Robin's Nest

目次

日々思ったことを徒然と。
ワーキングホリデーを使ってニュージーランドへ行きます。
ここにも準備の様子など書きますが、別でBLOGを立ち上げました。こちらを優先的に書いていきます。 ワーホリについてはこちらをご覧ください。
『わちログ=NZワーホリ紀行=

 2003年10月30日(木) 政治とかマニュフェストとか
たまにはマジメな話を。
最近、政治家さんたちが会社の前とか駅の前で演説をやっている。どうも僕自身、選挙とか政治に興味がない。なんて言えばいいのかな、政治に対しての知識が全くなくてほとんど言ってる言葉に現実味を感じないんだよね。変に冷めた目で「この人はホントに国を良くしたいから政治家になったのかな?」とか考えてしまう。「お金のためかな?」とか「名声・名誉のためかな?」とか考えてしまう。
現実的な話としてそういう人は沢山いる(はず)。そういう人たちが今よりもっと増えていったらどんな時代が来るんだろう。これってある意味、民主主義の崩壊に繋がることなんじゃないかな。それでいいのかな。ダメだよな。
何でそういう人たちが増えてきたのかな?と考えてみた。きっと学校で学ぶ「社会科」が原因何じゃないかな。小中高と学校で習う歴史は縄文時代から始まって鎌倉時代、江戸時代、明治維新くらいまでは比較的ちゃんと授業をする。でも、第1次世界大戦が始まるくらいに春休みが来て「あとは教科書をよく読んでおくように」とか先生が言って授業は終わる。でも、本当は1学期2学期が過去の話で3学期は現代の世界情勢とか政治について勉強をするべきなんじゃないかな。
たとえば。今Yahoo!で“政党”という言葉で検索すると

  • 公明党
  • 社会民主党
  • 自由党
  • 自由民主党
  • 自由連合
  • 新社会党
  • スポーツ平和党
  • 第二院クラブ
  • 日本共産党
  • 日本福祉党

    などなど出てくる。それぞれにはそれぞれの言い分とか何か方向性があって活動している。でも、それらを少しでも理解している人がどれだけいるだろう。最近「マニュフェスト」という言葉をよく見る。公約をハッキリとした明確なビジョンで目標、財源、実施時期をもって示すことらしいです。これは今までの抽象的で達成することができなくても「ま、いっか」的な終わり方をさせてしまうものではなくて、ビジョンをハッキリさせることで公約に責任が発生するものらしい。詳しくはネットで探してみてください。
    いままで“抽象的なビジョン”だったから政治離れが起きたとネットで書いている人もいた。実際、僕自身もそれはあると思う。その人たちがどんな人たちでなにをしようとしているのか、それがわからないうちは投票に行くことも支持することもできないと思うわけです。
    あと30年とか40年してこの状態が悪化したら、民主主義は崩壊するでしょう。そのときどんな社会になってるのか。ちょっと楽しみのような怖いような。

    と、マジメな話でした。
    あ、“マニュフェスト”で検索してきた人。ごめんなさい。内容薄くて。
  •  2003年10月28日(火) 心の締め出し
    なんかうまく文章を書くことができない。自分の中で思っていることは、たくさんある。次の仕事のこと、今の仕事のこと、減給のこと、社内の人間関係のことなどなどなど。なんかどの話も前向きじゃなくて後ろ向き。いやぁ〜な暗い内容ばかり。愚痴っぽくなるから書きたくないんだよね。

    少し気持ちが内側へ入って行ってるような気がする。そういうのが顕著に出るのが休みの日。外に気持ちが向いているときは誰と会うわけでもなくブラブラとどこかへ出かける。でも気持ちが内側を向いているとプチ引きこもり状態になってしまう。今週だって予定がなくなったら家でジーッとしていた。誰とも話をしたくないって言うのかな。違うな。今自分の気持ちを内側へ持って行っている原因と繋がりがあったり、そのことを知っている人と話をしたくないのかもしれない。重い人はイヤだなぁ〜と思う。良くないよね。良くない。
    そんなことを書きながら会社での自分の心の開き方を変えようと思う。「コイツなに考えてるのかわからない」って言われてもいいから心を閉ざそうと思う。開くのはゴク限られた人。
    なんでそんなことを思うのか。今回の減給について納得いかないし心を許せる人だけに話をして訴えてやろう!と言っていた。実際会社がやってることは違法だしお金をぶんどることを目的とするんじゃなくて本来もらえるべきお金を取り返そう!と話していた。それがどこかから情報が漏れたらしく今、なにげに2chで僕のことが書かれている。(ちょっとだけね)どこから漏れたかわからない。何となくは見当が付くけど確信はない。訴えようと思う気持ちは変えないけど、これ以上誰かにそのことは言わない。話をするのは表面的なことだけ。完全に気持ちを外に出しちゃおう。
    自分で言うのも変だけど気持ちの締め出しはけっこう得意。表面的にはいつもと同じかもしれないけど核心については触れなくなる。ある意味バカに徹するっていうのかな。この会社を辞めて、それでも繋がりを持つ人は少ないと思う。数人はいるけどみんなじゃない。訴えるための行動と就職活動は会社にとって知られてはいけない情報だと思っている。その情報を漏らさないためにも、それと訴えよう!と一緒に言ってくれている人たちのためにも心を締め出そう。

     2003年10月26日(日) 『僕』と『オレ』
    前は日記を書くとき『オレ』と書いていた。それは実際にしゃべるとき『オレ』だからだ。でも、あるときなぜか覚えていないけど『僕』と書くようになった。それはすごく自然に当たり前のように。
    そうするとだんだん困ってきた。現実の僕を知ってる人でこの日記のアドレスを知っている人にメールを出すとき『僕』なのか『オレ』なのかで迷う。読む人はそんなこと全然気にしていないんだと思うけどね。自分の中でうまく線を引けないのが気持ち悪い。いっそのことしゃべるのも全部『僕』にするっていう手もあるけど、ちょっとねぇ。
    転職したとき、それを機に『僕』で通してみようかな。

     2003年10月23日(木) ありえない
    給料改定が発表になった。一言で言うなら「ありえない」って感じ。月の給料が額面で2万減ってる。しかもこの給料、実際は4〜5万下がったことになっている。何でかというと。
    退職金制度がなくなり退職金に相当するものを毎月分割でもらうようになるんだけど、それ込みでマイナス2万円。ってことは計算してみるとマイナス4〜5万ってことになる。そんなのってありえない。ただでさえ、今の仕事に疑問を感じていたのに、この給料じゃ話にならないよ。
    ということでこの仕事を辞めることはほぼ決定かな。次の仕事ほんとに今すぐでも探さなきゃ。
    次の仕事を考える。今までは余り具体性がなくて漠然と何か次を探さないとなぁ〜程度のものだった。でも、そうもいかなくなってきたから具体的に考えないと。どこまで自分のやりたいことを目指すのか。どこまで「これは仕事だから」と割り切れるのか。その辺なんだろうな。やりたいことばっかりを求めていると生活なんてできなくなっちゃう。だけど「仕事だから」と割り切る仕事にも限界があるしね。そのバランスが大事なんだろうな。どうしよう。ホントに。ホントに

     2003年10月17日(金) 運命論者じゃないけど
    村上春樹の小説「国境の南、太陽の西」を今読んでいる。その中にこんな話がある。

    三十になって僕は結婚をした。僕は夏休みに一人で旅行をしているときに彼女と出会った。彼女は僕より五歳年下だった。田舎道を散歩していると突然激しい雨が降り出して、雨宿りに飛び込んだところに、たまたま彼女と彼女の女友だちがいたのだ。僕らは三人ともぐっしょ濡れになっていて、そんな気安さで雨が上がるまであれこれと世間話をしているうちに仲良くなった。もしそこで雨が降らなかったら、あるいはもし僕がそのとき傘を持っていたら(それはあり得ることだった。僕は傘を持っていこうかどうしようか、ホテルを出るときにけっこう迷ったのだから)、僕は彼女とめぐり会わなかったはずだ。そしてもし彼女とめぐり会うことがなかったなら、僕は今でも教科書の会社に勤めていて、夜になると一人でアパートの部屋の壁にもたれて独り言を言いながら酒を飲んでいたのかもしれない。そういうことを考えると僕はいつも、我々は本当に限られた可能性の中でしか生きていないのだという事実を思い知らされる事になる。

    そう。本当にそう思う。僕は前にも書いたかもしれないけど運命論者なんかじゃないけど、偶然っていうものはないんじゃないかな?と思っている。すべては必然の中にあって偶然だと思っていた事もすべて来るべくして来る、あるべくしてあるものなんじゃないだろうか。ただ、僕が思うのは道は一つではないと思っている。そのときそのときに選択肢があってどれを僕が選ぶかそれは自分で決める事だと思う。たとえば上の文章でいえば、「傘を持っていく」「傘を持っていかない」という選択肢が提示されていた。そして主人公は「傘を持っていかない」という選択肢を選んだ。それはその二つの選択肢が提示された時点で次の事は決まっているのかもしれないと考えている。
    そういう選択肢が一日の中で何百も何千もあって自分の人生は成り立っているのではないだろうか。ただ小さい些細な選択肢とかじゃなく、「絶対に今、こっちに流れている」と感じるときはある。それは自分が選ぶとか選ばない以前の問題として神様(もしいたとしたら)はこっちに持っていきたいんだろうな、と感じる。



    自分で書くのも変だけど、この日記で「神様」なんて言う言葉が出てくるとは思っていなかったな。
    今日はこれから帰宅。はぁ、お腹すいた。

     2003年10月16日(木) 将来のビジョン
    またまた仕事の話である。今日、個人面談をやった。部長さんと直属の上司と3人で。話の内容はこれから3ヶ月先までの暫定給料を決めるためにこちらが提出した書類についてだ。向こうが言う話は会社からは、
    1)上からは経費節減のために給料改定をやる
    2)給与改定だけでなく、人員削減もある
    3)さらに人事異動もあるかもしれない。
    という話をされているらしい。
    ただ、うちの部署としては
    1)給与を減らしたくない
    2)うちの部署は誰も減らさず、異動もなしにしたい。
    という話だった。ただ、その話の中でそうは言っても給与削減とか人員削減をさせないようにすることができるとは言い切れない。だから、それぞれが会社にとって必要な人材だとアピールできるように、提出した書類を加筆修正して欲しいと言われた。その加筆修正する内容として将来のビジョンとか「こんな事をやりたい」ということを書いてないのは辛い。だから修正して欲しいとのことだった。事実、僕は何をやってきたかについては書いたけど、これから何をしたいと言うことについては全く触れていなかった。確かに「あ、書いてない」と思ったのは事実。でも、僕はこの会社に将来のビジョンを持つことができないでいる。その場で「こうしたい」と言わなければいけなかったんだけど「あ〜」とか「う〜」とか言うばかりだった。その歯切れの悪さに上司たちはかなりイラだっていたみたいだ。
    今、辞めることは逃げることになるのかもしれない。たとえば給料減らしていいのなら逃げることは簡単だ。明日から会社に行かないでバイトでもしていればいいのだから。でも、転職って基本的にステップアップのものだと思っている。後退は有り得ない。そこで僕自身、今のビジョンが見えない状態に困惑しながらもこの会社で働くべきなのか、急いで何か次の仕事を探した方が良いのかわからないでいる。誰かに相談すればきっと「イヤだったら辞めちゃえばいい」って言う人が多いだろう。変な話誰かに相談しても答えは3パターンくらいで期待はしない方がいいかな?と思っている。ん、こうやって書くとスゴく周りの人に対して失礼だな。

    将来のビジョン。今の仕事を続けるか続けないかも含めてハッキリさせないと。

     2003年10月15日(水) 転職サイト
    最近、会社を辞めることについてばかり書いている。もともとそういう事は書かない日記のつもりだったんだけどね。なかなかそうもいかないものだ。
    会社が倒産してリセットされてから約3ヶ月。沢山の人たちが辞めていった。ヒドい人は会社へ行ったら当日「君は明日から来なくて良い」って言われた。一体何人の人が辞めていったのか数えてみたらすぐに思い出せる人だけで12人辞めている。何人が自主退社で何人が解雇なのかはわからない。それにしてもたった3ヶ月で10人以上の人が次々と辞めていってしまう会社ってどうなんだろう。

    今日また社内のある人が辞めるという情報が入ってその人と直接話をした。その人は、とある転職サイトで仕事を見つけたらしい。今まで転職すると言えば、方法は2つしかないと思っていた。
    (1)
    人づて(コネ)で転職する
    (2)
    情報誌や、それとほぼイコールのネット情報を見て企業に直接電話をする。
    この2つ以外は稀なケースだと思っていた。ところが「え?そんなことも知らなかったの?」なんて言われちゃいそうだけど最近はそうじゃなくて、ネットで登録して面接して…とするのがあるんだね。
    今日帰ったら登録するから、登録したらその模様をここでレポートしていきたいと思う。

     2003年10月13日(月) 3連休
    三連休の間、なんだかダラダラと過ごしてしまった。最初の日はひたすら家でダラダラ。新百合ヶ丘まで原付で行ってビデオを借りた。「古畑任三郎の3巻」「はねるのとびら(お笑い)」の2本。古畑任三郎は時々ビデオを借りてみているんだけど、何度見ても面白い。今回借りたのは、板東八十助、桃井かおり、小堺一機の回。小堺一機の回を見ていたら携帯電話が出てきたんだけど、もの凄い携帯電話だった。角張っていて馬鹿でかくて。
    土曜日はビデオを見たくらいで、あとは昼寝をしたくらいかな。

    日曜日は久しぶりの友達に会った。一年ぶりくらいだったんだけど、あんまりその時間差を感じなく楽しかった。お昼を食べてビリヤードしてダーツして。初めてダーツをしたんだけど結構面白い。その後は場所を変えてご飯を食べて帰ってきた。

    そして今日。本当は今日、出かける予定だったんだけど雨が降っていて断念。ひたすら家でダラダラして過ごした。

    ※古畑くらいまではちゃんと書いていたんだけど、パワーダウン。なんか書くのだるくなって断念。

     2003年10月09日(木) 風の歌を聴け / アサガオ / 文章を書くと言うこと
    ■風の歌を聴け
    アンダーグラウンド読み終わりました。というより読むのやめちゃいました。わかっていたことなんだけど、ずっと重い話が続きすぎて続き読めなくなっちゃった。被害者の方々、インタビューに答えた方々がこの文章を読んだら「気分悪!」って思うかもしれないけど、話も単調で…。どれも違う話だけど同じ話って言えば同じ話なんだよね。
    と言うわけで、昨日から同じ村上春樹の「風の歌を聴け」を読み始めて、今日から「1973年のピンボール」を読み始めた。村上春樹の小説って何度も読み返しているけど、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」はあまり読んでいない。一番最初に村上春樹の小説を片っ端から読み始めたときも一番最後の2作品だった気がする。別に嫌いじゃなんだけどね。なぜか他のもっと好きな作品を先に読んでしまう。

    ○風の歌を聴け
    この小説を読むといつも「不思議だな」って感じる。思うんじゃなくて感じる。こんな文章を書いている人に村上春樹も言われたくないと思うだろうけど、あんまり文章は上手じゃない。書いてあることもけっこうバラバラだし。それでも何か惹きつけるものがあって今でも読んでいる。きっと賛否両論な作品だったんじゃないかな。
    村上春樹の小説を良く読む人ならわかると思うが、小説の中でよく「井戸」が出てくる。この「風の歌を聴け」の中にも「井戸」はやっぱり出てくる。
    ある青年が火星にある井戸へ潜り地上に出たときには15億年時間が経っているという話。それについて僕自身は特別なメッセージを読みとることができなかったんだけど、「井戸」は最初から村上春樹の小説に登場している。


    ■アサガオ
    前にも日記に書いたかもしれないが。
    今年の冬、マンションの入り口にアサガオの種をまいた。近所を散歩していたときに見つけたアサガオから種を取って家の前にまいた。その花が夏咲いて、そろそろ収穫だと思っていた矢先にマンションの清掃の人たちに刈られてしまった。来年はマンションの周りをアサガオだらけにしてやろうと計画していたのに。


    ■文章を書くと言うこと
    自分の文章を読み返してみる。そうすると書いているときには気が付かなかったようなことにたくさん気が付く。誤字脱字だったり意味不明だったり。きっと今日、今書いている文章だってあとから読んだら意味不明なのかもしれない。当たり前の話かもしれないけど、これだけずっと文章を書いていても、文章がうまくなることはない。
    うまくなるためには自分の書いた文章を見つめ直して、何度も何度も書き直しをしなくてはいけないと思っている。磨きをかけるっていうのかな、煮詰めるっていうのかな。でも、僕が今書いている文章は垂れ流し。一度書いたら書き直すことのない文章。だから、意味不明で当たり前なのかもしれない。それと人の文章から書き方を学ぶということもしていない。自分の世界で完結している。
    僕は今、文章を書いている。それは誰のためでもなく自分のために。と、思いこんでいる。それだって本当はどこまでが自分のためでどこまでが読んでくれている人たちのためなのかわからない。読んでくれている人たちがどんな文書を期待しているのかなんてわからない。そもそも期待なんてしていないと思う。それでも、僕は文章を書いている。


     2003年10月06日(月) 等々力渓谷
    等々力渓谷公園へ行って来た。以前から名前だけ知っていていつか行ってみたい公園のうちの一つだった。この日もやっぱりバイクに乗って行ってきた。家から少し迷いながら40分。電車で行くと1時間以上かかるからやっぱりバイクの方が時間がかからない。
    公園に着いたのが2時くらい。10月にもなると日が落ちるのも早くてこの時間で、すでに夕暮れっぽい感じがしていた。渓谷にはいるとスーッと涼しい空気が流れてきて町中とは思えない静かな雰囲気が漂っていた。写真を近いうちに公開します
    行ってみて感想。
    すごくいい場所だけど周りになんにもなくて、等々力渓谷だけで一日時間をつぶすのは難しそう。ゆっくりくつろげるようなスペースがあれば、また少し違うのかもしれないけどね。散歩とかコースの一つとしてあるには十分楽しめるかな。そんな感じ。


    フッと思ったんだけど、この日記って誰のために書いてるんだろう?自分のために書いているようで読んでくれている人に向けて書いているようで。不思議な文章。どこかのサイトにリンクをしてみたり、読んでくれる人がわかるように書こうとしてみたり。

     2003年10月03日(金) サリン事件 / 心の窓
    昨日、久々に早く帰った。と言っても家に着いたのが9時すぎだけど。家に帰ってテレビを見ていると『あの歴史的重大事件と闘った医師たち』と言う番組番組が始まって見ていると「サリン事件」についてやっていた。番組の内容はホームページを見てもらいたいんだけど、番組のタイトル通り事件のとき医師がどう動いてどう対処したかを取り上げる番組だった。なんかその番組を見ていてちょっと怖くなった。
    前の日記でも書いているけど今、村上春樹の「アンダーグラウンド」という本を読んでいる。「アンダーグラウンド」という本は村上春樹自身がサリン事件の被害者に直接インタビューしてまとめたもので、村上春樹の小説は好きだけど避けてきたものだった。(○前の日記
    それを急に読みたくなったと思ったら、今度はテレビでサリン事件のことをテレビでやっている。今まで気が付かなかっただけで時々テレビでやっていたのかな?とも思うけどそうでもなさそうな気もする。何か「今読む時期」と誰かに後押しされてような感じがした。
    「アンダーグラウンド」を読んでいたら、また村上春樹の小説を読みたくなってきた。ちょっと気持ちのバランスをとるためにも。


    ■心の窓
    心の窓が狭くなっている、そんな気がする。何かを見てキレイだなぁって思うことはあっても立ち止まって、手で触って写真を撮ることが減っている。通り過ぎてしまったり気が付かなかったり。
    別にキレイな物を見てキレイだなぁって思うことが良いことだと思わない。良い悪いっていう話ではないと思っている。でも、自分の中で今まで感じることができて今、感じることができなくなっているのなら、それは何か欠けてしまったのかな?と思うわけです。
    それが何かわからないけど、無理矢理心の窓を開ける作業を明日か明後日してみます。それが吉と出るか凶と出るか。ちょっと楽しみ。

     2003年10月02日(木) 夜中にツタヤへ
    昨日、仕事が終わって家に帰ってからバイクで狛江にあるツタヤまで行ってきた。電車だと歩きも入れて20分以上かかる場所がバイクで行くとたった10分で着く。なんかバイクが来て行動範囲が一気に広がった感じがする。
    昨日、ツタヤに行ったのはよくお昼を食べに行くお店でいつも流れているCDを買いたかったから。「Heroine」っていう映画音楽を集めたやつで「ノッティングヒルの恋人」とか「ゴースト」とか「ブリジットジョーンズの日記」の主題歌が入っている。何かしているときにBGMとして流すにはちょうど良さそうなアルバム。

    仕事が少し落ち着いてきた。前回ほどの忙しさはないにしてもやっぱりここ数日毎日帰宅時間は0時をこえている。今日あたり早く帰れたらなぁ〜なんて思うんだけどどうだろう。

    くろ
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