エンターテイメント日誌

2003年03月29日(土) スピルバーグ映画の法則

筆者はTVフィーチャーの「激突!」を含め、劇場映画デビュー作の「続・激突!カージャック」以降の全てのスピルバーグ映画を観てきた。そしてそこに共通する幾つかの法則を見いだしている。

法則1:必ず少年、あるいは<少年の心を持った大人>が登場する。

これは一時期<ピーターパン症候群>とも言われたものである。スピルバーグはマイケル・ジャクソン主演でミュージカル映画「ピーターパン」を企画していたことさえある。結局とん挫して、後にピーターパンの後日談を描く「フック」として実現することになるのだが。作曲家のジョン・ウイリアムズは「ピーターパン」で準備していた音楽をいくつか「フック」に流用したそうだ。「フック」のロビン・ウイリアムズだって、「ジョーズ」「未知との遭遇」のリチャード・ドレイファスだって、「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」のショーン・コネリーだって、みんな少年の瞳を持った、好奇心おう盛なやんちゃ坊主として描かれているのだ。

法則2:魅力的な大人のヒロインは決して登場しない。

スピルバーグ映画で魅力的だった女優を挙げろと言われて、貴方は誰を想い出しますか?きっと想い浮かぶ顔がないでしょう。敢えて筆者が挙げるとしたら「E.T.」のドリュー・バリモアだけだな。当時6歳(笑)。結局スピルバーグは子供を描くのは上手だけれど大人の女を描くのが極めて苦手な監督なのだ。これは法則1とも関連してくるのだが、つまり主人公が少年、あるいは少年の心を持った大人だから、大人のヒロインの居場所がないのだ。スピルバーグの辞書に「エロス」という言葉は存在しない。ちなみに現スピルバーグ夫人は「インディー・ジョーンズ/魔宮の伝説」のヒロイン、ケイト・キャプショー。女に対する好みも選択眼が欠如している。

法則3:しばしば空への憧れ、あるいは空飛ぶ乗り物への憧れが描かれる。

有名なE.T.の空飛ぶ自転車の場面が象徴的。これはスピルバーグの映画制作会社アンブリン・エンターテイメントのロゴ・マークにもなっている。「未知との遭遇」で空飛ぶ円盤に取り憑かれる主人公や「太陽の帝国」で戦闘機に魅了される主人公の少年など列挙したらきりがない。

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さて、そのスピルバーグ最新作「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観た。上述した3つの法則が見事に当てはまっていて可笑しかった。デカプリオが10代の青年を演じても全く違和感がないのは流石であった。スピルバーグは的確に彼の資質を見抜いている。詐欺師=犯罪者なのに観ていてこの主人公に対し全く反感を感じないのは、あたかも少年の悪戯の様に描かれているからだろう。

もてもての主人公だから沢山美女が登場するのだが、そのことごとくに色気や魅力がないのもいつもの通り。「オールウェイズ」で証明されている通り監督がそもそも大人の恋愛を描けない人だから、物語からその部分を割愛して<父と子>の葛藤に焦点を合わせたのは脚色の勝利であろう。デカプリオとトム・ハンクスとのやり取りは明らかに<疑似親子>である。「最後の聖戦」におけるハリソン・フォードとショーン・コネリーのやり取りを彷彿とさせた。

主人公がパイロットになりすます場面は法則3に当てはまっている。さらに、「ジョーズ」の頃スピルバーグは007の監督をやらせて欲しいと立候補したそうなのだが、製作者から「まだ若過ぎる。」と断られたそうで、今回映画の中で007へのオマージュが挿入されていたのが微笑ましかった。これだけ大物になってしまうと今更007の監督は実現不能だろう。返す返すも残念だ。色っぽいボンド・ガール不在の007映画も是非観てみたかった(笑)。それにしても主人公が偽名でフレミング(007の原作者)を使っている場面は可笑しくて吹き出した。

今回スピルバーグ映画としては珍しくSFXを殆ど使用していない。早撮りでささっと気軽に作り上げた小品という印象だ。らしくないといえばそうなのだが、たまには映画作家(フィルム・メーカー)としての気負いを捨てて映画職人に徹して愉しんで撮りたかったのだろう。そういう彼の気持ちが映画の行間から滲んでいた。映画史に名を残すような大傑作ではないが、愛すべき作品である。

今回の映画の格言はスピルバーグ映画の神髄を解き明かす、キーワードをご紹介。右下投票ボタンをクリックすると明らかとなる。



2003年03月24日(月) 宴(オスカー・ナイト)のあと

(是非前回の日誌での授賞予想と併せてお読み下さい。)

さて、緊迫する情勢の中オスカー・ナイトは無事に幕を閉じた。アメリカは映画の国である。アメリカの独善的帝国主義は今にはじまったことではないが、映画の祭典の直前になんの必然性もなく戦争を始めて水を差したブッシュ政権には大いに憤りを感じる。4,5日待って授賞式後にイラクを侵略しても結果としては何も変わらないだろうに。映画に対してもっと敬意を払ってよ、Mr. President!

それにしても前回の日誌で「ボーリング・フォー・コロンバイン」のマイケル・ムーア監督が壇上に立ったらその発言に注目と書いたが、いやはやとんでもないことをやってくれました。まさかブッシュ大統領に対してShame on you!(恥を知れ)とまで過激な発言をするとは想像以上だった。もう大爆笑。会場からのブーイングも激しかったなぁ。しかし、ムーアが今後、狂信的な「愛国者」たちの銃弾に倒れないように心から祈る。ブッシュだけではなく全米ライフル協会会長のチャールストン・ヘストンも怒り狂っていることだろうから。痛快だっただけに一寸心配だ。

一方今年のワースト・スピーチは文句なしに主演男優賞のエイドリアン・ブロディに決定!とにかく長い、くどい。内容に知性がない。スピーチというものはは己の信念をただ主張をすればいいというものではない。マイケル・ムーアみたいにウィットと巧みな話術が不可欠だということを学ぶべきだろう。…あ、もう手遅れか。

今年の筆者の予想で的中したのが本命のみで作品賞、助演女優賞、脚本賞、撮影賞、編集賞、衣装デザイン賞、編集賞、メイク・アップ賞、長編ドキュメンタリー賞、短編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞、短編アニメーション賞、外国語映画賞、音響編集賞、視覚効果賞の15部門であった。これに対抗馬を加えると19部門になる。6部門を授賞した「シカゴ」の授賞予想は7±1としていたのでこれもなんとか範疇に収まったのだが、何といっても予想外だったのが筆者の忌み嫌う「戦場のピアニスト」が3部門も授賞したということだろう。これで愉しいお祭り気分がすっかり萎えてしまった。何でポランスキーなんだ!?

二コール・キッドマンが授賞したことは素直に悦びたい。やはりその息を呑む美貌が授賞式会場でもひときわ輝いていた。ゼルウィガーは今回残念だったけれど、まだ若いんだから幾らでもチャンスはあるよね!

それから助演男優賞を受賞したクリス・クーパー、この人は筆者の大好きな映画「遠い空の向こうに」の炭鉱で働くお父さん役がとても印象に残っている。本当に良かった。予想で本命にしなくてゴメンナサイ。

最後に自慢を一つ。筆者は既に半年前、昨年9/29の日誌に今回のアカデミー賞で長編アニメーション部門は「千と千尋の神隠し」が必ず獲るだろうと予言していた。ついでにアメリカ嫌いの宮崎さんが授賞式に出席しないのでは?という懸念も書いている(結局宮崎さんは授賞後の記者会見も拒否された)。これは日本で、いや、世界で最も早い授賞予想であったろうと自負している。もし、これよりも早く予想を掲載したサイトがあるならば是非御一報頂きたい。

まあ、今年は良く当てたと評価して下さる方がもしいらっしゃるなら、右下の投票ボタンで声援の一票を宜しくお願いします。



2003年03月22日(土) オスカー直前大予想大会!

さて、いよいよ第75回米アカデミー賞授賞式が近づいてきた。恒例の僕の今年の予想をご披露しよう。ちなみに昨年の成績は本命のみの的中は10部門、対抗馬を含めると18部門だった。

ウェブ上で映画について語るライター達に告ぐ。アカデミー賞の結果が出た後になって「予想通り」とか「やっぱり」などと知った風な口を叩かないでもらいたい。自分は最初から分かっていたと自慢したいのなら事前にその予想を世間に公表すべきである。そうでなければ貴方は単に知ったかぶりの卑怯者に過ぎない。
              
作品賞
 本命:シカゴ 対抗:めぐりあう時間たち
監督賞
 本命:シカゴ 対抗:ギャング・オブ・ニューヨーク
主演女優賞
 本命:レニー・ゼルウィガー (シカゴ)
 対抗:ニコール・キッドマン(めぐりあう時間たち)
主演男優賞: 
 本命:ダニエル・デイ=ルイス(ギャング・オブ・ニューヨーク)
 対抗:ジャック・ニコルソン(About Schmidt)
助演女優賞
 本命:キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(シカゴ)
 対抗:ジュリアン・ムーア (めぐりあう時間たち)
助演男優賞
 本命:クリストファー・ウォーケン
 (キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン)
 対抗:クリス・クーパー(Adaptation)
脚本賞
 本命 :Talk To Her 対抗:エデンより彼方に
脚色賞
 本命:めぐりあう時間たち 対抗:Adaptation
撮影賞
 本命:ロード・トゥー・パーディション 対抗:エデンより彼方に
編集賞
 本命:シカゴ 対抗:ギャング・オブ・ニューヨーク
美術賞
 本命:LOTR 2つの塔 対抗:ギャング・オブ・ニューヨーク
衣装デザイン賞
 本命:シカゴ  対抗:Frida
音響賞
 本命 :ロード・トゥー・パーディション 対抗:シカゴ
音響編集賞
 本命:LOTR 2つの塔 対抗:ロード・トゥー・パーディション
メイクアップ賞
 本命:Frida 対抗:なし
特殊効果賞
 本命:LOTR 2つの塔 対抗 :スター・ウォーズ エピソード2
長編アニメーション賞
 本命:千と千尋の神隠し 対抗:リロ&スティッチ
短編アニメーション賞
 本命:The ChubbChubbs 対抗:Mike's New Car 
長編ドキュメンタリー賞
 本命:ボーリング・フォー・コロンバイン 
 対抗:Prisoner of Paradise
短編ドキュメンタリー賞
 本命:Twin Towers 対抗:不明
短編実写フィルム賞
 本命:Inja (Dog)  対抗:不明
作曲賞   
 本命:めぐりあう時間たち 対抗:Frida
歌曲賞
 本命:シカゴ 対抗:ギャング・オブ・ニューヨーク
外国語映画賞
 本命:Nowhere In Africa(ドイツ) 対抗:英雄/HERO(中国)

結局それぞれの授賞数は「シカゴ」7±1 「めぐりあう時間たち」3±1 「ギャング・オブ・ニューヨーク」2±1 「ロード・トゥー・パーディション」2±1 「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」2±1 「戦場のピアニスト」0(+1)と予想する。

7部門ノミネートされた「戦場のピアニスト」は恐らく全滅、仮に授賞出来たとしてもせいぜい主演男優賞止まりだろう。アカデミー会員は非常に保守的でモラルを重んじる。だから少女レイプ事件で国外逃亡中のポランスキーに賞を与える筈がないと確信する。また、アカデミー会員はカンヌ映画祭に対する対抗心が非常に強く、過去を振り返ってもカンヌでパルム・ドールに輝いた映画がアカデミー賞で主要部門を授賞したという例が極めて少ないこともこの僕の予想を裏打ちする。過去パルム・ドールに輝いたハリウッド映画では「オール・ザット・ジャズ」だって、「地獄の黙示録」だって、スコセッシの「タクシー・ドライバー」だってオスカーでは涙をのんだのである。

今回の予想で一番悩んだのが監督賞と主演女優賞。監督賞は純粋に作品の出来だけ考えれば「シカゴ」のロブ・マーシャルが順当なのだが、実力だけで決まらないのがオスカーの面白いところ。たとえばそれまで無冠だったポール・ニューマンが「ハスラー2」などという駄作で、功労賞的な意味で授賞したりすることがある。となると今回その功労賞に値するのが「ギャング・オブ・ニューヨーク」のマーティン・スコセッシ。「レイジング・ブル」とか「タクシー・ドライバー」など映画史に燦然と輝く名作を沢山撮りながら何故かアカデミー賞では無冠。スコセッシは映画フィルムの保存を訴える活動も長年地道に続けており、非常にアカデミーへの貢献も大きい。もし今回獲れなければ二度とチャンスがないかも知れない。だからたとえ「ギャング・オブ・ニューヨーク」程度の出来の悪い作品であろうと、スコセッシに同情票が集まる可能性は極めて高いのだ。ちなみにポール・ニューマンがお情けでオスカーを貰った「ハスラー2」はスコセッシが監督だった。

主演女優賞は、これっはもうレニー・ゼルウィガーとニコール・キッドマンが互角の勝負。キッドマンは特に昨年、最有力候補だった「ムーラン・ルージュ」で涙をのみ、その点でも同情票が集まる可能性が高い。ジュリア・ロバーツも授賞したんだし、次にオスカーを与えるべきスター女優といえばキッドマンを措いて他にないという意識も会員にあるだろう。ミュージカルやコメディよりもシリアスものの方が圧倒的に有利という<オスカーの鉄則>も無視出来ない。

ミラマックスという映画会社は非常にアカデミー賞の前哨戦の宣伝戦略に長けており、「プライベート・ライアン」が最有力と言われた年に「恋に落ちたシェイクスピア」が作品賞を獲れたのはミラマックスのキャンペーン工作のおかげと言われている。しかしながら今年ミラマックスの作品で候補になっているのは「シカゴ」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「めぐりあう時間たち」と3作品もあるのだ(笑)。ミラマックスとしてもどの作品に力を入れたら良いのか頭の痛いところだろう。で僕の知りうる限りの情報ではミラマックスが今回、何が何でも獲らせたいと力を入れているのが「シカゴ」で助演女優賞候補になったキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。しかし主演女優賞の方は「シカゴ」のゼルウィガーではなく、ニコール・キッドマンの方に肩入れしているらしい。そして会社の気持ちとしては「シカゴ」や「めぐりあう時間たち」よりも、社運を賭けて莫大な製作費をつぎ込んだ「ギャング・オブ・ニューヨーク」に沢山賞を獲らせたいというのが本音だろう。だからほぼ確実なダニエル・デイ=ルイスの主演男優賞に加え、作品賞はまず無理だからスコセッシに監督賞を獲らせようと必死になつて裏工作を行っ
ている筈。さて、そのキャンペーン活動が吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知る。

キャンペーンといえばもう絶対確実と考えられていた長編アニメーション部門での「千と千尋の神隠し」が授賞出来るかどうか、にわかに雲行きが怪しくなってきた。というのは配給をしたディズニーが「千と千尋の神隠し」の宣伝を全く行わず、自社製作の「リロ&スティッチ」を何とか獲らせようと威信を懸けて莫大な資金を投じて大キャンペーンを展開しているそうだ。昨年のアニメーション部門でドリームワークスの「シュレック」に敗れたのがよほど腹に据えかねたのだろう。僕は作品の力だけで「千と千尋の神隠し」が授賞出来ると今でも信じているが、もし万が一「リロ&スティッチ」が授賞するようなとんでもない事態になったら、それは如何に現在のアカデミー賞が金の力次第でどうにでもなり、腐り切っているかの証明ともなるだろう。そうならないよう、今はただ祈るだけだ。

ドキュメンタリー映画部門では「ボーリング・フォー・コロンバイン」が最有力であることには間違いなのだが、このご時世、果たして保守的なアカデミー会員がアメリカの銃社会を笑い飛ばす、この反体制的な映画に本当に投票するのか大いに興味のあるところだ。もしも授賞出来たらアカデミー会員の勇気ある行動も賞賛したいと想う。それにしてもブッシュ大統領を散々コケにした本「アホでマヌケなアメリカ白人」の著者でもあるマイケル・ムーア監督がどのようなスピーチをするのか、それもとても愉しみ。

歌曲賞は大いに迷った。最初はU2が唄った「ギャング・オブ・ニューヨーク」の主題歌で決まりだと想っていのだが、映画「シカゴ」のサントラ盤を聴いているうちに、これもありかな!?という気になってきた。今回の映画のために書かれた新曲"I MOVE ON"という曲は実を言うと他のナンバーと比較して傑出しているとは決して想わないのだが、歌曲賞の過去の歴史を振り返ると「エビータ」の新曲でロイド=ウェバーが授賞したり「ディック・トレイシー」でミュージカルの大御所スティーブン・ソンドハイムが授賞したりとなかなか<通好み>の選択がされることもあるので、ここは大胆に「シカゴ」で勝負に出ることにした。授賞式当日はゼルウィガーとゼタ=ジョーンズのパフォーマンスがライブで観れる筈。これは大いに愉しみである。授賞式会場も盛り上がるだろう。

「シカゴ」が作品賞を授賞出来れば、ミュージカル映画が授賞するのは「オリバー!」以来実に34年ぶりの快挙になる。沈滞し今では殆ど製作されなくなっていたミュージカル映画の復権が何よりも嬉しい。これを切っ掛けに今後、「レント」や「プロデューサーズ」「ミス・サイゴン」「オペラ座の怪人」など、どんどんミュージカル映画が創られることを期待したい。



2003年03月14日(金) 映画、落ち穂拾い。

今回は既に観ていながら、この日誌に取り上げていなかった新作のレビューをさらりと。

「007/ダイ・アナザー・デイ」
まあ、肩の力を抜いてたまにはこういう毒にも薬にもならない能天気な娯楽作も痛快で、暇つぶしに宜しい。007の前作の出来は今一つだったが、今回は展開も早く、アクションも派手で観ていて飽きない。アカデミー主演女優賞を獲ったハル・ベリーがボンド・ガールというのも贅沢で大変結構。彼女はスタイル抜群だし、セクシー・ショットも出し惜しみすることなく披露してくれる。その潔さが気持ち良い。特にクライマックス、女同士の対決の場面でなんの必然性もなくふたりのボンド・ガールが半裸で戦ってくれるサービス精神には、このシリーズお約束とはいえ、笑えた。それからゴールデン・ラズベリー賞の「最低主題歌賞」にノミネートされたマドンナの唄にも大笑い。しかしオープニングのタイトル・バックがCGになったのはさすがに時代の変化を感じさせたなぁ。

「呪怨」
この和製恐怖映画には大いに期待したのだが、それに応えてもらえなくて落胆した。これならチープなオリジナル・ビデオ(OV)版の方が遥かに怖い。奥菜恵とか伊東美咲など有名どころを今回起用して、逆に余りエゲツナイ描写が出来なくなって、自由さを失った印象がある。前作では俊雄くんや伽椰子が何故人々を襲うのか、その理由が分からないから一層怖かったのに、今回は下手な理由説明がついてかえって興ざめだ。それから清水監督のハッタリを噛ますパターンが途中で尽きてしまって、映画の後半になるとそのショック演出がどう来るかこちらに見え見えで、正直退屈してしまった。OV版を未見の方はそちらの方を強くお勧めする。ちなみに映画版はOV版のリメイクではなくて、両者のエピソードは重複せず上手く絡み合っているのでその点は心配ご無用。清水監督は「死霊のはらわた」や「スパイダーマン」のサム・ライミ監督に認められてこの「呪怨」リメイクでのハリウッド・デビューも決まったが、こんなワン・パターン演出しか出来ないのなら期待薄だ。ただし、毎回美少女を沢山集めてくる手腕にはほとほと感心するのだが(笑)。

「猟奇的な彼女」
これは断然ヒロイン映画である。だから如何に主演の青年が情けなくて、男らしくなくてもO.K.なのだ。ヒロインである、チョン・ジヒョンが最高にキュートで魅力的だから後は全てを許す。え?ご都合主義?気にしない、気にしない。だって可愛いんだから。それで解決。

「JSA」や「春の日は過ぎゆく」で有名な<酸素のような女>の異名を持つ韓国女優イ・ヨンエは、もう写真を見ただけで息を呑むほどの絶世の美女だが、このチョン・ジヒョンは静止画よりもむしろ動いている姿の方が遥かにチャーミング。

韓国映画はいまだにメロドラマが人気があって、たとえばイ・ヨンエの「ラスト・プレゼント」なんて、おいおい今どき吉永小百合の「愛と死の記憶」か「愛と死をみつめて」みたいな難病ものかよ〜、30年遅れてるんだよ!と突っ込みを入れたくなることがあるのだが、その点この「猟奇的な彼女」はメロドラマながらもひねりが効いていて、すこぶる面白かった。ドリームワークスが版権を買ったらしいが、ハリウッドでリメイクするなら主演はリーズ・ウィザースプーンあたりだろうか?



2003年03月09日(日) 虚像を剥いだ後のことなど

前回の日誌 ー<戦場のピアニスト>の虚像を剥ぐー は、僕にとって今までにないくらい大作のレビューで、渾身の力作だと自負している。その反響の凄さは想像以上で、嬉しい悲鳴を上げている。まずこのレビューを紹介して下さったまごまご日記さんのサイトに感謝。そして今回投票して下さった沢山の皆様に心からの「ありがとう」の言葉の花束を差し上げたい。大変励みになります。これからも応援どうぞ宜しくお願いします。

さて、昨年公開されながら未見だった映画「ごめん」「酔っぱらった馬の時間」「刑務所の中」「ゴスフォード・パーク」「天国の口、終わりの楽園。」などを漸く最近観ることが出来たので、そのレビューを僕自身のホームページ、<2002年映画ベスト30+@>のコーナーにアップしておいた。興味ある方はここをクリックしてご覧下あれ。また「至福の時」も実は観たのだけれど、このあざといアイドル映画はランク外なので掲載していない。僕は今までチャン・イーモウ監督作品は「紅いコーリャン」「菊豆」「紅夢」「秋菊の物語」「活きる」「あの子をさがして」「初恋のきた道」と観てきて、彼は希有の才能を持った優れたフィルム・メーカーだと常に高く評価してきたし、「初恋のきた道」なんか大好きでボロボロ泣いたくちだが、「至福の時」に関してはイーモウ作品では初めて、しょ〜もない退屈な駄作だと想った。日本では今年の夏休み公開が決まった最新超大作「英雄/HERO」に期待する。

さて、今年もアカデミー賞授賞式前に恒例の直前大予想を掲載予定。そこで「エンピツ」で映画日記を掲載している人たちに挑戦状を送りたい。どなたか僕とどちらが沢山当てるか勝負しませんか?ルールは各部門ごとに本命と対抗馬の1作品ずつ予想を列挙(ただし、メイクアップ賞は2作品しかノミネートされていないので本命だけにしましょう)。本命が当たれば2点、対抗馬なら1点(メイクアップ賞も1点)として総合点を競うのです。予想の公表は各自それぞれの日記サイトに。この挑発を受けて立つブレイブ・ハートが現れることを心から願う。しかし、正直言うと短編ドキュメンタリー部門と短編実写映画部門、そして短編アニメーション部門に関してだけは全く情報がなくて予想がつかないので、僕としてはこの3部門は、はなから棄権したいのだけれど・・・



2003年03月01日(土) <戦場のピアニスト>の虚像を剥ぐ

「戦場のピアニスト」はカンヌ映画祭で最高賞のパルム・ドールを授賞。英アカデミー賞(BAFTA)では作品賞と監督賞を受賞し、仏セザール賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、音響賞、美術賞、音楽賞の6部門を受賞した。米アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、衣装デザイン賞、編集賞と7部門にノミネートされている。日本では公開第一週目で興行成績ランキング第一位を獲得。現在も大ヒット上映中である。しかし、僕は世間の絶賛の嵐に対して敢えてひとり異議を唱えたい。「王様は裸だ!」と。

この映画は正直非常に退屈で、最後まで観続けるのが苦痛だった。もし「戦場のピアニスト」に観る価値のある場面があるとすれば、それは無人の廃虚と化したワルシャワのゲットーに主人公が呆然と立ちつくす、あの巨大なセットとCGの合成が見事に調和したスケールの大きな映像、ただ一ヶ所であろう。他の場面では緊張感に欠けた凡庸な映像が続くだけである。

「戦場のピアニスト」を撮ったロマン・ポルノ好き、もとい、ロマン・ポランスキー監督の半生は波乱万丈である。1933年パリ生まれ、両親はユダヤ系ポーランド人。36年にポーランドのクラフクに家族で移り住み第二次世界大戦中両親は収容所に入れられ母親は41年にそこで死亡、ポランスキー自身はクラフクのゲットーを脱出し逃亡生活を送る。戦争が終わってポーランドで映画監督となり62年に処女作の「水の中のナイフ」を発表。その後イギリスを経てハリウッド進出を果たし「ローズマリーの赤ちゃん」が大ヒット。68年に結婚した女優のシャロン・テートは、妊娠9が月の時チャールズ・マンソン・ファミリーにより腹部を切り裂かれて惨殺された。この「シャロン・テート事件」は猟奇殺人事件としてアメリカ犯罪史上でも有名で、ドキュメンタリー映画にもなっている。ポランスキーはその後1977年にマルホランド・ドライブにあるジャック・ニコルソン邸で13歳の少女モデルにシャンペンとクエイルード(催眠剤)を与えた上でレイプしたかどで逮捕され、保釈中に「ハリケーン」の撮影ためヨーロッパに渡り、そのまま逃亡犯となった(同作の監督はヤン・トロエルに交代)。以後25年間パリで暮らしている。だからポランスキーは未だに犯罪者であり、海外逃亡中なので時効は成立しない。ロサンゼルス地区検察局は、ポランスキーがアカデミー賞の授賞式に出席すれば逮捕すると公式に声明を発表している。

「戦場のピアニスト」の前半はナチス・ドイツによるポーランドのユダヤ人迫害の模様が事細かに描写される。まず僕がポランスキーに問い質したいのは自らの罪を償うこともしない卑怯者が、ナチスの戦争犯罪を糾弾する資格があるのか?ということである。「テス」のような文芸映画とか「フランティック」のようなサスペンス、あるいは「ナインスゲート」のようなホラー映画を撮るのはまだ罪がないからよしとしよう。しかし、お前は他人を非難する映画を撮ることが出来るような正義の側に立つ人間なのか?ちなみに「戦場のピアニスト」公式ホーム・ページのポランスキーのプロフィールをご覧頂きたい。ここでは彼がアメリカを去らねばならなかった原因の少女レイプ事件について見事に言及されていない。配給会社は事実を隠ぺいしてまで監督を美化したいのだろうか?

今まで沢山のホロコーストを描いた作品が創られてきた。劇映画では「パサジェルカ(画家のアンジェイ・ムンクが監督)」「愛と哀しみのボレロ」「さよなら子供たち」「ソフィーの選択」「シンドラーのリスト」「ライフ・イズ・ビューティフル」「太陽の雫」、テレビ・シリーズでは「ホロコースト」やUprising、記録映画ではアラン・レネ監督の短編「夜と霧」や9時間に及ぶ「ショア」など。では、これらの優れた作品群が描いてきたものに比較して「戦場のピアニスト」が新たに描きえた真実、主張はあるのか?答えは皆無である。何で今更、過去に描き尽くされたホロコーストを主題にする必然性があるのか、僕には映画の最初から最後まで甚だ理解に苦しんだ。はっきり言おう、もうこの手の映画には飽き飽きした。ナチスの暴虐非道は許し難い。しかしそこまで描けばいいのは20世紀の作品までである。これからの21世紀の映画にはそれをさらに突っ込んで、ではなにがヒトラーをその狂気に駆り立て、また当時のドイツやオーストリア国民がどうしてそれを熱狂的に支持したのか?その社会背景や深層心理のメカニズムを解明するところまで突き進まなければならないのではなかろうか?そういう幅広い視点がこの映画には欠如しているのである。

それからこの種の映画を観ていると、観客はユダヤ人が悲劇の民族で絶対弱者・絶対正義であるという錯覚に陥りやすいのだが、ここで注意を喚起したいのは、現在ユダヤ人国家のイスラエルはパレスチナ人を強制移住させ、迫害・大量虐殺を行っているという事実を忘れてはいけないということである。つまり彼らはナチス同様のホロコーストを現在進行形で遂行しているのである。歴史は繰り返す。ここまで踏み込んでリベラルな視点からこの問題を描いた作家は世界でただ一人、漫画「アドルフに告ぐ」を書いた手塚治虫だけであるということを我々日本人は誇りに思わねばならないだろう。もう一度書く、ユダヤ民族の受難の歴史を描くことだけで事足りる時代は終焉を迎えたのである。

「戦場のピアニスト」を絶賛する輩の常套句として、「映画の終盤に主人公のピアノ演奏を聴いて彼を見逃してやるナチスの将校が登場するのが新機軸で素晴らしい!感動!!」というのがある。アホくさ。あの将校はピアノ演奏が大好きだからそうしただけでしょ?もしあの場面で主人公がピアノを下手くそにしか弾けなかったらどうなった?当然怒りを買って強制収容所送りになった筈。ナチスの将校が映画の中で判子を捺していた書類の中には当然ユダヤ人の銃殺命令や収容所送りを許可する内容のものもあったに違いない。一人を見逃したからといってそれで彼の人格の証明が為される訳では決してないでしょう。一体全体あの場面のどこが素晴らしいの?問題の本質はピアノが大好きで家庭では良き夫であり優しいお父さんが、どうしてナチスに入党し、ユダヤ人に対し非人道的行為の数々を行ってきたのかというそこにあるんじゃないの?その重要な部分がこの退屈な映画ではすっぽり抜け落ちているんだよ。誤魔化されちゃ駄目だよ。分かる!?

それからこの「人間の尊厳を訴える感動的」場面で苛々したのが、主人公の弾くピアノの吹き替え演奏が非常に稚拙で音楽的にも感銘を受けなかったことである。調べてみるとこの映画でピアノ演奏を担当したのはポーランドのピアニスト、ヤヌス・オレイニチャク。1970年に第8回ショパンコンクールで第6位に入賞している。ちなみに同年、我が国の内田光子が2位の栄冠に輝いている。そしてショパン・コンクール歴代の入賞者で6位以上で入賞した日本人は8人もいる。如何にこのピアニストがたいしたことないか良く分かるであろう。ポランスキーよ、せめてポーランド人のピアニストなら1975年に第1位になったクリスチャン・ツインマーマンくらいの実力のある人を起用出来なかったのか?ちなみにスピルバーグの「シンドラーのリスト」では世界的なユダヤ人バイオリニスト、イツァーク・パールマンがサウンド・トラックで演奏していることを付記しておく。

最後にこの映画の言語について問い質したい。「戦場のピアニスト」はポーランドとフランスの合作である。「シンドラーのリスト」の様なハリウッド映画ではない。ポランスキーの両親はポーランド人で映画もポーランドのユダヤ人社会が描かれている。しかし彼らが喋るのは英語。ドイツ兵はドイツ語である。ポランスキーよ、ポーランド語だと映画の世界配給を考えると難しいのならば、25年間逃亡生活を支援してくれているフランス語で撮るのがせめてもの礼儀ではないのか?そんなにしてまでもお前はいまだにアメリカに媚を売り、評価されたいのか?情けないねぇ。

この映画を褒め称える人々には是非この映画における主人公の次の台詞を贈りたい。

愚かな(Stupid)...なんと愚かな。


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