2001年10月28日(日) |
作曲家=映画監督<カルテット> |
映画音楽作曲家の久石譲さんがメガホンを取った映画「カルテット」を観た。
僕は熱心なJOE'S MUSICのファンである。初めて譲さん作曲のメロディを耳にしたのが、大学生のとき観た「風の谷のナウシカ」であった。それ以降、譲さんが音楽を担当した映画は宮崎駿監督のアニメーション7作品全て、「ふたり」をはじめとする大林宣彦監督の作品6作全て、'Sonatine'をはじめとする北野武監督の6作品全て、そして「時雨の記」をはじめとする澤井信一郎監督の6作品全てを観ている。さらに「グリーン・レクイエム」「パラサイト・イヴ」「はつ恋」などを加えると計30作品を観ていることになる。その中でベスト音楽を選ぶなら、躊躇なく大林監督の「はるか、ノスタルジイ」を選ぶ。主題歌だったら、大林宣彦作詞「ふたり」の主題歌「草の想い」と宮崎駿作詞「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」が双璧かな。
そんな大好きな久石さんが映画監督に挑戦するというのだから、観ないわけにはいかないだろう。嘗て久石さんは長野で行われたパラリンピック開会式の演出を担当され、それが浅利慶太氏が演出した冬季オリンピック開会式を軽く凌駕する素晴らしい祝祭になっただけに、期待はいやが上にでも高まった。
考えてみると作曲家が映画を監督するということは世界的にも珍しい。画家だったらアンジェイ・ムンクの「パサジェルカ」とか池田満寿夫氏の「エーゲ海に捧ぐ」など幾つか先例があるが、映画音楽作曲家では記憶に無いなあ。本格的音楽映画というのも日本では稀である。群馬交響楽団をモデルにした今井正監督の「ここに泉あり」とか、日本フィルハーモニー管弦楽団をモデルにした「炎の五楽章」くらいか。音大生の友情を描く青春映画というのは今までになかった素材だと想う。さすがに音楽家らしい目の付け所である。
映画は久石さんの想いがこもった熱い作品に仕上がった。花火大会の日、主人公とその友人で結成した弦楽四重奏団=カルテットが「となりのトトロ」を演奏し始めると、上空ばかり見上げていた子供たちが一斉に目を輝かせて彼らを見つめる場面は、とても印象的で良かった。反抗的な鋭い眼光の中学生の前で'Kids Return'演奏する場面や木の生い茂る神社みたいな所で老人たちによるブラスバンドが「天空の城ラピュタ」を演奏する場面などは、その本編を想い起こし、ニヤリとさせられた。夜の海辺で練習する場面は「成る程、久石さんはこういう絵が撮りたかったんだな。これがJOE流、愛の表現なんだ。」と膝を叩いた。海の湿気はバイオリンにとって大敵だろうというツッコミも胸をよぎったが(^^;、まあそこは確信犯ということで目を瞑ろう(笑)。しかし雨の中、恋人たちがバイオリンケースを抱えたまま傘を放り投げたり、コンクールの場面でチューニングもせずにいきなり演奏を始めるのは如何なものかと想った。せっかくプロが描く「本格的」音楽映画なのだから、そういったディテールにはこだわって欲しかった。
袴田君以外の役者の演技が拙かったのが痛かったのと、クライマックスで無理矢理ドラマを構築して盛り上げようとしたシナリオに疑問を感じた。そんな不要な主人公の葛藤を盛り込まなくても、十分魅力的な音楽映画になっていたのだが。かえってそのエピソードが主人公をどっちつかずの不誠実な人間に貶めてしまったような気がする。それから最後、主人公の「終わってなんかいないさ」という台詞、おっ、これは'Kids Return'へのオマージュか?'Kids Return'ではその後に 「まだ、始まってもいねえよ。」という名台詞が続くのだけれど、久石さんはそれに取って代わるどんな素敵な台詞を用意したのかと期待したのだが、余りにもひねりのない陳腐な台詞で締めくくられて腰が抜けてしまった。
ちょっと厳しいことも書いたが、これを撮らないと次へ進めないという久石さんの並々ならざる意欲はヒシヒシと伝わってくる佳作に仕上がっていたと想う。それから勿論、オリジナル曲はどれも文句の付けようのない胸に響く美しく深い曲ばかりで感銘を受けた。是非久石さん、再び他の監督とタッグを組むときは、久しく遠ざかっておられる大林監督との名コンビが復活することを願って止みません。特に大林監督のライフ・ワーク、福永武彦の小説「草の花」映画化の際は是非久石さんの音楽で、と切望しています。
2001年10月23日(火) |
コリアン・ジャパニーズの青春 |
映画「GO」を観た。同時期に同じ日本映画で「GO!」という映画も公開される。ややっこしい。おまけにどちらも山崎勉が出演しているのでますます混乱してしまう(笑)。迷惑だからやめてほしいな(^^;。
「GO」は日本生まれで北朝鮮国籍(後に韓国籍に変わる)の高校生の青春映画。原作は直木賞を受賞している。原作者も主人公と同様の境遇だったようだ。一方、「GO!」は高校生が憧れの女性のためにピザを東京から長崎まで配達するという破天荒なロード・ムービー。僕は一時期この両者を混同していた。在日朝鮮人の高校生がピザを配達する映画か、と(^^;。
「GO」でコリアン・ジャパニーズの主人公を演じる窪塚洋介がいい。何よりそのハングリーな面構えが。「在日」といういわれのない偏見に反抗し、常に外に向かって身構えるような態度をとりながらも、その実内面は優しく、傷つきやすい心を隠し持っているという難しい役どころを好演している。またその父親役を演じる山崎勉が魅力的でイカしている。何とも格好いいオヤジなのだ。元ボクサーで有無を言わさず息子に暴力をふるう破天荒なキャラクターながら、一方で親としての情が厚い。こういった登場人物たちの多面性がこの映画を豊かにしている。主人公の友人もいい奴だなあ。その熱い友情に惚れ惚れした。「バトル・ロワイヤル」ではどう転んでも中学生には見えず浮いていた山本太郎も今回は主人公の先輩としていい味出している。大竹しのぶや大杉漣など脇役がまた充実していることも特筆すべきだろう。
「在日」とか「民族」といった難しいテーマを織り込みながらも、決して深刻ぶることなく映画の中を全力疾走で駆け抜けていく主人公にいつのまにか共感し、エールを送りたくなる。演出のテンポも小気味良く、生きのいい弾けた映画に仕上がった。これは爽快な青春映画の大傑作である。停滞する日本映画に新風が巻き起こった。「ダッセー」映画よ、さようなら。
<本格原理主義者>とも呼ばれる小説家・北村薫は年齢も性別も不祥な<覆面ミステリイ作家>としてデビューした。 デビュー作「空飛ぶ馬」とそれに続く日本推理作家協会賞受賞作「夜の蝉」を読めば如何に北村さんが素晴らしい短編小説作家であるかがよくわかるであろう。しかし、僕が最も好きな北村作品は同じく<円紫師匠と私>シリーズ第三弾にして初の長編作「秋の花」である。是非これらの作品群を作者の素性を想像しながら愉しんで欲しい。それもまた北村薫の仕組んだミステリイなのだから。僕はまんまと騙されました。
北村作品の醍醐味はまずその瑞々しい文章にある。「日本語って、こんなにも美しい言葉だったんだ。」と改めて気付かせてくれる。そしてそれは僕に芥川龍之介の「女学生」などの一連の短編を連想させる。「六の宮の姫君」では芥川について言及されているのでまんざら見当はずれでもないだろう。 そして日常の些事を淡々と語りながら、そこに滲み出してくる作者のやさしさ、鋭い感性にはただただ感嘆の溜め息をつくばかりである。特に「秋の花」全編に通底するあわれは胸に響いた。哀しい話しながらも、救いのある結末に作者の限りない慈愛のまなざしを感じた。推理小説の枠をはるかに超えたこの名作は必読である。
この度映画化された「ターン」は<時と人>シリーズ第二作に当たる。第一作「スキップ」もいかにも北村作品らしい優しさに満ちた感動作であった。ある日突然25年の時をスキップしてしまった17歳の少女は、最初は戸惑いながらも決して後ろを振り返ることなく、軽やかな足取りで前に立ちはだかる困難を乗り越えてゆく。彼女は結局元の時代に戻ることは出来ないのだが、その前向きな姿勢が読む者の心を打ち、何とも清々しい。そして<時>の大切さを教えられるのである。SFという外見を取りながらも作者の主眼はそこにはない。この「スキップ」は今まで二度テレビドラマ化されているそうだ。
そして映画「ターン」であるが、静謐で、いつまでも心に残る印象深い作品になったと想う。北村薫のエッセンスも失われることなく上手く生かされた。「学校の怪談」シリーズや「愛を乞うひと」で名高い平山秀幸監督はさすがの職人芸で魅せてくれた。ヒロインが銅版画を製作している冒頭部からぐっと惹きつけられる。主人公以外、ひとっこひとりいない渋谷の街を捉えたショットが非常に印象的で、映像に力があった。
交通事故を契機に、まるで「神隠し」にあったが如く同じ一日を繰り返しながらも、そんな絶望的状況の中でひたむきに頑張るヒロインを演じた牧瀬里穂がまたとても良い。彼女のデビュー作「東京上空いらっしゃいませ」(相米慎二監督)をふと想いだしたのも偶然ではないだろう。そういえばあの時は幽霊役だったなあ。先日他界した相米さんも、天国から目を細めならが彼女のことを見守っていることだろう。
この映画、昨年既に完成しながらもお蔵入りになりかけていたそうである。今回、ワーナー・マイカルでの公開が決まって本当に良かった。特別料金1000円というのも嬉しい。マイカルグループは経営破綻してしまったが(^^;、ワーナーマイカルさんには是非これからも頑張って、見応えのある映画を沢山上映して欲しいと、ただ願うのみである。
追伸: ・<時と人>シリーズは「スキップ」「ターン」そして「リセット」で三部作となっている。 ・北村薫には他に<覆面作家>シリーズというのもある。
天海祐希は宝塚歌劇団時代、異例の大抜擢で月組トップに若くして上り詰めた絶大なる人気を誇る男役で、「10年にひとりの逸材」と評された。
本人としても退団後の芸能活動に期するところはあったのだろう。宝塚時代のファンに「もう皆様と舞台でお会いすることはないでしょう。」等と発言し、物議を醸した。しかし、彼女が宝塚退団後出演した映画は「クリスマス黙示録」「MISTY」「必殺!三味線屋・勇次(あの野村サッチーと共演!)」「黒の天使 Vol.2」といった凋落ぶり。どれもB級、C級の作品ばかりである。特に「必殺!三味線屋・勇次」に至っては惨憺たる出来で、「映画ファンをバカにしている」の声まで上がった。余程彼女には企画段階でシナリオの善し悪しを判断する能力(読解力)がないのか、取り巻きのブレーンにろくな奴がいないのだろうと僕は呆れ果ててその様子を見ていたものだ。CMも不発、テレビ・ドラマでも全く人気が出ずに最近は取るに足らない脇役に甘んじていた。結局二度と出ないと言っていた舞台も「マヌエラ」、「ピエタ」、野田秀樹の舞台「パンドラの鐘」と立て続けに出演、「遂に天海も命運尽きたか」と思っていた矢先にその異変は起こった。
今年の天海の活躍には目を見張るものがある。まず角川映画「狗神」。僕は未見だがその演技力は高く評価されたようだ。そして、何しろ天海に舌を巻いたのがBS-iで放送された「柔らかい頬」と映画「連弾」である。どちらも完成度の高い傑作で天海の演技力も光っていた。この両者に共通する天海演じる主人公の性格設定は「子供の事を顧みない身勝手な母親役」である。妻の側の不倫が原因で離婚するという設定も同じである。開き直った演技というべきか、あるいは本人の地のままなのか(笑)、実にはまり役であった。
「柔らかい頬」の原作は桐野夏生の書いた直木賞受賞作である。映画監督の長崎俊一が巧みに脚色し3時間半に見事にまとめ上げた。自分の心ない一言で幼い娘が傷つき、失踪したのではないかと思い悩み、探し続ける母親の茫漠として暗澹たる心象を天海は見ていて痛いほど切実に演じ切った。荒々しい自然描写がその心象風景となり、両者の増幅効果で作品を印象深いものにした。
一方「連弾」は竹中直人監督作品で、離婚という重いテーマながらコメディと呼んでもよいような軽やかなタッチで、「クスッ」と可笑しいホーム・ドラマに仕上がっていた。天海の傍若無人、勝気で我儘な母親ぶりが結構笑えた。コメディ・センスもばっちりである。劇中登場人物たちが鼻歌で唄う竹中直人作詞・作曲の小唄の数々も楽しい。「セミ・ミュージカル」と呼んでよいノリである。それでいてラストはちゃっかり泣かせてくれる名場面を持ってくるのだからニクイねえ。小泉首相じゃないけれど「感動した!」。
そして年末には大作映画「千年の恋 ひかる源氏物語」が公開される。天海が演じるのは光源氏。宝塚以来久しぶりの男役である。宝塚を捨てたつもりの本人にとっては不本意であろう。しかし、公開されたスチール写真で見る天海の光源氏は息を飲むほどに美しい。さすがである。これで巷での彼女の名声が高まることは間違いない。
賭けてもいいが今年彼女は必ずいくつもの映画コンクールで主演女優賞を勝ち取るだろう。縦横無尽の大活躍はそれに十分値するものである。今から気が早いが心から「おめでとう」と、そう言っておこうか。
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