フーチーひとりごと。
もくじ|昔に戻る|先へ進む
淋しい気持ちになる時ってどんな時? 回りに誰もいないとき?大好きな人と会いたくても会えない時? 「人は淋しがり過ぎ」って誰かが言ってたけどそうかも。 なんでもなくても淋しくなろうと思えばなれる。 でも、俺が本当に淋しいって思った時。
大好きな人と一緒にいて絶対淋しくないのにその時に 感じた淋しさが今までで一番の淋しい気持ちだった。
その後、ぽんたと彼女が会っているのか連絡しているのか知らないけど、 俺の前で彼女の話しをすることはなくなった。 俺も、あの件については全部吐き出したので、それ以上何も聞いてない。 もちろん俺と彼女はもう2度と会う事はない。
自分だけが傷つけられてるわけじゃない、同時に自分も誰かを 傷つけてる。傷つけないようにと下手な気を使うと、後でもっと 大きな傷を与えてしまうこと。
これがこのトライアングルで涙まで流してわかったことでした。
以上
俺は恋愛が全てだなんて思ってない。生きてく中で恋愛をしている時間ってのは確かに何か普段なら出ないパワーが出ることはあるから、それはスゴイことやと思うけど、恋愛を中心に生活してるわけじゃなくて、生活の中にぽんたがいるってだけのことなのに、それを「バカらしい」と言われたら・・・。 それに、俺はぽんたと彼女が会う事を止めたことは1度もない。正直に言えば、 いい気はしてなかったけど、それはぽんたと彼女との付き合いやから恋人と言えどもそこは介入すべきではないと思うし、束縛する気もない。なのに、あたかも俺がぽんたを縛って、彼女と会わせないようにしてるようなことを言われてはたまらなかった。冗談で、ぽんたを貸してあげるよって言ったことはあるけど、ぽんたは俺の持ち物じゃない。 どんな気持ちで俺が2人が会う事に黙ってきたか、それをこんな風にいわれて俺かなりムカツイた。正直言うと。俺はこの頃ぽんたと別れることも考えていた。 言ってもわからない彼女と、はっきり彼女にそれが言えないぽんたにイライラして 俺はこんなにしんどい思いするくらいなら、別れた方がいいかもと。 けど、それは思っただけ。俺は何も悪いことしてない。最初にウソついたのは悪かったけど、ぽんたを好きだということ、ぽんたの彼であるということは全然悪くない。彼女に対しても悪いなんて思わない。だから俺は、守ることにした。 俺の気持ちを。俺の性格はどちらかといえば、1歩ひいて多少貧乏クジでもあえてそれを選ぶ方だけど、今回は違う。絶対に俺。俺の気持ちが一番。ぽんたにも「はっきり言わないオマエが悪い」と言ったし、彼女にもハッキリ言った。どうなるかわからんかったけど、俺は感情のまま全部吐き出した。この時はじめてぽんたの前で涙を見せてしまったのだが。
数ヶ月後、俺とぽんたに別々に手紙がきた。ぽんたには会える気がするが、 俺にはまだ会えないという。俺はそれでよかったぽんたと彼女が仲直り できるのなら。しかし、問題はそんなに簡単なこんじゃなかった。 会わない時間で相手に対する気持ちの整理をするのは簡単かも知れないが、会ってしまえば、どうなるかわからない。 ぽんたと彼女が再び会うようになって、ぽんたは俺に気をつかって「こんど彼女とあうね」と彼女と会う前に聞くようになった。俺はぽんたの交友関係に口出しすることはないし、たとえ彼女であっても俺は止めた事はないし、ぽんたとの約束がある日でも絶対っていいう日じゃなければぽんたの友達(彼女に限らず)を優先させてきたゆもりだった。 そして、ぽんたの誕生日前後にぽんたが「彼女からもらってん」と某有名ブランドの腕時計を見せてくれた。俺の金銭感覚のズレかもしれないけど、「ぽんたへの恋愛感情がなくなって友達として会えるようになるまでは会わない」と言って、再び会う事を選んだ彼女。友達として、ブランド物の時計をプレゼントするのはどうなん?俺ならいくらお金があってもそんなことはしないだろう。 そして、俺は彼女に「本当にぽんたへの気持ちに整理がついてるのか」とかなり単刀直入に聞いた。ぽんたへの気持ちがなくなってからって言ってたから俺も別に何も言わなかったけど、俺はまだぽんたへの気持ちがあると思うけど」と言うと、 「100%なくなったといえばウソになるけど、フーチーだって好きだった人への想いを完全になくすことできる?恋愛がすべてだなんてバカらしい。いつでもぽんたを貸してあげるっていうけど、私は私でぽんたに会うし、いつも一緒にいるんだからたまには私を会う時間をくれてもいいんじゃない?」と、本音には本音で答えが返ってきた。
その後は彼女と会う機会がなかったので俺はあまり気にしなかったが、ある日 どうしてもひっかかる事があるからぽんたに聞いてみた。 彼女は俺がゲイであることはぽんたから聞いて知っているし、なのになぜ 俺を恋人として紹介できないのかと。 「ぽんたに恋人ができたら私はぽんたと友達でいられないって言われた」と ぽんたは言った。 なんでそれを先に言ってくれなかったんや?って思ったけど、もうわかった からそれ以上のことは聞かなかった。 その後は彼女と俺の付き合いもはじまり、俺は彼女からぽんたに対する想い とかも聞かされてきた。それを聞くたびに俺は「この関係は続かない」って 思っていた。関係もそうだが、俺の気持ちも張り裂けそうだったから。 そして、俺はぽんたに言った。「この関係は絶対続かない。いつかは本当の ことを言わなければいけない」と。そして、俺はぽんたと2人で彼女に 本当のことを伝えた。彼女は「そうなん」って平気そうな顔してたけど、 心中は穏やかではないことはわかっていた。 後日、彼女から俺に手紙が届いた。 「そうなんじゃないかと思ってた。でもぽんたの口から聞くまでは・・・。」 だましてた事への批判と俺ともぽんたとも距離を置くという内容の手紙が。 彼女はぽんたにとってはカミンング・アウトするくらい信頼できる人だから 俺はその間を引き裂く気なんて毛頭ないから俺が悪者になれば2人の間は 保たれると思っていたけど、彼女はぽんたへの気持ちに整理がつくまでは ぽんたに会わないと言った。
もう、後へはひきかえせない。俺は彼女の前ではぽんたとは友達でいなければ ならない。彼女のぽんたへの思いを目の当たりにしながらそれを黙認しな ければならない事態を自ら招いてしまった。あれは確実に嫉妬だった。頭 だけでなく体全体が反応するほどの。そして、自分でも不思議なくらいに 冷静にやりすごした3人での時間。もちろん、頭と口は全く別のことを 考えていた。喋ったことすら覚えてない。 彼女と別れぽんたとの車の中、俺はぽんたに聞いた。 「なんで服を買ったこと話してん」と。俺はぽんたに2万円の服を買ってあげ てたから、さっきその話しを彼女にしていたのを思い出して。 「なんでって?」 「普通、友達相手に2万円もする服をなんでもない時に買ってやるか!?」とちょっとキツク言った。 「だって、うれしかってんもん・・・」泣きながら言うぽんたに追い討ちをかけるように俺は、 「友達として紹介したならオマエもそのことちゃんと考えろ」と怒鳴っていた。 冷静に話そうと思っていたのに、いつのまにか俺の頭にはさっきのことが浮かんで きて感情をモロに出してしまった。
三角関係っていう程のもんじゃないけど、俺の彼には女友達がいる。 俺にもいるけど、ただの友達っていうのじゃなくて、恋心絡みの。 彼女とぽんた(彼)は俺がぽんたに知り合う前からの友達で、話しには 聞いていた。彼女にカミング・アウトしたら受け入れてくれた。と言って たので、俺もよかったなと思っていた。 ある日、3人で会うことになった。しかし、俺はぽんたから「恋人」で あることを口止めされた。理由は聞かなかったけど、気にはなっていた。 まぁ、ぽんたも何か理由があって言っているのだろうし、それを咎める こともなく3人は顔を合わせた。 そして、ぽんたがトイレに立った時、彼女が俺に「ぽんたの事好き」と 俺に言ってきた。俺はその瞬間味わったことのない感情に、吐き気まで 感じた。しかし、俺はぽんたとの約束があったから「へ〜、そうなん」と 答えてしまった。俺はこの先3人で付き合っていけたらいいなと思っていた し、ぽんたの考えもあるし、でも、本当の事言うなら今しかないとも思うし、 返事をするまでのたった1秒間の間にあらゆることを考えた。が、出た変事が それだった。
自分のことを「僕」って言う人と「俺」っていう人がいる。 俺は「俺」って言うけど、「僕」って言う人はそれだけでなんとなくカワイイ。 でも、この「ひとりごと」の若い日付の物には「僕」って言ってるのがあります。 これは、書き言葉と話言葉の違いであって、ある日突然「僕」から「俺」になったわけじゃないです。 普段、俺は「俺」って言ってるからこのHPもいつもの喋り言葉で書いていこうと思って、ある時点から俺になってます。 ぽんたも「俺」って言います。
そして、「オマエ」について。 俺はポンタを「オマエ」って呼ぶけど、ぽんたは俺を名前で呼ぶ。もちろんいつもオマエって言ってるわけじゃなくてぽんたを名前で呼ぶ事もある。
友達の中にも「オマエ」って呼ぶ人がいるけど、これは結構勇気いります。他人に「オマエ」呼ばわりされてもそれを許せる仲になっていないと、軽い嫌悪感すら抱いてしまいますからね。 俺が使う「オマエ」は、決して上からでも、偉そうになってるわけでもなく 最上級の「愛してるぜ」の表現なのです。
まだ18だったか、19だったかの頃俺はとにかく自分を守ることを先に考えていた。ゲイであることが周りにバレないように、周りの友達にも黙ってきた。 まぁ、「おまえホモか?」って聞かれることなんてなかったから言わない限りバレないけど、それでも、もしそう聞かれたら「違う」って言ってたかも。
こういうウソじゃなくて、バーとか行って知り会った人に名前を聞かれてウソの名前を言ってしまったことがある。 当時は本名を名乗る事=バレル危険ありと思っていたこともあり、過剰なまでに防衛していた。 そして、俺はその彼をすごく好きになってしまう。名前はウソ言っておきながら電話番号は交換するというよくわからん行動をとってたけど、それだけその人とまた会いたいって思ってたから。
凄い後悔したね、こんだけ好きな人にウソの名前を言ってることが。 その後その状況に苦しくなり、本名を名乗りました。理由も。 彼は「確かに不安はあるかも知れんけど、そんなに悪い人ばかりじゃないで」って言ってくれました。 それ以来、こんなことはないけど、今になって思えば、むやみにプライバシーを公表するもんじゃないけど、全てに疑ってかかるのも良くないなと思いました。
最近毎日のように、幼児虐待に関するニュースが流れてくる。ぽんたとメシ食ってる時も「またも幼児虐待のニュースです・・・」ってテレビから聞こえてくる。ぽんたはしっかり画面見て「かわいそうなことすんな」とか言ってるけど、俺はテレビの画面も見ないし、声もあまり聞かないようにする。「フーチーはどう思う?全然興味ないん?」ってぽんたに言われてもそれでも見ない。
幼児虐待のニュースは今に始まったことじゃない。俺ははじめの頃、そのニュースをみてどうしようもなくイライラしてた。「なんで自分の子供を自分の手で殺す事ができるんや?」「生まれてまだ何も知らないまま親の感情のコントロール不足の犠牲になっていく子供達がかわいそう」だと。だからそれ以来、見ないようにしてる。
見ないようにしている。現実から目をそらせていることはわかってるけど、どうしたらいいんだろう?ドメスティックなこのような問題には法も手を入れにくい。しかし、法改正のためにこれ以上犠牲になる子供達が必要なのか?
例えば、自分の口で助けを求められる年齢になるまでは、定期的に医者の定期検診を強制にすれば、発育障害であったり、外傷なども見つけられる。その後医者は行政と連絡をとり、問題がありそうな家庭については、必要な処置をとる。
法のおかげで立ち入り調査もままならない今の状況では、家庭の内部で起こっていることはなかなか把握しにくい。子供を一時的に保護したとしても、引き取りにくれば返してしまう。人間の感情なんか他の病気みたいに治療してすぐに治るもんじゃない。短期間のうちに子供は、虐待されてもそれでも大好きな親のもとへ戻り、最悪な結果をむかえることも多々ある。
虐待される側の保護もそうだが、虐待する側のメンタルな部分のケアが出来る場所を作って行かなければこの問題は永遠に続いていくのではないのだろうか?
2001年02月06日(火) |
ノンケを好きになって・・・。 |
ゲイの友達から「ノンケを好きになったけどどうしたらいい?」って相談された。 「とりあえず、自分がゲイである事を告白すべき」って言ったけど、これは過去の俺の経験からのアドバイス。 俺も今までにたったひとりだけ、大好きなノンケがいる。もう5年くらいずっと友達でいるけど、今でも大好き。2人でスキー旅行いったり、2人でクリスマスを過ごしたり、夜中に突然ドライヴいったり。彼がゲイなのか、ノンケなのかは知らないけど、そんなことは問題じゃなくてただそういう時間がとても嬉しかった。 何度となく彼にはゲイであることを告白しようと思ったが、結局言いそびれてしまい、今も言えないでいる。 学生時代のことやから、今となっては頻繁に会う事もないから、わざわざ言う必要もないかなと思ってたけど、この相談受けてからちょっと言ってみようと思った。
|