エンターテイメント日誌

2006年08月28日(月) 墜落か?撃墜か? <ユナイテッド93>

911同時多発テロが発生し、ユナイテッド航空93便が墜落した報道がされた日に、筆者が直感的に確信したことは「これは墜落ではなく、アメリカ空軍の手で撃墜されたのだ」ということである。その根拠は報道さている映像が、林の中から煙がもうもうと立ち上っていく様子を遠景で捉えたものしかなかったからである。

何故バラバラになった機体を映さないのか?カメラマンはどうしてもっと被写体に近づいて撮ろうとしないのか?1985年に日航機が御巣鷹に墜落した時、われわれは沢山の生々しい現場写真を目にすることが出来たのに。

この不自然さゆえにユナイテッド93便の事件に関しては明らかにアメリカ政府による報道規制が敷かれていると感じられた。つまり機体を映してしまったら墜落したのではないということが明らかになってしまうので、都合が悪いのだろうと筆者は解釈したのである。

93便が撃墜されたのではないかという噂はいまだに根強くある。ここのサイトにその理由が詳しく解説されている。これを読んで驚いたのは機体後部や翼など、93便のまとまった残骸が未だに確認されていないということ。墜落事故でそんなことが本当にあり得るのだろうか?

さて、映画「ユナイテッド93」を観た。評価はB+。ドキュメンタリー・タッチで、緊迫感と臨場感があり、よく出来たプロパガンダ映画だと感じた。イスラム教徒の実行犯の描き方も淡々としていて、なかなか客観的でフェアだなと感心した。

沢山の事件に関わった人々がAS HIMSELF(HERSELF)として映画に出演しており、また93便から電話を受けた家族の証言もあるので、墜落直前の午前10:00までは実際に映画の通りなのであろう。しかし、連絡が途絶えて墜落する10:06までの6分間はあくまでフィクションである。そこで何が起こったのかは想像するしかない。映画は一般に信じられている勇気ある乗客たちの美談として描かれているが、余りに出来が良いので、映画の物語がもしかしたら本当にあったのかもしれないと信じてしまいそうになるほどの説得力があった。これは<そうであって欲しい>というアメリカ国民の願いでもあるのだろう。

しかし、これはあくまでプロパガンダ映画なので、鵜呑みにしてしまう(別名「洗脳される」とも言う)のは危険だとも想う。ソビエト連邦で製作されたセルゲイ・エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」とかレニ・リーフェンシュタールがナチ党の全国党大会を記録した「意志の勝利」と同じ類の映画だと距離を置いて冷静に観ることが肝要だろう。

なお余談だが、御巣鷹山への日航機墜落を題材にした横山秀夫の小説「クライマーズ・ハイ」は著者の新聞記者時代の体験を元にしており、リアルですこぶる面白いので一読をお勧めする。



2006年08月21日(月) ゆれてきた

映画「ゆれる」を観た。まごうことなき傑作。今年のキネマ旬報ベストワンはこれで決まりだろう。筆者の評価はA。

なにより香川照之が凄い。ある意味怖いくらいの渾身の演技。各映画賞で主演男優賞は彼が総なめ間違いなし。ただし、大手映画会社の作品ではないので日本アカデミー賞(投票者の大半を東宝・松竹・東映の社員が占める)だけは難しいだろうが。

オダギリジョーも相変わらず良い。西川美和監督は1974年生まれで世界的にもまだ数少ない女性監督である。本作を観ながら女の視点を感じたのは、オダギリジョーがあくまでセクシーで格好良く描かれているのに対してヒロインである真木よう子の肌荒れを故意に映したり、わざわざ醜く撮っていること。さすがに同性に対して容赦ないなと可笑しかった。

この物語はオリジナル脚本であるが、事件か事故かをめぐって裁判で争うというプロットは増村保造監督の傑作「妻は告白する」を下敷きにしていることは一目瞭然である。だから映画の前半にオリジナリティはない。しかし後半、兄弟(オダギリと香川)の思惑にずれが生じ、画面が揺れ、ふたりの心理が振幅し始めると俄然緊張感が高まり、面白くなる。丁々発止とやりあう会話。浮かび上がる兄弟そして親子の確執。脚本が見事である。

映画のラストシーン。兄はバスに乗ったのか、乗らなかったのか?その先は観客の想像に委ねられる。鮮やかな幕切れであった。



2006年08月14日(月) ふ(タ)し(イ)ぎ(ド)の(ラ)く(ン)に(ド)のローズ

Rose in Tideland がAlice in Wonderland から派生したタイトルであることは明らかだ。テリー・ギリアム監督の新作「ローズ・イン・タイドランド」は「不思議の国のアリス」を現代を舞台に翻案した摩訶不思議なダーク・ファンタジーである。ギリアムとしては「未来世紀ブラジル」以来の傑作ではなかろうか(筆者は巷で評判の良い「フィッシャー・キング」「12モンキーズ」「バロン」などを全く評価していない)。今回の評価はB+を進呈する。

とにかく本作は邪(よこしま)で、悪意に満ちた寓話である。10歳の少女が主役ではあるが、彼女は時に娼婦のように大人たちに媚を売り世の中の荒波を逞しく乗り越えてゆく。ローズを演じたジョデル・フェルランド(撮影当時9歳)が素晴らしい。可愛いというよりは美しいと表現したくなるような男を惑わす成熟した色香がある。

金色に輝く草原。そこを巨大鮫のように通り過ぎる列車の轟音と突風。ぽつんと佇む廃屋。妖しく光る蛍。ニコラ・ペコリーニによる撮影も特筆に価する。



2006年08月07日(月) 蒼井優、奇跡の輝き

蒼井優という女優を恐らく初めて遭遇したのは「リリィ・シュシュの全て」(2001)の筈だ。なんでそのような曖昧な書き方をするかというと、その映画で彼女がどの役を演じていたのか全く記憶に残っていないからだ。彼女が未だ15歳くらいの頃である。

蒼井優の存在を意識したのが塩田明彦の傑作「害虫」(2002)。宮崎あおいの同級生役だったが、その時の印象もちょっと可愛い優等生くらいの認識でしかなかった。

彼女の魅力が大きく花開き、あまりの変貌に腰を抜かしたのが岩井俊二の「花とアリス」(2004)。特に最後のバレエ・シーンの彼女は神々しいまでにオーラを放ち、筆者はただスクリーンの前に呆然と佇むばかりだった。

「亀は意外と速く泳ぐ」(2005)では一変し、驚くほど派手な衣装で登場。自由奔放な女の子を実に魅力的に演じ、主役である筈の上野樹里を完全に喰ってしまっていた。

さて2006年の新作、ハチクロこと「ハチミツとクローバー」である。兎に角この映画は蒼井優、彼女に尽きる。彼女を鑑賞するためだけに存在する映画と断定しても決して過言ではない。今回彼女が演じるのは<はぐ>こと花本はぐみ。開口一番その幼く頼りない発声法に愕然とした。いままでの蒼井優のイメージと全然違う!まるで原作漫画から抜け出たような儚げな<はぐ>がそこにいた。な、何なんだこの七変化は!?蒼井優、もしかしたら君はカメレオン・ガールなのか?・・・まぁ冗談はさておき、今回も彼女に心底参った。弱冠20歳(撮影当時)にして不思議な魅力を放散する女優である。

彼女の輝きにもかかわらず、映画自体の評価はC-である。加瀬亮や、美大の先生を飄々と演じた堺雅人はとても良かったのだが、全てをぶち壊したのが大根役者・櫻井翔である。ジャニーズだから客を呼べるのかもしれないが、こんな演技のいろはも出来ない奴に主役をさせるな!

あとこの作品のコンセプト、登場人物の誰もが片思いという設定が、あざといというかリアリティに欠けて詰まらなかった。振り向いてもくれない相手を想い続けたってしょうがないじゃないか。いい加減あきらめて他を探せよな。ウジウジと悩み続ける美大生たちに最後はだんだんイライラしてきた。美大生の生活感は上手に醸し出されていただけに勿体ない。



2006年08月01日(火) ディズニー王国復活の狼煙

筆者は7月8日の日誌(←クリックで跳ぶ)でにおいて

数年前ディズニーは手書きのセル・アニメーションを捨てて今後CGアニメしか製作をしないなどと言う馬鹿げた(いや、狂気の)発表をしたわけだが、その宣言が撤回されるのも時間の問題だ。宮崎アニメを心の底から愛するラセターはセル・アニメーションの良さを十分理解しているのだから。

と書いた。その予言が的中するのは意外と早かった。ここの記事を見て欲しい。

ウォルト・ディズニーの死後低迷していたスタジオが第二の黄金期を迎えるのは「リトル・マーメイド」以降である。お家芸であるミュージカル・アニメーションが復活し、「美女と野獣」ではアニメ史上初となるアカデミー作品賞ノミネートを果たした。これが契機となり後にアカデミー賞に長編アニメーション部門が新設されることとなる。

この劇的な復活劇をもたらした功労者はまず、アニメーション製作部門の最高責任者であったジェフリー・カッツェンバーグであり、さらに「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」の作詞作曲コンビ、ハワード・アシュマンとアラン・メンケンの才能に負うところが大きい。しかし新生ディズニーの精神的支柱であったアシュマンが「アラジン」製作途中にAIDSで死去し、カッツェンバーグは「ライオン・キング」で大ヒットを飛ばした後アイズナー会長と仲たがいし失脚、ドリームワークスを設立するに到る。この辺の経緯はこちらに詳しい。

このようにして「ライオン・キング」以降は作品の質が著明に低下し、ヒットにも恵まれなくなる。またピクサー社の台頭でCGアニメーション全盛期となり、ディズニーはピクサー作品を配給することにより、自社製作作品の失敗をなんとか取り繕い細々と生き長らえてきた。凡打連発で焦ったアイズナーはピクサーに対抗すべくセル画アニメーターを大量解雇し、CGアニメ路線一本でやるなどという暴挙に出るのである。

しかし漸くディズニー冬の時代(大氷河期)も終わり、遅すぎた春がやって来ようとしている。悪の枢軸であるアイズナーは退陣した。そしてCGアニメの最先端ピクサー社の最高責任者でありながらセル画で描かれた宮崎アニメの最大の理解者であるジョン・ラセターが復帰(1979年から84年にかけディズニーに在籍していた)し、全権を掌握したのである。ラセターという燦燦たる光のもとディズニーは輝かしい第三の黄金期をまもなく迎えようとしている。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]