エンターテイメント日誌

2006年04月30日(日) 田中康夫とウォレスとグルミット

田中康夫・長野県知事が「ウォレスとグルミット」の大ファンだということは周知の事実である。胸にグルミットの小さなぬいぐるみを付けて登庁するくらい。今回の映画「野菜畑で大ピンチ!」の宣伝にも一役買っている

田中康夫は嫌いだけれど、筆者も「ウォレスとグルミット」が好きである。短編「チーズ・ホリデー」「ペンギンに気をつけろ!」「ウォレスとグルミット、危機一髪」は愉しく観たし、ショート・ショートの「ウォレスとグルミットのおすすめ生活」でも大笑いした。

しかし、映画「野菜畑で大ピンチ!」はいただけない。全く面白くない。このシリーズに漂う緩い笑い、いわばイングリッシュ・ジョークは短編では有効だが、これを長編として延々と見せられると辛い。だらだらとしたコント集みたいで一本筋が通った映画になっていないのである。たしかにグルミットは相変わらず可愛いのだが、キャラクターの魅力だけでは85分の上映時間は保たない。正直がっかりした。

今回音楽プロデューサーにハンス・ジマー(「ライオンキング」「グラディエーター」「ラスト・サムライ」)がクレジットされているのだが、無駄に豪華という印象。「ウォレスとグルミット」というクレイ(粘土)アニメは手作り感というのが売りだった筈なのだが。音楽も初期作品のように素朴なままで良かったのに。

本作はアニー賞で作品賞など10部門を総なめにし、米アカデミー賞長編アニメーション賞も受賞した。さらに英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)からイギリス制作の映画の中で、最も優れた作品に贈られる英国映画賞も受賞。この賞がアニメーションに与えられるのは史上初の快挙である。しかし、筆者には巷の評価の高さが全く理解出来ない。筆者の評価はC-である。



2006年04月22日(土) 白バラ、暴力、かもめ〜ショート・レビューを一挙放出

「白バラの祈りーゾフィー・ショル、最後の日々」 評価:D
ナチスに処刑された女子大生のお話で実話なのだが、全く主人公に共感できなかった。ヒロインがとった行動は明らかに自殺行為であり、犬死としか思えない。世間にアピールするために自ら死を選ぶのならばもっと効果的な方法がある筈だ。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した三島由紀夫や、時の政府の仏教徒に対する弾圧・虐待に対して抗議するために、ベトナムのサイゴン市街十字路上においてガソリンを浴びて焼身自殺をした僧侶のように。若さゆえの愚かしさというべきか、まあはっきり言って馬鹿女につける薬はないってことだな。

ヒストリー・オブ・バイオレンス 評価:C
もっと社会派の高尚な映画かと襟を正して鑑賞したのだが、アクションたっぷりのマッチョマンのお話でずっこけた。デヴィッド・クローネンバーグ監督といえば<ヌルヌル、グチョグチョ>した気色悪い映画を期待…もとい、連想するのだが、実に単純明快であっけらかんとしていた。退屈はしなかったけれど底が浅いので、後には何も残らない。

かもめ食堂 評価:B+
これは出色の邦画である。映画に於けるたおやかな時間の流れが心地好い。登場する食べ物がみな実に美味しそうで、アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞したデンマーク映画「バベットの晩餐会」を想い出した。そういえば「かもめ食堂」の舞台はフィンランドだし、どちらも北欧という共通点があるのは単なる偶然だろうか?小林聡美、片桐はいり、もたいまさこら女優陣も肩の力を抜いてのびのびと演技しており、いい味出している。 観終わってちょっと幸福な気分に浸れる作品。



2006年04月17日(月) Break a leg ! 〜 「プロデューサーズ」

さて、ミュージカル映画版「プロデューサーズ」である。メル・ブルックスが脚本・監督したオリジナルの「プロデューサーズ」は1968年の製作で、今回メルは文字どおりプロデューサー兼脚色を担当し、監督は舞台版で振り付け・演出を担当しトニー賞に輝いたスーザン・ストローマンが当たった。

評価はB。ウィル・フェレルとユマ・サーマン以外は殆ど舞台のオリジナルキャストで固められ(その点ではまもなく公開される映画「RENT」も同様)、舞台の魅力をそのまま映像化したような作品に仕上がっている。それがこの映画の長所であり同時に短所にもなっている。

ブロードウェイ初演キャストで観劇をしている筆者にとってはその感動がそのまま缶詰されて、あたかも地中に埋められたタイムカプセルの如く年月を経て蘇ったような、懐かしくも幸福な2時間強を過ごす事が出来た。有名なおばあちゃん達の歩行器ダンスなんか、野外ロケをされてはいるものの、振り付けは舞台と全く同じだったので驚いた。

ただ、ここまで舞台とそっくりそのままだと、一体映画化する意味はどこにあるのだろうという気も一方ではする。これならいっそのこと、舞台を映像に収録してDVD化すればそれで事足りるのではなかろうか?ネイサン・レインとマシュー・ブロデリックの演技も舞台そのままのハイ・テンションなので、リアリティを求められる映画の世界ではオーヴァー・アクトの感も否めない。「映画」を観に来た観客にとっては些か違和感があるのではなかろうか?

舞台に忠実という意味ではオリジナル・キャストが映画にも出演している「マイ・フェア・レディ」(イライザ役はジュリー・アンドリュースからオードリー・ヘップバーンに変更)や、「ザ・ミュージック・マン」「努力しないで出世する方法」などを彷彿とさせた。また、映画の色彩は極彩色のテクニカラー調で、あたかも「パリのアメリカ人」「雨に唄えば」「バンド・ワゴン」の頃のMGMミュージカルのようであった。つまり本作は一言で表現するならば、良い意味でも悪い意味でも<古色蒼然たるミュージカル映画>であり、そこが評価の分かれるところだろう。

なお、余談だが今回の日誌のタイトル"Break a leg"はニューヨークの演劇人が使用する慣用句であり、「プロデューサーズ」の唄にも登場する。詳細はこちらをご覧あれ。



2006年04月08日(土) 2001年夏、NYにて〜そしてプロデューサーズを観劇した。

この日誌は前回からの続きである。

さて、いよいよ「プロデューサーズ」を上映しているセント・ジェームズ劇場に乗り込んだ。まずエントランスをくぐって最初に出演者変更の掲示板が出ていないか周囲を見渡す。代役(アンダースタディ)が立つ時は必ず告知があるのだ。ない。やったぁ!とロビーで小躍りした。結局完璧な初演キャストで観ることが出来たのである。

マシュー・ブロデリックやネイサン・レインは無論のこと隅々の脇役にいたるまで適材適所、隙がなかった。ゲイリー・ビーチ(演出家ロジャー・デ・ブリー役、トニー賞助演男優賞受賞)、ロジャー・バート(演出家のアシスタント役、トニー賞候補となる)は同役で映画にも出演しているし、「ヒトラーの春」の作者役でトニー賞候補となったブラッド・オスカーは今回の映画では同役をウィル・フェレルに譲ることになるが、ちゃんとタクシー運転手役で出演している。

ネイサン・レインとマシュー・ブロデリックは2002年3月で「プロデューサーズ」を降板した。ネイサンが演じたマックス役はブラッド・オスカーが受け継いだ。ちなみにロンドン公演でも椎間板ヘルニアで出演できなくなったリチャード・ドレイファスのピンチ・ヒッターとして舞台に立ったネイサンが降板した後、ブラッド・オスカーが招聘されたそうである。ロジャー・バートも後にマシューが演じていたレオを演じている。

マジェスティック劇場で「オペラ座の怪人」を観劇したときは前後左右から日本語がサラウンドのように飛び交い、ここは東京か!?という錯覚を味わったが、「プロデューサーズ」では殆ど日本人を見かけなかった。客席は終始熱気に溢れていたが、一番盛り上がったのはネイサン演じるマックスがひとり刑務所で"Betrayed(裏切られた!)"を唄う場面である。このナンバーはマックスが今までの経緯を振り返りながらレオや演出家のロジャー、スエーデン人秘書のウラなどの物まねを畳み掛けるようにどんどん繰り広げていく。そのパフォーマンスが圧巻でネイサンが唄い終わると、惜しみない拍手と歓声が巻き起こり、なかなか鳴り止まなかった。僕が「ショウ・ ストッパー」の真の意味を知った瞬間だった。

「プロデューサーズ」の面白さはまずオリジナルの映画がアカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞したように、台本が完璧であることが挙げられるだろう。それに加え、さらに舞台を華やいだものにしているのはメル・ブルックスが作詞作曲した愉しい唄の数々である。僕が中学生のとき、メルが監督主演した映画「新サイコ」をテレビで観た。映画自体は所詮ヒッチコック映画のB級パロディに過ぎないのだが、テレビの前で腹を抱えて笑ったのがその主題歌「高所恐怖症の唄(HighAnxiety)」である。ウィットに富んだメルの作詞・作曲のセンスに脱帽したのだが、その才能はミュージカル版「プロデューサーズ」で一層大きく花開いた。今回の映画版では一曲新曲が書かれているそうなので実に愉しみだ。

2001年のNY旅行で残念だったのは世界貿易センタービルの最上階にあるレストラン「トップ・オブ・ザ・ワールド」に行きそこなったことである。最高の眺望と美味しいフレンチを提供することで評判のそのレストランには日本を出国する前から予約していた。しかし、予約日当日の昼に「キャバレー」を観劇した際、空調が効きすぎて非常に寒く、ホテルに戻ってから高熱が出てダウンしてしまった。食欲も全くなく、残念ながらディナーをキャンセルせざるを得なかった。結局、世界貿易センタービルは自由の女神からその姿を望んだだけだった。そして日本に帰国して約一週間後、ニュース・ステーションを何気なく見ていると、一部の階から煙が立ち昇っている貿易センタービルの映像が映っていた。報道によると、どうも小型セスナ機が突っ込んだらしい(当初情報は混乱していた)。そして間もなくその映像にもう一機の飛行機がタワーに突進していく姿が映し出された。その瞬間、これは決して事故ではあり得ないと悟った。このようにして同時多発テロは起こった。瞬く間にビルは崩壊し、僕が「トップ・オブ・ザ・ワールド」に行く機会は永遠に失われたのである。



2006年04月01日(土) 2001年夏、NYにて。

2001年の春に、僕は念願であったニューヨーク旅行を決意した。初の渡米である。その契機となったのは大好きなメル・ブルックスの映画「プロデューサーズ」がその年、メル自身の手で舞台ミュージカル化されブロードウェイで大絶賛を博していたからである。トニー賞を総なめにすることは確実視されていた。ネイサン・レインやマシュー・ブロデリックなどオリジナル・キャストで観るには今しかない。NY旅行は8月末と定め、トニー賞授賞式後はチケット入手不能になることが確実と睨んだので、授賞式が行われる2週間前の5月中旬にチケットを手配した。

日本の手配業者に旅行日程を伝え、一週間の滞在期間内なら何時でもいい、席種は問わないから何とか「プロデューサーズ」を入手してほしいと依頼した。もうその時点で「プロデューサーズ」はブロードウェイ史上最もチケット入手が困難なミュージカルと言われていた。

10日ほど経過し、業者からチケットを確保したとメールが届いた。2階最後列の席だった。ちなみに手数料はチケット代金とほぼ同額くらい掛かった。また同時に、「オペラ座の怪人」「42ND STREET」「アイーダ」「キャバレー」のチケットも押さえてもらった。

そして迎えた6月3日(現地時間)、「プロデューサーズ」は12部門受賞というトニー賞新記録を打ち立てた。「42ND STREET」はリバイバル作品賞を受賞した。授賞式の模様はNHK BSで6月8日に放送された。授賞式で披露された「42ND STREET」のタップダンスは圧巻で、「プロデューサーズ」の創意工夫に満ちた歩行器ダンスは底抜けに可笑しかった。授賞式の合間に挿入された唐沢寿明、島田 歌穂、川平慈英によるトークも実に楽しかった。唐沢が今回のミュージカル版映画化にあたりおすぎとスポットCMを担当しているのも決して偶然ではない。その授賞式の模様はちゃんと録画し、もう何十回となく繰り返し観た。

「プロデューサーズ」を上演しているセント・ジェームズ劇場に到着するまで、心配は絶えなかった。ネイサン・レインが数週間夏休みをとるらしいという噂が流れていたからである。チケットを手配してくれた業者にも問い合わせたのだが、彼の夏休みに運悪くあたってしまうかどうかは天のみぞ知るとのことだった。夏休みでなくても週に一度くらいはネイサン・レインやマシュー・ブロデリックが休演するそうなので代役(アンダースタディ)にあたる可能性もある。なにしろ週8公演もあるのだからそれも詮無いことである。

公演は夜8時からだったのでその前にディナーを食べた。「プロデューサーズ」観劇前は絶対に劇場近くにある「サーディーズ」に行かねばと決めていた。「サーディーズ」はブロードウエイの劇場関係者御用達のレストランで、店内には俳優たちの似顔絵が沢山あることで有名だ。実は「プロデューサーズ」でマシュー・ブロデリックが唄うナンバーの歌詞に「もし僕がブロードウェイのプロデューサーになれたら、サーディーズで毎日ランチを食べたい」というくだりがあるのである。確かにブロードウェイらしい華やかな雰囲気のあるお店だった・・・しかし、食事はファミリー・レストランの高級版程度の味だった。笑ったのは食後に紅茶を注文すると、ティー・ポットにリプトンのティーバッグが放り込まれた状態で出てきたことである!まあそのことからも食事のレベルは推して知るべしだろう。一度は行く価値はあるが、二度と行く気にはならない。「サーディーズ」はそんなお店だ。

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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]