diary



2011年04月28日(木)


4月15〜17日

両親と3人で四国旅行。
初、四国上陸。
私は2月3月と頑張って働いてた分の代休をくっつけて
4連休。
「親孝行旅行?」と聞かれたけど
いいえ、親のすねかじり旅行です。

初日、瀬戸大橋を通って念願のさぬきうどん。
調子に乗って2玉食べたらさすがにおなかいっぱい。
その後、栗林公園でお庭散策して
金比羅さんへ。
なんかいかにも古の観光地って感じで
雰囲気も合って良かった。
石段は思ったよりも全然楽だった。
石段は登りきった後
一段降りるごとにひとつ悩みがきえるんだそうな。
宿は、細やかな気遣いが感じられて
良いとこだった。
夕飯は点数つけるなら68点くらい、と
きもち物足りなかったけど
バラ風呂とか、マッサージとか堪能して
就寝。

2日目
丸亀城に行って、意外にのんびり観光して
東洋のマチュピチュというふれこみに惑わされて
別子銅山へ。
ほんとに?ほんとにこんな山道登るの?
いったいどれだけ登れば着くの?
と途中不安になりながら到着。
これがマチュピチュ?と思いながらも
よく考えれば私、本物のマチュピチュって名前だけで
どんな感じかはっきり知らないや。
今はなんだか人気も少なくて寂しい感じだけど
かつては集落、というよりもひとつの街が会って
1万人以上もの人がこんな山奥の天空で暮らしてたらしい。
それを想像すると、マチュピチュというよりも
ラピュタみたいだと思った。
そして想像以上に立派な資料館が無料で公開されてて
財閥の力ってすごいんだなぁと。
丸亀城に続き、思いのほか見応えが合って
予定よりも遅くに、道後温泉に向けて出発。
道後温泉着。
温泉街の雰囲気と、道後温泉本館の風情を楽しみながら
散策して
ホテルで夕食、温泉に浸かって就寝。

3日目
道後温泉に別れを告げ、松山城へ。
山の上にあり、天気も良かったので見晴らしも良くて
かなり気持ちよかった。
見応えもばっちり。
松山は想像よりもずっと都会だった。
が、そんな松山観光もする余裕も無く
向かうはしまなみ街道。
ずっと行きたかったんだよね。
天気が良かったから途中ですれ違う自転車の人たちが
かなりきもち良さそうだった。
大三島で降りて、ヒラメ料理を堪能。
そして島らしいおみやげにテンション上がり、
上がったついでに、ちょっと時間的に無理して
伯方の塩の工場見学。
塩の工場ってちょっと特殊で面白かった。
ほんとは稼働してる時にもう少し時間かけて見たかったな。
塩ソフト食べて、帰路。

両親と3人で旅行なんて初めてかも。
親の歳を感じつつも
楽しかったな。
またどっか行けたらいいな。



2011年04月01日(金)

2月中くらいから続いてた
結構苦しかった仕事がとりあえずどうにかまとまって
評判は上々で
続いてすぐにちょっとボリュームのある仕事もらって
ちょっときついなと思いつつも
成長期だから、と自分に言い聞かせて
気張って頑張っている。
そして今日から社会人5年生。
お給料一向に上がりそうも無いけど。
久々に部署に新しい人が来て
社内も色々変化が合って
春らしくちょっとソワソワ。


一方、
大学の後輩で
就職したばっかりの時によく遊んでいた後輩が
大学院を経てついに卒業。
ずいぶん久しぶりに飲みに行ったけど
なんか飲んでたら、
毎週のように一緒に飲んでた頃を思い出して
もうあれから5年も経ってるんだ、と思って
色々楽しかったな〜、とちょっと感傷的に。
彼も東京進出ということで
今までみたいに何か有れば「飲もうよ」とは
もうならないんだなぁ。
なんか、寂しい・・・、というか切ない?
自分の学生時代も終わった気がする。
(いや、とっくに終わってはいたんだけど)
同じ頃、よく飲んでた先輩も、
今はもう名古屋にいないし。


友達も、先輩も後輩も
結婚したり子供生まれたり、
就職したり、転職したり、名古屋離れたり、
なんだかみんな前進んでる気がするなぁ。
そして自分だけ変化無く留まってる気がするなぁ。


仕事、生活、人間関係、
新居、地震、原発、
友達の結婚、会社の制度改正
うまく回るもの回らないもの
色んな事がありすぎて
考えきれないせいかもしれないけど
うーん・・・
なんか私、このままただ歳だけとってく気がする。
それでいいのか、私。


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