フーチーひとりごと。
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2000年05月03日(水) LOVE GOES ON・・・

「どんな時も両手広げて抱きしめてくれるあなたが好き」

ドリカムの歌にこんなフレーズがあります。ドリカムの曲は女の子目線でかかれた曲が多いですが、その歌に出てくる女の子には、片思いであったり、恋人であったり、別れた彼であったり、形はどうであれ男の人が存在するわけです。

僕は、そこにでてくる彼のようになれたらなと思います。この、「LOVE GOES ON...」にでてくる彼、はきっと海のように広く深い愛でどんなときでも彼女を包みこめる彼なんだろうな。
僕もぽん太にとってそういう彼でありたいと思ってる。でもね、現実はちょっと違ってるなぁ。ぽん太の前で泣いた事ある。ぽん太の前では泣きたくなかったけど、かなり感情がたかぶってて気付いたら・・・。

気付いたら抱きしめられた(笑)「逆やん」って思ったけど、凄くホッとしたのを覚えてます。ポン太も俺も映画みて泣く事はあっても普段は泣くことなんてないからどれだけ相手が思いつめていたかがよくわかる。恋人の前では泣きたくない、弱いところを見せたくないというプライドと、恋人だからこそ見せて欲しいさらけ出した心の奥を。

お互いがこんな気持ちを持ってるんやろなって思う。ぽん太を抱きしめる時、僕はいつも、あったか〜い気持ちになる。これって、抱きしめてる僕がぽん太に抱きしめられてるんかなって思うね。ということは、僕も、どんな時も両手広げてぽん太のこと抱きしめてるってことなんかな?


2000年05月02日(火) 男が男を愛するとき2

男と男が付き合うと、どっちかが男でどっちかが女みたいな役割分担があるんじゃないかと思われがちだけど、実際はそうじゃない事の方が多いと思います。

全てのゲイカップル、レズビアンカップルがそうではないけど、僕達はお互い相手をちゃんと「男」として見てる。年だって1こしか違わないから下にも上にも思わないけど、甘える甘えられるで言えば、ぽん太は甘えるね。僕は、過去の恋愛経験から甘えるよりも甘えられる方が素直な自分でいられるって分かったから、この関係はすごく居心地がいい。

男の子には男の子にしかないカワイさってのがあって、僕はそのカワイさに弱い。これは言葉では説明できないけど、彼女、彼がいる方なら、その人が持ってるカワイさって知ってるように、僕もちゃんと彼のカワイさを知ってるからこうして好きでいつづけてるんやと思う。

「好きな人がいて、相手も自分のことを好きならそれだけで充分やん」って、今だからそう思えるけど昔は「常識」とか、「普通なら」ってことに悩まされたなぁ。もし、コレを読んでる人の中にそういう、ことで悩んでる人がいたら、解決にはならないかも知れないけど、話せる場があるってことだけでも心のどこかに覚えていて欲しいな。ゲイである事は決して間違ったことじゃないし、病気でもなんでもないよ。安心して自分の気持ちに素直に生きてほしいな。うん。

男が男を愛するとき。
であり、
人が人を愛するとき。
だと思う。


2000年05月01日(月) 男が男を愛するとき

男が男を好きになるってこと、タブーとされてるけど、タブーなんかなぁ。子孫を残し人類を絶やさないようにという使命があるなら僕はその使命に逆らっているかも知れません。

でもね「人を愛するという事は使命でも義務でもなくて誰にも縛る事のできない心がするものだから僕の心であっても縛ることはできない」って難しく考えてるわけじゃないけど、はじめて「好きやな」って思ったのは男の子でした。中学生になっても、高校生になっても。

周りの友達に「彼女」という存在が出来始めた頃から、急にゲイである自分に不安や疑問を感じる時期がありました。その頃に丁度良くというか、彼女ができました。周りからすれば恋人に見えたとは思うけど、僕は彼女に対して「好き」という感情から先に続く感情がなく、彼女と付き合っていながらも恋愛対象が男の人に向いていることはハッキリしてた。
だから、こんな気持ちのまま彼女と付き合うのは彼女を騙してるきがして卒業を機に別れました。本当の理由を言えないままに。

高校時代にはじめて「彼」ができました。その時に凄く安心したのを覚えてます。
「自分だけじゃなかったんだ」と。そして、ゲイである自分を受け入れる事ができ、ゲイであることについては悩みはなくなりました。


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