ダイエーホークスのマジックが点いたり消えたりしている。 昨日、ロッテに勝ってマジック19が再々点灯した。 ところが、今日負けてしまい、マジックの対象になっている西武と近鉄が勝ったため、またマジックが消えてしまった。 後半戦に入ってだいたい2勝1敗のペースできているのだから、別に調子が悪いわけではない。 あいかわらず打線はいいし、若干疲れ気味ではあるものの投手陣もそれなりに頑張っている。 ところが、その1敗の時に限って、西武と近鉄が勝つのだ。 そのため、この2チームに再び自力優勝の可能性ができてしまい、マジックが消えることになる。 これは、今季セリーグの覇者になるだろう阪神タイガースにはない現象である。 死のロード期間中にあれだけ負けを喫したのに、マジックが消えることはなかった。 それだけ貯金が多かったのだろうが、ダイエーに対する西武や近鉄みたいな強力なライバルチームが、セリーグにはないと言ってもいいだろう。
このところ、どうもマジック点滅に一喜一憂してしまうのだが、要はあと19勝すれば、いやでも優勝するのだ。 ぜひとも、自力で優勝を勝ち取ってもらいたいものである。
今季、ダイエーに初めてマジックが点灯したのは8月17日だった。 その日から地元は大いに活気づいた。 もう優勝したかのようにはしゃぎまわっている。 ぼくが店でダイエー戦をかけていると、周りに人が集まってきて、にわか応援団をやっている。 また、どう見ても野球に興味のなさそうなおばちゃんまでが、「今日はダイエーはどうなってますか?」などと聞いてくる。 こういうことは、5年くらい前までは考えられなかったことだ。 マンガ家小林まことが『柔道部物語』の中で、「ホークス今日も負けたたい」と書いているくらい、ホークスは弱いチームだった。 そのせいか、アンチホークスもいたように記憶している。 ところが、99年に優勝してからというもの、それまで野球などぜんぜん興味のなかったうちの母でさえが、日常会話にホークスの名前を出すようになった。 実家に行くと、決まって「ホークス、どうなっとう?」と聞いてくる。 「今、1点差で負けとう」 「負けとるんね。歯痒いねえ。で、西鉄はどうなっとうと?」 「西鉄じゃないやろ。西武」 母は元々、西鉄と巨人しか球団名を知らなかった。 最近やっと『福岡ダイエーホークス』という球団名と、選手の名前を覚えたのだ。
おそらく情報源は、地元の夕方ワイド番組だろう。 現在、3つの放送局で夕方ワイドをやっているが、どの放送局もホークス情報には力を入れている。 鉄腕・稲尾和久がレギュラーをやっている番組もあるくらいだ。 母のような野球無知な人間にここまで語らせるのだから、番組はマジックでかなり盛り上がっているのだろう。
【朝風呂】 眠い時は何をやってもだめだ。 会社から帰り、食事がすんだ後、パソコンの前に座った。 さあ日記を書こうと思った時だった。 突然睡魔が襲ってきた。 おそらく、昨日、一昨日の寝不足がたたったのだろう。 こうなると何をやってもだめである。 モニターの画面を見るのが精一杯で、何も考えつかない。 しかたないので、一度寝ることにした。
起きたのは7時前。 しかし、すんなりとは目が覚めなかった。 あいかわらずボーっとした状態が続いて、思考回路がストップしたままだ。 このままではいかんと思い、風呂に入ることにした。
そういえば、ここ数ヶ月、ずっと朝風呂生活が続いている。 ちょっと前までは「帰宅→風呂→食事→就寝」というパターンだったのに、最近は「帰宅→食事→就寝→風呂」というパターンになっている。 このパターンだと、夜に自由な時間が多く持てるし、朝髪を洗うので寝癖を気にしなくてもいい。 これだけ考えるとメリットがあるように思えるのだが、デメリットもある。 ギリギリまで寝ることが出来ない。 朝に日記を書く場合、時間が少ない。 風呂に入る時間が制約される。 ぼくはドライーヤーを使わないため、会社に行った時、まだ髪が濡れている。 、などである。 ということで、どちらのパターンのほうがいい、などとは言えない。
【毎日が8月末】 ぼくは昔から、物事をコツコツやるタイプではない。 せっぱ詰まってから、やっと腰を上げるタイプである。 そう、いつも8月末の感覚でやっているのだ。 つまり、夏休みの宿題を8月末に一気にやる、ということである。 日記も同じで、朝に日記を書く時は、「出かけるまで、あと15分しかない」といった極限状態に自分を置かないと、どうもうまくいかない。 そのため、日記を書くのは、いつも出かける準備が終わってからである。
この日記も、出かける準備が終わってから書いている。 現在8時51分だから、あと9分で家を出なければならない。 「さて、何を書こう?」なんて、迷っている暇はない。 そんなことを考えている間にも、時間はなくなっていく。 とにかく何かを書くのだ!
・・・。
とはいえ、書けない時は、何も書けない。 タイムリミットである。
【朝のコンビニ】 昨日は、今日が休みということもあって、日記を夜中に仕上げた。 そのため寝るのが遅くなってしまった。 それでも、朝は通常通りに目が覚めた。 ところが、今日は家に誰もいなかったため、朝食の準備がなされてない。 しかたがないので、近くのコンビニに食料の調達に行った。 まだ夏休み中ということもあって、さすがに学生の姿はなかったが、それでもお客は多かった。 きっとぼくのような人たちが、朝飯の調達にきているのだろう。 この間食べた直巻きおにぎりがおいしかったので、今日もそれを食べようと思っていたのだが、もはや売り切れた後だった。 しかたなく、パンを買うことにした。 最近よく食べているパンは、ヤマザキの『薄皮クリーム』とフランソワの『ロングシュガーマーガリン』である。 これらのパンも危うく売り切れ寸前で、どちらも一つずつしか残ってなかった。 やはりおいしいものは、誰が食べてもおいしいのだろう。
その他には、コーヒー牛乳とコミックを買った。 コーヒー牛乳は雪印のものだった。 今まで気にもとめなかったが、そうか、復活していたのか。 いろいろゴタゴタがあったけど、乳製品といえば雪印だ。 どんどんいい物を作って、汚名を返上してもらいたいものである。
コミックは、文庫版の『ブラック・ジャック』の17巻を買った。 最近出たものだろう。 ぼくは何年か前から、この本を買っているのだが、14巻以降は出るペースが極端に遅いような気がする。 20年以上も前に連載は終わっているのに、この遅さは何だ。 こういうものは一挙に出すべきである。 たしか13巻まで出た時に、セット販売をしていたが、全巻揃わないセットものに何か意味があるのだろうか。 解せぬ。
【夜のコンビニ】 この日記を書き始める少し前に、コンビニに行ってきた。 午前1時を回った頃だったろうか。 さすがにこの時間には人はいないだろうと思っていたが、甘かった。 10人ほどのお客が店の中にいた。 若いカップル、家族連れ、立ち読みしている兄ちゃんなどである。
夜中のコンビニに何をしに行ったのかというと、のどが渇いたからビールを買おうと思ったのだ。 まあ、日記を書かなければならないから、長居はせずに、買ったらすぐに帰ろうと思って家を出た。
ところが、ひょんな事から帰るのが遅くなってしまった。 一連のテレビ番組の雑誌に目が行ったのである。 その何冊かの表紙に、『ウォーターボーイズ』5人組が載っていた。 読むまいとは思ったが、つい手が行ってしまい、インタビューやエピソード、おまけに次回のあらすじまで読んでしまった。 何という意志の弱さだ。 これで、来週の楽しみは半減したことになる。
さて、夜中のコンビニにビールを買いに行ったぼくだったが、結局ビールをレジには持って行かなかった。 ぼくがレジに持って行ったものは、『おなかにやさしいカルピス』だった。 サブタイトルの「カロリーオフ」と、タイトルの「おなかにやさしい」に惹かれたのである。 この文字を見た時、なぜかぼくは幸せな気分になった。 ということで急遽ビールを取りやめ、この『おなかにやさしいカルピス』にしたのである。
帰ってからさっそく飲んでみると、これがおいしい。 カルピスウォーターどころではない。 もちろん自分で作ったカルピスなんか、足元にも及ばない。 今もそれを飲みながら、この日記を書いているのだが、眠気は吹っ飛ぶし、筆は進む。 まさに魔法の水である。 夜中のコンビニは、たまにこういう発見があるから、嬉しい。
火星が出ている。
要するにどうすればいいのか、という問は、とりあえず置いといて、明日の休みに何をするのかを考えよう。 明日は晴れるらしいから、何もしないで、家でゴロゴロしているのももったいない。 かといって、どこかに出かけるのも面倒だ。 スーパー銭湯に行くことも考えたが、月に一度で充分である。 夜景は当分見なくてもいいだろう。 一昨日映画に行ったばかりだから、映画に行く気もしない。 じゃあ、何をしようか? それを考えるのも面倒になってきた。
火星が出ている。
昨日あれだけはっきり見えた火星が、今日は雨雲に隠れて見えなくなっている。 週間予報でも、明日は晴れるものの、それ以外は曇り及び雨マークが続いている。 この、約6万年に一度の出来事を、子孫に語り継ぐためには、一日見ただけでは不足である。 もう少し見せてくれないと、火星に関する物語さえ作れない。
火星が出ている。
火星が接近する時、乱世になると言われているらしい。 が、その根拠は何なのだろう。 6万年前の記憶が残っているとでもいうのか。 ただイメージで言っているだけなのだろうか。 アメリカのラジオで「宇宙戦争」というドラマをやっていたところ、それを火星人襲来のニュースだと勘違いして、全米がパニックに陥った、という話を聞いたことがある。 今回の乱世説も、真に受けてパニックに陥る人がいるかもしれない。 また、火星接近を不況の原因と決めつけて、責任回避する政治家が現れるかもしれない。 いずれにせよ、根拠のないことをマスコミが口にするのは、やめてほしいものだ。
火星が出ている。
あいかわらずダニの被害に遭っている。 右足に3ヶ所、左腕に1ヶ所が、ダニの犠牲になり、その部分はツベルクリンの陽性反応のように赤く腫れ上がっている。 ズボンとの摩擦で痒みが増し、気が狂いそうになる。 この痒みは尋常なものではない。 ところで、ダニは家にいるのではなく、どうも会社の倉庫にいるようなのだ。 カーペットを外し、バルサンを焚いて以来、裸で寝ころんでいても、もう腹などを噛まれることはない。 店に立っていて痒くなるようなことはない。 ということは、残るのは倉庫である。 会社の倉庫という広範囲な場所にいるダニを、どうやって退治したらいいのだろう。 ところで、このダニの異常発生は、今年の異常気象と何か関係があるのだろうか。 例年もこの時期はダニの被害にあうのだが、今年は特にその被害が多い。 気温といい、湿度といい、ダニの発生しやすい条件が整っているのだろう。 これも、火星接近と何か関係があるのだろうか。
火星が出ている。
今日は火星接近の記念として、高村光太郎の『火星が出ている』という有名な詩を、ここで引用しようと思った。 が、家のどこを探しても詩集が見つからない。 おそらく実家に置いてあるのだろうが、取りに行くのも面倒だ。 ということで、ぼくの記憶にある詩句だけを、ここで引用した。 「火星が出ている」と、冒頭の「要するにどうすればいいのか、という問は」がそれである。 けっこう感動した詩なのに、これだけしか覚えていないとは−。
火星が出ている。
【車検】 一昨日、車を車検に出した。 今回が3回目だから、今の車にもう7年乗っていることになる。 走行距離はとうに10万キロを超えている。 そろそろ買い直す時期なのだが、先立つものがない。 というより、今は車にぜんぜん興味がわかない。 それよりも、いいギターが欲しいと思っている。
さて、今回の車検だが、バッテリーがかなり劣化していたとのことで、このままだと秋まで持たなかったとのことだ。 他にも悪いところがあったのだが、なんといっても一番驚いたのは、後ろのタイヤがパンクしていたと聞いた時だった。 かなり前に釘を踏んでいたらしく、そこから徐々に空気が漏れていたというのだ。 いつ踏んだのかは定かではないが、もし8月頭に踏んでいたとすれば、ぼくはパンクしたまま、都市高速を走ったり、大分に行ったりしていたのだ。
そういえば、以前もそういうことがあった。 それは数年前、仲間と宮崎に行った時のこと。 出発前に、仲間の一人から「前のタイヤの空気が減っているんじゃないか」と言われたが、別に気にせずにぼくは車を走らせた。 朝早く家を出て、目的地である都井岬に着いたのは夕方だった。 そこまで、食事休憩以外はずっと走りっぱなしだった。 翌日、1時間ほど走った頃から、車がガタガタしだした。 最初は田舎道だから、道がデコボコなのだろうと思っていた。 が、そうではなかった。 そう、パンクしていたのだ。 そこで、近くのガソリンスタンドで修理してもらったのだが、そこまで500キロ以上の道のりを、パンクしたままで走っていたということになる。 その大半が高速道路の上だったのだから、ゾッとしたものだった。
【代車】 車検の時にいつも問題になるのが、代車である。 ぼくはタイミングが悪いのか、車検や修理の時に、いい代車に当たったことがない。 最初に借りたのはボロボロなミッション車で、クラッチの利きが極端に悪かった。 次に借りたのもミッションで、今度はクラッチが故障していて、クラッチを踏まなくても、ギヤチェンジするものだった。 そこで、ディーラーに「ミッション車は怖いけ、オートマ車にしてくれ」と頼んでみた。 すると、持ってきた車はスポーツカータイプの車で、座席が極端に低い位置についているものだった。 ぼくの車はワゴン車なので、座席はけっこう高い位置についているので、家にあるようなイスに座る感覚で乗ることが出来る。 ところが、代車は穴の中に潜るようにして乗り、穴から這い出すようにして降りなければならなかった。 そのため代車を借りた端は、降りる時にこけた。 その後も何度かこけそうになった。
今回もオートマ車だったが、いつもと同様ひどい代車に当たった。 とにかくスピードが出ない。 登り道では、40キロ出すのがやっとだった。 しかもエンジンのかかりが悪い。 今朝、出がけにエンジンをかけた時のこと。 エンジンがかかったと思ってブレーキから足を離すと、「ポロポロポロ…」という音とともに止まってしまった。 再び挑戦したのだが、結果は同じだった。 これを繰り返すこと5分、やっとの思いでエンジンはかかった。 ところが、ギヤの接触が悪い。 ドライブに入れているのに、前に進まない。 パーキングに戻し、もう一度ドライブに入れ直した。 しかし、前には進まない。 もしかしたらと思い、少し2nd側にギヤをずらしてみた。 すると、前に出た。 運転中も、いつエンストするかとヒヤヒヤしながら運転していた。 おかげで、今日は遅刻だった。
車検が終わり、車が戻ってきたのは夕方だった。 2日間お目にかからなかっただけなのだが、妙に懐かしさを感じる。 これも代車のせいなのだろうか。
昼から映画『踊る大捜査線』を見に行った。 劇場で映画を見たのは、宮崎駿の『おもひでぽろぽろ』以来だから、実に12年ぶりということになる。
ぼくは、昔からあまり映画には興味がなく、映画館にもそう多くは行っていない。 映画館に一番多く通った時期は小学生の頃だが、それでも夏休みや冬休みに限定されていた。 各学期の終業式が近くなると、学校の前などで、よく『マンガまつり』や『ゴジラ』などの怪獣もの映画の割引券を配っていたが、それを見に行っていたくらいである。
中学の頃、多くの友人が洋画に目覚めていった。 しかし、ぼくはそういうものには、まったく興味を引かれなかった。 とはいえ、友人との付き合いで、たまには映画館に行くこともあった。 『小さな恋のメロディ』『ある愛の詩』『レッド・サン』『トラ・トラ・トラ』などを見に行ったのだが、ぼくは映画を見ずに、外の売店のお姉さんと話ばかりしていた。 映画を見るよりも、そちらのほうが楽しかったのである。 映画が終わると、友人たちから「しんた、お前どこに行っとったんか?」とよく言われたものだ。 翌日、クラスの人から、「しんた君、あの映画どうだった?」と聞かれても、感想などは当然答えられないから、「ああ、面白かったよ」とぶっきらぼうに答えていた。
高校の頃に行った映画は、『帰って来たドラゴン』と『山口組外伝』の2本だった。 ちょうどブルース・リーがブームになっていた頃、友人たちと『燃えよドラゴン』を見に行こうということになった。 しかし、時すでに遅く、『燃えよドラゴン』の上映はすでに終わっていた。 しかたがないので、同じドラゴンものの倉田保昭の主演映画を見ることにした。 が、どうも二番煎じのような気がして、面白くなかった。 それの比べると『山口組外伝』のほうは面白かった。 九州が舞台となっていたので、親しみがあったせいもあるだろう。 主演の菅原文太が、やけにかっこよかったのを覚えている。
それ以降に見に行った映画というのは、数えるほどしかない。 『八甲田山』『サタディ・ナイト・フィーバー』、ずっと飛んで『ダイハード2』『バック・トゥ・ザ・フューチャー2,3』『インディ・ジョーンズ3』『ゴースト』『ゴーストバスター2』と、先に言った『おもひでぽろぽろ』である。 最初の二つは、招待券で行ったもの。 後の映画は、仕事の延長で行ったものだった。 そういう理由から、あまり印象には残っていない。 ぼくの場合、映画は劇場で見たものより、ビデオで見たもののほうが、より印象に残っている。 特に洋画はそうである。 理由は、字幕がゆっくり見られるから、である。
2003年08月25日(月) |
蚊ならまだ許せるダニの痒さかな |
【蚊】 今年は蚊が少ない。 冷夏のせいもあるのだろうが、それにしてもこれまでの人生において、ここまで蚊の少ない夏を経験したことがない。 ぼくは、四十数年前に今住んでいる場所に引っ越してきたのだが、その頃には、近くに池やどぶ川があって、蚊が異常に多かった。 夏は毎晩蚊帳を吊るしていた記憶がある。 ぼくが物心ついた頃には、すでに池はなくなっていた。 そのため蚊帳を吊るすことはなくなったが、まだどぶ川が残っていたので、蚊は多かった。
20年ほど前から、市の再開発で、多層階の団地が増えていき、下水道の整備が行われた。 それにつれ、蚊は徐々に減っていった。 そして、何年か前、蚊の発生源として唯一残っていたどぶ川が、道路拡張のために埋め立てられた。 これで極端に蚊の数が減っていった。 とはいえ、まったくいなくなったわけではない。 年間何度かは、蚊取り線香を焚いたりしていた。 ところが、今年はその蚊取り線香も焚いていない。 いったい蚊はどこに行ってしまったのだろうか。
【ダニ】 今年はダニが多い。 毎年体のどこかをダニから噛まれていたことはいたのだが、今年ほどではなかった。 手足はもちろん、腹や背中も所々赤く腫れている。 一度掻くとさらに痒さが増し、掻きむしるまで掻いてしまうので、なるべく我慢しているのだが、無意識のうちについ手が伸びてしまう。 かゆみ止めの薬を塗っても、そう長く効果は続かない。 結局、腫れが引き、痒みがなくなるまで、必死に耐えなければならない。
そういうダニの害はぼくだけかと思っていた。 が、そうではなく、店の従業員もけっこう多くやられている。 女子の場合はキュロットをはいているので、脚をやられているとすぐにわかる。
また、お客さんの中にも、脚や手に赤い斑点がついている人をよく見かける。 先日、お客さんと話していると、そのダニの話が出た。 「今年はダニが多くてねえ。ほら見て、ここひどいでしょう」と、お客さんは袖をまくり上げた。 見ると、肩の当たりがかなり腫れ上がっている。 「ああ、これはひどい。皮膚科に行ったほうがいいんじゃないですか」 「いや、行ってきたんよ。でも、薬を塗ったところで、すぐに痒くなるけねえ。掻くなと言われてもかいてしまうもんねえ」 「ダニの痒みはしつこいですからね」 「そうそう。しつこいんよねえ」
そのダニは、いったいどこにいるのか。 まず、家の中だろう。 ぼくは、あまり掃除をしないから、それはしかたないことである。 もう一つが会社である。 什器の隅などに、いつも綿ぼこりがしているが、そこに潜んでいるのだろう。 後一つが、倉庫である。 ここは、床だけではなくて、段ボールなどにも付着している。 倉庫整理をした後で、ふと気づくと、腕にダニに噛まれたあとがある。 おそらくそれは、段ボールについたダニのせいだろう。
会社や倉庫にいるダニは、個人の力ではどうしようもないが、せめて家にいる憎きダニだけは自分の手で始末したいものだ。 そう思って、前の休みに、部屋の中を何度もクリーナーをかけた。 それだけでは気がすまず、床やイスをマイペットで拭き上げた。 「これで一安心」と持ったのもつかの間だった。 その翌日、また新たなダニの噛み後を見つけた。 それも4箇所も。 そう、ダニの被害は一向に減ってないのだ。 かえって被害が増えているようにも思える。
きっとこれは、天井にこびりついているダニが退治出来ていないからである。 ぼくの家は8階建てマンションの6階である。 防音設備はしっかり出来ているのだが、それでも7階に住んでいる人が走ったり暴れたりする音は聞こえる。 ということは、天井は震動しているということである。 その震動で、天井にこびりついたダニが降ってきているのだろう。 そのため、床を何度掃除しても、効果がないのだ。
そこでぼくは、薬局に行き、ダニ用のバルサンを買った。 これで根こそぎ退治してやろうと思ったのである。 ということで、次に休みに、ダニたちの大虐殺を計画している。
【死に風】 先週、前にいっしょに働いたことのある人のお母さんが亡くなった。 ということで、その日お通夜に行ってきた。 今日の夕方、うちのパートさんのお父さんが亡くなったという連絡が入った。 そのため、明日はお通夜に行かなければならない。 そういえば、午前中には本社の人のお父さんが亡くなったとの訃報が入っていた。
このところ、不幸ごとが続いている。 その3件とも、ぼくの知っている人の親御さんである。 おそらく偶然だろう。 しかし、偶然ではないと唱える人もいる。 前に、葬儀社の人からこういう話を聞いたことがある。 例えばAという場所とBという場所で、それぞれ人が亡くなったとする。 すると不思議なことに、次に亡くなる人は、AB線上もしくはその延長線上から出るらしい。 その線上には、死に風が吹いているのだという。
前の会社にいた頃。 ある時期、部下たちの親が次から次に亡くなったことがある。 あまりに立て続けなので、そのことを気味悪がった上司がぼくに「しんた、お前の部署は祟られてるんじゃないか。なんなら、お祓いしたらどうか」と言ったくらいである。 ぼくは「そんなの偶然でしょう」と言っておいたが、実際ぼくも気味が悪かった。
葬儀社の人の話を聞いたのは、それからずっと後のことである。 それを聞いて、ようやくその時期の不幸続きに合点がいった。 それらの不幸ごとが、地理的線上にあったのかどうかは確かめてはいない。 が、同じ部署という線上にあったのは確かである。 おそらく、その時期、ぼくの部署には死に風が吹いていたのだろう。
【ミエコ】 お通夜といって思い出すのは、『やんぽう通信』でおなじみのミエコのことである。 あれは、ミエコが会社に入った次の年のこと。 ある女子社員のお祖母さんが亡くなった。 仕事を終えると、ぼくは仲間と連れだってに通夜の会場に向かった。 その中にミエコもいた。
ミエコはなぜかソワソワしていた。 ぼくがその理由を聞くと、通夜に出るのは初めてで、どうやってお参りしていいのかわからないと言う。 そこで、ぼくたちは歳の順にお参りをすることにした。 ミエコが一番年下なので、人がしているのを見て覚えるだろうと思ったのである。 ぼくが「おい、ミエコ。人がするのをちゃんと見とけよ」と言うと、ミエコは「うん、わかった」と言った。
まず遺族に一礼し、線香を上げ、リンを叩き、お参りする。 そのあと遺族の人に挨拶して終わりである。 次々とお参りをすませ、ミエコの番が近くなった。 「ミエコ、覚えたか?」 「うん」 「大丈夫か?」 「大丈夫っちゃ」 ついにミエコの番がやって来た。 ぼくたちは、ハラハラしながら見ていた。
ミエコは、遺族に一礼し、線香を上げた。 そこまでは大丈夫だった。 ところが、リンを叩く段になって、本領を発揮した。 リンの横に、木魚が置かれていたのだが、ミエコは何を思ったか、木魚のバチを手にし、リンを叩こうとしたのだ。 遺族の人たちは、それを見てキョトンとしている。 ぼくは、小さな声で「ミエコ、それ違う」と言った。 それを聞いたミエコは、後ろを振り向き「え?」と言った。 「それじゃない。横、横」 「え? わからん」 「それは木魚のバチ。リンを叩くのは、その横の小さな棒」 ミエコは舞い上がってしまい、キョロキョロしている。 その姿がおかしくてたまらない。 しかし、場所が場所なので、笑うに笑えない。
と、遺族の人たちがクスクスと笑い出した。 それにつられて、そこにいた全員が笑い出した。 ミエコは、何でみんなが笑っているのかがわからずに、キョトンとしている。 手にはあいかわらず木魚のバチを持ったままであった。
数日前の話。 日記を途中まで書いて、急に眠たくなった。 もうどうしようもないので、日記は朝に書くことにして、とりあえず寝ることにした。 ところが、床についてからしばらく眠られずにいた。 「あの眠たさは何だったのだろう」 そんなことを考えていると、耳の中に「シーン」という音が広がった。 こういう状態になる時、決まって金縛りにあう。 ぼくは、そうはさせじと、力を振り絞って金縛りにかからないように踏ん張った。 が、無駄な抵抗だった。 場が変った。 体は動かずに、神経だけが、ピリピリと研ぎ澄まされていく。 目を閉じているはずなのに、周りの状況がわかる。 その時、ぼくの上を何かが通っていった。 通り過ぎた後の風が、ぼくの手に触れる。 「今のは何だろう?」と考えていた時、ぼくは肝心なことを思い出した。 息をしてないのだ。 いや、息が出来ないのだ。 胸筋に力を入れて息を吐き出そうと試みたが、出ない。 「このままでは死んでしまう」と思ったぼくは、下腹に力を込めることにした。 気管に空気が通るまで、しばらく時間がかかった。 「フーッ」 やっと鼻から息が漏れた。 すると、元の場に戻った。 ぼくは目を開けた。 いつもと変らぬ、寝室の風景が目に映る。
ぼくが金縛りにあう時はいつもこんな具合である。 しかし、今回のように、何かがぼくの上を通り過ぎるなどという体験は初めてである。 息が出来ないことを考え合わせてみると、あれは死神だったのかもしれない。
ぼくは、死神から何度か命を狙われたことがある。 最初にぼくの前に現れた死神は、からし色の袈裟を着た、ドクロだった。 彼は、そのへんにいた死霊を集め、ぼくをその世界に誘い込もうとした。 ぼくは般若心経を唱え、必死に抵抗した。 すると、金縛り状態は解け、いつもの場に戻った。 しかし、場に戻った時、呼吸は乱れ、心臓は高鳴っていた。 金縛りに合っている最中、おそらくぼくは死んでいたのだろう。
よく、霊を見たという話を聞く。 しかし、その話を聞いた時、ぼくはいつも疑っている。 なぜなら、霊といういうものは肉眼で見えるものではなく、心の目で見えるものであるからだ。 ある専門家は、「幽霊を見た時、あなたは一時的に死んでいるのだ」と言っていた。 つまり、同じ次元でないと、物事は見えないということである。 幽霊と同じ次元といえば、死後の世界である。 死後の世界が見えるということは、その人は死んでいるということになる。
「何か白い影が見えた」 いったいどの目で見たのだろう。 肉眼で見たというのなら、残念ながら、それは目の錯覚である。 ただ疲れているだけである。 本物の幽霊を見たいのなら、一度死んでみるがいい。 そのへんにウヨウヨしているはずだから。
どこかでか見たことがある場所なのだが、それがどこかわからない。 どこかで経験したことがあるのだが、それをどこで経験したのかわからない。 そんな夢を見ることが、時々ある。
目が覚めて、「さて、どこで見て、どこで経験したのだろう」と記憶をたどってみても、それがどうも今の人生に繋がらない。 しかも、それらの夢に出てくる風景は、ひと時代もふた時代も昔の風景なのだ。 ぼくが知らない時代の風景なのに、実にリアルなのだ。 その夢が心を占めた時、なぜかカビ臭いモノクロ映画を見ているような状態になる。
何度かそういう夢を見たのだが、はっきり覚えているのは次の三つの夢である。 一つは、花街の夢で、真夜中、そこを屋根伝いに逃げているのだ。 月が辺りを照らしているが、街灯などは一切ない。 おそらく、かなり古い時代のものだろう。 二つ目は、昭和20年代の工場の風景で、当時の電気配線や作業着が、実にリアルに描かれていた。 夕方のサイレンが鳴り、友人たちと、「さて野球でもしようか」などと言っている夢だった。 三度目は、明治の頃だったろうか。 大きな風呂敷包みを背負い、どこかの街道を歩いている。 すると、急に雨が降り出したため、農家の軒先で雨宿りしている情景である。 どの夢も、どこかで見たことがある風景で、どこかで経験したことなのだ。
今日、そういうことを描いたマンガに出会った。 そのマンガによると、どうもそれは前世の記憶らしいのだ。 『生命というのは一種のエネルギーで、エネルギーは不滅だから、たとえある生き物が死んだとしても、その生命はすぐまた別の生命体にやどる』 そのマンガの作者である手塚治虫は、こういうふうに述べている。 ぼくが今までに見たその手の夢は、いつも時代が違っている。 もしかしたら、前世、前々世、前々々世の時代にぼくが経験したことが、ランダムに夢として出てきているのかもしれない。
ということは、今の人生の風景も、次の人生の中で夢見る可能性もあるということだ。 それはいったい、いつの頃の風景や出来事なのだろうか。 追試の勉強で焦っている姿や、浪人時代の夢などは見たくない。 いつも辛い思いをしていた、前の会社時代なんかの夢もだめだ。 日記のネタで苦闘している姿も見るのは嫌だ。 胃けいれんで死ぬ思いをしたこととか、歩道橋の手すりで頭をぶつけ流血したことも却下する。 また、虫歯の痛みを感じるような夢もだめだ。 願わくば、高校時代の一番輝いていた時期のことを、夢見させてほしいものである。
会社帰りに実家に寄った。 実家は団地の3階にある。 いつもぼくはここの階段を一気に駆け上っている。 ところが、最近運動不足のせいなのか、息が切れてしまった。 おまけに家の中に入るってからも、動悸が激しく、少し気分が悪くなった。
そんな時、さらに気分の悪くなる話を母から聞いた。 「今日ね、掃除しよったんよね。」 「ふーん」 「そこの台所の隅に、“ゴキブリほいほい”を仕掛けとったんやけど、それを捨てようとして持ってみたら重いんよ」 「何か入っとったんね?」 「うん。何と思う?」 「ネズミ?」 「いや」 「鳥か何かね?」 「そんなんじゃない」 「うーん。わからん」 「ヘビよ。ヘビ」 「ヘビ!?」 「うん。たぶん壁チョロを追いかけてきたんやろ。ヘビの前に壁チョロがおったけ」 「どこから入って来たんかねえ」 「わからんけど…」 実家のある団地には、3階に面している木や電柱などは一切ない。 そのため、他の場所から飛び移ることなどできない。 階段伝いに上ってきたとしても、玄関が開いてない限り、家の中には入って来られない。 ということは、壁伝いに這い上がってきて、いつも開いている台所の窓から入ってきたのか。 そうするためには、地面と垂直に建っている団地の壁を上ってこなければならない。 ヘビにはそういう芸当が出来るのか。
それはそうと、母はヘビが嫌いである。 その話をするたびに、ブルブルと震えていた。 ぼくとてヘビは得意なほうではない。 犬猫や昆虫のように子供の頃から親しんできたというのなら別だが、実際にヘビを見たのは、ヘビの猛毒に当たって死んだ人の話や、ヘビにまつわる祟りや悪霊の話を聞かされたあとだった。 そのために先入観でヘビを見るようになってしまっている。 つまり刷り込みされたわけだ。 その点は、伝染病を運ぶと聞かされたあとから、初めて見たネズミと同じである。
それにしても、おかしな話である。 ぼくは物心ついた時から、この土地に住んでいる。 子供の頃、このへんは今よりもずっと自然が多く、土の中で暮らしていたと言っても過言ではない。 しかし、その頃ヘビなどにお目にかかったことはない。 現在のような完全に加工された団地の中に、どうしてヘビなんかが出てくるのだろうか。 いったいいつの時点に、どこから移り住んできたのだろう。 わざわざ、こんな人間しか生活出来ないようなスペースに越してこなくてもよさそうなものなのに。 まさかカラスのように、残飯を求めて山から下りてきたわけではあるまい。 もしそうなら、ゴミ出しのたびにヘビにお目にかからなければならない。 それは嫌だ。
昨日、銭湯から帰ったのは午後6時頃だった。 実は、昨日は予定していたことがあった。 それは、家族と皿倉山に夜景を見に行くことだった。 先日、会社で皿倉山のケーブルカーとリフトの割引券をもらっていたのだ。 有効期限は8月24日までである。 次の休みは22日だから、まだ日にちに余裕はあったのだが、その日は金曜日でが多いことが予想されたため、19日に晴れたら絶対に行こうと思っていた。 この日なら、ケーブルカーにゆったりと座って山頂まで行ける。
家を出たのは7時を過ぎていた。 家から見える夕日が沈むのを確認してから出かけた。 途中寄り道したため、麓のケーブル駅には7時40分頃着いた。 平日なので駐車場も空いているだろうと思っていたが、甘かった。 駅前の駐車場はすでに満車で、その一段下にある駐車場に停めなければならなかった。 ぼくが駐車場に入れている間にも、何台かの車が入ってきた。 駅前の駐車場と、この駐車場に停まっている車を合わせると、結構な人数になる。 これでは、ゆったりと座って行けそうにもないではないか。
極めつけは、バスだった。 近にある八幡Rホテルのバスで、泊まり客から希望者を募り、皿倉山に連れてきたらしい。 バスの扉が開くと、次から次へと客が降りてきた。 いったい何人の人が、112人乗りのケーブルカーに乗って行くのだろうかと思うと、だんだん不安になってきた。
駅に入ったのは、ちょうどケーブルカーが出発した後だった。 次の出発まで、20分待たなくてはならない。 すでに多くの人が並んでいる。 ぼくたちは、何とか次のケーブルカーに乗れる範囲に並べた。
20分後、出発である。 これだけ人が多いと、座ることも出来ない。 とはいえ、2年前に替えたばかりの新しいケーブルカーは、実に快適だった。 しかも速い。 標高600メートル以上ある山頂駅まで、何と5分で着いてしまう。 以前のケーブルカーだと、こうも速くなかった。
山頂駅に近づいた時、「ウォー」という歓声が聞こえた。 黒崎方面の夜景が見えたのである。
山頂駅から展望台まではリフトで向かう。 足元に広がる、宝石を散りばめたような夜景は、何ものにも喩えることの出来ないような素晴らしいものだった。
さて、山頂に着いた。 ぼくは用意してきたデジカメを取り出し、夜景を写してみた。 ところが、所々に光の点があるだけで、何を写しているのかわからない。 何度かやってみたが、まったくだめである。 当然の事ながら、携帯電話についているカメラなんか話にならない。 ということで、その夜景を日記に載せるのは断念した。
とはいえ、ぼくの文章力では、この美しさや感動を充分に伝えることが出来ない。 そういうわけで、家に帰ってから、この感動を伝えるサイトはないものかと探してみた。 ありましたよ。 これです。 これがぼくの見た風景です。 皿倉山の夜景 ( 『 瀬戸の夜景 』より ) 携帯の方は、こちらの皿倉山のところをご覧下さい。 (この画面に映っている洞海湾の左端のほうに、ぼくの家があります)
市はこの夜景を『100億ドルの夜景』と名付けている。 30日は『夜景フェスタin皿倉山』というのが開催される。 その日は仕事なので行けないが、夜景の協力だけはしようと思っている。
【兵法】 昔、千葉周作の元に商人が訪れ、「私は命を狙われております。どうかやって防ぐ方法はないでしょうか」と言う。 それを聞いた周作は、「目を閉じて、刀を大上段に構え、相手の動く気配を感じたら、振り下ろしなさい」と教えたという。 後日、その商人に刀を向ける賊があった。 商人が周作の教えられた通りにやってみると、賊は何もせずに退散したということだ。 目を閉じるという不気味さに加え、動いたら切られるという殺気まで感じるものだから、うかつに手を出せなかった。 虚にして実、と言ったところだろうか。
とはいえ、商人としては生きた心地がしなかったに違いない。 強盗などをやる人間は、相手は怯えて何もしてこないことを予想して事を起こす。 そこで、こちらから相手の予想外の行動を起こしてやると、逆に強盗のほうが何も出来なくなる。 人間というのは、自分の予想していたことと反する行動を他人がとった場合、防衛本能が働いて引くものである。 おそらく、この賊が手を出さなかったのは、不気味さや殺気の前に、相手が予想外の行動を起こしたので何も出来なかったという本能的な要因もあったのだろう。 つまり、気を呑まれたということである。 気を呑まれる、すなわち戦意喪失。 戦意喪失、すなわち戦わずして勝つ。 これこそが兵法の極意である。
【大阪のじいさん】 午前中から何もすることがなく、前回の休みと同様、家の中でゴロゴロとしていた。 しかし、休みの日のゴロゴロを2回も続けると気が滅入ってくる。 そこで、昼からスーパー銭湯に行くことにした。 昨日の日記が大幅に遅れたせいで、家を出たのは夕方になってしまった。 夕方になると会社帰りの客が多くなると思っていたが、今日はそこまで人は多くなかった。
さて、脱衣場で衣服を脱ぎ、風呂場に入ろうとした時だった。 後ろから「こんなのが落ちてたんですよ」という女性の声がした。 見てみると、清掃のおばさんがティッシュを片手に持っている。 なんでも、誰かが脱衣場に痰を吐いていたらしいのだ。 「ホント汚いんやけ!」 と、そこに一人のじいさんが声をはさんだ。 「ほんまですなあ。大阪では考えられんことですわ!」
そんなことはないだろう。 辺り構わず痰を吐くようなマナーの悪い人は、全国どこにでもいるものである。 しかも福岡と同じく犯罪の多い大阪に、そういう人がいない、とは考えられない。 おそらくこのじいさんは、マナーの善し悪しなどどうでもよかったに違いない。 ただ、自分が大阪から来たということを、そこにいる人たちに訴えたかったのだろう。 自分が大阪人であることを自慢したかったのだろう。
ところが、じいさんの意に反して、「へえ、大阪から来られたんですか」などという合いの手を入れる者は一人もいなかった。 おばさんも、じいさんが「大阪では…」と言っている時には、もう他の作業をしていた。 おそらくその時のじいさんの心中は、「・・・」だったに違いない。
もし東北や北海道などから来たと言われれば「へえ、そうなんですか」となるかもしれないが、大阪から来たと言われて反応する人は、大阪から転勤してきた人や前に大阪に住んでいたことのある人以外は、まずいないだろう。 しかも、小倉−大阪間は、昔と違い2時間半行き来出来る場所になっているのである。 そんなことにいちいち反応していたらきりがない。
2003年08月18日(月) |
コンビニ強盗 (後編) |
木刀でも何でもいいから、とにかく長い棒を用意しておいたら、とっさの時に役に立つ。 いくら相手が刃物を持っていようとも、体ごと飛び込む以外に攻撃する方法はないのだから、長い棒を振り回してそれを阻止すればいい。 それがまたこちらの攻撃になるのだから、一石二鳥である。 剣道や居合の心得がなくても、それだけで相手はたじろぐだろう。
これからこういう事件がどんどん増えていくだろうが、我を忘れない、つまり冷静さを失わないことが肝要である。 そういうことからも、普段から訓練をやっておく必要がある。 火災訓練だけじゃ、強盗は防げない。 とはいえ、別に剣道や居合といった武道を習う必要はない。 例えば長い棒を使うのであれば、それを素振りするだけでも、かなり効果があるものだ。 その際、目の前に相手がいると想定してやれば、効果は倍増する。 そのうち腕の筋肉は鍛えられ、眼力というものが養われる。 それを見ただけでも強盗しづらくなるだろう。 戦わずして勝つ、これがベストである。
強盗などない世の中を作ることが重要なのだろうが、それが出来ないということは歴史が証明している。 もしかしたら、未来は犯罪のない社会になるかもしれない。 しかし、少なくともぼくたちの生きている間にそんな時代が来るとは考えられない。 そうであれば、自分の店は自分で守る、自分の身は自分で守るということが必要になるだろう。
それでも鍛えるのが嫌というのなら、多少の経費はかかろうとも、夜間は2人ないし3人体制にしておくべきである。 今回強盗に入られた店は、どこも夜間1人体制であったという。 人件費の節減などという目先のことばかり考えているから、大きな事件に巻き込まれるのだ。 今はコンビニにもキャッシュ・ディスペンサーを設置してところが増えているが、もし夜中にどうしてもお金が必要になった時、店員が一人しかいないような店を利用しようとは思わないだろう。 夜中でも複数の店員がいるからこそ安心なのだ。 つまり、複数人体制というのは、お客へのサービスでもあるわけだ。 目先に狡い人は大きなところで抜けていると言われるが、こういう店に関しても同じことが言えるだろう。
ま、今回のコンビニ強盗事件は、知り合いの刑事さんの活躍もあり、一件落着である。
2003年08月17日(日) |
コンビニ強盗 (前編) |
8月に入って、うちの地区の警察署管内でコンビニ強盗が立て続けに起こった。 犯人は顔を隠さずに堂々と店に入ってきて、従業員にカッターナイフを突きつけた。 そのため、金は盗られたものの、防犯カメラにはしっかり犯人の顔が映っていた。 ということで、すぐに捕まるものと思っていた。 しかし、それがなかなか捕まらない。 特にコンビニの多い地区なので、どこに出没するかわからないのだ。 Sばかりやるので、Sを重点的に張り込んでいたら、犯人はその裏をかいて、Rを襲う、と知り合いの刑事さんが言っていた。 まさに、いたちごっこの様相である。 そうこうするうちに、被害は5件にも上った。 どの事件も同じ人間が防犯カメラに映っていたという。
さて、昨日のこと。 テレビを見ていると、強盗犯人が捕まったというニュースが流れた。 犯人は39歳で、職業は何と『アルバイト』なのだそうだ。 こういう場合、普通は『無職』もしくは『フリーター』などと言うのではないだろうか。 職業が『アルバイト』というのは初めて聞いた。 テレビ局のテロップが間違っていたわけではなく、おそらく犯人が職業を聞かれて、そう答えたのだと思う。 『アルバイト』を職業だと思い込んでいるような奴だから、こういう馬鹿なことをしでかすのだ。 5件もやっているから、おそらく10年近くは刑務所に入っていることだろう。 そこで、『アルバイト』が職業なのかどうかをじっくり考えるがいい。
今日、前出の刑事さんが、うちの店に遊びにやってきた。 非番らしい。 「昨日捕まりましたねぇ」とぼくが言うと、「おう、おれが捕まえたんよ」と言った。 話によると、あのカメラに映っていた顔とそっくりの男が軽自動車に乗っていたらしい。 そこで職務質問しようと車の中をのぞき込むと、そこに例のカッターナイフがあったのだそうだ。 捕まったのは、ぼくの通った中学校の近くにあるコンビニの前だったらしい。 おそらくそこを狙っていたのだろう。
そういえば、前に一度、防犯カメラに映し出された間抜けなコンビニ強盗をテレビで見たことがある。 その時、犯人はカウンター越しに包丁を突きつけていた。 ちょっと待てよ。 カウンターの奥行きは、だいたい5,60センチほどではないだろうか。 一方、腕の長さは70センチ程度だろうか。 その差10センチ。 そのくらいなら、カウンタに張り付いてない以上、刺される心配はないじゃないか。 やはり突然のことなので、普通は動揺するのだろうか。 ところが、このコンビニの店主は違っていた。 カウンターの後ろに、バットを用意していたのだ。 「金を出せ」と犯人が包丁を突きつけたとたん、店主はバットを構えた。 すると、犯人はそれを見て尻込みしてしまい、一目散に逃げ出した。 結局犯人は、店主と店にいたお客さんに追いかけられ、蹴られ殴られ、ご用となった。 何も盗らずに逃げ、痛い思いをした上、懲役何年か喰らったというのだから、割の合わない話である。 強盗というちょっとした思いつきが一生を台無しにした、とも言えるだろう。 いずれにしても馬鹿な奴だ。
2003年08月16日(土) |
最近録画しているもの |
さて、昨日はけっこうきつい思いをしてビデオデッキを設置したのだが、いったい何を録っているのかといえば、ドラマである。 毎日毎週3本のドラマを録画している。
その一つが『キッズウォー5』である。 これはシリーズ2からずっと見続けているので、腐れ縁的な要素がある。 現在スカパーで、シリーズ1をやっているのだが、その成長ぶりを見るのも楽しい。 ま、内容のほうは、2からずっと同じようなことを繰り返しているように思えてならない。 しかし、初めて見る人にとっては新鮮だろう。 それにしても、舞台になっている太陽学園はひどい。
もう一つは『ウォーターボーイズ』である。 ぼくは夜のドラマはほとんど見ないのだが、ある時このドラマの配役を見ると、朝のドラマに出演した役者の名前があった。 『ちゅらさん』の恵達(山田孝之)、『まんてん』のまんてん(宮地真緒)、『ふたりっ子』の麗子(菊池麻衣子)などである。 一度見てみようと思って、その時間にテレビのスイッチを入れた。 これが面白かった。 こんなノリのいいドラマを見るのは久しぶりだった。 今は病みつきになり、このドラマを見逃さないために、わざわざナイター延長があってもいいように、録画時間を1時間延ばしている。
三つ目は『寺内貫太郎』である。 これはスカパーのTBSチャンネルで、月曜日から木曜日まで毎日やっている。 もちろん新作ではない。 1974年に放映されたものである。 今まで、地上波はこのドラマの再放送をやってくれなかった。 その期待を込めて、スカパーを契約したのだが、どこの放送局でもやってくれない。 「こうなれば、ビデオでも買うか」と思っていたところ、昨年の9月、TBSチャンネルが始まった。 TBSなら『寺内貫太郎』や『ムー一族』といった、かつて水曜夜9時にやっていたドラマを確実に流してくれるだろう。 ということで、さっそく契約した。 しかし、今改めてこのドラマを見てみると、けっこうリアルタイムで見逃したものが多いことに気づく。 まあ、その頃は家庭用のビデオデッキなどなかった時代だから、何か用があった時などに見られなかったのだろう。 それを考えると、今の時代は便利である。 予約の操作ミスやナイターの延長、緊急ニュースなどがなければ、確実に録画でき、後でゆっくり見ることが出来る。 こんないい時代に、『寺内貫太郎』のような名作がないのは、実に残念なことである。
これ以外にも面白いドラマはあるかもしれない。 しかし、午後9時に家に帰り、10時から晩飯を食べる生活をしているのだから、この3本を見るのが限度だろう。 『すいか』なども面白いらしいが、こういうのはすぐに再放送をやってくれるから、それまで待つことにしよう。
2003年08月15日(金) |
ビデオデッキの繋ぎ換え |
天気は良かったのだが、外に出たのは、近くのコンビニにジュースを買いに行った時だけだ。 あとはテレビを見るとか、昼寝をするとか、掃除はしないとか。 つまり、家の中でゴロゴロしていたわけである。
それ以外にやったことと言えば…。 ああ、そういえば、午前中にビデオデッキの繋ぎ換えをやった。 うちにはビデオデッキが2台あるのだが、メインで使っているデッキはパナソニック製である。 4,5年ほど前に買ったもので、このデッキを選んだ理由は、日本製だったからである。 今のビデオデッキの寿命は2,3年と言われているから、4,5年故障もせずにもっているというのは長寿の部類に入る。 さすが日本製である。 ところがこの日本製、些細なことではあるが、実に使い勝手が悪い。 それは予約録画をする際に予約ボタンを、「入」にしなければならないということだ。 それまでに使っていた機種や、もう一台の機種は、電源を切るだけで予約状態になる。 その癖が付いてしまっているので、つい電源を切ってしまう。 家に帰って、「さあ、見ようか」と思ってビデオの電源を入れると、いつまで経っても予約していた番組が出てこない。 こういうことが月に何度もある。 一昨日の『キッズウォー5』もそういう理由から見逃している。 これではいかんと思い、サブで使っているソニー製のやつをメインに据えることにしたのである。
しかし、ビデオが据えてあるテレビ台の中は、機械や配線だらけで、どこがどうなっているのかわからない。 最初はビデオだけ取り替えようと思っていたのだが、線の確認などしながらやらなくてはならないので面倒である。 ということで、いったんそこにあるものを取り出して、一から配線し直すことにした。 中に入っている機械は、ビデオデッキ、スカパー!のチューナー、WOWWOWのデコーダー、ピンコードの分配器、コピーガード除去装置などである。 それに繋いである線が複雑に絡み合っている。 電源を抜き、その線を全部外してから、そこにある機械を取り出した。 これだけで一時間ほどかかったのだから、どんな状態だったかお察し頂けると思う。
さて、再びテレビ台の中に機械を収める作業に入ったのだが、取り出した機械の中には使わなくなっているものがある。 WOWWOWのデコーダー、ピンコードの分配器、コピーガード除去装置である。 WOWWOWはすでに解約しているし、その他の機械はレーザーディスクを使っていた頃に活躍していたものだ。 今回は、そういうものを入れないようにした。 入れるのは、ビデオデッキとスカパー!のチューナーだけである。 そのため配線に手間がかからなかった。 わずか10分で終わってしまった。
こういうふうに書いてくると、「ゴロゴロしていただけじゃないやん」とか「しんたもやることはやっている」と思う人もいるかもしれないが、ぼくはここからがだめなのだ。 その使わなくなった機械が今どうなっているのかといえば、線を外して取り出した時のまま、テレビの前に乱雑に置かれている。 そう、片付けないのだ。 それから、ぼくは何をしていたのかといえば、寝ていた。 ということで、これらの取り外した機械は、当分ここに放置されたままになるだろう。
何となく疲れた。 毎日日記を書く習慣がついてしまって、日記の書けない夜は安眠出来ないでいる。 ここ数ヶ月は体調も悪く、ずっとパソコンに向かっていられない状態である。 そんな中、ふと最終回のことを考えた。 始めあるものは必ず終わりがあるもので、それはこの『頑張る40代!』というサイトとても避けることが出来ない。 早かれ遅かれ終わるものは終わるのである。 ということで、今日、最終回の日時を勝手に決めてしまった。
今現在、このサイトは2年と7ヶ月続いている。 決して長い年月ではない。 たかだか2回年を明けただけの話である。 しかし、しろげしんた的にはかなり長い年月だった。 これほど神経をすり減らし、ない頭をひねったことは、これまでの人生ではなかったことだ。
それ以前からエッセイなどを発表してはいた。 が、本格的なホームページというのはこの『頑張る40代!』が初めてだった。 オープン当初は、ほとんど内輪の人だけが見るサイトで、昼間顔を合わせた人が、夜ここの掲示板に書き込みをしていた。 それが誰であるかわかってはいるのだが、まったく他人のふりをして、馬鹿丁寧な敬語でレスをしている自分がおかしかった。
その後、それまでのローカルサイトから脱皮しようと思い立ち、検索エンジンなどに登録をした。 そう、中央に飛び出したのである。 その頃から、日記の内容もローカルなものから、社会的・時事的なものへと変えていった。 そういう折、同時多発テロが勃発。 その時期はネタに事欠かなかった。 毎日毎日のニュースがネタになっていたからである。 ぼく自身、わりと余裕のある時期でもあった。
しかし、だんだんそういうことを主題にするのも飽きてきた。 そういう時、ぼくは、自分が勤めている店で起きる事件の面白さに気がついた。 天災、人災、以前勤めていた会社では経験出来なかったことが、この店にはいくつも転がっている。 これをネタにしない手はない。 そう思ってかき始めた会社ネタであるが、本当にいろいろな事件があった。 酔っぱらいのおいちゃんが引き起こす数々の事件、イタチ騒動、頭から血を流して倒れていたおっさん(後日死亡)、突然店の防火シャッターが閉まった事件、また最近では水による被害など、この日記は本当は会社日記なのではないかと錯覚するほど、会社ネタが豊富に書かれている。
また、それまで日記と詩だけだったサイトに、かつて情熱を傾けていた音楽を加えることにした。 オリジナル曲を人様に聴かせるということは、かなり勇気のいることだった。 自分の声が世界で一番おかしいのではないか、という気までしてきたものだ。
さて、問題の最終回の日時である。 最終回というのは必ずやってくる。 問題はその引き際である。 それを考慮して、この日に決めた。 2007年(平成19年)11月7日、この日をもってこの『頑張る40代!』を終わることにする。 ま、その日までお付き合い下さる方に、あらかじめお礼を言っておきます。 ちなみに、その翌日、ぼくは50歳になる。
2003年08月13日(水) |
日記8月12日 後編 |
さすがに市街地である。 北九州を出てからは、車は多かったものの、渋滞に巻き込まれることはなかった。 ところがここは大渋滞である。 なかなか車が進まない。 ようやく中津方面に行く道に出た時、またもや考えが変った。 せっかくここまで来たのだから、天瀬町と玖珠町の境にある慈恩の滝でも見て帰ろうと思ったのである。
天瀬町方面に行くには、この中津方面に向かう道を逆に行けばいい。 ということで、ぼくは中津とは逆の方向に向かった。 市街地を出ると、国道210号線と合流する。 そこを大分方面に向かうのだ。 この道の途中には、何年か前に門司から移転したサッポロビール九州工場がある。 その先を右に折れると、ぼくの好きな黒川温泉や阿蘇に向かう。 が、今回は時間の関係で行くことが出来ない。
さらに道を進むと、有名な高塚地蔵があり、その先には天ヶ瀬温泉がある。 慈恩の滝はその先である。
午後5時前、右手から「ド、ド、ド、ド…」という音がした。 慈恩の滝である。 ここは国道から見える滝で、夜になるとライトアップしてくれる。 一度夜に見たことがあるのだが、グリーンのライトで照らし出される滝は、実に幻想的だった。 今回はまだ日が高かったのでライトアップはなかったのだが、明るい時間に見る慈恩の滝もいいものである。 いつもは素通りしているので、今日はゆっくり見たかった。 幸い滝の前には喫茶店がある。 そこでぼくは、コーヒーを飲みながら滝を見ることにした。
それにしてもすごい水量だった。 店の人は、昨日大雨が降ったので、水量が増えているのだと言っていた。 その状態を言葉にするとなると難しい。 「ダム決壊で氾濫する川を、垂直に置いたような状態」と言ったらおわかりいただけるだろうか。 とにかく大迫力である。 音は喫茶店の中にまで轟いている。
コーヒーを飲んでから、ぼくは滝壺のほうに歩いていった。 滝壺に落ちる水の大軍は飛沫を上げている。 その飛沫が煙と化し、辺り一面が霞んだように見えている。 そこに身を置くと、ひんやりとした気に包まれる。 これぞ天然のマイナスイオンである。 ぼくはしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。 なぜか体の節々の痛みが取れたように感じたからだ。
気がつくと、まもなく6時である。 プレイボールの時間には、まだ大分県にいたわけだから、当然テレビの野球中継には間に合わない。 家に着いたのが9時だった。 今日のダイエーVSロッテは9時前に終わったので、ぼくは結局、試合のすべてをラジオで聴いたことになる。
2003年08月12日(火) |
日記8月12日 前編 |
お盆の休みは15日だけである。 ということで、今日は墓参りに行ってきた。 朝から曇っていたので、今日も雨にたたられるかと思っていたが、午後から雲はかかっているものの、あたりは明るくなっていった。 その機を逃さずにぼくは出かけた。
家から墓までは、車で15分程度。 滞在時間も同じく15分程度。 昨日あまり寝てなかったので、早く帰って寝ようと思った。 が、せっかくの休みである。 このまま帰るのももったいないと思い、少しドライブしようということになった。
どこに行くのかは決めてなかったが、とにかく南に向けて走ってみた。 お盆前のせいか車が多く、市内を抜けるのに通常は20分も走ればいいところを、今日はそのために倍の時間を要してしまった。
市内を抜け、直方・田川を通り、最初に向かったのが小石原村だった。 なぜ小石原村に向かったのかというと、そこに道の駅があったからである。 トイレに行きたかったのだ。 高速を使わないドライブの時、一番重要になるのはトイレである。 今は、昔みたいにどこでも立ち小便が出来ない時代なので、あらかじめトイレ休憩の場所を決めておかなければならない。 小石原村といえば焼き物で有名なところで、建物内には多くの焼き物が展示即売していた。 だが、ぼくは車を停めるなり、焼き物には目もくれず、一目散にトイレに向かった。 トイレから出てみて、改めて車の多さに気づいた。 北九州・福岡・筑豊・久留米といった県内ナンバーに加え、他県ナンバーも多く停まっていた。
小石原に着いた時は、すでに3時半を過ぎていた。 今日は野球中継もあることだし、このまま帰ろうかと思った。 が、せっかく小石原まで来たのである。 もう少し足を伸ばして、大分県の日田までは行きたい。 そこから甘木方面に向かい、200号線を北上して北九州に戻ればいいのだ。 そうすれば、少し遅くなるが野球中継の開始時間には間に合うだろう。 そう思って、ぼくは南下した。
小石原をずっと南下していくと、筑後川と並行して走る国道386号線にぶち当たる。 そこから右に曲がれば甘木方面に行く。 ところがである。 そこまで来て、再びせっかくここまで来たのだからという思いが、ぼくの中を駆けめぐった。 「この道を左に曲がると、中津方面に向かう道とぶつかる。 その道を耶馬渓まで行けば、国道10号線と交差する。 10号線を北上して小倉に向かえばいい。 野球中継の最初のほうは、ラジオでも聴けるじゃないか」、と思ったぼくは、右に曲がるのをやめ、逆に左に曲がって日田市街に向かった。
ところで、今回どうして再びボブ・ディランにはまったのかというと、そのアルバムの弾き語り3曲を聴いて、痛く感動したからである。 その3曲とは、『くよくよするなよ(DON'T THINK TWICE,IT'S ALRIGHT)』『女の如く(JUST LIKE A WOMANN)』『イッツ・オールライト・マ(IT'S ALRAIGHT MA -I'M ONLY BLEDING)』である。 どの曲も、アコースティック・ギター一本の弾き語りで、1曲目と3曲目にはハーモニカも入っている。 力強い声でガンガンやるもんだから、つい引き込まれてしまったのである。 それまでは、『我が道を行く(MOST LIKELY YOU GO YOUR WAY -AND I'LL GO MINE)』や『ライク・ア・ローリング・ストーン』などのザ・バンドをバックに従えた派手な歌ばかり聴いて、どちらかと言うと地味な弾き語りはあまりよく聴かなかった。 聴いてみると、実に凄い。 マイクに向かって力強く怒鳴っているという感じだ。 それがかっこよくもあり、心地よくもある。 やはり弾き語りというのは、こういう攻撃的なものであるべきだ。
当時アメリカではウォーターゲート事件が問題になっており、時のニクソン大統領の進退が取りざたされていた。 そういう時期に、ディランが『イッツ・オールライト・マ』という歌の中で「アメリカの大統領でさえ、時にはどうしても、裸で立たなくてはならない」とやったものだから、満員の観客は大いに盛り上がった。 これぞ、『風に吹かれて(BLOWIN' IN THE WIND)』他、数々のプロテストソングを作ったディランの真骨頂だろう。
ところで、この『イッツ・オールライト・マ』であるが、ぼくはこの曲を長い間好きになれなかった。 その原因は曲や歌詞にあるのではなく、レコードについている歌詞ブックの訳詞にあった。 だいたいディランの詩の和訳は、わけのわからないものが多いのだが、それなりに格調はある。 ところがこの「IT'S ALRAIGHT MA」の訳だけは違った。 全体的には、いつもながらの格調あるわけのわからない訳なのだが、歌詞の中にある「IT'S ALRAIGHT MA」という言葉の訳が、その格調を台無しにしてしまっているのだ。 「それでいいんだ、おっかさん」である。 たしかに間違った訳ではない。 が、アメリカの大統領まで登場するこの詩のイメージに、「おっかさん」は合わない。 もしかしたら、訳者はウケを狙ったのかもしれないが、ディランの詩でウケを狙おうなんて、もってのほかである。 その「おっかさん」一言のために、長い間、ぼくはこの曲が好きになれなかったのである。
そういえば、ビートルズの『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!(A HARD DAY'S NIGHT)」でも、気に入らぬ訳詞を見たことがある。 元々この曲名を『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!』としていること自体気に入らないのだが、それにもましてその訳はひどかった。 細かい訳は忘れたが、冒頭の「It's been a hard day's night」の訳だけはしっかりと覚えている。 「我本日疲れたり」である。 勘弁してほしい。 あの曲を聴いて、訳者以外の誰が「我本日疲れたり」という言葉を思い浮かべるだろうか? そう、イメージが合わないのだ。 しかもこういう文語で始めるのなら、ずっと文語で通せばいいものを、その後は安易な口語に変わっているのだ。 それも低俗な流行り言葉まで使っていた。 全世界を魅了したビートルズも、これでは台無しである。 おそらく訳者は、「我本日疲れたり」を考えついた時、「やったー!」と小躍りしたに違いない。 しかし、こういう表現は一歩間違えると、センスや教養を疑われる結果となる。 余計なお世話かもしれないが、もっと勉強してもらいたいものである。
30年近く前のライブ盤にはまっている。 ボブ・ディランの『偉大なる復活(Before The Flood)』というアルバムで、1974年の全米ツアーから収録したものである。 1971年のバングラデシュコンサート以来、久々のディラン登場とあって、日本でもかなり話題になった。 当時の主だった日本のミュージシャンも、そのライブを見ての感想を、音楽雑誌などに載せていたものだった。
ぼくがこのアルバムを初めて聴いたのは、高校2年(74年)の夏休みだった。 7月の終わり頃に、ぼくは親しい友人たちと鹿児島・宮崎の旅行に行ったのだが、その旅行から帰ってきた日だった。 1週間近く閉めきっていた部屋の窓を開けた時、たまたまかけていたラジオから、聞いたことのある歌が流れてきた。 『ライク・ア・ローリング・ストーン』だった。 オリジナルとアレンジが違うし、オリジナルを歌った頃のディランのか細い声とは違い太い声なので、最初は誰が歌っているのかわからなかった。 曲が終わった後で、「ボブ・ディランのニューアルバム『偉大なる復活』から、『ライク・ア・ローリング・ストーン』をお届けしました」というDJの声。 それでようやくボブ・ディランとわかった。 ディランはよく声を変えるので、それのごまかされたわけだ。
ディランが声を変えるといえば、1969年に出した『ナッシュビル・スカイライン』というアルバムで、突然、それまでのしわがれ声から透明感のある美しい声に変わったことがある。 その後、彼は人の歌ばかり歌った編集アルバムを出すのだが、そのアルバムに入っている声は、美しい声だった。 ぼくがボブ・ディランを聞き始めた頃、FMでボブ・ディランの特集を1週間やったことがある。 ぼくはラジカセで、最初からその番組を録音した。 3回くらいまでは初期から中期の、しわがれ声の歌ばかりやっていた。 ところが、4回目の始まりと同時に、プレスリーの曲が流れ出した。 透明感のあるいい声の人が歌っているのだが、まったく知らない人の声である。 番組を間違ったと思って、ぼくはラジカセの録音ボタンをオフにした。 そして新聞の番組欄を見た。 「おかしいなあ」 たしかにボブ・ディラン特集になっている。 しばらくして、DJが「ディランの新しい声をお聞きいただけたでしょうか?」と言った。 「何、ディランは声を変えたのか!?」 その時初めて知った。
声もそうだが、歌い方もよく変えている。 全米ツアーの前年、ディランは『ビリー・ザ・キッド』という映画に出演して、同タイトルのサントラ盤を発表している。 その中に収録された『天国への扉(NOCKIN'ON HEAVEN'S DOOR)』は大ヒットした。 その時は、生ぬるい歌い方だった。 ところが、一年後の全米ライブでは、気合いが充分に入った歌い方になっている。 後に、音楽評論家がディランのライブを見て、「ディランに叱られた」というような表現をしているのを、ある本で読んだことがあるのだが、そういう人を叱るような歌い方をしたのは、この全米ツアーが最初だった。
2003年08月09日(土) |
海水浴・クラゲ・三浦海岸 |
【海水浴】 台風の影響か、今日も午前中まで雨が残り、ようやく晴れたのは午後3時以降だった。 この土日で、海水浴を予定していた人もいるだろうが、その中には、今回の台風で断念した人もいると思う。 そういう人たちにとっては、夏はもう終わりということになる。 なぜ終わりかというと、こちらの方の海水浴シーズンはお盆で終わってしまうからだ。 もちろん、お盆を過ぎても泳ぐ人はいる。 だけどシーズン中に比べると人はまばらで、その状況を見ると、悲壮感まで漂っている。
いくらお盆を過ぎたからと言っても、残暑厳しき折である。 それなのに、なぜ海水浴シーズンが終わるのか。 それはクラゲのせいである。 8月に入ると海温の上昇に伴い、クラゲが登場する。 10日前後になると、かなりの量のクラゲが発生して、海水浴場を占領してしまう。 その時点で、海水浴シーズンは終わりとなるのだ。
【クラゲ】 中学3年の時に、このクラゲの被害にあったことがある。 泳いでいると右腕に痛みが走った。 それでも気にしないで泳いでいると、またしても同じ所を刺されてしまった。 その痛みは尋常ではなかった。 ぼくはさっそく海から上がり、いっしょに行った人が用意していたアンモニアを塗った。 しかし痛みは引かない。 しかたなくそのまま帰ることになった。
その晩、右腕は腫れ上がり熱が出た。 その熱で寝付かれなかったのを覚えている。 翌日、刺されたところは変色し、火ぶくれのようになっていた。 見ると触ってしまうので、包帯を巻いておいた。 3日後に火ぶくれ状態の箇所から水が抜け、ようやく回復に向かったのだが、その傷口は夏休みが終わってもずっと残っていた。
【三浦海岸】 その年だったと思うが、夏休み最後の日曜日にテレビを見ていると、ニュースで「神奈川県の三浦海岸は、過ぎゆく夏を惜しむかのようにたくさんの海水浴客でにぎわい…」などと言っている。 それを聞いて、ぼくは「三浦海岸にはクラゲはいないのだろうか」「何か特別な仕掛けでもしているのではないだろうか」などと思ったものだった。
それにしてもうらやましい話である。 こちらではお盆で終わっている夏が、神奈川ではまだ終わってないのだ。 そういうところにぜひ行ってみたいものだと思っていると、翌年そのチャンスが訪れた。 横須賀の親戚が、遊びにこいというのだ。 8月中旬、ぼくはクラブ活動をさぼって、横須賀に行った。 親戚の人が「どこに行きたい?」と聞くので、ぼくは「三浦海岸」と答えた。 そこで、その数日後、三浦海岸に連れて行ってもらった。 親戚の家のある久里浜からは、すぐの場所にあった。
平日とはいえ、海水浴場はかなりの人である。 さっそく海に入ってみたのだが、玄界灘と何ら変るところはない。 ただの海である。 が、クラゲはいない。 そこで何か仕掛けがしているのではないかと、沖まで泳いでいってみた。 しかし、何も仕掛けなどはなかった。 ということは、元々そこにはクラゲがいないのかもしれない。 親戚の人に聞いてみたのだが、よくわからないと言う。 結局「何で8月末まで泳げるのだろう?」という疑問が残ることになった。 その疑問は、いまだ解決していない。
【台風10号】 昨日のことだが、午前中夏の日差しが燦々と照りつけていた空が、午後から急に真っ黒になった。 ほどなく、ゴロゴロという雷の音とともに大雨が降り出した。 テレビからは、台風10号の情報が逐次流れてくる。 「おお、ついにやってきたか」と思い、内心喜んでいた。 が、どうも降り方が台風とは違っている。 単なる夕立だった。 「何か、つまらん」と思いながらぼくは店の中に入っていった。 しかし、その後は晴れることなく、ずっと雨時々曇りといった天気だった。
夜も小雨がパラつく程度で、風などはほとんどなかった。 どうやらそれそうだと思ったのは、家に帰ってからニュースの天気図を見た時だった。 どう見ても、長崎方面に抜けるような天気図ではないのだ。 「四国に行くばい」と思っていたら、案の定そうなった。
明けて今日。 午前中、雨はけっこう強く降ったのだが、風のほうは今ひとつだった。 午後になって、やや強い風は吹いたのだが、それもそう長くは続かなかった。 「大型で強い台風」などという枕詞が付くくらいだから、前回の台風9号以上の風を予想していたのだが、期待はずれだった。 台風が来る時には、いつも気合いを入れているので、今回はちょっと拍子抜けした感じである。
【主婦業は大変である】 うちのパートさんからよく「しんたさん、昨日の夕飯何だった?」と聞かれる。 ところが、そう聞かれる日に限って、前の日の夕飯を覚えてないのだ。 思い出そうとしても、何日か前の夕飯のイメージばかりが頭の中をよぎって、なかなか前日のメニューまで行き着かない。 きっと、物忘れがひどくなったか、夕飯にあまり意識を持ってないかのどちらかだろう。
さて、パートさんがどうしてそういうことを聞いてくるのかというと、それを参考に、その日の献立を考えたいということからである。 ぼくがいつも日記のネタを考えているのと同じように、世間の主婦はいつも料理のネタを考えているのだ。 しかも日記の場合は、いつでも逃げ出すことが出来るのだが、料理の場合は逃げ出すことが出来ない。 朝は早くから起きて弁当作り、昼間はパート、それが終わると夕飯の準備である。 つくづく主婦というのは大変な稼業だと思う。
【自己投資家】 ぼくは、新しい物好きである。 新製品が出ると、すぐに手を出してしまう。 そういうぼくを見て、他人は「浪費家」だという。 しかし、ぼくはテレビや雑誌のCMにつられて流行り物に手を出すような、そんな馬鹿なことをやっているわけではない。 そういう物には、ぼくはぜんぜん興味を抱かない質なのだ。
ぼくが手を出すのは、自分の趣味に関連のある物に限っている。 それも、「これを買って、どう将来に役立てるか」とか、「これを買うためには何をどう切りつめたらいいか」などと、じっくり考えてから買っているのだ。 そういうことなので、ぼくは自分のことを浪費家だとは思っていない。 あくまでも、自己投資家だと思っている。
朝のテレビで、糖尿病の話をしていた。 糖尿病にかかっている人の話によると、「最初はぜんぜん自覚症状がなく、検査で血糖値が高くなっていると言われ、びっくりした。後で考えてみると、それ以前にのどが渇いたり、体重が減ったりというようなことがあった。おそらく、その兆候だったんじゃないのか」ということだった。 その話の一言一言にぼくは反応した。 思い当たるふしがあるのだ。 4月以降、ぼくはすぐにのどが渇くようになった。 渇くと言うより、口の中がねばっぽくなるのだ。 体重は、前にも言ったとおり、ここ3ヶ月で6キロ痩せている。 糖尿… これは困ったことになった。 しかし、前年の健康診断では血糖値は正常だった。 テレビでは、それを覆すようなことを言っている。 「以前は、尿の中にリトマス試験紙を入れて、その色の変化で判断していたが、その方法で正常でも安心してはいけない…」 (ドキッ!)
ぼくは、毎日オロナミンCやチオビタなどのドリンクを飲んでいる。 ああいうのは、糖分を多く含んでいるらしい。 そのせいで、のどが渇き、体重が減ったのか? まさか、そういうことはないだろう。 ぼくは、ドリンクを飲むのは1日1本と決めている。 もしその程度の飲用で糖尿だというのなら、かつて紅茶花伝を毎日5本飲んでいた時に、糖が出なかった理由を説明してもらいたいものだ。
なぜ、ぼくがここまで糖尿に過敏になっているのかと言えば、実は前の会社の同僚が、重い糖尿病にかかっているという話を聞いたからだ。 彼は、ぼくがその会社にいた頃から糖尿の気があった。 とにかくよく食べるのだ。 「そんな無茶食いせんほうがいいよ」と、ぼくたちはよく彼に忠告していたのだが、彼は聞く耳を持たなかった。 あれから10年以上が経つ。 その間、彼は入退院を繰り返し、今はもう目にきているという。 左目がよく見えないらしい。 最初の頃は、飛蚊症というか、黒い点がいくつも見えていたという。 そこで節制していれば、良くなっていたかもしれない。 しかし、彼はあいかわらず無茶食いを続けていたらしい。 かなり視力が落ちたということだ。 医者の話では、いかに治療を施しても、もう目は元に戻らないという。
さて、会社に行ってから、ぼくはHさんとの雑談のおりに、その糖尿の話をしてみた。 しんた「おれ、糖尿かもしれんです」 H「その体型で糖尿なわけないやろ」 し「いや、最近すぐにのどが渇くんです」 H「ばーか、夏やけのどが渇くんたい」 し「春からずっとなんですよ」 そこにKさんという人が入ってきた。 Kさん「何ね、しんちゃん糖尿ね」 し「はい」 K「おれ、高血圧よ」 し「おれ、血圧も高いです」 K「降圧剤飲みよるもんなあ」 Kさんが降圧剤まで出してきたので、ぼくはなぜか負けているような気がした。 そこで、負けず嫌いのぼくは、とっておきの病気を出した。 し「おれ笑える病気を持ってますよ」 K「笑える病気っちゃ、何ね?」 し「痔です!」
それにしても、糖尿は怖い。 節制しよう。
2003年08月06日(水) |
今日も君を想い出にする |
『今日も君を想い出にする』
今日一日が情けなくて ぼくは何気なく君を見る 君はかすかに笑みを浮かべ 小さくうなずいて席を立つ
ぼくはやっぱり君が好きで 二度と離れて暮らすなんて とても出来ないことなんだと 君をまた今日の想い出にする
途切れた愛の日々を ひとつひとつ想い出しては 胸の痛くなるような、そんな一日
ぼくがこうして上を向いて いけるのも君がいるからのこと 君を愛する、だからぼくがいる 今日も君を想い出にする
昨日、会社から家に帰って、しばらくパソコンで花札をやっていたのだが、こういうのは2回もやると飽きてしまう。 さて何をしようかと辺りを見回すと、部屋の隅の方にギターが寂しく立っている。 先月、2年ぶりに弾いてみたのだが、握力がなくなっているのか、コードを押さえても満足に音が出なかった。 そこで往時を取り戻そうと、1週間ほど練習してみた。 指先が堅くなり、かなりいい雰囲気になってきた。 ところが、仕事中に左手の人差し指を突き指してしまい、その痛みのせいで、うまく弦を押さえられなくなったのだ。 それからまた弾かなくなっていた。
ふと、もう弾けるんじゃないかと思い、指を触ってみると、まだ若干の痛みは残っているが、ギターを押さえられないほどではない。 そこで、何週間かぶりにギターを手に取ってみた。 何とか弾けそうだ。 そこで、ギターを弾いて、暇つぶしをすることにした。
しばらくギターを弾いていたのだが、そこで思い出したことがあった。 この間ネットで、レコーディング用の機械を買ったということである。 それが届いてから2週間以上たつのだが、一度も使ったことがない。 「じゃあ、これで遊んでみるか」と、ギター片手に試し録りを始めた。
録音は快調とは言えなかった。 長い間、真剣にギターを弾いてなかったため、リズム感がなくなっている。 また、久しぶりにオリジナルを歌うものだから、歌詞を忘れ、節回しを忘れと、もうさんざんなものだった。
そういう中で、一つだけ満足に歌えた歌があった。 それが冒頭の『今日も君を想い出にする』だった。 この歌を作ったのは26,7歳の頃である。 25歳の時、高校時代からずっと好きだった人の結婚を知って、しばらくの間落ち込んでいた時期がある。 先月この日記に『月夜待』のことを書いたが、ちょうどその歌を作った時期である。 あの歌の歌詞にあるとおり、やけ酒ばかり飲んでいた。
この『今日も君を想い出にする』は、それから立ち直った時期に書いたものだ。 この歌詞にある『君』という人が、現実にいたわけではなかった。 そこにあるのは、こういう人と生活がしたい、というような一つの憧れである。
さて、この歌を録音してから、「歌のおにいさん」に上げてみることにした。 HP用に調整してないから、少し重たくなっているが、興味のある方は聴いてみて下さい。
今日は休みだったのだが、朝方ちょっと用があって会社に行った。 滞在時間は40分。 残っているといろいろ仕事をさせられるので、用が済むとさっさと帰った。 帰る途中のこと、ふと「せっかく出たんだから、ちょっと遠回りしてかえるか」という気分になった。 とはいえ、郊外まで足を伸ばすと、家に帰り着くのが遅くなる。 「さて、どこに行こう?」と迷ったあげく、ぼくは車を山手に向かわせた。 久しぶりに母校(高校)を見てみようと思ったのである。 国道から外れて、南側に車で5分程度行ったところに高校はある。 住宅街にあるせいか、学校付近の風景は、ぼくが通っていた27年前とさほど変っていない。 多感な時期にしっかり記憶に刻み込んだ風景が、今もそこにあるということだ。 これはもう財産である。
高校内は進入禁止になっているので、校門の前に車を停めて、学校の中に入った。 校門から校舎に続く道沿いにある、桜並木が当時のままに残っている。 そういえば、在校中、学年集会の時に先生が「この学校に入学した時、校門を入ると一杯の桜の花が出迎えてくれたやろうが。それを見ていい学校だなあと思わんかったか? そのいい学校の風紀を乱しているのは、お前たちだ!」とよく言っていたが、今になって考えてみると、あれはこじつけである。 まあ、いい学校に比したくなるくらい、満開時の桜並木はきれいだったが。
校舎はほとんど建て変っていたが、本館だけは昔のままだった。 その、本館の玄関の下駄箱に、来客用のスリッパが置いてある。 高校受験の時だった。 ぼくの中学からは、男子3人女子10人がその高校を受験したのだが、男子は3人とも上履きを持って行かなかった。 そこで、そこにあった来客用のスリッパを勝手に借りて履いていた。 ところが、それが見つかってしまい、「お前たちのような奴は、この高校に来なくていい」とまで言われてしまった。 スリッパはもちろん取り上げられた。 しかたないので、履いてきたスニーカーのまま、教室に上がった。 が、それに関しては何もお咎めを受けなかった。 しかも、3人とも合格だった。
また、その玄関を入ったところに、当時公衆電話があった。 3年の時だったか、自習時間に、友人がぼくのところにやってきて、「受験する大学に電話で聞きたいことがあるけ、付いてきてくれん?」と言う。 ぼくはやることがなく暇だったので、玄関横について行った。 ところが、友人がお金を入れダイヤルを回したところで、進路の先生に見つかってしまった。 「お前たち、ここで何しよるんか?」 友人は電話をかけている。 しかたなくぼくが受け答えした。 「電話してます」 「電話しよる? お前、今授業中やろうが」 「はあ」 「じゃあ、何でこんな所におるんか?」 「はあ、自習ですから」 「自習だからといって、教室からでたらいかんやろうが。電話を切って戻りなさい」 「ちょっと待って下さい。彼は今大学に電話してるんですよ」 「それがどうした」 ぼくはカチンと来た。 「それがどうしたっちゃ何ですか。彼は今進路の問題で電話してるんですよ。大事な電話をかけてるんです。静かにして下さい!」 「何かお前は。先生に反抗するんか!?」 「反抗してないでしょうが。人が電話している時に、横でごちゃごちゃ言わんで下さいと言ってるんです!」 「・・・、もういい。電話がすんだらさっさと教室に戻りなさい」 そう言うと、その先生は職員室に戻って行った。
友人が受話器を置いたので、ぼくが「どうやった?」と聞くと、彼は「出らんかった」と言った。 「えーっ? ちゃんとしゃべりよったやないか」 「いや、先生がおったけ、切るに切れんかったんよ。だけ、話しよるふりしとった」 ふざけた奴である。 こちらは電話しているものとばかり思って、必死に先生と闘っていたのだ。 あげくに彼は、「しんたがあの先生を殴るんやないかと思ってヒヤヒヤしたわい」とまで言う。 言葉のやりとりで頭にきて、つい先生を怒鳴りつけたのだが、最初はこちらのほうがヒヤヒヤしていたのだ。 本当にふざけた奴である。
さて、母校にどれくらいいただろうか。 おそらく校舎の中では、後輩たちが課外授業を受けているのだろう。 グラウンドには、まだ誰もいない。 よその学校のグラウンドなら、午前10時ともなれば、野球部が声を張り上げて打球を追っているだろう。 さすがに母校である。 少なくとも、ぼくが生きている間、甲子園に行くことはないだろう。 そんなことを思いながら、ぼくは母校を後にした。
ぼくは11年前に転職して今の会社に入った。 前にいた会社は家電の専門店だった。 今の会社でも同じ家電を売っているのだが、別に請われて今の会社に来たわけではない。 あれは、前の会社を辞めて2ヶ月ほどたった頃だった。 新聞を見ていると、今の会社の求人広告が出ていた。 そこで、藁をもつかむ思いで応募した。 面接では充分に自分を売り込むことが出来、面接官のあたりもよかったのだが、それまでのキャリアなどは一切考慮されなかった。 一からのスタートとなったわけだ。 それから11年、ようやく前の会社でもらっていたくらいの収入を得るようになったのである。 それでも、同世代の生え抜き社員の収入と比べると、かなり低い。
さて、今この会社に、3年前に倒産した某有名百貨店からの転職者が数人いる。 年齢はぼくと同じくらいか、それより上である。 彼らに対する会社の扱いは、なぜか格別なものがある。 入った時から、百貨店時代の役職をもらっている。 まったく同じ業種でもないのに、これは不自然である。 さらに驚いたことに、収入も百貨店時代と同じだという。 その額は、生え抜きの社員の収入の額よりはるかに多いと聞く。 なぜつぶれた会社から来た人間を、そこまで優遇しなくてはならないのか、とみんないぶかり、憤っている。
ある取引先の人から聞いた話だが、最近、行く店行く店に潰れた会社からの転職者がいるらしい。 そこの生え抜きの社員は、影で「死神」だの「貧乏神」だのと呼んでいるということだ。 その人がある店に行った時、そこの従業員が「また一人、死神が会社を潰しにやってきたんですよ」と言っていたそうだ。
そういえば、ある転職者から聞いた話だが、その人が前に勤めていた会社にいた時、その会社がある潰れた会社の営業課長を招聘したらしい。 ところが、その営業課長は新天地でも同じような戦略で会社を切り盛りしたという。 結局、その会社も潰したそうだ。 そういう例はけっこう多くあるらしい。 まさに「死神」である。
何ヶ月か前に、女子アルバイトが入った。 以前、あの倒産した量販店Sにいたという。 その子はSにいたことにプライドを持っているらしく、ことあるごとに「Sはこうやっていますよ」とか「Sではそういうことはやりません」などと、何かにつけSを引き合いに出すのだそうだ。 そのため、他の従業員からひんしゅくを買っている。 「ここは、ここのやり方があるんやけ」と言っても、あいかわらず「Sでは…」を繰り返すらしい。 ぼくは直接「Sでは…」を聞いたのではないのだが、もしぼくの前でそういうことを言ったら、「そういうやり方やけ、潰れたんよ」と意地悪く言ってやるだろう。
さて、問題は某有名百貨店からの転職者である。 会社は今、実質上彼らが牛耳っていると言っても過言ではない。 ところが、会社の厚遇も手伝ってか、あまりいい噂を聞かない。 彼らはいったい、どこにぼくたちを連れて行こうとしているのだろうか。 今後、もしぼくが転職をすることがあった時に、そこの会社の人たちから「死神」と呼ばれないようにしてほしいものである。
【ウーロン茶】 ぼくは2年近くの間、ずっと緑茶ばかり飲んでいたのだが、最近になってウーロン茶を飲むようになった。 それは、ある人から「ウーロン茶は脂肪を燃やす」ということを聞いたからだった。 ウーロン茶を飲み始めて、1ヶ月ほどになるが、そのせいか腹回りは少しすっきりしてきたようだ。 今年4月には86センチのズボンがきつかったのだが、最近は83センチのズボンが余裕で入るようになっている。 一方体重のほうは、4月に80キロあった体重が、今は74キロになっている。 もちろん、ウーロン茶の効果だけでこういう結果が出たのではない。 毎日やっているラジオ体操や、ビール断ちの効果もここにはある。
さて、そのウーロン茶だが、ぼくはいつも2リットル入りのペットボトルを買い、それを二日に分けて飲んでいる。 つまり一日1リットル飲むというわけだ。 そのため、買った日に残ったウーロン茶はクーラーボックスに入れて冷やしている。 ところが、そこに入れておくと、誰かが飲んでしまうのだ。 名前を書いていても飲まれた人もいる。 そこでぼくは一計を案じた。 名前を書いても飲まれるのなら、飲まれないような工夫をすればいい。 その工夫とは、ペットボトルに3×4センチほどの紙を貼り、そこにサインペンで名前を書き入れる。 その名前の横に、「こんなの飲みたくない」というイメージを与えるコメントを書き入れることだった。
最初に書いたのは、単純に「しんた/汚い」だった。 次に書いたのは、「しんた/つば混入」だった。 次は、「しんた/危険」だった。 その次は、「しんた/油入り」 つまり、カップ麺の油が浮かんでいるよという意味である。 その次は、「しんた/ダシ入り」 これも油入りと同じ発想で、カップ麺のダシが混入しているよ、という意味である。 前回が、「しんた/舌入れました」だった。
これで充分だろう。 これだけ書くと、書いたぼくでさえが飲みたくなくなるのだから、さすがに飲む人もいない。 そこで、今回は趣向を変えて「しんた家」と書いてみた。 これには理由がある。 ペットボトルというのは、喉仏を入れる骨壺に形が似ている。 そこで、うちの納骨堂に飾ってある位牌にヒントを得て、「しんた家」と書いてみた。 もうすぐお盆という意味を込めたものである。
最初は汚ければ充分と思っていたコメントだったが、書いていくうちに、せっかくだからウケを狙おうと思うようになり、以上のような展開になったわけだ。 しかしこのコメント、文字数は多くても7,8文字しか書けない。 この制約は、17文字の俳句より厳しい。 そこにしんたワールドを展開させなければならないのだから、これは大変なことである。 「さて、次は何とコメントしようか」 ここ数日、そんなことばかり考えている。
【午後4時】 ぼくはあいかわらず、午後4時から昼食をとっている。 午後4時にこだわる理由は、第一に、食堂が午後3時まで禁煙タイムになっていることである。 飯の後にタバコが吸えないことほど悲しいことはない。 じゃあ、禁煙タイムが解ける午後3時から行けばいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。 しかし、その時間は、同じ部署の子が食べに行っている。 第二に、その時間に食べている人がいないということ。 別に他の人が食っていたってかまわないのだが、ぼくは小学生の頃から、食事中に人がいるとついしゃべり込んでしまい、食べ終わるのが遅くなってしまう。 そのため、昼食時間の楽しみの一つである昼寝が出来ない。 第三に、晩食の時間が遅いということである。 帰宅するのは、だいたい午後9時になる。 それから風呂に入ったりするから、どうしても晩食は10時を超えてしまう。 昼食から晩食まで6時間だが、これでもけっこう腹が減る。 もし、午後3時に昼食に行ったりすると、気分が悪くなってしまうだろう。 以上のような理由から、ぼくは午後4時から昼食をとるようにしているのだ。
【弁当】 今年3月の改装工事以降、ぼくは弁当を持って行っていない。 工事が始まった頃は食堂が使えなかったので持って行かなかったのだが、そのうち外食に慣れ、グルメツアーなどをやりだしてからは弁当を食べたいという気が起こらなくなった。 改装後もそういう理由から弁当を持って行かず、もっぱらカップ麺やおにぎりを食べている。 まあ、このほうが後で食器を洗う手間が省けて、その時間を昼寝に当てることが出来る。
さて、そのカップラーメンだが、毎日違ったものを食べている。 ぼくが好きなのは、カップスターラーメンみそ味、マルタイ博多長浜ラーメン、同じくマルタイの長崎チャンポン、日清どん兵衛コクだしチャンポンうどんなどである。 今日食べたのは、マルタイの長崎チャンポンだった。 このカップ麺は、その他のお気に入りカップ麺と違って、待ち時間が5分と長い。 ぼくはいつもカップ麺といっしょに、おにぎり二個を食べているのだが、最初の一個はカップ麺の待ち時間に食べている。 残りの一個は、麺といっしょに食べるのである。 ところが、今日のように5分かかるとなると、勝手が違ってくる。 普段は3分待ちである。 だから、だいたいそのペースでおにぎりを食べる。 しかし、今日の場合は5分だから、2分も時間が余ってしまった。 その間、ぼくはカップ麺を目の前にして、じっと壁に掛けている時計を睨んでいた。 もし側に人がいたら、いかにも間抜けに見えただろう。 こういう姿を見せないためにも、午後4時は外せないのである。
しかし、凄い量の水である。 バキュームクリーナーはタンクいっぱいに水が貯まると、自動的に電源が切れるような仕組みになっている。 もちろん大量の水を溜めることが出来るのだが、それでも3度水を捨てに行った。
何とか水が治まったのは、「しんたさん、バケツ!!」から1時間ほど経った頃だった。 時折天井からしずくは落ちてくるものの、もうバキュームクリーナーは用なしである。 ぼくが片付けようとした時だった。 応援に駆けつけていた本社の人間が、「ちょっと片づけるのは待って。まだ使う」と言った。 ほとんどの水を吸い取ったのに、何に使うんだろうと思っていると、本社の人間は「へえ、これすごいよ」「おお、ドンドン吸い込んでいく」などと言っている。 要は、このバキュームクリーナーを使いたかっただけなのだ。
さて、今回の水漏れだが、何で起こったかというと、聞けば実に情けない話だった。 化粧品コーナーの前に消火栓が設置してある。 この消火栓は、屋上から店内に繋がっている。 数日前のこと、ある業者がこの消火栓の点検のために、天井裏でホースを切り離した。 ところが、その業者は繋いで帰るのを忘れていた。 今回、別の業者が、前々週の雨漏りの点検のためにやってきた。 いろいろチェックをやった後に、その屋上の消火栓の元栓がしまっているのに気がついた。 これではいざという時に、消火栓から水がでないというので、その業者は元栓を開いた。 彼は、数日前に別の業者がホースを切り離しているなどとは、夢にも思わない。 水はホースを伝わり天井裏に向かった。 そして、大量の水がそこで流れた。 彼の予定では、化粧品コーナーの前にある消火栓のコックの手前で折り返し、再び屋上に水が戻ってくる、はずだった。 しかし、いつまで経っても水は戻ってこない。 どうしたんだろうと、下に行ってみると、蜂の巣を突っついたような大騒動である。 その時、彼はいったいどんな顔をしていたのだろうか?
今回の事件は、どう見ても人災である。 しかし、ぼくにはそう思えない。 なぜか4月の改装以来、水による被害が多発している。 いや、改装後だけではない。 雨漏り、地下水の浸水、あげくは酔っぱらいの寝小便と、以前からこの店は水の事件に泣かされてきている。 聞けば、この店の建っている場所は、かつて池だったということである。 おそらく、改装であまりにガタガタやったので、池の神の怒りに触れたのだろう。 それにしても、いつもながらネタに事欠かない面白い店である。
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