探す記憶 - 2006年04月19日(水) 読みかけの本を閉じて探した 部屋の中を探した あまり開けない引出しの中を 郵便受けの中を 部屋を出て自転車に乗った 表通りを探した 路地裏も探した 近くの山に登って 町を見下ろして探した よく行く喫茶店の前を通り過ぎ お気に入りの本屋の前を通り過ぎ 行ったり来たり 行ったり来たり 探してまわるほど大事なものを 持っていただろうか 見つからないように 逃げていたのだろうか 人影のない公園の滑り台に登った ブランコは風に揺れもしない 夕暮れが夜の気配に紛れていった - 未来からの応答 - 2006年04月07日(金) ある誠実な老人が言った。 「私は間違っているのでしょうか」と。 人生をかけて人間の幸せのためにと、 行動してきた人だった。 その声は震え、涙に頬は濡れていた。 「間違いであるはずがない」と、私は叫びたかった。 人のために良かれと思い生きてきた人に、 貴方は正しいと、心の底から言ってあげたい。 正しかったというわけではない。 貴方は正しいのだ。 過ちを過ちとして受け止め、 狂ったように流れる人の流れに一石を投じ、 ほんの僅かでも過ちを正そうと、 老いた体に鞭打ち、今でも懸命に働いているのだから。 心無い人たちは言う、「結果を見たまえ」と。 勇気を失った人たちが言う、「諦めるしかない」と。 恐怖に震える人たちは、ああ、もう考えることができない。 自分さえ持たない人たちが続けた、「仕方ないじゃないか」と。 老人は、繰り返し訴えてきた。 向かえる明日には、過ちを犯さないがために。 小さな笑顔のために。互いの幸せのために。 言葉は、堅い。 時には身近なものを傷つけ、遠くには届かない。 けれども他に何ができよう。 正しいと思えることを口にし、 ぶつかりぶつけ傷つき傷つけながら、 私たちは生きるしかないではないか。 そうやって一から始めて学んで行くしかないではないか。 人間の全てがそうやってきたではないか。 誰もが幸せを求めて生きるのであれば、 それを誰が間違っていると言えるのだろうか。 全てが終わることの無い途中である時、 誰が結果を知らしめられるであろうか。 けれども、歴然としているではないか。 終わることのない途中であることが。 輪廻の中で喜びを求めることが。 過ちに学び、今日を知り、未来に望む。 ああ、今、貴方は正しい。 明日の貴方が振り返り、昨日の貴方を励ましてくれ。 貴方の過ちこそが、貴方を未来へと導いている。 今日の貴方の正しさが、私の足元を照らしている。 私の過ちである貴方が、今日の私となる。 未来は、私たちのものだ! 老人は泣きながら問うた。 「私は間違っているのでしょうか」と。 未来は笑顔でもって応えるだろう。 「貴方は正しかった」と。 -
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