来るたびにかんどうしたりされちゃうと森にとってはちょっとうっとうしいかもよと、思うのでもっとしぜんにおつきあいをしたいなぁと心がけてむかうのだけどまたしても過剰に心がうごいてしまうこんなとききもちにそった言葉をさがすとこのごろとみにひどく使い古された表現ばかりが思い浮かんでもうそこで、すっかりしっくりしてしまいゆったりまんぞくしてしまうたとえば「運命の出逢い」とか「神様のおぼしめし」とか「あなた(この森)にめぐりあうためのこれまででした」というようなものきのきいたかいわはぜんぜんできないけれどうれしいうれしいあえてうれしいありがとうっとつたえつづけるこもれび日和これは、いま わたしのなかではいちばんに神秘的だと思えるところちいさなちいさな沼のほとりの
「ただいま」といえばふつうに「おかえり」とこたえてくれるはじめての森そっけなくソッポ向いてるオオバナノエンレイソウのふたりぐみ。その奥は「こんどはなにしてあそぼうか」って相談してるコゴミたち。フレンドリーなタチツボスミレとセントウソウ(仙洞草)まがりなりにもクサノオウ備忘録として) 五月なかばの沼のまわりはオオバナノエンレイソウとあのなつかしいミツガシワ と、そうそしてはじめましてのエゾキケマンとムラサキケマンが咲いていました。ありがとう。おはよう。ただいま。どうぞよろしく。
さくさくらなきだすはこべふくむふくらむふくじゅそうひらかれるみちなめらかな、なんでかすでになつかしいやま五月です