エンターテイメント日誌

2002年04月29日(月) はるか、小樽

10年前に出会った一本の日本映画、「はるか、ノスタルジイ」は未だに、誰が何と言おうとわが生涯ベスト・ワンである(現在DVDで入手可能)。この作品は公開当時、映画評論家たちからは完全に無視されたが、映画雑誌「キネマ旬報」の読者選出ベストテンには見事に入選した。その際、「キネマ旬報」誌上にこの作品に対する僕のコメントが掲載された(チョッと自慢^^;)。役者たちの演技、演出の切れ味、撮影の美しさ、あたかも音楽のようなリズムを持つ編集、そして久石譲さん作曲による甘美なる調べ、どれひとつとってもパーフェクト。文句のつけようがない。久石さんは大好きな作曲家だが、僕にとってのJOE`S MUSICベスト3は「天空の城ラピュタ」「はつ恋」そしてこの「はるか、ノスタルジイ」である(次点は「キッズ・リターン」)。

「はるか」を観た後、その舞台となった北海道の小樽に旅をしたが、映画で重要な役割を果たす、海を見下ろす高台を結局見つけることは出来なかった。その後インターネットという武器を得て、小樽在住の方から一通のメールを頂いた。そしてその高台は地元の人々からいつからか「はるかの丘」と呼ばれていること、そしてその具体的な場所を教えて頂き再び小樽を訪れた際に、遂に念願の「はるかの丘」を見出すことが出来たのであった。

小樽は映画の風景として良く似合う街である。岩井俊二監督の名作「LOVE LETTER」や澤井信一郎監督の「恋人たちの時刻」に登場した小樽が印象に強く残っている。そういえば「恋人たちの時刻」の音楽も久石譲さんだったなぁ。久石さんの音楽も実に小樽に馴染んでいる。

この度仕事の関係で旭川に往く事となった。そこで想い付いたのが、ついでに「パコダテ人」という人種が生息するという^^;)函館に往こうかなという案。しかし調べてみると旭川から函館まで特急で5時間掛かるとのこと。速攻廃案となった(笑)。で結局、3度目の小樽訪問となった次第である。

小樽は今、桜が満開であった。野辺にひっそりと咲く花々も美しい。漸く訪れた遅い春を謳歌する様に囀る鳥たちの声が耳に心地良い。無論「はるかの丘」も訪ねた。誰もいないその高台でごろりと仰向けに寝転び、冷やりとした新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで限りなく澄んだ青空を見つめた。こうして生きる悦び、そして素敵な映画と出逢ったことの幸福感に包まれて僕の「巡礼の旅」は幕を閉じたのである。

北海道から帰途に就く最終日、フライトまで時間があったので札幌の映画館でチャン・イーモウ監督の中国映画「活きる」を観た。どうして日本ではなかなか公開されなかったんだろうという位、しみじみとした良い映画であった。邦題のセンスもお見事!どんなに目の前に困難が立ちはだかろうと、生き抜くのだという活力(勇気)を与えてくれる作品。お勧めである。



2002年04月22日(月) 新しい波〜地方都市から発信される映画たち

ウディ・アレン、マーティン・スコセッシなどニューヨークで映画を撮り続けている監督達を総称して「ニューヨーク派」と呼ぶ。また、花の都パリでロケすることに拘る監督も珍しくはない。しかし、自分の出身地である一地方都市で、映画を撮り続けている監督は世界にただひとりしか居ない。大林宣彦、その人である。「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」「ふたり」・・・監督の古里・尾道で撮られた商業映画は実に10作品におよぶ。

大林映画との出会いと共に尾道は僕にとっても第2の古里と呼んでもよい存在となった。しかしあれから約20年の月日が流れ、尾道も豹変した。鄙びた風情のあった尾道駅周辺には近代的、威圧的なビルが建ち並び、映画でもしばしば登場した雁木と呼ばれる海辺の風景も取り壊され、今はもう跡形も無い。尾道の心ともいうべき最も大切な一部分は間違いなくその歳月の中で死んだのだ。そして僕は第2の古里を失った。地方都市が大都会の模倣をする…高度経済成長の中、何処もがそうしてきたことなのだが、果たしてそれで人々は幸福になれたのだろうか?

恐らくそういう想いと共に大林監督もまた、自らの映画のオープン・セット(撮影現場)を尾道から大分県臼杵市に移して完成したのが新作「なごり雪」である(今後も大林監督は臼杵で映画を撮り続けると宣言されている)。正直に告白しよう。伊勢正三さんの有名な唄をモチーフに大林監督が映画を撮ると聞いて、「何で今頃、時代遅れの<歌謡映画>を撮るんだろう?」と疑問に想ったし、古郷に戻った主人公が過去の自分と邂逅し、対峙するという物語だと知り、「なんだか我が偏愛する『はるか、ノスタルジイ』や『告別』の焼き直しみたいだなあ。」と感じたのも事実である。映画「あの夏の日」の不出来に呆れ果て、「もう大林監督は作家としての才能が費えたのか?」と不安になった時期も確かにあった。しかしそれらも杞憂に終わったようである。

「なごり雪」は秋からの全国公開に先駆けて大分でこの4月から先行ロードショーが始まった。その予告編を公式サイトで観ることが出来る。

クリック!「なごり雪」公式サイト
もうこれを観て狂喜乱舞。予告編だけでこれだけ深い感銘を受けるのだから、さぞや途轍もない傑作が誕生したに違いないという確信を抱いた。臼杵の風景が限りなく美しく、そして何処か懐かしい。最近の大林映画でヒロインを勤めた勝野雅奈恵には正直ウンザリし、「大林監督はヒロインに対する審美眼も曇ってしまったのか?」と苛々したものだが今回の新人・須藤温子ちゃんは凄い良い。背筋が伸びて凛としており、その口から迸る日本語の発声が何ときりりとして美しく響くことか!僕が「時をかける少女」における原田知世を連想したのは決して偶然ではあるまい。ここには今では失われてしまった嘗ての日本の風景が、そして人の心がある。そして僕の予感を裏付けるかのように「なごり雪」公式サイトの掲示板には作品を大分で観て魂を揺さぶられた人々の書き込みが絶えない。

また僕が今回何よりも驚いたのが、臼杵市が全面的に映画をバックアップしているその姿勢である。下記の市の公式ページを開いていただきたい。
クリック!臼杵市公式ページ
なんとここには映画のロケ地マップが掲載されているのである。こんなに凝りに凝ったロケ地マップなんて未だ嘗て見たことがない!市の意気込み、熱い想いをヒシヒシと感じるではないか。

僕はいつか大林映画と共に旅をして来た。「廃市」を観て九州の柳川へ、「青春デンデケデケデケ」を観て四国の観音寺へ、「はるか、ノスタルジイ」を観て北海道の小樽へ。そして臼杵へと旅立つ日もそう遠い先ではないだろう。きっと臼杵の街はたおやかに、僕を包み込むように迎えてくれるだろう。その時を愉しみに今は生きていこうと想うのである。

追伸:地方都市から発信される映画としてあと愉しみなのは大傑作「がんばっていきまっしょい」の磯村 一路監督がふたたび四国の愛媛県を舞台に(愛媛県の出資で)撮った新作「船を降りたら彼女の島(仮題)」である。
クリック!「船を降りたら彼女の島」紹介ページ

また、北海道の函館から発信される映画「パコダテ人」の公開も近い。
クリック!「パコダテ人」紹介ページ

今、日本映画は地方が熱い。



2002年04月10日(水) チャン・イーモウの<トゥーランドット>

「紅いコーリャン」「初恋の来た道」「活きる」等で知られる中国の巨匠、チャン・イーモウ監督(「黄色い大地」「さらば我が愛 覇王別姫」そしてハリウッドで撮った「キリング・ミー・ソフトリー」のチェン・カイコーと併せて<中国2大監督>と呼んでも差し支えなかろう)が演出したプッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」をDVDで観た。1998年に西洋のオペラである「トゥーランドット」が、その舞台となった中国の紫禁城で初めて上演された世紀の一大イベントを収めた貴重な記録である。この桁外れのスケールを誇るプロジェクトの制作過程を克明に追ったドキュメンタリー映画が現在東京のシネセゾン渋谷にて公開中のようであり、その面白さが巷で大いに話題になっている。僕が観たのはオペラ本編であり、DVDには29分の短いドキュメンタリーも付属している。お値段は4800円であり、オペラのDVDとしては安価な部類にはいるだろう。

オペラ「トゥーランドット」の演出では映画「ロミオとジュリエット」「ブラザー・サン・シスター・ムーン」「ムッソリーニとお茶を」の監督としても有名なフランコ・ゼッフィレリ版が決定版として世界に名を轟かせ、そのヴィスコンティ映画を彷彿とさせるようなデカダンスの香り溢れる豪華絢爛たる美術装置と衣装に圧倒される(ゼッフィレリはヴィスコンティの弟子にあたる。ヴィスコンティはオペラ演出家としても名高く、特にマリア・カラスと組んだスカラ座の「椿姫」のプロダクションは伝説的名舞台として語り継がれている)。そのゴールデン・スタンダード・バージョンに挑戦すべく2001年オペラの殿堂ミラノ・スカラ座で劇団四季の演出家、浅利慶太氏の新演出版が上演されたのだが、これは見るも無惨なプロダクションだった。大体、時代設定を古代中国の殷としたのが間違いの元で衣装も舞台装置にも華がなく、地味で退屈なことこの上ない代物で、「こんな日本の新劇みたいな辛気くさい舞台を天下のスカラ座にかけてどうする!」と憤りを感じた。浅利氏がやはりスカラ座で1985年に演出したプッチーニの「蝶々夫人」が日本的様式美に貫かれた、シンプルでありながら凛とした素晴らしい舞台だっただけに、浅利爺さんも耄碌したもんだと呆れ果てた次第である。浅利さん、悪いこと言わないからもう引退なさい。

チャン・イーモウ版は時代設定を明朝時代としている。兎に角そのスケールの大きさがただただ壮観である。徹底的な時代考証、全て手縫いの明朝時代の衣装、実に900着。京劇のダンサーも出てくるし、エキストラとして本物の人民解放軍の兵士300人を動員するというこの凄み。中国ではつい数十年前まで文化大革命のために、西洋音楽は演奏することも聴くことも一切許されないという暗黒時代があったわけだが(映画「レッド・バイオリン」でも描かれている)、今では最早到底信じられない話である。チャン・イーモウは「紅いコーリャン」でも「初恋の来た道」でも分かるとおり「赤」にこだわる人であるが、このオペラ演出でも色彩感覚が非常に豊かであり華やか、大仕掛けの舞台セットも重厚で目を見張り、グランド・オペラとはかくあるべしと膝を打ちたくなるような素晴らしいプロダクションである。「覇王別姫」がベルトリッチの「ラスト・エンペラー」に対する返歌であるならば、チャン・イ−モウ版「トゥーランドット」はゼッフィレリ版に対する中国側からの返答と言えよう。オペラそのものを観るも良し、あるいはドキュメンタリーでも良し、是非一見をお勧めしたい。


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