Robin's Nest

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日々思ったことを徒然と。
ワーキングホリデーを使ってニュージーランドへ行きます。
ここにも準備の様子など書きますが、別でBLOGを立ち上げました。こちらを優先的に書いていきます。 ワーホリについてはこちらをご覧ください。
『わちログ=NZワーホリ紀行=

 2003年02月24日(月) 不安定
昨日の夜から妙に気持ちが不安定になっている。
妙にイライラしたり、脱力感を感じたり、悲しくなったり。
前に書いた仕事(会社)のせいなのかな。それとも
全然違うことなのかな。

もし、全然違うことだったら完全な無意識の世界だ。
本人まったく意識していない世界が原因で不安定に
なっている。

朝から雨が降っている。
こういうときは普段より気持ちが落ちやすいから
気を付けないと。と、言っても会社の人たちと接して
いれば、その間は気持ちの均衡保てる。

時間があれば、恵比寿まで歩いて帰ろう。
気持ちが落ち気味の時は歩くのがいい。歩いて
アレコレ考えると気持ちが少しは落ち着く。
今は家にまっすぐ帰らないで1人でいる時間を増やしたい。
誰にも邪魔されずに考えたりボーっとしたりする時間が
必要だ。

今日は早めの出社。あと10分もすればみんな出社して
くる。今週は忙しそうだ。会社つぶれるなら早くつぶれないかな。
= 9:15 =

 2003年02月23日(日) スプートニクの恋人
村上春樹の小説「スプートニクの恋人」を読み終えた。
初めて読んだんじゃなくて3回目くらい。本屋で文庫が
平積みされていて急に読みたくなった。

この小説を読むといつも同じ場所で手が止まる。
文中でこんなシーンがある。
----以下引用----
「もしあなたが、誰かと一緒に車で長い旅行をするとするわね。
 パートナーを組んで、ときどき運転を交代する。それでは
 そういう場合にあなたは、相手としてどちらのタイプを選ぶ
 かしら。運転がうまいけれど注意深くない人と、運転はあまり
 うまくないけど注意深い人と」
「あとの方ですね」と僕は答えた。
「わたしも同じ」と彼女は言った。「こういうのもたぶんそれと
 同じものじゃないかしら。うまいとか下手とか、器用だとか
 器用じゃないとか、そんなのはたいして重要じゃないのよ。
 わたしはそう思うわ。注意深くなる。---それが一番大事な
 ことよ。心を落ち着けて、色んなものごとに注意深く耳を
 澄ませること」
「耳を澄ませる?」とぼくは聞いた。
彼女は微笑んだだけで何も言わなかった。
------------------

いつもここで手が止まる。
それについて考え始める。注意深くなること。耳を澄ませること。
耳を澄ませること?どういうのが耳を澄ませることなのか、よく
わからないけど、自分の中のテーマとしてずっとある。

別の村上春樹の小説の中で、良い知らせは小さな音(声かな)で
ささやかれるって書いてあった。だから、耳を澄ませるべきなのかな。

よくわからないけど、耳はいつでも澄ましていよう。

 2003年02月20日(木) 考えよう
あまりこの日記で暗い話とか愚痴とかは
書きたくない。というより書かないようにしている。
でも、今考えていることを言葉として残しておこう。

今、会社がまずいらしい。まずいというのは
傾きかけている。今月は大丈夫でも来月は
危ないかも?とか、そういう次元の話。

お金がない→流通に製品を入れたい→
深く考えられていない製品を出す。2個パックとか
古い製品の名前を変えたりして新製品として出す。
そうやって毎月毎月、傾かないようにしている。

今自分がやっている仕事の性質上、製品が
増えると製作物がその分だけ増える。一つ一つに
かける時間は短くなるけど、その製品に対する
思い入れとかはなくなる。
そうすれば必然的に仕事は楽しくなくなる。ただ作る
だけの機械と変わらない。

傾く前に仕事を変えるかもしれない。
今すぐ就職活動をするってわけじゃないけどいつでも
動けるようにするかもしれない。
というより、動けるようにするだろう。

スーツを買うか。
今の仕事になってスーツを着なくなったから就活には
必要でしょ。5月末に結婚する人の披露宴(だったかな?)に
誘われているし、いい機会かもしれない。

じゃあ、次の仕事何ができるのか。
同じ業界だと技術も知識も中途半端だから、生きていけない
かもしれない。これをやりました!って強く言えるものがない。
短期だったら販売員をやるか。派遣。給料いいのかな。
誰かに一回、聞いてみよう。

 2003年02月18日(火) ここのサイトを
ここのサイトを、とある現実の自分を知っている人に
教えようと思った。けっこう最近まで考えた。
たいした写真じゃないけど、自分の撮った写真を
見てもらいたくて。自分の書いた文章を読んでもらい
たくて。でも、結局教えないことにした。

正確には、その人に教えて欲しいって言われて
いるわけじゃない。でも、そんな事を考えた。

ここのサイトはあまり現実の自分を知っている人には
教えていない。一時期、作りたての頃に教えていたけど
今は教えていない。
それは、現実の自分とここの(サイト内の)自分とで
バランスが取れなくなりそうだったから。
心の中を見られているスースーとした感じがするから。


誰かにネットの日記ってなんのために書いてるの?とか
自己満足のため?とかあまり良いイメージを持っていない
聞かれ方をした。
その時なんて答えたのかよく覚えていないけど、あとで
考えてみた。なんのためだろうって。

僕の場合、普通にノートとか日記帳に日記を書くのと
同じ感覚で書いている。その日おこったことを書くというより
その時その時に考えたことを書く感じ。
そうやって文章を書いていくことで、自分の気持ちとか
考えていることを整理する。
アレコレ考えちゃうときは、特に効果的。書き出してみると
意外と少ないことがわかる。

それとネットで公開していて、書いている文章に共感を
持ってくれる人がいたら(そんな人いるかわからないけど)
それは、それでいいかな?と。
誰かを励ましたり、誰かに励まして欲しいっていうんじゃ
なくて、副産物的な感じで、そういうのがあってもいいと
思う。

なんだかうまく締めくくれないけど、いろいろ考えた。

 2003年02月05日(水) 怒る
人にキツい言い方をしたり、怒ったりすると
なんであんなに凹むんだろう。
誰かに怒られたり、悲しい映画を見たときより
ずっと凹んでいるような気がする。

きついことを言っているときの自分って
人の目にどう映っているのか、考えたりする。
すごく嫌味で陰湿な怒り方をしているように
感じたり、ヒステリックにキーって怒っているよう
にも感じたりする。

上手な怒り方ってどんななんだろう。
さとすように怒るのもある。とにかくひたすら強く
怒るのもある。どれが正しいとかはない。
きっと相性なのかな?とも思う。
強く言う人と強く言われないとダメな人。
さとす人とさとす怒られ方が向いている人。
それが逆になっちゃうと、強く怒って再起不能なくらい
凹んじゃったり、さとすように怒って自分が怒られて
いるかどうか理解すらできない人がいたり。

臨機応変に使い分けれる人が一番いいのかも
しれないけど、なかなかそういう人はいない。

でも、自分のことを考えた時どっちのタイプの
怒り方もできていないと思う。

誰かを怒ったとき、注意したとき、いつも
同じ壁にぶつかって考えさせられる。

くろ
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