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セント・デニス・ザンテ勲章
岡田光玉氏が受賞したという、セント・デニス・ザンテ勲章に関する教団の説明は以下のとおりです。より詳しいことは、次のHPを参照してください。
光玉の勲章はインチキ勲章HP http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/7139/
「大聖主 岡田光玉師」P203-204 監修 救い主様伝記編纂委員会 昭和五十八年六月ニ十三日初版発行(株)L・H陽光出版
セント・デニス・ザンテ勲章 国際アメリカン学術協会は、一九0一年にワシントンに設立された。本部はニューヨークにある。協会の事業は、人類社会に貢献した世界各国の功績ある人に、アカデミー賞またはナイト勲章をおくる。もとは、西暦三十四年に、ギリシャのザンデ島で、功績者にナイト(騎士)の称号を贈ったことから始まったもので、アメリカ合衆国がそれを継承した。これまでに、ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディなどアメリカの大統領、ギリシャのピーター殿下、ヨルダン王、スペルマン枢機卿、ノーベル賞のシュバイツァー博士など、世界第一級の功績者に贈られた権威ある称号ならびに勲章である。アカデミー賞の受賞者は日本にもあるが、ナイト賞がわが国の宗教界で贈られたのは、岡田光玉師がはじめてである。
勲章は、中央に聖デニスの肖像があり、それを「ザンテ聖デニス騎士団」というギリシャ文字が囲んでいる。この円形を中心にして、銀の白十字がひろがり、その先端についている銀の球は、騎士道精神の八つの徳目である勇気、節制、正義、信仰、愛、希望、慈善、慈しみを表している。裏面には、「信仰・勇気」の文字が浮き彫りになっている。
み役者の手引き 部外秘 ○○真光
P.9 昭和47年2月17日、日本及び世界各国への大きな功績、そして次期文明への示唆をたたえて、国際アメリカン学術協会から、世界的な文化栄誉「ナイトコマンダー称号」と、「セントデニスザンテ勲章」(西紀34年イエス存命中に制定され今日に至る)が贈られ、その叙勲式典が行われました。 かつて、この叙勲の対象となられたのは、ルーズベルト、ケネディなどアメリカ歴代大統領、また各国元首やローマ法王、枢機卿、カンタベリー大僧正といった世界的な功労者ばかりであります。 この光栄ある叙勲は、救い主様の偉大なる業績が日本のみならず、広く世界に認識されたものといえます。
○○真光中級研修テキスト(英語版)
On 17 February 1972, in recognition of his service to the world, and for his suggestions for the coming civilization, Sukuinushisama was awarded the decoration of Knight Commander of the Sovereigh Greek Order of St. Dennis of Zante by the International American Institute. This is an internationally recognized cultural honor. On the same occasion he was also made a fellow of the International American Institute. (注: 「大聖主」にも英文訳が出版されている。)
ところが、スティーブ・アラートン氏の「○○真光文化に関する小研究」の中で明らかにされたように、この勲章は「セルフスタイルドオーダー」(自称勲章)と呼ばれるものであり、欲しい人はお金を出して買うことが出来、逆に有名人には勝手に送りつけられてしまうという、全く価値のないものです。この勲章は,イタリア政府(外務省)が作った価値の無い勲章のリストに載っています。
http://www.chivalricorders.org/orders/self-styled/slfstlod.htm The Sovereign Order of the Knights of Saint Dennis of Zante: Originally founded by the notorious "Count" Pericles Voultsos, this is now apparently run by "H.S.H. Count Thomas JohnTaglianetti". This Order claims among its members former President George Bush, yet another example of how these groups send their award to a prominent individual and then claim him for a member. It is closely associated with a Mr Lowell Barker, who calls himself Bishop Mikhail of the Ukranian Orthodox Church.
セント・デニス・ザンテ勲章(ザンテ・聖デニス・ギリシャ勲章): この勲章は、かの悪名高い「伯爵」であるPericles Voultsosによって作られ、現在は,Thomas John Taglianetti (HSH)伯爵によって運営されている。この勲章は元アメリカ大統領ジョージ・ブッシュ氏もその受賞者の1人だとされている。このことは、この勲章を授ける団体は勲章を有名な人物に送りつけ、その人物を団体の会員であるということにしてしまう、一つの例である。この勲章は、ウクライナの正統派教会の司教であると自称しているLowell Barker氏と深い関係がある。
http://www.heraldica.org/topics/orders/itbgord.htm The Italian Ministry of Foreign Affairs issued in 1953 a long but not exhaustive list of such illegitimate orders. This list is apparently updated from time to time. Here it is, copied from an editorial in Hidalguia (no. 177, 1983). Saint-Denis de Zanthe (ordre souverain grec de)
イタリア外務省は、1953年に、そのような非合法な勲章について、長いけれども完全ではないリストを発行した。このリストは何度も更新されている。ここにあるものは、”Hidalguia”(1983年177号)において編集されたものである。 →リストの中に、セントデニスザンテ勲章がある。
近年、この同じ勲章を受章した人たちが日本にいます。以下がその人たちです。いかにも怪しい健康器具や健康法を開発した人たちが、この勲章を得ています。このことからも、教団が行っている勲章に関する説明は、全くの嘘であろうと思われます。
2000年11月
株式会社コンセラン代表取締役 川口裕清が米国公益法人、世界学術研究アカデミー財団より、「予防医学博士号」 「ザンテ聖デニス、ギリシャ勲章」を受章。コンプレッションセラピー「コンセラン」(空気圧式ヘルストレーナー)を活用した健康機器の30年にわたる普及活動が認められる。 http://www.comtheran.co.jp/annai/annai.htm http://www.comtheran.co.jp/yobou.html 1999年 2月
WOS-21代表取締役 射手矢 政美 WOS-21による大気汚染防止および長年の水質悪化防止活動が認められ、聖ザンテ・デニス・ギリシャ勲章協会から「コマンドール章」を受賞する。 http://www2.ocn.ne.jp/~wos21/wos21co.htm (リンク切れ)
1997年
土屋義弘氏 「コマンドール勲章&ナイトの爵位」を受章(ザンテ聖デニス・ギリシャ勲章)
土屋氏略歴 1939年 広島市生まれ 1962年 日本大学卒業 倉敷紡績(株)における15年間の商品開発部勤務を含めて30年余にわたるせんい業界での活動の中で、せんい工学と生きたマーケティングを学ぶ 1986年 京都に(株)ユーを設立、代表取締役就任 長年の開発・販売活動の中から、様々なせんいを使った理学的健康法を開発、特に下着の分野で数々の成果をあげてきている 1997年 「コマンドール勲章&ナイトの爵位」を受章(ザンテ聖デニス・ギリシャ勲章) (財)健康科学研究協会を設立、副理事長就任 ライナス・ポーリング科学医学研究所(米国)と共同研究&交流を開始 世界学術研究審査協会米国本部から名誉博士号を受賞 (社)国際発明協会:Masters of Invention http://khon.tripod.co.jp/chosha/t045.html
1997年
永井竜造(ながい たつぞう)氏、ザンテ聖デニス・ギリシャ勲章の叙位叙勲と名誉哲学博士号の授与、さらに同年イギリス・ケンブリッジより20世紀功労褒賞を授与される。
http://khon.tripod.co.jp/chosha/n001.html
略歴 1940年満州に生まれ、諸国に在住する中で国際的なセンスと大陸的なスケールの発想を身に付ける。鉱脈探査の先駆者である。 経済学の分野ではアメリカで「経済学による世界平和への五段階構想」を論文発表し、日本でも(社)全国日本学士会正会員として学術新報アカデミア第174号に論文「構造改革と職務分担給制度」を発表。また「五進の経営学」「五種類の思考方法と三十五項目の検証手順」「支援型販売システム」「特許共願申請システム」「異業種共有市場システム」「共同通販システム」「新規事業育成システム」「永井式ポータブル宝石研磨機」などを研究開発した。 環境学の分野では、環境改善のための新素材の開発に取り組み、トルマリン鉱石をはじめとする環境改善素材の研究及び普及のために活躍している。経済学博士・環境学博士の資格をもち、1997年にはザンテ聖デニス・ギリシャ勲章の叙位叙勲と名誉哲学博士号の授与、さらに同年イギリス・ケンブリッジより20世紀功労褒賞を授与された。
*著書:『宝石夢追い人』『超絶の経営論』『ブラジルの宝石ルーツ探訪』(以上、柏書店松原刊)、『トルマリンが環境革命を起こす』『トルマリン環境健康法』『地球人宣言』『新・トルマリンが環境革命を起こす』(以上、ダイヤモンド社刊)、『野獣派の経営哲学』(実業之日本社刊)、『輝くトルマリン健康法』(全国日本学士会刊)
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関英男博士と真光
<救え、然からば救われん> (崇教真光:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷) 92-93頁
関英男博士は、電気工学の分野で世界的に著名なかたですか、「情報科学と五次元世界」という本を著しました。先生は、その中で<幽子情報系>という仮説をたてていますが、これは三次元の物理的情報とはちがった、五次元世界つまり私たちがいうところの神霊界の情報論なのです。最も科学的な研究を進めてこられた博士が、いまや目に見えぬ神の世界にふれる情報理論を科学的に打ちだしてきていることは、今後の科学の方向を象徴する事実といわなければなりません。そして、科学の将来は、救い主様がかねてから主張していらっしゃるように、電子、霊波の世界の探求へと到達していくのです。
<心は宇宙の鏡> (関英男著:平成12年9月:成星出版) 85-86頁
佐々木の将人: 中野学校出身者には超能力者や新興宗教の教祖が多いようです。岡田光玉さんもそうですね。
関英男: 岡田光玉さんなら、ここへ2度たずねてこられましたよ。真光教の教団を作られる前に来られたんです。夕食をいっしょにしました。
佐々木: あの人は、もともとスパイです。スパイと言うと変ですけど、特務機関に属していたときに霊的になったようです。
関: 岡田さん自身は、教団にするつもりはなかったようです。あの方は、胸を患って、いよいよ明日命がなくなるというときに全財産を浅草の浅草寺に持っていかれたのです。そこで、八大竜王が岡田さんについちゃうんです。そして、帰りがけに犬がね、死にそうになってよろよろしているのを、手を当ててやったらみるみるうちに生き返って元気になったもんですから、その家の人が喜んでね。夕飯をご馳走になったりして家に帰られたそうですよ。 それから、人間の病気も治してしまうようになった。太陽と話もできたそうです。そして、今度は、どうも世紀末に大きな変化が来るというので、手かざしでみんなを救わなくちゃと、とうとう宗教にしてしまわれましてね。立教されてから再びお会いしたときには、宗教にしましたことを神様からさんざん叱られたと言っていました。宗教なんかにすると、成就がひじょうに遅くなるのですよ。
<解説> 平成10年に崇教が増刷した書籍には、関英男博士の説が引用されている。ところがその2年後に関氏が新しい本を出版したのに、その内容を全く信者に知らせなかった。あまり知られたくない立教時のの内輪話がのっていたからである。つまり、関氏の著作の中から、自分らにとって都合のいい点だけを利用したのである
<解説2> 関英男博士というのは、電気通信分野ではそれなりの有名な学者なのですが、下で引用しているようなメチャクチャな主張もしているという、わけのわからない人です。大学教授だから、学会の権威だから、という理由だけでその人を信用してはいけないよい例だと思います。岡田光玉氏や真光教団は、霊などに関する教えをサポートするものとして、関英男博士の説をとりあげ、彼の権威を利用しようとしています。しかし、科学的知識が少しでもある人なら関博士の言うことがおかしいことぐらいわかりそうなものです。 上の文章にあるように、岡田光玉氏は関英男博士と親交があり、立教当時の話を博士に打ち明けていたようです。これは初級研修で習う話と一致する点(瀕死の犬が元気になった話など)もありますが、本当の話に基づいているのか、あるいは話のうまい岡田光玉氏の作り話だったのか、今となっては謎です。 また、岡田光玉氏は旧陸軍の中野学校の出身であるということが述べられていますが、中野学校とは宗教におけるマインドコントロールに応用できる心理戦なども教えるところであったようで、岡田光玉氏はここで自らマインドコントロールの手法を身に付けたとも考えられます。(参照: 「カルトか宗教かの見分け方」...軍事問題としての視点から。)
トンデモ本の世界 http://araiweb.elcom.nitech.ac.jp/~ichimura/book/book3-1.html より抜粋
[権威者が書いたトンデモ本]
次に関英男という人をとりげたいと思います。「トンデモ本の世界」にはこの人の書いた「高次元科学」という本が紹介されています。
「この人の提唱するのが『念波天文学』なるもの。通常の光や電波は秒速三十万キロでしか情報を伝えることができない。しかし、念波、つまりテレパシーは四次元の波なので、光より百億倍も速く伝わる(根拠不明)。だからテレパシーで宇宙を観測すれば、光や電波より正確に宇宙のことがわかる・・・というのだ」
というわけで、テレパシーで「大宇宙の権威者より、直接教えを受け」た結果、「中性子の形がゆがむとガンになる」、「陽子の形がゆがむとエイズになる」ということがわかったのだそうです。 さらに、「太陽の表面温度は摂氏二六度」であり、その証拠に太陽の表面に住んでいる優良人類からたくさんのメッセージが届いている、と関氏は主張しているとのこと。これだけ読むと、この関氏は空想力豊かな楽しいおじさんのようでありますが、ややこしいことに、実はこの人は電気通信分野の権威なのです。東工大教授、電通大教授、ハワイ大学客員教授を歴任し、学会の功績章を受賞し、紫綬褒章なども得ています。電気通信の権威がテレパシー通信を言い出しているわけで、ちょっと頭が痛くなります。
窪田氏はアマチュアの科学者であり、既存の学界の外にいて学界の権威を攻撃すると同時にそれに憧れていました。その憧れの強さが、彼にトンデモ本を書かせたのでした。それに対して、この関氏は学界の権威の中枢にいた人です。年をとってボケた、と言ってしまえばそれまでですが、もしかしたら、名誉も地位も手に入れたことが、ある種の全能感を生んでしまったのかもしれません。 Top
淞南学園の真実
島根県松江市の淞南学園高校は、99年6月に○○真光推奨校となり、翌年に崇教信者専用の男子寮ができた。そもそも1968年に岡田光玉師が同校を訪問し、岡崎功理事長と親しく懇談したのがきっかけである。かなり以前から崇教の道場に生徒募集のポスターが貼られており、八坂東明氏の甥にあたるサッカーの岡野選手も、同校を卒業し、日本大学に進学している。 http://www.zakzak.co.jp/spo/s_Nov97/s_news1115.html http://members.jcom.home.ne.jp/oshiyan/yajinbunki.html
岡野選手が入学した1988年当時は「松江日本大学」高校といい、日大の準附属校(男子校)だったそうだが、後に「淞南学園」高校に改名されたそうだ。 http://homepage1.nifty.com/hssk/jub/com/fuzoku.htm http://www.geocities.co.jp/Playtown/6710/bunka/simane.htm http://www.yk.rim.or.jp/~sage/flugels/highschool/shimane.html http://www5a.biglobe.ne.jp/~rojiura/menue/data_base/ver_5/c_area/01_a/sm.htm
ところが、2001年に「立正大学淞南」高校と改名し、理事長の出身の立正大学(日蓮宗)の準附属校となった。これにより立正大学への特別推薦入学制度がスタートした。同校公式HPでは以下のように報じている。
「新世紀を迎えた2001年の本年は本校創立40周年の記念すべき年にあたりますが、この大きな節目の年に理事長の母校である立正大学とご縁を戴き準付属校となりましたことは、更なる発展への契機になるものと期待し喜びにたえません。」 ○○真光と日蓮宗との二股をかける状態が始まった。なお同校公式HPでは、学校の沿革を公表しておらず、「○○真光推奨校」とは一言も記載していない。。 http://www.shonangakuen-h.ed.jp/
(1) 「○○真光」誌の情報操作
同誌2002年6月号35頁には、真光青年会館竣工式において、「淞南学園の岡崎校長よりお祝辞を頂き」とある。岡崎功氏の子息岡崎朝臣氏は、「学校法人淞南学園副理事長」であり、「立正大学淞南高等学校長」であるはず。また同誌73-85頁には、松江準道場の活動状況が紹介されている。教師を「淞南学園教諭」として紹介するように、文中には旧校名(学校法人名)の「淞南学園」の言葉は頻繁に使われているが、正式校名の「立正大学淞南」は一切使われていない。
立正大学(日蓮宗)の準附属校となったことを、信者に言いたくないための情報操作である。これは同誌の記事全体の信憑性を低下せしめるものであり、同誌の記事よりインターネットの方が正確であることを立証している。
夏休みに入ると、○○真光の主な道場で同校の入学説明会が開かれる。ある道場の行事予定表をみると、「○月○日淞南学園学校説明会」とあり、あくまで正式校名をふせる態度に終始している。
(2) 「御聖言集」について
岡田光玉師はあきらかに日蓮聖人を見下している。
<御聖言集> 「序」 7頁より さらに、日蓮聖人の場合は、仏説秘密の重大因縁として、直弟子たちに伝えた極秘文書「三澤硺」の中で、「これは釈尊より伝えられた秘密の大事だが、いずれ天の時が到って聖人出現され、ある説法を説かれる。その時は、釈尊以後のあらゆる大論師、大人師の説法は、いかに巧みに説いたように見えるとも、一切は太陽の出たのちの灯明のように霊験なきものと化し、新正法のみ世界のすみずみを照らすに到るであろう」という意味のことを書いている。
要するに、日蓮聖人は将来もっと優秀な聖人が出現すると言っており、それが自分であると岡田光玉師は言いたいわけだ。この箇所を、立正大学に進学する生徒に対してどう教えているのか。学校側の説明を聞きたいものである。
(3) 立正大学の準附属校となった本当の理由は?
これはあくまで私の想像だが、聞いてほしい。○○真光は次期後継者がほぼ決定しているが、代変わりの時に教団が分裂する可能性を全く否定できない。教団が分裂したら、生徒募集に悪影響を及ぼす可能性がある。○○真光に生徒募集を依存するのは危険であると岡崎理事長は考えているのかもしれない。そのため立正大学の準附属校となったのであろう。 現在、立正大学淞南高校には90名以上の○○真光信者の生徒がいるそうだ。私がいくらこのBBSで真実を暴露しても、同校の生徒募集に悪影響を与えないだろう。ほとんどが教団幹部の子供で、親達はこのことをすでに知っているだろうから。
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手かざし治療の真実 by 崇教Dr.A
崇教が平成13年7月に発行した小冊子「手かざし」が信者の間に好評だ。東北大学医学部名誉教授(医化学)の吉澤善作氏が自己の体験談をまとめたものだ。この本の医学的門題点を指摘していきたい。
1) 自己の体験レポートについて
吉澤氏がいろんな病気の患者に対して手かざしした体験談をまとめているが、比較対照検査は全く行われていない。初期研修のテキストに引用されている「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)には、「大学教授が書いた『使って治ったから効いたように思われる』などという報告は信頼できない。二重盲検法でないとだめだ。」とはっきり書かれている。タバコや酒の手かざしについても二重盲検法が必要である。
2) 「医学と宗教を十字に組む」について(P52)
「ところで、宗教は医学を否定し、医学は宗教を否定するような風潮がありますが、病める人々が宗教によって救われた例や、医学を否定した宗教の信者達が不幸な結果を招いた例も多いことは周知の事実です。疾病に苦しむ宗教の信者達も、進歩した現代医学を十分に認識し、活用して、正確な診断の下的確に対応し、早く恢復して本来の道を歩むことが大切ではないでしょうか。そして、宗教と医学を十字に組んで人救いをさせていただくことが求められているのではないでしょうか。」
全く同感である。
3) 他の医師の報告の紹介
平木・石井・和田医師よりの症例報告があるが、いずれも医師の主観による症例報告で、学問的価値は乏しい。小川医師のサーモグラフィーを用いた報告も、一見すると科学的手法を用いているように見えるが、単なる1例報告であり、客観性に欠けている。「他の多数の被験者についても確認されています。」とあるが、それなら統計学的データを示してほしい。大阪大学医学部整形外科教授の越智孝雄氏が、第3回陽光文明国際会議(1999年8月高山市)で慢性関節リウマチ患者についての多数症例での比較対照検査をおこなっているが、その研究内容は全く紹介されていない。
4) 「ムコ多糖代謝パターンの若返り現象」(59頁)
これに関する吉澤氏自身の報告は最も悪質な素人だましである。わずか一人の人間のムコ多糖データを提示して、"真光の業による若返り現象"がおきたなどと一方的に断定している。また研究の行われた年度も明記されていない。「同じ様な傾向は男女を問わずに認められました。」などと、自慢そうに言っているが、それなら多数の症例に対して、統計学的解析を実施して示していただきたい。72-75頁をよく読むとわかることだが、すでに1981年以前に公表されていたわけだ。およそ生化学研究者として「気でも狂ったか」と言いたくなる。 4) 好中球に対する"真光の業"の効果データ(60頁)
この研究自体は、学問の方法論に基づいている。ただ、ここに紹介されている研究は、研究発表年がごまかされている。これも72-75頁を読めばわかるように、すでに1981年に発行された「真光」誌に掲載されている。20年も前に行われた古典的な実験内容を、研究発表年を明記せずに、ぼかしてのせるなど、科学者の風上にも置けない行為である。「何だあいつ気違いになったか」といわれて当然だ。越智孝弘氏は他人の研究を引用するとき、ちゃんと発表年を明記している。
約40年前、医学の学会で高橋晄正氏は「グロンサン・アリナミンの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と主張したが、他の大学教授らはすぐに意見を取り上げようとしなかった。私も、「手かざしの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と吉澤氏に主張したい。
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「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)よりの引用が、崇教真光の初期研修テキストに記載されているが、テキスト未収載の箇所をここに引用する、
(P29) 治療にあたって、プラシーボー効果を上手に利用することは、立派な医師の資格の一つですが、この「人間らしさ」の故に生じる効果は、薬のテストにあたっては、邪魔な存在であり、テストの段階では、一応は、とりはらうべき枝葉です。これらの事柄を認識し、よりよい薬の発展を願うという前向きの立場をとるならば、それなりの実験のデザインの約束にしたがう必要があります。
人間における臨床実験では、特定の基準の薬ないしプラシーボーと、目的の「薬の卵」とを、素性のはっきりした患者に、特別な依怙ひいきなしに割りつけ、実験条件に特別な偏りがまぎれ込まないように工夫し、さらに、医師も患者も、どちらの薬を使っているかわからない状態、つまり医師も患者も薬の種類については盲目の、二重盲検法と呼ばれる手法によって、それぞれの薬の価値を吟味してくらべなければ、客観性のある結果は得にくいのです。
このような比較実験によって、薬の評価に客観性がでてきます。一口にいえば、二重盲検法にしたがって、基準薬ないしプラシーボーと目的の薬とを、特定の患者群に無作為に割りつけて、同時にテストをするという基本にしたがうことが、薬の正しい評価には不可欠です。
従来の日本の例では、雑多な患者に、適当に目的の薬だけを使い、たっぷりと主観的な、独断的な判断を加え、その薬を使って病気がなおった、したがって、その薬は効いたという絶対尺度の評価方法が多かったのです。一つには、このような種類の、科学の本質をつくような方法についての医学教育が行われず、薬の評価にあたっては、メーカーからの謝礼が馬鹿にならない財源になり、よろしくお願いしますという依頼に対してナニワブシ的な報告を書くという習慣があったために、科学的な薬の評価が育ちにくかったのでしょう。
また、実際にテストにたずさわる若い医師にしてみれば、偉い先生が将来の職場に関しても生殺与奪の権を握っており、先生が「赤く見える」というものを、あえて「白です」といいはって、破門の憂きめをみるよりは、「桃色に見える」ぐらいでつじつまをあわせていた方が無難であるという風潮があったこともいなめません。
きちんとした、人間における薬の評価は、一九四〇年代にイギリスではじめられ、アメリカにも伝えられ、ようやく日本にも、必要性が認められるようになってきたのです。しかし、この方面の仕事を主体にする専門家の養成とか研究室の設立などは、まだまだ時間を要することでしょう。国民の健康をまもる医療関係者にとっても、医療の恩恵をうけるはずの国民にとっても、無関心ではいられない問題です。
厳格な薬の評価を行おうとするほど、当面の倫理上の問題が大きな制約になることは確かですが、これを理由に、いい加減な評価を行ない、国民にいい加減な恩恵を与えていることの方がより倫理的なのでしょうか。
(解説) このように二重盲検法の必要性は同書に明記されているのである。
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1910年に鈴木梅太郎博士(東京帝国大学農学部農芸化学科教授)がオリザニン(ビタミンB1)を発見したが、その時のエピソードが、「アリナミン」(高橋晄正著、三一書房1971年)に書かれてあるので、以下に引用する。
(41-42頁) (ビタミンB1について)これが脚気の本態物質であり、治療の上で有効性をもつというビタミン説は、簡単に医学の世界に受け入られたわけではなかった。
鈴木氏は三共株式会社に頼んでオリザニンを製剤化してもらったが、医学界ではほとんど顧みる人がなかったという。そこで鈴木氏は東京市の養育院で一年のあいだ二〇人の小児で栄養剤としてオリザニンを与えた者と与えない者との発育状態の比較をおこなって、与えたほうの発育が良好であるという成績を得ているが、医師でなかったために、脚気についての効果を試験することはできなかった。鈴木氏のような農芸化学者がかえってこのような早い時点において二群の比較をする対照試験の設計をしていることは注目すべきであろう。それは原理的に考えれば誰でも考えていたらざるを得ない生物科学の当然の帰結であったからであろう。
(解説) すでに明治時代に鈴木梅太郎博士により比較対照試験が行われていた。学部が違えど同じ生化学系研究者の吉澤善作博士は、21世紀になっても比較対照試験の必要性を主張していないのはおかしな事だ。 シーちゃん氏のように、医師でない一般人に二重盲検法の必要性を指摘していただいたことは、崇教真光所属の医師として心からなる敬意を表する。多数症例に対して、二重盲検法による比較対照試験を行い、その結果を光記念館に展示すべきだろう。 http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010914_ba.html http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010919_ba.html
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現在、崇教の手かざしの病気治療研究で、唯一多数症例の比較研究を行ったのは、大阪大学医学部整形外科教授、越智隆弘氏である。 http://www.osaka-u.ac.jp/annai/cgi-bin/syousai.cgi?S=7011&K=1738
1999年8月 陽光文明国際会議抄録 B-1:慢性関節リウマチ患者に認められた疾患経過、治療経過、宗教的想念について 越智隆弘
慢性関節リウマチ(RA)は関節破壊が進む慢性炎症性疾患である。原因は不明で、世界中どの地域でも患者数は人口の0.3~1.0%で、日本では50万人と考えられている。
RAの長期経過を調べたところ(Ochi et al. Arthritis Rheum, 1988)、10年以上経っても手足末梢関節の破壊に終わり日常生活上の支障が少ない軽症病型(小関節破壊型:LES)、膝や股関節などの大関節にも破壊が及び機能障害が大きいが、骨はしっかりして人工関節などで自立が可能になる多関節破壊型(MES)、全身の関節が高度に破壊され、内臓の合併症も重度で自立困難なムチランス型(MUD)の三病型に罹病早期から分かれて診断可能である。種々の薬を用いても、関節の病巣を手術で取り除いても(Ochi et al: J Rheumatol, 1991)、完治できないばかりか重症病型を軽症に変えることもできない。
難しい病気で、専門医が患者を何とか良くしようと種々の投薬をして、逆に多くの副作用が起きている。塩川博士の発表によると、消炎鎮痛剤を服用している1008人のリウマチ患者を胃カメラで調べたところ624人もの多数に胃潰瘍を認めたという(リウマチ、1989)。また塩川博士の発表によると、大阪のリウマチ専門医にかかっていた患者(330人)の死亡年齢は、他地域と同様に約62才であった(臨床リウマチ、1989)。更に同博士は和歌山の山間部で専門医にかかることがない寝たきり患者(35人)の死亡年齢は当時の一般平均に近い75才と発表した(臨床リウマチ、1991)。これらは最新治療薬の副作用による寿命短縮を示唆するものであった。漢方治療ではどんな状態かを調べるために1990年から、ある漢方専門医にかかるリウマチ患者の5年以上の経過を調べた。軽症リウマチ(LES)では漢方のみで副作用無く経過したが、重症リウマチ(MESとMUD)では副腎皮質ホルモン剤や強い抗リウマチ剤併用を余儀なくされ、やはり多くの副作用を合併していた。
副作用の問題と共に私たち臨床医がリウマチ治療上で問題視しているのは、リウマチ患者の気持ちを明るく晴れさせてあげられないかということである。1991年のことであるが、四肢不自由にもかからわず明るい表情のあるリウマチ患者に出会った。驚いたことに、彼女は薬を服用してなく、真光の宗教的な「光」を毎日受けているとのことであった。その後、そのような「光」を毎日受けている患者40人を診ることができた。そのうちで薬を用いずにリウマチの長い経過を過ごし得ていた、おそらく宗教的想念が高いと思われる14名のリウマチ患者の5年以上の経過を観察できた。それらの患者は「光」を毎日受けていても薬なしでは、初めの3ヶ月弱にはリウマチの強い痛みに困っていた。しかしその後、痛みを訴えなくなり、明るい気分に変わっていった。リウマチに伴う臨床検査値や関節破壊の進行は各患者の病型の特徴通りで、抗リウマチ剤や漢方で治療を受けている患者さんと同様の変動を示した。重傷病型では関節破壊進行により人工関節手術を必要とした人もある。評価で最も特徴的だったのはFace Scale index (表情評価)が良かったことで、他のグループのリウマチ患者に比べて、気持ちの明るさによる生活の質(QOL)の向上が目立った。
現代医学によって完治できない慢性疾患は多い。副作用の問題だけでなく、薬によって解決できない精神的憂鬱の問題が生じてくる。信仰心は心の問題を含めての治療過程に大きな役割を果たし得ると考えられた。
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寸教(崇教)H2.9初版 P224-226 [73]慈善事業とは 病人を救うために、病院を建てる。そのために寄付を集める----薬毒患者を多くつくるだけであり、慈善どころか罪業を積んでいく偽善事業であろう。 「慈善事業」とは、人類を無病化脱貧させて、真に平和で安泰な文明を、この世に顕現させていくために為すことである。 天国文明を拡めるために、現在一般常識とされている事でも、その間違いをハッキリ正していく事業、これも「慈善」である。 そういう事業のために、どんどんお金を出すこと、これも慈善事業なのだ。 今は、偽善事業が氾濫しすぎて、ますます世の中が悪化している。そのためにも、偽善事業に精を出している方に、早く本当の慈善に目覚めていただき、貧にあえぎ、病に苦しみ、やすらぎのない人々を真からのお救いに入れてあげてほしいものである。 仮にそうした意味で、ここに一億円を寄付された方がいるとする。それが元となって、どれだけ救いの輪が拡がることだろうか。 たいへんな救いになりはしないだろうか。これを「慈善事業」というのである。
○○真光初期研修テキストJ版46頁 第十七 霊主(十字)の医学 ②法定伝染病や結核、エイズ、マラリア、ハンセン氏病等の伝染病、また精神病などはお医者さんに診せて入院させます。その上で、求められればお浄めさせて頂くのです。
(解説) 平成元年に陽光診療所が高山氏に開設され、平成5年後半に崇教の初期研修が改定された。特に医学に関する記載が大幅に書きかえられ、「医学と十字に組む」ことが強調されるようになった。上記の個所もその時付け加えられたが、「寸教」の光玉師の教えと、かけ離れた印象を受ける。
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光記念館の真実
崇教真光では、岡田光玉師の功績を展示する「救い主様顕彰記念館」を高山市に建設するため、と称して毎月目標金額を決め、奉納するように信者に強く働きかけてきた。
ところが99年4月にできたのは「光記念館」であって、その中に「救い主様顕彰記念室」ができたのであった。そもそも主座建立時には、前もって建設場所が公表され、信者はこぞって現地へ行って霊界お浄めに努めたのである。
しかるに、光記念館は、場所も内容も全く事前に公表されなかった。「できてびっくり」という信者がほとんどだったのである。博物館を建設するといった計画は事前に全く説明なく、ひたすら募金するよう信者に働きかけた。これは、全くインフォームド・コンセントに欠ける内容である。
私自身、宗教団体が美術館や博物館を開設することに何ら意義を唱える者ではない。ただ、計画を事前に情報公開した上で、寄付を募るべきである。
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この博物館に展示されている「セント・デニス・ザンテ勲章」について考察を行う。
崇教編集の「大聖主」では、「ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディなどアメリカの大統領、ギリシャのピーター殿下、ヨルダン王、スペルマン枢機卿、ノーベル賞のシュバイツァー博士など」が受賞したと書かれている。
博物館である以上、展示物に関して学問的な裏付けを行う義務がある。上記の受章者に関しての情報公開を要求したい。アメリカの歴代大統領の行動記録は調査可能と思える。 1) 授章年月日 2) 授章式の写真 3) 勲章を着用した肖像写真 4) 授章時のインタビュー
これらについて、光記念館が情報開示を行わないなら、石器のねつ造と同じであると断定できる。
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真光批判のHPは最初欧米で90年代後半に始まった。それにより、信者が10分の1に減少した拠点があったそうだ。そのため崇教はインターネットに対して鎖国体制をしき、道場が独自にHPをつくったりするのを禁止した。
その鎖国状態も、足元から崩れ始めている。光記念館のHPはすでにスタートしており、今年前半には仮運用だったが、夏頃には本格稼動している。崇教の道場や高山市内の旅館・ホテルに貼られているポスターにはすでにHPアドレスは掲載されている。 http://www.hikarukinenkan.or.jp/
ところが、月刊の「崇教真光」誌には毎号、光記念館のお知らせがのっているが、HPアドレスは一切掲載されていない。
1)特別企画展「縄文の耀き」のポスター(5月21日-9月2日) HPアドレスが小さく書かれており、iモード・EZweb対応とある。気をつけて見ないとわからない。
2) 平成14年予定表(1月-12月) HPアドレスが最下段に小さく載っている。これも気をつけて見ないとわからない。
3)光記念館だより(崇教道場掲示用) 平成14年8月版には第1・第2顕彰記念室の展示を一部入れ替えたとある。勲章はどうなったのかな?。これにはHPアドレスは一切掲載されていない。
せっかくの光記念館のHPだが、機関誌にわざとのせないために、崇教信者はこの存在に気付いていない者が多い。崇教真光誌2002年8月号編集後記では、「人類の幸福化の為の高度情報化社会へと誘導しなくてはならない」といっているが、これではとてもそうしているとはいえない。
なお、光記念館ではボランティア・職員を募集しているが、勲章の説明を自信をもってできるなら、応募してみるとよいだろう。
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