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29日夕刻、「ラストプレゼント」を観た。 様々な思いが相俟って、エンドロールの後も しばし立ち上がる事が出来なかった。 素直なストーリーをシンプルに表現した作品だった。
30日、ガラガラの電車に揺られ職場へ向かう。 仕事もほとんどなく、のんびりした雰囲気で 時間だけが過ぎ去ってゆく。
18時、いつもなら僕の部署ではまだ多くの人が全員が 仕事に追われている時間だが、さすがにこの日はもう 誰もいなくなってしまった。電気を消して鍵を閉め、 職場を後にする。
バレエのレッスンを終えた友人が大手町に来たので、 行くつもりもなかったミレナリオに足を運んだ。 光の洪水に群がる人の洪水に嫌気が差して、 歩いている最中は感慨もなかったけれど、 区画を抜け、有楽町の街から振り返ってみた遠景は それなりに印象的だった。
31日、一人また一人と人気がなくなるのに つられるように、夕方、寮を後にする。 実家へ帰るために、学生時代の10年間乗換えで 毎日使った池袋へ向かう。なんだか懐かしかった。 「ラストプレゼント」の影響か、衝動で韓国行きを決意し、 旅行代理店で格安航空券を手配した。
19時過ぎ、実家に帰宅し、久々に実家の夕食を取る。 家族としばし他愛のない話をする。 途中、いても立ってもいられなくなりかつての自室へ戻る。 卒業式の後、すぐに寮に越したものだから、 部屋には今でも学生生活の断片がごろごろしている。
なんだかやりきれなくなってしまった。 本当は2日まで滞在するつもりだったけれど、 このままじゃおかしくなりそうなので明日には 寮へ戻ろうと思う。
今の僕は、きっといろんな意味で不安定なんだと思うけど、 きっとそれだけじゃなく、実家に戻るという行為は 今の僕にとってすごくしんどい事なんだと思う。
2002年に僕の周りで起こった出来事は、切実で痛切で やりきれないことが多かったように思う。 立ち止まらなくちゃと思いつつ、立ち止まれないまま ここまで来てしまった。
きっと思い出というのは「誰と作った」とか 「どこに行った」とかいうような具体的なものではなくて、 後からなんとなく「よかったな」と思うような、そんな風に 感じる美化された記憶のことなんだと思う。
時間は全てを解決するとは限らないのかもしれないけれど、 でもやっぱり時間は必要なんだと、僕は思う。
ようやく年の最後になって、ほんの少し立ち止まる事が 出来た気がする。これが来年に少しでもつながる小休止で あるよう切に願っているし、そうしていかなくてはいけない のだと思う。
今年一年ありがとうございました。 来年もよろしくお願いします。
それは、刹那の出来事だった。 けれど、それは確かにそこにあった。
僕はとても不器用な人間で、これまでの人生で 他人よりもきっと数多くの失敗を重ねてきていて、 そのせいか人が傷つくことに対しては、誰よりも敏感な つもりでいて、少なくともそうでありたいと思っている。 そのせいか、うぬぼれでは無く事実として、他人から 深い相談を受けることが幾度と無くあるし、そういうときに僕は、 自分の経験と信念から言える事を率直に伝えるようにしている。
他人の相談に乗るとき、幾多の失敗から僕が一つだけ 確信をこめて言える事は、time will tell、 時間が解決してくれるということで、 他人の相談に乗るとき、いや他人と「会話」を するときに、僕が一つだけ強く心に決めていることは、 責任ある言葉を使うということ。
宇宙のブラックホールの中に入ると、たとえ光の速さを もってしても二度と外に戻ることは出来ないので、 その境界線を "point of no return"というらしい。 すべてを運命の流れの所為にするつもりなどないけれど、 どんな物事にも抗いがたい流れというのがあって、 その流れの中で"point of no return"を超えた後のことは、 僕らではどうしようも無いことなのだと理解している。
けれど、今日は、今日に限っては、 その理解が揺らいでしまった。 そう理解などしたくはなかった。 そう理解など出来なかった。
2002年の12月14日、それはとても長い一日だった。 僕はその日の出来事をきっと忘れることなどないと思う。
傷つくことなど慣れっこで、いつも簡単に立ち直れるけれど、 今度ばかりは少し長い時間がかかりそうな気がする。 いったいどれだけ傷つけばいいんだろう。 time will tell、と自分に言い聞かせるのは、 少なくとも今の自分に言い聞かせるのは、 不可能なことであるように思えてならない。
いつまでも他人の悩み相談を受けて、 立ち直らせるばかりでいる余裕なんて僕には無いんだよ。 少し疲れている。
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