2006年10月28日(土) |
「フラガール」は日本代表に相応しいか? |
米アカデミー賞の外国語映画部門はそれぞれの国が独自に選考会を開き、一国一作品の候補が選ばれ、それをアカデミー会員が審査する仕組みになっている。今年日本代表に選ばれたのが「フラガール」である。ちなみに韓国代表が「王の男」、中国代表が巨匠チャン・イーモウ監督の「満城尽帯黄金甲/Curse of the Golden Flower」、香港がチャン・ツィイー主演の「夜宴 /The Banquet」。メキシコからは「ヘルボーイ」のギレルモ・デル・トロ監督によるダーク・ホラー・ファンタジー「PAN'S LABYRINTH」、そしてスペインからはアカデミー賞の常連ペドロ・アルモドヴァル監督の「Volver(ヴォルヴェール)」。強豪がひしめいている。
「フラガール」筆者の評価はB+。確かにいい映画であるが他国のライバルと比較すると余りにも弱い。完成度は高いのだが物語が予定調和で意外性に欠けるのである。早い話が「フルモンティ」のフラダンス版。それも日本的人情喜劇になっていて古風というか湿っぽい。だから国際的に勝負するのはキツイだろう。人間の業を描き切り文句なしに今年ナンバーワンの傑作「ゆれる」とか、日本的情緒とは無縁の洗練されたコメディ「THE 有頂天ホテル」、あるいは逆に純日本的な「武士の一分」の方が日本代表に相応しいだろうと筆者は考える。
さて「フラガール」の話だが、まず主演の松雪泰子が素晴らしい。この女優にはいままで何の興味関心もなかったのだが、この映画で彼女は一世一代の名演技を披露した。正にはまり役。うらぶれ、やけっぱちになった女優が、炭鉱の娘たちとの交流を通して誇りと輝きを取り戻していくさまを見事に演じ切った。
蒼井優のダンス力は「花とアリス」で十分認識していたが、今回のクライマックスでの彼女の踊りも圧巻だった。涙が出た。ブラボー!
蒼井優に負けない存在感を示してきらりと光ったのが友人役の徳永えり。この娘は間違いなくいい女優になる。映画の中盤から消えてしまうのが残念だが、彼女の不在、その喪失感がかえって映画に深い余韻を与えていると感じられた。
李相日(リ・サンイル)監督がクドカンと組んだ「69 sixty nine」は下品で正直面白くなかったのだが、今回は気に入った。今後に期待する。
最後に一言。蒼井優は現在21歳。一方、豊川悦司は47歳。いくらなんでもこのふたりが兄弟という映画の設定には無理がないか?この年の差はどう考えても親子だろ。母親役の富司純子が60歳だからトヨエツを13歳の時に生んだことになるんだけれど・・・
2006年10月21日(土) |
From New York to London〜マッチポイント |
ウディ・アレンが監督した映画の約8割は以下の言葉で要約できる。
・舞台はニューヨーク ・アレンが演じる登場人物は神経質で小心なユダヤ人。定期的に精神科医のセラピーを受けている。 ・1920−30年代にヒットしたコール・ポーター、ジョージ・ガーシュウィン、アーヴィング・バーリンなどの曲が映画全編を彩る。
そしてこの定義に当てはまる代表作が「アニー・ホール」であり「マンハッタン」「ハンナとその姉妹」である。しかし最近はマンネリ気味で「さよなら、さよならハリウッド」なんかは余りの詰まらなさにアレンの映画はもう二度と観まいと決意させたほどである。
ところが、である。最新作「マッチポイント」は新生ウディ・アレンを高らかに宣言する大傑作として筆者の前に突如出現した。評価はA。「マッチポイント」が傑出しているポイントを列挙しよう。
・舞台をロンドンに移すことにより映画から実に鮮烈な印象を受けた。 ・音楽がカルーソーが歌うオペラのアリアになり、これも新鮮だった。 ・「魔性の女」スカーレット・ヨハンソンの魅力を恐らく初めて引き出した映画となった。特に彼女が初登場する卓球台の場面、顔の一部分だけ浮かび上がらせるライディング効果が絶妙。嗚呼、なんてセクシー! ・とにかくアレンが役者として出てこないのも高ポイント。 ・表面的には上流階級に憧れる貧しい生立ちの男の悲劇を真面目に描いていているように見えるが、一皮剥けば実に皮肉の効いたブラック・コメディとして成立しているその巧みな二重構造。 ・この滑稽で情けない主人公、これってアレンの分身なんだよね。アレンは女優ミア・ファロー(「カイロの紫のバラ」←アレンが出演せず監督に専念した傑作!)と結婚当時、養女だった韓国人スーン=イと性的関係を持ち、それが発覚。泥沼の離婚訴訟の末にスーン=イと再婚した。その大スキャンダルを彷彿とさせる構成になっているのである。これだけ赤裸々に自分をさらけ出す、その作家としての覚悟に感服した。
2006年10月08日(日) |
本屋大賞と夜のピクニック |
筆者は2月24日の日誌で、映画公開前の「夜のピクニック」文庫化を予言したが、見事に的中した。映画にリンクして文庫もベストセラーになっている。
恩田陸という人は次から次へとアイディアが泉のように湧いてくる稀代のストーリーテラーで、多作な小説家だがその中でも「夜のピクニック」は一、二を争う傑作だと思う。あと彼女の作品で良いのは「六番目の小夜子」と「麦の海に沈む果実」ね。
恩田陸の悪い癖は大風呂敷を拡げるだけ拡げといて収拾不能になり、物語が中途半端に終わってしまうことがよくあるのだが、本屋大賞を受賞した「夜ピク」はそんなことが全くない。それはこの本で描かれているのが彼女の出身校である茨城県立水戸一高で実際毎年行われている<歩く会>を題材にしていることと無関係ではあるまい。リアリティがあるのである。映画はその<歩く会>の歩行ルートを忠実に再現しているという。
それにしても本屋大賞、一回目の受賞が「博士の愛した数式」で「夜のピクニック」「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン」がそれに続くわけだが打率10割、ハズレなしだ。受賞作全てが映画化されているというのも凄い。
で映画「夜ピク」なのだが、端的に言えば優れた素材(原作と役者)をクリエイター(脚本と演出)が生かし切れていないということになるだろう。映画の出来そのものはDが妥当だがヒロインの多部未華子ちゃんが可愛いのと石田卓也以下その他の若い役者たちが好演しているのでC+とする。
多部未華子を初めて観たのは大林監督の「理由」である。決して絶世の美少女とはいえないが、そのふて腐れたような顔が何故が印象の残る女の子だった。そして「夜ピク」で彼女は見事に花開いた。ひたむきで真っ直ぐなその眼差しで彼女はヒロイン・甲田貴子を生きた。
監督の長澤雅彦の演出力のなさは救いようがない。原作の主題は「ただ歩くだけなのにどうしてこんなにも特別なんだろう」ということ。例えば体育祭の看板作り、あるいは合宿でする徹夜のトランプ。意味がないことを仲間と一緒に一生懸命する、それこそが青春なのである。しかしその本質を長澤は全く理解していない。歩くだけを淡々と描いたのでは観客が退屈するのではないかと余計な心配をして回想シーンやヒロインの空想をアニメにして挿入し、作品の雰囲気をぶち壊している。これらをカットすれば映画の出来が随分マシになるのだが。
あと「夜ピク」のクライマックスの音楽が岩井俊二監督の最高傑作「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と瓜二つだなぁと想って観ていると、なんと音楽担当がどちらもREMEDIOSだったので笑った。金太郎飴かよ!?
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