エンターテイメント日誌

2004年12月31日(金) 韓流ブームを振り返って

韓流と書いて<はんりゅう>と読む。2004年はドラマや映画で韓流の波が怒濤のごとく押し寄せた一年であった。

その韓流を象徴する存在がドラマ「冬のソナタ」であり、12/20〜30に、NHK-BS2で一挙20話放送があったので今回初めて観た。ヒロインのユジンが優柔不断な女で「どっちの男にくっつくかはっきりせいや!!」とイライラしたし,さすがに全20話は長すぎると想ったが、意外にも良くできたドラマでなかなか面白かった。これなら日本のおばさまたちがブラウン管の前で涙を流し、ヨンさまことペ・ヨンジュンに夢中になるのは納得出来る。

日本で大ベストセラーとなったセカチュウこと「世界の中心で、愛をさけぶ」と共通するのは<初恋至上主義>であるということだ。どちらの主人公も高校生時代の恋にいつまでも呪縛されている。筆者には初恋ってそんなに甘美だろうか?過去の記憶は本人に都合良く美化されているだけではないのか?という基本的な疑問が残るが、多くの日本の女性たちにとってはそれは忘れることの出来ない大切な想い出なのだろう。

ヒロインのユジンを演じるチェ・ジウは<涙の女王>と呼ばれているが、ドラマを観て大納得。泣くときの表情が実に美しいのである。彼女の涙が奇麗なのは、まず決して化粧と混ざって濁ったりしないその透明感、そして泣いているときも目が充血しないことなどが挙げられる。ユジンの感情が高まると両目に涙が次第に溜まってきてまず左目からハラハラと一粒、二粒こぼれ落ちる。そして次に右目からハラハラと。この計算された絶妙なタイミングが正にプロフェッショナル。芸術の域にまで達したその匠の技にはただ、感嘆の溜息をつくのみである。

「冬のソナタ」の登場人物たちはよく泣く。泣く回数を数えた人によると、全体で80数回と実に15分に1回は涙を流す場面があるそうである。この辺りは感情を表に出さないことが美徳とされる日本人には理解し難いところであるが、日韓の民族的風習・文化の違いが如実に分かって面白い。

韓国の映画やドラマを観る上で是非知っておきたいのが<恨=ハン>という観念である。NHKハングル講座講師である小倉紀蔵さんが<ハン>について詳しく解説されているサイトがあるのでご紹介しよう。ここをクリック!

理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所への「あこがれ」と、それへの接近が挫折させられている「無念」「悲しみ」がセットになった感情が、「ハン」なのである。

上記のように小倉さんは<ハン>について書かれているが、これが見事に「冬のソナタ」に当てはまるのである。ヒロインのユジンは10年前のチュンサンとの初恋を胸に生きている。チュンサンがあこがれの象徴なのであり、だから幼なじみで現在は婚約者であるサンヒョクとの生活は、本来あるべき姿・いるべき場所・・・そういうものから離れてしまっている状態なのである。チュンサンが交通事故にあった後、彼の母親が催眠療法で別の記憶を植え付けたり、チュンサンの父親が嘗て彼女の恋人だったユジンの父親だと嘘をつくのも<ハン>という感情に囚われているからなのである。

<ハン>を更に詳しく知るために是非お勧めしたい映画がある。「風の丘を越えて〜西便制」(←クリック)という韓国の伝統芸能パンソリを題材にした1993年の作品である。これは韓国映画史上に燦然と輝く名作であるから観て決して損はない筈だ。DVDで買うもよし、レンタルビデオ屋で借りるもよいだろう。

最後に韓流ブームの一年を締めくくる韓国映画のレビューを掲載しておく。

「春夏秋冬そして春」評価:B
まず何と言っても周王山国立公園にセットを組んだ撮影が実に美しい。湖に浮かぶ寺という設定が幻想的で見事。ただ、四季の移ろいとともに展開する物語が人の一生を象徴しているという意図はよく判るのだが、あまりに観念的すぎて馴染めない。世界各国の評論家が絶賛し、韓国でも「大鐘賞」や「青龍賞」で最優秀作品賞を受賞するなど高い評価を得ているのはその象徴主義symbolismゆえの芸術性なのだろうが、やっぱり映画の基本はエンターテイメントだと想うんだよね。登場人物に全く感情移入出来ないのは如何なものか?



2004年12月25日(土) スピルバーグの軌跡と<ターミナル>

スティーブン・スピルバーグの現在までのフィルモグラフィを顧みると、大きく分けて三つの時期に分けることが出来るだろう。

まず第一がテレビ映画「激突!」の演出力を認められ、劇場第一作の「続激突!カージャック(The Sugarland Express)」を経て「ジョーズ」「未知との遭遇」など大ヒット作を連発した<新進気鋭ディレクター>時代。これはルーカスの「スターウォーズ」と時期を同じくして相乗効果でハリウッド・ルネサンスの潮流を巻き起こした。

そして第一期の頂点となった作品が「E.T.」であり、これでスピルバーグはアカデミー作品賞・監督賞にノミネートされたのだが、結局受賞出来なかった。テーマだけ立派で愚鈍な映画「ガンジー」に破れたのである。このことは彼にとって大きな心の傷として残ったのであろう。自分の好きなファンタジーとか冒険活劇ばっかり撮っていたのでは正当に評価されないことを思い知らされたのである。ここからスピルバーグは変貌していく。

第二期は兎に角オスカーを受賞するために賞狙いの作品を撮りまくった<巨匠への道>時代である。黒人問題を正面から取り上げた「カラーパープル」は彼の儲け主義に対する反発でアカデミー賞は一部門たりとも獲れなかった。同系統の作品として「アミスタッド」もあるが、これも余り評価されていない(無論筆者も観たが、実に退屈だった)。そこでユダヤ人としてのアイデンティティーを武器にホロコースト問題に取り組み「シンドラーのリスト」によって念願の作品賞と監督賞を手に入れる。それでも飽き足らないスピルバーグは何かに取り憑かれたように「プライベート・ライアン」に取り組み、ノルマンディ上陸作戦を徹底したリアリズムで演出して二度目の監督賞を受賞する。

これで押しも押されぬハリウッドでの地位と名誉を得た訳だが、筆者はこの時期のスピルバーグの映画は全く面白いと想わない。「シンドラーのリスト」に続けて娯楽作「ジュラシック・パーク」を撮るなどしてバランスを取っているのだが、そっちの方の演出も以前と比較して面白みというか冴えがないんだよなぁ。本来得意であるはずのファンタジー「フック」なんか救いようのない駄作だし。あ、最悪の出来なのは「オールウェイズ」だけどね。

最早貰うべきものは全て手にした彼は第三期に突入する。そこで生まれたのが「マイノリティ・リポート」であり、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」そして最新作「ターミナル」へと続くのである。なんだか最近の作品は肩の力が抜けて気のあった仲間と愉しく、撮りたい映画だけを撮るという姿勢が明確になってきた気がする。<悠々自適>時代と呼んでも差し支えないだろう。筆者は第三期の軽やかで小粋なスピルバーグ映画が大好きである。

「ターミナル」の評価はB+。なんてったって巨大な空港のセットが凄い。全体の9割以上がセット撮影なのだが、これだけロケが皆無に等しいスピルバーグ作品も前例がない。そういう映画を一度撮ってみたかったのだろう。ヒッチコックを敬愛する彼は「裏窓」や「ダイヤルMを廻せ!」「ロープ」みたいな作品を意識したんだと想う。セット撮影だからカメラが縦横無尽に動き、表現力豊かな映像を愉しませてくれる。「シンドラーのリスト」以降、全てのスピルバーグ作品で組んでいる撮影監督のヤヌス・カミンスキーは特に逆光撮影で冴えまくっている。実に美しい!

大人の女を全く魅力的に描けないのが全スピルバーグ映画の特徴だが(子役の演出は上手い)、今回のヒロインを演じる、キャサリン・ゼタ=ジョーンズはその中でも上出来な方ではなかろうか?何考えてるんだか理解に苦しむ、意味不明な行動をするヒロインではあるのだが...

次回作「宇宙戦争」ではスピルバーグは再びトム・クルーズと組む。ティム・ロビンスも出るよ。予告編はこちら

憑き物が落ちて娯楽に徹するスピルバーグ。これからも実に愉しみである。



2004年12月19日(日) 日本三大ミステリー女王と映画

映画「レディ・ジョーカー」の評価はFである。兎に角、鄭義信の脚色が酷い。物語展開が支離滅裂で犯人グループのそれぞれの犯行動機とか、何でそんな行動を取るのかなど全く理解不能である。これは周囲の意見を聞いても同様なので筆者の理解力が不足している訳ではないだろう。映画が糞なのだ。鄭義信は「血と骨」の脚色が良かっただけに同じ人の仕事とは到底信じがたい。

高村薫の原作は99年版「このミステリーがすごい!」で堂々一位になった小説であり、想像するに映画とは全く別物なのではなかろうか?筆者は映画を観るまでは原作を読むまいと決めていたので、これから早速読んでみたいと想っている。

高村薫の「マークスの山」映画版(監督:崔洋一、脚本:丸山昇一、崔洋一)の出来が酷くて素晴らしい原作をぶち壊し、今回こそはと期待していただけに非常に残念である。つくづく高村さんは映画に関しては不運な人だ。

「21世紀の石原裕次郎を探せ!」オーディションでグランプリを獲得し、本作で主役に抜擢された徳重聡は大根役者で存在感がない。合田刑事役にしては線が細過ぎる。むしろ合田のイメージとしては「マークスの山」で合田を演じた故・古尾谷雅人の方が似合っていた。「レディ・ジョーカー」で唯一観る価値があるのはニヒルな刑事役を演じた吉川晃司である。良い役者になったなぁ。

日本三大ミステリー女王と言えば高村薫・宮部みゆき・桐野夏生であるということに異論をはさむ人は誰もいないだろう。

宮部みゆき原作でいえば森田芳光脚色・監督の「模倣犯」は「レディ・ジョーカー」並に悲惨な出来だったが(原作は素晴らしい)、金子修介が監督した「クロスファイア」はなかなか良かったし、なんたって矢田亜希子が可愛い。そして今を時めく長澤まさみ@セカチュウのデビュー作でもある。さらに、今月劇場公開される大林宣彦監督による「理由」は極めて原作に忠実な傑作である。

三大女王の中で比較的映像作品に恵まれているのは桐野夏生であろう。平山秀幸監督、鄭義信脚色という「レディ・ジョーカー」と同じコンビで映画化された「OUT」は後半原作と全く異なる展開をするが、それはそれでなかなか巧くまとめてあり面白かった。原作の精神というか志が映像に見事に置き換えられていたのである。直木賞を受賞した「柔らかい頬」は長崎俊一が脚色・監督しハイビジョンで映像化されBS-iで放送されたが、これも荒涼とした心象風景が印象的で見応えがあった。天海祐希の好演も光る。なお、「OUT」は中田秀夫監督でハリウッド・リメイクが決まっている。

今後期待したい映画化は宮部さんの「火車」である。これ、鄭義信と崔洋一の共作によるシナリオが数年前に完成しているはずなのだが、その後どうなったのだろう?



2004年12月14日(火) CG対決!<スカイキャプテンの場合>

「スカイキャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー」の脚本・監督を手がけたケリー・コンランはずぶの素人であった。自宅のガレージにある1台のパソコンに向かい4年間かけて製作した「ワールド・オブ・トゥモロー」というたった6分間のアマチュア作品が認められ、今回の大抜擢に繋がったのである。まさにアメリカン・ドリームの実現である。

「スカイ・キャプテン」に登場する巨大ロボットはフライシャー兄弟の「スーパーマン」に登場するメカニカル・モンスターがモデルになっている。宮崎駿もフライシャー兄弟の影響を受けているので「天空の城ラピュタ」やTV「さらば愛しきルパンよ」に登場するロボットと実によく似ている。

映画を観ていればコンランが1939年という時代に拘っているのがよく判る。映画「オズの魔法使い」が劇中に出てくるし、故ローレンス・オリビエが「嵐が丘」(1939)出演時の映像を引用し、CG加工して悪役に仕立てたりしている。

この1939年はハリウッド黄金期を象徴する最も偉大な年として記憶されている。この年公開された作品は他に「風と共に去りぬ」「ニノチカ」「スミス都に行く」「チップス先生さようなら」そしてジョン・フォードの「駅馬車」など目眩のするような錚々たるラインアップなのである。

コンランがその時代にオマージュを捧げようとしている意図はよく判る。しかし、筆者にはそれが単なる懐古趣味以上の何ものでもない気がした。「昔のハリウッド映画は良かったなぁ。」という素人映画オタクの手慰みに1時間47分も付き合わされることの不快感。ローレンス・オリビエの登場のさせ方だって到底敬意を払っているとは想えない。

この映画は全編俳優がブルー・スクリーンの前で演技し、CG合成をするという手法をとっているが、役者と背景が馴染んでいるとも想えない。実に人工的である。銀残しと思われるくすんだ画像処理もわざとらしい。

ジュード・ロウとグイネス・パルトロウのカップルが喧嘩しながら最後には結ばれるというプロットは「赤ちゃん教育」「レディ・イヴ」「フィラデルフィア物語」など1930年代から40年代にかけて流行ったスクリューボール・コメディを意識していることは明らかである。特にパルトロウが女性新聞記者を演じているという点でハワード・ホークス監督究極の傑作「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)の路線を狙ったのだろう。しかしながら脚本を書いたのが所詮映画オタクというだけの素人なので、全く会話が弾けない・ときめかない・面白くない。実に救いようがない。

同じCGを駆使した作品でも本作とピクサーの「Mr.インクレディブル」が決定的に異なるのはそのスピード感である。「Mr.インクレディブル」が徹底的に絵を動かし、映画の躍動感を伝えてくれるのに対して「スカイキャプテン」の絵は停滞し、まるで退屈なCGの紙芝居を観ている様な感覚に陥ってしまう。

そういう訳で映画としての体裁を保っていない本作は<映画ですらない何か>である。



2004年12月11日(土) CG対決!<インクレディブル一家 vs. スカイ・キャプテン>

「Mr.インクレディブル」の評価はAであり、「スカイ・キャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー」の評価はDである。

「Mr.インクレディブル」の監督、ブラッド・バードは1999年にワーナーでセル画アニメーション「アイアン・ジャイアント」を撮った。この作品はアニメのアカデミー賞と言われるアニー賞をなんと9部門も受賞するという高い評価を受けたのだが興行的に振るわず、バードはその後新作を撮る機会を与えられなかった。そのバードに声をかけてピクサーに招き入れたのがCalifornia Institute of Artsというディズニーがつくった大学でバードと同期生だった、ジョン・ラセター(「トイ・ストーリー」「バグズ・ライフ」の監督)である。ピクサーという会社の懐の大きさがうかがい知れるエピソードである。

ちなみに筆者は「アイアン・ジャイアント」を傑作だとは全く想わない。観ていて退屈だった。評価はせいぜいC止まりだな。E.T.の設定をそのまま戴いているのが見え見えで、でもE.T.みたいなちんこい生き物なら匿うことが出来るだろうけれど、ジャイアント・ロボみたいなロボットを、政府の目から隠すなんて到底無理な話でしょ?余りにもプロットが強引すぎて興ざめだった。虚構の中にもリアリティーは不可欠なのである。閑話休題。

ピクサーは本作で大きな賭に出た。まず初めて人間を主人公にしたこと。CGで人肌の質感を出すことは極めて困難である。だから長編第一作では無機質でCGに馴染む玩具を主人公に据え、その後も昆虫とかお化け、魚などを描きながら、「モンスターズ・インク」から人間を少しずつ登場させて、実験を繰り返してきた。そして遂に技術の進歩に伴い自信をつけたのだろう、今回全面的に人間に取り組み、見事に成功を収めたのである。

さらに大きな冒険として今までの作品は全てレイティングがG(一般向け)だったのに、今回は興行的に不利なPG(児童に不適切な箇所あり。保護者の判断が必要)で行くことを決断した。アメリカのアニメーションでは上映時間が90分以下が主流であるのに本作では115分であるという点も、観客として想定する年齢層を引き上げたことを意味している。だから「Mr.インクレディブル」は大人の鑑賞にも堪えうる、実に血湧き肉躍る冒険活劇として成立しているのである。

まず脚本が凝りに凝っていて素晴らしい。スーパー・パワーを封印せざるを得なくなった経緯、そして鬱屈した日々と、ヒーロー復活の過程が実に面白く描かれている。悪役の屈折した心理にも説得力がある。

映画の原題は製作発表当時は"Mr. Incredible"だったのが、途中で"The Incredibles"に変更された。恐らくシナリオの改稿を重ねる過程において、主人公のインクレディブル氏だけではなく、その家族のキャラクターが膨らんでいったのだろう。沢山の人々が寄り集まって、映画を更に面白くするために最後の最後まで物語を練り上げ、精錬していくピクサーの姿勢が良く分かる。

そしてこの映画の最大の魅力はなんといってもそのスピード感であろう。兎に角目まぐるしく絵が動く、動く!animationのanimの語根は<生気>、<魂>といった意味である。つまりは本来動かないはずの絵に生命を吹き込むというのがアニメーションという芸術なのである。そのアニメーション本来の面白さが「Mr.インクレディブル」では堪能出来、そのことに興奮を禁じ得ないのである。

「Mr.インクレディブル」の特報(TEASER TRAILER)ではジョン・バリーの「女王陛下の007」の音楽が使用されていた。そして映画が蓋を開けてみるとマイケル・ジアッチーノの音楽も完全に007時代のジョン・バリーを彷彿とさせる、ご機嫌でジャジーな音楽をガンガン鳴らしてくれて実に爽快であった。

長くなった。「スカイ・キャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー」の悪口は次回のお楽しみ。



2004年12月04日(土) 師も走る!映画落ち穂拾い

今まで書き損ねていたレビューを一挙大放出。

「ヘルボーイ」評価:C
…赤鬼の映画。タイトルロールを演じるロン・パールマンは味があって良いのだが、如何せん物語が中途半端で尻すぼみ。特に半魚人というユニークなキャラクターが活かされていなかったのが痛い。

「ディープ・ブルー」評価:C
…まるで母なる海に抱かれているような心地よさ。リラックスする余り、眠くなるのが欠点か。さすがBBC製作のドキュメンタリーだけ合ってその取材力は大したものなのだが、所詮リュック・ベッソンが監督した「アトランティス」の二番煎じなんだよね。
誇り高き天下のベルリン・フィルがサウンドトラックを担当したのには驚いた!よくぞここまで変貌したものだ。サイモン・ラトルが音楽監督になってからベルリン・フィルは一皮むけたよなぁ。

「砂と霧の家」評価:C+
…ギリシャ悲劇を想わせるような重厚さ(別の言い方をするなら重苦しさ)。登場人物がことごとく不幸になるという意味では、ドリームワークス作品でありながら実に非ハリウッド的作品である。ヴァディム・パールマン監督はウクライナ(旧ソ連)のキエフ出身だとか。ただ、この救いのないお話が受け入れられるかどうかで評価が分かれるだろう。ジェニファー・コネリーの際どいサービスショットは意外な収穫。

「フォッグ・オブ・ウォー/マクナマラ元米国防長官の告白. 」評価:B
…老人の自慢話。「あの懸案事項は俺の手柄で解決した。」と吹聴しながら、自己の戦争責任を問われると、大統領など上司に責任転嫁するマクナマラの行為が実に人間的で微笑ましい。これは実にユニークな人物を人間観察した記録である。それにしても、低予算のドキュメンタリー映画にミニマル・ミュージックの巨匠(←クリック)フィリップ・グラスが音楽を提供しているなんて、実に贅沢な話だ。

「ソウSAW」評価:D+
…虚仮威し。中身は空っぽ。悪趣味。胸くそ悪い。
プロットの意外性だけ評価する。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]