エンターテイメント日誌

2004年07月31日(土) 大友克洋を斬る! <スチームボーイ>

大友克洋は漫画「AKIRA」および自身監督したそのアニメーションで一世を風靡した。AKIRAは「タイタニック」のジェームズ・キャメロンや「レオン」「グラン・ブルー」のリュック・ベッソンなどの映画人たちを魅了し、ウォシャウスキー兄弟の「マトリックス」にも多大な影響を与え、押井守の「攻殻機動隊」と共にジャパニメーションが世界の檜舞台におどり出る大いなる原動力となった。

しかし振り返って考えてみるに「AKIRA」ってそんなに偉大な作品だろうか?とにかく他の追随を許さないくらい素晴らしいのは作品で描かれる近未来都市の壮大な世界観、そして精巧な造形力であろう。しかし物語りそのものは陳腐で退屈極まりないし、大友が作品を通じて何を世界に向けて訴えたかったのか、そのテーマ、哲学が全く見えてこない。つまり賞賛すべきは大友の画力のみであって、それ以上でも以下でもない。だから筆者に言わせれば大友克洋はアニメーターでもなければ漫画家とさえ呼べず、ただ単に優秀なイラストレイターに過ぎないのである。

そのことは新作「スチームボーイ」にも同様に当てはまる。メカのデザインは素晴らしい。でもそれだけ。大友がこの映画で語りたいことは「俺は蒸気機関の乗り物が大好きなんだ!!」ただその一点のみ。後は何もない。大体産業革命後のイギリスを舞台にしているということだけで宮崎駿の不朽の名作「天空の城ラピュタ」を彷彿とさせるし、宙に浮かぶスチーム城の雄姿はラピュタそっくり。主人公が背中に超高圧金属の動力機<スチームボール>を背負って空を駆ける場面は映画「ロケッティア」の二番煎じにしか見えない。つまり物語の全てが借り物であって中身は空っぽなのである。主人公の少年を間にはさんで驚異の発明<スチームボール>をめぐって祖父と父が対立するという物語の図式も、所詮血の繋がった家族の揉め事に過ぎないから詰めが甘すぎるんだよな。ぬるいぬるい。大友は今回の映画でストーリー・テラーとしての資質が全くないことを「AKIRA」に引き続き証明する結果となった。大体「スチム家」とかヒロインが「スカーレット・オハラ」とか、キャラクターの名前の付け方なんか悪い冗談としか想えない。それからプロの声優を使わずに役者がアフレコをしているのも問題である。小西真奈美ちゃんは可愛いし、「阿弥陀堂だより」「恋愛小説」などで素晴らしい演技を見せてくれて僕の大好きな女優さんである。しかし今回のヒロインのアフレコはいただけない。ヒロインの年齢にあわせて無理に声色を使っているので、台詞回しが一本調子なのである。主人公の祖父の声を当てている中村嘉葎雄は最悪。滑舌が悪くて台詞が聞き取り辛いのだ。という訳でこの映画の評価はC+である。

しかしながら、この映画で大いに賞賛したいのが音楽である。作曲を担当したスティーブ・ジャブロンスキーは「ライオン・キング」で94年にアカデミー賞音楽賞を受賞したハンス・ジマー率いる音楽制作プロダクション<メディア・ベンチャーズ>(現在はリモート・コントロールという名称に変更)で仕事をしてきたジマーの門下生。まあメディア・ベンチャーズは分業制なので、言ってみればさいとう・たかおプロ(←クリック)みたいなもんですなぁ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」なんかジマーやジャブロンスキーを含め作曲家が10人もクレジットされていて分業の典型例。今回ジャブロンスキーは見事独り立ちして大いに気を吐いている。非常に分かり易く口ずさめるようなメインテーマにのって燃えるサウンドがド派手に展開される。飛翔感抜群。とにかくご機嫌な出来なのである。アニメーションのアカデミー賞といわれるアニー賞の作曲部門はジャブロンスキーと「イノセンス」の川井憲次の熾烈な闘いになるかも。嗚呼、どっちも応援したい・・・



2004年07月26日(月) 弾けない青春〜69 sixty nine

村上龍の自伝的小説「69 sixty nine」は87年の発売以来、映画化の企画が作者に持ち込まれたがなかなかGOサインが出なかった。しかし今回、脚色をクドカンこと宮藤宮九郎がするのならと遂に作者の許可が下りた。監督はPFFアワードでグランプリを受賞した新人、李相日である。

しかし映画はどうも弾けない。青春映画のはずなのに、若さゆえの勢いとか、熱い鼓動が感じられない。そして映画に描かれた1969年という時代の匂いが全くしない。結局その原因は映画の創り手たちの原作で描かれたものに対する愛情の欠如のためなのだろう。クドカンが1970年生まれ、監督の李相日が1974年生まれだからフラワーチルドレンとかベトナム戦争、ラブ&ピース、バリケード封鎖などに対しての想い入れもなければその時代を生きた人々への共感もない。彼らにとってそれらの用語は単なる記号であって実感が伴わない。だから物語が虚ろにに空回りするだけなのである。むしろこの物語は長谷川和彦(「太陽を盗んだ男」79’以降映画の仕事がない。ゴジ、映画「連合赤軍」はどうなった?)とか大森一樹(最近の仕事はお粗末だが「ヒポクラテスたち」80’の頃は勢いがあった)あたりの世代の監督が撮るべきではなかったか?

それからこの映画、お人形さんのように魂の欠けたヒロインが致命的に魅力がない。さらに映画の描写が兎に角下品である。映画「青い春」でも想ったのだが、排便行為をわざわざ画面に映し出し観客を生理的に不快にさせて、一体何が嬉しいのだろう?お前らスカトロ趣味の変態野郎か!?映画に対する礼節はないのか?日本映画を育ててきた先達に対して恥ずかしくは想わないのか?そういう訳でこの映画の評価はDである。

村上龍は「限りなく透明に近いブルー」「だいじょうぶマイ・フレンド」「ラッフルズホテル」「トパーズ」など、映画監督としての才能が限りなくゼロに近いことを世間に晒し続け、赤っ恥をかき続けてきた男だが(大体映画の製作費を回収できたことすら、一度でもあるのだろうか?)、自分の小説を他人に託す場合も人を見る目がないことを今回露呈してしまったという訳だ。惜しむらくは荒井晴彦脚色、大森一樹監督で企画が進んでいた「テニスボーイの憂鬱」の映画化が実現にいたらなかったことである。



2004年07月24日(土) 巨星、墜つ!〜追悼:巨匠ジェリー・ゴールドスミス

7月21日に映画音楽の巨匠、ジェリー・ゴールドスミスが逝去した。享年75歳。つい先日「世界の中心で、愛をさけぶ」で素晴らしい仕事をし、映画屋としての気骨を世に知らしめた撮影監督、篠田昇が亡くなったのも哀悼に堪えないが、ジェリーの死はそれを上回る衝撃であった。

本人の意志とは無関係にジェリーは常にジョン・ウイリアムズのライバルと目されてきた。フル・オーケストラを駆使した華麗なサウンド、ジョンが「スター・ウォーズ」や「スーパーマン」などのSFを手がければ、ジェリーは「エイリアン」「スター・トレック」「スーパーガール」で対抗するといった具合だ。しかし残念なことにジョンがA級の大作の音楽を担当することが多かったのに対し、ジェリーはB級、C級の低予算作品が多かったということも動かしがたい事実である。だからジョンがオスカーを5回受賞したのに対し、ジェリーが栄冠に輝いたは「オーメン」のただ一度限りだった。これはいくらなんでも過小評価と言わざるを得まい。しかし、ジェリーはどんなに下らない映画でも決して手を抜くことはなく、その音楽は常に一級品であった。以下筆者の考えるジェリー・ゴールドスミス・ベスト10を語ろう。
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「カプリコン・1」
これは文句なしに彼の最高傑作。打楽器を駆使し、激しく打ち鳴らすド派手なサウンドで、これを聴いて燃えずにはいられようか!中学生の時、所属していたブラスバンド部で「是非この曲を演奏しようよ。」と提案し、メンバーたちから冷たい視線を浴びたのも、今は懐かしい想い出だ。映画自体もピーター・ハイアムズ監督の最高傑作ではなかろうか?隠れた名作である。ちなみにジェリーが「トータル・リコール」に書いた音楽は「カプリコン・1」に非常によく似ている。

「スター・トレック」
恐らく筆者がジェリーの名前を覚えた、最初の音楽ではなかろうか?「スター・ウォーズ」の大ヒットを受けて映画が公開された当時、FMで放送されたのをエア・チェックした。小学生の頃の話である。テーマ曲が最高に格好良い。

「オーメン」
やっぱりこれは外せないだろう。悪魔的な合唱曲“アヴェ・サンターニ”の衝撃は忘れがたい。

「猿の惑星」
ジェリー究極の前衛音楽。あ、ティム・バートン監督のリメイク版じゃないよ。あちらの音楽はダニー・エルフマン。ジェリーのはフランクリン・J・シャフナー監督のオリジナル版の方である。

「海流の中の島々」
知られざる名曲と言うことで。ちなみにこのサントラは所有してるのだけれど、映画の方は残念ながら未見。映画監督のフランクリン・J・シャフナーとジェリーの蜜月はスティーブン・スピルバーグとジョン・ウイリアムズのそれに匹敵するものであると言えるだろう。「パピヨン」のあの、アコーディオンの哀切極まりない旋律も忘れがたい。

「チャイナタウン」
フィルム・ノワールの音楽といえばこれにとどめを刺す。トランペットの哀しい響きが胸に静かに響き渡る。同じくジェリーが担当した「LAコンフィデンシャル」も似たタイプの映画だった。これぞハードボイルドだど!(by 内藤陳)

「風とライオン」
嗚呼、燃える!痺れる〜ぅ!これはジェリー版「アラビアのロレンス」である。しかしこの映画の監督、ジョン・ミリアスは近頃どうしているのだろう?

「いつか見た青い空」
原題はa PATCH OF BLUE。盲目の少女と黒人青年の恋の物語。1965年に製作されたちいさな小さな映画。ジェリー初期の代表作である。口笛で吹かれる「虹の彼方に」の後に奏でられるピアノを主体とした小編成オーケストラによるテーマ曲。静かに湖の水面を撫でる微風のように涼やかで、そしてちょっぴり寂しい旋律。何とも胸に滲みる名曲である。

「ルディ/涙のウイニング・ラン」
人知れず公開された映画で、筆者も未見なのだが音楽は余りにも有名。今でもしばしばテレビのスポーツ番組などで使用されているのを耳にする。

「トゥルーナイト」
アーサー王と円卓の騎士の物語。筆者は映画を未見。でも音楽は最高に高貴で限りなく美しい。あまりに惚れたのでその音楽を自分の結婚式で使用したくらいである。

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「ブルーマックス」「ライオンハート」「アンダー・ファイア」「エイリアン」「ポルターガイスト」「氷の微笑」「ムーラン」などまだまだ語りたいジェリーの音楽は尽きないけれど、今日はこれくらいに止めておこう。

オーケストラを使用した劇判系のフィルム・ミュージックのファンは大雑把に言えばジョン・ウイリアムズ派とジェリー・ゴールドスミス派に分けられる。僕はどちらかといえばジョン派であるが、こうして振り返ってみればジェリーの音楽にも大いにその感性を磨かれて来たことが良く分かる。ジェリー、僕は貴方の音楽を道標として生きてきたと言っても過言ではありません。ありがとう、そして安らかにお眠り下さい。



2004年07月19日(月) 命の重さ=21グラム

誰もが死んだその瞬間、21グラムだけ軽くなるのだという。「21グラム」、なかなか気の利いた題名だ。評価はB。

メキシコのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督(こんな長たらしいの、覚えられるか!?)は独特なスタイルを持ったフィルムメーカーだ。ザラザラとした粗い粒子の画面がヒリヒリするような物語の効果を増幅する。

プロットはなかなか複雑な構成である。パズルのピースを散蒔いたように、時間軸がバラバラのまま物語は進行するのだが、映画の最後には見事にパズルの絵が一分の隙もなく完成する。観る前は混乱して判りにくいのではと危惧していたのだが、それは全くの杞憂だった。ギジェルモ・アリアガの脚本が素晴らしい。ただし、救いのない陰鬱な内容は好みの分かれるところだろう。交通事故が切っ掛けで否応なく結びつけられてしまった男と女の物語ならば、筆者は成瀬巳喜男監督の遺作「乱れ雲」(1967)(←クリック)の方がずっと好みだなぁ。特に加山雄三と司葉子が青森県の蔦温泉に往く場面が今でも鮮烈な印象として脳裏に焼き付いている(筆者も蔦温泉を訪ねたことがあるので)。閑話休題。

ハリウッドの一癖も二癖もある役者たち=ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロの花火を散らす演技合戦が見応え十分。3人ともアカデミー賞にノミネートされたのが実に納得できる(ただし、ショーン・ペンのオスカー対象作品は「ミスティック・リバー」だったが、彼が今回受賞できたのは間違いなく「21グラム」との合わせ技であろう)。ナオミ・ワッツは「マルホランド・ドライブ」同様に何の必然性もなく脱いでくれる。そのサービス精神に惚れた(←なんのこっちゃ!?)。

ナオミ・ワッツは1968年イギリス生まれ、14歳でオーストラリアに移住し18歳でスクリーン・デビュー。一方、ニコール・キッドマンは1968年ハワイ生まれで3歳の時オーストラリアに帰国し14歳でスクリーン・デビュー。同い年で同郷のふたりは大の親友らしい。是非ハリウッドを代表する女優としてこれからも輝いていって欲しいと願う今日この頃である。



2004年07月13日(火) シルミド番外地〜韓国産東映任侠映画の巻

韓国映画「シルミド」の評価はD。なんだか「網走番外地」など1960年代の東映任侠映画とか、「仁義なき戦い」など1970年代の東映実録ヤクザ路線を観ているような既視感(デジャ・ヴュ)に囚われた。「ラブストーリー」のレビュー(←クリック)でも書いたのだが、やっぱり韓国映画って3-40年遅れているなというのが正直な感想。「シルミド」の日本配給は東映が担当しているのだが、正にピッタリ!

映画の前半はなかなか快調で愉しめた。特に刑務所のヤクザ者たちを孤島に集めて徹底的にしごき、北朝鮮に潜入するための特殊部隊を結成するくだりはスリリングだった。しかし、政府の方針が一変し、彼らが見捨てられるあたりから様子がおかしくなった。兎に角、登場人物たちが暑苦しい,むさ苦しい。彼らが熱くなって語り、悔し涙を流せば流すだけその熱血ぶりに観ている方は気持ちが萎えて引いてしまう。そういう映画である。

彼らがバスを乗っ取り、自分たちの主張を直訴するためにソウルの大統領官邸を目指すのがこの映画のクライマックスなのだが、そんな暴挙の結末は火を見るより明らかだし、僕には犬死にとしか想えなくて白けてしまった。おまけに終いにはバスの中で一人一人同志の名前を絶叫し、血文字の遺書を書く始末。描写がいちいちクド過ぎるんだよ!もうあんたらの阿鼻叫喚にはついていけませんわ、勝手にしなはれと呆れるのを通り越して笑えてきましたなぁ。



2004年07月10日(土) 臭いキムチ映画はもう御免。<ブラザーフッド>

今日の韓国映画ブームの先陣を切った姜帝圭(カン・ジェギュ)監督の「シュリ」はジョン・フランケンハイマーの「ブラック・サンデー」(1977、日本未公開)と ウォルフガング・ペーターゼンの「ザ・シークレット・サービス」(1993)を足して二で割ったような映画だったが、それはそれで娯楽に徹した作りで非常に面白かった。だから今回の新作「ブラザーフッド」には大いに期待していたのだが、それだけ観終えたときの落胆は大きかった。評価はDである。

「ブラザーフッド」は明らかにスピルバーグの「プライベート・ライアン」の稚拙なパクリである。まず現代の場面から始まり、年老いた主人公が登場して過去を回想する形で50年前の戦争へと繋がる構成が全く同じだし、そのえぐい戦場描写とか、手持ちカメラを多用し高速シャッターによる撮影でドキュメンタリーのような臨場感を出す手法まで完璧にそっくりである。そのあからさまな相似に対して「そこまでハリウッドの模倣をして、お前は韓国のフィルムメーカーとしての誇りがないのか!?アメリカ様はそんなに有り難いのか?」と問い質したくなる情けなさ。おまけに冒頭の音楽がこれまたジョン・ウイリアムズが「プライベート・ライアン」のために書いたものと類似している。戦闘場面の音楽は今度は「ブラックホーク・ダウン」のハンス・ジマーそのもの。もう、たいがいにせいや!これで「プライベート・ライアン」や「ブラックホーク・ダウン」みたいに戦場を客観的に描くことに徹してくれるのならまだ観るに堪えるのだが、ここに韓国お得意のあざとい泣かせの場面を挿入するんだからもう堪らない。兄弟愛とか親子愛とかはっきり言ってどうでも良いんだよ。大仰な列車での別れ、妻と子供の写真を嬉しそうに仲間に見せた兵士が直後に殺されるという陳腐な手法、あるいは主人公が幸せだった過去を回想する場面で、これでもかとスローモーションを多用するくどい描写とか、もうウンザリ。戦争映画にメロドラマを持ち込むな!この馬鹿たれが。(以下ネタバレあり、要注意)

婚約者がスパイと勘違いされ殺されて、弟も悪代官ならぬ腹黒い司令官のせいで焼き殺されたと誤解した兄が北朝鮮に寝返るプロットには笑ったね。いや〜、これってギャグ映画だったんだ。おまけにそれを知った弟が今度は単身38度線を超え北に兄を救出に向かうんだもの、もう無茶苦茶。戦場で再会するふたり、しかし怒り狂っている兄は弟が必死で呼びかけてもなかなか彼を認識できない。そんなんあり?あれだけ弟を愛していたのに??あ〜アホくさ。

この映画を観て戦争の狂気を云々するよりも、僕はむしろこの映画を観て泣ける観客の荒廃した精神に対してこそ、戦慄を覚えずにはいられない。



2004年07月06日(火) セカチュウを凌駕する純愛映画現る!

大林宣彦監督の「理由」など傑作を送り出しているWOWOWのオリジナルドラマ製作プロジェクト、dramaWで放送された「恋愛小説」(←クリック!)はその出来の良さが視聴者からの大反響を巻き起こし、遂に劇場公開された。単館ではあるが渋谷シネ・ラ・セットで現在上映中である。もし貴方が東京近郊在住でWOWOWに加入していないのなら、何はさておき渋谷に駆けつけるべきである。「冬のソナタ」やセカチュウこと「世界の中心で、愛をさけぶ」など世の中はかつてない<純愛ドラマ・ブーム>であるが、「恋愛小説」は究極の純愛映画、正真正銘の決定打であるとここに断言しておこう。なお筆者の感想はWOWOW放送時にハイビジョン・テレビで視聴した時のものであることを予めお断りしておく。

「恋愛小説」の評価はA。まず「GO」で直木賞を受賞した金城一紀の原作を見事に料理し、原作とは異なる鮮やかな結末を持ってきた脚本の坂東賢治の手腕が素晴らしい。愛する者たちを次々と死に至らしめてしまう数奇な運命を持ち、自分を<死神>と信じる主人公が幼年時代に水たまりに浮かんだ蝶々の死骸を見つめる場面で、水に油が浮いているとか、月光浴をする幻想的な場面、あるいは電車で再会した友人に遺言書作りを依頼する場面のふたりの微妙な距離感、さらにヒロイン瑞樹が彼のノートに電話番号を書くときに万年質のキャップを口にくわえる仕草など、そういった細やかなディテールの積み重ねがこの映画の最大の魅力になっている。これは脚本の完成度の高さと共に森淳一監督の繊細な演出の賜物だろう。

映画の新人賞を総なめにした「阿弥陀堂だより」とは全く異なる生き生きとしたヒロイン像を創り上げた小西真奈美も実に魅力に溢れている。このヒロインが初登場するのが映画開始38分後という焦らし方も心憎いし、その意表を突く登場のさせ方も良い。また、いかにもエンニオ・モリコーネ風ではあるが、浪漫的で美しい音楽(作曲:佐藤直紀)も印象に残ったことを追記しておく。



2004年07月03日(土) ミュージカル映画「オペラ座の怪人」予告編、遂に登場!

北米では今年のクリスマスに公開されるミュージカル映画「オペラ座の怪人」の公式ホームページが遂に登場した。予告編を観ることが出来る。ここをクリック!しよう。そして現れる画面赤字のTRAILERをクリック。

いや〜、何とも絢爛豪華。ため息が出るのみである。まさにグランド・オペラの堂々たる風格。監督のジョエル・シューマッカーのもとには遂に"映画の天使"(ANGEL OF MOVIES)が舞い降りたに違いない。これは来年のアカデミー賞でダークホースになるかも。少なくともゴールデン・グローブ賞ミュージカル・コメディ部門の作品賞と主演女優賞はいけるのではないだろうか?アカデミー賞でもロイド=ウェバーが書き下ろす新曲の歌曲賞受賞は確定的として、美術賞や衣装デザイン賞のノミネートも期待できそうだ。

ところで今回の予告編には出演者の唄がない。ミュージカル映画の撮影では予めレコーディングした唄に併せて口パクをする訳だからサウンドトラックは既に完成している筈である。つまり予告編に唄を挿入できないのではなく、あえて公開直前までファントム役のジェラルド・バトラーやヒロイン:クリスティーヌ役のエミー・ロッサムの歌声は企業秘密とするというのが配給するワーナー・ブラザースの宣伝戦略ということなのだろう。ワーナーが配給するミュージカルとしては「マイ・フェア・レディ」以来の大作ではなかろうか?それだけに期待は公開に向けて高まる一方である。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]