repe
DiaryINDEX|past|will
最終更新日:2001.10.01 HOME
教団出版物における矛盾点等
インターネット上の掲示板に寄せられた情報のなかから、教団出版物(○○真光)に関する記述をまとめました。注目すべきは小冊子「真光問答」の改訂です。天変地異に関する記述が大きく書き換えられています。旧真光問答では、20世紀末に天変地異が来ると予言していました。しかし、それは来ませんでした。教団はそれに対する何の説明もすることなく、何食わぬ顔で大幅に書き換えを行ったのです。その他,医学や薬に関する記述なども書き換えています。もはや誠意ある宗教団体とは言えないことがおわかりいただけると思います。
目次
・○○真光の教団誌に見られるインターネットへの見解 ・新旧「真光問答」における,天変地異に関する記述の食い違い ・新旧「真光問答」における、薬に関する記述の食い違い ・真光問答における「脳死」の見解、および逮捕された政治家とのつながり ・『み役者の手引き 部外秘 ○○真光』に見られる「お導きマニュアル」 ・祈言集の改訂 ・セント・デニス・ザンテ勲章 ・関英男博士と真光 ・淞南学園の真実 ・手かざし治療の真実(by 崇教Dr.A) ・光記念館の真実
--------------------------------------------------------------------------------
○○真光の教団誌に見られるインターネットへの見解
○○真光誌2001年七月号編集後記より抜粋
「(インターネットの掲示板について)しかし個人の中傷や、特定の団体に対する攻撃らしきものもあるという。掲示板上で反論することはひとつの手段かもしれないが、陽光子はその手段が内容的に相応しいかどうか霊的に判断する必要がある。」 ○○真光誌2001年八月号編集後記より抜粋
「情報通信技術の飛躍的な発展を背景に、インターネットの爆発的な普及があり、個人活動や生活様式等に抜本的な影響を与えつつあることは確かである。 その中には良い方向に導くものもあれば、悪い方向に導くものもある。正しいことはすべて御神書にまとめられており、陽光子はお示しの通り、人類幸福化の為の高度情報化社会へと誘導する神の子に昇華して行かねばならない。 情報に流されることなく、正しく選別し、お互いが慈しみ合い、励まし合い、助け合って行く精神を醸成して行く行き方こそ最も大切だと思う。」
<注> 教団誌の編集後記において、インターネット上の情報を指して、「流されることなく、正しく選別し」とか、「悪い方向に導くものがある」とか、「霊的に判断するように」などと、信者に訴えている。教団に対する批判情報、暴露情報に対して、遠まわしに牽制している様子がうかがえる。幹部によっては口頭で、「インターネット上の情報はほとんど(9割)が嘘」などと教えているという。
--------------------------------------------------------------------------------
新旧「真光問答」における,天変地異に関する記述の食い違い
崇教が発行した新書サイズのミニ本に、「真光問答」がある。真光青年隊活動用のテキストを統監部の許可を得て再編集し、一般信徒向けに作られたものだ。一般人から真光に対して出された質問に答える形式をとっており、一般信徒はこの内容を理解して、布教に役立てようという魂胆だ。この本は昭和58年に初版が発行され、平成3年の増刷後、しばらく絶版状態だったが、平成11年に全面改定された。この本の旧版と新版、それに同時期に発行された他の小冊子を比較してみよう。
<真光問答> (○○真光:昭和58年9月初版、平成3年5月9刷)
質問38:日本沈没や世界の天変地異が噂されていますが、それはほんとうにあるのでしょうか?
ほんとうにあると思います。私たちが聖凰師から伺った教えによりますと、日本も世界もすでに十数年前から大天変地異の危険期にはいっております。これを「火の洗礼期」と呼ぶのです。
大地震、火山爆発、大洪水、陸地の海中陥没など、この数千年来なかったような大規模のものが起こるといわれています。天災地変は日本からだんだんに始まり、世界に及ぶのです。そして最近では大天変地異は最初の予定より十年ほど早くなったとのご神示ですから、一九八十年代に起きると思われます。人類がかって経験しなかったような、恐るべき時代は目前に迫っているのです。この大天変地異については、お釈迦様も予言しており、イエス様も予言しています。ノストラダムスという有名な予言者も、四百年前に予言しています。そして、最近では、アメリカの聖人といわれたエドガー・ケーシー、また、ジーン・ディクソン夫人などが、かなりくわしい様相を予言しています。
質問39:世界的天変地異で、今世紀末までに人間は全滅するという予言があるけど、これはホントウなのでしょうか。
それは予言が間違った受けとられかたをしているのです。有名な「ノストラダムス」の予言は、言葉の解釈のしかたで、いろいろの受けとりかたがあるようです。
お釈迦さんやイエスの予言にしても、こんどの天変地異で、人類が絶滅するとは言っていません。聖凰師はこんどの大天変地異は、人類の想像を絶するようなもので、生き残れる人類はせいぜい二割にみたないとおっしゃっています。また天変地異だけでなく、人類最終戦、いわゆる聖書の「ハルマゲドンの戦」が行われることは、アメリカの現代の大予言者、ジーン・ディクソン夫人の予言にもくわしく出ています。いずれにしても、天変地異も、人類最終戦も人類が神を忘れ、神の法則からはずれて生活することからおこるものです。
私たちは一日も早く、神の実在にめざめ、神の法則にそった生活へともどる以外、救われる方法はないことを知らねばなりません。
<救え、然からば救われん> (○○真光:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷) (組み手への、布教の手引き書である。)
(P11) み教えによれば、地上火の洗礼期(すでにさしかかっている)の大峠に生き残れる人類は「せいぜいよくても二割ていどであろう」とのことです。いま世界人口は急激に増大しており、昭和五十年現在で三十九億を突破しました。学者の説ではまだまだ大巾にふえるだろうといいます。もし仮に、火の洗礼の大峠の訪れる今世紀末に、五十億に達しているとしたら、その二割というのは十億の人類ということになります。
(P86) また、食糧問題にとり組んでいる農林省の西丸震哉氏は、PCBや各種の食品添加物、つまり「毒」の入った食物をとり続ける限り、二十一世紀まで生きられる日本人の大人は、現在の1%しかいないと発表しています。そして、いま生まれたばかりの赤ん坊は、 (S50年現在) 二十八才までしか生きられないだろうといっています。
(P97) 二十年、三十年はアッという間にやってきます。そして、あの恐るべき火の洗礼の大峠は確実に私たちの頭上に足もとに襲ってくるのです。その時になって、自分の過去の怠情や至らなさをいかにせめてももはや手おくれです。
<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂版)
質問38:世界的天変地異によって、人類は滅亡するという話は本当なのでしょうか?
イエス様やお釈迦様も「終末」「末法・末世」という表現で、人心の乱れや文明社会の崩壊、天変地異の到来を予告しています。
御神示によって岡田光玉師が初めて明らかにされた神様の御経論においても、「火の洗礼期」の到来が示されています。しかし、これは天変地異によって”宇宙や天地が終焉する”とか”人類が滅亡する”ということではないのです。
どういうことかと言いますと、人類がこのまま”物だ””金だ””自分さえ良ければよい”といった物質一辺倒の考え方で行けば、現代文明に「行き詰まり」が訪れるのです。 地球温暖化や異常気象、地球環境の汚染、環境ホルモン・食品添加物・農薬などの化学薬品による人体毒化、エイズをはじめとする難病・業病・奇病の多種多発化、等々挙げれば切りがないほどの危機を人類に招いてしまったのです。
われわれの目的とする方向は、人類が滅亡するかもしれないという危機感を煽るものではなく、一人でも多くの方々と共に次世紀の安泰文明を建設する神性化人間へと昇華していく、人類の未来を創造する限りなき希望の歩みなのです。(部分抜粋)
<解説>
旧版<真光問答>では、「人類が滅亡するかもしれないという危機感」を煽っている。火の洗礼期に入り、1980年代から天変地異が始まり、人類の2割未満しか生き残れないなど、よくもまあ嘘を並べたてたものである。 「救え、然からば救われん」では、今世紀末には人類の2割程度しか生き残れないなどと平成10年2月になっても言い続けたわけである。
ところが平成11年1月になって崇教は態度を豹変させ、「火の洗礼期」とは天変地異ではなく、人類がしでかした環境問題であると言いだしたわけである。二十世紀末に天変地異はおきなかったため、言い逃れを始めたわけだ。<真光問答>の旧版と新版とでは全く内容が違うのに驚かされる。
現在の「真光問答」は旧版に比べずいぶんと内容は改善されているが、過去には統監部は隊員にでたらめな内容を教えていたわけだ。このようないいかげんな隊員教育を受けてきた者が後に幹部となり、セクハラや借金をしたり、「天災が来る。」といったデマを流しているのである。
(付記) 世界真光文明教団の関口栄師は、「世紀末神のシナリオ」(現代書林1991) において“全人類に「火の洗礼」が迫る! 奇跡の〈手かざし〉がわれわれを破局から救う。昭和37年より火の洗礼期に入った。”などと豪語し、ノストラダムスの予言により20世紀末に人類が滅びる事を強調していた。旧版<真光問答>質問39は、文明教団に対しての○○真光の反論であろう。
Top
新旧「真光問答」における、薬に関する記述の食い違い
<真光問答> (○○真光:昭和58年9月初版、平成3年9刷)
質問27:なぜクスリを使うことはいけないのでしょうか?
いまの人たちは、病気はクスリが治してくれるものと思いこんでいます。とんでもないクスリ迷信です。クスリには、病気を治す力はありません。それは症状を一時的に抑えるだけなのです。
人間には、自然の治癒力というものが与えられており(本来は神より与えられたもの)、その力が病気といわれる症状から回復させてくれるのです。
クスリは、その自然治癒力が発揮されるよう、ほんの一時だけ手をかすにすぎません。むしろ、クスリは副作用のほうが影響が大きく、たくさん用いると必ず体内にたまってしまい、症状を慢性化するか業病化させてしまうことにしか役立たないのです。
したがって、病院や医者にかかって治る病気というのは、もともと時期がくれば自然に治る性質のものといえます。慢性的な病気は、病院やクスリでは治らないのがほとんど、むしろ一時抑えをくり返すあいだに、業病化させるだけの話です。けっきょくいまの医学の乱用しているクスリは、症状を一時的に強引に抑えつけ、いかにも治ったように見せかけているだけで、「見せかけ医学」といって差し支えありません。「クスリは毒である。」ということは、先覚的な医者たちが最近さかんに本にも書いていることで、クスリの乱用に対しての警告が、医学内部でも発せられるようになっています。
質問28:手かざしで病気がよくなるのなら、医者や病院は不要ではないですか?
手かざしで病気がどんどんよくなっていることは事実です。医者や病院に見放された病人が、どれだけたくさん手かざしで救われているか、数え切れないほどです。
もしそれをお疑いなら、ぜひ手かざしの道場へこられて、多くの体験者の言葉に耳を傾けて下さい。また実際の状況を、時間をかけて観察していただきたいと思います。事実が、あなたの疑問を晴らしてくれることを確信しております。
病気と言われる症状の80%以上は「霊障」、つまりとり憑いた霊たちの仕わざによることは、何万という手かざしの実例で、すでに明らかなことなのです。霊が脱けていくと、とたんに症状が解消してしまうのですから、実にハッキリしたものです。
したがって、現代医学のように、病気の根本原因を探ろうとせず、ただ症状に合わせてやたらとクスリを飲ませて治そうとする対症療法は明らかに間違っています。そのために、ほとんどの病気は治るどころか、慢性化したり業病化しているのです。そういう間違った方向に進む医者や病院はないほうがマシだということはいえるでしょう。
しかし、医学が方向を変えて、人間の体や病気を唯物的にとらえることを止め、より高度な四次元あるいはもっと高次元な科学観をとり入れ、病気の根本原因を探り、原因療法に目を向けるなら、医者や病院が不要ということは決してありません。
<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂版)
質問17:薬は飲まない方がいいのでしょうか?
今の人たちは、病気は薬を飲めば治ると思いこんでいますが、それは薬への過信です。薬には、病気を治す力はありません。症状を一時的に抑えるだけなのです。人間には、天与の自然治癒力があり、本当はその力が病気といわれる症状を抑えているのです。
今、医学界でも「薬毒」という言葉が出てくるようになりましたが、文字通り本来「薬は毒」であって、「毒を以て毒を制する」というのが薬の本質です。たくさん飲むようになると、薬の中の毒性が体内に溜まってしまい、症状を慢性化するか業病化させてしまいます。
薬はどんどん新しいものが出まわっておりますが、強い薬が開発されれば、それに負けない強い菌が発生してくるというように病気も多種多様化して来ています。つまり難病・奇病・業病化して来ているのです。
最近、農薬とか食品添加物などの危険性も叫ばれていますが、何と言っても肉体の中に直接注入したり飲んだりする「毒」が一番恐ろしいと言えます。また薬を乱用すると、細胞の中の染色体遺伝子深くまで入り込み、自分だけでなく、次に続く世代にまで影響することも忘れてはなりません。
真光の手かざしを受けると、神の光により体内の毒素が溶けて排泄されるため、症状が良くなるのです。一方、多くの薬は逆に毒素を固める働きをします。要するに、手かざしと薬を飲むのとは逆の働きになるので、薬を飲みながら手かざしをしても、その効果があらわれにくいということが多くあります。そういう理由で、「(手かざしを受けている時は)薬を飲まない方がいい」と私たちは言うのです。
しかし、病気の症状によっては医薬剤が必要な人もあるので、○○真光は「薬を飲んではいけない」と言っておりません。ただ前述のように、基本的に薬というのは、体の味方になるものではないということを知っておいていただきたいのです。
質問18:手かざしで病気がよくなるのなら、医者や病院は不要ではないですか?
現代医学は、たしかに中世・近代から比べれば大幅に進歩し、その結果数多くの人命が救われ、社会に対して多大なる貢献がなされています。しかし、医学がめざましい進歩をとげた一方で、次々と新しい病気(エイズ、O-157など)が発生し、医者も病院も増えています。もし、医者や薬で病気が本当に治るのなら、病院に行く人は減り、その結果病院はどんどん減少して行くはずです。ところが、病人は減るどころか増え続けているのが現状なのです。
一方、手かざしで病気といわれる症状がどんどんよくなっていることは事実です。医者や病院に見放された病人が、どれだけたくさん手かざしで救われているか、数え切れない程です。それはなぜでしょうか?
実は、病気と言われる症状の八〇%以上は「霊障」、つまり人の肉体に憑いた霊が原因なのです。そして、その霊障が解消すると、とたんにその症状がなくなってしまいます。これは手かざしの実例で、すでに明らかにされています。
しかし、私たちは決して医学を否定していません。事実、お医者さんや看護婦さんで、真光の研修を受け、手をかざしている方がいらっしゃるのです。私たちは「絶対に薬は飲まない」とか「絶対に医者にかからない」という主義ではありません。医学は必要なのです。
ただ私たちの目指す医学は、もっと高次元の医学なのです。それは、人間の体や病気を唯物的にとらえる現代医学に加えて、目に見えない心の世界、そしてさらに霊の世界にも目を向ける医学です。”唯霊の医学””唯心の医学”"唯物の医学”の三つを兼ねそろえた、より高度な「霊主の医学」こそ本当の医学と考えています。
現代医学が対症療法なのに対し、真光の業は、病の本当の真因を取り除く原因療法です。医学の行き詰まりが叫ばれている現在、このように一歩踏み込んだ医学が求められているのではないでしょうか?
<解説>
旧版では、クスリや現代医学に対して挑戦的な態度に終始している。新版では、”「絶対に薬は飲まない」とか「絶対に医者にかからない」という主義ではありません。”と少し譲歩している。新版質問18の最後の方には、医学と協力していこうという姿勢がうかがえる。
この変化の背景には、平成2年頃に陽光診療所が高山市にでき、平成5年の後半に初期研修のテキストと内容が全面改定され、医学に関する内容がかなり変えられたのを反映している。もとはといえば、病気が悪化したりした信者の家族が、裁判を起こしたりしたケースが何例かあったかららしい。
<救え、然からば救われん> (崇教:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷) 82-85頁
たとえば、現代医学はメザマシイ進歩をとげたと信じられており、どんな病気でも原因が分かり治療法が分かっているかのように人々は錯覚しています。ところが、現代医学ではカゼの原因すら分かっていないし、「感冒はなぜあるか、」「熱とは何か、なぜでるか」といった最も基本的なことが分かっていません。
止むを得ず、対症療法として、ある種の薬品を用いて熱を下げるとか、痛みをマヒさせて治ったと思わせているだけです。しかも、熱を下げることや痛みを止めることが、果たして人間の真の健康によいか無病化のために役立つかという点について、世界中の医学でも結論がでていません。
薬毒の蓄積の恐るべき結果について、全く頬かぶりされたままなのが現状なのですが、いずれ薬毒というものが、今大騒ぎされている公害以上に恐るべき影響のあったことに、世人が気付くのも遠くないことでしょう。
東京教育大学の杉靖三郎教授は「熱それ自身は病気ではない。熱が出たら下げればよいというのは非常に間違っている。」と反対しています。アメリカは、半数ぐらいの医者がその考えかたですし、日本はじめ世界各国で同じ考えの医者は大勢いるのです。
このように、あらゆる病気に付随して出る「熱」のようなカンタンな症状すら、まだ解明されていないのが現代医学なるものの実状なのです。
その他の面倒な症状に至っては、原因も正体も治療法も分からぬものがどれほどたくさんあるでか、医学の現状を少し突っこんで調べたら、むしろ寒心にたえぬし身振いするくらいでしょう。
多くの人の信頼にもかかわらず、現代医学の治病率はおどろくほど低いといわれていますし、それ以上にクスリによる対症療法のため、病の種類はふえる一方、ますます奇病多発をうながしているのです。
現在の治病の状態からいうと、医者やクスリが癒すというよりは、放っておいても自然に治るものが治ったに過ぎないといったほうが正確ではないでしょうか。ちょっと難しい病気は病院に通いクスリを飲んでいるうちに慢性化し、あちらこちらの病院をわたり歩くあいだに業病化し、ついにはとり返しのつかないところまでいってしまうのです。
こうして病人と病気の種類は毎年激増する一方、各地に病院が次々と建てられ、全国の所得番付の上位何名かは各県とも医者が占めるという、実に不可解な現象を呈することになります。もしも現代医学で病気が治っているならば、国立医大も病院もほんとうは閑古鳥が鳴くくらいにさびれ、どんどんつぶれるくらいでなければならないはずです。
人間の生命をあずかる科学であるはずの医学が、このような実情にあることを知って、なおかつ科学万能を信じられるものでしょうか。そして、死ぬか生きるかの瀬戸際になったとき、果たして自分の命をあずける気になるものか、誰しも考えずにいられないはずです。
<解説>
現在教団は、公式には「医学と十字に組む」と言って、医学を必ずしも否定しないが、以前はこのように殆ど完全否定をしていた。このために病院に行くのが遅れる信者が後を立たなかった。この文面をそのまま受け取れば,だれも病院に行きたがらないことは想像に難くない。現在でもその傾向は残っている。その上、子供に予防注射を打たせないなどということも、しばしばあるらしい。 Top
真光問答における「脳死」の見解、および逮捕された政治家とのつながり
<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂新版)
質問49:臓器移植・脳死についてどう考えますか?
人は息がなくなり、脈がなくなり、心臓が停止した時、初めて「死」と認識されるものです。しかし、心臓がとまり死を迎えた人でも、原則として約二十四時間は埋葬することは好ましくありません。それは、昔から希にありますが、亡くなったはずの人が生き返る例があるからです。
人間の身体は肉体細胞だけでできているのではなく、肉体細胞(肉体)の奥には幽細胞(幽体)がり、さらにその奥には霊細胞(霊体)がります。心霊科学的に言えば、「人の死」は、肉体細胞から幽体・霊体が抜け出た状態を言うのであって、幽体・霊体は生きているのです。そして希に、肉体を離れた幽体・霊体が戻る場合があり、それを死者の甦りと言っております。
もし、脳死が人の死と認められ、脳機能停止と同時に、無制限に臓器移植が行われるようになると、脳死の後、万が一再び生き返っていたかもしれない人は、いったいどうなるんでしょう?帰るところがなく、本当の死に追い込まれてしまうのではないでしょうか?
現在のところ、まだ脳死の認定は臓器提供者に限られているので混乱を避けることができますが、もし、まだ生ある人(心臓が動いている人)を簡単に脳死と断定することが全ての国民に適用されるとしたら、臓器を失い死に至った霊魂の無念さはいかに大きいか計り知れないことでしょう。この世の不幸の原因となる霊障はますます激しいものとなり、人類はもっと苦しまなければならなくなります。
臓器移植は、本人が承諾し家族が同意した場合、それを止めることはできませんしその人達の意思を尊重しなければいけません。
しかし霊は、原則として死に至ったその時の状態を持ってあの世に行くのですから、臓器移植をすればどういうことになるか、考えればおわかりになると思います。
人は、尊い生命をもった神の子です。決して単なる物質の塊ではありません。親が子を愛するように、私たち人間の究極の親であらせられる神様は、どんなに私たちのことを想って下さっているでしょう。またどんなご苦労をされて、人間をこの世にお創りになられたのでしょう。 私たちは、生命の尊さを今一度考え直さないといけないのではないのでしょうか?
<解説>
「霊は、原則として死に至ったその時の状態を持ってあの世に行く」というのは大本教と真光に共通した考えだ。それゆえ、大本教は「心臓停止後の臓器移植は容認するが、脳死段階では認めない。」という考えで、公式HPで見解を公表している。一方、崇教真光は「提供者の同意があれば、脳死臓器移植を容認する。」という現実的な考えだ。
死んだ時の状態を問題にするなら、人工妊娠中絶こそ議題にあげるべきだ。「日本人は胎児をモノと考えて、安易に中絶をしてしまう。その一方で外国へ脳死臓器移植を受けに来るのは理解できない。」という諸外国からの批判を真剣に受け止めるべきだ。臓器移植法に反対するなら、安易に中絶を認めている法律の方にも反対しないといけない。
大本は、妊娠中絶を我が国が安易に法律で認めている点について、正面切って批判していない。なお真光は、水子は先祖の一人として供養すべきだ、と主張しており、水子だけを特別扱いはしない。
なお、大本教のHPで「大本教義にみる」(出口教学委員長)を拝読してみた。文中に、「想念」の言葉はしばし出てくるが、「想念転換」の単語は一切出てこない。「想念転換」は岡田光玉師が新しく提唱したとみられる。
「真光」誌平成9年12月号では、村上正邦議員が臓器移植法案の審議について堂々と述べている。それにしてもあきれてくる。悪徳議員とつながって脳死・臓器移植を批判するなど、想念的には一番最低である。「○○真光」誌平成14年2月号で、教団広報部は脳死・臓器移植の批判をしている。確かに、日本の現在の移植医療には問題点が多いが、悪徳議員の署名集めをしたことを全く反省せず、医学を批判するなどもってのほかである。
「真光」平成9年12月号 26-28頁 お祝辞 み教えを心として 参議院 自由民主党幹事長 村上正邦
教え主様、本日は御立教三十八周年真におめでとうございます。 主の大御神様、救い主様の御守護、御加護、教え主様の御指導に心から感謝申し上げ、お祝い申し上げます。
教え主様、先の国会では、夫婦別姓問題や臓器移植法のことで大変ご心配をお掛け致しました。御教示の通り、社会秩序の基本は家族でございます。教え主様は、「選択的夫婦別姓制度はわが国の家族のあり方を根本的に崩壊させ、やがては社会の崩壊、国家の解体にまで行き着くことになる」と反対されました。私どもは、御指示を体して各方面で夫婦別姓制度に反対する論陣をはり、自民党の党内議論で法務省が準備してきた法案は、国会に提出する前の段階で断念させることが出来ました。
もう一つの臓器移植法でございますが、衆議院が可決し、参議院に送られてきた原案は「全ての脳死は、人の死」と定義付けるものでございました。教え主様始め心ある宗教界の多くの指導者の方々が、この法律に反対を表明されました。私ども参議院は、宗教界を始め各界各層の御提言を受けて慎重に論議を進め、臓器提供者に限って脳死を人の死と認めるという大幅な修正を行ったのでございます。これによって、人の死は心臓死と脳死の二つの死が存在することになりましたが、生命倫理の観点からも問題があり、また国民的合意も出来ていない脳死は人の死という考え方を、この法律で国民に強制するという大きな間違いだけはかろうじて避けることが出来ました。百パーセントご満足いただける内容ではございませんが、一方で、本人が承諾し家族も同意した場合には、臓器移植の道を拓いてあげなければならないという、現実的対応を求められる政治の場としては、ぎりぎりの選択でございました。
七月度の月始祭の御教示で、教え主様は次のようにお示しになられました。「真に浅薄な法律的判断により、将来、”生命の尊厳”を歪めることのないよう切に為政者に対して望みたいと思います。」
私は、このお言葉、「生命の尊厳とは何か」「人間は物質にあらず、肉体にあらず、脳髄細胞にあらず、神経細胞にあらず、人間は霊なり、生命なり、人間は神よりいでたる光なり」このことをしっかり踏まえて行くことこそ、生命の尊厳・生命の尊重の基本であるとサトらせて頂いたのであります。(以下省略)
<解説>
平成9年8月に○○真光は各拠点において、村上正邦参議院議員を比例候補に推薦するための署名集めをし、自民党本部に提出した。そして、村上議員は同年11月の○○真光秋季大祭に来賓として出席し、スピーチをおこなった。また藤波孝生衆議院議員の祝辞も平成9年12月号に掲載されている。
やはり平成12年12月に崇教真光は各拠点において、小山孝雄参議院議員を比例候補に推薦するための署名集めをし、自民党本部に提出した。
平成13年初めに両議員が逮捕されたが、○○真光は信徒に対しこの問題で全く謝罪しなかった。全く、この教団の幹部は何を考えているのか分からない。悪徳国会議員と十字に組んだことを、信徒にたいし「ス直」に「心の下座」でもって「お詫び」せよ!。陽光子の三大徳目が聞いてあきれる。(私も両議員に署名した)
なお、○○真光発行の月刊誌名は、平成9年12月までは「真光」だったが、平成10年1月より「○○真光」に変更された。S界真光文明教団発行の「月刊真光」との混同を避けるためである。
「真光」(○○) 平成5年12月号 ご祝辞:「神組み手の愛と真の実践に感動」参議院議員 村上正邦
今日の我が国は、正に神鍛えの場におかれていると思います。そしてまた私共が身を置く政治も、神の大いなる試練を頂いている時であると思います。
この時にあたり、政治に携わる私共は心を空しくして神の声を聞かなければなりません。そして政治に必ずみ光が射すことを信じて下さり、御指導御教導賜っております教え主様はじめ、神組み手の皆様のお力を頂いて、この大いなる試練を乗り越えて我が国の発展の為に全力を尽くしてまいる決意を新たに致しております。
尚、私事でございますが昨年の十二月、教え主様はじめ皆様の御指導御支援のお蔭をもちまして、労働大臣に就任させて頂き、この八月迄その職責を全うさせて頂きました。
その間、この地上に生を受けた一人一人が、その天分を生かし一人の失業者もなく病む者もなく、乏しき者もなく、住む人悉く喜びに満ち充ちた地上天国を実現できるよう、政治の究極の目的を達成する為に、国務大臣の立場にあって微力を尽くさせて頂きました。
教え主様にはこの四月、総理主催の観桜会においで頂いた折、労働大臣として国家国民の為に全力を尽くすよう御激励を頂きました。更に富田局長をはじめ、東京都内の幹部の皆様がわざわざ大臣室まで足をお運び頂き、激励して下さいました。どんなに勇気付けられたことでしょう。真に有難うございました。
大臣在任中に、是非一度この高山に参りまして、世界総本山にお参りさせて頂きたいと存じておりましたが、ご承知の通りの事情で、それも叶わないままとなりましたが、ここに在任中に御守護賜りました、主の大御神様、救い主様に、そして教え主様に、厚く感謝御礼を申し上げます。
今、全国各地の神組み手の皆様は、教え主様の御指導により、光の人となって人を救い、世を浄める為に身を挺しておられます。つい先日、私が身体に不調を来しました時に、東京都内の道場長をはじめ神組み手の皆様が議員宿舎に私を訪ねて下さり、お浄めをして下さいました。
またお誘いを受け、私自身道場にお伺いしお浄めを賜りました。また、この大祭より帰りましても、五日には政界の再編に大きな影響力を持つ先輩の衆議院議員御夫妻共々にお浄めを頂く予定になっております。(部分抜粋)
<解説>
自民党の参院比例代表選立候補予定者は、支持者名簿を党に提出しなければならない.崇教は、H9年8月に村上正邦を、H12年12月に小山孝雄を推薦し、署名を集めるよう拠点月並祭で信徒に指示している。H13年初め、両議員が逮捕されたのは記憶に新しい。○○真光はその事を信徒に一言も謝罪していない。
崇教の信徒は機関誌の内容を熟読して理解する事が求められている.崇教の信徒に今度会ったら、村上正邦のことを問いただしてみよう。
秋田県の○○真光幹部は、信徒に月刊誌を買わせて配布する活動を展開している.これが人救いになると信じているようだ。他の地域でも追随するうごきがある。村上正邦や小山孝雄を支援した事を反省しないのは、悪想念そのものであり、村上正邦の挨拶がのった書籍など配布するべきではない。
また、H13年9月号では夫婦別姓を、H14年2月号では脳死臓器移植を批判しているが、こういった愚かなこともやめるべきだ。
Top
『み役者の手引き 部外秘 ○○真光』に見られる「お導きマニュアル」
教団内の役職者向け出版物に、未信者勧誘マニュアルがある。
<以下抜粋>
P.192-
第3章 お導きにあたって
〔1〕 お導きは何のために必要か
(1) 種人探しは組み手の使命 ② 御み霊をいただいただけでは種人の候補者であって、真の種人ではありません。 ③ 種人を探して、はじめて組み手としての資格ができます。
(2) 種人とはなにか ① 火の洗礼に生き残り、21聖紀(霊主)文明を造り上げていく選び子を指します。 ② 正法へ想念転換でき、浄まった者は種人となり、聖霊が降下されます。
(3) お導きとは何か ① 種人候補者を、神様にお捧げすることです。 ② あなたの友人を、知人を、職場の人を、未知の人を神組み手に、種人候補者にし てあげること、即、幸せにしてあげることです。
(4) お導きは清浄行 ② お導きさせていただくことにより、想念転換ができます。一日も早い想念転換を神様 はお望みです。 ③ 正法は、聞いただけではわかりません。 正法に想念転換するということは、み教えを聞くというだけでは出来ないのです。 なぜなら、魂霊の世界の転換は霊の世界の事だからです。従って、み教えを実際に 行動に移す、つまり実践行、お導きという霊行をして、はじめて出来ることなのです。
P.195-
〔4〕 お導きを簡単に考えてはいけない。
(1) お導きは、右から左へとサッサッとできるものではありません。 (2) 相手には、霊が憑依していることを忘れてはなりません。憑霊はみ光をきらいますから、 頭から断られたり、否定されたりすることも、当然ありうるのです。 (3) お導きには、いつも憑依霊をおサトしするような、いたわりの気持ちをもってすることです。 気長にほぐすことが大事です。
--P.198--
(3) お導きのケイコ お導きは断られた時から始まります。
標準語法┐ │ の用意と稽古(真光問答など参考) 応酬語法┘
組み手同士、互いに実感を出すように心がけて集団訓練をします。 テープにとっておいて研究するのもよいでしょう。 語法は反復練習しておいて、いつでも口をついて出てくるようにします。
--P.199--
(4) お導き結果の記録 経過や結果を書いてみると、いろいろなことに気づき反省させられます。 次への貴重な資料となります。
(5) 数多く訪問する たくさんお導きするには、出来るだけ多くの人にあたってみることです。訪問回数を 増やすことが大事です。 お導きは、訪問回数に比例してきます。
〔7〕 くせの強い人のお導きの仕方
相手が相当霊に障られていることを頭において応対すること。
(1) 頑固な人 抵抗の本当の理由を早くつかんで、それをうまく利用する方法を考えることです。
(2) 皮肉屋 皮肉を言う人は、優越感を味わいたい反面、心底に劣等感があるため皮肉を言 いたいのです。 こちらがカッとしたり、反駁してはならず、言いたいだけ言わせておく。調子をあわ せると手ごたえがなくなり、皮肉を言わなくなってきます。
(3) 優柔不断な人 信頼を得ることが第一です。 何か証拠になるものを持ち出すのも良いでしょう。参考図書など。
(4) お天気屋 天気の悪いときは早く引き上げ、天気の良い時に出直します。(ムリ押しすると、 次回訪問ができないことがあります。)
(5) 黙りがち ① 話べたのとき こちらがしゃべりすぎない。箇条書き的な質問、イエス、ノー式に答えていただく。 ② 話す材料が考えつかぬ人 時間がかかるが、こちらから興味のありそうな世間話などを話していく。
-- p.200 --
〔8〕 お導き標語
(1) 常に口に唱えよう ① ためらうな、その人に手をかざせ。 ② 温かく相手を包め、押しつけ厳禁。 ③ 冷たくされたらニッコリしよう。曇りが一つまた消える。 ④ チャンスを逃すな、悔いを残すな。 ⑤ 霊層昇華で叶う、真光布教力向上。
<解説>
お導きに関するマニュアルであるが、よく読むと次のような意味が読み取れる。
P.192 〔1〕(4)②③→ お導きという霊行をしないと想念転換できない。 P.192 〔1〕(2)①②→ 想念転換しないと、種人になれない。つまり、火の洗礼に生き残れない。つまり、死ぬ(あるいは魂を消されて輪廻転生もできない)。
つまり、「お導きをしないと火の洗礼で死ぬ。」、という意味合いが読み取れる。また、
P.192 (1)③ →種人を探さない人は、組み手の資格がない。つまり、組み手ではない。
と言っている。以上のようにして、表現はやわらかくて回りくどいが、単刀直入に言えば、「お導きをしない人は、死にますよ。」と脅迫されていることに近い。このようにして、組み手は「お導き」に駆り立てられるのである。
また、
P.195〔4〕(2)(3)、P.199〔7〕→ 相手がお導きを嫌がるのは、その人に憑いている憑依霊が嫌がっているからである。
として、お導きがうまくいかないのは憑依霊のせいだということにしている。これでは相手の意思など無視しているに等しい。
Top
祈言集の改訂
○○真光は昭和50年代後半に、祈言集の改訂を行った。「このたび神歌が追加されたので、古い祈言集を新しいのと交換します。」と称して旧版祈言集の回収を行った。追加された神歌は、「神向き狂歌(その二)」と「主座御建立を祝いて」であった。ところが、改訂箇所は神歌のみではなかった。以下に変更点を示す。
教示: (旧版)正法神向の法は、真光文明教団のみの為のものに悲ざるなり。崇教なる哉。 (新版)正法神向の法は、真光教団のみの為のものに悲ざるなり。崇教なる哉。 神向き讃詞:(旧版)神大経綸の大き仕組みぞ神意なれ (新版)神大経綸の大き仕組みぞ神意なる 神歌: (旧版)師弟歌交祈りに触れて (新版)師弟交歌祈りに触れて
特に注目すべきは教示で、「文明」の文字を意図的に削除していることだ。これは初代の教えを曲げていることになるのではないか。言霊が大きく違ってきそうである。文明教団では、現在でも旧版のまま使用しているらしい。
<注>
どの教団書物に書かれているのかは不明ですが、光玉氏は、「自分の言葉を変えてはならない...」、という意味の教えを残しているそうです。上のような書き換えはこれに反するのではないでしょうか?○○真光の教団上層部は、裁判に負けて教団が分裂し、教団名を変えたという歴史を隠すためなら光玉氏の言葉を変えても平気のようです。。つまり、光玉氏のことを初代教祖と崇めていないのではないでしょうか?
Top
repe

|