エンターテイメント日誌

2006年02月25日(土) スピルバーグのバランス感覚 <ミュンヘン>

スピルバーグはバランス感覚に長けたひとである。具体例を挙げよう。1993年にホロコーストという重い題材の「シンドラーのリスト」を撮り、アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚色賞・撮影賞・音楽賞・美術賞・編集賞と7部門を受賞した。しかし彼はその年に「ジュラシック・パーク」というSF娯楽大作も撮り、こちらは特殊視覚効果賞・音響効果編集賞・音響賞という技術部門で3つのオスカーを獲り、実に10部門を制したのである。スピルバーグとはそういう監督なのである。

昨年もスピルバーグは同じパターンできた。まず夏に娯楽映画「宇宙戦争」を公開し、これでアカデミー賞の特殊視覚効果賞・音響効果編集賞・音響賞にノミネート、そしてクリスマス・シーズンには早々と「ミュンヘン」を完成し、作品賞・監督賞・脚色賞・編集賞・作曲賞にノミネートされた。

「ミュンヘン」の評価はAである。憎しみの連鎖は何も生み出さないという実に明快なテーマを持ちながらも、頭でっかちにならずエンターテイメント要素たっぷりで、嘗てのスパイ映画を連想させるような手に汗握るスリラーになっているところが好ましい。娯楽要素を捨て「オスカーが欲しい!」という物欲しげな意思表示があからさまだった「カラー・パープル」「シンドラーのリスト」「新兵ライアンを救出せよ("プライベート・ライアン"という邦題は全く意味不明)」と比べるとスピルバーグは明らかに自由になった。本気でオスカーがまた欲しいのなら別の撮り方をしたはずである。

また、「シンドラーのリスト」では被害者・絶対弱者としてのユダヤ人を描き、親イスラエルのふりをしながら今度の「ミュンヘン」では一転、イスラエル政府のとった政治手法を批判してみせるあたり、絶妙なるバランス感覚と言えるだろう。

映画のラストシーンで、ブルックリンから眺めたマンハッタンの街並みに遠くツイン・タワー(貿易センタービル)が陽の光を浴びて黄金色に輝いているのが見える。このシーンによりスピルバーグは9・11以降のアメリカの現在までをも照射してみせる。この鮮やかな幕切れにはただただ唸らざるを得なかった。

なお、映画ではミュンヘン・オリンピックでの事件が余り詳しくは描かれていないので、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞した「ブラック・セプテンバー/ミュンヘン・テロ事件の真実」を予めご覧になっておかれることをお勧めする。



2006年02月18日(土) 誰も書かなかった高倉健 <単騎、千里を走る>

世の中には批判してはいけない人、悪口を言うことがタブーとされる人がいる。長島茂雄巨人軍終身名誉監督とか高倉健などがその代表であろう。

高倉健と言えば「寡黙な人」「不器用ですから」というイメージがある。しかし今回映画「単騎、千里を走る」を観て分かったのは、言い換えるならば高倉健という役者は滑舌が悪く、台詞回しが下手で、要は大根役者だというのが真相だということだ。先日、内田吐夢監督の傑作「宮本武蔵」シリーズを観ていたのだが、1963年公開の「宮本武蔵 二刀流開眼」から高倉健が佐々木小次郎役で出演している。勿論このころから下手くそなのだが、それから40年以上経た今になっても全く演技力は向上していない、進歩の跡がなんら窺えないのはある意味凄いことだ。さすが大物である。

恐らく日本の映画界では「健さんに台詞を喋らせたら台無しだから、必要最小限に剃り落とそう」という暗黙の了解があるのだろう。そのようにして寡黙な人というイメージが形成された。高倉健がテレビドラマに全く出演しないのも、テレビというものは喋らなければ間が持たない媒体だからというのがその理由であろうし、その判断は賢明だったと言えるだろう。

しかし中国人で日本語を全く解さないチャン・イーモウ監督にそのような事情が理解出来よう筈もない。イーモウは沢山台詞の書かれたモノローグを用意して、高倉健は映画を台無しにした。

映画の物語自体、あざとく偽善的で詰まらない。イーモウ作品なら「至福のとき」に匹敵するくらいの出来の悪さである。登場する中国人は全員素人を起用しているということだが、その方法論は鞏俐(コン・リー)以外、ロケ地近隣の素人の村人を起用した「秋菊の物語 」や「あの子を探して」と同じである。しかし、前2作では村人の素朴さが滲み出て成功しているのに対して、今回その手法は全く空疎な空回りだったと断ずるしかないだろう。

また、この映画の日本国内の撮影は降旗康男監督や撮影監督として木村大作が起用されているのだが、画面の色調などが中国パートとうまくかみ合っておらず、寺島しのぶの重たい演技も最後まで違和感が付きまとった。評価はD-である。



2006年02月13日(月) B級映画の鏡 <スキージャンプ・ペア>

映画スキージャンプ・ペアは出色のB級映画である。この下らないまでの面白さは、予備知識なしで観るに越したことはないので余計なことは書かない。兎に角頭を真っ白にして観ろ。それだけだ。

それでも少しだけコメントするなら、競技の場面では実写からテレビ・ゲーム程度のチープなCGに切り替わるのだが、今の技術ならもっとリアルに描けるはずだ。しかしそれを敢えてしないところが「B映画(B-Pictures)」の神髄なんだろうな。この作者は確信犯である。実に清々しい。評価はB+である。

筆者の考える面白いB級映画の定義はこうだ。

1.低予算映画である。(いわゆる昔のプログラムピクチャーがこれに相当するが最近ではインディーズ《独立系》映画が中心となっている)
2.有名な役者は出ていなくても、面白い映画を撮ろうという活動屋の心意気がある。しばしば「面白い」を通り越して「馬鹿馬鹿しい」領域に達する。
3.メジャー系では表現出来ないキラリと光る個性がある。ユニークな映画。しかし映画賞とは無縁である。

それでは筆者が特にお勧めする由緒正しいB級映画10選を順不同でご紹介しよう。

・鴛鴦歌合戦
・怪猫有馬御殿
・あこがれ(内藤洋子主演。F・トリュフォー監督の「あこがれ」にも置換可)
・殺しの烙印(「けんかえれじい」「野獣の青春」と置換可)
・彼のオートバイ、彼女の島
・サマータイムマシン・ブルース
・恐怖の振子(あるいは「アッシャー家の惨劇」「白い肌に狂う鞭」に置換可)
・ある日どこかで
・オール・オブ・ミー(「ペテン師と詐欺師/騙されてリビエラ」に置換可)
・ズーランダー
次点)スターシップ・トゥルーパーズ




2006年02月04日(土) 本屋大賞と博士の愛した数式

直木賞がまともな作品に贈られていたのは「マークスの山」(平成5年)「テロリストのパラソル」(平成7年)あたりまでである。もうそれ以降はとんちんかんとしか言いようがない。浅田次郎の大傑作「蒼穹の昴」を第115回で落選しておいて第117回に駄作「鉄道員」で受賞させてみたり、第115回に京極夏彦の「嗤う伊右衛門」を落とし第130回で「後巷説百物語」を選んでみたり。これ、巷説百物語シリーズの第3作目なんだよね。何で1作目、2作目を無視してこれに直木賞あげるの?変でしょう。いままで京極にあげ損なっていたことへのお詫びという以上の意味は見いだせない。遅すぎるんだよ。時代に取り残されている。無能な審査員たち(渡辺淳一、林 真理子、平岩 弓枝ら)を一新すべきだ。

平成10年の宮部みゆき「理由」や平成12年の船戸与一「虹の谷の五月」も決して彼らの代表作ではないし、世間の評価が確立した作家に今更ながらに賞を与えて一体全体何の意味があるのか?その点平成4年に船戸与一に「砂のクロニクル」で、平成5年に宮部みゆきに「火車」で受賞させた山本周五郎賞の方がよっぽど先見の明がある。もう一度言う。直木賞は地に落ちた。
 
直木賞にも危機感はあるのだろう。今年の受賞者、東野圭吾の「容疑者Xの献身」は妥当な選択ではあった。しかし、「このミステリーがすごい!」「週刊文春」「本格ミステリ・ベスト10」で1位を総なめにした小説だから、やはり今更感が強い。どうせ東野圭吾に与えるのなら、平成11年に「白夜行」が候補になった時点で決断すべきだったろう。あれこそが彼の最高傑作なのだから。それか平成15年に「手紙」が候補になった時こそ”手遅れ一歩手前”のラスト・チャンスだったのに。

直木賞が迷走する中、頭角を現してきたのが本屋大賞である。第1回目の受賞作が小川洋子の「博士の愛した数式」で第2回が恩田陸の「夜のピクニック」。打率10割、2打席連続場外ホームランである。見事な選球眼、さすが本屋さんの目は確かだ。「博士の愛した数式」は映画化され、これも大傑作。筆者の評価はA+である。原作は映画公開数ヶ月前に文庫化され、連鎖反応で100万部突破の大ベストセラー。新潮社は上手い商売をした。映画「夜のピクニック」も既に完成し、公開を控えている。あっ、これも新潮社だ。賭けても良いけど、きっと公開2,3ヶ月前に文庫化されるな。是非また儲けて下さい。映画版、今から楽しみで楽しみで待ちきれない気持ちである。11月公開予定なんて遅すぎる!!多分、文庫化の時期との絡みでそういうタイミングなんだろう。

さて、映画「博士の愛した数式」のお話を少しだけ。これは原作を上回るといっても過言ではないくらいの圧倒的出来映えである。原作を予め読んでいて物語を知っているのに映画中盤からぼろぼろ涙が溢れてきて止まらなかった。特に見事な脚色だったのは、原作ではエピローグでしか登場しない成人となった”ルート”を映画冒頭から登場させ、ルートの数学講義と平行して博士の物語を描くという手法である。その処置によって、この作品の主題である数式の美しさがより一層際立つ効果をもたらした。

寺尾聡の演技は勿論素晴らしいのだが、特筆すべきは深津絵里であろう。彼女は生涯最高の演技をこの映画で披露した。もう完璧、文句のつけようがない。家政婦、杏子がまるで原作から抜け出したようというか、+αの鮮烈な人物像をうち立てて予想を遙かに超える感銘を受けた。打ちのめされたと言い換えても良い。

可笑しくて吹き出してしまったのは寺尾聡と浅丘ルリ子が能を観る場面である。ふたりの直ぐ側で、やたらと瞬きをして観ているおばさんがいるなぁとよくよく見ると原作者の小川洋子だった。よっぽど緊張していたんだろう、それはもう異常な回数の瞬きであった。彼女と比べると寺尾も浅丘もほとんどしないので、役者ってさすがだなぁと感心した。それにしても監督やスタッフも「小川さん、もっとリラックスして」とか声を掛けてあげればいいのに。遠慮して言えなかったんだろうな。まあ、微笑ましくも愛おしい場面であった。

さて、第3回本屋大賞の候補作はこちらをクリック。「容疑者Xの献身」も入っているが、全国の書店員さんたちは愚かな選択はしないだろう。だってもう既に売れているし。直木賞を既に獲った奥田英朗もないな。やはりここは今が旬の伊坂幸太郎くんでしょう。それか直木賞で不当な評価しか得られなかった傑作「ベルカ、吠えないのか?」を大穴としておきましょう。


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]