こぎとえるごすむ
思う事・日常の出来事をウダウダと書きます。
「テメエふざけんな!」と思っても暖かい目で見て下さいね。

苦情は受け付けません。イヤだから。

2010年10月29日(金) 占い

あの日から、占いを見なくなった。
これまで、毎日決まった2つの占いを見ていた。
 
占いどおりに行動したり、
ラッキーカラーの服を着たりしてはいなかったけど、
占い自体に一喜一憂したりしてた。
 
あの日の占いは最高に良かった。
 
二度と見るかあんなもん。



2010年10月26日(火) なかったのにな

諸事情により葬式は行われていませんでした。
今日、日程が決まったと連絡があった。
 
「参加出来ますか?」
 
もちろん参加します。
その為に出張も回避したんです。
 
平日なので有給休暇とりました。
 
そう言えば、
先週末、もう一度警察の事情聴取があると言っていたのに連絡は無かった。
警察も意外といい加減だな。
 
色々と思い返してると、気がつくことがある。
あいつは、R&Bが好きだった。
洋楽しか聴かなかった。
 
”意外だなぁ”と思っていた。
 
8月末だったかな?
長期出張前に家に来たとき、突然聞かれた。
 
「浜田省吾の”片想い”って曲知ってる?」
 
知らなかった。

「昔よく聞いてたの。暗いでしょ。」
 
なんて、笑いながら言ってた。
 
のんきに俺は「俺は尾崎派だったからなぁ」等とテキトーなことを言っていた。
でも、あいつが昔の話しするなんて珍しいな、と思ってた。
なので、この出来事自体は良く覚えていた。
 
R&Bしか聞いてないあいつが”浜田省吾”を話題に出す時点で気がつくべきだったのかもしれない。
 
正直、「片想い」って曲名も覚えてなかった。
”何だっけな?”と思いながら、曲を調べた。
 
曲をYoutubeで見つけて愕然とした。
あいつは自分を投影してたのかな?
 
考えすぎかな?
 
 
- 片想い -          

あの人のことなど もう忘れたいよ
だって どんなに想いを寄せても
遠く叶わぬ恋なら

気がついた時には もう愛していた
もっと早く「さよなら・・・」言えたなら
こんなに辛くは なかったのに

あゝせめて一度だけでも
その愛しい腕の中で
「このまま 傍に居て 夜が明けるまで」と
泣けたなら

あゝ肩寄せ歩く恋人達
すれ違う帰り道
寂しさ風のように
いやされぬ心を もて遊ぶ

あの人の微笑み やさしさだけだと
知っていたのに それだけでいいはずなのに
愛を求めた 片想い
愛を求めた 片想い





片想いなんかじゃなかったのにな。



2010年10月24日(日) Too Late

まさにこんな気分。
特に、1番(?)が、


Too Late Too Late
作詞:松井五郎
作曲:玉置浩二

Now it's too late too late
さよならも まだとどかない

いまも耳に
消えない声
泣きたいのに
涙がもうない
悲しくなるだけ

Now it's too late too late
遠すぎて もう二度と 逢えないけど
Too late too late
さよならも まだとどかない

きみと見てた
あの夏の日
想いだせる
涙があるなら
こころに返して

Now it's too late too late
遠すぎて もう二度と 逢えないけど
Too late too late
さよならも まだとどかない

Now it's too late too late
遠すぎて もう二度と 逢えないけど
Too late too late
さよならも まだとどかない



2010年10月23日(土) 遠く

たった1週間前の出来事とは思えないほど、遠く感じる。
あいつの居た日々は、もっと遠くに感じる。
 
悲しさは変わらないけど、涙は出なくなってきた。
それでも、たまに何かのきっかけで悲しくなる。
すこし不安定。
 
でも、だんだん整理されてきた感じ。
先週は、頭の中全体に散らばっていたが
今週は頭の一部に集められている感じ。
 
先週は、それしか考えられなかったけど
今週は、ほかの事を考えることが出来る。
 
決して忘れたり、減ったりしてないが、
1箇所に集められたので、他の事を考えるスペースが頭の中にある感じ。
 
幸いにも、仕事が忙しいので、
考えなければいけない他の事もたくさんある。
 
それでも、家に一人でいると考えてしまう。
 
だから、寝るときは酒の力を借りている。
でも、そもそも私は酒が強いほうではないので、
すぐに酔って寝てしまう。

そのせいか、夢も見ない。
夢に見ることも無い。



2010年10月16日(土) 後悔と感謝

土曜日の朝が来た。
粛々と時間は過ぎていく。
 
しかし、次にやるべき事が決まっていると言うのは助かる。
次にやる事を考え続ければよいからだ。
 
何もやる事が無いと色々な事を考えてしまう。
 
斎場に着いた。
早く着きすぎた。
 
いつも約束の時間にすこし遅れる俺に不満顔なあいつを思い出して苦笑する。
 
まずやってきたのは、あいつとお母さんだった。
 
あいつの棺に続いて、焼き場の前室に着く。
お母さんに手紙のお願いをすると快く許してくれた。
 
本当に、本当に、良いご両親で、何で本当にもっと早く会いに行かなかったか後悔した。
 
すぐにお父さんやお兄さんや近しい親族が揃った。
ここに参加できる事を本当に感謝した。
 
棺を焼き場に入れる時に、お兄さんが呼び止めた。
タバコを入れてやっていた。
 
俺も昨夜考えていたが、忘れていた。
お兄さんが用意してくれていたならば、おれが入れなくて良かったかな。
 
約2時間の待ち時間を親族に混ざって過ごした。
お姉さんが気を遣って俺に話しかけてくれた。
 
あいつが俺に出会う前に別の幸せに囲まれていた頃の写真をもらった。
俺の知っているあいつとは違ったが、幸せそうな、良い顔をしていた。
 
あいつは写真を嫌がった。
「今はやつれてるから、もう少し体調が戻ったら」
 
嫌でも何でも写真をもっと撮っておけばよかった。
 
唯一残っている写真は、去年の夏に車の助手席座って
いきなり撮ったので驚いている顔とそのあと微笑んでいる顔。
 
これも撮った後に携帯の待ち受けにしてたら、消すように言われた。
でも、誤魔化して携帯のメモリーに保存していた。
 
その顔とまた別の幸せそうな顔をしていた。
 
2時間掛かると言われていたが、実際は1時間ほどで終了した。
痩せてたからなぁ。
 
ありがたい事に、俺にも骨を拾わせてくれた。 
骨は白く、そして形も綺麗に残っていた。
 
以前、焼き場に立ち会った時に、係員が「悪い所は骨に色が残る」とか色々講釈するのに腹を立てた覚えがある。
どうも、それはどこの地方でも言われるようで、親族の人も言っていた。
 
でも、あいつの骨は真っ白だった。
 
係員の人も、色も綺麗で形も綺麗に残っていた。
骨の部位を説明しながら骨を納めて行く。
 
最後に頭蓋骨を納めて終了した。
 
あいつはお母さんに抱かれていた。
 
お父さんが「君の車で家まで送ってくれないか」と言ってくれた。
俺は骨壷を受け取り俺の車まで歩いた。
 
やっとあいつを抱きしめる事が出来た。
強く強く抱きしめてやった。
 
車の助手席にお母さんがあいつを抱えて乗った。
精進落しを兼ねて食事をしに行く。
 
道すがら、お母さんからあいつの子供の頃からの話を聞く。
また、俺と出会ってからの事も色々話してくれた。
 
俺は全然あいつの事が分っていなかった。
申し訳なさと後悔で泣くしかなかった。
 
でも、まさか涙で事故するわけには行かないから、
ハンドルを握りつぶすほど握り締めて耐えた。
 
お店に着くと、あいつは車に置いて行くと言う。
外から見えないように、助手席の足元に置くと言う。
 
確かに、外から見えない方が良いとは思うけども可愛そうだ。
一旦、「ごめんな、ちょっと我慢してね」と言いながら足元に置いたが、やはり助手席の座席の上に置きなおした。
外から見えないように、ブランケットを掛けた。
 
寒がりだったからちょうどいいかな。
 
食事の席上、お父さんから話があった。
 
今日は、部屋まであなたに運んでもらう。
でも、今日以降、娘には会わせない。
たとえ夢に出たと言われ様とも線香上げさせることもしない。
私は、あなたを追い返すでしょう。
あなたは、娘を忘れなきゃいけない。
あなたは若いのだから、いつまでもあなたを引き止めておくことは出来ない。
私は親として、それを許す事は出来ない。
 
俺は、何もいえなかった。
 
何でこんな事をお父さんが言っているのか分る。
でも、今、そんな事言われても無理だ。
 
でも、俺は何も言わなかった。
今、あいつはおれの車で待ってるし、俺と一緒にいるのだから。
 
車で家に向かう。
 
あいつを助手席に乗せて、お母さんは後ろの席に座った。
 
何度も何度も通った道。
あいつを乗せて通った道。
 
失ってしまった物の大きさに押しつぶされそうだったが、
お母さんと色々な事を話していたので大丈夫だった。
 
車から降ろすとき、俺はあいつをもう一度強く抱きしめた。
そのまま部屋にあいつを連れて行った。
 
ここで手を離すと、もう二度とあいつに触れる事は出来ないのかと思うと手放したくなかったがそうもいかない。
 
途中、信号で分かれてしまったせいもあって、お父さんや他の親族は遅れてやってきた。
その間の10分くらいが最後の2人の時間だった。
 
家を去るとき、お母さんが
「あの子は、あなたに会ってから本当に変わったんですよ。ありがとう。」と言ってくれた。
そして、「10年前に会えたなら。」と言う。
 
そういえば、あいつも弱ったときに同じ事を言っていた。
「今だから会えたんだよ。だから10年前じゃなくて、今で良いんだよ。」って言ったんだ。
 
俺は「すみませんでした。」と言うしかなかった。
 
最後に、外でお兄さんが待っていた。 
「ありがとう」と言ってくれた。
 
俺は、ただ、ただ、「すみませんでした。本当にすみませんでした。」と謝るしか出来なかった。
 
家に帰ると、疲れ果てていて、1時間ほど寝た。
 
今思えば、色々とあいつからサインがが出ていたんだな。
全然、気がつくことが出来なかった。
 
本当に、本当に、おれはバカだ。
安っぽい言葉で嫌だけど、本当に失くして初めて分った。
 
あいつはよく「頼ってしまってごめんね」と言っていた。
本当は、もっともっと頼りたかったんだ。
 
俺は、口では「もっと頼ってくれていいんだよ」って言ってたけど、
あいつが自分か俺の重荷になってはいけないと、自制してたのを気がつけなかった。
 
俺は本当にバカだ。
 
俺は、「これから、2人の時間はたくさんあるよ」なんて言ってたけど、
もうあいつは限界を超えた所でなんとか踏ん張ってたんだ。
 
俺は、タイムリミットを分っていなかった。 
今思えば、タイムリミットは去年の秋だったんだろうな。
 
1年も持ち堪えてくれたのに、おれは全然分ってなかった。 
 
あいつの優しさに感謝するしかない。
そして、俺は後悔し続けるだろう。



2010年10月15日(金) 怯えと情けなさと混乱と後悔と

木曜の夕方から金曜日の記録。
木曜日は、死ぬほど長く感じたが、金曜土曜はあっと言う間だった。
 
木曜日は、3時頃に帰宅した。
全く寝れなかった。
 
そもそも目を閉じるのすら嫌だった。
背後の気配や家鳴りにおびえた。
 
一人で居ると怖くて家中の電気を付けていた。
 
俺は、あいつが俺を恨んでいると思ったんだ。
本当に情けない。
 
でも、あいつは、それも笑って許してくれるだろう。
それも、バカにしたような笑い方で「バカじゃないの?」って。
 
でも、あの時は、本当にどうにかなりそうだった。
早く夜が明けることを祈り続けた。
 
夜が明けたが、頭がおかしくなりそうだった。
上司に、事の次第をそれなりに報告したメールを送り、
木曜日は休む事にする。

何とか持ち堪えたかったが、本当にどうにもならなかった。
平日なので友達にも電話できない。
 
でも、誰かに話したかった。
 
無用な心配を掛ける事に、一瞬躊躇したが、何よりも支えが無いと今にもおかしくなりそうだった。
 
情けないけど、
一人で抱えるには重過ぎた。
 
本当に情けないと思うけど、俺は母親に電話した。
母親には、彼女の事を話していたから。
 
電話したが、出なかった。
そこから電話が来る昼前までは、本当に怯えていた。
 
電話で話をした。
もちろん、俺は母親が俺を肯定して励ましてくれる事が分っていた。
それが欲しかったし、実際そうだった。
 
情けない。
 
お日様と母親との電話が、少し俺に安心を与えてくれれた。
 
「こんな状況でも眠くなるんだな。」
 
ベッドに横になるが、寝れなかった。
ずーっと考え事と泣く事を繰り返していた。
 
携帯に残っている数百通のメールを読み返していた。
 
すると、15時前に見知らぬ番号から電話が掛かってくる。
 
警察からだった。
 
検死の結果と事情聴取の日程調整だった。
「明日はどうですか?」と言われたが、
「今日、これからではダメですか?」と逆にお願いした。
 
昨日帰ってきてからそのままだったので、
シャワーを浴びて身支度をした。
 
頭を洗うときに目を閉じる事にも怯えた。
情けない。
 
16時少し前に警察署に着いた。 
警察署を出たのは、18時半だった。
 
聴取では出会ってからの事から、最近の事までずべて話した。
全部話す事で、俺が落ち着く事が出来た。
携帯の内容をコピーする為に刑事が部屋を出ると、俺一人になった。
 
一人になると俺は泣き出したりしていた。
 
今になると分るのだが、彼女の家族に関しての俺の情報は、ことごとく間違っていた。
同棲までにしてたのに、相手の家族の連絡先すら知らない。
その割りに、実家の店の名前を知っている。
 
最後に会ったのは俺で、発見も俺。
疑われてもしょうがない。
 
この時は、それすら気がつかなかった。
 
俺は、彼女が実家と上手く行っていないと聞いていた。
だから、実家と連絡が取れないんじゃないかと勝手な心配をしていた。
いざとなったら、俺が葬式をあげるとか失礼千万な事を考えていた。
 
葬儀葬祭の日程を知らないか尋ねたが、
警察からは話せないと言われた。
 
親族に連絡取りたいと食い下がったら、警察が電話で確認して先方が了解したら連絡先を教えると言った。
 
お兄さんの名前と連絡先をもらった。
 
警察署を出て、車の中から電話をした。
出なかった。
 
事情聴取の間に母から電話があった。
半ば予感はしていたが、電話をすると車の中だった。
 
一応、来なくていいと言ったが、その実、来て欲しかった。
情けない。
 
ひどく疲れていた。
でも、眠たくは無い。
でも寝なきゃダメだと体が悲鳴を上げていた。
頭痛がひどかった。
 
家までの帰り道、何度も涙が出た。
死因は、おれが想像していたものとは違った。
 
事情聴取した「係長」(たぶん)と呼ばれる人は、優しく言葉を選んでくれていた。
昨晩も現場に来ていた「班長」と呼ばれる見るからにベテランたたき上げの人は、ぶっきらぼうに事実を淡々と話した。
あの場でも、耳を疑うような事を言っていた。
 
でも、今は、俺が受け止める勇気が無かった事実を教えてくれたのだから感謝している。
 
しかし、どちらも亡くなった時間を教えてくれなかった。 
俺のアリバイの裏が取れるまで、教えられないのだろう。
 
ほぼ30分おきに電話したが、お兄さんには繋がらなかった。
繋がったら、何を話せばよいかを必死に考えていた。
 
夜の10時にもなると、さすがに電話できなかった。
 
東名の集中工事のせいで、両親が到着したのは深夜12時過ぎてからだった。
当初、床で寝ると言っていたが、さすがに両親を床で寝かせて自分はベッドで寝るなんて出来ない。
3人で泊まれる部屋を予約した。
 
あいつの物がたくさんある家に居る事が辛かった。
 
両親とファミレスで食事をした。
正直、食事する気分ではなかった。
 
食事はとったと嘘をついて、でもスープとドリンクバーを頼んだ。
頼んでから気が着いたが、ひどく喉が渇いていた。
 
ファミレスで、あのときからちょうど24時間経過したことに気がついた。
こんなに長い1日は初めてかもしれない。
 
ホテルに着くと、酒を飲んだ。
飲む気にはなれなかったが、酒の力を借りて寝たほうが良いと言われて飲んだ。
話をして落ち着くと安心して寝ることが出来た。
 
翌朝、仕事に行くつもりだったが、到底無理だった。
 
朝から何回か定期的に電話するが繋がらなかった。
調べてみると、昨日聞いた電話番号は、店の電話番号だった。
自宅と店で番号が違うのではないかと思い、104で確認してみたが同じ住所に別の番号は無い様だった。
 
口では、「直接店に行って見る」と言ってはいたが、踏ん切りがつかなかった。
娘と同棲までしても挨拶に来ない。
そんな奴が第一発見者で、気分が良いわけが無い。
何を言われてもしょうがない立場。
 
少し挫け掛けていた。
 
ちょうど社長と話した。
行くべきが行かざるべきか聞いてみた。
 
「それは行くべきだろう」
 
その通りだった。
調べた住所をナビに入れて向かった。
 
途中までは、何度も何度もあいつを送っていった道なので、いろいろ思い出していた。
俺のポータブルナビは、そんなに高性能ではないので、いつも目的地付近までしか案内してくれなかった。
 
でも、今回は、ココ入って大丈夫か?と思うほどの道も案内した。
やっぱ、あいつが呼んでるに違いないと思わずに居られなかった。
 
車を止めると、怪訝そうにこちらを見ながら女性が出てきた。
義理のお姉さんだった。

事の次第を説明したら俺が誰だかわかってくれた。 
家に入ると、お母さんとお父さんがいた。
 
俺は、そこで混乱した。
お母さんは、介護が必要と聞いていたが、全然違っていた。
 
まず簡単に自己紹介をすると、あいつに会うことが許された。
 
自分では、そんなに長い時間だとは思わなかったが、
どうも俺は20〜30分泣きながら話をしていたらしい。
 
その後、改めてお父さんとお母さんに挨拶をした。
 
正直、門前払いも下手したら物でも投げつけられて罵られてもしょうがないと思っていた。
本当に、俺は失礼千万なやつだ。
 
お父さんが、娘から俺の事をどういう風に話していたか知らされた。
 
娘と俺が幸せになることを夢見てた事。
俺ならば、娘を変えることが出来ると期待していた事。
 
あいつが、俺と一緒になりたがっていたこと。
でも、自分がふさわしくないと悩んでいた事。
 
そして、あいつが、本当に俺の事を愛していた事。
 
俺は、あいつの事が全然わかってなかった。
俺に勇気がなったこと、あいつの気持ちを分ってやれなかった事を心から後悔した。
 
俺は、泣きながら土下座して謝る事しか出来なかった。
 
その後も、色々な話をした。
俺は、あいつが何でそんな嘘をつく必要があったのか分らなかったが、
お互いに聞いてることには大きな違いがあった。
 
お母さんは元気だし、お父さんと上手く行ってないと言っていたのに、全然、そんな事なかったこと。
俺の家を出て行った理由とか色々あった。
 
でも、全部、気にする事は無いとあいつに言った。
みんな言い人じゃないか、もっと早く紹介しろよ!と文句言ってやった。

でも、もっと早く、今日みたいに強引にでも来ていれば、
あいつに余計な心配させずに済んだのかもしれない。
 
ホント、後悔とはよく言ったもんで、後になって悔いることが多い。
 
お父さんとお母さんは、俺も一緒に納棺することを許してくれた。
明日焼き場に同席するのも許してくれた。
 
でも、お兄さんは目も合わせてくれなかった。

だいぶ落ち着いてきた。
悲しい事に変わりは無いけど、落ち着いてきた。
 
その夜、寝る前に、あいつに手紙を書いた。
あいつは、よく手紙をくれた。
 
メールもしてるのに、手紙をよく書いてくれた。
俺は、自分の文字が嫌いなので手紙は嫌いだった。
なので、あいつは、俺が手紙を書かない事に不満をもらしていた。
 
もし、お父さんお母さんが許してくれたら、あいつに手紙を渡したいと思う。
 
その晩は、昨日に増してぐっすり寝ることが出来た。



2010年10月14日(木) 最悪最低

何もしないで家で一人でいると気が狂いそうだ。
誰の為でもなく、自分の為に、自分勝手に書く。

書いておいてナンだけど、読むことをお勧めしません。
こんな事書くのも、みんなに同情して欲しいだけなのかもしれない。
 
でも、何でもいいから俺を支えて欲しい。
そんな気分です。
 
今日は、最悪の日だった。

























いつもの様に仕事を終えて0時過ぎ。
車で彼女の家に向かう。
 
いつもならこんな時間に行かないし、2〜3日連絡取れないなんて良くある事。
 
でも、この日は行かなきゃいけない気がしたんだ。
もちろん、行ったら普通に寝てて、「こんな時間に来るな」って怒られる事も想定してたんだ、でも、今思うと理由は分らないけど、最悪の状況を車の中でシミュレーションしてたんだ。
 
だから、119ではなく110にダイヤルしたんだよ。
 
110に電話して、「何で死んでるって分るんですか」と言われてはっとした。
 
俺は、初めから助ける気無かったんじゃないか?
 
もちろん、見た目で分る状況だったんだよ。
でも、床に突っ伏してるあいつを起こしてやる事すら出来なかった。
 
それどころか、事前にシミュレーションが効いたのか、冷静に電話して状況を説明してたんだよ。
 
「何でそれで死んでるって分るんですか?」
「救急車を呼びますか?」
 
と言われて、はっとした。
 
急に鼓動が激しくなって、涙が止まらなくなった。
でも、それは悲しかったんじゃない。 
俺は、自分の冷静さに頭がおかしくなりそうだった。
 
警察と救急が来るまでの間、俺は玄関に逃げて、自分の冷酷さを責めながら、それを詫びていた、俺は「許してくれ」と泣いていたんだ。
 
悲しかったんじゃない、自分の為に泣いていたんだ。
 
警察の救急のサイレンが聞こえたとき、俺は救われた気がした。
その場を警察と救急に明け渡した。
 
最低だ。

心細かったろうに、誰よりも先に、俺は抱きしめてやるべきだったんじゃないか。
「よくがんばったね」ってほめてやるべきだったんじゃないか。
 
おれは、顔すら見れなかった。
 
茶褐色に乾いた、大きな血だまりのなかに突っ伏している後姿、
俺の知ってる手触りと違うあの手触りと、
湿ったトレーナーの感覚を俺は絶対に忘れない。
 
これは、俺に与えられた罰だから。
最悪最低の俺に与えられた罰だから。
 


 < 昨日はこっちだ!  過去の「こぎと」一覧  明日はどっちだ! >


おすぎ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加