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4. Thought-stopping techniques (to shut down "reality testing" by stopping "negative" thoughts and allowing only "good" thoughts); rejection of rational analysis, critical thinking, constructive criticism. 思考を停止させるテクニック(ネガティブな思考をやめさせ、前向きな思考のみを許すことによって、「現実を直視」することをやめさせる): 理性的な分析、批判的な思考、建設的な批判を拒絶する。
a. Denial, rationalization, justification, wishful thinking
(準備中)
b. Chanting 唱えること
天津祈言は、真光の中で使われている最も主要な祈りの言葉です。信者は危険な状況や困ったときなどにこれを力強く唱えるようにと指導されています。また、光を与える前や、み祭りのとき、日々の祈りのとき、霊界お浄めのときなども同様です。あるトレーニングでは、特に若い信者に対してですが、20−30分間も休むことなく唱えるという場合もあります。
c. Meditating 瞑想
瞑想は、霊に憑依されやすくなるという理由で、真光では許可されていません。
d. Praying 祈り
神に祈りをささげることが,次のような場合に奨励されています。毎晩寝る前,朝起きたとき、道場に行ったとき、み祭りのとき、車を運転しているとき、光を与える前と後など。
e. Speaking in "tongues" 意味不明のことをしゃべりだすという現象
霊査の最中には、霊査を受けている人が見知らぬ外国語でしゃべるということがあり、それは憑依霊の仕業ということになっています。小さい子供が母国語でないドイツ語をしゃべったり,オーストラリア人が流暢な日本語やラテン語さえ話したという報告があります。しかしながら、私の14年間の経験の中では、そのような例を聞いたことがありません。私が霊査を受けたときは、殆どの反応は言葉によるものではなく、うなずいたり、首を横に振ったりというものでした。一度だけ私は日本語で返答したことがありましたが、それは「はい」のように、私がすでに知っているとても簡単な言葉でした。
f. Singing or humming 歌うこと、あるいはハミングすること
特にこれが真光の中で使われているということはありませんが、日本語のみ歌はみ祭りの席では歌われます。しかし、それらは極めて短いものです。より長い祈り、すなわち弔霊(ちょうれい)といわれるものがあり、それは人々が額に光を受けているときに歌われることがあります。それは、人々を半催眠状態に導くものです。
5. No critical questions about leader, doctrine, or policy seen as legitimate 指導者、教義、正しいとされる方針に対して批判的質問は許されない。
神の教えや救い主様、教え主様、道場の幹部、真光の書籍に対して批判をすることは、信者の罪や穢れ、あるいは邪霊に操られていることの明らかな証拠と見なされます。このことは真光の教えの色々なところで繰り返し述べられており、御聖言、祈言集、月々の教え、初級研修テキストブックに載っています。
「想念の中に間違いが起こったとき、すなわち、それと気づかないうちに我と慢心が湧き起こってきたとき、または、神の絶対性に対する徹底した無条件の信頼が弱まり始めるとき,人は常に神の教えに対して不平を言ったり批判したりするのです。これは想念の中にギャップを生み出します。これは人間の弱点なのです。このときに人は操ろうとしている霊に憑依されやすくなってしまうのです。この理由により、常に「霊(の障り)と戦うという精神的態度」を持つことが重要なのです。」 [Extract from Teachings of Sukuinushisama, Pioneering the Age of Light & Gap in Sonen, given June 1986. Published in Mahikari Australia Journal, Volume 4, No 9, Sept 1986, pg 16]
「人々はしばしば次のように言います。「これは金儲け宗教だ。宗教はいいことしか言わない。あなたは愚かだ、騙されている。働いて、お金を稼いで好きなように使うことはあなたの権利だ。もし神が大きな愛であるならば、神が救ってくれるのは当然のことだ。」」
「これらの言葉は,正しい方法と間違った方法、あるいは正しい神と邪悪な神との区別を知らない人の言うことです。さらには、神秘なことを体験していない人々でもあります。もしあなたがこれらの人々に言いくるめられて、真光−最高の神の救いの場−の入口から遠ざけられてしまったとしたら、なんとかわいそうなことでしょうか。それは、幸せの門から去ることであり、自分自身で地獄への道を歩むことを意味します。あなたはまだ真光の中をほんのちょっと覗いただけです。気をつけてください。これは、邪悪な霊による混乱が再び現れる兆候なのです。」 [Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, Do Not Listen to Dangerous Words of Evil Deities, pg 84]
6. No alternative belief systems viewed as legitimate, good, or useful 他のどんな信仰も、正当であるとか役に立つとはされない
真光流の世界の歴史観によると、神は人類の退廃した振る舞いにブレーキをかけるために現在の主な宗教の発展を許したのだということです。真光はそれらを人間が作った「ブレーキ宗教」と呼び、それにはキリスト教、仏教、ヒンズー教、イスラム教が含まれます。それらは「偽の、仮の教え」であり、真実の一部でしかないとされています。すべてに対して正しい答えを持っている唯一の団体は、もちろん○○真光であると言います。「○○」という部分には、「最高」などの意味があります。真光が言うには,歴史上のすべての宗教は、人間の哲学を加えた妥協の産物であり、現代の宗教はもはや適切ではなく、何の救いの力もないと説きます。
「神道も仏教も基教も、主神拝(ぬしがみおろがみ)みし釈迦(ゴータマ)、イエスの生きありし時の教えに万教者も世人も還りて、マ光放ち得る使徒と化さざるべからず。神裁きの世、仏滅の世参る丈なり。」 [御聖言 四つアの世と七つの燈台の火、P.326]
「幾億年目の大ヒックリ返し、神が致すを以って、凡て古きは捨て、新しき改まりたるマコト神の子文明紀へ進ましむる大仕事へ切り換え致す訳なるも、人間界にはそれに対する手立てだになき時の到来を「終末」と申せしなり。故に信仰も最早末となり、人類総神向となる外なきなり。」 [御聖言 信仰と神向き信仰 P.235]
「もしあなた方がこの道に入らなければ,あなた方の殆どは慢性病などに苦しみ、耐えがたく苦しい人生が続くことになるでしょう。同じことは、あなた方の仕事や事業などにも言えるのです。」 [Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 80]
「また、いやしくも今後信仰によって救われんとする心のある人、世救い世直しに指導的役割りを果たさんとする人は、なにをおいても先ずこの人類最高の啓示を、一応は受け入れてしまうべきである。」 〔御聖言 序 P.12〕 Top
5.Emotional Contrl 感情のコントロール
恐怖を利用することは最も強力な方法であり、カルト信者に絶大な影響を与え,そのグループから去ることをためらわせることができます。「BITE Mind Control Model」の部分の主な点を指摘する前に,私はスティーブン・ハッサンの書物「Combatting Cult Mind Control」からいくつかの引用を示し,カルトが生み出す恐怖が如何に深い心理的あるいは感情的問題を生み出すかを説明しようと思います。
「恐怖の構造とは、いくつかの構成要素をもち,互いに作用して悪循環をもたらす。これらの構成要素とは、厄介な考え、ネガティブな内的イメージ、怖いと思う心、コントロールできない状態、などである。
いくつかのカルトでは、信者はそのグループを去ることに対して恐怖を抱くように組織的に教育される。今日のカルトは効果的な方法を知っており,信者の心の奥底に生き生きしたネガティブなイメージを植え付けることができる。それによって信者は、自分がグループの外にいるときに何かを達成することや幸せになること、などを想像できなくなってしまう。
信者は多かれ少なかれ,もしそのグループを去ったら酷い病気になって死んだり交通事故にあったり、飛行機事故で死んだりとか、あるいは愛する人の死を引起こす、というようなことを信じるようにプログラムされてしまう。」 [Steve Hassan, Combatting Cult Mind Control, pg 45]
「様々なやり方で、カルトが生み出す恐怖は信者がそれと気づかないうちに、巧妙に作られて植え付けられていくのである。信者は思考を停止するようにうまく操作されているので、そのグループを去りたいという願望を自分が持っていることさえ気づかなくなってしまう。」 [Ibid, pg 46] 上記の引用は、まさに私自身が体験してきたことです。私が真光の中にいたときに出来たこと、あるいは私が期待に応えることができたのは、教団を去るという選択を私自身にさせない、ということだけでした。私は教団を去ったら一体何が起こるのかということに恐怖を感じていて、それを考えることすらできませんでした。そういう状態であるかぎり、私は信者でありつづけたのです。
私の夫や家族を含むすべての人に対して,私は自分が真光の中にいて如何に幸せであるか、真光が如何にすばらしいかなど、教団に対するよいイメージを広めるために言わなければならないことを言いつづけてきました。しかし、私の内面では、教団のすることや言うことの多くが私にとって心地よいものではないことに気づいていました。私は自分自身が正直でないことや模範的でないと感じていました。私は教えが矛盾に満ちており脅迫に近いことを見出していました。私はその中に捕らえられてしまっていたのです。
1. Manipulate and narrow the range of a person's feelings. 感情の範囲を狭め,操作する。
「いつもニコニコ陽光子」は、真光の道場におけるスローガンです。陽光子とは、「明るく積極的な人」を意味します。信者は陽光子とも呼ばれ,すべてのことに対して感謝を表し、決して怒ったり妬んだり批判したり、機嫌をそこねたりしないようにすべきとされます。
「起きてよし 寝てよし居てよし全てよし ああ有難し悪しきものなし」 「善し悪しと 思う心の浅きかな 浅き瀬にこそさざなみの立つ」 「病(やまい)悪し 不幸悪ろしと思いなば 神大愛の禊ぎ忘れし」 [祈言集 善し悪し P.117]
「神様は、今日の世界中の人々が、純粋で、陽の気で、正しく、神に従って生きることを望んでおられます。スの神様に対して純粋で陽の気で正しく従順であることは、人格を完成する上で大きな助けとなるでしょう。より純粋で、ほがらかで正しく、従順であれば、より愛と調和に満ちた社会がもたらされるのです。」
「スの神様に対して純粋で、陽の気で、正しく、従順な想念で祈れば、本当の正しい神様がその祈りに応えてくれます。陰気で正しくない想念で祈れば,代わりに邪神が答えるでしょう。邪神に操られた人々は、間違った選択をすることになります。」 [MAAJ Vol 15 No 4 April 1997]
2. Make the person feel like if there are ever any problems it is always their fault, never the leader's or the group's. 問題が起こったとき、それは組織や指導者のせいではなく、常に自分のせいだと信者に感じさせる。
この点はまさに真光にぴったり当てはまる点です。もし信者の生活において何かがうまくいけば、それはすぐに神様の仕組みや神の光,教えを実践したからだとか、そういうもののおかげとされます。しかしながら、もし信者がトラブルにあったり、困難な状況に陥ったり、教えを疑ったり、身体の調子が悪くなったりすると、それは信者自身の負のカルマや蓄積してきた濁毒(だくどく)や罪や穢れ、悪想念や霊の障害のせいにされます。
3. Excessive use of guilt - Identity guilt 罪の意識の濫用−罪を自覚させる。
真光の中では,多種多様な罪の意識が信者に影響を与え,信者を操作するために用いられています。
a. Who you are (not living up to your potential) あなたはだれなのか?(あなた自身の力で生きる存在ではないということ)
「長々と、病と貧と争いに 生くるは霊曇り(ひくもり)多しとは知れ」 「病貧争災 つき纏いなば汝(なれ)何処か 真如と逆法に生きし証(あかし)ぞ」 [祈言集 P.89 真光の業]
「全ての人類にとって、自分のためだけでなく他人の救いに対しても、神に感謝と真をささげることは、避けて通れない義務ではないでしょうか?」
「もしもこれを喜びとすることができないとしたら、たぶんあなたは神の教えを自分勝手な解釈で受け取っているか、あるいは研修受講後に神の教えをス直に実践していないということなのかもしれません。」 [Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 81] 「御神徳(ごしんとく) 小さき中(うち)はまだ神に 真(まこと)不足の証(あかし)とこそ知れ」 [祈言集 P.114 選び子と組み手]
「神真光の 業(わざ)に世人を覚まさずば 神にはナマケの罪となるらん」 [祈言集 P.118 祈り]
b. Your family 家族について
真光の教えによれば、すべての物事はバランスの中に成り立っているといいます。例えば,ある男女が結婚できるのは、正と負のカルマの総量のバランスが男女間で取れている場合だけだといいます。このことから、もしパートナーが真光に反対したり、真光をけなしたり、神に使えることに興味がない(つまり霊層が低い)場合には,自分も同じレベルにあるにちがいないという結論を出してしまいます。そこで信者は、家族を救うのは自分の義務であり、もっと神や道場に奉仕することで家族を救おうとしてしまうのです。
いくつかの真光の教えでは、最低でも家族全員を信者に引き入れるべきであると説いています。しかし一方では、真光信者が家族の中に1人でもいればそれは充分な救いになると説いています。このような混乱した、矛盾に満ちた教えは、真光の教えの中ではしばしば見られます。
「此(こ)のミチに 逢わずとすれば一生の 家庭を救う術(すべ)は得られじ」 [祈言集 P.104 感謝報恩]
「曇り多き 魂霊(たまひ)の家は沈み行き 浄きぞ何(いず)れは上(かみ)に住むなる」 「濁りおば 遂々(ついつい)我が家に積み行きて 何時か贖わさるる人の愚かさ」 [祈言集 P.132 大炎開陽霊]
あなたの守護霊もあなたの家族(先祖)の1人であり、もしあなたが高い霊層にあれば、遠くの未来まで見通せる高いレベルの守護霊がついてあなたをより助けてくれるとされています。逆に、もしあなたが低い霊層に落ちれば、あなたよりはほんの少し霊層が高いだけの、低いレベルの守護霊しかつかないということです。
c. Your past あなたの過去
「初級研修の最初に私が教えたことは、次のようなことです。『真光の業に関して言えば,受光者の想念が70パーセントであり、施光者の想念は30パーセントです。』...これが何を意味するかというと、たとえ私が同じ力を受けて人々に同じように放射しても、結果は受ける人それぞれの想念で違ってしまうということです。神様は全ての人に同じ結果をお許しになったりはしません。」
「この理由は何かというと、人間は神の時代から存在する’因縁’を感じ取ることができないからです。もしそれが過去の罪だけだったら、それらは告白によって明らかにすることができます。しかしながら、霊的存在でいた間に霊界の法則を破ったことは、自分には決してわからないのです。言うまでもなく、自分がどんな罪や穢れを積んできたか、今日現れた正神の神様に反抗して自分のご先祖様がどんなことをしてきたか、そういうことは普通の人々にはわからないのです。」
「また、たとえそれが判ったとしても、どうすることもできないのです。...結局は、罪や穢れの問題は、神の火の聖霊による洗礼、すなわち真の光によってしか、取り除くことができないのです。」 [Teachings of Sukuinushisama, The True Nature of Miracles and how repentance of the Soul should be, given on 8 July 1989, MAAJ Vol 7 No 8 August 1989]
d. Your affiliations あなたの帰属
信者は、どのようなレベルの人であろうと全ての人々を救うようにと言われるが、より高いレベルの人と友人になるようにと奨励されている。
「利己愛と 我利(がり)につき合う友どちは 何れは汝が家離れ去り行く」 [祈言集 P.200 結婚を祝いて] e. Your thoughts, feelings, actions 思考、感情、行動
信者は事あるごとに繰り返し思い出します。憑依霊は自分の好きなように人間にものを見させ、考えさせ、行動させることができるということを。このことは、あなたがあなた自身の考えや感情、行動に自信を持つことを困難にし、常に自分の中で自分と憑依霊との戦いが起こっているのだと感じはじめます。そして、自分の考えに自信が持てなくなり,どちらが自分の考えでどちらが邪悪な霊のささやきなのかが判らなくなってしまいます。
神が常にあなたのすることすべてを見ているという考えは、ある種の抑制になります。私がグループリーダーのトレーニングに参加していたとき、私たちが死んで最初に起きることは、人生における全ての出来事、全ての行動、個人的なこと、正しい行い、卑しい言動などを映画のように見てしまうということでした。この教えは、グループリーダーたちの間で冗談のネタにされましたが、しかし私たちは不安を感じてもいました。個人的には、この教えは私を強い不安と心配に陥れました。
「神が存在するかどうかなどわからないと主張し、そして自分勝手に振舞う人々がいます。しかしながら、親神様は全ての物事、非常に細かい部分まですべてご覧になっておられるのです。」
「あなたが何を聞こうと、何をしようと、「親神様が常に見ている」ということを忘れさえしなければ、どんな困難や障害も乗り越えることができるのです。」
「天地の創造主である主の大御神様とともに生きることを許されている」という考え方を持つことは、極めて重要であります。」 [Teachings of Oshienushisama, The Sonen of Total Devotion to God, given on 8 July 1989, MAAJ Vol 7 No 8 August 1989]
「尊(とうと)かり 神の縁(ゆか)りの吾が魂(たま)を 知らず汚せし我を詫びつも」 [祈言集 P.161 吾が心]
「神となり 獣となるは自在なり 想う瞬間(たまゆら)自由恐ろし」 「幾度(いくたび)か 逢う神試し神振い 受けずばサトレぬ人の哀れさ」 [祈言集 P.165 吾が心]
f. Social & Historical guilt 社会的、歴史的罪
真光の教えによれば、人類は多くの罪と穢れを受け継いできています。主なものは、正神の神様たちを天の岩戸に押し込めたという古代における罪です。
「人類は共通の罪と穢れを持っています。神中心の世界を賞賛して作り上げることをせずに、かわりに神の法則に逆らった習慣や法律が蔓延している世界を作り上げてきたという重大な罪があります。これは神の計画の一部であったとは言っても、神にお詫びしなければならないのです。」
「もう一つ,人類共通の罪穢があります。それは、神が創りたもうたすべての生き物に対して、感謝を捧げるという心を忘れてしまったことです。」
「それ故、人々は自分たちの罪と穢れにできるだけ早く気づき、詫びなければならない全てのことに詫びる必要があります。お詫びをするということは、感謝をしてこなかったという借金を返すことを意味します。簡単に言うと,「申し訳ありませんでした。」と単に言うだけでは、それはお詫びをしたということにはならないのです。」 [Teachings of Sukuinushisama, "How going-towards-God based on the righteous path should be", MAAJ Vol 13 No 8, August 1995, pg 8]
「恐ろしも 主に逆気(榊)立て豆播きし 罪を詫びずば永遠に滅びん」 [祈言集 P.118 祈り]
4. Excessive use of fear 恐怖を多用する。
a. Fear of thinking independently 自分で考えることに対する恐怖
信者はしばしば、憑依霊というものは人間を操ってものを見させ,考えさせ、何でも言わせることができると教えられます。このように教えられると,多くの信者は自分自身の考えに対して疑いを持つようになります。これはそんなに驚くようなことではありません。
b. Fear of the "outside" world and enemies 「外」の世界と敵に対する恐怖
他の全ての宗教は、「真如」(真実の如きものだが真実ではないもの)であるとされます。真光の教えの中には、このような姿勢が繰り返し現れます。
真光の主な敵は、見えないもの、水の系統の神々とされています。それらは現在火の系統の神々に置き換わりつつあるとされています。また、真光の信者に対して復讐を試みたり、教団の正しい活動を邪魔しようとする霊たちがいるとされています。教団の活動を邪魔するものは何であっても、それは「霊障」であるとされます。地縛霊は事故を引起こし、憑依霊は人間のものの見え方、聞こえ方、発言を操るとされます。また、ある民族全体が他のグループを妨害しようとするといった、集団霊障なるものもあるとされています。例えば,北アイルランドの紛争が絶えないのはこの集団霊障のためだというような説明をされます。
c. Fear of losing one's "salvation" 「救い」を失うことに対する恐れ
「今日の神は、神の計画の進展に遅れをとったり、新しい霊的文明の建設に役に立たない魂を必要とはしていないのです。(自分が日本人やユダヤ人だからといってうぬぼれてはいけません。)そのような役に立たない魂は火の洗礼によってその存在自体が消去されてしまうというのが神の意志なのです。神の計画では、充分に浄まった魂だけが、種人(たねびと)としてこの地上に留まることを許されるのです。」 [Sunkyo (Great Guideposts on the Path of Divine Wisdom), by Sukuinushisama, The Descent of Holy Spirits, pg 16]
「仮の教えにては皆つぶされ行くのみ。バラバラに致せし世を一つに致す大仕組み始まるなり。」 [御聖言 P.297 人生の夢]
「それ故、頂上に上ろうとしている今日の人類は、平安のうちに自己満足に浸っているわけにはいかないのです。もし怠ければ、あなたが引いている人生という手押し車はすぐに坂道を転がり落ちて大きな事故を引起こし、全てが無駄になってしまうということをよく知った上で、ご自分の未来を選んで欲しいと私は望みます。」 [Extract from Teachings of Sukuinushisama, Arrival of the Age of Major Compensation - Cleaning and the Path to become Seed People & Let us thoroughly enjoy cleaning" August 1987, MAAJ Vol 6, No 10, October 1987, pg 8]
d. Fear of leaving the group or being shunned by group グループを去る恐怖、あるいはグループから避けられるという恐怖
この恐怖はまさに現実の恐怖であり、日常の中で持続していきます。それは、信者が御み霊(おみたま)と呼ばれるペンダントをシャワーを浴びるなどの理由で身体からはずすときの恐怖です。御み霊は神からの守護を信者に与えるものだとされているので、信者がそれをはずすとき、御み霊をかけているときと同じ程度には神から守られていないとされます。何らかの理由で御み霊をはずしている信者は、一般的に言って大変な緊張と不安を感じます。私は時々、ブラジャーを買うとき(試着が必要なため)や水泳をするためやX線検査を受けるために、自分の御み霊を家に残して出かけなければなりませんでしたが、それは常に不安に満ちた時間でした。
御み霊に関して御無礼があった人は、(例えば落としたりベッドや椅子につけてしまったりなど)、哀れみの目でみられ、軽蔑に似た目で見られます。御無礼を犯した人は、その他の人に比べて明らかに罪や穢れが多いとされるからです。
「御み霊を授かることによって、私たちは神からの不断のご守護をいただけるだけでなく、人様の命もお救いすることが許されるのです。」
「睡眠中もトイレにはいるときも運動しているときでも、どうしても不可能な場合を除いては常に御み霊を首にかけるようにしましょう。」 [Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 70, 71] e. Fear of disapproval 非難に対する恐怖
もう一つの大きな恐怖があります。道場の幹部は助けの手を差しのべてくれるはずの存在ですが、時には虐待的で批判的です。私の場合,幹部が助けの手を差し伸べてくれないという場面に私は遭遇したことがあります。彼らは次のように言います。『もし教えに対して疑問をもつならば、あなたは明らかに神の教えを正しくつかんでいない。』 他の信者もまた、真光の道場の中では監視役として振る舞い、大きな影響力を及ぼします。誰かが神に対して御無礼をしたり、幹部や教えに対して批判的な意見を述べたりした場合にそれがおこります。もし誰かが神に対してご無礼をしてしまった場合,それは深い罪や穢れを持っている証拠であり、もっと多額の寄付をしたり神に仕えたりすることでお詫びをすることを勧められるのです。
5. Extremes of emotional highs and lows. 感情の高低の激しさがある。
真光の信者には、霊査のときに感情の激しい変化がよく起こります。それは、憑依霊が信者の身体を乗っ取っているとされ、信者の様々な深い感情にはけ口を与え、叫んだり震えたり,怒ったり恐れたり、復讐心や絶望を表したりします。この霊査は時には30分ぐらい続き、信者をひどい苦痛にさらします。一般的にはそれほど頻繁におこることではありませんが。
毎月のみ祭りで配られる教えは、時として非常に厳しくて恐ろしいものです。一般的には信者は自分の生活全てを「霊的な目」で見るようにとされ、全てを真光の世界観を通じて解釈するようにと教えられます。こうして、大きな恐怖を用いることで信者自身の生活を非常に歪んだものにしてしまいます。
「私は、はかりしれない深い精神的苦痛を感じました。そして、これはおそらく神が私に行動に移すようにと望んでおられるためではないかと考えました。」 [ "Salvation from practising teachings" by LH, MAAJ Vol 17, No 1, January 1999, pg 13]
み祭りの時や、研修(初級)の最後の御み霊拝受式のとき、霊界お浄め、周年大祭、神向き会、その他信者が集まって何かをするとき、みんなで一斉に祈言を奏上したり、霊的な体験談を聞いたりすると、精神が高揚します。
多くの信者は、光を与えたり受けたりしているときにも、「霊的な高揚」の感覚を経験します。これらの経験はしばしば、疑念や不安をもちつつも教団への関与をしつづけてしまう原因になるのです。
6. Ritual and often public confession of "sins". 儀式においてや、しばしば公の場で「罪」を告白させる。
み祭りにおいて人々が集まっている前で、信者によって体験談が読み上げられます。その体験談というものは、困難なことや感情的なことに関しての話になりがちなので、しばしば非常に感情的な状況に陥ることがあります。また、典型的なものとしては、信者は自分の内なる「間違った」考えや態度を告白し、状況が変化したことによって真光の教える真理にめざめることができた、ということをよく話します。体験談を話すときの信者は一般的にいって非常に神経質になります。なぜなら体験談を話す信者には、そのとき神様が注目していると教えられ,かつ公衆の面前で話をしなければならないからです。これは多くの人にとって非常に恐ろしいことです。なぜなら、自分がよく知らない部屋一杯のたくさんの人々に対して、自分の魂(心の奥底)をさらさなければならないからです。
7. Phobia indoctrination: programming of irrational fears of ever leaving the group or even questioning the leader's authority. The person under mind control cannot visualize a positive, fulfilled future without being in the group. 恐怖を植え付ける: グループを去ることや指導者に疑問を持つことに対して、得体の知れない恐れを抱くようにプログラミングする。マインドコントロール下にある人は、グループをやめた後のポジティブな実りの多い未来を、自分の中にイメージすることができない。
a. No happiness or fulfillment "outside" of the group グループの外においては、なんの幸福も満足感もありえない。
もし幸せになる唯一の道が神に仕え、真の光を与えること以外にないとしたら、教団を去るということは地獄行きの魂になることを意味します。光を受け,研修を受講したのに、熱心な信者にはならない人々に対する態度は、彼らはチャンスを与えられたのにそれを逃した仕方の無い人たちだ、というものです。
b. Terrible consequences will take place if you leave: "hell"; "demon possession"; "incurable diseases"; "accidents"; "suicide"; "insanity"; "10,000 reincarnations"; etc. もしそのグループを去ったら,悲惨な結末が待っている。:「地獄」、「悪霊の憑依」、「不治の病」、「事故」、「自殺」、「発狂」、「一万回の輪廻」など。
教団を去ることを決めたある若い女性は、道場(センター)の長から次のようなことを言われました。「真光をやめるとガンにかかりやすくなりますよね...。」 このような例は無数にあり、一般的にはこう言われます。「真光をやめた人は,2,3年の間はもともと持っていた良いカルマのおかげで何事もなく過ごすことができ、普通の生活にもどることができます。しかし、悪いことがそのうち起こりはじめます。真光をやめたときに感じる大きな喜びや解放感というものは、その人についている憑依霊がその人を喜ばせているのであり、憑依霊は、その人を唯一正しい道である真光から引き離すという邪悪な目標を達成したことに対して喜んでいるのです。」
c. Shunning of leave takers. Fear of being rejected by friends, peers, and family. 脱会者に対する忌避。友人、仲間、家族から拒否されることへの恐怖
これは常に起こっていることであり、私自身にも起こりました。1人のとても親しい友人を除いて,私は真光内の友人のすべてを失いました。最近真光を去ったある女性は、私が真光を去ったことを1年以上も知りませんでした。道場の中では,教団を去った人についての話はほとんどされません。あるとき私は街中で信者の人と出くわしましたが、いくらかめずらしいことではありますが、完全に無視されました。殆どの信者は、元信者に対して礼儀正しい態度をとりますが、真光の中で元信者についての話し合いがもたれるということはまずありません。
d. Never a legitimate reason to leave. From the group's perspective, people who leave are: "weak"; "undisciplined"; "unspiritual"; "worldly"; "brainwashed by family, counsellors"; seduced by money, sex, rock and roll. グループを去るにあたっての正当な理由などありえない。グループの見地からすれば、脱会者とは「弱く」、「自制心に欠け」、「霊的でなく」、「俗物であり」、「家族やカウンセラーに洗脳され」、お金やセックス,ロックンロールなどの誘惑に負けた人とされる。
教団の見地からすると、教団を去った信者は邪神邪霊に操られ、また、自己中心的で物質主義的(物主)で、恐ろしい結末になることを運命付けられた人、という見方をされます。神の守護はなくなり、同様にして光を受けることからくる利益も得られなくなるとされます。
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