゃべりしていた会食者の視線が自分の口元からゆるい放物線を描いてテーブルの上へ白い物を追っていくのが見える。
そして、落ちた瞬間目をそらすのも。

あの放物線を目で追ってしまうのは、人間の性なのではないのかしら。
動く物をとらえようとする動物の性かしら。
わたしもひとのお口から飛び出したものが弧を描いて落ちていくさまを最後まで追わずにいることはできません。
落ちて動かなくなった小さな粒になってはじめて目をそらす。

あれはなんともいえない瞬間です。

ま、いつものメンバーだったりすれば、
「あ、ごめん。」
とすばやく落ちた物を回収してしまえばいいのであって、
お互いさま というか あんたお口ユルイよ でおしまい。
そうなると互いの関係は緊張感のない安定したものですね。
このまま互いに許しあってズルズル付き合っていく。
同性でも異性でも。

先日もわたしも飛ばし、友人もおおいに飛ばしていました。
けど、我ながら ゆるすぎる・・・ と自分でいやになるのは、水物。
おしゃべりして、目の前のひとを見ていて、手元を見ずにグラスを口に運ぶ。
目をつぶっていたってできます。
で、グラスを傾ける。
けど、予想外に大量の飲み物が入っていたらしく、つまり傾ける角度が量にたいして大きすぎたようで。
当然 ダバダバダバダ・・・ とお口からあごから首筋襟元胸元まで びしょぬれになるわけです。
ものすごくアホっぽい図です。
被害も大きい。
これは、宴会などで、自分のしらないうちにどんどんグラスに継ぎ足しをされている時に陥りやすいアホです。
だから手酌が好きだっていったのに。



2004年01月28日(水) 繰り返し

夜中の散歩 とカッコつけて言ってますが、煙草買いに行ったり ビール買いに行ったり 肉まん買いに行ったり ビデオ慌てて返しにいったり の帰りはいつも上を向いて月を眺めながら歩いています。

冬は月がくっきりと見える。
もう星をみようなんて諦めているので、濃紺の夜空に月が輪郭ハッキリと浮かんでいるだけでいい。
輪郭がはっきりくっきりだと、そこにある 感が強くなる。固いものが浮かんでいるんだな、と。
夏の湿度の中、輪郭のぼやけた月は、そういう色が浮かんでいる 紺にレモンイエローがにじんでいる感。

しょっちゅう散歩しているのでしょっちゅう月を眺めているのですが、あたりまえですが毎日形が違う。けれど見たこともない形にはならない。
前に見た形。
あ、またまあるくなったな。また下がかけてるな。
毎日まいにち 繰り返してくりかえして いいな よかったな、という感想を毎回まいかい繰り返して、帰ってくる。

あ、また繰り返しだな、と思いながら でも毎回少しづつなにか違うんだよな、
とぼんやり思いながら歩いて帰る。

そうだな、わたしは繰り返しが好きだな、あ繰り返してるな、なにか少しのズレを感じるな、ずいぶん前のことのように思うけれどこれもいつか見たような感じたような繰り返しだな、でも毎回違うことなのかもしれないな。
同じことのようにも思うけれど。
小さなズレを折り込むか、増幅させるかなのかもしれないな。

自分の毎日も繰り返しでズレ感がゆらゆらしていて、いつのことかはわからないけれどそれが自分の音楽になればいいな。



2004年01月27日(火) すっからかん

更新は忘れた頃にやってくる。
そのとうり。
すっかり忘れて、福袋は6つも買うし、そのうちの下着福袋はまだ届いていないし 
調子にのって温泉にいっちゃったし、12月はお金になる仕事をしていないので、入金もない。
仕方なく、せこせこ月に5000円づつ貯めた貯金をおろしたよ。
これは別にいざというときのためでなく、積立していると、銀行の時間外手数料がただになるからなのだが、そんな粋がった憎まれ口はよそう。
役にたったよ。ほんと。

そんなわけで、また蓄えのない生活です。
別に更新したくはなかったんだけど、行く先もない。
ひっこしたいけど、この部屋にものを集めすぎて、腰が重い。
着替えとノートパソコンと今読んでいる本とをかばんに詰めていつでどこかに生活の場を変えられる、そんな暮らしにもどりたい。
ノートパソコン持ってないけどね。
定住するとすかすかした空間を埋めるものが欲しくなるんだよね。

隠れ家の騒音騒ぎは、なんと苦情の主が 騒音 を録音して不動産や立会いのもと直接対決したらしい。
隣のおばさんは、
「はいはい わかりました。でも音を立てずに生活するなんて無理!わたしはできませ〜ん。」
と開き直ってなんとなく逃げ勝ったようす。
大家さんは最初から、喧嘩せずにやってくださいわたしはどんな音だかきいてないし、と、はっきりいってわしゃしらん宣言。
苦情主さんは、かわいそうね。神経質だな、とは思うけれど毎日寝入りばなに決まった音がするのもいやなもんでしょうね。
でも個人的に ひっこしの時もこそこそしてあいさつしかえしてくれなかったから、神経質さんより、うるさいおばさんの方を応援はしないけど少し肩をもつ。



2004年01月23日(金) いっぱい

実家の近くには、ポツンポツンと結構 畑なんかあるのです。
でもどれもまじめに耕作していない。
これは戦後 農地解体されたにもかかわらず、綿々と大地主制度が息づいているからです。

ま、どこにでも地主さんがいるわけで、彼らは土地を使いきれないほど持っている。マンションや駐車場にしてもまだあまる。
だから畑なのか、というとまたちょっと違うのであって、
資産をいっぱい持っているひとにはいっぱい税金もかかる。
マンションも駐車場もかなりの財産なので税金がいっぱいかかる。
でも農地は、広い土地がなければ商売としてなりたたないので、税金は抑え目になっている。
お百姓さんが、自分のたんぼや畑にその近辺の住宅地と同じ税金をかけられたらやっていけないもんね。
そこだ!

そんなわけで東京の地主さんも、余っている土地を畑にしておくのです。
なんとなく栗の木を植えておいたり、一畝づつとうもろこしやキャベツや大根を植えてみたり、菊の花を植えておいたりする。菜の花も植えたりする。

企業が少ないのでたいへん税収が少ないのに前の前の区長が大変お金を使ってしまったので大赤字のA立区のためには、地主さんズルしないで税金払おうぜ、と思うでもないのですが、わたしもほとんど払っていないに等しいし、駐車場より放ったらかしの畑があるほうが楽しいので、ここはあまり義憤にかられたりしないのです。

春は、放ったらかしでこぼれた種から薄紫の大根の花や絶対に油を絞られることのない菜の花でお花畑です。
放ったらかしのネギやキャベツの花もめったに見ないので楽しい。
葱坊主の花はかわいらしいので、ちぎってきて花瓶にさそうとすると、やはりネギなので、大変ネギ臭く、部屋の中が立ち食いソバ屋のような匂いになるのでやめたほうがいいですよ。
夏は、赤いトマトや茄子紺のナスがきれいで、放ったらかしのとうもろこしを鳥がつついていたりするのも幸せを感じます。
秋は、どうもあの小菊はすきではないのですが、畑の端にススキやブタクサの丈の高い雑草がゆれてこれもよろしい。イガ栗も落ちてるしね。

でもなんといっても冬がいいのです。一応放ったらかしでも、秋の終わりに一年作物を抜いて草刈りをするので、薄茶の寒々しい五分刈りの原っぱになるのですが、
そこは、雀と猫の天国なのだ。
雀は、いったいどこで寝ているのかわからないのですが、朝になると大群でやってきて、冬枯れの畑で、落ちた草の実を拾ったり、虫を探したり、とにかくずっと食べ物を探していろんなものをくちばしで拾い上げたり落としたりして、その合間に追いかけっこしたりして遊んでいます。
何十羽も。雀畑です。
はにゃ〜 幸せ。

それから猫です。畑の真中は影がないのであったかいのだと思うのです。床には枯草が敷き詰められているしね。
お昼すぎの一番あたたかい時間になると、近所の猫たちが大集合して、みんなで丸くなったり猫のびしていたりする。
十数匹も。
早春には、その春の一番仔猫たちが、とんだりはねたり遊んでいたりする。
うにゃ〜 幸せだ。
ヨーロッパの遺跡はまったくどこもこんな猫だまりになっていて、円形劇場の階段にやまほど猫が座っていたりして、幸せなのですが、東京の片隅のインチキ畑の猫だまりも負けずにいいものです。
ものすごく安心して日向ぼっこしている。

というのは大抵これらの畑は鉄条網でがっちり囲われていて、人間・車・犬は入って来れないからだと思うのだけれど、この錆びたトゲトゲの柵は、ゴミの不法投棄防止柵なのよね。
夜中に車できてテレビや冷蔵庫を畑に捨て行く。
地主さんが処理費用をだしているのかな。税金がわりに。
それとも区に苦情をいってひきとってもらうのかしら。

どちらでもいいけれど、布団を投棄するのはやめてください。
雨が染み込んでくるとグズグズに無性に汚らしいし、古い布団って、染みがあったり綿がでていたりで、古い下着のように他人の使い古し感がたまらなく生生しい。
生ゴミだ。




2004年01月22日(木) キス ミー ケイト

あんまり面白くないミュージカルなのですが、水っぽい繋がりで、
アン・ミラーの踊りがみたくなって借りてきました。
なんて足が長いんだ、アン。
踊りまくりすぎて馬鹿みたいだよ、アン。
どうみてもブロードウェイよりナイトクラブが似合う笑顔だよ、アン。
と見えるほど、安っぽいゴージャス女の役がはまるんだ、アン。
でも貴方はトップスターだ、最高だよ、アン。

すべてのセリフのおしりに スウィーティ とつけています。
大好きです。

どうもステージで無駄に踊りまくってしまうのはきっとアンのせい。

あんまり面白くない映画ですが、みんなアンを見ろ、見てくれアンを。

しつこいですね。
他には、活人画のインチキ臭いキレイさが好きなひとは見ましょう。
若きボブ・フォッシーも 突然そこの踊りだけ妙にエロいので見てみましょう。
男性ダンサーの踊りが バレエとボードヴィル 芸術と見世物が入り混じっているところも少し面白い。

それから コール・ポーター 大好き。



2004年01月20日(火) 水っぽい

正月からずっと、ちまちま中古屋で一枚ずつ買って、ビーチボーイスのアルバムをきいています。
暮に、ああビーチボーイズがききたいな、と思って一枚適当に買ったのがハズレで、
あんれ〜 気持ちいい曲がないなあ、と別なアルバムを買ったら 小アタリ で、
もっともっと気持ちいいアルバムを! とまだ飽きずに心静かに燃えています。
まだ、3枚しか買ってないけどね。
もともと持っていたのは、JR駅構内で買った ハズレるもなにも、オールディーズベスト 一枚1500円コーナーものと、ビールを買ったらついていたシングルCD(しかも映画カクテルの主題歌ココモだ)。

と同時進行で、また ちあきなおみ をきき返して熱く燃えている。
彼女の歌が好きだ、というのは大もちろんなんだけれど、もともとわたくしは、
彼女や八代亜紀のような水っぽい歌手が好きなのです。
毎日ピカピカのスリップドレスやマーメイドドレスを着ている、それ以外の時はガウンを着ていそうな歌手が好き。
歌も、お酒と恋にダメな女と男のうた。どうも全員 不倫っぽい。
全盛期は20代だったのに、全然若さでピチピチという感じがしない。
かといって、隠微なマニア的セックスの感じはない。

昼間はビーチボーイズで一緒にウーウーコーラスして、夜は毎晩なおみの歌にあわせて布団の中で熱唱し、涙をこぼしながら眠る。
2004年一月のマイブームでした。

そうだ、聞き返したら 中森明菜のすごくいい時の歌声が なおみに似ている と思いました。

なおみ



2004年01月19日(月) 魔法と戦争

活字中毒なので、いつも本を手放せないけれども疲れるときもあるので、そういう時は 図書館の子供向けの本を読む。
のだけれど、最近の子供向け本棚はちょっとなんだ。
昔からの本はともかく、最近の読み応えのありそうな子供向け本は、魔法ものと戦争ものばっかりなのだ。
戦争ものはいいかえると、厳しい状況に生きる子供もの。かわいそうもの。

戦争ものは、ほんとうの子供のころにさんざん読んだので、あれからまた違った厳しい状況にいる子供のお話が新しい本で出ているのだけれど、もういい。
問題は魔法もので、これはほんとうの子供時代から好きでないのです。

わたしは大人の本でも子供の本でも、大いに食べ、飲み、遊び、またこれらが微にいり細にいり、書かれている本が好きなのです。
どこかで誰かさんたちが、こんなふうに暮らしている、その中でなにか起きたりなんにも起きなかったり、そんな本が好みなのです。
例えば、あるお菓子がでてきたら、その素材・作る過程がみっちり書かれていないと不満。
魔法ものってそのあたり 魔法だからポンとできるでしょ。素材もありえないものとか架空のものでは不満。
光の庭のそらりんごの実のジュースより、スウェーデンの島のさくらんぼジュースの方が美味しそうなんだもん。

ファンタジーが嫌いなわけではないのですが、本の中の世界の食べ物とか生き物とかを実感として感じるには、その世界を構築するものすごい才能か、膨大な描写のページが必要で、疲れている時には読みたくない。
かといってすごく好きでもないので、普通の時には別な好みの本を読むのでやっぱりそんなに読みたくない。

正直にいいますと、わたしは魔法とやらが好きではない。理由はわからないけれど子供の頃から好きじゃないのだ。
奥様は魔女も、アッコちゃんもメグちゃんも 好きじゃなかった。
全然わくわくしない。なんでかはわかりません。好みでしょう。

そんなわけで、一時期 寝る間も惜しんで攻略にはげんだRPGゲームも飽きてしまった。旅の仲間を集めて冒険をする、仲間たちにはそれぞれ背景がある ところは非常に好みだったのだけれど、なにをするにしても魔法と戦争で、敵を倒さねばならぬところが好みでなかった。
魔法力がなければひたすら斬って殴って戦わなくてはならないし、魔法だってなんだか持ってるひとは自然に持っていて、レベルアップだって、戦って敵を倒すだけで、頭をつかったり精神力を鍛えたりするわけではない。

そういうものにずっぽりな今の子供達のことを愁いているわけではなく、全然好みでないひと、きっと子供の中にも もいるんだから、出版社は 魔法と戦争 以外の子供むけの本もだしてください、ということを言いたい。
ついでにゲーム会社も最高に面白いパズルゲームを出してください。
推理パズルもいいけど、みんなホラーかませるのはやめてください。
 



2004年01月11日(日) 無為

と題名だけ書いて 風邪薬とアルコールを一緒に飲んだせいか 目が回ってきたので一旦やめて寝ます。
昨日もそうだったって?
うん。コピペしました。
明日以降 書き足します。

以下後日 ↓

これは、正月ボケだね。
自分が かぎりなく無為なことに激しい情熱をいつまでも燃やしつづけられることに少し感心していたような覚えがある。

なにをかというと、たしかこの前日わたしは夜の11:30から朝6:00まで、えんえんと枝毛を切っていたのです。
たぶん風邪をひいたのはそのせいでしょう。

こういうことをやっている時の集中力。
自分の人生において、なにか別のことに向けられたら、と。
人間関係も上昇思考も、なにもかも結構どうでもいいのになあ、と。

この後、しりあがり氏原作の 真夜中の弥次さん喜多さん の芝居を見に行って、
そっこうで 古本屋で原作を買い集め、今でもまだハマッているのですが、
つまり、
リアルじゃねえ
ところでずっと生きてるな、リアルな方がなんだか正しくて豊かな生き方のように思うのは、ないものねだりかな、
フワフワとした 手触りのない 痛みや憎しみや傷のない人生を ちょっと恥ずかしく思ったりするのは、たまにそれを批判されるから だけなのかも、

うんぬん と考えていたり どうでもいいやと思ったり。

考えたり 想像したり ばかりの人生ってこと。



2004年01月10日(土) 気むずかしい老婦人

というとふるきよき外国の小説のような香りがするけれど
ようするに 偏屈なババア だ。

どうも自分がこれに向ってひた走っているような気がしてならない。

とここまで書いて 風邪薬とアルコールを一緒に飲んだせいか 目が回ってきたので一旦やめて寝ます。

以下後日↓

なぜ、こんなことを書き出したのか。はて?

たぶん、まったく世の中馬鹿ばっかり!大嫌いだぜ 大嫌いだぜ 

ろくなもんじゃねえ〜

そういう自分が最高にろくでもないぜ

とか思っていたのでしょう。

具合が悪いと、こういう気持ちになるよね。

だいたいわたしが気難しくて 偏屈なのは、物心ついてからずっとだ。
あらゆるものに、茶々をいれたい。心から すんごいね〜 と感心したことがない。
小娘時代に こういう態度はかわいくない、と思い一度だけ目を丸くして
すごいね〜
と言ってみたら 大失敗でした。

あの時ほど自分が馬鹿に思えたときはないよ。



2004年01月06日(火) 目がさめる

今日現在、ブーツを除いてまともな革靴が一足もない。
今日こそは、と商品券を握りしめ百貨店へ出かけました。
だって百貨店でしか使えない商品券なんだもん。
今後 商品券を誰かにあげよう、とお考えになる方には、どこででも使えるカード会社の商品券をおすすめするよ。

午前中から百貨店へ出かけました。二軒の百貨店をまわりました。

買ってきたのは財布でした。

入れる金もないのに財布を買ったのか、とお約束な自分つっこみをいれながら。
とうとう現金も商品券もなくなっちゃった。
財布は新品だけど。


ま、靴は難しいので、イイ買い物できないかもしれないな、と半分はダメモトで出かけたのです。
踵が少し高くなくてはならず(チビだから)つま先がすぼまりすぎていてはダメ(足が小さいので纏足した人のようにみえる)転びにくく(よく転ぶから)いいかんじのこげ茶色(黒と茶の2色を買うお金がないから)。

ありませんでした。おしいところまでいっている靴はあったんだけどな。

で、帰りがけに。
靴売り場とバッグ売り場って大抵 隣にあるんだよね。バッグ売り場の中に財布売り場もあったりして。
ワゴンセールをやっていて、半分ひやかしでほじくりかえしているうちに、握った感触・大きさ・重さ が心地よく放せなくなってしまった財布があって、
放せないんじゃしかたない、と諦めてかってきました。

やっぱり、手に触れるものが好きだ。
いくつでも欲しくなる。女のひとで、財布を買いかえることが好きでない人などいない、と断言します。

財布と靴と健康器具は、通販で買うべきではない。
また財布と靴と健康器具はプレゼントすべきでない。
そのお気に入り感・フィット感は他人にはわからない微妙なものだから。


さて、一夜あけて冷静に鏡の前で、昨日の福袋の中身を全部身につけてみました。
かわいいOK! うん普通に使えるね 問題外
と昨夜三つにわけてみたのですが、着てみるとまたその分類が変わるのね。

確実に言えることは、お約束通り 正月はわたしを太らせた ということです。
でも OK!組だった 紫のコーデュロイのパンツだけは諦めきれない。
今年の目標は このパンツがはけるようになる、です。




2004年01月05日(月) 消費元年

禁を破って福袋を買ってしまった。
ブレーキがきかなくなり、4つ 買ってしまった。

怖くて袋があけられない。
全部失敗だったらどうしよう。
どうしようって、四万ドブに捨てたってことだ。


禁じていたのは そういうわけだ。
たとえば、おみくじをひくと、ひとつの神社で、最低3つひく。
そのあとお寺さんにはしごする。3つ。その帰りに神社で2つ。

中身のわからないものに熱くなる。なのに軽く遊びだからと諦められない。
自分のバカバカバカ バ カ ・・・・
と幾日も悔やむ、自らを責める。

だから禁じ手にし、福袋のために並ぶ人間をばかにしていたのに。
三が日を過ぎ、並ばずに買えるとなったらこのありさま。
商品券をもって靴を買おうと出かけたのに。
現金はすっからかん、靴は買えず、商品券はそのまま持って帰ってきた。

実をいうと、まだ もっと欲しい。
その心をいましめるために 怖いけど今日買った福袋をあけてみる。


あけてみました。 

今年は衣装にことかかなそうです。
普段着も衣装のように見えても そのことは口にして欲しくない。


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