エンターテイメント日誌

2002年02月17日(日) <オーシャンズ11>あるいは、監督の気取りと映画の空回り

現在日本で興行成績NO1の大ヒット作「オーシャンズ11」を観た。ソダーバーグ監督作品は今や「お洒落」な映画の代名詞だそうだ。しかし僕は決してそうは想わない。
「トラフィック」の感想でも書いたことだが、ソダーバーグ印って頭でっかちでハートがないと常々感じていたのだが、「オーシャンズ11」も全くその形容がピッタリ当て嵌まる作品であった。確かにソダーバーグは技巧派である。しかし、「オレって撮り方、上手いだろう?」という作家の呟きが、これ見よがしに聞こえてくる。そういう鼻につく嫌みな映画なのだ。しかし、そこに作り手の本当に語りたい内容ーあるいは魂と言い換えても良い、が見えてこないからテクニックが空回りする。上っ面だけ着飾って中身の空疎な代物に成り果てているのだ。それにしてもそもそも金庫破りになんで11人集めないといけないのか、その必然性がサッパリわからん。それぞれのキャラクターがちゃんと書き込まれていない、出来の悪いスカスカの脚本にその責任がある。プロならもっと時間かけて錬ろよな。それから巷ではこの映画でのジュリア・ロバーツがミス・キャストだと大評判だが(^^;、全く同感。ジュリアの容色の衰えは目を覆うばかり。あの役の軽薄で無節操な尻軽女ぶりには腹が立った!!

そしてもう一本、「地獄の黙示録 特別完全版」。前半は面白く流石に大画面で観る迫力には圧倒されたが、後半退屈で何度も意識を失いかけた。今回新たに追加された53分のシーンは全て無駄な、この映画にとってやはり不要な場面であったと、ここで断言しよう。いくら何でも冗長すぎるよ。コッポラよ、過去の栄光に縋り付いて、その遺産で食い繋ぐなんて情けないよ。ちゃんと新作で勝負してくれ。



2002年02月11日(月) イタリア人気質と家族の絆…<息子の部屋>

イタリア映画「息子の部屋」を観た。
カンヌ映画祭パルムドール受賞作。地味で淡々としているが、しみじみ心に滲みる良い映画ではあった。ナンニ・モレッティ監督は左翼思想の持ち主で、そういう政治的メッセージを含んだ映画を撮ってきた経緯もあるようだが、「息子の部屋」には少なくともそういった要素は薄められていた。寧ろ浮かび上がってくるのは「家族の絆」である。

イタリア映画などを長年観ていると、イタリア人というのは他の国にもまして家族を大切にする国民性があるなあと常々感じてきた。フランス映画「グラン・ブルー」に登場するジャン・レノ扮するイタリア青年は「ママのパスタは世界一だ」と大いに誇りにしていた。そしてイタリア移民の息子、フランシス・フォード・コッポラが監督した「ゴッドファーザー」はマフィア組織を題材にした「ファミリー」の物語である。マーロン・ブランド演じるシチリア島からの移民ヴィトー・コルレオーネはなによりもファミリーを大切にする。そして後を継いだマイケル・コルレオーネは肉親をも信じることが出来ず、それ故に孤立し、ファミリーは崩壊していく。

コッポラ自身もファミリーを大切にする監督である。「ゴッドファーザー」には姪の女優タリア・シャイアを起用し、そのパート3では娘のソフィア・コッポラを何と途中降板したウィノナ・ライダーの代役として(!!)起用し、世間から非難を浴びた(笑)。「ゴッドファーザー」はニーノ・ロータの音楽が名高いが、コッポラの父カーマインも一応音楽担当に名を連ね、全く退屈な曲を書いている(^^;。「地獄の黙示録」でもカーマイン・コッポラが作曲ということになっているが、有名になったのはザ・ドアーズの「ジ・エンド」やワーグナーの「ワルキューレの騎行」など既成曲ばかりであった(選曲は恐らく監督自身がした筈だ)。

結局このコッポラ・ファミリーの人たちの実力はコッポラ作品以外では全くハリウッド映画界において相手にされないレベルであり、彼らの起用がコッポラ作品の傷となったという一面もある。実はその家族への温情・詰めの甘さゆえに、コッポラは真の巨匠になり得なかったのではないかと僕は邪推する次第である。



2002年02月04日(月) <仄暗い水の底から>と日本映画の世界進出

和製ホラー映画の傑作「リング」はハリウッドのプロデューサーの目にも止まり、ドリームワークスの手でリメイクされ、目出度くこの8月に日米同時公開が決まった。その同じ鈴木光司原作、中田秀夫監督による新作「仄暗い水の底から」はベルリン国際映画祭パノラマ部門出品が決まった上に、再映画化権をディズニー傘下のブエナビスタが既に獲得済みという。ウ〜ン、抜け目のないハリウッドと言うべきか、この場合は両映画を製作した角川書店の辣腕を評価すべきだろう。しかし、さすがに出来の悪い「らせん」や「リング2」「バースデイ」の版権は売れなかったんだね(^^;。

確かに「仄暗い水の底から」はホラー映画として傑出した出来である。特にそのくらいマックスは感動的ですらある。中田演出は水の扱い方が上手い。水というのは映像に良く映えるということを熟知している。ただ惜しむらくは同じ中田秀夫監督の「女優霊」や「リング」に比べるとその恐怖度がややトーン・ダウンしていることと、霊が現れる動機が「リング」の貞子の設定と似通いすぎていることだろうか。このあたり、「女優霊」「リング」で名コンビを組んだ脚本家、高橋洋の名前が今回無いというのが非常に痛かった。高橋洋・中田秀夫あるいは平成ガメラシリーズの伊藤和典・金子修介など一世を風靡した傑作群を次々と世に送り出した脚本・監督コンビが、様々な軋轢により袂を分かつ姿を見るのは辛く哀しい。これは日本映画界にとっても大きな損失である。

しかしまあ、「仄暗い水の底から」は確かに面白かったのだけれど、余計だったのは物語から10年後のエピローグである。これは要らなかったんじゃないかな?本編の子役・菅野莉央の演技が見事だっただけに、彼女の10年後を演じた「第3回 ミス東京ウォーカー」水川あさみが酷すぎた。ハッキリ言って可愛くないし(^^;。そのギャップに思わず目眩がした。「ミス東京ウォーカー」だから角川書店のごり押しで中田監督も泣く泣く使わざるを得なかったのだろう(笑)。ご愁傷様。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]