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教祖用御み霊 「御霊を開けると死んでしまう?」すると、そういう所謂、「祟り」が怖くて、殆どの信者さんは、言うことを聞いてきたのですね。わたしは最初、祟り教真光と教団名を読んでしまったのですが、いろんな材料が出てくる昨今、この方があたっているのではないかと苦笑。あれやると祟る、これやると祟る、会館に来ないと祟る。こういうのをタブー、禁忌といいますが、それで人の行動をタイトに縛ることは可能ですね。
わたしは真光の神が祟るというなら、そういう威圧方法も、信者を制していく手法にあるだろうと思いますが、ここが大変ずるいとおもうのは、それを「あなたの先祖が」と今行動をタブーによって規制されんとする相手信者の死んだ身内のせいにかえしていくことです。真光に関する英文を、英語の達者な友人が訳を助けてくれましたが、友人は英文しか知らないからスッキョウと今も発音しています。
私が教団の預金通帳Noまで書いてある資料を出すのも、これが俗人は知っていて、信者さんが知らないというばかりではなく、「おみたま」それも「教祖用おみたま」の写真が、このような裁判の資料にでかでかと出ていたからです。
それなのに一方では、個々の弱い人たちに対し、「開けると死んじゃうよ」と言う。「教祖用おみたま」でさえ、司法関係者が手で開いて「ああ、中に字が書いてありますね。」など確認している。信者に言っているとおりだったら、もうその時点で、「教祖用おみたま」を裁判所に見せた岡田甲子以下幹部全員、その後死ぬほどの、ばちあたり続けの「苦難の道」があってもいいのに金はもうかった。
「おみたま」裁判所には中味まで見せ、信者には「開けると死ぬ」 それで不幸が起こったか、起こらないかという、いかにもこまされた思考回路ではなく、この相手によって態度を変える落差に注目するとはじめて、霊が霊がという心配から、憑き物がおちるように、離れるのではないかとおもうのであります。人をばかにするのも、いいかげんにしろと。日本民族の精神性の質が落ちると。
「教祖様用おみたま」は信者の方々にとって御神体なのですから、正しく知りたいところだと思われます。私が詳しいのではなく、中外日報という当時の宗教新聞に詳しく出ていたというだけです。宗教関係者なら皆、目を通している。いってみれば業界紙です。しかし宗教ですから、他の記事もまじめです。
先にご紹介した宗教法学会の、これは法曹関係者の雑誌ですが、そこでは、おみたまについて、報告者の大野正男弁護士は、「二代用の御霊」と「父の御霊」の種別を挙げておられます。誰から誰の手にわたり、それはどういう指示だったか。後継者はどっち?の争点となるしるしですから。ところが、中外日報で関口氏側が出した資料は、もっと込み入っております。
中外日報・昭和57年9月3日掲載の、「7月17日、18日の両日、発表に出席していた本部局部課長、方面指導部長に、文書によって確認し、署名、捺印を求めたもの。資料1」という文書写真が出ています。そこにこう書いてある。
「6月13日朝、父(初代教え主)にご神前に呼ばれ(中略)叱られたとおっしゃった。そして、父がかけておられた『父の御み霊(ペンダント型)』を私(恵珠)にかけて下さった。私が、もしお父様がご昇天されたら後はどうしたらよいでしょうかとお伺いすると、『二代は関口さんにお願いしなさい』といわれ『二代様用の御み霊』をお預かりしました。父は続けて、『この御み霊は、二代、三代と続くものである』とおっしゃいました。いつまでもお預かりしていると怖いので早くお渡ししたいのです。皆さん、私の言っていることをわかってください。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話いたしました。父は三つの御み霊をかけておられました。一つは、ラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父の御み霊です。そして父は、パリに行かれる前に、二代様用の御み霊を、私におかけになって『もし何かあったら二代目を嗣ぐように』と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、『預けておいた御み霊を返しなさい』と言われて、二代様用の御み霊をお返し致しました。私がおかけしている御み霊は、父の御み霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話致しました。以上右のとおり相違ないことを認めます。」
に続き課長・部長の署名・捺印がある。これが写真で出ている。ここから確認できることは、光玉はおみたまを3つ首にかけていた。2つについては裁判資料でもおなじみだが、ラーム氏から頂いていた分というものが、外人の名前であるので奇異だ。しかし甲子氏によればそれも大事なおみたまであるらしい。ラーム氏とは、では、外人の霊能力者なのですか?そこらへんは、信者の方のほうが詳しいでしょう。
教祖用おみたまのことでもありますし、突然ラーム氏っていうのが奇異だったので長い紹介をしました。その後の解説によれば、こんなしおらしい感じでは勿論終わらなかった。次に実際の御み霊わたしのトラブルが書かれている。
宗教法学会第5号(1986,11)には「御霊」に「おみたま」とルビがふられており、教団にとって格別の意味をこめられたものと解釈しています。法学会第5号に拠れば、甲子氏証言として、
「先代が亡くなる10日前の6月13日の朝に私は先代に呼ばれた。(中略)そこで私は、初代が怯えておられるのでこわくなって、『お父様にもしものことがあったら、どうすればよろしゅうございますか』と尋ねました。そうしたら初代は、『私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ』こう言われました。(中略)このように私は二代用の御霊をお預かりしています。おそろしいことでございますので、早く関口さんにお渡ししたい。」
「こういう風に甲子さんは皆にその席上(昭和49年6月23日初代、脳溢血で死亡後2日目の通夜の席。幹部50人くらいを集めた席上。)で述べたというのであります。幹部50人がそれを直接聞いておりましたので、だいたい正確にその話の内容を復元できます。そしてその翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを授与されるのであります。」
*裁判所は幹部50人という証人もいることから、甲子氏は確かに通夜に幹部を集めて「二代は関口さんと初代が言った」と確認したと、それで「だいたい正確にその話の内容を復元できます」という報告になる。この詳細を補う意味で「中外日報」記事をあわせて読むと、もっとはっきりする。
「中外日報・昭和57年9月3日号」に拠れば、「恵珠氏は二代用の御み霊を預かっているので怖いから一刻も早くお渡ししたいとして、その場で渡そうとしたが、その時、夜の11時を過ぎていることもあり、関口教え主が「もう遅いですから、明日、神殿で初代様のお柩の前でお受けしたい」と提案し、出席者全員の賛同を得て、翌26日に行われることになった。」
*通夜の重大発表は6月25日。特筆すべきは、甲子氏は大変怖がっていたということで、権威ある宗教者という感じはしない。非常事態におろおろする普通の女性に見える。
記事は続ける。 「26日早朝、上級幹部らは2階神前広間に集まっていた。ところが幹部を一旦2階から退出させ、恵珠氏の側近である有間たまえ経理部長と富田(萬美)秘書課長の二人のみが立ち会い、御み霊渡しが行われ、当日出席した幹部等は重大な立ち会いの席からはずされてしまった。」
「全幹部への二代発表が、急遽中止となり、変則的な形で『御み霊渡し』が行われたことについて、疑問を感じた幹部等は、中止になった原因を追求、その結果友森清晴警衛警備部長の指示によるものと判明する。その後の推移を見ると、この友森部長の”不可解な指示”が、後の謀反計画を想起させる。」
*甲子氏本人も6月25日までは「怖いから早く渡したい」との態度であったのが明くる26日に一変。幹部連をオミットし、富田萬美秘書課長・有間たまえ経理部長という側近だけを立会い人に限定し、関口氏にこっそり御霊を渡す段取りにしてしまった。関口氏への御霊は、この変更によって、あたかも私生児のような取り扱いをその後、甲子氏側にいちゃもんをつけられて辿る運命になる。しかし裁判所の確認によって関口氏にこれを渡すことは、「初代の意志」であったことは客観的に確かめられている。そして中外日報の記事では、関口氏側はこれを、友森清晴部長の陰謀と見ている。つまり甲子の黒幕。 この裁判が興味深い点は、病気を治す力があるといわれる霊能力者「初代の遺言・意志」などそれこそタタリなど恐れず、ねじ曲げてしまう、友森清晴部長という屈強なる精神の男によって、霊を恐れる岡田甲子がコントロールされてしまいには神示なる初代の直筆を法廷に持ち出して神示の勝手な解釈を財産争いの証拠にする点である。ここにこの裁判の醍醐味というか、霊とは何か、マインドコントロールによる恐れとは何かを考えさせられる材料がある。
教祖の霊能力など屁でもない男の画策によって、崇教真光は生まれた。そうであるのに、そこでは病気が治るといわれ、大勢の貧しい女達が集まり「こんなに病気が治りました」と言い合い、大金持ちの教団にのしあがった。
*なお中外日報記事に出てくる「富田萬美秘書課長」とは、海外の幹部信者が「岡田は救世教にいなかったか?」と問い合わせに対し「それはウソ話です」と答え、それが外国信者のサイトに富田のサイン入りで掲示されていた富田秘書課長と同一人物ではなかろうか。
*この人男ですか、女ですか?また側近有間たまえというのは、おそらく女性と思われますが、甲子氏も含めてこういういいなりになりやすい女たちが、友森氏のような黒幕男性の命令をよく聞いて、いかにも神がかり的ファッション で通してきたようですね。すばらしい作戦だと思います。人心工作のひとつではないでしょうか。満蒙政策で培った手法が生きているのか。教祖などより、友森氏のニヒルな感性と力量に興味がわいてくるものです。 「御霊渡しの怪」について中外日報・昭和57年9月3日は続けて次のように伝える。
「証言によると、友森部長は、初代教え主の亡くなった翌日、(24日)恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である。」
「24日に続いて、25日の遺言発表の直後も、友森部長と恵珠氏は、深夜の2時頃まで会談している。25日夜、自ら”二代は関口さん”という初代教え主の遺言を発表し、二代用の御み霊を持っていることに恐怖さえ感じ、早く関口氏に渡そうとした恵珠氏が、翌日の「御み霊渡し」、7月5日の虚偽登記へと大きく変節した理由を考えると、そこに友森部長の”意見”が大きく影響しているものと見られる。」
*関口氏側は、間違いなく甲子側の最大の敵を、友森清晴警衛警備部長と見ている。フィクサーと呼ばれる男とはどういう人間なのか。世界真光文明教団で警衛警備部長という地味なポジションについていたこの人物は、かつて国の作戦の中枢、陸軍省軍務局ー軍政の中心的部署と並ぶ陸軍省兵務局ー昭和11年軍務局から独立新設、の兵務局兵備課長をつとめた人物である。兵務局兵務課高級課員であり、そのポストの前任は、柳田元三・小松光彦・山崎正男・菅井武麿(武略字にて失礼)ときて友森清晴に至る。国を動かす中枢にいた男であり、兵務局長は阿南惟幾から始まり、友森の当時の上司は、田中隆吉の後をうけた那須義雄となる。
以上は動かしようのない事実であるが、ここから私の想像であるのでお間違いのなきよう。
このような経歴の男が、一介の民間人、関口氏の部下として警衛警備部長として使われることを自分に許せるだろうか?もし嫌なら無一文で出ていかねばならない。岡田だったら平気だった。それは同じ陸士34期の同期の男だから。岡田、通称光玉、本名良一が遺言として「二代は関口さんに」と伝えられた時、友森氏はどう受け止めたのか。「岡田、戦友を裏切る気か、俺達より関口を信用してたのか。俺達のことは考えもしなかったのか」と敗戦で軍歴のすべてを失い、巣鴨にまで入り、出てきたときは浦島太郎。ありついた教団という摩訶不思議な世界に身をおく他は行くところもなし。この安定した世の中で、もう一度放り出されるか、恥辱をうけるのか、もう御免だねと、だったらひと勝負と、通夜の席から岡田の遺言などクソクラエと反撃に出たのか。まったくの想像の域ですので誤解のないよう。友森氏は兵備課長であったが、合い並ぶ同時期の軍務局軍務課長は真田穣一郎であった。後の作戦部長真田少将である。ガ島将兵の撤収を主張し、インパール作戦の杜撰を指摘、反対した。真田元軍務課長は戦後一介の農民となってしまった。少将までいった人である。戦争については語らず、亡き部下の霊を慰める祈りの日々を静かに過ごしていたという。真光が説く皇国史観まがいはニセモノである。皇国愚弄史観である。こんなことを岡田は頭の中で考え続けていたのか?なぜ天皇とユダヤをエタに関連づける教義を上級メンバーの研修会で外人に説くのか。なぜだ? http://ozemail.com.au~skyaxe/origins.htm 「ムー アンド エンペラー オヴ ジャパン」なんなのだ。この教説は。元帝国軍人の幹部が友森氏他大勢いるのに、なぜこのような教義を平気で説けるのか。そこに戦後失意のどん底に落ちた元将校たちの非常に屈折した思いを見るべきなのか否か。教団真光は、日本人の精神史を、中空になった戦後の「負」の部分を論考するうえで非常に興味深い題材である。戦後の激変に紛れ、日本人がみたくない日本人の姿をこの教団のすべての問題が語っているように感じる。
そのなれのはてが、「暴かれた真光」で既に知られる如く神経ガス殺人集団、オウム真理教とのリンクである。
防衛研究所図書館にある軍名簿には勿論、友森清晴の名はきちんと記載されている。防衛研究所資料に拠り、フィクサー友森のオフィシャルな経歴で、世界真光文明教団裁判の資料を補強する材料が1つある。それは教団の預金名義変更に関するものだ。
中外日報・S57・9・8 「犯罪事実(二)(三)については、教団の銀行預金を多額払い戻し、あるいは預金名義を変更するなどし、あわせて会計帳簿、重要文書類を隠匿したうえで、これら払い戻し金を費消したり隠匿し、あるいは第三者へ送金する等して領得されたものの中から明白なものに限って(二)の三井銀行の二億六千万円(三)の東京都民銀行の二億百六十八万三千六百五十八円について告訴(東京地方検察庁に)しており、これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴名義の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座へ送金されている。」
この記事、わざわざ「実の娘」という言い方がひっかかるので注目していたが、軍名簿には、戦没者・行方不明者家族あるいは遺族会との連絡の為と思うが、妻子の名前もきちんと書く欄がある。29年版では、友森清晴氏の妻は○○枝さんといい、友森氏は東京拘置所内と記入されている。
ところが36年版では、妻の名が変わっていた。つまり一番目の妻が○○枝さんといい、二番目の妻はまた別名。中外日報で「実の娘」とタダシ書きするのは、二番目の妻で知られる友森幹部の家族関係だと、この女性の素姓がわからないからだろう。当初16億の口座Noを預かっていた高橋美枝子とは、枝、エダという字が名前に入っていることから、推測として、一番目の妻○○枝さんの娘さんという可能性が強い。中外日報記事の少々不自然な言い回しが、防衛庁図書館のほうの資料で補われることになる。
昭和36年といえば、世の中がかなり落ち着いて豊かになった頃である。しかし友森氏は東大のそばの電源開発というところの寮に単身住まいであったようだ。自分だけ世の中の豊かさから置いていかれたような気持ちではなかったか。敗色濃いといえども、陸軍省内を闊歩していた過去。そこに再び岡田の死で、また路頭に迷うか関口の下でプライドを捨てるか。冗談じゃない、どっちもいやだ。ではなかったか?心情的には。友森氏はもっとドライでゲスっだったかもしれない。それだったらよほど真光にちょうどいいので構わないが。
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田園調布・梅林旅館の会合
中外日報という宗教に関心のある人なら誰でも知っている新聞に昭和57年というから1982年、二十年も昔に出ていたことが、なぜ知らされてなかったのか。過去の経緯を承知のうえで奉仕活動を団員はしていたのか・・・。
つまりどう見ても「崇教真光」の立教は、関口氏との裁判に負けて、そこにいられなくなったから岡田甲子は別教団を建てざるを得なかった。裁判さえなければ「崇教真光」なる宗教法人をつくる必要はありえなかった。神様が言ったからと、まさか教わっているわけではないと思いますが念の為。お告げじゃなくて裁判です。それは二十年も前にはっきり世間にこうして 公表されている。
宗教法学会第5号では、この経緯を次のように報告している。
「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。この御霊を受けてから一週間も経たない、7月1日に、責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。甲子氏を含む5名の者が、教団の規則に基いて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった。」
昭和57年9月3日中外日報では、そこが具体的に書かれている。
「ところが7月5日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦(裁判所資料では昌彦)経理局長、岡本洋明調査部長の4人は、『初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された』という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。」
*「遺言の如きもの」と恵珠氏側は言っているが、霊をかりにも扱っている団体であるのに「死人に口なし」とばかり教祖がのこした言葉を前言をひるがえして教祖が言ったのと違う意味にしてしまうとは、随分大胆なことよと思いました。しかもただの死人ではなく、霊能力あらたかと言われた教祖の遺言を、「どうせ化けて出てきやしないから」といわんばかりにねじまげるのは、無神論者でも、さすがにやらないことではないか。これはよほど、たとえ教祖だろうと死者など祟らないと確信してたのかもしれない。それならば、先祖の祟るを恐れ、そこで踊らされている信者とは何だろう。
中外日報は続けて次のように。
「関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、7月13日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)を迎える。その席上松平定堯事務局長から次のように発表されている。『恵珠様のおことばを謹んでお伝え申しあげます。救い主様(初代教え主)より二代教え主は関口さんにお願いしなさいといわれました。おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします』(当日の録音テープから転記)」
*宗教法学会の報告は、虚偽登記とはいわず、単に登記という言葉で説明。
中外日報続き。
「13日の公式発表、14日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。」
「17日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に5日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。」
「議事録(議事録記責任者、松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、」
*老獪である。「一切を引き継ぐ」なかにおよそ20億円の教団資産と信者名簿が入っている。企業でよく「人は財産です」などという人材の意味と教団の信者を財産とみる視点は違うと思える。いつまでもお金を与え続ける人たち。寄付せずとも大切にされるのかどうか。
「25日、金子明弘訓練教学部長補佐と工藤高裕同課長は、虚偽登記の事実経過を確認するため、田園調布の梅林旅館で、友森部長と会見し、真意を糺した。友森部長は、虚偽登記したことについて『僕も疑義があった。規則に抵触しはしないかと。実際のところ山本局長より、教え主というのは内部的なことで、代表役員は法律的なことである。本質的に違うという説明を受けて納得した。関口さんは二代教え主に間違いない、こっち(恵珠氏)を僕は教え主とは思わない。代表役員を関口さんに正さなければいかんと思っている』(同会談の録音テープの要約)と説明している。同説明を聞くと、(中略)主張しているのは山本局長で、友森氏は引きずられた形になっている。しかし、彼の法廷証言によると、友森部長こそ隠れた ”演出者”と見られる節がある。」
「証言によると、友森部長は、初代教え主の亡くなった翌日、恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である」
と先に紹介した部分に記事は続いていく。
*次に天野正勝顧問という人物が登場。この顧問は教団預金の名義変更図に登場する人物でもある。関口氏はその後恵珠氏本人と直接話そうと面会を申し入れたが拒絶。 ようやく29日面会実現。その様子は次の記事。
「席上、恵珠氏は終始無言で通し、ただ関口教え主の言葉をノートにメモするだけだった。同席した天野正勝顧問が受け答えし、関口教え主の問いに対しては、文書で回答(資料3)することを約した。」
*異様な会見の光景である。攻守必死の構え。
*異様な事態は続く。
「関口教え主は、8月末にはとうとう公式行事に出席できない状態に追い込まれ、9月度の月次祭では、斎主代行を事務長に命ずるという異常事態になった。」
「ことここに至ってやむなく関口教え主は、9月18日、裁判所への問題提起の意志を固め、関口教え主の代表役員地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分申請を行なった。(文中の役職名は当時のもの)」
*初代の遺言の通りにしないほうが、勢いがあったようである。
*病床にあった初代の指名をうけた関口氏への追い出しに拍車がかかったところで提訴されたという状況だろう。
「宗教関係判例集成」に出ている「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」を見ますと、東京地裁、昭和50年7月24日民事八部判決文にて、マインドコントロールにかかった人は、どのような行動を集団的にしがちなのかちょっと考えさせられる箇所があります。
「保全の必要性の有無」
「弁論の全趣旨により成立の認められる乙八号証の一・二、第一〇号証の一ないし二五、第一二号証の(中略)各証言、債務者岡田本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を一応認めることができる。すなわち、前記認定の幹部通夜の際の債務者岡田の発言および「おみ霊送り」の際の松平事務局長の発表にもかかわらず、債務者岡田を債務者教団の二代教え主(代表役員)として支持するものは、幹部および信者ともに極めて多数に達しており、債務者岡田は、昭和四九年一〇月二七日に開催された債務者教団の第一五回記念大祭において、債務者岡田が二代教え主に就任した旨の発表をした。そして、自分が債務者教団の二代教え主に指名され、したがってその代表役員であると信ずる債権者の心情としては、このような状態が許せないものと考えるのは当然である。」
*債権者とは関口氏。つまり、松平事務長が「おみ霊送り」という初代光玉の葬儀の大会場で組み手に「初代は関口さんと遺言しました」とマイクで伝えたにもかかわらず岡田甲子氏を支持する幹部、信者は極めて多数に達し、ついに甲子氏が「私が二代でございます」と秋季大祭で公言しても「初代の遺言は違いましたよ。おみ霊送りの遺言発表で聞いたことと違う」と組み手達は言わなかった。すると信者たちは上の言うことを、何でもいいなりに従った結果、何と教祖様の遺言でさえ、踏みにじり、甲子さんのほうが霊能力ありそうだから。病気治しに効きそうだからと、光玉の最期の望みも平気でつぶしてしまったのだろうか?判決文が「おみ霊送りの際の松平事務長の発表にもかかわらず」としたところが、普通の集団では考えられないところなのかもしれない。これには「情報操作」という経過もあるかもしれないが、ともかく、「おみ霊送り」で皆耳に記憶しているのだから。「病気さえ治ればいい」という信者の執念が、このような集団心裡を生み出し、結果、光玉の遺言なんてどうでもいいという方向に流れたのか?大変、皮肉な感じがします。
中外日報には、この時期の教団預金口座、そのめまぐるしい名義変更もレポートされており、原因は莫大な資金の争奪戦であることは暗黙のうちに誰でも読み取れることである。しかし裁判は代表役員の地位保全であり、誰が正当にそれを管理すべきかという問題である。
中外日報・昭和57・9・6に拠れば、「9月26日、仮処分裁判第一回審訊が行われた後、恵珠氏等は、裁判に有利な証拠づくりを画策し、10月2日、臨時幹部会を開く。その席上で、6月25日に恵珠氏自らが発表した「二代は関口さん」との初代教え主の遺言を否定し「二代は恵珠様」とする内容の確認書を作成する。」
「つくりかえられた確認書によると、6月25日に恵珠氏が発表した初代教え主の遺言は次のようになっている。6月13日の朝、父(初代様)にご神前に呼ばれまして(中略)二代のお代理用の御み霊をお預かり致しました。(中略)」
*関口氏に渡したのは、お代理用と言い直している。
*しかし初代の遺言は、記事に拠れば、
「6月25日の遺言については、7月17日、18日の両日、出席者全員が署名捺印した確認書(資料1)を提出(裁判所に)している。その一月半後に、その確認書を否定する第二の確認書をつくったわけである。」
*先の遺言を否定する第二の確認書をみんなでつくってしまったという事。
「その上、恵珠氏にくみした幹部等は、最初の確認書に対しては、次のように説明書をつくり、裁判所に提出した。『先般二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。(中略)改めて今回の署名捺印に及びました』無論、こうした真実を被い隠した言いわけ文を、裁判官が納得する筈もなく、真実は後の判決で明らかにされるわけだが、(中略)彼等は7月17,18日の両日、真実の確認書に署名捺印しているが数名を除いてあとは全て実印である。いやしくも教団幹部として組み手を指導すべき立場にある者が『内容も見ない中に早く早くと急がされて』大事な実印を押すものだろうか。」
「二通の確認書を見ると、一部語句の変更ではなく、『二代は関口さん』とあるのを、『二代は恵珠氏』と書き改めるもの。その無定見、無節操ぶりには驚くばかりである。彼らさえしっかりしていたら一部幹部がいくら画策しても、教団全体が翻弄されることなく、世界真光文明教団の”天一坊事件”も存在しなかったであろう。」
*これは俗にいう「遺産相続をめぐる遺言捏造」ということではないだろうか?
*注目すべきは、関口氏サイドが、甲子氏を、”天一坊”と呼んでいる点。つまり甲子氏は関口氏ら、古参の幹部にとって、降って湧いて出た目新しい女性だったのか?いつから初代の身辺、幹部連の前に娘ですと姿を現しはじめたのだろうか?既出の週刊誌などでも、元真光隊員だとか、元看護婦だとか、また「暴かれた真光」では元救世教で知り合った女性とか、 冷静にみていくとひとつとして確実なものはない。情報源はいずれも詳しい宗教学者、詳しい救世教幹部というふれこみであり、再検討すべきだと思われる。その中にあって教祖から二代にと指名された信頼あつかったと思われる関口氏でさえ、???の天一坊というからには、当時でもかなり秘密の部分があったように推測。いつからお父さまと呼んでいたのか。娘時代の写真が1枚もないなど、かなり不自然だ。
「こうして10月2日を機に大方の幹部が、教え主と自称する恵珠氏を、あえて”教え主”と崇め、一体化して恵珠氏をフキ上げようとした。」
*中外日報9月6日記事最期の文章はイミシンである。
「恵珠氏を崇め」は崇教真光の「崇」は恵珠を崇める意味かねと皮肉っているようでもあり、すると「フキ上げようと」のふきあげるを何故カタカナにしたのかなど、掛詞、例えば甲子の本名がフキという字があるなど。個人的疑問だが、岡田光玉は、熊沢天皇となのる人物が戦後幾人か出たが政経調査会関連の人物と接触はなかったのか?いやまさかと思うが。この部分は個人的疑問であるので惑わされないように願います。
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関口氏提訴の経緯
関口氏提訴の経緯について、宗教法第5号(1986,11)は客観的状況として次のように報告されている。
「この秘書課長というのは、甲子派の推進者の一人で、これにサインをしてくれということで、上の方に○というのは、関口氏が見たという印で、これによってこの通達書が道場長、その他に配られることになりました。そしてこの日以降は、甲子派が教団の本部を占拠して、関口氏は追っ払われて別の場所に行くということになりますが、これはあまりにひどいではないかということを、幹部の一部、特に6月25日の通夜の席で聞いている幹部等の何人かは非常に怒りまして、これでは教え主の地位を僭奪されたようなものである、こんな変なことはあるはずがない、黙っていてはこの教団は駄目になる、といって関口氏に理非をはっきりさせるよう迫ります。そこで関口氏は自分が教団の教え主であるということを甲子氏側に言い渡しましたが、もちろん向うは聞かない。東京地裁に代表役員の地位を定める仮処分を提訴したわけであります。」
*以上は法律家の集まり、宗教法学会で説明された関口提訴の経緯です。
*中立の立場の第三者から見た提訴の経緯です。
しかしなぜ宗教法学会で、この裁判が研究のため取り上げられたかというと甲子側が、二代は自分のほうであるという証拠に、裁判所に「ご神示」を提出した。「ご神示」という宗教的秘文、しかも厳密にいえば、書いた本人以外、正しく説明できる人はいないだろうと思われる「ご神示」を裁判所に出してくる。そこでこの研究発表の眼目は、本来裁判になじまぬ「ご神示」を紛争当事者がもちこんできた場合、どのように、教義には介入せず(信教の自由)、どのように取り扱ったらよいかということを実例から発表されている。
そこで当然、光玉氏の「ご神示」も甲子側からもちこまれた裁判資料ですから、写真と文が訳されて、この宗教法学会第5号で見ることができる。これを見て意外だった感想をひとつふたつ。神示というから縦書きと思ったが、光玉の神示は横書きだった。なんと横文字も入っている。→「gelkも?」という意味は不明だが単語が。光玉は数字だけはきちんと書く癖があったようだ。これは神示文中、混乱した文字のなかで、数字だけはきちんとした字体。こんなところにやはり元軍人なのだなあと感想。軍隊の日誌など、必ず正確な日時の記入が叩き込まれた名残か。もし光玉氏はどんな字で神示を書いていたのか知りたい人は、この宗教法学会第5号に出ているのでご覧になると楽しいと思います。
これらの資料には、ご神示を山本というハンコを押して封印してしまったことがレポートされておりますが、ご神示というのは信者の尊崇を受ける財産だと思われますが、こういうことをやってのけるという点、いささか面食らう次第です。
(アントニオ猪健) >馬場氏のレスの資料は、私も持っているが(中外日報)これは、関口氏との裏の >絡みがあり、はっきりいって関口側の資料である。 >関口氏は天一坊事件と言っていた> >三ツ矢グループの息がかかった資料をつかうのはどうかな。 >素人は納得させられても、知っている人には通用しない。
私は、これを、光玉氏の最期の指示と言葉を、伝えるために書いているのではありません。部外者ですから、そういう義理立てはないわけです。しかし、書いていると、自然とそうなってしまう。それは、そもそも、この裁判は、光玉氏は、死のまぎわに何を言い残したかを争う裁判だからです。しかも最高裁まで。
つまり教祖であろうと誰であろうと、故人の遺言は、都合によって勝手に、ねじまげてはいけない。こういう相続に関する民事裁判なのです。もし、アントニオ猪健さんが、またしても否定するとなると、それは、かつて光玉の遺言をねじまげて、結果敗訴した、昔の債務者、岡田甲子氏たちと同じことをして、光玉氏の遺言を冒涜したことになりますよ。理性を働かせてください。
お読み下さってわかるように、私は宗教法学会の報告を軸に、当時の中外日報を、これは置いてある機関が今少ないので、ご紹介しております。
宗教法学会第5号(1986,11)。これは先に申しました通り、家永教科書裁判で最高裁判事をつとめられた大野氏が、お若い時、弁護士時代に研究発表されたものです。法学会レポートに書いてある次の点を抑えて頂きたいと思います。
「本件では、最初に「秘文」(ご神示)があったわけではない。幹部通夜での発表があります。武道館での葬儀の際の発表があります。これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意味を理解できることです。ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、「御神示」なるものを法廷にもち出した。この時に考えが分かれると思うのです。」
大野正男弁護士の解説です。つまり再三そのまま書き出しているように、甲子氏本人が「光玉が二代は関口さんにせよ」と私に言ったので、それを幹部の皆様にお伝えします。といっておきながら、後になって前言を翻し、「私が二代にふさわしいわけは、父の部屋を整理していたとき出てきたメモ(ご神示)に「ヨのみたま云々、娘に伝えよ」と書いてあるから私が後継者よと関口氏を熱海に呼び出して迫った。それで仕方なく裁判所も今まで見た事もない「ご神示」を証拠物件として扱わざるを得なくなった。しかし司法は内容に立ち入る事は許されない。そこで、内容に立ち入らず、「光玉は本当に最期には何といったのか」立証していく。これを大野弁護士は法律家達に報告している。
「二代は関口さん」。これは証拠、証人が出揃っており光玉氏はそう言ったと判断した、裁判所は。また組み手1万5千人ばかりも、大葬儀の会場で、松平事務長から、一万5千人が聞いている。証人というわけです。にもかかわらず、流れがいつのまにか「二代は甲子氏」に。それで裁判所のコメントにも、「松平事務長の発表を組み手は聞いていながら」というニュアンスの判決内容文がある。
アントニオ猪健さんも、かつて教祖の遺言を引き裂くような結果を招いた組み手と、同じことをしようとするのだろうか。ご都合主義も結構だが、このような否定が昔、教祖の必死の遺言さえ討ち落としてしまったことを、また性懲りもなくやろうとするのか?そうであれば、崇教の組み手というのは、救い様がない。
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ラーム氏
>>ラーム氏とは、では、外人の霊能力者なのですか? >確かラ-ムというのは光玉の晩年の取り巻きの一人。 インド人のヨガか霊能者でしょう。
ラーム氏に就いて、ありがとうございます。甲子氏自身が幹部に語る言葉として、突然出てきたものですから、面食らってしまいましたところ、疑問が解けました。また位山についても、何だってこの山に執着するのかなあと思っておりましたが、そういう日本オカルティズムの伝統があるのですね。私は、陸軍演習等で光玉が懐かしい思い出として登った山ででもあるのかなと思っていました。
しかしながら、なぜ、日本の軍人の一部は、かくもオカルティズムに惹かれるのだろうか。それで私は真光の友森氏のように、全然こんな手かざしなど信じてもない行動をする幹部のほうが、人間くさくて健全という感じすらしてしまう。
だが一方、このような板に、「霊動がこわい」「霊動がとまらない」「真光に入ると気性が狂暴に、不安定になる」(海外のレポート)でも。こういう事が現実として存在する。だから欧州でも危険なカルト指定を受けている。裁判の経過は過去のまぎれもない事実だが、現在のまぎれもない事実に、「霊動への訴え」が存在する。
仲村さんのように、オカルティズムの歴史に詳しい研究者からごらんになって、信者さんが不安に思っている「霊動」は、どのように日本文化では扱われてきたのですか?私はそういう知識がありませんが、異常なことに思えますし、そうなってしまったら本人は尋常ならざる不安を起こすでしょうし、発狂でもしたら大変だと思うのです。みんなが割りとと知りたがっているこの点について、安心させてあげられる何か、その種の知識ございますでしょうか?
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霊動
>非常に危険な方向性だったんですね。 >真光は霊動《浮霊》を人工的に引き起こそうとしている訳です。 真光の教義事体が、霊動《浮霊》を引き起こす「方向性」を持っている。という解釈でよろしいでしょうか。仲村さんは霊術の歴史研究の見地からのお説だと思います。そういうフィールドからさえも「霊動は非常に危険」と指摘されることに注意すべきだと思う。
このように危険な霊術でも、それが一部のマニアックな秘密結社の人達の間でやっているぶんには、霊動が起ころうと、それで発狂しようと、好きで研究実践していたのだからと、仕方あるまいと諦めもつくだろう。しかし、現実として投稿の中にも、ふらっと誘われて入ったところ「道場で霊動・浮霊する人を見た。」そればかりか投稿者自身が「霊動がとまらなくなって怖かった」というのさえあった。それは仲村さんの指摘される「真光の方向性に霊動現象は教義の一部として内包されている」をまさに現実として裏付ける訴えである。
神道研究の見地からみても危険なものを、大衆化路線で広める(まぼえする)こと自体が間違っているのではないか。
真光の「霊動」という現象については、JDCCのような脱カルト研究会のなどのマインドコントロール研究団体は、どういう見地をもっておられるのか、是非「霊動」に関する見解を伺いたいものである。かなり大勢の人が脱会後もこれが気にかかって困っておられるのですから。そして治す方法はあるのだろうか?しろうと目に見ても、「霊動」など頻繁に起こしつづけていたら発狂してしまうんじゃないかと思えます。仲村さんは「霊動」は濁音の祝詞が起こす「暗示」と関係があるとおっしゃっているように受け取りますが、それでしたら暗示とは怖いものですね。人を一生縛り付ける。確かにゴクビ云々の語韻はゴクツブシといったののしり言葉などを連想させますが。濁音て、詩でもそうでしょう?
それともうひとつ大事な留意点は >この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。 これを信者の方は見落とすわけには行きますまい。
つまり幹部も「俺も霊動ってよくわからないけど。起きちゃうんだよね。」とまあ見えない世界のことだから幹部もわからないで指導していることだってあり得る。しかし「霊動」について意図的に引き起こすことを、このある一名の幹部だけでも「知っていながら」やっていることに、「おまえ、罪の意識を感じないのか」と問いたい。 これが「危険」だということもこの幹部知っとるなと。そうしたら何ですよ、人が悪いね。
「霊動」はその動作だけ観察したら、薬物中毒者によくみられる現象と同じです。薬害を説きながら、ヤクも使わずヤク中と同じ現象を他人様のからだに引き起こしてどうするんだ。矛盾していないかと思います。あたかも副作用(霊動)の強い精神安定剤を安易に与える悪徳医者のような感じもする。
神道研究からみても「非常に危険」というなら、そもそも奥様方が「今日のおかずはきりつめて、あした浮いたぶんをお布施しましょう」などとお気楽に接して害の無いシロモノでは、決してないと思える。手かざしされること自体が、「霊動」を誘発するとすれば、では親が自分の子どもに手かざしして「霊動」を誘発してしまった場合は?神道研究家でさえ「危険」といって手出ししないことを、そこらの奥様方が、無知ゆえに、子どもにバンバンやっているとしたら社会問題だ。
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光玉最後の御神示
宗教法学会第5号には、光玉の最期のご神示が写真とともに活字化されて出ている。ご神示とは光玉氏の場合こういうものかと、よくわかる。よくわかるというのは、やはり所詮は書いたご本人しか真意は説明できないだろうなという暗号のような、メモのような体裁の文章だ。長文が掲載されているが、その一部を書き出すと、
「幸子に『あす11時だよ』と 13日夜 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ しばらくくちゃくちゃ」
このような文章がずっと続きます。ご神示も霊動も、真光の主要アイテムですが、神示は書いたご本人、霊動なればそれを我が身に起こしたご本人がその時どういう感触と感情をもったかも大事なことだと思います。もし真光の霊動にしても、本人を安心させる後味だったら、元信者さんたちが霊動とは何ぞやと、気持ちにひっかからないと言えますまいか。後味がひっかかるから、宗教渡り鳥といわれていますが、他の似たような教団に行ったりするのではないか?後味がひっかかるから、外国信者の方もそうですが
ヨガや気功で真光の霊動と似たようなことはないか。調べなければ落ち着かなくなる。霊動について何か調べてみないと落ち着かない感じを多くの人に与えてきた側面がある。解明には、いろいろな説があると思うが、もし、霊動現象がさわやかで良い印象を与えるものだけであれば、人はそれについて調べ回らないと思う。また人前で、意識で制御できずに体が動くことを、セラピーと1対1なら兎も角、大勢に見られることは、人間の本能として、恥ずかしい感じ、屈辱感を抱かせるものではないか。人前で失禁しちゃったような。ある先輩の組み手が、自分の手かざしでそれを後輩に起こしたとする。起こしたほうは、他にさしたるとりえがなくとも、支配欲のようなものが、いくぶん満足するのではないか。
自分はこんな不思議なことも相手に起こすことが出来たと。霊動は起こさせたほうには強い自信となり、起こされたほうには服従心を植え付ける強力なアイテムとなりうるのではないか。起こされたらマケ。のような感じが致しますが。その後の教団内、人間関係にも影響するような。
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導士のセクハラ
ホームページを見ていると、ある道場で起きた導士のセクハラとか、年増の女導士が若い隊員に「今日、アタイを家まで送ってくれるの誰!?」などと運転手がわりに召使として使っている、なんだあの女はという書き込みもある。また道場長に施設拡大につかうからと金貸したのに返してくれない等。これは明らかに世俗の問題である。神を否定して文句を言っているわけではない。
ところが、困ったことに、そういう実態を見て、「辞めたいけど、おみたまどうしよう」と思う人が大半で、「開けても大丈夫でした」とか「教団に郵送しました」「ゴミにして捨てちゃいました」など、またまた、「おみたまの返し方」で議論が沸き起こるという状況である。「おみたまの返し方」は罪障意識をかきたて、ないがしろにできない信者の問題となっている。
指導者のマナーという世俗問題が「脱会」の段になるとおみたまという神力の問題に収束されるので、信者はがんじがらめになり、後退も前進もままならず蛇の生殺しのような状態にされる。これは苦しいことだ。教団内で発生した世俗の問題は、監督権のあるところにもっていき、そこから教団に指導してもらうしか、改善できないと思われる。
真光は単立宗教法人で、確か都道府県知事所轄ではなく、文部大臣所轄の文化庁文化部宗務課が窓口だと思う。確かめてないが。
文化庁宗務課では、各宗教法人の苦情件数というのを挙げているはずだ。そこに苦情として、道場のセクハラなどは実名をあげて言っていったらいいと思う。それで辞めたい人は、ついでに「おみたま」も文化庁に証拠として送ってしまうのも一考である。なぜなら、それが直筆か、印刷か、そこから光が出ているかなどで迷わされる教義なのだから、そういう証拠として所轄で調べてもらう材料に送ればあとは専門家の出番だ。
そこに奉仕してお金を奉納してきた信者の主張や疑問というのは大事なもので、文化庁にないがしろにされることがあってはならない。という風に建前はなっているのだから。金貸したの問題にしても教団の健全運営に関する重要なことなのだから、信者の強みというのは、監督官庁にもの申していく時に発揮されるのである。誰もが自分の人生を大切にしたいと思っている。そこに宗教があった。それなのにそこにいると自分を大切にされないばかりかセクハラだと!?と怒るのは当然だと思う。事例が重ならないと監督庁も指導しようがないでしょう?
宗教法学会第5にも、これは1980年代の資料ですが、すでに、「この事件(真光文明教団代表役員地位保全事件)は最初東京地裁の民事第八部、通称商事部に係属しました。東京地裁の八部というのは、会社関係の事件を扱う専門部なのですがそこの裁判官がいうには、今は株式会社に関する事件は少なくなって、学校紛争と宗教紛争の事件が多い、今や商事部は宗教部に化した、という話をしていました。」こういう傾向が1995年宗教法人オウム真理教のサリン事件につながっていく土壌であったのだと思う。
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岡田光玉の御神示
真光文明教団代表役員地位保全事件。簡単にいえば、光玉の葬式後、関口氏と岡田甲子氏が2代目を争って起きた裁判で、これに負けたから岡田甲子は今後真光文明教団のマークや名称を使えなくなって(関口側によれば当方とは一切無関係)しかたなく「崇教真光」という名称の別教団を起こさざるを得なかった。
これが客観的な真相である。負け戦で転んでもただでは起きないしぶとさなくしては、楽して金を儲ける宗教商売などできるものか。人類救済の前に裁判で追われた自分たちの救済あり。そのしぶとさに感動する人が信者になるべきなのだ。
さて甲子側は、自分たちの主張を通すために、本来秘物であるはずの、光玉自筆の「ご神示」を法廷に証拠として提出した。そこにはじめは「山本」というハンコを押した封印をしていたことは、前に述べたとおりである。すごいですね、ご神示にハンコで封印とは。それでもバチあたらないのだから「みそぎ」はどこからくる不幸なのでしょうか。
宗教法学会報第5号(1986,11)には光玉の「ご神示」の提出されたものの通りに紹介されています。かなり長いです。崇教真光の信者の人は、次に掲げる大切なご神示をテキストで教団から指導して頂けましたでしょうか。多分されてないと思います。由来を正しく解いたら、いろいろバレてしまうから。どうして裁判所や一般人のほうが光玉大先生の「ご神示」を 見られ、信者は献金しているのに(見物料を払っているのに)見られないのでしょうか。光玉の死直前の、いわば最終メッセージは次のように紹介されています。
宗教法学会報では。
「12日午前11時お伺い 午前10時起きていそいで書き直し 13日2時 11時と思う 幸子に「あす11時だよ」と」
延々とつづく。
教団財産名義変更図の前に裁判所に岡田甲子から提出されたご神示。山本のハンコで封印したご神示。山本とはおそらく証人として尋問されている「山本昌彦」だろう。右翼団体「興民会」の理事にも「山本昌彦」という人物がいる。それを中外日報の関口氏サイドでは「山本正彦」と書いているが、誤植か悪く取れば故意にこの人物を間違って表記したか。つまり「宗教団体幹部にして右翼という素姓」まで洗われるとまずい。敵は甲子だけでよろしいと。これはうがった見方である。裁判所資料ではこの人の名は何回も「山本昌彦」で出ているからこちらに間違いない。
さてご神示である。
「13日夜 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ しばらくくちゃくちゃ 御聖地と造営着手御伺い 考え考えよ しばし右横へ 方向 守るよ 高天原守らむなれど 時悪し 神守るなれど 遅いよ遅いよ アマハラ 鎮護せしめん 胆なり ヤマト人 遅いよ遅いよ 時悪し しばし 時を見よ(11日夜のこと金星すてぬなれど ここ運つきよ)
延々とこのようにまだつづきます。
「しばらくくちゃくちゃ」「ここ運つきよ」がおもしろいことばだなあ、何とはなしに老人が背をまるめ口元をもぞもぞさせて「俺の寿命もこれまでかな」と呟いている様子などが連想される語感。おもしろいね。これがご神示というのかと裁判の資料でわかるのです。
裁判所に岡田甲子から提出されたご神示文の続き。信者の方に伺います。このご神示をご存知でしたか?
「神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ 玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ 間に合わず 此地 時をまて 8月10日27 所 与えられん 思い立ったら吉日よ もう一度 ほかの仕組みで 力 外に うまく そらさんも」
*この部分まで出ています。またもっと整理されてないほかの部分は直筆を写真に撮ったもので出ています。そこには「gelkも?」という横文字もあります。
さて宗教法学会報第5号(1986.11)では、このご神示を甲子氏が「私が2代の証拠はこれよ、ヨのみ霊もちて娘に与えよ、とあるのが父の遺品を熱海で整理してたら見つかったの」 と出された秘文、ご神示。
大野正男弁護士の解説によれば、先ず次の点が押さえられています。
「本件では、最初に『秘文』があったわけではない。幹部通夜での発表があります。(補足:2代は関口さんにお願いしなさいと先代はいったと甲子は幹部達に伝えた)武道館での葬儀の際の発表があります。(補足:葬儀列席の大勢の組み手に松平事務長から、2代は関口さんと先代はいっていたと甲子様が聞いたことを、ここでもそのまま皆さんにお伝えします。とのスピーチ)これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意義を理解できることです。」
「ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、 『ご神示』なるものを法廷にもち出した。」
*このように本当の経緯が説明されています。
また大野氏は次のような指摘もされています。これは教団財産名義変更図をひとめ見ればもっとも腑に落ちる指摘であります。
「しかし宗教団体に関する紛争といってもその実質は、多分に跡目争い、財産争いという世俗的紛争を伴っていることが多いのですから、できるだけ教義解釈の内容に入らずに、世俗的に充分理解しうる諸事実を判断することによって、紛争に対する実値判断をすべきではないかと思います。」
*また次のような厳しい指摘も。
「この事件(世界真光文明教団代表役員地位保全事件)でも感ぜられましたように、故意に教義的粉飾をこらすということもありうると思われるからです。」
*これは重要なポイントで、「ご神示」さえも手玉にとる一種の野蛮さを甲子以下幹部たちに感じてしまうのです。「光玉という死人に口なし」という所業にも見える。だったら霊なんか説くなと。
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七億円余の横領を告訴
中外日報、昭和57年9月8日の記事の小見出しである。宗教法学会の大野正男弁護士の、この事件に関する研究発表は、前出の通り、「ご神示」という本来裁判になじまぬものを、裁判所が代表役員(巷でいう教祖)の後継者の証拠として提出された場合、どのように対処したか。これについてであり、金銭については触れられておりません。
しかし、中外日報の次の記事を読みますと、ご神示など吹き飛ぶ、金銭に対する異常というか、世俗そのものだから正常というか、悪徳金融業者顔負けの修羅場があった事を察するのであります。
中外日報、昭和57年9月8日 次のような書き出しで始まる。そのまま抽出がわかりやすいと思う。参考として「預金名義変更図」が掲載されている。 「七億円余の横領を告訴」
「昭和52年2月24日に東京地裁の本案判決、同3月31日に東京高裁の仮処分と勝訴した関口教え主は、念願の本部(田園調布)に戻り、教団を一本化し、教団使命遂行に邁進せんとした。」
*関口氏サイドだから、「邁進せんとした」という表現なのだろうが、裁判の事実経過の論述は、このシリーズは裁判所サイドの資料と照らしても、いささかのくるいもない。だから、「宗教関係判例集成」(第一書房)という本来、司法関係の基礎資料集でも、本件の参考文献として、今掲げる「中外日報」のバックナンバーを出しているのである。中外日報の内容がめちゃめちゃだったら、「判例集成」には紹介されない。
「しかし、それまでの2年半に、教団は恵珠氏およびその側近の完全な”私物”と化しており、荒廃をたどっていた。」
「初代教え主の死後、恵珠氏とその側近は、すぐに教団の印鑑および会計帳簿、預金通帳、預金証書、組み手名簿(信者名簿)等の重要書類を関口教え主に渡さず、事実上支配していた。」
*「2代は関口さんに」という初代の遺言を、恵珠は自分の口でいったんはおおぜいの幹部に申し渡したにもかかわらず、その後豹変したのは、”預金通帳”を渡したくない。この部分をみていかないと明らかにならないだろう。
「あまつさえ、虚偽の代表役員登記ばかりか、教団の預金も教団代表役員岡田恵珠名義に変更してしまい、重要な教団の財産を、ほしいままに管理支配していた。」
「そしてこれらの偽装の事実は、三十万組み手に何ら知らされることがなかった。」
*この部分は、「信者に知らされてないぞ」の部分は、関口サイドがくりかえし「中外日報」というメディアで叫んでいる訴えである。この方正直だと思います。このような部分では。そういう宗教トップはあまりいないのではないですか。隠すばかりで。
「昭和52年4月6日、東京高裁の判決にもとづき関口教え主の委任を受けた弁護士、執行官は教団本部で恵珠側に、教団財産の引き渡しを求めた。ところが本部からは、既に帳簿類等の重要書類から什器備品に至るまで、めぼしい物は総て持ち去られていた」
*「夜逃げ屋」という映画のワンシーンを連想させる。執行官が行ったら、什器備品に至るまで、めぼしいものはすべて「夜逃げ屋のように」持ち去っていた。というのがなんとも。宗教とは思えませんな。恵珠もからくさの風呂敷に、めぼしいものを一杯つめて運び屋を手伝ったのでしょうか。よいとまけ精神ですな。 教団の金の名義変更は複雑だ。が、裁判の結果と連動してコロコロ名義が変わっていくことに注意。中外日報の説明図によれば、昭和52年3月10日新設の「世界本山御造営奉賛会」の名称で29億5000万円の口座があった。通帳の代表は「高橋美枝子」 この女性は警備部長・友森清晴(関口氏によれば、甲子を操るフィクサー)の娘であると。そして「組み手(信者)ですらない」手かざしなど信じてない女性ということか。関口氏は信じているから2代を主張するのであって、「組み手ですらない女性」という言い方も無理はない。
29億5000万円は通知預金であり、 通帳NOは、No960-088 No960-054
この3月10日新設の7日後、高橋美枝子の父、友森清晴の口座に別にプールした金から7000万円が送金されている。組み手は誰に金を払っているのか、このことが中外日報に詳しく出ている。設立当初からこのありさまなのだから、土下座されても入る気がしないと思われるが世の中にはきとくなかたもいらっしゃるようである。知らないからでしょう。
これが、中外日報、昭和57年9月8日の見出しである。 「預金名義変更図」が出ているので、それをそのまま紹介する。 Noは、通帳Noを指す。
「預金名義変更図」
三井銀行自由が丘支店 世界真光文明教団 代表役員 岡田甲子
定期預金 15億5000万円 (満期S49・3・28) NO 3920627 (利息5135万2387円) ↓S50・7・23解約 S50・7・23新設
世界本山御造営奉賛会 代表 高橋美枝子 通知預金NO 960054 16億0135万2387円 ↓S50・10・17解約 S50・10・17預け入れ
世界真光文明教団 代表役員 岡田甲子 定期預金 18億0135万2381円 NO 3920627 ↓(S52・2・24東京地方裁判所判決) S52・3・10 24億8350万円 ↓S52・3・10解約(利息5225万7078円) S52・3・10預け入れ↓
世界真光文明教団 ↓ 代表役員 岡田甲子 ↓ 定期預金 ↓ NO 920-668 ↓ 1億円 ↓ ↓
S52・3・10新設 世界本山御造営奉賛会 代表 高橋美枝子 通知預金 NO 960-088 NO 960-054 29億5000万円 (S52・3・10入金分229万6023円)
これが1本の太いラインであるが、複線もある。その複線から友森清晴の「個人口座」に計1億5000万円送金振込みがされている。
なお再三記すように、高橋美枝子は組み手ではないという。
中外日報、昭和57年9月8日号 もう1本の教団名義金ライン
「名義変更図」 宗教法人世界真光文明教団 世界本山御造営委員会 委員長 天野正勝 普通預金NO 922-900 ↓入金 S50・7・23新設 世界本山御造営奉賛会 代表 高橋美枝子 普通預金NO 968218 2533万4630円 ↓入金 ↓S50・8・29 ↓S50・10・13 (前出:NO 3920627 18億0135万2381円の 岡田甲子名義定期預金へ入金合流) ↓ S52・3・1 友森清晴へ 5000万送金(犯罪事実2) ↓ S52・3・10 友森清晴へ 3000万送金(犯罪事実2) ↓ S52・3・17 友森清晴へ 7000万送金(犯罪事実2)
*結局、代表者 天野正勝の預金通帳には、信者からの直の集金が図示されているのだが、そこから友森清晴警備部長の個人口座に金が抜かれ、(つまり素直にみると天野と友森はぐる)計1億5000万円は、信者の浄財が友森のポケットマネーになったとみられる。これを(犯罪事実2)として告訴された。全額の詳細は、図以外にもあるのでのちほど。
恵珠を担いだ男達のやりかたは、教団マネーぬきには語れないだろう。友森の娘もそこに荷担して恵珠と預金通帳をいったりきたりさせており、金がこの一味から逃げないようにフォローしあっている図に見える。恵珠とはどんな女なのか?なにやら女詐欺師にしかみえないのだが、金だけみると。すべての経歴を洗ったほうがいいタイプ。鷺宮とよく呼ばれるM資金サギなどによく出てきそうなタイプ。それでまた、この中外日報には恵珠のヒドイ写真が使われており、いかにも険のある、いじわるそうで下種な表情で写っている。訴えているのだから仕方ないだろう。
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参考文献
返事が遅れまして申し訳ありませんでした。
「宗教関係判例集成」第一書房(肌色の表紙)1-10巻ある中で、4(Ⅳ)巻及び5(Ⅴ)巻に、「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」として出ています。またそこに名のあがった幹部名で元軍人は、「陸軍士官学校」秋元書房に出ております。
陸士34期からは「大東亜戦争史」を著した服部卓四郎氏が海外の戦史研究家のあいだでも有名です。また、新聞雑誌類に過去に掲載された真光の記事をたくさん集めるなら、宗教情報センターで一挙に検索して、記事を出してもらえます。宗教情報センターは小石川にあります。中立の機関です。もし自分が持っている教団の古い本などあったら、こういう機関に寄贈して宗教研究に役立ててもらうという還元の仕方もあると思います。
宗教に知識のない人が、入信する前に情報として「この宗教はどういう宗教ですか」との問い合わせも多いようです。が、相談機関ではなく、中立の情報機関です。やはりオウム事件以後、こういう機関がたいへん必要だということで設立されたようです。
それから嫌なニュースですが、ゲリー・グリーンウッド氏の私書箱が閉鎖されました。どなたか事情をご存知の方いらっしゃいますか?グリーンウッド氏に来日してもらって、いっちょ講演会でもやって貰えたら非常に良いと思うのでありますが。あるいは、グリーンウッド氏と語り合う豪州3日間の旅とか、心をいやすツアーなんかあったら参加者多いのではないですか?
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