エンターテイメント日誌

2003年07月26日(土) おバカ映画の系譜とチャーリーズ・エンジェル

バカ映画には二つのタイプがある。無自覚なバカと自覚的なバカである。

無自覚なバカ映画とは製作者の意志としてはいたって真面目に作っているのだけれど、結果として想像を絶するトンデモ映画になっている場合。具体例を上げるなら最低映画の帝王エド・ウッド監督の「プラン9・フロム・アウター・スペース」とか「怪物の花嫁」「死霊の盆踊り(これは脚本のみ担当)」などを筆頭に、東宝創立50周年記念超大作でありながら2週間で打ち切られた伝説の迷画、橋本忍監督「幻の湖」とかマイク水野(別名・水野晴郎)のシベ超こと「シベリア超特急」などがその代表格だろう。最近ではナイト・シャラマンの「サイン」もそうだな。さらに僕に言わせればカンヌでパルム・ドールを獲ったラース・フォン・トリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク 」も無自覚なトンデモ映画である。ただ「ダンサー…」の場合は内容が不快極まりないだけに質が悪い。

一方、自覚的なバカ映画とは言い換えるなら確信犯である。「オースティン・パワーズ」シリーズはその典型。サム・ライミのB級映画「ダークマン」もそうだ。また「エド・ウッド」を撮ったティム・バートンの「マーズ・アタック!」なんかは明らかに意識的に現代に「プラン9・フロム・アウター・スペース」の世界を再現しようと腐心している。そしてこのタイプのキングといえば、やはり「ショー・ガール」や「スターシップ・トルーパーズ」を撮ったポール・バーホーベン監督に言及しない訳にはいかないだろう。「ショー・ガール」がバカ映画の殿堂、ゴールデン・ラズベリー(ラジー)賞で史上最多の受章という不名誉(?)に輝いた年、バーホーベンは意気揚々と授賞式会場に現れ、トロフィーを受け取ったそうである。こういうことは前例がないそうで、いやはやアッパレ!大した奴だ。

さて、「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」である。これはもう掛け値なしのバカ映画。それも徹底的に自覚的な。大体監督の名前からしてふざけている。MacGだって?まるで<マイク水野>みたいだ(笑)。

なんといっても今回嬉しかったのはデミ・ムーアの完全復活である。しかも大金を投入して肉体改造したというゴージャズ・ボディを惜しげもなく披露してくれるのだから堪らない。いやはやとても40歳とは信じられない!

デミといえば嘗てラジー賞のクイーンであった。1996年に「素顔のままで」そして1997年に「G.I.ジェーン」で2度<最低女優賞>に輝き、それだけではなく「夢の降る街」「幸福の条件」「スカーレット・レター」「薔薇の眠り」で4度もノミネートされているのである。しかし今までの彼女は自分の演技に無自覚であったが、今回の新生デミは違う。「どうせ私は最低女優よ。」という開き直り、自分の置かれたポジションの冷静な認識から来る一皮剥けた燦然たる輝きがある。まぶいゼ!デミ。でまた彼女のセリフの"I was never good. I was GREAT!"には痺れたネ。格好良すぎる。泣けました。

映画はもう徹頭徹尾、躁状態というか文字通りフルスロットルでぶっ飛ばすので、爽快ではあるがいささか疲れることも確かである。しかし頭を空っぽにして文句無しに楽しめることは請け合い。ただ、物足りなかったのは折角デミの元旦那、ブルース・ウィリスがカメオ出演しているのに、ふたりのツーショットがなかったことと、エンディングのNG集にデミ様がご登場になられなかったことである。



2003年07月20日(日) <草原の輝き>と映画をめぐる冒険

Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass,of glory in the flower
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind

草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし
(高瀬鎮夫 訳)

これは映画「草原の輝き」(1961)で引用された、ワーズワースの詩の一節である。「草原の輝き」は忘れ難い青春映画である。主人公の青年と女の子は深く愛しあっている。悪人がいる訳ではない。そして戦争で引き裂かれるのでもない。しかしふたりは運命の皮肉から、結局それぞれ別の道を歩むことを決意する。・・・非常に辛い映画である。しかし僕は大学生の頃、この映画と出会い、そして深い感銘を受けた。この作品で、生きるということの難しさを学び、一方で、いや、だからこそ人生は美しいと想った。

作家の村上春樹さんは著書「映画をめぐる冒険」(現在絶版)の中で、この映画について触れ、
あるいは僕の涙腺が弱すぎるせいかもしれないが、観るたびに胸打たれる映画というのがある。『草原の輝き』もそのひとつである。
と書かれている。また、この映画のナタリー・ウッドについては
青春というものの発する理不尽な力に打ちのめされていく傷つきやすい少女の心の動きを彼女は実に見事に表現している。
とある。

昨日、久しぶりにこの映画をDVDで観ていたら、自然と村上さんの小説「ノルウェイの森」の物語を想い出した。あの小説を読んでいる時の胸の痛さと共通の感情を間違いなくこの映画にも覚えるのである。

僕はかつて、「ノルウェイの森」と「草原の輝き」の関係について、村上さんに直接メールで訊ねたことがある。そしてなんと返事を頂いた。その件については詳細をわがHPのある場所に掲載しているので興味ある方は探してみて下さい(掲載にあたってちゃんと許可はとってある)。

映画を語る事は自分自身を語ることだ。薄っぺらな人間は薄っぺらなことしか書けない。文章の行間に、その書き手の今までの人生経験や生き方、信条が鮮やかに浮かび上がる。それはある意味空恐ろしいことでもあるのだが、一方で非常に抗し難い魅力がある。僕はこれからもその行為を勇気を振り絞って続けていくだろう・・・



2003年07月14日(月) マトリックス×ジャパニメーション

「マトリックス」という映画世界がいかに日本のマンガやアニメーションの影響を受けているかについては6/7の当日誌(←クリック)にて詳しく述べた。さて、ようやくそのアニメとマトリックスとの融合体(フュージョン)である「アニマトリックス」のDVDをレンタルして観る機会を得た。結論から言おう。予想を上回る出来映えに心底驚いた。

「アニマトリックス」は9のエピソードから構成されている。

1.ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス
フルCG作品である。なんだかTVゲームみたいなノリだなぁと想って観ていたら監督やスタッフがあの悪名高い映画版「ファイナルファンタジー」を撮ったチームだった。FF映画版を製作したスクウェアは製作費157億円を費やし全米2649館で公開。しかし蓋を開けてみると惨憺たる興行成績で130億円を超える赤字を抱える結果となった。結局その借金返済の為になりふり構っていられないスクウェアが、ウォシャウスキー兄弟の下で隷属状態に置かれて作り上げたのがこの作品だ。たしかにCGのクオリティは高い。特にホバークラフトとセンティネル(イカ型ロボット)の攻防は映画本編もフルCGなので、その出来に遜色ない。まぁ、お話し自体は大したことないのでCG技術革新の見本市みたいなものか。

2.3.セカンド・ルネッサンス パート1&2
3DCGとセル画アニメーションが違和感なく見事に共存しているのに感心した。マトリックス前史が分かって大変興味深い。前田真宏監督はマトリックスの世界に大胆にナチスのホロコースト、イスラエル建国、カンボジア大虐殺、天安門事件などの近代史をメタファー(隠喩)として挿入し、見応えの有る作品に仕上げている。

4.キッズ・ストーリー
渡辺信一郎監督はラフなスケッチ画をアニメートするような感覚で、人物のフォルムが崩れそうでいてその一歩手前で踏みとどまったような、独特の表現技法を編み出した。それが仮想現実の世界にピッタリと調和してて素晴らしい。

5.プログラム
ウォシャウスキー兄弟が私淑している川尻義昭監督作品。僕の一番のお気に入り。スタイリッシュでシャープな絵、鮮やかな色彩感覚で描かれた戦国活動絵巻。

6.ワールド・レコード
川尻さんの弟子、小池健監督による躍動感溢れる個性的な絵のタッチが印象的。

7.ビヨンド
ありふれた日本の風景に垣間見られる超現実的時空。この森本晃司監督の作品を観ながら、押井守監督の「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」を連想したのは決して偶然ではないだろう。押井監督のアニメ「攻殻機動隊」みたいなのを実写で撮りたいんだとウォシャウスキー兄弟が持ち込んだ企画が「マトリックス」だったとDVDの特典映像で製作者のジョエル・シルバー自らが語っているくらいだもの。夢から醒めてもまだ夢の中にいるような、不思議な肌触りの残るエピソード。

8.ディテクティブ・ストーリー
ふたたび渡辺信一郎監督登板である。しかし「キッズ・ストーリー」とは全くスタイルの異なり、モノトーンでハードボイルドな気怠い雰囲気の漂う世界。その変わり身の早さにただ唖然とするばかり。巧い!

9.マトリキュレーテッド
日本人の作品でなくなると、途端に質ががたりと落ちる。キャラクター・デザインがアメコミみたいで馴染めないし、サイケデリックな世界を描いてはいるが、どうもその色彩感覚にセンスを感じられない。一番詰まらなかった。

しかし、前田監督は担当したエピソードを完成するまでに1年5ヶ月を費やし、森本監督に至っては2年以上かかったというのだから、なんとも贅沢なプロジェクトである。

最後に、メイキングなど特典映像が充実していることも特筆したい。特に日本の漫画やジャパニメーションの歴史を紹介するドキュメンタリーが面白い。アメリカ人の「おたく」達が熱い想いを語っている姿が微笑ましい。彼らにとっても手塚治虫がGodなのだということが良く分かった。



2003年07月12日(土) 検証!読者からのメール

前回の日誌<韓国映画の軌跡>について、当サイトの愛読者から激励のメールを頂いた。以下一部引用する。

韓国映画を“あなどれない”などとおっしゃてはいけません。それはあなたの不勉強です。

是非ここで皆さんに前回の日誌を改めて読んで頂きたい。一体著者がどこに“あなどれない”等という表現を使っているであろうか??大体韓国映画を見下したような表現さえ一切使用していないと確信している。だってそんな意識は全くないんだもの。少なくとも現在、撮影所のシステムが完全に崩壊して風前の灯の邦画よりは韓国映画の方が遥かに勢いがあることは間違いない。むしろありもしないものを勝手に空想し、書いてあると信じ込めるこの方のイマジネーションの豊かさに深い感銘を受けた。恐らくこの方の潜在意識の中に韓国(映画)が差別されているという被害者意識があるからこそ、このような妄想を抱かれるのであろう。

もっとも人間は全知全能ではないとしっています。だからこそ、そんな評をするとあなたのお里が知れますよ。

筆者はいまだかつて映画の総てを知っているなどという不遜な自負を抱いたことは一度もないし、「もっと映画を観なさい」という言葉を残してこの世を去られた淀川長治さんの遺言を座右の銘としている。もし、この方に筆者が<全知全能>に見えるのだとしたら、その過分なる賛辞は恐れ多いかぎりである。むしろ、まだまだ未知の韓国映画の深遠なる魅力について、この方が持っていらっしゃるであろう筆者より遥かに幅広い知識(お里)を、是非具体的にご教示頂きたい次第である。



2003年07月05日(土) 韓国映画の軌跡

「風の丘を越えて〜西便制」という韓国映画があった。1993年の作品である。韓国の伝統芸能「パンソリ」を主題にしたこの作品は韓国全土で300万人に達する観客動員を記録する大ヒットとなり、日本でも評判を呼びキネマ旬報ベストテンで第十位に入選した。これは文芸映画の香り高い名篇であり、恨(ハン)という感情がいかに朝鮮民族にとって重要なものであるかを痛感させられた。朝鮮半島の人々が日本人に対して抱いている心情を理解する上でも欠かせないものだと想う。この作品が契機となって伝統芸能再評価の動きが盛り上がり、韓国国民の民族意識が高揚したのもむべなるかな。

その後5,6年程は日本で韓国映画が話題になることは(1998年に公開されたメロドラマ「八月のクリスマス」を除いて)殆どなかったが、遂に1999年に「西便制」の打ち立てた動員記録を上回るメガ・ヒット作が登場し、日本にも鳴り物入りで上陸した。それが「シュリ」である。日本では「西便制」は単館公開であったが「シュリ」は全国一斉ロードショー公開され興行的に大成功を収め、ここから怒濤の如く韓国映画が輸入されるようになった。まさに韓国映画ルネッサンスの時代を迎えたのである。「シュリ」の翌年「JSA」がそれに匹敵する興行成績を韓国で上げ、日本ではキネマ旬報ベストテンで第二位に輝いた。「シュリ」「JSA」「西便制」が現在のところ歴代韓国映画興行成績トップ3である。

しかし、僕は娯楽映画としての「シュリ」の破格の面白さを高く評価しつつ、どうもその後の韓国映画のムーブメントに違和感を覚えずにはいられなかった。「シュリ」はジョン・フランケンハイマー監督の「ブラック・サンデー」とウォルフガング・ペーターゼン の「シークレット・サービス」を掛け合わせたような大アクション映画であり、「JSA」は<その夜、一体そこで何が起こったのか?>を解き明かす、まるで「将軍たちの夜」みたいなミステリイ仕立てになっていた。つまり韓国版「バック・ドラフト」である「リベラ・メ」等も含め、「シュリ」以降の作品は<韓国映画のハリウッド化>が顕著になったのである。あるいは例えば「ボイス」は明らかに「リング」などのジャパニーズ・ホラーの多大な影響下にあるし、「猟奇的な彼女」を観ていると、まるで一時期はやったフジテレビのトレンディー・ドラマ路線みたいである。つまりどうも最近の韓国映画は確かに都会的で洗練されたが、一方で朝鮮民族としてのアイデンティティーが希薄なのだ。だからこそ「ボイス」や「猟奇的な彼女」などにハリウッドでのリメイク権を得ようとオファーが殺到するのだろう。

2003年3月29日より東京の岩波ホールで上映された韓国映画「おばあちゃんの家」を先日ようやく観る機会を得た。本作は韓国のアカデミー賞といわれる大鐘賞の最優秀作品賞、脚本賞、企画賞を授賞している(過去には「西便制」「JSA」も最優秀作品賞を授賞)。これは山村を舞台に、ほのぼのと、そして淡々と人生を見つめるしみじみ良い作品であった。自然と涙が溢れ、久しぶりに本物の韓国映画を観たという気がした。おばあちゃん万歳(マンセイ)!・・・必見。

なお、余談であるが岩波ホールといえばかつてヴィスコンティの「家族の肖像」やテオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」などヨーロッパ映画の名作を日本に紹介することで名を馳せていたが、最近は昨年の中国映画「山の郵便配達」などアジア映画の開拓へとシフトしていることが分かり、そのあたりが時代の変化を感じさせてなんだか面白いなぁ。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]