2006年12月23日(土) |
アイルランドの歴史と映画 |
カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞したケン・ローチ監督の「麦の穂を揺らす風」の評価はC-である。この映画はアイルランドが英国から独立を勝ち取るための戦いに焦点を当てた映画だが、あまりにそのアプローチの仕方が直截的過ぎて芸術性に欠ける。これではセミ・ドキュメンタリーだ。その悲惨な歴史を知っている者にとっては「だから今更何?」って感じ。世間では過大評価されていると思う。
アイルランドの独立戦争を背景とした映画ならデビッド・リーン監督の名作「ライアンの娘」(1970)があるし、「麦の穂を揺らす風」にも出てくるIRA(アイルランド共和軍)をテーマにしたニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」(1992)やキャロル・リード監督の「邪魔者は殺せ」(1947)の方がひねりが効いていてよっぽど面白い。言い換えるならば映画的である。
はっきり書く。「麦の穂を揺らす風」は21世紀に作られる意味がまったく無い代物である。
余談であるが戦争とは無関係にアイルランドを舞台としたお勧め映画として、感動の「ヒア・マイ・ソング」(1991)、大爆笑の「ウェイクアップ! ネッド」(1998)、そしてアイルランド出身のジョン・フォード監督が望郷の想いを込めて撮った「わが谷は緑なりき」(1941)と「静かなる男」(1952)を挙げておく。ちなみにE.T.がビールを飲みながらテレビで見ていたジョン・ウエインとモーリン・オハラのラブシーンは「静かなる男」の一場面である。
パプリカはナス科の多年草である唐辛子の辛味を除いた品種である。また、「唐辛子」を指すハンガリー語が転用された呼び名でもある。カラーピーマンや甘味唐辛子などとも呼ばれる。ハンガリーではそのまま唐辛子全般を指すが、それ以外の地域では肉厚の甘い品種を指す。(以上Wikipediaより引用)
今 敏(こん さとし)のアニメーションは今まであまり好きではなかった。文化庁メディア芸術祭大賞を「千と千尋の神隠し」と同時受賞した「千年女優」も、「東京ゴッドファーザーズ」にしても全く面白いとは思わない。特に「千年女優」の時空を超えて一人の男性を追い続ける、そんなアタシがアタシは大好きという自己完結型の結末には拍子抜けした。結局彼の映画はシナリオ、いや、物語自体が詰まらないのだ。アニメーション特有の表現法=空想の飛翔もなく、「こんなの実写でやればいいのに」というしらけた気持ちにさせれれるのもその特徴であった。
しかし、新作「パプリカ」は違った。アニメーションでしか出来ない描写も多く、なんといっても原作が筒井康隆だ。話が面白い。まあバーチャルリアリティというテーマ自体はいまどき古臭くなったが(夢の中に侵入するというのは既に「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」という傑作がある)、飽きさせず最後まで魅せられた。評価はBを進呈する。
原題'Children of Men'を「トゥモロー・ワールド」という邦題にした東宝東和宣伝部のセンスは醜悪である。
さて、この「ハリーポッターとアズカバンの囚人」のアルフォンソ・キュアロン監督の最新作の評価はB+。傑作である。まずキュアロンの朋友、撮影監督エマニュエル・ルベツキによる映像が素晴らしい。あんな凄い長回しは観た事ない。未曾有の体験である。都市の場面が曇り空の沈んだブルーで統一され、郊外の森に場所を移すと日の光の差し込む明るいグリーンに変化するという色彩設定も見事である。テレンス・マリック監督の「ニュー・ワールド」に引き続きルベツキは卓越した仕事をした。是非オスカーを獲って欲しい(つい先日発表されたロサンゼルス映画批評家協会賞でルベツキは撮影賞を受賞した)。
原作を換骨奪胎して全く別の作品に仕上げた脚色もいい。これは21世紀の黙示録である。物語は明らかに聖書を意識している。キーが主人公にお腹の子供の父親は誰かと尋ねられ、「私は処女よ」と答える場面はイエスを身籠ったマリアであり、脱出劇はモーゼの出エジプト記を彷彿とさせる。そして最後に迎えに来る船「トゥモロー号」はノアの箱舟だ。でこの映画の真骨頂は将来生まれてくる新世紀のイエスが黒人だということだ。黒人のイエスを守り抜くために沢山の白人がバッタバッタと死んでゆく。つまり白人中心の社会が滅び、やがで第三世界の時代が来ると予言しているのである。白人のマネーを使い、メキシコ人監督がこんな作品を撮った。その事実が実に痛快なのである。
最後に、キュアロンが「ハリー・ポッター」シリーズに復帰する際は是非撮影監督にルベツキを!!
長らく放置していた映画「デス・ノート」のレビューを。前後編を併せた評価はB+である。
非常に出来が良いエンターテイメント作品だ。無駄な部分がないので全く退屈しない。やはりこの物語を描くにはこれだけの長さが必要だったのだろう。ハリウッドリメイクの話も進行中とのことだが、これは2時間程度にまとめるべきではないだろう。そんなことしたら原作のダイジェストに成り下がった「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」や「ダ・ヴィンチ・コード」の二の舞になってしまう。
藤原竜也と松山ケンイチが好演。藤原が感情を爆発させるクライマックスは、さすがに舞台俳優だなぁという迫力で圧倒。かつて彼が演じたハムレットを想い出した。松山ケンイチの演じる"L"は飄々としていて、特に後半はユーモラスで可笑しかった。彼が報知映画賞最優秀新人賞を受賞したのは大納得である。
渡辺典子出演「恐怖のヤッちゃん」(1987)や小沢なつきが出た「山田村ワルツ」(1988)の時代から金子修介監督は美少女が大好き(実も蓋もない言い方をすればロリコン)として有名(いまを時めく長澤まさみが13歳で映画デビューしたのも金子の「クロスファイア」)なのだが、今回も前後編で沢山の美少女が登場して目を愉しませてくれる。理由もなく極端なミニ・スカート姿をさせているのにも笑った。ただ、瀬戸朝香は金子好みじゃないのでプロデューサーから押し付けられたのだろう。
2006年12月02日(土) |
Bond, James Bond |
「007/カジノ・ロワイヤル」の評価はC。普通の映画として観ればそこそこ面白いが、これは007映画とは言えない。
6代目で初の金髪のジェームズ・ボンド、ダニエル・クレイグに対しては映画制作当初から批判が多かった。インターネットでは彼の起用に反対するウェブサイト、クレイグノットボンド・ドットコムが立ち上がったくらいである。
今回のボンドは従来の路線とは全く異なり、ワイルドな肉体派になっている。特に全裸で敵の(破廉恥な)拷問を受ける場面には驚愕した。全身傷だらけで無様に鼻血を流したりもする。今まではありえない場面だ。確かに新機軸ではある。しかし、観客がジェームズ・ボンドに対して抱いているイメージをことごとく破壊してそれで製作者は満足なのだろうか?
一言で言えば新しいボンドにはSMART(洗練された、利口な)という形容詞が欠けているのだ。筋肉はむきむきだけれどタキシードが似合わない。全然お洒落じゃない。また不用意に毒薬を飲まされたり、敵の仕掛けた罠に安易に引っ掛かってパスワードを喋ってしまったりする。つまりおつむが足りない。こんなのボンドじゃない。
脚本は見事である。なんと言っても「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー脚本賞にノミネートされ「クラッシュ」でオスカーを受賞したポール・ハギスだから。同じく彼が手がけた「父親たちの星条旗」も時制をパズルのように組み替えた素晴らしい脚本だった。「カジノ・ロワイヤル」が007映画でなければ筆者はもっと評価した筈だ。
もう一人、今回是非褒めておきたいのは音楽のデヴィッド・アーノルド。まるで007シリーズの音楽を初代担当したジョン・バリー(「ゴールドフィンガー」「ロシアより愛をこめて」)が帰ってきたのかと錯覚するような惚れ惚れする出来だった。バリーのスタイルを咀嚼・踏襲しながら決して猿真似にならない絶妙なバランス感覚。天晴れである。
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