痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2001年11月30日(金)    サービス

   いろいろ誤解はあってもわたしはわりとサービス精神旺盛な性格です。 
   ムラっ気が欠点といわれながらもその場にいる最大公約数のひとに楽しい
   気持ちでいて欲しいと望むのは民主主義教育の尻尾がまだはえてるせいか
   もしれませんが、どっちかというと他人の暗い思いにものすごく影響され
   やすいので、なるべくそういう空気を吸いたくないからです。
   それからひとに質問したり会話をひきだすのは我ながら上手だなあ、と思
   いますが、逆に質問されたり自分の思いを語ったりするのは苦手です。
   人生でずっとなるべく避けてきた瞬間です。
   だからわたしはパーティーや大勢の飲み会が好きではありません。
   むしろ嫌いです。上手なこと=好きなことではないからです。
   それは生きていく技術で、テクを駆使し上手くマワッテイル瞬間すこしは
   自己満足な喜びもありますが、終わると「なんのためにあんなに・・・」
   「結局は自分のためなんだが・・・」     なんか釈然としないぜ!
   ああ本当に社交生活というもののない世界に生まれてよかった。
   すばらしいホステスとして釈然としないながらも充実した日々と思い込ん
   でサロンなんかひらいていたら!!!
   まあ、こんな想像はどうでもいいや。

   サービス繋がりで思い出した。日本の製造業というのはもう本当にダメな
   んでしょうか。ダメなんだろうな。わたしは職人のつまりは町工場の娘さ
   んなので、身にしみてわかっておりますが。
   だから身びいきで、子供のころからサービス業や情報業やそういうモノを
   つくらない、数字上のやりとりの仕事を斜め白い目でみてきました。
   「自分ではなんにもつくれないくせに・・・」「ヒトがつくったもの使っ
   て(食って)生きてるくせに・・・」くせにくせにとイジケタ気持ちのよ
   うですが、簡単にいうと「えらそうにすんな!」反対にいうと「馬鹿にす
   んな」かなあ。
   もう松下幸之助や本田総一郎の気持ち。そしてちょびっとお百姓さんや最
   低賃金労働者の気持ち。
   そうして皆もうつくるのはヒトにさせて操作したりつくらせたりする側の
   ヒトになって、で今つくっているヒトが今度は別のヒトタチにつくらせて
   誰ももうつくるのはやめたい、っていったらどうなるんでしょ?
   ってまあ音楽やってるんだから虚業もいいところだけど、それはみなさん
   の余裕や楽しみ代から少しお金をわけてもらってるようなもので、ヒトの
   上前をはねるようなことじゃないよね。   
   わたしは政治的思想はないけど、(いやあるけど)それが反体制っぽくみ
   えるとしたら、ミュージシャンや役者によくあるリベラリズムや体制が!
   ってのより、おてんとうさんに顔向けできんことをするな、っていう堅気
   の娘さん(かなり昔の)の発想じゃないかと思うのです。はっ!
   堅気の娘さんがやくざなことをやっている、というのは自己イメージにぴ
   ったりかも!



2001年11月29日(木)    果物ナイフ

   早すぎたおでんブームも去り、毎日なにを食べるか考える間もなく、一日
   一果物週間に突入しました。
   洋ナシ、りんご(王林)、かき、りんご(北斗)、キウイ、かき。
   みかんやグレープフルーツがまわってこないのは、あんまり柑橘類が好き
   でない、すっぱいから、というのとアレらの皮を手で剥くのが好きでない
   から。なによりスジがキライだから。

   むかしから「剥く」行為がすきなのです。この果物週間も、おでんブーム
   時にまいにちじゃがいもの皮を剥いていて、おでん自体には飽きたのです
   が、剥き、の勢いがとまらず、剥きたいがゆえに、剥いてすぐ食べられる
   果物の手がのびたというのが実情です。
   家庭科の調理実習でも毎回野菜の皮むきはわたしの仕事(自薦)でした。
   というのは生魚、生肉に触れない触りたくない、けどなまけずちゃんと
   参加しているよ、という言い訳からだったのですが、やっぱり剥きが好き
   だったみたい。
   イカなら大丈夫だと思ってイカの皮むきを(自薦)やって、握ったとたん
   ギャっと放りだしすっ飛んだイカが隣の班の子の肩の乗っかり、(別の子
   が)洗って作ってくれた八宝菜は味がなかった。(塩を入れ忘れたから)

   それと、先日実家で発掘して隠れ家にもってきた果物ナイフがお気に入り
   あのです。さやが柄と同じ木でできた昔風の果物ナイフ。
   これでりんごや柿をクルクル剥いているといい気分。お姉さんっぽい気分
   です。
   それまで100円ショップで買った包丁なんだか鉄片なんだか、って切れ
   味のブツでゴリゴリ剥いていたので余計です。



2001年11月24日(土)    夢でだいなし

   一人で毎日明るく楽しい気分を保って生きていく。なのにイヤな夢を忘れ
   られず、一日パーになる時もある。
   今日目を覚ますと、うなじが汗でびしょびしょでした。頭の中に「いやだ
   いやだ」と駄々をこねた余韻と痛さと苦しさと所詮他人事である、寒々し
   た苦〜い気分が残っていました。
   どうしてヒトの頭というのは記憶や感情をたしてゆがめてあんなドラマに
   して本人に見せたりするのでしょう。3年も前に心の隅で持ちつづけて、
   否定してきたことを今さら生々しくもういない人に語らせたりするんでし
   ょう。他人がやったら最低の行為だ!って非難されるようなことも、自分
   の脳みそくんの仕業ではどこにも文句がつけられない。

   「もうだめ。あきらめて。あえない。」ということばも、どんな治療でど
   んな痛みでどんな無言だったか、実際には見聞きしていないものを、記憶
   にある匂いや別のときのシチュエーションから頭がでっちあげている。

   二度ねは気持ちいいけど、たまにこんな悪夢にかわることもあります。
   遅刻もしたしね。昼間からビールをのんで、ぜんぜん気持ちよくなれず、
   キャべジンを飲みました。



2001年11月23日(金)    満喫

   もうご想像のとおり、毎日おでんを食べています。
   ★ 今日のおでん ボール、じゃがいも、トマト、厚揚げ

   美味しいつゆを捨てられず、毎日具をたして食べています。
   しかし、そろそろ胃がきびしくなってきたかも。

   そうそう遊んでいると決して料理や洗濯、掃除をしたくならないのですが
   働いているとあれもこれもやりたくなるのは不思議です。
   ターボがかかる。やることを求めて勉強までしてしまう。

   来年はもっと働きます。っていうかまだ脛かじってたんだよね。
   精神的とか甘ちょろいこといってないで、経済的に自立します。
   奨学金なしの留学生な気持ちになります。



2001年11月20日(火)    Mi profesor de espano~l tenia resaca.

   先生は二日酔いだった。今日ならった線過去をつかってみました。
   ああ、過去形。この先未来形もでてくる・・・

   訪日外国人やまあ日本人もエッセイなんかで
   「わたしの国では(外国では)紳士は人前では酔った姿をみせない。まして
   路上で醜態をさらすなど言語道断です。しかるに日本では昼間は大会社でバ
   リバリ働いているひとや大学の先生といわれるような人が夜の街でダメ人間
   になっている。なぜですか。(恥かしい)ああ日本社会はなんというストレ
   ス社会なのだ。」
   「紳士は紳士。酔っ払いは酔っ払いです」
   なんて文章をよく読んだものですが。わたしも昔は「そうだ恥かしいぞ」
   と思ったこともありました。でも
   外国だってアル中はいる。社会的地位のある人だって酒をのむ。影で飲む
   わたしたち日本人は酒に弱い。そして人間は弱いもんだと思っている。
   「日本の夜の街ではたくさんの人が酔いつぶれて倒れていたりするけど、
   みな知らぬふりで助けようとしない。なぜだ(恥かしい)」
   わたしも何度も倒れ伏したことがあるので言いましょう。わたしは、そして
   倒れているおじさんは別に助けてほしくないんだよね。だって今はお酒にや
   られて自分の身体さえコントロールできなくなっているけど、時間さえたて
   ば、昼間の自分にもどれるんだから。今はみっともない自分をお見せしてい
   るのは重々わかっているけど、皆みないふりをしててくれてる。軽蔑の目も
   わたし個人の人格に向けてではなく、羽目をはずしすぎたお馬鹿さんに向か
   っていると知っている。だから少しの間放っておいてください。

   そして次の日になれば青い顔をしていたってそれぞれの場所にあった顔をし
   て職場へ、家庭へもどるわけです。戻れなくなった人々もいるけど、もどる
   限り日本社会はちゃんとした人間として受け入れる。
   自分を終始律することのできる人は立派なひと。でも普通の人間はたまにダ
   メになる。しかたないじゃん。いいじゃん。といったところでしょうか。
   本当はそこまで?と思うけど、やっぱり欧米では酒のみのレッテルを貼ら
   れたら弱いひとダメなひとのクラスの入れられてしまう気がする。
   まああえて階級とはいわなくても住みわけの地図やヒエラルキーがはっきり
   していて簡単に「人間なんてこんなもんじゃない?」と言えない気がする。
   日本は甘え社会だ、という本がいっとき売れてましたが、許されるってこと
   は寛容の心、システムがあるっていうこと。かっこいくはない社会だけどね
   。
   それにしても先生は青い顔をしてました。わたしも先週の土曜はひどかった
   けど。3時間ほどワープしているのは渋谷駅のトイレにいたのかなあ。??

   ★今日のおでん。じゃがいも+うずらボール+トマト。
    トマトが最高でした。
 



2001年11月18日(日)    胃がいたい

   冬は胃痛の季節だそうです。
   またまたキャべジンが手放せない季節になりました。
   体質ってかわらないんだね。
   直ったと思いこんでいた。ばかだった。
   あああああ胃液が自分の胃をやいているのがわかります。
   ビスケットの日々がはじまる。



2001年11月17日(土)    歌っててよかったなあ

   と思うのは、自分のうたをもらったとき。
   オリジナルでもカバーでもリアレンジでも、わたしが歌うということを前
   提に、歌詞をつけられたり、キーを決めたりアレンジを変えたり。
   わたしが歌うから人の耳に届くんだなあ、と感じるとき。
   もちろんマスな人々まで届かなかったり、プレゼン用で世のでなかったり
   するのがたくさんなんだけど、その音楽を構成している要素の1つがわた
   しのボーカルなんだと思うと、ほんとうにうれしいです。
   Me gusta la musica.
   音楽はわたしに喜びをもたらす、よ。

   かつて薄々わかっていたのに、世俗の成功や野望がくすぶって日本語英語
   でシンガーソングライターになればもっともうかる!
   とか思ったこともあったけど、やっぱり自分はクリエイターではないので
   すね。表現者の中にもいろんな向き不向きがあって、どこをどう探っても
   自分だけのオリジナルを世に発表したい、具体的にはこんなの、
   ってのがないんですね。でもまあクリエイターにはつくれるけど表現は苦
   手ってひとも結構いたりして、わたしはわりといい伝達者みたいんなんで
   今後もその道でがんばろうと思います。
   つくる人の方がえらい!って意識は自分でもまだわりとあって、つい
   「歌ってるだけですから・・・はは」とか言ってしまう時も多いのですが、
   譜面からまざまざと曲のイメージが聴き取れるなんて人は特別に音楽教育
   をみっちりうけた人だけで、普通は耳で聞かなきゃどんな曲かさえわから
   ない。そこでつくった人から聞く人の間を橋渡しするのが演奏者や歌手で
   曲のもつ力や聴く人のイマジネーションさえ左右してしまうのですね。
   おもしろくてやめられません。



2001年11月14日(水)    相撲がすきだ

   誰ものってくれない話題。大相撲。今日も大相撲ダイジェストを見ながら
   若手を応援しつつ栃東をみまもり武蔵丸にはらはらし、誰とも語りあえな
   い寂しさをかみしめる。
   一番はラジオ。2番NHK。3番というか最低が衛星放送。音に臨場感がない
   んだよね。そしてラジオはアナウンサーが一番プロなのよ。

   不思議なイタ電。携帯に着信があり、東京市街局番の普通電話だったので、
   折り返しかけてみたら。エロのテープが流れてるだけでした。?
   趣味?転送されてQ2になったりしているの?

   さてさてクリスマスですね。
   予定はまったくありません。なくなったといっておこう。働こうか遊ぼう
   か、誰と?ってところから考えよう。わくわく。



2001年11月13日(火)    さえない

   悦子姐さんのお湯割は濃ゆいので、半分の薄さでね、って始めに言ったの
   に、飲み語るうちに同じになって最後は7:3くらいになってたんじゃない
   ?わたしの寝酒の特選梅酒も飲んでしまい、喉の乾きに目覚めたらまだ
   6時半で、寝なおしたらば2時まで寝てしまい、まくらが変な位置にあっ
   て軽く寝違えて一日頭が痛い。頭というか首の根元。resacaではないのよ。

   さえないデー。好奇心で買ったエジプト産インスタントコーヒーはおいし
   くないし、歯磨きしてすぐ飲んだミルクティーは腐っていると思いこむほ
   どマズイ。ボケッとして地下鉄の上りと下りをまちがえた。大手町で気付
   いてよかったざんす。100円ショップのウェットティッシュはミシン目
   でちゃんと切れない。
   毎週楽しみなスペイン語教室もいまいち閃きもなく、だいたい飲み屋に宴
   会の予約に行ってなぜ誰もビールの1杯でも飲もうと言い出さないのだ。
   いや、私も今日は言い出す元気がなかった。しかし誘われたら飲むつもり
   でした。日本人っぽい?誘われればいつでも飲むつもりです。誰かがお酒
   を飲まないか、と言うということは一人飲む気分ではないということで、
   でもお酒は飲みたいわけで、その気持ちに答えるのが酒好きの気概ではな
   いか。でもみんなワタシより忙しいのよね。ワタシは忙しくない人生を選
   んだので、いつでも誘われれば借金してでも飲むつもりですよ。幸い身上
   つぶすほどお酒に強くないのでよかったです。

   好きだ、という気持ちの動きはどうしても「わたしは」「わたしが」○○
   を好きだ。と、こっちの心が○○に寄って行くカンジを持っていたので、
   スペイン語のgustarに不思議感を持っています。
   Me gusta la musica. わたしは音楽が好きだ。なんだけど直訳だと音楽
   はわたしを喜ばせる。なんとなくわたしが音楽に吸い寄せられる、という
   より、音楽の抗いがたい魅力やなにかがわたしの心に入りこむ、ってかん
   じがしませんか?最初は好きだという主体的な意志はどうしたんだ、indi
   vidualismoなスペイン人らしくないぜ!と思っていたのですが、考えると
   自分はドーンとそこにあって対人間にはamarとかquererとかで愛する、好
   きだ、っていっておいて他のモノには人間が第一、人間を喜ばせるもので
   あるぞ、ってのはやっぱりソレっぽいのかなあ、と思っちゃったりして。
   どっちにしろ外国語を理解するのにまず母国語の感覚を通らないといけな
   いのでオトナになってからの語学習得は余計な段階を踏むね。考えすぎる
   わけですね。○○ぞおかし、ってかんじがするんだよな。gustarって。

   あ、でも日本語にも明治までloveに価することばはなかったというし、英
   語圏のひとのアングロサクソンな感覚に染まっているのかしら。
   そう、好きという心の動きはどっちからなのかしら。そのモノの存在がな
   ければ、知らないものは好きになれないし発見し興味から執着になったり
   する心はたしかに自分のものなんだけど、○○が○○であるゆえにわたし
   の心を動かすのだとしたら、gustarはバッチリグーなことばなのかも。
   では人は・・・双方向を望む&相手にも自分と同じような過程で心が動く
   と尊重して違うことばを使うのかなあ。Te quero.
   ところでわたしは彼を好きなのかしら?彼の魅力がわたしの心を動かして
   いるのかしら?それとも積極的に欲しいと思っているのかしら?
   自分のことではないか!とお嘆きの貴兄に〈菊正宗)問いたい。秤の傾き
   はどうであれ、いや重要だけどね、双方向に魅力を感じあわずには先に進
   む気にはならんではないですか。ということは彼はわたしを好きかしらっ
   てことがわたしは知りたいってことなんですね。
   結論は中学生なみでしたがはじまりは皆そこ、と悦子姐さんも言っていた
   。考えることが好きなヒトは面倒だとも。でも簡単なことってつまんない
   じゃないですか。
   そんなことを考え一人で寝酒を飲み一人で眠る。さえないデー。毎日。
   これがオチ? ショボーン。



2001年11月12日(月)    かえる

   rana はかえるのことです。スペイン語。女性名詞だから la rana
   エルのすぐあとアールだからちょっと発音難しい。
   先週しりました。あいかわらずチョボチョボスペイン語を勉強しています。
   大好きなかえるですがあえて調べようと思わなかったのでわかったときは
   うれしかったです。

   大好きな往年の女優にラナ・ターナーがいます。すっごい迫力のある美人
   なんだけど、彼女が現役バリバリ大スターだったときも、スペイン語圏の
   ひとは、「ププ、かえるだって・・・」と思っていたのかなあ。
   あれでも彼女は Lana だったけな?



2001年11月09日(金)    がまんできず

   自分でおでんを煮てみました。
   じゃがいもだけ5個。
   胃弱なので練り物はあんまり好きだけど苦手なのよね。
   ただのじゃがいも煮のようですが、おでんのつゆの元で煮たのでおでんな
   の。
   おかしい。メイクイーンは煮崩れないんじゃなかったっけ?
   ポテトポタージュのように・・・
   でもおいしい!おいしいもで次は男爵かきたあかりでやってみましょう。
   残ったつゆで今日はちくわぶを煮てみました。
   1本煮てみて何個目であきるかやってみました。
   三角を3個たべるともう今日はもうちくわぶはいい、と感じるようです。
   明日はなにを足してみようかな。
   大根?
   どこまでもおでんから遠い。



2001年11月08日(木)    男気と以心伝心

   って面倒くさい。あのアフガンの派兵、どこまで実戦に近づくか、とかさ、
   国際社会の責任を果たす、ってところがさ。国会のおじさん達が熱弁して
   いると「いいじゃん女々しくても」「日本は女々しくてもやっぱり戦争に
   加担したくないし、この先も銃後でやれることをやります」って言えない
   んだろうなあ、と思います。
   男らしい責任のとり方をできないこの国の憲法は恥ずかしい、って聞こえ
   ます。ほら女だから。アフガンも男だけで動かしてるし国際社会も男気の
   世界だもんね。
   まあ男の本能ってわかんないし、女には。なんでそんなに雄は縄張り意識
   が強いんでしょう。うちのタロウ君もすごかったな。
   でもやっぱり力をしめすコトが大事な生存意義なのでしょう。

   どうして日記なんか書いてネットに流しているんでしょう。
   よく他のひとの日記にも自慰行為とか自己満足とかかいてあるけど、まあ
   そんなもんなんでしょう。
   でも最近思ったのは、amiが死んでからなんでも説明しないとわかりあえ
   ないのがつまんないな、ってこと。
   よく小学生の仲良しとかって小さなサークルのなかで毎日顔をあわせて同
   じことやってるから、朝、顔をみた瞬間おんなじこと思い出してわらった
   り、電話しようと思っているとかかってきたり、あそこで遊んでるかな、
   って思うとやっぱりアポなんかなしで会えたり。したよね。
   amiとは大人になってもそうだったからイナクナッタいま思いついたり考
   えてたりすることの半分くらいは説明するのがたるくて口にださずしまっ
   てあって、大抵枯れるか腐っちゃう。
   そのほんの少しの開放というか、のわりに大したことは書いてないような
   気もするけど、そうだよね、わたしも今かんがえていたよ、っていうシン
   パシーが欲しいのかも。
   そのわりに一方通行ではないか、との声も聞こえそうだけど、amiとだっ
   て結局は無言の受け止めを欲していたようにも思います。
   ああでもあの手紙は宝物だね。「どうしてわかったの?」
   ってわかるに決まってる。好きだからだよ。あなたのことを考えていたか
   らですよ。あなたがわたしに望んだこと。喜ばせようとして、でもほんと
   うはそんなに驚きでもなかったでしょう。
   いまラジオからエンリコの恋心が流れてきました。amiの十八番でした。
   これがシンパシー。   



2001年11月07日(水)    自嘲癖はいけない。より恥ずかしい。

   でも癖だから。
  
   昨日はおでんに熱弁をふるったけど、今日は銀杏よ。また大家さんにたく
   さんもらったのです。うちの大家さんは狩猟採集民族なので、我が隠れ家
   には秋になるとしいたけや柿やまだ臭い銀杏とかが玄関先に広げられてた
   り階段からぶらさがってたりしてかっこ悪いのですが、下町の路地だから
   まあいいや。しかし、先日どうも窓をあけておくとやたらに小バエが入っ
   てくるので、なんだ、と思ったら敷地いっぱいに「いなご」が干してあっ
   たのには驚きました。どこで捕ってきたんだ!
   いなごはおすそわけしてくれなかったので助かりました。しかしあんなに
   大量に。1年で消化できるのだろうか。

   おっと銀杏でした。こじゃれたおでんに銀杏串がはいっている時があるけ
   ど、反対よ。銀杏は煎るもの。煮ちゃだめ。食べるけどね。
   茶碗蒸の銀杏はだれにもあげないけどね。銀杏は紙封筒にいれてレンジで
   3回パンていうまで加熱すると簡単に焦げずにたべられますよ。


   題名は。自分を笑い飛ばす性根のない奴とはおつきあいできないけど、
   常に自分の言ったこと思ったことに茶々をいれる奴は臆病者だってこと。
   わたしのことだす。

   イチョウは日本と中国大陸の一部にしかない、ってむかし聞いたんだけど、
   ということは銀杏もないの?銀杏は何語でも gin-nan なのかな?
   今度スペイン語教室できいてみましょう。



2001年11月06日(火)    ほんとうのおでん

   を探しもとめている。どこにあるのか。
   第1に煮こみがたりない。あっさり金色のスープはほんものじゃない。
   もっとつゆをいれてください、のつゆをみかけない。
   それからわたしは東京のこどもだったので、肉類はタネとして必要ない。
   好きキライとして煮た肉はきらいだ。肉は焼くと揚げる。
   いや肉のはなしはイイ。
   たまにマスタードの袋をつけてくるところがあるけど、いうまでもなく
   最低。fatal。からしはマスタードと違う。
   とここでほんとうのおでんなんてものはただのノスタルジイで昔はよかっ
   たモノの1つではないかという例によっての疑惑がわく。

   だいだいおでんやさんは屋台をひいてチリンチリンと鐘を鳴らしながら
   夕方やってくるもので何時にくるのかわからない。毎日くるわけでもな
   い。今食べたい!と思っても無理なときはダメで、鐘のおとが聞こえた
   ら財布をもってダッシュしなければ食べられない。財布っていうか、
   おかあさんおでんかうからお金ちょうだい、ってとこから始めないとだ
   めで、大抵夕ご飯前だから100円しかもらえない。遊びに行った先で
   たまたまおでんやさんと巡り合えても、おこずかいはいいとこ100円
   くらいしか持ってないから、3種類をくしに刺してもらうぐらいしか食
   られなかったのだ。別に家族全体として袋にいれてもらう、おかずとし
   て鍋にいれてもらうというのがあったけど、これはおばさん買い。
   おでんダネは20〜30種くらいあったからそこから3種選ぶのはもう
   ものすご〜く迷うんだけど50円以上の高いのは(しゅうまい巻きとか
   ぎょうざ巻き&フランクフルト)家族買いの時にまかせわたしのばやい
   カレーボールとはんぺんとちくわぶとじゃがいものうち3種とおまけの
   こぶ、といったところのローテーションでした。
   くしに刺した煮込まれたじゃがいもを食べるのは大変むつかしい。
   何度か地べたに落として泣きそうになりました。

   あ〜やっぱりノスタルジイなのかな。高校生になって同じおでんやさんか
   ら金にものをいわせて袋いっぱい買ったら消化不良で一晩苦しんだし。
   でも今のおでんってネタが少ないよね。ねりもの専門店にはいっぱいあ
   るかと思ったらそうでもなかった。おでんも売ってたけど、つゆがなあ。
   薄いわけじゃないんだけど、パンチがない。おでんだねってあぶらっこ
   いからもっとしっかりしてほしいのよ。つゆには。
   かといってうちのおでんはあくまでもうちのごはんの余興ってかんじな
   のよ。
   ほんもののおでんはくしに刺して、つゆに浸ってなくても全然OKな実力
   のあるつゆで煮込まれているのだ。

   ノスタルジイついでに、おでんやさんは女の子をお嬢ちゃん男の子を坊ち
   ゃんと呼んでました。



2001年11月01日(木)    ベッド

   実家のベッドを買い換えました。
   前のは子供の頃から使っていたものなので、20年ぶりです。
   あらためて分解してみるとボロでした。
   今度のベッドは畳ベッド。硬くていいかんじです。
   しかし床はフローリングでベッドが畳。へんなの。
   これが人生最後のベッド購入になるかも。
   はっ! 結婚するかも、という可能性が今まったく浮かんでいませんでし
   た。しょぼーん。反省。

   子供の頃はベットと言っていたなあ。


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