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1981年04月30日(木)

真・体験談

忘れたい No: 3923 [返信][削除]

投稿者:みぃ 03/01/07 Tue 19:51:12
いたいけな高校時代、行きつけの美容師の薦めで真光の組み手となった。
よくわからないまま、大勢で霊障が強いだのなんだのと言われ、世間知らずな私は、家庭不和に悩む母親と入信。しかし…お導き=信者を増やすをしなければ、お前は最低だとか救われない等の脅しを受け、泣く泣く友人や親戚を道場に連れて行った。しかし、理屈の通らない非科学的な勧誘話に彼らはのらず、私は皆から変な人扱い。。。危険人物として扱われ、あらゆる友人知人たちは私の周りから去っていきました。組み手達からは、私の罪穢が深いと罵られ。。。。私は精神的に参ってしまい、引きこもり状態に。そして、過食症で体重も20キロも増え。。。益々人前に出るのが億劫になり、大学もあわや休学というところまでいったのですが、無理やり母親に引っ張られ授業に出てなんとか卒業。。。。。でも醜くなった私を皆、あざ笑い。。。。生き恥さらしました。就職もそんな感じでうまくいくはずもなく。。。。いまだあのトラウマから抜け出せません。勧誘した美容師達を憎み続けながら、心療内科に通う日々です。憎し真光。私のこんな状態も悪霊のせい。私の前世からの罪が深いなどど一蹴するんだろう。恐ろしい教団だよ。オウムより偽善的ゆえに危険度が高い。


月夜 <> 3 Nov 2002 16:21:45

私が中一の時、母が崇教真光に入信しました。そして私の生活は一転しました。ただでさえ、暴力的な父が母を宗教から引き離す為に毎晩のように暴れ、母に包丁を向けることもありました。私は、家庭が崩壊していく様をあからさまに見せ付けられ泣きながら両者の間に入りましたが両者から罵声と暴力を浴びせられました。同居の祖父母も一旦は注意してくれましたが、両者とも引かないことを知ると見て見ぬふりをし、一人っ子の私は他に助けを求められず、ただただ恐怖の中で生きていたようなきがします。だから今でも、真光と聞くと嫌悪だけが胸をよぎります。

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月夜 <> 3 Nov 2002 16:36:47

その後、母から「父親が暴力を振るうのはおまえが入信しないからだ!」と散々責められ、入信を余儀なくされました。私が入信したのは中二の夏だった。私が入信したことで母は少し機嫌が良くなったが、父は面白くなかったらしく罵声と暴力はさらにひどくなった。まともに教えを鵜呑みにしていた私は「私が御神業をがんばらないからだ。」と自分を責め、時間さえあれば拠点に通い母とのお浄め交換もかかさなかった。しかし、家庭内は円満になるどころか冷え切るばかりであった。母は「おまえの努力が足りない」と叱咤され続けながら中学生活を送っていました。

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月夜 <> 3 Nov 2002 16:59:47

中三の初夏だった。私は部活動の関係で聴力が落ちている事に気付き母に「医者に連れて行ってくれ」と頼んだが「医者では薬を出される。体内に薬毒を積むことになるから、手かざししかない。」と言われ放置された。手かざしでも一向に良くならない難聴に母と真光の拠点のみ役者は、真剣に御神業に励まないから神様が試練をお与えになっている。神様とご先祖様に詫びなさい」と言い、私は拠点通いをし、奉納をしない日が続くと目ざとく指摘する信者もおりわずかな小遣いも奉納で消える事が多かった。その後、学校の検診で難聴が判り学校からの診断書を持って医者にかかった時は手遅れで、薬も出して貰えない程でした。

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月夜 <> 3 Nov 2002 17:29:59

高一の夏、父の真光嫌いは変わらず、母は私に学校の傍ら真光を信仰させていた。私は母の叱咤と何かにつけて「おまえが真面目に信仰しないからだ。」と責め立て私の中には{神様から目をそらすと良からぬ事が起きる}と恐怖心が芽生え、おみたまを肌身離さず身に付け学校にも付けて行ってた。そして、母親の機嫌を伺うか?のように真光隊に志願した。志願直後は幹部の方や隊長も父が真光を反対している事を考慮して「出来る範囲でいいから」と言って下さったが、いざ準隊員の訓練期間(半年位)が始まると強制的に行事に参加させられるようになり、泊まりの訓練会には、家族の目を盗み、自室の窓や裏口からコソコソと家をでていた。その為体裁を重んじる祖父母にも、ののしられる事態になっていきました。家庭内で唯一の信者で私の理解者であっていいはずの母も私の留守に家族から私の事を聞かれて小言を言われる事で苛々がつのり、修練会の帰宅後は、父の罵声暴力と母のイヤミが待っている。母に「こんな事ならやめたい」と言おうものなら「おまえは神様を見くびっている。罰があたる」と威され、自我を奪われて行くのでした。


昔の事 No: 2408 [返信][削除]

投稿者: 02/11/19 Tue 02:17:22
もう何十年前になりますか、母が信じ始めた真光で、当時10才になるや研修
を受けておみたまをいただいた者です。
あの頃はいろんな奇跡を見せてもらいました。
まず私の喘息が突然治りました。
なにか大きなお祭りに母が行き、そこで私の回復を祈ってくれたのです。
家で発作に苦しんでいた私は丁度その時刻あたりに急に発作が止まり、長年苦しんだ発作がそれから2〜3年全く起こらなかったのです。
喘息持ちの方ならわかると思いますが、喘息は急に治りません。
徐々に何日かかけて発作が収まっていくのです。
私は本当に信じていましたし、実際なんら自分として変化が無いのに急に学校の成績が異様に上がったり、いじめられっこだったのが平気になったり、他にもいろいろ良い変化が続きました。私は神様が大好きでした。が、

道場が大嫌いでした。
行くと常連とやらのオバサンらがいて名簿を確認し、「あーら全然来てないのね」フンッ、あんた達不信人者なんか、という感じでニコリともせず無視状態です。
神様の前で、どうしてこんな嫌な人が居るんだろう、そんなに沢山通っているのがえらいのだろうか?世界中の人が仲良くするために真光はあるのじゃないの?
こんな小さい道場の中でさえ人は仲良く出来ない。子供の私は憂鬱でした。

よく道場の人は子供をしかるとき「そういうことをすると地獄へ落ちるよ。」と言いました。ではもし地獄へ落ちなかったらやってもいいのか?
天国へ行けるから良い事をするのであって、もし良い事をしても天国へ行けなければしないのか?子供ながらにすごーく悩んだ記憶があります。
今思えばそれらは自分が天国へ行きたい、という我欲で信仰がにごっていた証拠だったのでしょうね。

そのうち母が言いました。
「今日道場に行ったら神様が出てきて『もうココへはこなくていいよ。信仰は家でできるよ。』と言ったのでもう行かない。」
私も出来れば道場は行きたくなかったので喜んでいかなくなりました。
おみたまは取ってありますがもうつけていません。
それも母は「つけて無くても手かざしは出来るんだよ。」と、自分で手かざしをして包丁で恐ろしく深く指を切ったときも5日くらいでキレイに治すのです。
(因みに母はそういうことで一切信者を集めたりお金を取っていないのであし
からず。)

「あの宗教は教えは本物だったけど、寄ってくる人達が曇っている。アレじゃどんなに手かざししても浄霊なんて出来ないよ。ああいう人達がおみたまを付けても霊位が低いのにピカピカする物持ってその辺の霊を呼んじゃうから危険なだけだよ。」
それで同じおみたまをつけていてもなんか光を感じない人がいるのかと思いました。
「それに、神様を信仰するのに「建物」を作ると良くない。「建物」が出来ると必ず維持するためにお金が動く、信者同士でどっちが上か下かと争うようになる。」と母はいっていました。

「我こそは真光の被害者ナリ」と主張する人達の中にも、ただ熱心に通ってお布施をすれば救われると、我欲にかられてただ自分の欲望だけを求めた結果、本当の光が届かず痛い目を見、あんなのはインチキだとヒステリックに逆切れて騒ぐ方も一部居るのではないでしょうか。それもまた自業自得で、大上段に被害者面して出てくるのも厚顔無恥と感じます。とても恥ずかしい事です。

今も神は信じています。自分だけで信仰しています。
真光でのことは自分としては良い社会勉強をしたと思いました。
あれからずいぶん経ちましたが、分裂したりしているようで、きっともう
欲にかられた人で一杯であの頃感じた祭壇の光はもう全然ないのだろうなあと
すこしだけ残念です。

専門的な話題の途中このような個人的感想長々書き込んですいませんでした。


1981年04月29日(水)

Follow: 542 / No: 540 [返信][削除]

投稿者: 02/08/02 Fri 10:41:09
統一BBSの管理人の体験だそうです。
暴かれた真光を読んでぐらついてる信者を引き止めるために
こんな話を聞かせてます。いつものお約束のようなお話です。

−−−−−−−−−−−
先日、20年ぶりにある組み手さんと再会しました。
その組み手さんは、胃がんのステージ5・・・つまり末期のガンが完治するという奇跡を戴いていました。
−−−−−−−−−−−

こんな話は時々聞きますね。真光誌にもこんな話がたまに載りますね。
でもね、僕の周りでは1−2年に1人ぐらいのペースで
年配組み手がガンで死んでいきましたよ。

それが何年も続きましたから,小さい拠点なのに10年のうちに何人もが
死にました。

僕の周りでは、ガンが完治したなんていう話はありませんでしたね。全然。
逆に体の調子が多少悪いくらいでは病院に行かずに道場へ通い詰めた結果,
上のように命を落としたり、ひどいことになった人が多かったですね。

ごくごくたまに奇跡的に直るようなことは、あっても不思議ではありません。
わずかな可能性で自然治癒もありうるだろうし、医者の誤診で最初から
たいしたことなかった可能性も大きいですね。誤診は非常に多いですね。
良性か悪性かを見誤るとかね。

ごくまれに起こる奇跡、あるいは奇跡のようなものの陰で、それを信じて
病院へ行かずにたくさんの人間が死んでいっている事実を、上の管理人
は知らないんですかね。まあ、そういうことは平組み手には話が伝わり
ませんね。み役者内部だけでそういう話は外にはなかなかもれませんな。

その奇跡的治癒とやらも,突き詰めて調べれば,奇跡かどうかなどわかりゃ
しませんよ。ほぼすべてがそうです。奇跡とは断定は断定できないような
ものばかりです。

切り落とした腕が生えてきたとかいうんなら、奇跡とみとめますけどね。(笑)
そういうはっきりした奇跡なんぞ、一つもないな。

あやしげな奇跡話はもう聞き飽きました。
それに長年やってる組み手の話は信用できません。
お導きのために話を大げさにして、吹聴しますからね。

自分に奇跡が起こったと言って、ヒーロー気分でしょうね。
自尊心をくすぐる体験ですよ。一種のステータスシンボルを
得たようなよい気分でしょうな。

自分に奇跡が起こって欲しい,そうすれば自慢できる、という心理的欲求が
あるから話を膨らましてしまうんですよね。

どうせ確証などない、あやしい話ですよ。奇跡話は。
こんな話にだまされちゃいけませんね。


霊動 No: 124 [返信][削除]

投稿者:匿名 02/07/07 Sun 00:38:10

真光で直せないもの:感染症ではなく、伝染性の感染症に訂正。
どうせ道場に連れて来られたら、その道場に伝染病が蔓延。
保健所の立ち入り調査、ひいてはマスコミ沙汰になるから、それを嫌って予防線を張ったのでしょうが。

さて、霊動について。
2世組み手だった私は、長期間手かざしを受けていながら全く霊動を体験していなかった。しかし、先に書いた事態に逢い、初めて霊動を体験した。
霊動に驚き、教団へ帰依する人が多いようだが、私には全くその様なことは考えられなかった。

幼い頃より、真光誌等を読んで知っていた、霊動により過去世の罪穢が分かり、不幸現象が全て解決!おかげで皆ハッピーさ!という幾度となく登場しているストーリーを渇望し、またそれまでに体験したことの無い強烈なストレス、疲労から早く開放されたい、と願う気持ちが「霊動」を起こさせたのだと思っている。

異常事態に直面し、疲れ果てた心と体。絶対に助からないという絶望感。
既に手遅れという、後悔にも似た思い。そしてまさに藁にもすがる気持ち。
また、受光歴の長さに反して、霊動をはじめとする神秘体験・霊的体験を全くしたことが無かったことへの、ある種の劣等感。

このような条件が重なり、「霊動」が発動したと思っている。
なぜそう思うのか。

霊動では、様々なことを喋っていたが、それらのセリフは全て、霊動として喋る直前に私が予想、あるいは希望したものだったのである。

病状について考えれば病状について語り、歴史について考えれば(霊=過去の人間と考えるから)、年代が無茶苦茶な歴史話を語った(そのとき私は、年代は無視して歴史を妄想した)。

それらの行動は、ストレス下で抑圧された心身を解き解す為に、
自分が想起したことを意思とは関係なく喋り、
意思とは関係なく体を動かしていたとしか考えられなかった。
まさしく保健体育の教科書にも載っている、ストレスに晒された精神が見せる防衛機制そのものだと感じたのである。

以上により、源伸氏と違って、私は「霊動体験」には信仰(神向き)上の重要性・必然性を全く見出すことは出来なかった。


■■■ 真光関係者集合!!(7)■■■
528 :光玉の勲章はインチキ勲章 :02/06/23 11:22
ちなみに、ここまで光玉をボロクソに書いても神も先祖も戒告一つ無いぞ(藁
勿論首チョンパもなしだ。それどころか、おみ霊をぶら下げていたときの方が変な事故にあったり、暴漢に襲われたりしてた。その度ごとに神様にお詫びをしに行って幹部から「大難が小難になったのです、良かったですね」と言われるだけ。
ご守護御礼を巻き上げられるだけ。

おみ霊がない方が平穏な日常を送れるんだよ。最近は全くといっていいほど様々な変な事件や事故に巻き込まれなくなった。やっぱりおみ霊付けているとキツネがいたずらしたり邪霊が寄ってきたりするんだと思う。鏡を見て自分の表情がはっきりと明るく元気に前向きななってる事がわかる。神向きやめて良かったつくづく思うよ。
530 :名無しさん@1周年 :02/06/23 12:10
>>528
>それどころか、おみ霊をぶら下げていたときの方が変な
事故にあったり、暴漢に襲われたりしてた。

これありましたね。
すごく、ありました(汗)。
同じこと感じてる人がいたんだ〜(安堵)。
当時なんで気が付かなかったのかと思いますよ。
だいたい、、内部にいる人との関わりだって、じゅうぶんすぎるくらい「危険」でした(笑)。
でもそれだけではなくて、、、たしかに妙なことが起こりましたよ、入信していた時のほうが。

ちなみにやめて一年以上経過してます。
「平穏」だし(笑)、、、昔はなんて「狭くてガチガチな世界」にいたんだろう、とつくづく思います
■■■ 真光関係者集合!!(6)■■■

872 :名無しさん@1周年 :02/06/04 20:31
御み霊を不燃ゴミとして捨ててから半年経つけど、俺に悪いことは何一つ起こらない。
臨時収入が入ったり、彼女が出来たりと良いことばかりだよ。
神様なんていなかったんだね〜
お世話係りはうるさいので着信拒否。お導き親とは絶交したよ。
今まで無駄に費やした時間とお金を返せ>崇教真光
874 :元真光準隊員 :02/06/04 22:13
ご神書とか火にくべました。



1981年04月28日(火)

【11】導士=人生の後悔
※ X5−452 *

元導士です。
教団名は控えさせていただきます。

私は今、懺悔の気持ちでいっぱいだ。
なぜなら、教団の利益だけを追求してドップリと二十年近く過ごしてしまったからだ。お導きと称して多くの方々の家庭・交友関係等々を崩壊させ、ある限りの財産をご奉納させ、真の自由をことごとく奪ってきた。

私自身も入信したての頃には、導士にだまされての幹部志願だった。右も左もわからない時期を狙うタイミングといい、「火の洗礼が来るから種人にならないといけない」という極め言葉といい、当時のノストラダムスブーム(五島勉;こいつも絶対許せない!)とリンクさせた目の覚めるような洗脳テクニックだった。若かった私はこれに引っかかった。
当時の私は官庁に勤務し、プライベートも全て順風満帆だった。
それがどうした事か不本意な場所に迷い込んで洗脳されて全てをなげうって教団幹部になってしまった。地位や職だけでなく青春も恋人も友達も夢もすべてである。

教団幹部なんていうのは蛸部屋みたいなもので、全てを教団に握られている。幹部辞めた人間は何のキャリアもないからみんな経済的に困窮するようになっている。年金を掛けないようにマインドコントロールされていたから、永くいた私も家族も老後に苦しみを余儀なくされるだろう。
それでも、今まで教団奉仕で犯してきた悪行を思えば自業自得とも言える。

が、しかし、洗脳され悪事をさせられてきた私自身の気持ちは絶対におさまらない。罪の意識も無く、ぬくぬくとこれからも生き続ける蛭のような教団の存在がある限り。
いつか教団が法の下に裁かれ、教え主初め中枢幹部が全ての組み手、そして世間に詫びる日が来る事を祈りたい。そしてその根っこから完全に滅びる事を願っている。
今までの導士としての人生を省みると、過去に入信し辞めていった組み手の方々の多くが、私と同じ気持ちであることを確信している。

BBS等を通じて、真実を知ろうとされる方々の一助になれればと思い投稿しました。


++ 2002/12/02/(Mon) 13:55 ++


794 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2002/11/10(日) 10:51
>>767
冗談でなく21世紀になったのが大きかったですよ。人類は2割くらいに減るはずだったのに (光玉氏は日本人は1割しか残して貰えないだろうともいっていた)さしたる天地異もなく (20世紀末の地震等の被災者のみなさんすみません)新年の御教示もそのことには触れなか ったのでどういうことかと。その後道場ではどこからともなく大天変地異は2020年という 噂が聞こえてきた。聞いてもすっきりしなかった。これでまた20年間天変地異に備えながら 御神業をするのか? それでもしもまた今回のように終わったら・・。このままその繰り返し で一生が過ぎていったら私の人生はどうなるのかと真剣に考え始めた。もしかしたら教団は間 違っているかもしれないとようやく考え始め、また認めたくないが騙されていたのかもしれな いとも考え始めた。

というか、すでに数年前から少しずつおかしいという思いが積み重なっていた。光玉氏は「2 1世紀になる直前に大天変地異が一気にくるのではなく、それよりもある程度前から災害が頻 発し、いずれ頂点に達するだろう。だから私たちに残された時間はそう多くない」という意味 のことをいっていた。ならば早ければ1990年代のはじめ遅くても中ごろから大災害が続く と見ておくべきだ。しかし世界を見ていると地震、洪水等は確かに起こっているが人類の1割 2割が霊界(あの世)にもっていかれるほどのものが続いているわけではなかった。(被災者 の方々に重ねて詫び)教え主様が命がけで神様にお詫びされているから、この程度ですんでい るということだったが、光玉氏の予告と現実の違いは大きすぎた。おかしいと疑問が溜まって いった。

21世紀になって、このまま中途半端な気持ちのままで流されていくのかと思っていたら、冬 眠しようかと思うような事が起こった。道場を離れて一人で神様と向かい合っていようか、そ れで曇り消しが足りなくていつか消されることになるかもしれないがそれでもいいという気に もなり捨て身になった。そして、もう一歩ふみこんでカルトやマインドコントロールについて 調べたら目がさめました。


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